村山浅間神社とオールコック顕彰碑/富士山アラカルト(9)
幕末期の初代駐日総領事ラザフォード・オールコックは、日本の印象を『大君の都―幕末日本滞在記』岩波文庫(山口光朔訳)(1962年4月)に書いている。
当時の日本の様子を第三者の目で描いた貴重な資料である。
オールコックは、1809年ロンドン郊外イーリングで生まれた。
パリに留学し、解剖学、化学、博物学を学び、仏語、伊語を習得し、外科医の資格を取得して軍医となり、イベリア半島で6六年間従軍した。
1844年外務省の募集に合格して、中国広東総領事等を経て、1859年日本駐在のイギリス総領事に任命された。
日英修好通商条約の調印、開港開市問題などで徳川幕府と交渉し、箱館に領事館を設置した。
1860年に富士・熱海のを、1861年長崎~江戸の国内視察旅行を行った。
富士・熱海の旅行の際に富士山に登った。
初めての外国人登山者である。
神奈川から東海道の吉原宿(現富士市)に入り、大宮、村山の地(現富士宮市)を経て富士登山をした。
『大君の都―幕末日本滞在記』にこの旅行の詳細が書かれており、富士山の魅力を世界に広めた。
『大君の都―幕末日本滞在記』 出版150周年に合わせ、NPO法人「オールコック卿顕彰会」(井出昇理事長)によって、村山浅間神社観光案内所の側に記念碑が建立された。
記念碑は高さ1.9m、幅2.5m、厚さ45cmで、赤富士と青富士思わせる2種類の石で富士山を形作っている。
富士宮市村山にある村山浅間神社は、富士根本宮と称し、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
富士山を修験の霊山として開いた末代上人(1103年(康和5年)~?)が、現境内地に堂舎を構え、以後富士山に対する神仏習合の地として発展したという。
境内のご神木に指定されているチョウの木は見事である。
明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があったという。
「ふじさんカルタ」静岡新聞社(2013年7月)に次の1枚がある。
万延元年オールコックも富士登山
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