全国学力テストの結果をどう見るか?/日本の針路(31)
文部科学省から2014年度全国学力テストの結果が公表された。
昨年、静岡県は、小学校の国語Aが都道府県別最下位だった。
テスト結果について、下位校を公表するかどうか等で、川勝知事と県教職員組合等の間で議論があった。
⇒2013年9月12日 (木):全国学力テスト静岡県の乱/花づな列島復興のためのメモ(259)
今年度はどうだったか?
幸いにして、国語Aは最下位を抜け出ることができた。
本県は全調査科目で改善し、13年度に平均正答率で全国平均を5ポイント下回って最下位だった公立の小学6年国語A(基礎問題)は全国平均をわずかに下回ったが、順位は27位に上昇し、最下位を脱出した。
本県は小6国語A以外の7種類のテストは全て全国平均を超え、中3数学は全国トップ級に浮上した。
07年度の全国学力テスト開始以来、低下傾向が続いていた小6は4種類のテスト全てで平均正答率と順位がともに大幅に回復した。特に国語B(活用問題)は13年度の40位から8位に躍進した。
県教委の担当者は「教員、児童生徒、保護者が一丸となって取り組んだ成果。過去問題の活用でテストに慣れた面はあるが、書く活動や振り返り学習を重視して授業も変わった」と分析している。
小6国語Aは平均正答率が72・8%で、加藤文夫県教育委員長が目標に掲げた全国平均には0・1ポイント届かなかった。ただ、全体的に改善傾向が見られ、13年度に高かった後半の設問の無解答率は大きく低下し、全国平均を下回った。
小6国語A最下位脱出 静岡県、全科目で改善
今まで大した努力をして来なかったのではないか、などとは言うまい。
現場での授業改善努力の賜物ということだろう。
しかし、同時にテストで測定できる学力は、ごく一部であることも忘れてはならない。
学力について、あるサイトでは次のような定義をしている。
定義:学びに変化を与える要因になる機能
ヒトに備わっている学びに変化を与える「能力」は「ヒトの学力」ですし,学びに変化を与える「知識」は,知識に備わった学力「知識の学力」です。また,学校は人間社会が作り出した「学びに変化を与える要因となる機能」です。定義にしたがい「学校の学力」だと言えます。
知力をコンピュータのソフトウェアのアナロジーで、アプリケーションとOSで考えてみよう。
アプリケーションは実際の作業に関係するソフトウェアであり、OSはその基盤になるものである。
アプリケーションに能力を、OSに脳力を当ててもいい。
あるいは、流行の「地頭」がOSに相当するとも言えようか。
とすれば、学力テストはアプリケーションのパフォーマンスの測定ということになろう。
OSのパフォーマンスについては、間接的な評価ということになるのではないか。
同様に、「見える学力」「見えない学力」ということも言われる。
アプリケーションは「見える」に、OSは「見えない」に対応すると考えられる。
重要なことは、ドライビング・フォースである。
おそらくは、短期的な目標に役に立つかどうかではなく、役に立つとも思えないようなことに対する知的好奇心ではないか。
何が役に立つかを知ることは、事前には不可能である。
もう1つ注目すべきは、携帯やスマホの使用時間と正答率の関係である。
スマホ使用で学力低下? 1時間以上、中3は47%
携帯、スマホの使用時間が多くなるほど正答率が下がる傾向がはっきりと現れている。
おそらくは、自分の頭で考える時間の長短ということであろう。
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