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2014年7月26日 (土)

法秩序の安定性と市民感覚/日本の針路(13)

裁判員制度の本質が問われている。
最高裁が、検察側の求刑の1.5倍に当たる裁判員裁判の判決に対して、「他の裁判結果との公平性が保たれた適正なものでなければならず、過去の量刑傾向を共通認識として評議を深めることが求められる」との判断を示した。
市民感覚よりも過去の量刑相場を尊重すべし、ということである。

裁判員制度にとって、量刑判断は難しい問題である。
市民感情は、時々の世相に傾きがちである。
法的秩序の安定性ということを考えれば、過去の量刑とのバランスも必要である。
⇒2009年5月16日 (土):裁判員制度と量刑判断

制度導入の趣旨は、余りに市民的常識と乖離した判決の是正にあると理解する。
たとえば冤罪である。
私たちは、すでに検察当局ですら証拠を捏造するということがあり得るということを知ってしまった。
⇒2009年6月 6日 (土):冤罪と裁判員制度
⇒2014年3月28日 (金):袴田事件再審開始決定と司法制度/花づな列島復興のためのメモ(318)
⇒2012年2月18日 (土):小沢裁判に対する疑問

ありていに言えば、専門家と称する人たちを信用できなくなっているのである。
原発に対して、あるいは諫早湾の干拓に対して、あるいは経済政策に対して・・・
信用に足る専門家は、どこに、何人いるのだろうか、という気になる。
法曹についても同様ではないか?
⇒2008年1月 9日 (水):非常識な判決

であるから、裁判に市民感覚を導入すること自体には賛成である。
しかし、裁判員制度が最適解かどうかについては疑問である。
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問

裁判の判決には、高度の専門性が要求される。
法曹の世界に難しい司法試験が課されているのは当然であろう。
と同時に、人間性の洞察に基づいた、言い換えれば教養豊かな判決であって欲しいと願う。
⇒2009年1月25日 (日):裁判における専門性と教養性

裁判の現状はどうか?
今回の最高裁の判断は、過去の量刑傾向を基準とすべし、ということである。
もちろん、過去の量刑の傾向と大きく乖離することにはリスクが伴う。
しかし、それが市民感覚なのである。

市民感覚を否定することは、すなわち裁判員制度を否定することではないのか?
裁判員裁判と求刑との関係で、以下のようなデータがある。
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大阪・寝屋川の1歳虐待死:最高裁、求刑超え判決破棄 裁判員経験者、意見割れ

もちろん、裁判員裁判においても上級審で否決されることがあるのは当然である。
しかし、過去の量刑相場を尊重すべしということでは、何のための制度かということにならないか。
過去の判例の量刑で決めるのなら、ロボットでもできる。
いかに感情を組み込むかが人間の行う裁判とも言える。

 「プロの裁判官にとっては数ある裁判の一つでも、裁判員にとっては唯一の裁判」。2011年に東京地裁が強盗殺人罪に問われた男に死刑判決を出した際に裁判員を務めた女性は、2審で無期懲役に減刑された際、「市民感情を反映した判断が否定されたことに反感を覚えた」という。今回の最高裁判決についても「被告にも会わず、裁判記録と今までの事例との比較だけで、裁判員の判決が見直されるのは納得がいかない」と語った。
大阪・寝屋川の1歳虐待死:最高裁、求刑超え判決破棄 裁判員経験者、意見割れ

市民と裁判官は、下級審において、従来の量刑は軽過ぎると判断した。
裁判官だけの上級審でそれを否定する十分な根拠が示されているのだろうか?
私には裁判員の経験はないが、上記の感想に同調したいと考える。

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