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2014年8月30日 (土)

現代における「言霊」信仰/日本の針路(32)

言霊(ことだま)という言葉がある。
Wikipediaでは、以下のように解説されている。

声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

「花子とアン」で一躍有名になった柳原白蓮の主宰した短歌の結社およびその機関誌の名前が「ことたま」である。
先日、三島市にある竹倉温泉にある休業中の伯日荘という旅館を訪ねる機会があった。
知人が「柳原白蓮に関する講演会がある」と教えてくれたのだが、どこかの段階でコミュニケーションミスがあり、講演会の講師たちにゆかりの場所をご案内する機会だった。
最初部外者の闖入に迷惑そうな素振りも見えたが、単なる物好きと知り、暖かく仲間に入れてくれた。
講演は「柳原白蓮と三島を語る」という催しで、茂吉研究者として知られる藤岡武雄日本大学名誉教授らが講師として予定されている。

白蓮がしばしば逗留したというのが伯日荘である。
伯日荘は白蓮が鈴を奉納した裾野市の佐野原神社の敷地を寄贈した服部家が創業した旅館である。
⇒2014年6月25日 (水):白蓮の鈴と裾野市の佐野原神社/富士山アラカルト(8)

三島の名刹として名高い龍沢寺の名僧・山本玄峰老師が愛した旅館で、玄峰老師が亡くなった部屋もある。
玄峰老師のもとには、政財界の要人が訪ねてきたそうである。
真偽のほどは定かではないが、老境に入った白蓮と老師が一緒に温泉に浸かったという逸話を聞いた。
「ことたま」は遺族が引き継いで、機関誌は現在も発行されているというが、さすがに会員数はかなり減っているという。

日本論あるいは日本人論に積極的に「言霊」の影響を見るのは、作家の井沢元彦氏である。
氏は、現在の歴史研究には、以下の欠陥があるとして、「逆説の日本史」シリーズなどの著作を著わしている。
①日本史の呪術的側面の無視ないし軽視
②滑稽ともいうべき史料至上主義
③権威主義
特に、古代からの日本人の怨霊信仰、言霊信仰がいかに歴史に影響を与えているかということを強調している。

日本は「無宗教国家」といわれるが、怨霊信仰、言霊信仰を宗教と考えれば無宗教ではない。
たとえば、「逆説の日本史」シリーズの第3巻は、『古代言霊編/平安建都と万葉集の謎』小学館文庫(2012年11月)となっている。
井沢氏は、平安京は怨霊からのシェルターであり、桓武天皇は、怨霊に勝てないので平安京に遷都した、とする。

言霊信仰は必ずしも古代のことだけではなく、現代にも見られる。
結婚式の祝辞などの「忌み言葉」などが好例であるが、政策などにも影響している。
たとえば、「脱法ドラッグ」を「危険ドラッグ」と言い換えることによって、抑制効果を期待する。
名称変更するのも結構だが、それが対策だとしたら如何なものか。
⇒2014年7月11日 (金):亡国の脱法ドラッグに有効な規制を/日本の針路(7)
⇒2014年7月25日 (金):「危険ドラッグ」への名称変更だけでは不十分/人間の理解(6)
⇒2014年8月10日 (日):危険ドラッグ撲滅のために/日本の針路(24)

また「振り込め詐欺」を「母さん助けて詐欺」に言い換えるということもあった。
⇒2013年5月12日 (日):「母さん助けて詐欺」に改名…世に詐欺のタネは尽きまじ

言い換えによる効果はケースバイケースであろうが、まあ、悪影響がなければよしということではなかろうか。
ネーミングが定着するかどうかは、それなりの合理性がなければならないだろう。
と同時に、インパクトがあることが必要である。
吉原英樹さんの名著のタイトル『バカな」と「なるほど』PHP研究所(2014年8月)は、ネーミングにも当てはまる。

定着しなかった改称の例として思い浮かぶのは、「E電」である。

1987年に国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本が「国電」に代わる名称を公募、約5万通の応募の中から選ばれた名称。
当初はJR東日本の駅掲示物など、さまざまな案内で使用されたものの、結局は「JR線」の言い方が定着し、「E電」はほとんど普及せず、1年足らずで死語状態となってしまった。その後の案内更新では「E電」の表記は殆ど除かれており、ごくわずかで使用されている程度である。
現在は、JR時刻表の「普通運賃の計算」ページに、「東京の電車特定区間(E電)」とひっそりと書かれている。
E電

あるいは、「暴走族」のことを「珍走団」と呼ぼうということもあったらしい。
暴力的な語感を迫力のないものにすることによって、青少年の参加・見物する意思をそごうという考えから生まれたということである。
言霊は確かに現代にも生きているが、それを意図的に利用とすると失敗することが多いのではないか。

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