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2014年7月 9日 (水)

親鸞と本願寺/京都彼方此方(8)

静岡新聞、東京新聞等で連載していた五木寛之『親鸞・完結篇』が7月6日に終わった。

 十一月二十八日、朝方、つよい風が吹いて庭木が折れた。
 親鸞はその日、朝から呼吸がとぎれたり、また大きくあえいだりしながら、すこしずつ静かになり、やがて昼過ぎに口をかすかに開いたまま息絶えた。自然な死だった。
 そばにつきそっていたのは、覚信と蓮位、有房、顕智、専信、そして尋有の六人だけだった。

さすがにストーリーテラーである。
エンディングに向けて、息詰まるような展開で、朝の楽しみだった。
Wikipediaによれば、親鸞の入滅は以下のようである。

親鸞は、弘長2年(1262年 )11月28日 (グレゴリオ暦換算 1263年1月16日 )、押小路(おしこうじ)南、万里(までの)小路東の「善法院」(弟の尋有が院主の坊) にて、享年90(満89歳)をもって入滅する。臨終は、親鸞の弟の尋有や末娘の覚信尼らが看取った。遺骨は、鳥部野北辺の「大谷」に納められた。 流罪より生涯に渡り、非僧非俗の立場を貫いた。

私はそれから750年という節目の年に、所縁の龍谷ミュージアムや西本願寺を訪れる機会を得た。
⇒2011年11月30日 (水):龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)

本願寺の成立については、Wikipediaは以下のように記している。

文久9年(1272年)(親鸞入滅より10年後)、親鸞の弟子たちの協力を得た覚信尼により、「大谷」の地より「吉水の北の辺」に改葬し「大谷廟堂」を建立する。(永仁3年(1295年)親鸞の御影像を安置し、「大谷影堂」となる。)
元応3年(1321年)、「大谷廟堂」は本願寺第三世 覚如により寺院化され、「本願寺」と号し成立する。(応長2年〈1312年〉に、「専修寺」と額を掲げるが、叡山の反対により撤去する。)

本願寺は京都駅近くの一等地に、東西が併存している。
もちろん存在は学生時代から知っていたが、正直にいえば、余り関心がなかった。
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東西の本願寺がどう違うかも知らないで過ごしてきた。
2011年に西本願寺を訪ねて、その伽藍の大きさにびっくりした。
改めて本願寺の分立について引用すると、以下のようである。

関ヶ原の戦い後、かねてから家康によしみを通じていた教如は家康にさらに接近する。慶長7年(1602年)、後陽成天皇の勅許を背景に家康から、「本願寺」のすぐ東の烏丸六条に四町四方の寺領が寄進され、教如は七条堀川の本願寺の一角にあった隠居所から堂舎を移しここを本拠とする。「本願寺の分立」により本願寺教団も、「准如を十二世宗主とする本願寺教団」(現在の浄土真宗本願寺派)と、「教如を十二代宗主とする本願寺教団」(現在の真宗大谷派)とに分裂することになる。ただし教如の身分は死ぬまで公式には「本願寺隠居」であって必ずしも本願寺が分立したとは言い切れない。つまり形の上では七条堀川の本願寺の境内の一角に構えていた教如の隠居所(本願寺境内の三分の一を占め阿弥陀堂や御影堂もあった)を、六条烏丸に移させたにすぎない。東本願寺が正式に一派をなすのは次の宣如のときからである。
慶長8年(1603年)、上野厩橋(群馬県前橋市)の妙安寺より「親鸞上人木像」を迎え、本願寺(東本願寺)が開かれる。七条堀川の本願寺の東にあるため、後に「東本願寺」と通称されるようになり、准如が継承した七条堀川の本願寺は、「西本願寺」と通称されるようになる。
本願寺の歴史

ややこしいことである。
驚くべきことに、親鸞の実在性が確認されたのは、大正期以降のことであるらしい。
晋遊舎ムック『日本史の新常識100』(2014年7月)の「日本仏教界の革命者」の項に、次の記載がある。

 実際、明治半ばの歴史学界は親鸞の存在を否定する方向に傾いた。
・・・・・・
 大正9年(1920年)から平成の今日まで、親鸞実在の証拠が断続的に発見された。
・・・・・・
 さらに、常楽台には「親鸞木像の胎内に本人の遺骨を納めた」という伝承があった。平成20年(2008年)、根立研介京大教授の調査で、その事実も確認されたのだ。

私は親鸞の基礎資料についてはすでに研究され尽くしているかと思っていたが、とんでもない認識違いのようである。

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