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2014年7月 3日 (木)

閣議決定文章の非明晰性と論理破綻/日本の針路(2)

政府が集団的自衛権行使を容認した「閣議決定(全文)」を読んでみた。
一読ではなかなかすんなりとは頭に入ってこない。
構成は以下のようになっている。

前文
1 武力攻撃に至らない侵害への対処
(1)安全保障環境の変化と課題
(2)取り組みの強化
(3)手続の迅速化
(4)米軍部隊との切れ目のない対応の必要性
2 国際社会の平和と安定への一層の貢献
(1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」
 ア 後方支援の法律上の枠組み
 イ 「積極的平和主義」の立場
 ウ 「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所での支援活動
(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用
 ア 従来の立場
 イ 「積極的平和主義」の立場
 ウ 「武力の行使」を伴わない警察的な活動
 (ア)警察的な活動の必要条件
 (イ)国家に準ずる組織の不存在
 (ウ)内閣の裁量
 (エ)警察比例の原則
3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置
(1)安全保障環境の変化と解釈変更の必要性
(2)憲法第9条と1972年の政府見解
(3)我が国と密接な関係にある他国と自衛権
(4)武力行使の要件
(5)民主的統制の確保
4 今後の国内法整備の進め方

閣議決定の文章が明晰ではないのは、公明党を説得するために論理をひねくり回した結果であろう。
3-(1)に、次のような文章がある。

これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。

これは、明らかに矛盾する2つのことを両立させようということである。
「従来の憲法解釈を変更」と「政府の憲法解釈の論理的整合性と法的安定性」を両立させることはできない。
そのため、1972年の集団的自衛権は行使できないという政府見解を、集団的自衛権行使容認の論拠にするという「離れ業」になった。
1972年政府見解を引用しよう。

 ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。
 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

「集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」と明言している。
それ(従来の論理)を「安全保障環境の変化があって」不十分というのならば、解釈変更ではなくて、論理の変更である。
論理の変更ならば、条文の変更をすべきことは言うまでもない。
論理の変更というよりも、論理のスリカエと言うものもある。

 これを批判するのは小林節・慶応大名誉教授(憲法学)だ。「例を挙げれば『あなたは美しいから好きだ』と言っていた人が『あなたは美し過ぎるから嫌いだ』と言い始めるようなものだ。要するに政府にとって論理などどうでもいい。やりたいことをやると言っているに等しい」
 本来は「改憲論者」である小林さんが続ける。「『安保環境』の変化を持ち出すのはトリックに過ぎない。従来の憲法解釈では尖閣諸島を守れないから集団的自衛権の行使を可能にし、日米同盟を強化すると安倍晋三首相は訴えるが、尖閣は日本の領土だから個別的自衛権で対応できる。強迫観念をあおる手法に惑わされてはならない」
集団的自衛権の行使容認 閣議決定文の「ごまかし」 憲法専門家らがキーワードで読み解く

2-(2)-ウ-(イ)で、「「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる」としているが、イラクの現状をみれば、まさに「国家に準ずる組織」が登場しているのではないか。
ベトナム戦争当時「ベトコン」と呼んでいたのは、「国家に準ずる組織」なのか否か。
政府・与党の決定は、まったくの欺瞞であると言うべきであろう。

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