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2014年8月

2014年8月31日 (日)

ヘイトスピーチを国会デモ規制に短絡させる思考/日本の針路(33)

自民党は8月28日、人種差別的な街宣活動「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)を規制するとともに、国会周辺の大音量のデモ活動の規制強化を検討し始めた。

 また、国会周辺での拡声器を使ったデモ活動は静穏保持法で禁じられているが、摘発事例が少ないという現状について、会合に参加した高市早苗政調会長は「(デモ活動がうるさくて)仕事にならない」と発言。同法を改正し、国会周辺でのデモ活動の規制強化を検討する考えを示している。
 自民党のこの動きに対し、共産党の志位和夫委員長はツイッターで、
「人種差別を煽り立てるヘイトスピーチと、政治に対して市民が意思表示するデモとは、全く別のものです! 両者を同列視し、デモを規制強化の対象とすることは、民主主義の根幹を壊すものです!」
 と、強く反発している。また、社民党の議員からも、以下のように批判の声が出ている。
「自民党内で、ヘイトスピーチにかこつけて、官邸前での街頭宣伝行動を規制しようという議論があるとのこと。脱原発や集団的自衛権行使反対などの国民の切実な声を封じようとする動きであり、極めて問題です」(社民党・吉田忠智党首)
「脱原発や秘密保護法や集団的自衛権の行使反対の国会の周辺の活動を規制しようとしている。市民活動に対する弾圧だ」(社民党・福島みずほ副党首)
 ちなみに、静穏保持法は、国会や外国公館、政党事務所などの周辺で、静穏を害するような拡声器の使用を制限する法律で、正式名称は「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」。選挙運動または選挙における政治活動や、災害時などは例外として規定されている。
自民が国会デモ規制検討 野党「民主主義の根幹壊す」

俗に、「味噌もクソモ一緒」などというが、高市早苗政調会長の発言はまさにその類であろう。
高市氏は入閣も噂されている安倍シンパである。
「福島第一原発事故で死者は出ていない」という発言と共に、この人たちの思考回路が表面化した発言と言えよう。
⇒2013年6月19日 (水):高市発言の思考の文脈/原発事故の真相(73)

原発事故の死者とは何かということに対する考察が欠落しているし、木を見て森を見ない(見ようとしない)態度は批判されるべきだろう。
福島地裁の判決を重く受け止めるべきだろう。
⇒2014年8月27日 (水):自殺と原発事故の因果関係を認定/因果関係論(24)

しかし、高市氏のような発言は、ボディブローのように市民社会を圧迫してくるであろう。
さいたま市の「九条デモ俳句」の掲載拒否はバカバカしい自己規制である。
⇒2014年7月 5日 (土):さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)
⇒2014年7月31日 (木):「九条俳句」とさいたま市教育長批判/日本の針路(16)

バカバカしいと言って笑って過ごしていると、どんどん拡大して行く。
「国分寺まつり」で毎年ブースを出している「国分寺9条の会」が今年の出店を拒否された。
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東京新聞8月29日

「国分寺まつり」実行委員会の言い分は、「内容が政治的である」からということである。
さいたま市と同様の発想であるが、市レベルでどんどん萎縮しているのであろう。
「政治的」と言っても、憲法を護ろうというのは、考えてみれば国民として当たり前のこととも考えられる。

デモは有権者が政治に対して意思表示をするための重要な手段である。
その規制の検討は、原発再稼働、集団的自衛権、消費税、沖縄基地問題・・・等々に対する安倍政権批判を封じる狙いがあるとみるのが自然であろう。
言論の抑圧は思考の抑圧である。
暗い時代へ向かっていることは間違いないが、時代を逆転するようなことが長続きするとも思えない。
⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)

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2014年8月30日 (土)

現代における「言霊」信仰/日本の針路(32)

言霊(ことだま)という言葉がある。
Wikipediaでは、以下のように解説されている。

声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。『万葉集』(『萬葉集』)に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。
これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が『古事記』では「言代主神」と書かれている箇所がある。
自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば『古事記』において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出会ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに遭い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。

「花子とアン」で一躍有名になった柳原白蓮の主宰した短歌の結社およびその機関誌の名前が「ことたま」である。
先日、三島市にある竹倉温泉にある休業中の伯日荘という旅館を訪ねる機会があった。
知人が「柳原白蓮に関する講演会がある」と教えてくれたのだが、どこかの段階でコミュニケーションミスがあり、講演会の講師たちにゆかりの場所をご案内する機会だった。
最初部外者の闖入に迷惑そうな素振りも見えたが、単なる物好きと知り、暖かく仲間に入れてくれた。
講演は「柳原白蓮と三島を語る」という催しで、茂吉研究者として知られる藤岡武雄日本大学名誉教授らが講師として予定されている。

白蓮がしばしば逗留したというのが伯日荘である。
伯日荘は白蓮が鈴を奉納した裾野市の佐野原神社の敷地を寄贈した服部家が創業した旅館である。
⇒2014年6月25日 (水):白蓮の鈴と裾野市の佐野原神社/富士山アラカルト(8)

三島の名刹として名高い龍沢寺の名僧・山本玄峰老師が愛した旅館で、玄峰老師が亡くなった部屋もある。
玄峰老師のもとには、政財界の要人が訪ねてきたそうである。
真偽のほどは定かではないが、老境に入った白蓮と老師が一緒に温泉に浸かったという逸話を聞いた。
「ことたま」は遺族が引き継いで、機関誌は現在も発行されているというが、さすがに会員数はかなり減っているという。

日本論あるいは日本人論に積極的に「言霊」の影響を見るのは、作家の井沢元彦氏である。
氏は、現在の歴史研究には、以下の欠陥があるとして、「逆説の日本史」シリーズなどの著作を著わしている。
①日本史の呪術的側面の無視ないし軽視
②滑稽ともいうべき史料至上主義
③権威主義
特に、古代からの日本人の怨霊信仰、言霊信仰がいかに歴史に影響を与えているかということを強調している。

日本は「無宗教国家」といわれるが、怨霊信仰、言霊信仰を宗教と考えれば無宗教ではない。
たとえば、「逆説の日本史」シリーズの第3巻は、『古代言霊編/平安建都と万葉集の謎』小学館文庫(2012年11月)となっている。
井沢氏は、平安京は怨霊からのシェルターであり、桓武天皇は、怨霊に勝てないので平安京に遷都した、とする。

言霊信仰は必ずしも古代のことだけではなく、現代にも見られる。
結婚式の祝辞などの「忌み言葉」などが好例であるが、政策などにも影響している。
たとえば、「脱法ドラッグ」を「危険ドラッグ」と言い換えることによって、抑制効果を期待する。
名称変更するのも結構だが、それが対策だとしたら如何なものか。
⇒2014年7月11日 (金):亡国の脱法ドラッグに有効な規制を/日本の針路(7)
⇒2014年7月25日 (金):「危険ドラッグ」への名称変更だけでは不十分/人間の理解(6)
⇒2014年8月10日 (日):危険ドラッグ撲滅のために/日本の針路(24)

また「振り込め詐欺」を「母さん助けて詐欺」に言い換えるということもあった。
⇒2013年5月12日 (日):「母さん助けて詐欺」に改名…世に詐欺のタネは尽きまじ

言い換えによる効果はケースバイケースであろうが、まあ、悪影響がなければよしということではなかろうか。
ネーミングが定着するかどうかは、それなりの合理性がなければならないだろう。
と同時に、インパクトがあることが必要である。
吉原英樹さんの名著のタイトル『バカな」と「なるほど』PHP研究所(2014年8月)は、ネーミングにも当てはまる。

定着しなかった改称の例として思い浮かぶのは、「E電」である。

1987年に国鉄の分割民営化に伴い、JR東日本が「国電」に代わる名称を公募、約5万通の応募の中から選ばれた名称。
当初はJR東日本の駅掲示物など、さまざまな案内で使用されたものの、結局は「JR線」の言い方が定着し、「E電」はほとんど普及せず、1年足らずで死語状態となってしまった。その後の案内更新では「E電」の表記は殆ど除かれており、ごくわずかで使用されている程度である。
現在は、JR時刻表の「普通運賃の計算」ページに、「東京の電車特定区間(E電)」とひっそりと書かれている。
E電

あるいは、「暴走族」のことを「珍走団」と呼ぼうということもあったらしい。
暴力的な語感を迫力のないものにすることによって、青少年の参加・見物する意思をそごうという考えから生まれたということである。
言霊は確かに現代にも生きているが、それを意図的に利用とすると失敗することが多いのではないか。

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2014年8月29日 (金)

全国学力テストの結果をどう見るか?/日本の針路(31)

文部科学省から2014年度全国学力テストの結果が公表された。
昨年、静岡県は、小学校の国語Aが都道府県別最下位だった。
テスト結果について、下位校を公表するかどうか等で、川勝知事と県教職員組合等の間で議論があった。
⇒2013年9月12日 (木):全国学力テスト静岡県の乱/花づな列島復興のためのメモ(259)

今年度はどうだったか?
幸いにして、国語Aは最下位を抜け出ることができた。
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本県は全調査科目で改善し、13年度に平均正答率で全国平均を5ポイント下回って最下位だった公立の小学6年国語A(基礎問題)は全国平均をわずかに下回ったが、順位は27位に上昇し、最下位を脱出した。
 本県は小6国語A以外の7種類のテストは全て全国平均を超え、中3数学は全国トップ級に浮上した。
 07年度の全国学力テスト開始以来、低下傾向が続いていた小6は4種類のテスト全てで平均正答率と順位がともに大幅に回復した。特に国語B(活用問題)は13年度の40位から8位に躍進した。
 県教委の担当者は「教員、児童生徒、保護者が一丸となって取り組んだ成果。過去問題の活用でテストに慣れた面はあるが、書く活動や振り返り学習を重視して授業も変わった」と分析している。
 小6国語Aは平均正答率が72・8%で、加藤文夫県教育委員長が目標に掲げた全国平均には0・1ポイント届かなかった。ただ、全体的に改善傾向が見られ、13年度に高かった後半の設問の無解答率は大きく低下し、全国平均を下回った。
小6国語A最下位脱出 静岡県、全科目で改善

今まで大した努力をして来なかったのではないか、などとは言うまい。
現場での授業改善努力の賜物ということだろう。

しかし、同時にテストで測定できる学力は、ごく一部であることも忘れてはならない。
学力について、あるサイトでは次のような定義をしている。

定義:学びに変化を与える要因になる機能

 ヒトに備わっている学びに変化を与える「能力」は「ヒトの学力」ですし,学びに変化を与える「知識」は,知識に備わった学力「知識の学力」です。また,学校は人間社会が作り出した「学びに変化を与える要因となる機能」です。定義にしたがい「学校の学力」だと言えます。

知力をコンピュータのソフトウェアのアナロジーで、アプリケーションとOSで考えてみよう。
アプリケーションは実際の作業に関係するソフトウェアであり、OSはその基盤になるものである。
アプリケーションに能力を、OSに脳力を当ててもいい。
あるいは、流行の「地頭」がOSに相当するとも言えようか。

とすれば、学力テストはアプリケーションのパフォーマンスの測定ということになろう。
OSのパフォーマンスについては、間接的な評価ということになるのではないか。
同様に、「見える学力」「見えない学力」ということも言われる。
アプリケーションは「見える」に、OSは「見えない」に対応すると考えられる。

重要なことは、ドライビング・フォースである。
おそらくは、短期的な目標に役に立つかどうかではなく、役に立つとも思えないようなことに対する知的好奇心ではないか。
何が役に立つかを知ることは、事前には不可能である。

もう1つ注目すべきは、携帯やスマホの使用時間と正答率の関係である。
Sumaho
スマホ使用で学力低下? 1時間以上、中3は47%

携帯、スマホの使用時間が多くなるほど正答率が下がる傾向がはっきりと現れている。
おそらくは、自分の頭で考える時間の長短ということであろう。

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2014年8月28日 (木)

反戦を貫いた表現者・米倉斉加年/追悼(54)

俳優の米倉斉加年(まさかね)さんが8月26日、福岡市内の病院で死去した。
米倉さんは福岡県出身で、1957年に劇団民芸の演劇研究所に入った。
その後はテレビや映画でも活躍し、後にNHKの大河ドラマ「勝海舟」や映画「男はつらいよ」などにも出演した。
独特の雰囲気を持った 俳優だったが、画家や絵本作家としても活動していた。

私が高校生の頃、労音や労演という勤労者の芸術鑑賞のための組織がアクティブに活動していた。
姉などからチケットをもらい、機会があれば出かけた。
労働者運動の盛衰と同期して、現在はすっかり衰退してしまったようだ。
生でクラシック音楽を聴いたのも、演劇を観たのも労音や労演が最初である。

1961年頃だったのではないかと思うが、沼津労演の公演で米倉さんを知った。
演目が何であったのかは忘れてしまった。
上手なのかどうか良く分からなかったが、印象的な顔立ちと独特のセリフ回しが、変わった名前と共に印象に残った。
名前については、もとの本名は正扶三(まさふみ)だったそうである。
幼い頃に旅の僧侶により「斉加年」と命名されて以降この名を名乗り続け、後に戸籍上も改名したという。
旅の僧侶の素性や命名の由来などが気になるが、私にとっては不明である。

 劇団民芸の演劇研究所や劇団青年芸術劇場などを経て、民芸で「ゴドーを待ちながら」などに出演。宇野重吉さんの相手役などを務め、二〇〇〇年に退団するまで、劇団の中心俳優、演出家として活躍した。
 舞台「放浪記」では、森光子さん演じる林芙美子(ふみこ)の友人白坂五郎役を長年にわたり演じた。他の代表作に「リア王」「大司教の天井」「オットーと呼ばれる日本人」など。〇七年に劇団「海流座」を立ち上げ、代表を務めた。
 くせの強い悪役や存在感のある脇役など、重厚な演技で知られ、テレビではNHKの大河ドラマ「三姉妹」「勝海舟」「花神」や連続テレビ小説「ちりとてちん」などに出演。映画は「動乱」や「男はつらいよ」シリーズなどで知られた。
 絵本作家としても活躍し、「魔法おしえます」「多毛留(たける)」でイタリアのボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞を二年連続で受賞した。
 米倉さんは平和への思いが強く、舞台や絵本を通してメッセージを発信してきた。東京の「世田谷・九条の会」の呼び掛け人の一人でもあり、会のホームページには「平和とは人間が生きること。戦争は人を殺す。生きるために九条をまもります」と記していた。
 戦時中に弟を栄養失調で失った。この経験を基にした絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は、中学一年の国語教科書(光村図書)に採用されている。
 二〇〇三年には本紙のコーナー「自著を語る」で、弟の死や、イラク戦争などで多くの子どもたちが犠牲になったことに触れ、「人間はなにかをなすべきだとは思わない。りっぱな人間にならなければならないとも思わない。大切なことは普通に生きることなのだ」とつづった。
 同年二月にも作家小林多喜二をテーマにした舞台を控え、本紙への寄稿で「湾岸戦争、アフガン戦争。そして、ここのところのイラク問題。アメリカに加担している日本に、戦前の多喜二の死の時代が重なってくる」と懸念した。
米倉斉加年さん死去 重厚な演技、絵本作家 80歳

戦争を選択できる国へと変貌中の現在、米倉さんのような9条を守る意思を表明した人が亡くなるのは惜しい。
合掌。

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2014年8月27日 (水)

自殺と原発事故の因果関係を認定/因果関係論(24)

福島第一原発の事故で、避難生活を余儀なくされた女性が自殺したことに関して、東電に損害賠償を求めていた裁判で、福島地裁は26日、「自殺と原発事故の間には相当な因果関係がある」として遺族の訴えを認め、東電に約4900万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
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東京新聞8月27日

遺書がない場合、自殺の真因を確定することは難しい。
社会的事象については因果関係が明確でないことが多いので、相当因果関係という概念が導入された。
相当因果関係とは、社会生活観念上も、特異のことではなく通常予想できる程度のものである場合をいう。
公害などの場合が典型である。
⇒2012年8月 2日 (木):水俣病と福島原発事故/「同じ」と「違う」(49)/因果関係論(18)

本件に関して言えば、相当因果関係を認めることは当然であると考える。

 原告は、渡辺はま子さん(当時58歳)を失った夫の幹夫さん(64)と子供3人。訴状などによると、原発事故後の11年4月、自宅があった福島県川俣町山木屋地区が計画的避難区域(当時)に指定され、福島市のアパートでの避難生活を余儀なくされた。同年7月1日朝、はま子さんは一時帰宅した自宅の庭先でガソリンをかぶって火を付け死亡した。遺族は12年5月、原発事故が原因として提訴した。
 遺族側は、はま子さんが抑うつや食欲減退などうつ病の兆候を避難後に示すようになったと主張。「原発事故による生活環境の激変で、死を選択せざるを得ない状況に追い込まれた」と訴えた。これに対し東電側は、はま子さんが事故前に精神安定剤を使っていたことなどを指摘し、「因果関係の認定には総合的な判断が必要」と反論していた。
福島第1原発事故 避難者訴訟 自殺「事故が影響」 福島地裁、東電に賠償命令

避難生活に大きなストレスがかかることは容易に想像できる。
自分が原因者ではないにもかかわらず、住み慣れたわが家から離れなければならないのだ。
⇒2013年3月30日 (土):避難生活のストレス/原発事故の真相(65)

裁判では、はま子さんの自殺の原因が原発事故だと言えるかという点が争われた。
遺族側は、避難先のアパートで、はま子さんが夜眠れないと頻繁に訴えるようになっておる、自宅に帰れないと悲観して自殺したのは明らかだ、と主張していた。
これに対し、東京電力側ははま子さんが事故前から睡眠障害で薬を飲んでいることを指摘し、「遺書が見つかっていないなど、自殺の原因がはっきりしない」として、事故以外の原因を考慮するべきだと主張した。

たとえ事故前から睡眠障害で薬を飲んでいたとしても、事故がない場合に、はま子さんが自殺をする可能性がどの程度あったかを考えてみれば、東電の主張は、反論のための反論であることは自明である。
一時帰宅した自宅で自殺したことを考えれば、避難生活が原因であると考えるのが普通だろう。
東電の主張を極論すれば、一時帰宅したのが原因で、帰宅しなければ自殺も起こりえなかった。
だから、帰宅に同行した夫が悪いということにもなりかねない。

自殺という行為者が永遠に証言をし得ない行為について、その真因を特定することには限界がある。
たとえば、明確な遺書が遺されていた江藤淳の場合ですら、どういう心理的な経緯で死を覚悟するに至ったかは、第三者の窺い知れない部分がある。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読

あるいは最近の例でいえば、理化学研究所の笹井芳樹氏の場合もいろいろな憶測がされている。
⇒2014年8月 5日 (火):STAP論文問題のキーパーソン・笹井芳樹/追悼(53)
遺書には、自殺の理由として「マスコミなどからの不当なバッシング、理化学研究所やラボ(研究室)への責任から、疲れ切ってしまった」と書かれていたそうだが、それも部分にすぎないのではないか。

私には東電の責任を認定しない判決文は考えられない。
ここで、原発事故で死者は出ていないと言い放った自民党高市早苗政調会長のことを復習しよう。
⇒2013年6月19日 (水):高市発言の思考の文脈/原発事故の真相(73)
俯瞰してみれば、避難生活と自殺の因果関係を認めることは当然であるし、高市氏の思考が粗雑であることは良く分かる。
いくら力の大きな相手であっても、泣き寝入りをするのは終わりにしたい。

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2014年8月26日 (火)

代ゼミ7割撤退の意味/ブランド・企業論(31)

大手予備校の代々木ゼミナールが、全国27校舎のうち7割に当たる20校舎を閉鎖し、数百名の講師の希望退職も募るというニュースが話題になっている。
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東京新聞8月26日

河合塾、駿台予備校とともに「予備校3大大手(SKY)」といわれる代ゼミも、少子化や経済難に抗し切れなかったのだろうか。

 1957年に開校した代ゼミは駿台予備学校、河合塾と並び「三大予備校」と評され、私立文系を目指す浪人生を中心に生徒を獲得してきた。近年は国立回帰や現役志向の高まりが逆風になっており、10年には中学受験塾「SAPIX」の運営会社を買収し、浪人生に依存した事業モデルからの脱却を図っている。
 現役生の大学受験が主な対象の「東進ハイスクール」を運営するナガセでは、14年3月期の売上高が前の期比6%増の約400億円だった。
 教育業界では少子化を背景にここ数年、ナガセが四谷大塚を買収し、ベネッセホールディングスが東京個別指導学院を子会社化するなど、再編が加速している。今後もリストラや合従連衡といった動きが続きそうだ。
代ゼミ、20校閉鎖 浪人生減で全国7校に

私は経済的に余裕がなかったこともあって、現役合格が至上命題だったが、友人たちの多くが予備校体験を持っている。
予備校で学んでいる間に当初の志望を変更した例も少なくない。
長寿化が進んでいるので、予備校でゆっくり将来のことを考える時間を持つのも悪くはないと思うが、経営困難ということでは仕方あるまい。

受験情報誌の出版などをしている「大学通信」、情報調査・編集部ゼネラルマネージャーの安田賢治さんはNHKの取材に対し、まず予備校を巡る現状について、「少子化で受験者数が減る一方で大学の数が増え入りやすくなってきているが、受験生の間では浪人してまで志望する大学を目指すより、模擬試験でA判定、B判定の所ばかり受けるといった、今の実力で合格できる大学に現役で入ろうという志向が高まっている。今の受験生は、就職も安定志向が強いのと同じように、大学受験でもむちゃをしない傾向が強く、実力以上の大学にチャレンジするよりも、合格すればそれでいいという感じになってきている。予備校にとっては現役生よりも浪人生の方がお金が入るが、こうした受験生の間での現役志向の広がり、さらには所得の伸び悩みで予備校の学費を抑えたい家庭の事情などもあって、予備校の経営環境は厳しくなっている」と指摘しています。
そのうえで安田さんは、「代々木ゼミナールは入試が厳しかった時代に、私立大学、中でも文系の受験に強みを発揮してきた。しかし今は、就職が厳しいということもあって、理系の人気が高く、とりわけ学費を比べた場合、私立よりも安い国公立をめざす動きが広がってきている。『代ゼミは私立文系に強いというイメージ』が、かえって生徒が集まらなくなる理由、そして校舎を大幅に閉めざるをえないということに、つながっていったのではないか」と話しています。
さらに安田さんは今後の予備校業界の動向について、「業界では少子化が進むなか大手ではない予備校で施設を閉める動きが出ていたが、今回、この流れがついに三大予備校まで及んだかという感じだ。大手予備校の間ではこれまで浪人生の取り合いみたいな形になっていたが、これからは今まで蓄積してきたノウハウ、大学に合格するためのノウハウを生かして現役世代を取り合うという形になっていくのではないか。ただ、現役生は浪人生のように高いお金を取れないので、ビジネスモデルは変わっていくのではないか」と話しています。
代ゼミ校舎閉鎖 背景には「現役志向」

代ゼミの経営はどうなるのか?
他人事ながら、気になるところだ。
ところが、代ゼミは30年前から今の少子化を見越して、粛々と業態転換を進めてきた可能性があるというのだ。
30年前からとすると、業態転換の時間的余裕は十分にあったと考えられる。
事実、代ゼミ校舎の用途転換は進んでいる。

20〜30年前頃までの建築はホテルやオフィスビルに転換し、それ以前の古いものは建て替えになっているように見受けた。
しかも名古屋の場合は、古い校舎をより巨大な新建築に建て替えたうえで大半をホテル化するという思い切りの良さだ。
このように約30年前より最近のものは「最初からオフィスやホテルへの転換を見越している」という噂の通り、実際に建物が用途転換されていることが分かった。
こうした用途転換がスムーズに進んでいる理由としては、以下の3つが考えられる。
・不動産は基本、自社グループで保有(高宮学園、JECなど)
・立地は基本、駅前の一等地(土地を隣り合わせに取得し、一体再開発に備えている?ケースも)
・更にオフィス、ホテル用途に転換しやすい形状で床面積も確保できる大型ビルとして建設
こうした方針に沿って、代ゼミでは多くの校舎が約30年前に土地取得・建設されており、それより古いものは2000年代後半からより大きな建物に建て替えている。
Jec
TKP貸会議室=JECビル ※JEC=代ゼミ関連会社
Billage
代々木ヴィレッジ=旧・代ゼミ本部の跡地に建った商業施設

『武器としての決断思考』などの著作で知られる滝本哲史氏は、「代ゼミは、「日々是決戦」(ひびこれけっせん)と生徒には言っていたが、社内では「日々是決算」(ひびこれけっさん)と言われるほどの経営主導組織。」とTwitter上でつぶやいている。
『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』が異例のベストセラーになった楠木建氏は、「「先見性」は過大評価。ただの適応。」とコメントを寄せている。
先見性と言わずとも、「転んでもただでは起きない」くらいのことは言えそうだ。

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2014年8月25日 (月)

「壹・臺」論争は決着したのか?/やまとの謎(96)

いわゆる「邪馬台国論争」が混迷を続けていることの理由の1つが「壹」か「臺」かという問題であろう。
「「壹・臺」論争として知られる。
⇒2008年11月24日 (月):「壹・臺」論争の帰結

「魏志倭人伝」(『三国志』「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条)には、「邪馬壹国」とあり、『後漢書』倭伝には「邪馬臺国」とある。
後漢は三国に先行するが、史書は『三国志』が先行し、『後漢書』はその後である。
『三国志』の「邪馬壹国」が正しいのか、『後漢書』の「邪馬臺国」が正しいのか?
あるいは、「壹」にしろ「臺」にしろ、われわれが馴染んでいる「邪馬台国」との関係はどう考えるべきか?

「魏志倭人伝」の古写本がすべて「邪馬壹国」と表記されていることから、1969年に『史学雑誌』に「邪馬壹国」を発表したのが古田武彦氏である。
後に『邪馬台国はなかった-解読された倭人伝の謎-』として単行本にまとめた(朝日新聞社、1971年)。
古田氏以前にも、「邪馬壹国」という表記であることは周知されていた。
例えば、内藤湖南(虎次郎)は、明治43(1910)年に発表した『卑弥呼考』において、「魏志倭人伝」に「邪馬壹国」とあるのは、『梁書』、『北史』、『隋書』などがみな「邪馬臺国」としており、「壹」は「臺」の訛ったものだとしている。

古田氏は、この通説を、根拠なき原文改訂であり、「壹」が「臺」の誤記であることの明証がない限り、「邪馬壹国」とすべきである、とした。
そして、それが「魏志倭人伝」解明のキーであり、「邪馬壹=山倭=やまゐ」として論を展開した。
これに真っ向から反論したのが安本美典氏で、『「邪馬壱国」はなかった 古田武彦説の崩壊』という著書を刊行した(新人物往来社、1979年)。
安本氏は、「壹」は「臺」の誤記であるとした。「台」は「臺」の略字である。

古田氏は、賛同者・読者の会として「市民の古代研究会」があり、1979年(昭和54年)より雑誌『市民の古代』が刊行された。
安本氏は、「邪馬台国の会」主宰し、『季刊邪馬台国』の責任編集者を務めている。
まさに宿命のライバルとも言える。
⇒008年11月18日 (火):「古田史学」VS「安本史学」

この両者は、中央公論社から出ていた「歴史と人物」誌の1992年7月号に収録されている7時間に及んだという討論をしている。
司会は、「季刊邪馬台国」の初代編集等だった作家の野呂邦暢氏が行っていたが、討論終了後急逝された。
まさに因縁の対決だった。
⇒2008年11月17日 (月):「季刊邪馬台国」

2人はその後直接話す機会を持っていないようであるが、『東日流外三郡誌』などの和田家文書の扱いなどをめぐっても激しく対立している。
第三者的に言うならば、もはや感情論のレベルのようである。
しかし、2人とも、所在地に関しては九州説の立場と言える。
古田氏:博多湾岸説
安本氏:甘木・朝倉説

ところで、「壹」か「臺」かの問題は決着したのか?
鷲崎弘朋氏(『邪馬台国の位置と日本国家の起源』新人物往来社(9609)の著者)は、「宋時代に『三国志』が版本として刊行される前に、『三国志』を引用・参照した史書に、「邪馬壹(一)国」とする表記がまったく出現していないこと、『三国志』版本が出版された以降に『三国志』を引用・参照した史書がことごとく「邪馬壹(一)国」となっていることから、陳寿のオリジナルの『三国志』は、「邪馬臺国」であった」と結論付けている。
これが、通説・多数派の立場と言っていいだろう。

ここにまったく別の視点から、解を与えたようと試みているのが、山田繁雄『「邪馬壹國」の読み、意味と所在地』牧歌舎(2005年11月)である。
著者は、大阪市中央卸売市場等に勤めていた経歴の持ち主であり、アマチュア史学者である。
韓国の言語研究家・朴炳植氏の著作『日本語の悲劇』(情報センター出版局、1986年)等を参考に、「音韻変化の法則」と「基礎単位言語」等から考究した。

著者の問題意識は以下の点である。
1.「邪馬台国」と書くこと、それを「ヤマタイコク」と読むのは正しいか?
2.「魏志倭人伝」に記載されている「南」の方角の解釈はどう考えるか?
3.「魏志倭人伝」に書かれている「余傍の国」の解釈は?

「壹」と「臺」は共に「ト」の当て字である、と言うのが著者の結論である。
「壹」や「臺」の漢字は、「ト」という音を表すために使われたのであり、それだけのことである。
つまり「ヤマト」という和語を表記するのに、中国で「壹」と「臺」を利用した。
したがって、邪馬台国の所在地は、ヤマトである、という結論であるが、果たしてどうか?

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2014年8月24日 (日)

菅義緯と菅直人/「同じ」と「違う」(81)

安倍首相は、内閣改造とを9月3日に断行する意向だという。
自民党役員人事は前日の2日に行われる見通しで、党三役を全員交代させる方針だという。
改造で首相は、女性を積極的に登用する方針だが、現内閣を中枢で支える菅義偉官房長官、麻生太郎副総理兼財務相、甘利明経済再生担当相は続投させる方針だ。
巷では石破幹事長が入閣要請を受けるかどうかに関心が集まっているようだ。

 自民党の石破茂幹事長は22日、9月3日にも行われる内閣改造・党役員人事で、安倍晋三首相が打診した安全保障法制担当相への就任を辞退する意向を固めた。安保法制をめぐって首相の考えと距離があることや、来年秋の党総裁選への出馬をにらみ、入閣に消極的な側近議員の意向を踏まえた。
石破氏:安保相を辞退へ 安倍首相と意見相違

高い支持率を維持していた安倍政権も、潮目が変わったのではないかという観測がある。
石破氏辞退が波乱の幕開けになるのかどうか?

 石破氏が打診を断れば、首相の人事構想も白紙に戻る。岩屋毅・党安保調査会長、中谷元・元防衛庁長官らの名前が浮上。幹事長には、岸田文雄外相や河村建夫・党選対委員長のほか、二階俊博氏ら重鎮の配置も取りざたされている。
 7月の閣議決定を機に安倍内閣の支持率は急落。首相は今後、沖縄県知事選や消費税10%増税の決断など、政権を左右する難題に直面。石破氏の決断は、無役となって首相と距離を置き、総裁選出馬に備える準備とも受け取れる。沈静化していた自民党内の対立を呼び起こす「石破の乱」が、ついに始まる。
石破の乱 安保相就任を辞退へ

安倍政権の要石が菅義偉官房長官であることは、衆目の一致するところだろう。
菅義緯はスガ・ヨシヒデと読む。
官房長官という役職は、参謀、軍師に類似している。
NHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』で何かと軍師が話題になる年であるが、軍師特集の「文藝春秋 SPECIAL」2013年12月号において、後藤謙次氏が現代の軍師として名を挙げているのが菅氏である。
⇒2014年1月 4日 (土):現代軍師論/花づな列島復興のためのメモ(288)

安倍首相も菅氏の留任をいち早く表明していた。

 安倍晋三首相は9日、長崎市で記者会見し、9月4日を軸に行う内閣改造で菅義偉官房長官を留任させると表明した。「安定的に政策を進めるため、官邸の要になっている官房長官に引き続き職にとどまってもらいたい」と述べた。官房副長官3人と首相補佐官5人の続投方針も明言。菅氏以外の閣僚人事や自民党役員人事については「白紙の状態だ」と説明した。
 菅氏を留任させるのは、秋以降の原発再稼働や消費税率10%への再増税判断などの課題を抱え、官邸主導の意思決定を維持する狙いとみられる。
 3人の官房副長官は自民党衆院議員の加藤勝信、同党参院議員の世耕弘成、警察庁出身の杉田和博各氏。5人の補佐官は自民党衆院議員の木村太郎氏、同党参院議員の礒崎陽輔、衛藤晟一両氏、内閣広報官を兼務する長谷川栄一氏、元内閣官房参与の和泉洋人氏。
 改造人事では、閣僚の半数以上を交代させる見通しだ。自民党内で約60人に上る「入閣待機組」の不満解消に努めるため、首相は国会議員を中心に閣僚を選ぶ意向で、女性も積極的に起用する。
菅官房長官は留任 内閣改造で首相、他の閣僚は「白紙状態」

菅氏の辣腕ぶりは、以下のような報道からも窺える。

 集団的自衛権ではミソをつけたものの、依然として高い支持率の安倍政権。その立役者は策士、菅義偉(すがよしひで)官房長官(65)だ。毎日2回の記者会見をソツなくこなしながら、閣内外に睨(にら)みをきかせているのだ。
「菅さんが最も恐れているのが『失言』と『閣内不一致』です。即、政権の命取りになるため、厳しい姿勢で取り締まっています」
 安倍内閣のある閣僚は、本誌の取材にこう話した。
 2012年12月に発足した第2次安倍政権。高い支持率が続く要因に閣僚の失言が少ないことが挙げられるが、“汚れ役”菅氏の存在が大きいという。
模範回答を作成し、みなでコピー 安倍政権支える菅官房長官の凄腕

菅の字で思い浮かぶもう1人の政治家は、菅(カン)直人元首相であろう。
同じ字で読みが異なるからややこしい。
菅氏は、政権交代後の民主党で、鳩山由紀夫氏に次いで首相を務め、在任中に東日本大震災が起きた。
俳人の長谷川櫂氏が震災直後に読んだ『震災歌集』の中に次の一首がある。

かかるとき かかる首相をいただいた かかる目に遭う日本の不幸

長谷川氏の歌集はあれこれ考えて、というより迸り出てきた直観が自然に三十一文字になったという感じであるが、これ以上言葉を尽くす必要はないと思われる。
⇒2011年7月 3日 (日):長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3)

菅(カン)氏は、吉田調書の中でも批判されているらしい。

 「私にとって吉田(昌郎)さんは『戦友』でした。現(安倍)政権はこの(吉田)調書を非公開としていますが、これは特定秘密にも該当しないし、全面的に公開されるべきです」
 菅直人元首相は月刊宝島8月号で、ジャーナリスト(元朝日新聞記者)の山田厚史氏のインタビューに対し、東電福島第1原発の元所長、吉田氏を自らの「戦友」だと述べている。
 だが、産経新聞が入手した吉田調書を読むと、吉田氏側は菅氏のことを「戦友」とは見ていない。むしろ、現場を混乱させたその言動に強い憤りを覚えていたことが分かる。
 例えば、政府事故調査・検証委員会の平成23年11月6日の聴取では、「菅さんが自分が東電が逃げるのを止めたんだみたいな(ことを言っていたが)」と聞かれてこう答えている。
 「(首相を)辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」
 「あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェアも限りない」
 菅氏は同年8月の首相辞任後、産経新聞を除く新聞各紙やテレビ番組のインタビューに次々と応じ、自身の事故対応を正当化する発言を繰り返していた。これを吉田氏が批判的に見ていたことがうかがえる。
 また、菅氏が自分も政府事故調の「被告」と述べていたことから、吉田氏は「被告がべらべらしゃべるんじゃない」とも指摘し、事故調が菅氏に注意すべきだとの意見を表明した。
 菅氏だけでなく、当時の海江田万里経済産業相や細野豪志首相補佐官ら菅政権の中枢にいる政治家たちが、東電が全面撤退する意向だと考えていたことに対しては「アホみたいな国のアホみたいな政治家」とばっさり切り捨てている。
「あのおっさんに発言する権利があるんですか」 吉田所長、菅元首相に強い憤り

もちろん、1つのメディアが報ずることであり、真実は分からないが、東日本大震災の発災時に菅氏が首相だったのは、まさに不幸中の不幸というべきであった。
菅(スガ)氏は、安倍政権の実務の中心にいて、手堅く安倍氏の意図を実現させていくことに手腕を発揮している。
しかし、安倍政権の政策を実現することが、日本にとって幸いなことかどうかは別の問題である。
⇒2013年12月 6日 (金):安全保障の名目で国を危うくする安倍一族/戦後史断章(17)

菅義緯氏は、安倍政権を支えるという意味で国を危うくさせると考えれば、菅直人氏と共通である。
ただ、両者には、黒子の役割に徹するか、表に出たがるかという点において、大きな差異がある。
それは、畢竟自分の器を知っているか否かということのように思われる。
⇒2011年3月18日 (金):菅首相の器のサイズと事態の深刻さのミスマッチ

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2014年8月23日 (土)

消費増税と景気対策/アベノミクスの危うさ(38)

8月21日の日本経済新聞のトップ記事を見て、「?」と思った。12

消費税10%化が予定されているが、景気への悪影響を防ぐために、景気対策を講じるというのだ。
つまり公共事業(や軍需産業へのテコ入れなど)で景気を下支えしようということだろう。
純国産戦闘機の開発が同じ紙面に載るというのも暗示的である。
⇒2014年5月16日 (金):成長戦略の実体は原発と軍需産業か/アベノミクスの危うさ(31)

しかし、消費増税は何のためだあったのか?
消費税を上げる法律は、「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律」である。
つまり、「増税分は社会保障に充当する」というのが消費増税の大義であったはずだ。
⇒2014年4月 5日 (土):消費税増税の趣旨と現実/アベノミクスの危うさ(30)

増税すれば景気に悪影響が生ずるのは想定される範囲内というか、当然であろう。
現に、実体経済ははかばかしくないように見える。
⇒2014年3月10日 (月):消費税増税で景気はどうなるか?/アベノミクスの危うさ(29)
⇒2014年8月18日 (月):実質GDPが前期比年率マイナス6.8%/アベノミクスの危うさ(37)

「新成長戦略」が喧伝されている。
⇒2013年10月28日 (月):競争力強化法案は有効な成長戦略になり得るか/アベノミクスの危うさ(19)
安倍首相は、第186国会冒頭の施政方針演説で、「七 イノベーションによって新たな可能性を創りだす」としている。
第百八十六回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説

しかし、バブル崩壊後、何回も成長戦略が策定されていながら、いずれも奏功していない。
要は、官主導の成長あるいは計画的イノベーションということにムリがあるように思う。
⇒2014年2月 1日 (土):官製成長戦略でイノベーションは起きるか/アベノミクスの危うさ(26)

私はアベノミクスという経済政策パッケージが破たんしているのではないかと思う。
いくら気合いを入れてやっても、もともとムリなものはうまくはいかない。
景気の動向を左右するのは、企業というよりも消費者・生活者である。
フランスの経済学者トマ・ピケティの著書『21世紀の資本論』が話題になっている。
邦訳は未刊であるが、「週刊東洋経済」誌で 「『21世紀の資本論』が問う 中間層への警告/人手不足の正体」(2014年7月)という特集が組まれるなどしている。
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「21世紀の資本論」が問う、中間層への警告

上掲「東洋経済」誌によれば、以下のような主張だという。

資本主義は格差を拡大するメカニズムを内包している。富裕層に対する資産課税で不平等を解消しなければならない。さもなければ中間層は消滅する。

アベノミクスは富裕層優遇の政策ではないのか。
中間層が消滅してしまったのでは成長はあり得ないだろう。

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2014年8月22日 (金)

続・朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(30)

私は子供の頃から親しんできた朝日新聞に、大分前から違和感を覚えるようになっていた。
いつからか定かではないが、もう20年以上位経つのではないか。
⇒2012年7月12日 (木):民自公翼賛体制と朝日新聞の変質/花づな列島復興のためのメモ(108)
⇒2013年10月14日 (月):朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(3)

その朝日が、宿敵(?)の産経新聞や出版社系週刊誌から、ここぞとばかりに叩かれている。
いわゆる従軍慰安婦問題の報道が、事実に反する部分を含んだ虚偽報道であったということについてである。
報道は、1991年8月11日の朝日新聞にて、元朝日新聞記者植村隆氏(当時韓国特派員)により行われたのが最初である。
記事は、一部の著名人より問題点の指摘を受けるも、訂正、修正は長らく行われなかった。
しかし、2014年8月になり、朝日新聞は記事の一部に誤用(挺身隊との混同)があったとする検証記事を報道した。

これにたいして、たとえば右派の論客である櫻井よし子は次のように語っている。

 朝日新聞の姿勢として極めておかしなことがある。何故に、日本国の過去と現在と未来に対してこんなひどい中傷や言われなきことを報道した責任について、社長自ら、もしくは編集局長自ら表に出てきて釈明し謝罪しないのか。
 5日の1面には、朝日があたかも被害者であるかのようなことを書いている。「言われなき中傷」を浴びたのは日本国だ。先人たちだ。私たちだ。未来の子供たちだ。朝日ではない。
 最初に吉田清治証言が出たのは32年前。朝日はこの32年間にどんな記事を書いてきたかを明らかにするのが先決であろう。それによって世論を動かしたのだから。テレビを動かしたのだから。韓国を動かし、世界を動かし、日本をおとしめたのだから。
櫻井よしこ氏「朝日新聞は謝罪すべき」 議員連盟での講演要旨

「週刊新潮」や「週刊文春」誌も特集を組んで批判(非難)している。
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「週刊新潮」最新号目次

櫻井氏と週刊誌の見事なコラボレーションである。
アンチ朝日が勢いづくのは理解できなくもないが、従軍慰安婦問題も、泥憲和氏等の発言を読めば右派の騒ぎ立てるのもどうかと思う。
【従軍慰安婦の真実】
泥氏については、以下参照。
⇒2014年7月30日 (水):日本国憲法と防衛戦略/日本の針路(15)
⇒2014年7月13日 (日):集団的自衛権と自衛隊員/日本の針路(8)

産経新聞は、朝日がスクープした「吉田調書」を巡っても批判している。
⇒2014年5月22日 (木):「吉田調書」を全面開示して真相解明の一歩に/原発事故の真相(114)
8月19日の「産経抄」は次のように書いている。

▼たとえば、最大の危機を迎えた平成23年3月15日朝、所内で何が起こっていたのか。朝日は所員の9割に当たる約650人が、吉田氏の待機命令に違反して、福島第2原発に撤退した、と報じた。パニックに陥った職員が、一斉に職場放棄する。そんな光景が、目に浮かぶような記事である。▼しかし、調書を素直に読めば、実態はまったく違う。吉田氏によれば、あくまで命令の伝言ミスであり、「命令違反」の認識はなかった。第2に退避した所員の多くが、昼頃までに戻っているのが、何よりの証拠だ。調書でむしろ目立つのは、現場で奮闘する職員に対する、吉田氏の称賛の声である。▼朝日の記事を引用して、韓国ではセウォル号事故と同一視する報道もあったという。門田隆将(りゅうしょう)さんが指摘するように、慰安婦報道と同じ構図である。▼職務を全うした職員の名誉のためにも、政府は吉田調書の全文を公開すべきだろう。吉田氏が、強い憤りを込めて「あのおっさん」と呼んだ菅直人元首相まで、賛成しているのだから。

私は、マスメディアの主張や見解が異なることは大歓迎である。
記者クラブ的のように、仲良くするよりはずっといい。
しかし、産経はあたかも鬼の首を取ったかのようなはしゃぎぶりである。
あまり調子に乗り過ぎない方がいいだろう。
海外メディアはどう見ているか。

 その一方で、フィナンシャル・タイムズ紙は、日本の右傾化・保守化という面から、今回の事件を眺めている。
 同紙は、朝日が誤りを認めたことで、修正主義者安倍首相の登場で、近年より声高になった右翼の中に、怒りと満足感の入り混じった気持ちが広がったとする。
・・・・・・
 そして最後に、右翼が大胆になり、日本の国際的地位を傷つける可能性に警鐘を鳴らす、慶応大学の歴史社会学専門家、小熊英二氏のコメントを引用している。
「日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。」「そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、『原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない』とか『(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない』といった弁明を考えればわかるだろう」
朝日慰安婦記事撤回、勢いづく右派に懸念 問題の本質は変わらない…英紙報道

朝日の姿勢も問題だとは思うが、「日本の右傾化・保守化」傾向も深刻な問題である。
⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)
⇒2014年8月 8日 (金):再び暗い時代に逆行しないために/日本の針路(23)

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2014年8月21日 (木)

豪雨禍の傾向と対策としての古人の知恵/日本の針路(30)

広島の土砂災害は、目を覆うばかりの惨状だ。
特に、安佐南区の11歳と2歳の兄弟が生き埋めになったという報道には胸が締め付けられる。
弟思いの優しい兄だったという。
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東京新聞8月21日

土砂崩れが発生した広島市北部の現場付近では、3時間で204ミリを記録し、平年の8月分の雨量を上回った。
確かに、異常な集中豪雨といえよう。

そのような異常な豪雨はどうして起こるのだろうか?
広島地方気象台は「バックビルディング現象」が起きた可能性が高いとみている。
あまり聞いたことがない。
「バックビルディング現象」とは何か?

同じ場所で次々と積乱雲が発生し、豪雨が集中する現象のことらしい。

気象庁などによると、湿った空気が入り込んで積乱雲が作られ、同じ方向に風が吹いて次々と直線上に並ぶと、局所的な豪雨をもたらす。風上の積乱雲が建ち並ぶビルのように見えることから、バックビルディング現象と呼ばれる。  2012年7月に九州北部、昨年8月に秋田・岩手県を襲った豪雨災害などでも、この現象が起きたとされている。 広島の上空には、数日前から九州方面と豊後水道方面から暖かく湿った空気が多量に流れ込んで停滞し、大気が不安定な状態が続いていた。広島工業大の田中健路准教授(気象学)は「バックビルディングに間違いないだろう。前線に湿った空気が流れ込み、次々と積乱雲が生まれたのではないか」と分析する。
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広島豪雨:バックビルディング現象の可能性

バックビルディング現象であるとして、現在の技術ではバックビルディングが起きる場所や時間を予測するのは困難だという。
それでは不可抗力なのか?
中国山地のマサが雨に弱いことは良く知られている。
土砂災害の危険区域はある程度は特定できるだろう。
実際、災害発生箇所は山裾である。

土砂崩壊は自然現象であるが、災害は社会現象である。
異常な集中豪雨はこれからも発生するであろうが、その予測が難しいとしたらどうすべきか?
地震と同じことであろう。

8月21日の東京新聞の朝刊コラム「筆洗」に、『常陸国風土記』に出てくる夜刀神のことが書いてある。

常陸の国には、角のある蛇「夜刀(やと)の神」がいて、その姿を見たものは呪われたという▼箭括(やはず)の氏麻多智(うじまたち)という者が葦(あし)原を開墾し田にしたところ、夜刀の神が現れて耕作を妨げた。勇敢な麻多智は山際まで追い詰めてから、こう言った。「ここから上は神の地として認めよう。だがここから下は人の田とする。以後、私が祭祀(さいし)者となって、お前を祭るから、どうか祟(たた)ったり怨(うら)んだりしないでくれ」(田中聡著『妖怪と怨霊の日本史』)▼開発には思わぬ危険が伴う。切り開きつつも、自然への畏れを持ち続ける。古代の怪異な話の底には、そうした先人の思いが潜んでいるのか
筆洗

宇佐美正利『風土記説話の謎』高陵社書店(2014年4月)の第2章が「麻多智伝承と常陸の蛇神」である。
麻多智伝承を以下のような図式で解読している。
Photo

「温故知新」というが、災害対策、最近の言葉でいえば、減災もしくは国土強靭化も古人の知恵に学ぶべきところが多いようだ。

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2014年8月20日 (水)

広島の豪雨災害と本家防災論/日本の針路(29)

またしても集中豪雨による災害である。
記録破りの豪雨があったのは間違いない。

 広島市内では20日未明から早朝にかけて急速に雨雲が発達。広島県が安佐北区に設置した雨量計では、午前4時半までの3時間に観測記録となる204ミリとなり、平年の8月1カ月分を上回る雨量となった。
 県のまとめでは、20日午前4時までの1時間に、安佐北区三入東で121ミリ、同区可部町上原で115ミリ、同区役所で102ミリの雨を観測した。午前3時20分すぎからは、住民から土砂災害に伴う救助要請が次々と寄せられた。市は午前4時20分ごろから、安佐北区の14地区と安佐南区の7地区に順次、避難勧告を出した。
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広島で大規模土砂災害 32人死亡、9人行方不明

1時間に30ミリの雨が降ると、バケツをひっくり返したような、という表現が当てはまるという。
その4倍というのであるから、想像を絶している。
昨年の10月に16日に伊豆大島を襲った台風26号による被害は記憶に新しい。
⇒2013年10月21日 (月):伊豆大島の台風禍/花づな列島復興のためのメモ(269)

また、2011年には紀伊半島で桁外れの降水量を記録した。
⇒2011年9月 6日 (火):台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)

今回の広島が記録的な大雨であったことは間違いない。
しかし、1999年6月29日にも豪雨災害が発生している。
1999
「平成11年6月広島豪雨」広島市・呉市土石流災害(1999年6月)

大雨と崩れやすい地質が複合したのである。

広島県は、土砂災害危険箇所が全国で最も多い地域。
その理由は、「まさ土」という特徴的な地質にもあった。
広島市周辺の地質分布図を見ると、ピンク色の地域は「広島花こう岩」という岩石で、広く県内の山地を覆っている。
広島花こう岩が、長い間、雨や風にさらされると、まさ土と呼ばれる土に変化する。
まさ土は、水を含むと非常にもろく、崩れやすくなる性質がある。
防災システム研究所の山村武彦所長は「(まさ土)は、一定量、水はけもいいし、保水能力がある。ところがそれを超えてしまうと、一気にどっと崩れやすい土ですね」と話した。
国土交通省によると、広島県は、斜面の表面を広くこのまさ土が覆っているため、大雨が降ると、土砂災害が発生しやすい状況となってしまうという。
広島市土砂崩れ 15年前にも豪雨で多数の土砂災害

つまり当該地域は、潜在的に災害の発生しやすいところであったと言える。
中国山地についてWikipediaに以下のような記述がある。

中国山地の花崗岩は、風化してマサ(真砂)と呼ばれる砂粒となる。マサの地盤は非常に不安定で、土砂崩れを引き起こしやすい。そのため、中国山地は砂防区域が多い。河川に大量に流れたマサは、海へ出ると砂浜や砂丘を形成する。鳥取砂丘や瀬戸内海の白砂青松は、花崗岩を起源とするマサによるものである。

かつてはこのような場所を避けて家を建てていたであろう。
それが人口圧力等により、次第に条件の悪い場所に建てるようになった。
被災地はいわゆる新興住宅地である。
Photo
静岡新聞8月20日夕刊

私は、災害の階級性や「本家防災論=本家が立地するような場所に災害は起こらない」を思わざるを得なかった。
⇒2009年7月24日 (金):集中豪雨禍と本家防災論

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2014年8月19日 (火)

安倍首相の平和祈念式典挨拶のコピペ疑惑/日本の針路(28)

安倍首相のコピペ疑惑が話題になっている。
8月6日と9日に広島と長崎で行われた平和祈念式典での挨拶について、昨年の式典のあいさつと同一の部分があり、コピペ(文章の切り張り)ではないかというものである。
世田谷区議会の上川あや議員の以下のツイートが多数リツイートされた。
Ws000000

もちろん、首相自身が原稿を作ったわけではなく、スピーチライターがいるのだろう。
とはいえ、最終的な責任が首相にあることも当然である。
安倍首相、「広島原爆の日」の挨拶 "去年のコピペ"疑惑を検証する』という「

こうして比較してみると、2014年のスピーチは2013年を元に、実績部分のみ書き換え、前後の挨拶部分はほぼそのままであることがわかる。
では、第一次安倍政権時の2007年8月6日の挨拶はどうか。一目瞭然、2013年、2014年と趣旨は似ているが、全く別の文章だ。
2013年と2014年の第二次政権下での挨拶にはない、特徴的な文言がある。
「今後とも、憲法の規定を遵守し」――。

憲法解釈を変えたばかりであり、さすがに、「今後とも、憲法の規定を遵守し」とは言えまい。
というよりも、第一次安倍政権時には、(少なくとも言葉の上では)立憲主義に立っていたのだ!

長崎についても以下のような投稿がある。

長崎市に原爆が投下されて69年目の8月9日、同市で開かれた平和祈念式典で、安倍晋三首相が読み上げたあいさつ文の一部が2013年の内容とほぼ同じだった。6日の広島市での平和記念式典のあいさつ文が「昨年の挨拶と同じでは」と指摘されたばかりだった。
2014年と2013年の安倍首相の読み上げたテキストを文書比較ツールで比較してみると、冒頭と結びの挨拶の部分は年数を変えた以外はほとんど同じであることがわかる。
安倍首相「原爆の日」あいさつ、長崎でもコピペ? 被爆者から批判も

さすがにネット上の評判はよろしくないようだ。
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安倍首相が自分の言葉で語り得ない人であることは、つとに指摘されていることではある。
2013年10月11日の日本経済新聞朝刊のコラム「春秋」で指摘されているように、水俣条約の会議に寄せたメッセージやオリンピック招致のプレゼンで、「原発の汚染水はコントロールされている」と言ったことなどに表れているように、その場をやり過ごせばOKという感じが露骨である。
⇒2013年10月12日 (土):水俣条約と真情に欠ける安倍首相の言葉/アベノミクスの危うさ(15)

自分の言葉で、人を感動させられる首相を持ちたいものだ、と思う。

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2014年8月18日 (月)

実質GDPが前期比年率マイナス6.8%/アベノミクスの危うさ(37)

内閣府が13日発表した2014年4~6月期国民所得統計1次速報によると、 実質国内総生産(GDP)は前期比マイナス1.7%、 年率換算マイナス6.8%となった。
アベノミクスは大丈夫か?

佐藤優『いま生きる「資本論」』新潮社(2014年7月)の中に次のような記述がある。

 宇野弘蔵が「ファシズムの強さは無理論なところにある」と言っています。理論がなくて、気合でやっていく。これ、アベノミクスを思い出しませんか(会場笑)。安倍さんの特徴は、マルクス経済学も近代経済学も何も勉強していないということです。無理論の強さってあるんですよね。安倍さんは浜田宏一さんの話を聞いて、「状況はよくわからないけど、インフレターゲットは絶対にいい。気合を入れてやっていこう」。そんな感じでやっている。だから、長期国債の金利がどういうふうになるかとか考えていないのです。この<考えていない強さ>があるんです。景気を良くするためには賃金を上げてからだとなると、連合が賃上げを言っていないのに、首相自らが「内部留保があるんだから払え」と賃金を上げさせたわけですよね。これを国際基準から見ると、ファシズムの賃金論です。「おい、経団連会長、ちょっと来い。お前ら、内部留保を置いてあるのにけしからん、労働者の賃金上げろ」。これ、共産党が言っていることと同じじゃないですか。前に紹介したムッソリーニと同じじゃないですか。安倍さんも共産党も、ファシズムの経済学を主張しているんです。
 ですからアベノミクスというのは、反知性主義とヤンキー的なナルシズムとのアマルガムなんですよ。

まさに、「そういうことだったのか!」(池上彰風に)という感じではなかろうか。
反知性主義の風潮は私もつとに感じていることである。
⇒2014年8月 8日 (金):再び暗い時代に逆行しないために/日本の針路(23)

「ヤンキー的なナルシズム」とは、「裸の王様」のようなものだろう。
⇒2013年10月17日 (木):安倍首相は裸の王様か?/アベノミクスの危うさ(16)
安倍首相のお好みのフレーズは「やれば、できる」である。
⇒2014年1月25日 (土):安倍首相の施政方針演説批判/アベノミクスの危うさ(25)

気合は重要であろうが、気合を入れてやれば、何事もうまくいくというわけではない。
マネジメントが、KKD(経験と勘と度胸)だけではうまく行かないのと同様である。

気合は必要条件かもしれないが、十分条件とは言えまい。
⇒2013年7月 9日 (火):規制委の安全性審査は必要条件ではあるが十分条件ではない/花づな列島復興のためのメモ(243)
必要条件と十分条件というのは適切ではないかもしれない。
間違っていれば、目的にたいする阻害要因になるからだ。

アベノミクスは3本の矢で構成されると説明されてきた。
第1の矢:大胆な金融緩和
第2の矢:機動的な財政政策
第3の矢:新たな成長戦略
第1の矢と第2の矢は、株と為替に関する限り効果を出しているといえる。
問題は、第3の矢である。
⇒2014年6月16日 (月):成長戦略の中身について/アベノミクスの危うさ(34)

第3の矢の直接的な指標は、実質GDP成長率である。
もちろん、長期的な視野で考えるべき問題ではあるが、上記の4~6月期の値により、アベノミクスは失速しているという懸念が増している。
政府は想定内だというが、エコノミストらが今春に予想していたよりもはるかに深刻なGDP減少だ。

池田信夫氏はアゴラの『なぜ人手不足で実質賃金が下がるのか』で次のように言っている。

これは単なる消費税の駆け込み需要の反動ではない(落ち込みは1997年よりはるかに大きい)。
特に個人消費の減少が大きい最大の原因は、実質賃金の低下である。

生活実感からいえば、諸物価値上がりばかりが目につく。
消費増税の(悪)影響は確実に出つつあるのではなかろうか。
さらなる増税をするのかどうか?

そもそも増税はなんのためだったのか?
社会保障の安定が大義名分だったはずである。
財務省は「税率を引き上げれば税収が増える」「そうすれば財政状態が改善する」という考え方だ。
しかし「増税すれば景気を冷やす」ことは想定されていた。
⇒2014年3月10日 (月):消費税増税で景気はどうなるか?/アベノミクスの危うさ(29)

だからこそ、実際は財政再建に逆行するような財政支出を行ったのではないか。
無理論の安倍首相は、気合で実施するのか、あるいは想定外の支持率低下などによって見直しを余儀なくされるのか。
順調に見えた安倍政権が正念場を迎えつつあるようである。

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2014年8月17日 (日)

マレーシア機撃墜は偶発的な事故か?/世界史の動向(24)

ウクライナ東部でマレーシア航空機が撃墜された事件から1カ月経った。
⇒2014年7月18日 (金):マレーシア航空機がウクライナで墜落/世界史の動向(22)
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マレーシア機撃墜、真相巡り対立続く

墜落現場周辺の戦闘は依然として収束の様相は見えず真相究明に向けた現地調査も十分進んでいない。
マレーシア機といえば、行方不明になった航空機も未だ最終的な報道はない。
⇒2014年3月19日 (水):マレーシア機はどこへ行った?

マレーシア機受難の年であることは間違いないだろうが、ことはマレーシア機に留まるものではないような気がする。
良く知られているように、第一次世界大戦の直接の原因は、サラエボにおける銃弾だった。
1914年6月28日に、オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の甥で皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がサラエボにおいて妻と共に暗殺された。
第一次世界大戦は、当事国の想定を超えて拡大した。

現在、世界情勢は第一次世界大戦当時と類似していると言われる。
日本は勝利陣営に属し、かつ戦火は主としてヨーロッパの範囲であったため、切実感が希薄だった。
それが、東亜・太平洋戦争に突き進む雰囲気を醸成する一因になったと思われる。
⇒2014年7月14日 (月):第1次世界大戦と日本/世界史の動向(21)

撃墜されたマレーシア航空機の乗客の多くの遺体は身元が判明していないままだ。
犠牲者については、遺体の損傷が激しいことなどから、時間が経過すればさらに身元確認は難しくなるだろう。

この事故(事件)について、軍事評論家の田岡俊次氏は次のように解説している。

 SA-11は重量690kg、長さ5.55mで、最大射程は32kmとも35kmとも言われ、最大高度は2万2000mに達する。これはキャタピラ式の自走発射機に4発搭載されるが、その他にミサイル管制車、対空監視レーダー車、通信車、予備弾運搬車、整備車が必要で、6輌が1セットで1組のシステム「9K37」となる。操作要員は少なくとも20人は必要と考えられる。いつ敵機がきても対応できるようにするには、要員は3交代分が必要で、その居住設備や食糧、水など、また発電、暖房用の燃料を運ぶトラックもいる。携帯式の対空ミサイルなら歩兵や民兵、ゲリラでも少し訓練すれば使えるようになるが、本格的な対空ミサイルは技術的に高度で、専門的教育・訓練を受けた将校、下士官たちのチームでないと操作できない。
マレーシア航空機撃墜事件! 非難合戦→危機の深化を避ける方法とは

とすれば、目的意識的な撃墜だったのだろうか?
田岡氏は、そうではなくて誤射によるものだろうという。

西から東に向かって飛行する航空機を対空ミサイル部隊のレーダーが捉え、それまでに撃墜したIL76やAn26輸送機と同様、東部に兵員や武器を運ぶウクライナ空軍機と誤信してミサイルを発射した、と考える方が自然だろう。
 皮肉にもこうした対空ミサイル誤射による旅客機撃墜「大量殺人」の過去の例はアメリカとウクライナだけにある。イラン・イラク戦争中の1988年7月3日にはホルムズ海峡のイラン領海内に入りイラン砲艇を追っていた米巡洋艦ヴィンセンスが、バンダル・アバス空港から離陸したイラン航空のエアバスA300をレーダーで捉え、イラン戦闘機と誤認して対空ミサイルを発射、撃墜し290人を死亡させた。この事件発表の際、米国防総省はイラン領の小島を地図から消去し「公海上」と主張したが間もなく露見した。また2001年10月4日にはクリミアのウクライナ軍対空ミサイル部隊が演習中、イスラエルのテルアビブから黒海を上空を経てロシアのノボシビルスクへ向かうロシア「シベリア航空」のTU(ツポレフ)154旅客機に長距離対空ミサイルS200(NATO名SA-5、射程距離300km)を発射、黒海に墜落させ、78人が死亡した。

誤射であっても誤射するような条件があったということだろう。
そういう条件を生み出さないようにするにはどうしたらいいか?
第一次世界大戦が、1発の銃弾から始まったとすれば、1発のミサイルが世界大戦に拡大するのはあり得ないことではないと思われる。
私たちは、第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)の教訓を風化させてはならないだろう。

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2014年8月16日 (土)

都塚古墳は蘇我稲目の墓か?/やまとの謎(95)

奈良県明日香村の都塚古墳が、墳丘を5段以上の階段状に築いたピラミッド形の大型方墳と分かり、村教委と関西大考古学研究室が13日、発表した。
奈良県明日香村の飛鳥の宮跡から南南東約1.2キロの阪田・祝戸地区にある。
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ピラミッド形「階段状」巨大方墳 6世紀後半、蘇我稲目の墓か

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ピラミッド形「階段状」巨大方墳 6世紀後半、蘇我稲目の墓か

7世紀前半、権勢を誇った蘇我馬子(稲目の子)の墓とみられている石舞台古墳が近くにある。
石舞台古墳は、私も何回か訪れたことがある飛鳥時代の代表的遺跡だ。
⇒2008年9月 5日 (金):網干善教氏と石舞台古墳
一番最近は、発症後におそるおそる車椅子を用意しての平城遷都1300年の年である。
⇒2010年10月26日 (火):聖武天皇の宝剣?/やまとの謎(3)
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石舞台古墳

上の写真でも分かるように、一種の巨石古墳である。
都塚古墳は、元旦に金の鳥が鳴くという言い伝えから、「金鶏塚古墳」とか「金鳥塚」といわれているが、馬子の父にあたる蘇我稲目が埋葬されのではないかとされる。

蘇我氏の系図は以下のようである。
Photo
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page896.html

系図で分かるように、飛鳥時代に1つの時代を画した大王級の人物であった。
都塚古墳はかって盗掘を受けたことがあり、封土も大半が失われている。
江戸中期の国学者、本居宣長の紀行文「菅笠日記」には、用明天皇を葬ったという伝承とともに「みやこ塚」と紹介されている。
明治、大正時代には、巨石を使った横穴式石室の中に朱を塗布した巨大な家形石棺があることが報告され、早くから注目されていたが、史跡には指定されていない。

今回の調査で、最下部が、のり面を河原石で固めたテラス(基壇)になっており、その上に石積みの階段を重ねて墳丘を築いていたことが分かった。
墳丘の規模は、東西41メートル、南北42メートルで、最下段と上部の間の未調査部分に更に数段あるとみられ、全体では8段前後に復元できるという。
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ピラミッド形「階段状」巨大方墳 6世紀後半、蘇我稲目の墓か

同時代の敏達天皇が葬られたのは前方後円墳、次の用明、崇峻、推古の3天皇が葬られたのは方墳とされる。
大王陵が前方後円墳から方墳に切り替わる直前の築造とみられるが、これらの大王陵や石舞台古墳はいずれも2〜3段である。
階段状の方墳は5世紀まで朝鮮半島北部の高句麗で築かれたというから、蘇我氏のルーツに関係があるのかも知れない。

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2014年8月15日 (金)

重光葵による終戦工作と終戦遅延責任/日本の針路(27)

第2次世界大戦中の1944(昭和19)年5月、東条英機内閣の重光葵外相が、日本と中立条約を結んでいた旧ソ連の仲介による中国との戦争終結を目指していたことが、東京新聞が入手した当時の外交秘密の公電で明らかになった。
他の新聞も後追いしているが、8月14日付の東京新聞の特ダネである。
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重光は早期終戦論者の一人とされてきたが、終戦の1年3カ月も前の動きが公的文書により、初めて裏付けられた。
同時期の公電は焼かれるなどして現存しないとされてきたが、当時モスクワの日本大使館などで勤務し、戦後に駐米大使を務めた故武内龍次氏がまとめて保管していた。

ソ連の対日参戦は、終戦間際の8月9日、ナガサキに2発目の原爆が投下された日の午前0時である。
この時点で、まだ日本は終戦の仲介をソ連に頼ろうとしていた。
今から思えば何とリアルポリティクスに対する認識が欠如していたのだろうかと思う。
外相の認識がそうであったのは、認識の元になる情報の問題であろう。
国の指導層の一部では、1945年8月15日の時点でも、本土決戦を真剣に考えていたのだからやむを得ないことかも知れない。
⇒2007年8月10日 (金):ソ連の対日参戦

重光は当時の日ソ関係を「衝突無きを得る素地を得たる」と説明し、日ソ中立条約を生かし、ソ連の協力を得て日中戦争を終わらせようとした。
1944年5月25日、佐藤尚武大使宛て公電に、「帝国の対ソ対支方策に関する件」と題し、ソ連と中国の対策を記した。
佐藤には「終結に導くの方策」が可能かを尋ねた。
当時の中国は、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が対立していたが、重光はソ連の影響力で中国内を一つにまとめてもらった上で、日ソに中国を加えた不戦の枠組みをつくれないか考えていた。

佐藤は、ソ連が米英両国と連合国として連携していた情勢から、ソ連仲介の実現性は「疑問」と返電した。
戦況悪化を受けて1944年7月には東条首相が退陣し、小磯国昭内閣が発足した。
1944年8月に決定された戦争指導大綱には、ソ連仲介の日中戦争終結策が初めて正式に盛り込まれた。
しかし、ソ連との外交交渉が行き詰まり、1945年8月の降伏へ日本が追い込まれていく様子が、公電からも分かる。
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終戦1年3カ月前「対中終結を」 重光外相、ソ連仲介構想 新史料で判明

日本は敗れるべくして敗れたのである。
その教訓をどう生かすか?
次は負けないぞ、という方向で考えるか、平和国家としての方向で考えるか?

もし、重光の終戦工作が実を結んで、せめて1944年の8月くらいまでに終戦に持ち込めていたら、戦争の惨禍はずいぶん軽減されたことだろう。
⇒2009年8月15日 (土):無条件降伏か、有条件降伏か?
⇒2009年8月16日 (日):敗戦責任の所在

なお、重光葵は、東条内閣と小磯内閣で外相を務め、終戦直後の東久邇宮内閣でも外相を務めた。
ポツダム宣言受諾後の1945(昭和20年9月2日、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号で行われた降伏文書の調印式で、日本側を代表して署名した。
重光は、極東国際軍事裁判でA級戦犯として禁錮7年の有罪判決を受け、鳩山一郎内閣では副総理兼外相として、ソ連との国交回復と国連加盟を実現した。
現在、かつて別邸があった湯河原町に、記念館が建っている。
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重光記念館

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2014年8月14日 (木)

理研笹井氏の自死の問題提起/日本の針路(26)

理化学研究所の笹井芳樹氏の自死は、いろいろな意味で衝撃であった。
STAP論文問題の実質的な意味の中心人物であったのは間違いないだろう。
彼の死によって、何が問われ、何に封印されたのであろうか?
⇒2014年8月 5日 (火):STAP論文問題のキーパーソン・笹井芳樹/追悼(53)

自ら死を選んだ人の胸中に去来したことを生きている人間が云々して余り意味がないとは思う。
「終わるべきときを自覚して、この世に別れを告げ」た人の心の中の動きについて、現に生きている人間が後から憶測して、あれこれ言ってみてもしょうがないのではないか、ということである。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読

STAP細胞とされたものの「正体」は、現時点ではES細胞等が混入したものではないか、というのが有力であるようだ。
「日経サイエンス」誌の8月号に載っている『STAP細胞の正体』という解説記事に書かれている。
⇒2014年7月10日 (木):STAP論文撤回理由書書き換えの怪/知的生産の方法(99)
「Newton」誌9月号の『白紙に戻ったSTAP論文』も同趣旨である。

STAP論文には様々な細胞が登場して素人には分かりにくい。
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『白紙に戻ったSTAP論文』

TS細胞はES細胞と同様に初期胚からつくられる幹細胞である。
幹細胞とは、組織や臓器に成長する(分化する)元となる細胞で、それぞれの臓器で固有に存在するものである。
STAP細胞は新生児マウスの脾臓細胞に弱酸性の刺激を与えることによって得られるとされる。
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FI幹細胞の遺伝子解析データは、FI幹細胞とされているものがES細胞9、TS細胞1の混合物であった可能性が高いことを示していた。
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STAP細胞とされているものが何であったかについては、理研で検証実験が行われていて、まだ最終的な結論は発表されていない。
しかし、仮に「nature」誌の論文に重大な過誤があったとしても、直ちに研究不正があったとはいえない。
⇒2014年6月21日 (土):故意と悪意/「同じ」と「違う」(77)
私は、STAP論文問題には、過誤があったかも知れないが、不正と断定することは尚早であろうと思っていた。

しかし社会は必ずしもそうは考えない論調が支配的だったようである。
特にマスメディアの小保方氏に対する取材は、常軌を逸したものであったようだ。

 神戸・ポートアイランドにある理研発生・再生科学総合研究センターで進められている検証実験の準備を終え、小保方氏が退勤したのが午後8時ごろ。
 この日午後5時半ごろ、理研周辺にマスコミ関係者が手配したとみられる複数台のバイクが止まっていることが確認されたため、タクシーで理研を出た小保方氏は、いったん神戸市中心部にほど近いホテルに立ち寄った。
 取材を避けようと、小保方氏はこのホテルの女子トイレに午後9時ごろまで身を隠したという。ところが、トイレから出た小保方氏に、ロビーで声をかけてきたのが「NHK」を名乗る記者とカメラマンら5人だった。
 小保方氏は再び女子トイレに逃げ込んだが、取材班の中にいた女性がトイレの出入り口まで追いかけ、小保方氏の様子を電話で誰かに報告していたという。
 その後、ホテルを出ようとした小保方氏は、カメラを回しながら質問を投げかける取材班を避けようとしたが、下りのエスカレーターでカメラマンに上下を挟まれ、退路を断たれた状況に。小保方氏はエスカレーターを逆走してロビーに逃げたものの、「ロビー中を追いかけられた」(三木弁護士)そうだ。
 結局、小保方氏はホテルの従業員に助けを求め、従業員の誘導でホテルから脱出できたのは、午後10時ごろだった。
トイレまで小保方氏深追いしたNHK、右手けがで実験に“支障”

メディアだけではない。
冷静な議論が行われるべき学界等でも、一種の集団ヒステリーとも思えるような状態が見られた。 

STAP細胞の論文問題で、理化学研究所による不正調査や検証実験などに対して、約1万5000人の基礎生物学者を抱える日本分子生物学会が、異例の集中批判を展開している。
 STAP細胞が存在したかどうかを調べる検証実験の中間報告は、近く公表される見通しだが、「一連の対応は科学を否定するもの」とする強い批判に、理研はどう応えるのか。
・・・・・・
 同学会理事長の大隅典子・東北大教授が「理研の対応は、税金で研究を支える国民への背信行為。不正の実態解明が済むまで、検証実験は凍結すべきだ」との声明を出し、口火を切った。理研は6月末に着手した不正の追加調査を何より優先するべきだという指摘だ。
 その後、同学会の幹部ら9人も相次いで見解を公表し、学会あげて問題視する姿勢を鮮明にした。「科学的真実そのものの論文が撤回された以上、検証実験は無意味」(町田泰則・名古屋大名誉教授)。「STAP細胞は今や(未確認生物の)ネッシーみたいなもの」(近藤滋・大阪大教授)と、厳しい言葉が並んだ。
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STAPは「ネッシー」…学会、異例の集中批判

これらの批判には根拠はあるのだろうが、集団で襲いかかっている印象は否めない。
上記の分子生物学会の批判に関する報道は、8月2日付である。
精神的に追い詰められていた笹井氏を死へ誘ったのは、この批判紹介記事であったのではなかろうか?
STAP論文に関する過熱報道によって失ったものは余りにも大きい。
しかし、過熱報道によって得たものは余りに少ない。
⇒2014年3月13日 (木):STAP細胞に関する過熱報道/花づな列島復興のためのメモ(315)

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2014年8月13日 (水)

村山浅間神社とオールコック顕彰碑/富士山アラカルト(9)

幕末期の初代駐日総領事ラザフォード・オールコックは、日本の印象を大君の都―幕末日本滞在記』岩波文庫(山口光朔訳)(1962年4月)に書いている。
当時の日本の様子を第三者の目で描いた貴重な資料である。

オールコックは、1809年ロンドン郊外イーリングで生まれた。
パリに留学し、解剖学、化学、博物学を学び、仏語、伊語を習得し、外科医の資格を取得して軍医となり、イベリア半島で6六年間従軍した。
1844年外務省の募集に合格して、中国広東総領事等を経て、1859年日本駐在のイギリス総領事に任命された。
日英修好通商条約の調印、開港開市問題などで徳川幕府と交渉し、箱館に領事館を設置した。
1860年に富士・熱海のを、1861年長崎~江戸の国内視察旅行を行った。

富士・熱海の旅行の際に富士山に登った。
初めての外国人登山者である。

神奈川から東海道の吉原宿(現富士市)に入り、大宮、村山の地(現富士宮市)を経て富士登山をした。
大君の都―幕末日本滞在記』にこの旅行の詳細が書かれており、富士山の魅力を世界に広めた。
大君の都―幕末日本滞在記』 出版150周年に合わせ、NPO法人「オールコック卿顕彰会」(井出昇理事長)によって、村山浅間神社観光案内所の側に記念碑が建立された。
記念碑は高さ1.9m、幅2.5m、厚さ45cmで、赤富士と青富士思わせる2種類の石で富士山を形作っている。
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富士宮市村山にある村山浅間神社は、富士根本宮と称し、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
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富士山を修験の霊山として開いた末代上人(1103年(康和5年)~?)が、現境内地に堂舎を構え、以後富士山に対する神仏習合の地として発展したという。
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境内のご神木に指定されているチョウの木は見事である。
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明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があったという。
  「ふじさんカルタ」静岡新聞社(2013年7月)に次の1枚がある。

万延元年オールコックも富士登山

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2014年8月12日 (火)

自民土屋代議士の長崎市長批判は妥当か?/日本の針路(25)

長崎に原爆が投下された「原爆の日」の9日、長崎市で平和祈念式典が行われた。
田上富久市長は平和宣言で、集団的自衛権の議論をきっかけに国民の間に広がっている平和への不安や懸念に耳を傾けるよう、政府に対し強く求めた。

このあとの平和宣言で長崎市の田上富久市長は、広島市の平和宣言では触れられなかった「集団的自衛権」という文言を盛り込み、「『平和国家』としての安全保障の在り方にさまざまな意見が交わされている」と指摘しました。
そのうえで被爆者たちの間では「平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が生まれている」として、国民の声に耳を傾けるよう政府に対し強く求めました。
さらに、田上市長は「核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまず作り、日本政府は、核兵器の非人道性をいちばん理解している国として、その先頭に立ってください」と述べて、核兵器廃絶に向けて積極的に取り組むよう政府に要請しました。
原爆の日 長崎市長「平和への不安や懸念」

この長崎市長の言葉に対し、自民党の土屋正忠衆院議員が自身のブログで異を唱えた。
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東京新聞8月12日

土屋氏のブログから引用する。

被爆地長崎市の市長が核廃絶を主張することは重大な使命である。
一方、世界中で紛争や軍事衝突が続き、平和を維持することの難しさを物語っている。
現に、日本の隣国にも核武装して「東京を火の海に」「アメリカにも核ミサイルの報復を」などと主張する北朝鮮のような国家も存在する。
同じ今日、アメリカはイラク国内の過激派「イスラム国」基地を空爆した。
核の悲劇を繰り返さないためにも、現実に立って抑止力を有効に組み立てることが政治の責任もった選択なのである。集団的自衛権も現実政治の選択肢の一つなのだ。
長崎市長は歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威があるのだ。集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる。
核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ。
「田上長崎市長は集団的自衛権を言うなら国会議員になった方が良い-今日、長崎原爆忌。」

果たして土屋代議士のこの発言は妥当だろうか?
先ず全体の論理性が良く分からない。
「集団的自衛権も現実政治の選択肢の一つなのだ」はその通りであろう。
しかし、「集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる」とはどういうことか?
「歴史的体験を踏まえた核廃絶について語るから権威があるのだ」はそうだろうと思う。
長崎市長は、歴史的体験を踏まえつつ、集団的自衛権が「平和国家」としてのあり方に重大な変更をもたらすことについて、さまざまな意見が交わされていると言っているのである。
土屋氏の批判は、大局的な意見のように精一杯装っているが、まったく論理性に欠けるものといえよう。

「核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ」は何を言いたいのか?
核廃絶のためには、平和維持が重要であるはずである。
平和維持のための政治的選択を語ることは、国政の場だけでなく地方政治の場でも積極的に行われるべきだろう。
非核平和都市宣言自治体は、2012年7月現在、1,558自治体を数え、宣言率は87%強である。
土屋氏は、これらの都市の平和宣言も、地方には馴染まないと言って批判するのであろうか。

行使を容認する憲法解釈の変更には、他の首長からも「戦争に直結すると捉えられかねない」(三重県鈴鹿市の末松則子市長)、「国民の信を問うべきだ」(静岡県の川勝平太知事)といった批判や異論がある。三重県松阪市の山中光茂市長を中心に閣議決定に対し、違憲訴訟を起こす動きもある。田上氏の発言は、他の首長と比べて突出しているわけではない。
 鳥取県知事や総務相も経験した慶応大法学部の片山善博教授は、土屋氏の批判について「言語道断で理解できない。首長は国の政策決定に参画できないが、住民の安全を守るために意思表明するのは、表現の自由だ」と話す。その上で「被爆地の長崎市長の発言は影響力が大きい。だから、いまいましいと思っているのかもしれない」と分析した。
土屋氏ブログ 長崎市長を批判 首長経験者「言語道断」

国の独走(暴走)に対して、地方の反乱が始まっているのである。

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2014年8月11日 (月)

「超入門」書の限界と可能性/知的生産の方法(101)

カール・マルクスの『資本論:Das Kapital』は、聖書などと並んで世界で最も有名かつ影響力も大きな書物であろう。
1867年(明治維新の前年!)に第1部が初めて刊行され、1885年に第2部が、1894年に第3部が公刊された。
第1部は、マルクス自身によって発行されたが、第2部と第3部は、マルクスの死後、フリードリヒ・エンゲルスによって編集・刊行された。

余りにも有名なこの書ではあるが、果たして読み通した人はどれ位いるのだろうか?
私は学生時代から、読むべき本だという認識はあったが、手を出す気にならなかった。
『共産党宣言』は辛うじて読んだけれど、この大部の書は敬して遠くに置いてきた。
今となっては、読みとおすのは、体力、気力ともに無理というものであろう。

書店で、小暮太一『超入門 資本論』ダイヤモンド社(2014年5月)が目に入った。
手軽な入門書に飛びついても、ろくな結果にならない、という経験則はある。
「超入門」を読んで、「分かったつもり」になっても、ほとんど無意味だろうな、と思いつつ、しかしいまさら『資本論』は読めないから、雰囲気を知るだけでもいいのではないかと一読してみた。

なんだか、「分かったぞ!」という気になったのである。
商品を中心に成り立っている社会経済のしくみのようなものが、である。
取引するものはすべて商品であり、すべての商品には「価値」と「使用価値」がある。
あるいは、「価値」か「使用価値」のいずれかが欠けるものは、商品ではない。
つまり、取引の対象にならない。

「価値」はその商品をつくるのに要する労力である。なじみ深い言葉でいえば「工数」である。
これに対し「使用価値」は、商品を得ることによるメリットである。
マーケティングで、消費者・生活者の視点で考える、という場合のメリットであり、通常使う「価値」であり「効用」に近い。

生産したモノが商品になるためには「命がけの跳躍」が必要である。
「使用価値」を評価するのは生産者ではない(つまり他人である)からである。
つまり、生産したモノは商品になる可能性は持っているが、いつも商品になる(すなわち<カネ=貨幣>に変わる)とは限らない。
一方、貨幣はいつでも商品に変えることができる。
商品の値段は、基本的には「価値=社会の平均的な工数」で決まり、そこから変動する要因が「使用価値」である。

とすれば、商品の価値(≒値段)を生み出すのは「労力」以外にはない。
つまり、人間の労働だけが価値を生み出す。
原材料や機械設備等が価値を生み出すわけではないのだ。
企業が利益を生み出すのは、労働者が自分の報酬以上の価値を生み出しているからである。
つまり、剰余価値である。

剰余価値には、絶対的剰余価値(労働時間)、相対的剰余価値(単価)、特別剰余価値(生産性)がある。
絶対的剰余価値の追求はブラック企業になり、相対的剰余価値は個別企業が決するというより社会的に決まるものである。
つまり、企業の競争は、基本的には特別剰余価値つまり生産性である。

企業が生産性(効率)を高めようと努力してイノベーションを起こすと、それが商品のコモディティ化(均質化)を招く。
つまり、剰余価値が小さくなる。
これは、資本主義経済の宿命である。

ざっとそんなことが書かれていて、まあ社会経済の1つの側面にしか過ぎないことは承知の上で、「分からない気」でいるより、「分かった気」になるのも悪くないのではないか。

以前に、 鈴木博毅超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ』 ダイヤモンド社(2012年4月)を、霧島の病院に入院中の徒然に、と思って羽田空港の売店で買ったことがある。
⇒2012年4月18日 (水):川平法に期待して再入院/闘病記・中間報告(41)
「超入門」というからには、当然原本のエッセンスを紹介しているものだと思ったが、まったくそうではなかった。
モノによりけりであることは、「超入門」書でも当然である。

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2014年8月10日 (日)

危険ドラッグ撲滅のために/日本の針路(24)

乱用者による交通事故が相次いだ「脱法」ドラッグは、「危険」ドラッグに名称変更した。
しかし、名称を変更しただけでは余り効果は期待できないだろう。
⇒2014年7月11日 (金):亡国の脱法ドラッグに有効な規制を/日本の針路(7)
⇒2014年7月25日 (金):「危険ドラッグ」への名称変更だけでは不十分/人間の理解(6)

危険ドラッグの使用経験者は推計約40万人だという。
現在のように、化合物を特定して規制する方式がイタチごっこになるのは当然である。
規制を逃れる化合物は容易に作成できる。
しかも、規制を強めれば強めるほど毒性の強く、しかも正体不明のドラッグが登場してくる。
規制の仕方を考え直さないと乱用は根絶できない。
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特集ワイド:続報真相 危険ドラッグ、治療現場の悲鳴

PCP(フェンサイクリジン)は1950年代に開発された麻酔薬であるが、深刻な副作用があり使用が禁止された。
幻覚・妄想、突発的な暴力行動などの精神症状が特徴で、記憶や思考が通常の意識から切り離される解離症状が何時間か続く。
しかし、1970年代に密造されアメリカ国内で大流行した。
脱法ドラッグの多くは、PCPの類似物質であるといわれる。

毒性の強いドラッグが増えた結果、救急搬送される患者も重症化している。
現在は、入院の必要な患者が3分の2まで増えているという。
悪質な交通事故の絡むケースが増えているのも、毒性の強い薬物にシフトしているからではないか。

厚労省は覚醒剤や麻薬に似た幻覚作用などをもたらす物質を薬事法上の「指定薬物」と定め、製造や販売、さらに所持や使用も禁止している。
昨年、中心構造が同じ物質を一括して規制する「包括規制方式」を導入した結果、指定薬物は現在約1400種類に上る。
しかし、「包括規制方式」でも、特定物質を指定する方式では限界があるだけでなく、より危険な方向に進む可能性があることは上述の通りである。

警視庁は5日、交通事故を起こす前でも運転手が危険ドラッグを使用している疑いが強い場合は道交法違反容疑で現行犯逮捕する運用を始めた。
化学物質が分からなくても、未然に事故を防ごうということだろう。
しかし、疑いの根拠に客観的な合理性がないと、恣意的になる可能性がある。

乱用者が後を絶たないのは、人間の好奇心といった問題を別にすれば、流通ルートがあるからである。
つまり、商売にしている人間がいるということである。
商売にならないようにすることがポイントである。

1つの考え方としては、神経系に強い作用を有する物質(特定された化合物ではなく、混合物も含む)の使用は、医師等の限られた資格を有する人間以外は全面禁止にしたらどうだろうか。
違反者には高額の罰金および刑罰を科して、割に合わないようにすることである。
仲介しても商売にならなければ、手を出す人はいなくなるのではないか。
社会の知恵が問われる問題である。

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2014年8月 9日 (土)

アメリカがイラクで空爆を再開/世界史の動向(23)

アメリカが8日、イラク北部で攻勢を強めるイスラム過激派組織「イスラム国」への空爆に踏み切った。
今回の空爆決定は、イラク政府からの要請に基づく措置であり、イラク国民への迫害に対する人道的被害への対抗策と米国民の保護が目的だとする。
オバマ政権は、イラク戦争の「終結」を宣言していたが、再びイラクに武力介入せざるを得ないことになったわけである。

オバマ大統領は、イラク戦争終結を唱え当選した。
当然、選ばれた」大統領として介入には消極的であり続けたが、空爆せざるを得ない状況に追い込まれたことは、国際情勢がオバマ大統領が考えているようには推移していないことを示している。
オバマ大統領はイスラム国が勢力を拡大しつつある今年初め、「彼らは大学の2軍選手」と発言していた。
しかし、イスラム国は着実に勢力を拡大している。

今回の空爆は、イラク北部クルド人自治区の中心都市アルビルである。
Photo
イラク限定空爆 「イスラム国」標的 軍事行動、撤退以来3年ぶり

イスラム激派組織「イスラム国」の移動砲台がターゲットで、同市に滞在する米国人の保護を目的としている。
限定的なものであるとされるが、戦闘行為が当初の意図を越えて拡大する事例は事欠かない。

イラクでは国民の約60%がシーア派で、約20%がスンニ派である。
「イスラム国」はスンニ派であり、背景にシーア派が軍や主要官庁の高官を独占する現状に対する不満がある。
⇒2014年6月18日 (水):シーア派とスンニ派/「同じ」と「違う」(76)
⇒2014年6月17日 (火):イラクにおける勢力対立の図式/世界史の動向(19)

スンニ派の過激派組織「イスラム国」は今年6月にイラク北部・西部で大規模な侵攻を始め、首都バグダッドをうかがう勢いをみせていた。
「イスラム国」は、ラマダン明けの7月下旬以降に攻勢を強め、同国最大のモスルダムなどを次々と制圧した。
クルド人部隊はほとんど抵抗せずに撤収し、迫害を恐れる住民は混乱に陥った。

だが、「イスラム国」に空軍力はなく、最新鋭の対空兵器も保有していないとみられる。
米軍の空爆は一定の「抑止力」になり得るだろうが、スンニ派は、約16億人のイスラム教徒全体から見れば、約9割を占める圧倒的多数派である。
アメリカがスンニ派を攻撃対象にしたことは、イスラム圏の反アメリカ感情を増幅する恐れがある。
宗教は救いなのか、災いなのか、改めて考えざるを得ない。

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2014年8月 8日 (金)

再び暗い時代に逆行しないために/日本の針路(23)

70年前に私は生まれた。      
清沢洌の『暗黒日記』の1944年の8月8日の項の記述は以下のようである。
⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)

 
 小磯首相、ラジオで放送。何をいっているのか分からぬ。「天皇に帰一し奉る」ということが結論だが、それは何を意味するのか。これぐらい分かったようで分からぬ文字はない。

「何をいっているのか分からぬ」ようなことを首相がいうのは、反知性主義が蔓延していることの表れである。
反知性主義とは、Wikipediaによれば以下のようである。

反知性主義(英語: Anti-intellectualism)は、本来は知識や知識人に対する敵意であるが、そこから転じて国家権力によって意図的に国民が無知蒙昧となるように仕向ける政策のことである。主に独裁国家で行われる愚民政策の一種。

「意図的に国民が無知蒙昧となるように仕向ける政策」をとっているのかどうか分からないが、わが国の現状は「反知性」的であるように思う。
東浩紀氏は、次のようにつぶやいている。

日本は徹底して反知性主義の国(頭いいひとや上品なひとをバカにする国)で、そこがいいとこでもあるからね。アニメとかニコ動とかそういう国だから栄えてるわけでね。むずかしいですよね。
https://twitter.com/hazuma/status/482354534648254464

もちろん異論はあるだろう。
しかし、麻生副総理(元首相)が、未曾有を読めなかったり、アニメ好きなのは周知のことである。
藤原肇『小泉純一郎と日本の病理 Koizumi's Zombie Politics』光文社ペーパーバックス(2005年10月)には、今をときめく安倍首相のカリフォルニア“留学”の実態が語られている。
総理と副総理が揃って余り知的ではないということである。
藤原氏は、『石油危機と日本の運命―地球史的・人類史的展望』サイマル出版(1973年)によって、「日本の運命」ならぬ「私の人生」を左右したひとである。
⇒2009年4月 4日 (土):同級生の死/追悼(6)

ネットが浸透すると、人間の行動が短絡的になる傾向があるのではないかと思う。
LINEなどによるイジメが典型的である。
集団心理がネットによって増幅し、陰湿化しているのではないかと思う。
先日、防衛大学で、上級生による暴力支配が明らかになるという事件があった。
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東京新聞8月4日

まるで中学生のイジメである。
およそ大学生になってやるようなことではないが、暴力支配は反知性主義の最も先鋭化した姿だろう。
問答無用でる。

さいたま市の公民館が俳句の掲載を拒否するというのも、具体的な現れ方は対照的ではあるが、深く考えることを放棄しているという点で共通性がある。
⇒2014年7月31日 (木):「九条俳句」とさいたま市教育長批判/日本の針路(16)
9140807
東京新聞8月7日

70年前の状況に逆行しているように感じるのは私の思い過ごしであろうか?
ちなみに前日の『暗黒日記』の8月7日の項には次のようにある。

 笹川良三とかいう国粋同盟の親分は何千万円の財産家だという。右翼で金のうならぬ男なし。これだから戦争はやめられぬ!

死の商人と国粋主義者はメダルの裏表である。
最近は三島の街中を、右翼の街宣車が大音量で軍歌を流しながら走ることが多い。
嫌な世相であり、70年前に逆戻りしているような感じがする。

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2014年8月 7日 (木)

鎮魂の季節に思う/日本の針路(22)

死者は季節を問わないが、毎年、8月は鎮魂を意識する月である。
⇒2013年8月16日 (金):靖国に祀られざる者の鎮魂

旧暦7月15日が、盂蘭盆(ullambana)と呼ばれる父母や祖霊を供養する行事が行われる日である。
旧暦7月15日は、新暦では2014年は8月10日にあたる。
年により変わり、8月8日頃〜9月6日頃で、2015年は8月28日、2016年は8月17日である。
一般に、月遅れ開催として、8月15日を「お盆」とするところがほとんどである。

お盆の「盆」は、霊に対する供物を置く容器を意味する。
それが、供物を供え祀られる精霊の呼称となったといわれる。
盂蘭盆と盆が混同して習合したという説もある。

祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の1つである京都の五山送り火は、8月16日に行われる。
東山如意ケ嶽の「大文字」が最も有名であり、大文字が送り火の代名詞になっている。
五山とは、如意ケ嶽のほかに金閣寺大北山の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」である。
死者の霊をあの世へ送り届ける儀式であり、鎮魂の月に相応しい行事である。

私が子供の頃は、家でもお盆の行事として、家の出入口で迎え火や送り火を焚いた記憶がある。
家に迎えた精霊は、送り火で送り出すが、船にしつらえた灯籠を川や海へ流すのが精霊流しである。
盆の間に供えた野菜や果物などのお供え物も流したが、いつの頃か河川環境の保全のためであろうが、こういう行事は姿を消した。
現在は仏壇もないマンション暮らしであるから、「お盆」の過ごし方と言っても、心の持ちようくらいしかない。

偶然ではあろうが、8月15日は終戦の日である。
戦争で亡くなった人を慰霊する意識と重なって、鎮魂の思いが増すのであろう。
私は、戦死者への鎮魂ということでは、青春の愛読書阿川弘之『雲の墓標』や大木惇夫の詩『言うなかれ、君よ別れを』をベースにした久世光彦さん演出のTVドラマが思い浮かぶ。
⇒2008年5月27日 (火):偶然か? それとも……③『雲の墓標』
⇒2008年5月29日 (木):『言うなかれ、君よ別れを』 

そして、広島、長崎への原爆投下も8月である。
日本人にとって、殊に忘れられない、忘れるべきでない出来事であろう。
松井一実・広島市長は、6日の平和記念式典で、「今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで、69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要がある」と指摘した。
出席した安倍首相の胸には響かなかったようであるが。

戦争に良い戦争も悪い戦争も、基本的にはないと考えるが、原爆投下こそ戦争犯罪として考えるべきであろう。
⇒2007年8月 9日 (木):長崎への原爆投下
今もイスラエルによるガザの空爆の様子が映像で伝えられているが、どう見ても犯罪行為であろう。
戦争の大義などは、振り返ってみれば大概虚妄であるか、せいぜい一面の真実に過ぎない。
大東亜戦争におけるアジアの解放、イラク戦争におけるイラクの自由・・・・・・。
⇒2014年4月30日 (水):吉本隆明『高村光太郎』/私撰アンソロジー(32)

現在も世界のあちこちで戦争状態である。
安全保障環境の悪化ではあるが、集団的自衛権が抑止力になるのか?
広島市長の言葉の方にリアリティが感じられるのではなかろうか。

私自身は、昭和20年の8月15日は未だ1歳であったから、もちろん一切の記憶はない。
初めての記憶は4歳くらいであろう。
それ以後の社会の変動は目覚ましいものである。
一生のうちに、何世代分かの体験をできたということは、有難いことというべきであろう。

そして、多くの同世代やもっと若い人たち見送った。
私自身が、脳血管障害の部位がもう少し違えばどうなっていたかも分からないし、手当てが遅れていればということもある。
⇒2010年3月 6日 (土):闘病記・中間報告

幸いにして、生きながらえてささやかな活動もできる。
ムダにしてはいけないと思う。

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2014年8月 6日 (水)

「河を渡って・・・」事故が起きた/日本の針路(21)

「河を渡って木立の中へ」という言葉がある。
扇谷正造氏の著書で目にした記憶があり、何かの折に引用した記憶があるが、どこに記載されていたか思い出せない。
しかし、「河を渡る」という言葉が、カエサル(シーザー)のルビコン川を渡る際の「際は投げられた」と重なって、決断を要求するものとして頭に残っている。

手許にある『桃太郎の教訓―減速経済時代を生き抜く』PHP研究所(1976年1月)を見ると、扇谷氏が講演に行ったときなどの揮毫に好んで書く、という記述があり、次の言葉が添えられている。

木立はもちろん“憩い”を意味している。人生とは、しょせん、目前の幾つかの河をわたり続けて行くことではないか。

河を渡るのは、リスクのある勇気がいる行為である。
細心の注意を求められるとも言え、安息は渡った先に行かなければ手に入らない。
しかし先日神奈川県山北町で起きた事故は、河を渡ることを余りに安易に考えていたのではなかろうか。

 1日午後8時20分ごろ、神奈川県山北町中川のウェルキャンプ西丹沢で「子供が川に流された」と119番通報があった。県警松田署によると、同県藤沢市からキャンプに来ていた家族4人が流され、父親は自力で岸にたどり着いたが、母子3人が行方不明になっている。同署や地元消防が行方を捜している。
 署やキャンプ場によると、周辺では同日午後6時ごろから雨が降り、同7時半ごろに急に強くなって川が増水。4人は車で川を渡ろうとしたが、車が川の中で横転したという。
 気象庁によると、山北町の丹沢湖の地域気象観測システム(アメダス)で午後8時45分までの1時間に22・5ミリの強い雨を観測していた。
 4人は四輪駆動車専用のキャンプサイトにいて、川を渡って炊飯棟やトイレ棟がある側へ渡ろうとしたとみられる。
川に流され母子3人不明 神奈川・山北のキャンプ場 父親は岸にたどり着く

現場は、三保ダムによってできた丹沢湖に流入する河川で、静岡県にも近く格好のドライブコースである。
「丹沢黒部」とも称される急峻な地形であり、晴れていればどうということもないが、1999年の玄倉川のキャンプ事故が示しているように、雨が降ると一転する。
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東京新聞8月3日

キャンプ場の運営会社は中州を「アドベンチャーゾーン」と名付けて、浅瀬を渡れる四輪駆動車で来た客だけがキャンプできる場所にしていたという。
このような川の中州が危険なことは、運営会社は十分に承知していたはずである。
公共用物である河川を私的利益のために利用することが許されるのであろうか?

一方、県は2008年から少なくとも6回、中州を広げるためとみられる土砂を運営会社が許可なく運び入れていたなどとして土砂の撤去を指導。また、河川区域内にトイレや浄化槽、洗い場など違法な工作物があるとして、12年に撤去を運営会社に命じていた。
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危険性、以前から指摘 キャンプ場、母子3人死亡

河川管理者(県)も不適切と考えて改善命令を出していた。
しかし改善は、結果としてなされなかったのである。
に強制力はないのであろうか?

事故は、運営会社にも河川管理者にも、十分に予見されたはずである。
基本的には自己責任であろう。
自然の脅威を甘く見ていたと言っても厳しすぎるということではないだろう。

同時に、河川管理者の不作為によるとも言えるのではなかろうか。
キャンプをしている当人も、キャンプ場の管理者も、河川管理者も、河川のリスクに対して他人事のように感じる。
その意味で、現代社会の一側面を象徴しているように思う。

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2014年8月 5日 (火)

STAP論文問題のキーパーソン・笹井芳樹/追悼(53)

衝撃的なニュースである。
STAP細胞の研究において、小保方氏の指導役だったとされる理化学研究所の笹井芳樹氏が自殺した。

 STAP細胞論文の責任著者の一人である理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB、神戸市中央区)の笹井芳樹副センター長(52)が5日午前8時40分ごろ、CDBと隣接する先端医療センター内で首をつった状態で見つかり、午前11時3分、搬送先の病院で死亡が確認された。兵庫県警が自殺とみて調べている。理研幹部らに宛てた遺書が残されていたという。STAP細胞を巡っては、理研が4月以降、論文通り再現できるか検証実験を進めており、8月中に中間報告を出す予定だった。
理研:笹井芳樹副センター長が研究棟で自殺 現場に遺書

STAP細胞をめぐる一連の出来事には、ミステリアスな部分が多い。
私がSTAP細胞と命名されたものが何であるのか、なんとか理解することができたように思ったのは、「日経サイエンス」誌の8月号に載っている『STAP細胞の正体』という解説記事を読んでのことであった。
⇒2014年7月10日 (木):STAP論文撤回理由書書き換えの怪/知的生産の方法(99)

しかし、STAP細胞をめぐっては、さらに大きな構図の疑惑もちらほらしている。
「新潮45」の8月号には、小畑峰太郎という名前で『「STAP論文捏造事件」理研を蝕む金脈と病巣』という記事が載っている。
株式会社ヘリオスという理化学研究所認定ベンチャーをめぐるきな臭い話題が触れられている。
安倍政権の肝いりの「再生医療プロジェクト」にも、怪しげな人脈がちらついているようである。

笹井氏が、疑惑の中でどのようなポジションを占めていたのかは分からない。
しかし、疑惑のキーパーソンの1人であったことは間違いないだろう。
遺書に何が書かれているかは不明であるが、真相は深い闇に閉ざされたようにも思える。
笹井氏の自殺を聞いて、胸をなで下ろしている巨悪がいるのではなかろうか?

笹井氏は、36歳という異例の若さで京都大学医学部教授という斯界の最高の地位に座った。
文字通りの秀才・エリートであった。
Wikipedia(8月5日最終更新)による紹介は以下の通りである。

神経系の初期発生の遺伝子・細胞レベルの研究者として知られる。世界で初めてES細胞による網膜の分化誘導に成功し、立体的な網膜を生成することにも成功した
京都大学助教授、教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(Center for Developmental Biology)グループディレクター、同 副センター長を歴任。受賞実績多数。2014年に発表・撤回されたSTAP論文では、様々な責任が追究されている。

STAP論文で追究されている責任とは、たとえば理化学研究所が設置した外部有識者による改革委員会(委員長=岸輝雄・新構造材料技術研究組合理事長)の提言(6月12日)で指摘された以下のようなことである。
1)小保方氏の採用
通常実施する英語による公開、非公開のセミナーをせず、推薦状もない状態だったのに内定を決めるなど、「にわかには信じがたい杜撰さ」と批判している。
2)成果主義の負の側面
iPS細胞研究を凌駕する画期的な成果を獲得したいというCDBの強い動機が、成果に囚われることになった。
3)笹井氏の責任
研究の秘密保持を重視するあまり、外部からの批判や評価が遮断された閉鎖的状況を作り出した。

以上は、いずれも笹井氏が直接責任を負うべき事項であった。
STAP細胞論文に関する疑惑が表面化して以来、笹井氏に加わったプレッシャーは並大抵のものではなかったであろう。
輝かしい過去の履歴と直面する苦難を対比して、絶望的な心理状態に陥ったのは理解できなくもない。
「生きていても、もういいことは期待できない」と思った時、死への願望が顕在化する。

しかし、日本の科学界には、STAP細胞問題よりも大きな(と思われる)捏造事件が、最近発覚している。

 東京大分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授らが発表した論文に不適切な画像が使われていた問題で、東大は1日、加藤氏が論文の不正を隠すため、実験ノートの捏造(ねつぞう)を指示していたとする調査報告を発表した。 報告では、5本の論文について実験画像の捏造、改ざんを認定。加藤氏のほか、柳沢純元助教授、北川浩史元特任講師、武山健一元准教授の計4人が不正に関与したと判断した。4人はいずれも東大を辞めている。東大は他の論文についても調査を続け、研究費の返還請求も検討する。
元教授が実験ノート捏造指示、東大が論文不正調査報告

STAP細胞問題との対比で言えば、こちらは明らかに組織的な捏造である。
しかも教授以下、研究室の指導的メンバーが揃ってであるという意味で、(現時点の)STAP細胞問題よりも深刻だと思われる。

笹井氏は、打たれ弱いエリートの悲劇なのかも知れない。
小保方という若い(かつ特異なキャラクターの)女性で注目を浴びた事件は、歴史に残るものとなった。
理研の野依良治理事長は「驚がくしている。世界の科学界にとって、かけがえのない科学者を失ったことは痛惜の念に堪えない」とのコメントを発表した。
野依氏の痛惜の念は共有するが、疑惑を解明してこそ、笹井氏も報われるというものだろう。
合掌。

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2014年8月 4日 (月)

親守詩とコミュニケーション/日本の針路(20)

7月28日の日本経済新聞「春秋」は、ルナールの『にんじん』に触れ、親子のコミュニケーションについて書いていた。
夏休みは親子のコミュニケーションを深める良いチャンスになり得る。
このところ、親による子供の虐待のニュースが多い。
中でも厚木市のケースには胸が潰れるような思いがする。

当時5歳の男児が衰弱死し、約7年後に白骨遺体で見つかったというものである。
警察は36歳の父親を保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕したが、5歳と言えば腕白になる頃である。
どうしてそんなことになってしまったのか。

 男児は平成13年に生まれ、今年中学生になるはずだった。父親は、18年秋から翌年1月ごろにかけて男児に食事や水を十分与えず、死亡させた疑いがもたれている。親の自覚や愛情が感じられず、やりきれない事件だ。
 育児放棄や虐待を防ぐ立場の行政も対応できなかった。神奈川県の厚木児童相談所(児相)や厚木市は、男児が死亡する以前に、異変を把握していたことを認めている。男児が3歳当時の早朝、はだしでいるところを保護した際も迷子として扱い、調査しなかった。3歳6カ月児健診の未受診時も所在確認が十分でなかった。
 小学校入学時は事前の学校説明会に親が参加しなかったが、市教育委員会の家庭訪問に応答がなかったため、「空き家」と判断した。厚生労働省の方針に伴い、所在不明児童を詳細に調査した結果、今年5月にようやく不明の事実が県警に通報された。
虐待死7年放置 男児救う機会なぜ逃した

母親も含め、親の身勝手にもほどがある。
昔ならばコミュニティの目があって、虐待が行われていれば何かしらの通報があったのではないか。
隣は何をする人ぞ、は人間関係の煩わしさから解放したが、そのしわ寄せは弱者に襲いかかっている。

そんな中で、「親守詩」という耳慣れない言葉を知った。
「親守詩」は「子守歌」に対する造語である。

 「子守歌」をもじった親守詩は、子どもが作った上の句(5・7・5)に親が下の句(7・7)をつなげる連歌。口にできない思いを伝え合う機会として高橋史朗明星大教授が提唱し、全国で普及を目指す動きがある。
「親守詩」普及へ市民有志ら一丸 7月、裾野市大会

その裾野市大会の様子が静岡新聞に掲載された。
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静岡新聞7月29日

アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールは、文化の類型として「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」を提示した。
「コンテクスト」とは、コミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことでである。
ハイコンテクスト文化とは、コンテクストの共有性が高い文化のことであり、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことである。
以心伝心の文化といえようか。

もちろん、どちらが優れているとか劣っているという問題ではない。
多民族か否か、多宗教か否か、歴史はどうか等々の要因の結果である。
日本は典型的なハイコンテクスト文化であると思われる。
⇒2014年6月27日 (金):ITビジネスの動向と日本の伝統/知的生産の方法(98)

中でも連歌(句)は、五七五と七七を交互に繋げていくものであるが、前句の心を付け句にどう繋げるか派コンテクスト理解そのものであろう。
その最もシンプルな形が、五七五と七七を2人で共作するものである。
つまり、親守詩は、ハイコンテクストなコミュニケーションの実践である。

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2014年8月 3日 (日)

佐世保女子高生殺人事件は防げたか?/日本の針路(19)

長崎県佐世保市で、15歳の高校1年生の女子生徒が、クラスメイトの16歳の少女に殺害されるという事件が起きた。
加害者・被害者共に未成年であり、慎重に考えるべきだろうが、いたずらに目を背けるわけにもいかないと思う。
事件の概要は以下の通りである。

 すでに報道されているとおり、殺害された女子生徒と容疑者少女は友人関係。少女が一人暮らしをする自宅マンションに連れ込み、ハンマーで頭を殴打。その後、ひも状のもので首を絞め窒息死させた。さらに、ノコギリで首と左手首を切断し、腹部も大きく切り裂かれていたという。

佐世保市は、長崎県で2番目の都市である。
人口約25万人程度の地域の中核市で、「非県都」としては比較的大きな規模を持つ都市である。
旧海軍の軍港として有名な港町であり、現在も造船および国防の町として知られる。Photo
佐世保市

報道は一種の猟奇的な事件として扱われている。
確かにそういう面があるのは否定できないし、小動物の解剖や化学薬品に興味があったことなどから、伊豆の国市のタリウム事件との類似性が指摘されている。

 佐世保の事件の容疑者少女は、小学6年の時に、給食に漂白剤を混ぜる問題行動を起こしている。中学に入ると小動物の解体実験にハマっていたという報道もある。
 静岡の事件においても、犯人の少女は、薬局から入手した劇物であるタリウムを母親の食事に混ぜ、衰弱していく様子を観察日記としてインターネットに記録していた。ハムスターや金魚などを解剖していた点も共通項がある。さらに、静岡の少女は、学校では成績優秀で化学部に所属しており、今回の事件の加害者少女も、成績は東大を目指すほど優秀であったと言われている点も似ている。

リケジョ予備軍なのだろうが、これらの事象を関連付けて論ずるのは短絡的だろう。
しかし、注目すべきなのは、逮捕された少女を知る精神科医が、6月に佐世保こども・女性・障害者支援センター(児童相談所)に「このままでは人を殺しかねない」という趣旨の相談をしていたという報道である。

 同センターはその際「助言した」としているが、精神科医が少女の実名を明かさなかったことから、関係機関に連絡するなどそれ以上の対応はしなかったという。
 県関係者によると、精神科医は少女が過去に給食への洗剤混入や猫の解剖、父親をバットで殴ったことを知っており「このままでは人を殺しかねない」という内容を告げたという。
 同センターは相談内容について「個人情報の保護と守秘義務がある」として明らかにしていない。
高1同級生殺害:6月、医師が「人を殺しかねない」

まあ、結果論ではあろうが、センターが何らかのアクションを取っていれば、事件は防げたのかも知れない。
「精神科医が少女の実名を明かさなかったこと」を不作為の理由にすることは、「個人情報の保護と守秘義務がある」から当然ではないか。
何となくセンターの面倒なことには介入したくないという姿勢が見えるような気がする。
児童相談所に持ち込まれる案件は、未然の段階で対応する方がいいに決まっている。

私は報道を聞いたとき、先ず第一に父親の行動に疑問を抱いた。

 関係者によると、父親は都内の有名私大卒で佐世保市の名士。冬季競技のアマチュア選手としても活躍し、全国規模の大会に毎年のように出場していた。女子生徒も同じ競技に親しみ、女子生徒と同じ高校から父親と同じ私大に進んだ兄も選手として活動、母親はこの競技の連盟会長を務めていたという。
・・・・・・
 今年5月、女子生徒は幼なじみの女性(17)に「お母さんが亡くなって、すぐにお父さんが別の人を連れてきたから、お母さんのこと、どうでもいいのかな」と落ち込んだ様子をみせていた。この女性は「新しいお母さんになじめなかったようだ。家にいづらくなり、1人暮らしを始めたと思う。親のストレスが事件の一番の原因では」と振り返った。
超エリート一家が… 複雑な環境が猟奇的行動の遠因に 佐世保の同級生殺害

父親は市内で法律事務所を経営する弁護士だったというが、弁護士が市の名士として扱われるのは一般的である。
今回の事件の前に父親をバットで殴打してかなりの怪我を負わせているという。
にもかかわらず、マンションで一人暮らしをさせるという感覚が分からない。

それに再婚の段取りである。
詳しい事情が分からないで言うのは慎むべきだろうが、妻が亡くなって(昨年の10月という)今年再婚というのはいかにも早過ぎるのではないか。
もっとも、女子生徒の弁護人は、接見で報道内容を聞いた少女が驚き、訂正を求めたという。

 弁護人は、接見で直接聞いた内容として、少女は(1)父の再婚には賛成だった(2)父を尊敬している(3)母が亡くなって寂しく、新しい母親が来てうれしかった(4)すぐに慣れ、仲良くしていた-と文書で指摘。被害者についても「仲の良い友だちだった。本当に良い子だった」と述べたと明らかにし、トラブルや恨みはなかったとした。
少女側、報道に“反論”

私もそうなのだと自戒するが、とかく第三者は自分の理解したいように理解しがちである。
冷静で客観的な報道を待ちたい。

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2014年8月 2日 (土)

検察審査会、東電幹部ら「起訴相当」と議決/日本の針路(18)

東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会は31日、東京電力の勝俣恒久元会長(74)ら元東電幹部3人について、「起訴相当」と議決したと公表した。
あれだけの事故を起こしながら、誰も罪を問われないのは如何なものかと思っていたので、検察審査会の議決は妥当であると考える。
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東京新聞8月1日

私は、小沢一郎氏の裁判に関連し、検察審査会のあり方に疑問を呈したことがある。
⇒2012年2月18日 (土):小沢裁判に対する疑問
⇒2010年10月 9日 (土):検察審査会/理念と現実の乖離(4)
⇒2010年10月 8日 (金):冤罪と推定無罪/「同じ」と「違う」(22)

東京地検は再捜査した上で起訴か不起訴か改めて判断する。
再び不起訴とした場合でも、検察審査会が2度目の審査で再び起訴すべきだと議決をすれば、検察官役に指定された弁護士が強制起訴することになる。
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東電元会長ら3人「起訴相当」福島原発事故で

ほかに起訴相当となったのは、武藤栄元副社長と武黒一郎元副社長であり、小森明生元常務は不起訴不当、別の元副社長ら2人は不起訴相当とした。
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「東電元3幹部 起訴相当」福島原発事故 検審議決 検察、再捜査へ


1つの焦点は、東電が2008年に15m超の津波を試算しながら対策を取らなかったことが過失に当たるかどうかだった。

 東京地検は「最も過酷な条件での試算で、数値通りの津波の襲来を予測することは困難だった」として過失を認めなかった。
 これに対し検審は「地震や津波が具体的にいつどこで発生するかは予見できない。想定外の事態が起こりうることを前提とした対策を検討しておくべきだ」と指摘。試算を受けた東電の対応を「時間稼ぎ」と断じた上で「容易に無視できないと認識しつつ、何とか採用を回避したいとのもくろみがあった」と批判した。
 
 勝俣元会長は事情聴取で「重要な点は知らなかった」と供述したが、検審は「信用できない」と一蹴。「想定を大きく超える津波が来る可能性について報告を受けたと考えられる。東電の最高責任者として各部署に適切な対応策をとらせることができた」とした。
「東電元3幹部 起訴相当」福島原発事故 検審議決 検察、再捜査へ

立件し、有罪にするには難しい課題があることは想定される。
しかし、事故の当事者がまったく免責されるというのは、社会正義に反するのではないか。
東電の4~6月期の決算発表は、経常黒字だった。
「現場を中心に徹底的にコストダウンにつとめてきた結果だ」と広瀬社長は強調するが、電力料金を値上げしていることを忘れては困る。

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2014年8月 1日 (金)

水に学ぶ/日本の針路(17)

8月1日は「水の日」、7日までが「水の週間」である。
水資源の大切さを、学び・知ろうという趣旨だ。

静岡県の沼津市と三島市の間の清水町に、柿田川という一級河川がある。
かつて、柿田川の水目当てに、石油コンビナート計画が立てられたことがあった。
地域住民等の反対で、計画がとん挫し、現在も清冽な水環境が保全されてる。
⇒2014年7月20日 (日):石油コンビナート阻止闘争50周年/技術と人間(1)

現在でも、100万㎥/日≒10㎥/秒の湧水量があると言われるが往時はもっと多かったという。
上流域での取水等により減少した。
⇒2009年7月29日 (水):湧水量の減少の原因と影響

富士山への降水が、地下水あるいは伏流水となって、この地点で湧出する。
国道1号線のすぐ脇に水源地がsるというのも他に例がないのではないか。
⇒2009年7月31日 (金):富士山湧水の湧出モデル

初めて見る人は大いに感激する。
全長はわずかに約1.2kmで、日本で最も短い一級河川であるが、長良川、四万十川とともに日本三大清流に数えられている。
1985年に名水百選に選定された。

柿田川の横にある柿田川公園に水神を祀る貴船神社がある。
本家(総本社)の京都に比べるべくもないが、鳥居の前に「水五訓」の石碑が建っている。
「水五訓」は、大河ドラマでお馴染の『軍師官兵衛』によるとの説もあるが、出家してからの号・如水からのこじつけらしい。
⇒2014年7月 7日 (月):三島北高校のグローバル人材教育/日本の針路(5)

如水といえば、「上善如水」という言葉がある。
日本酒の銘柄として知られている。
良い酒は、限りなく水に近いものだ、というパラドクスのような話を聞いたことがあるが、原典は『老子』「老子」である。
「上善」とは、理想的な生き方のことで、そういう生き方をしたいと願うならば、水のあり方に学べということである。
学ぶべき「水」の特徴とは、以下のようなものだと書いている。

一つは、その柔軟な性質である、
四角な器に入れれば四角な形になり、丸い器に入れれば丸くなる。
器に逆らうことなく形を変える柔軟さである。

二つは、水低いところに流れていく。
低いところに身をおくのは嫌なものだが、謙虚な姿で、自分の能力や地位を誇示しようとしない。

三つは、内なる大いなるエネルギーを秘めていることである。
緩やかな流れは、人の心を癒す力を持っているし、速い流れは、硬い岩をも砕く力強い力も持ってる。

このような水の特徴に学べば、理想の生き方に近づくということである。
大岡信さんに『故郷の水へのメッセージ』という詩がある。
三島市の桜川沿いの水辺の文学碑に刻まれている。

地表面の七割は水
人体の七割も水
われわれの最も深い感情も思想も
水が感じ 水が考へてゐるにちがひない

水は地球上において普遍的な物質であるが、同時に生命維持に不可欠の物質でもあることを、見事なレトリックで表現している。
私たちは、「地表面の七割は水」であることに慣れてしまい、「人体の七割も水」であることを忘れがちである。

水は地球上を循環しているが、利用可能な淡水は偏在しており、かつ表流水の六割が国境をまたぐ河川を流れる。
「日本人は水と安全はタダと考えている」と批判されたことがあったが、「21世紀は水争いの世紀」と言われるように、水は戦略的資源になっているのである。

考えてみれば、液状の水が存在するのは奇跡に近い。
引力と水の物性(沸・融点、比重など)との絶妙なバランスの結果であるが、存在するのが難しいという意味においても、水は「有難い」物質といえよう。
そして、水こそ、グローカルすなわち、グローバル&ローカルな存在である。
上善を目指して、水に学びたいと「水の日」に思った。

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