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2014年8月25日 (月)

「壹・臺」論争は決着したのか?/やまとの謎(96)

いわゆる「邪馬台国論争」が混迷を続けていることの理由の1つが「壹」か「臺」かという問題であろう。
「「壹・臺」論争として知られる。
⇒2008年11月24日 (月):「壹・臺」論争の帰結

「魏志倭人伝」(『三国志』「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)には、「邪馬壹国」とあり、『後漢書』倭伝には「邪馬臺国」とある。
後漢は三国に先行するが、史書は『三国志』が先行し、『後漢書』はその後である。
『三国志』の「邪馬壹国」が正しいのか、『後漢書』の「邪馬臺国」が正しいのか?
あるいは、「壹」にしろ「臺」にしろ、われわれが馴染んでいる「邪馬台国」との関係はどう考えるべきか?

「魏志倭人伝」の古写本がすべて「邪馬壹国」と表記されていることから、1969年に『史学雑誌』に「邪馬壹国」を発表したのが古田武彦氏である。
後に『邪馬台国はなかった-解読された倭人伝の謎-』として単行本にまとめた(朝日新聞社、1971年)。
古田氏以前にも、「邪馬壹国」という表記であることは周知されていた。
例えば、内藤湖南(虎次郎)は、明治43(1910)年に発表した『卑弥呼考』において、「魏志倭人伝」に「邪馬壹国」とあるのは、『梁書』、『北史』、『隋書』などがみな「邪馬臺国」としており、「壹」は「臺」の訛ったものだとしている。

古田氏は、この通説を、根拠なき原文改訂であり、「壹」が「臺」の誤記であることの明証がない限り、「邪馬壹国」とすべきである、とした。
そして、それが「魏志倭人伝」解明のキーであり、「邪馬壹=山倭=やまゐ」として論を展開した。
これに真っ向から反論したのが安本美典氏で、『「邪馬壱国」はなかった 古田武彦説の崩壊』という著書を刊行した(新人物往来社、1979年)。
安本氏は、「壹」は「臺」の誤記であるとした。「台」は「臺」の略字である。

古田氏は、賛同者・読者の会として「市民の古代研究会」があり、1979年(昭和54年)より雑誌『市民の古代』が刊行された。
安本氏は、「邪馬台国の会」主宰し、『季刊邪馬台国』の責任編集者を務めている。
まさに宿命のライバルとも言える。
⇒008年11月18日 (火):「古田史学」VS「安本史学」

この両者は、中央公論社から出ていた「歴史と人物」誌の1992年7月号に収録されている7時間に及んだという討論をしている。
司会は、「季刊邪馬台国」の初代編集等だった作家の野呂邦暢氏が行っていたが、討論終了後急逝された。
まさに因縁の対決だった。
⇒2008年11月17日 (月):「季刊邪馬台国」

2人はその後直接話す機会を持っていないようであるが、『東日流外三郡誌』などの和田家文書の扱いなどをめぐっても激しく対立している。
第三者的に言うならば、もはや感情論のレベルのようである。
しかし、2人とも、所在地に関しては九州説の立場と言える。
古田氏:博多湾岸説
安本氏:甘木・朝倉説

ところで、「壹」か「臺」かの問題は決着したのか?
鷲崎弘朋氏(『邪馬台国の位置と日本国家の起源』新人物往来社(9609)の著者)は、「宋時代に『三国志』が版本として刊行される前に、『三国志』を引用・参照した史書に、「邪馬壹(一)国」とする表記がまったく出現していないこと、『三国志』版本が出版された以降に『三国志』を引用・参照した史書がことごとく「邪馬壹(一)国」となっていることから、陳寿のオリジナルの『三国志』は、「邪馬臺国」であった」と結論付けている。
これが、通説・多数派の立場と言っていいだろう。

ここにまったく別の視点から、解を与えたようと試みているのが、山田繁雄『「邪馬壹國」の読み、意味と所在地』牧歌舎(2005年11月)である。
著者は、大阪市中央卸売市場等に勤めていた経歴の持ち主であり、アマチュア史学者である。
韓国の言語研究家・朴炳植氏の著作『日本語の悲劇』(情報センター出版局、1986年)等を参考に、「音韻変化の法則」と「基礎単位言語」等から考究した。

著者の問題意識は以下の点である。
1.「邪馬台国」と書くこと、それを「ヤマタイコク」と読むのは正しいか?
2.「魏志倭人伝」に記載されている「南」の方角の解釈はどう考えるか?
3.「魏志倭人伝」に書かれている「余傍の国」の解釈は?

「壹」と「臺」は共に「ト」の当て字である、と言うのが著者の結論である。
「壹」や「臺」の漢字は、「ト」という音を表すために使われたのであり、それだけのことである。
つまり「ヤマト」という和語を表記するのに、中国で「壹」と「臺」を利用した。
したがって、邪馬台国の所在地は、ヤマトである、という結論であるが、果たしてどうか?

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