「九条俳句」とさいたま市教育長批判/日本の針路(16)
さいたま市の三橋公民館という施設で出している月報に、俳句サークルの互選句が掲載を拒否されるという事件が起きた。
⇒2014年7月 5日 (土):さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)
バカバカしいほどの過剰な自己規制であり、すぐに撤回されるだろうと思っていたが、稲葉康久教育長は、記者会見で、「集団的自衛権の問題が背景にあり、掲載すべきではなかった。今後もこの立場をご理解いただく」と話し、「世論を二分するような」テーマの作品は載せない基準にする考えを示したという。
公式見解だろうが、どういう思想背景を持った人なのだろうか?
東京新聞7月30日
教育長の「見識」はいくつかの点で間違っていると言わざるを得ない。
第一に、この句が市の見解(作品)ではない、ということだ。
俳句サークルの互選句であり、サークルに集う人たちの学びにダメを出しているということを理解していない。
公民館の役割は以下の通りである。
公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術および文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。
社会教育法第20条
行政が住民を規制するのは本末転倒というものであろう。
第二に、不掲載とされている句は、以下のようなものである。
梅雨空に「九条守れ」の女性デモ
デモに賛成とか反対とかを主張しているわけではない。
もちろん、印象としては、デモに対するシンパシーを感じる。
しかし、俳句として、明確に主張しているものではない。
社会的事象には、世論を二分しているものがほとんどであろう。
とすれば、社会詠というテーマを否定することになる。
「実際生活に即する教育」という趣旨と相容れないだろう。
第三に、自主規制はいづれ他人に対する規制に繋がる。
そして、それが弾圧に繋がることは新興俳句事件の事例をみれば明らかである。
表現の自由などと大上段に振りかざさなくても、不当なことは明らかであろう。
さいたま市の判断は滑稽にすら思える。
しかし、かくして暗黒の時代への階段を一歩一歩降りて行くのだ。
⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)
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