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2014年7月

2014年7月31日 (木)

「九条俳句」とさいたま市教育長批判/日本の針路(16)

さいたま市の三橋公民館という施設で出している月報に、俳句サークルの互選句が掲載を拒否されるという事件が起きた。
⇒2014年7月 5日 (土):さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)

バカバカしいほどの過剰な自己規制であり、すぐに撤回されるだろうと思っていたが、稲葉康久教育長は、記者会見で、「集団的自衛権の問題が背景にあり、掲載すべきではなかった。今後もこの立場をご理解いただく」と話し、「世論を二分するような」テーマの作品は載せない基準にする考えを示したという。
公式見解だろうが、どういう思想背景を持った人なのだろうか?
Ws000000
東京新聞7月30日

教育長の「見識」はいくつかの点で間違っていると言わざるを得ない。
第一に、この句が市の見解(作品)ではない、ということだ。
俳句サークルの互選句であり、サークルに集う人たちの学びにダメを出しているということを理解していない。
公民館の役割は以下の通りである。

公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術および文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。
社会教育法第20条

行政が住民を規制するのは本末転倒というものであろう。

第二に、不掲載とされている句は、以下のようなものである。

梅雨空に「九条守れ」の女性デモ

デモに賛成とか反対とかを主張しているわけではない。
もちろん、印象としては、デモに対するシンパシーを感じる。
しかし、俳句として、明確に主張しているものではない。
社会的事象には、世論を二分しているものがほとんどであろう。
とすれば、社会詠というテーマを否定することになる。
「実際生活に即する教育」という趣旨と相容れないだろう。

第三に、自主規制はいづれ他人に対する規制に繋がる。
そして、それが弾圧に繋がることは新興俳句事件の事例をみれば明らかである。
表現の自由などと大上段に振りかざさなくても、不当なことは明らかであろう。

さいたま市の判断は滑稽にすら思える。
しかし、かくして暗黒の時代への階段を一歩一歩降りて行くのだ。
⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)

 

 

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2014年7月30日 (水)

日本国憲法と防衛戦略/日本の針路(15)

集団的自衛権に対する元自衛官・泥憲和氏の発言を紹介した。
⇒2014年7月13日 (日):集団的自衛権と自衛隊員/日本の針路(8)
7月28日の東京新聞は、トップで泥氏を取り上げている。
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 初対面の若者たちに交じり、解釈改憲反対のビラ配りを手伝っていた。聞こえてくる演説を「分かりにくい」ともどかしく感じた。話が途切れた時、たまらず「ちょっとしゃべらせて」と、頼み込んだ。
 「私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました」「自衛隊の仕事は日本を守ること。見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけない」
 五分余りで話し終わると、自民党支持者を名乗る中年男性が「あんたの話はよう分かった。説得力あるわ」と寄ってきた。
 フェイスブックに全文を載せると、瞬く間に賛同する人たちが転載を繰り返し、ネット上に広がった。離れて暮らす長男から「おやじ、ほめられすぎ」と冷やかされた。 泥さんが自衛隊に入ったのは一九六九年。六年間働き、故郷の姫路市に戻って皮革加工の仕事を始めた。被差別部落出身の仕事仲間と付き合いを深める中で、両親や親類と縁遠くなった。
 差別感情が強く残っている現実に直面し、被差別部落の解放運動に関わり始めた。その延長で、平和運動にも携わる。自衛隊を違憲と考える仲間たちに、合憲という自分の意見を納得してもらうため、勉強を続けてきた。自衛隊は「専守防衛」。「自衛官時代に、国民を守り憲法に従うという役割を教わった」。神戸での街頭演説は、これまでの活動の到達点でもある。
集団的自衛権は他人のけんか買うこと 元自衛官、平和を説く

上記記事のフェイスブックの全文は以下で読める。
https://www.facebook.com/norikadzu.doro/posts/331946086956229

別の投稿では、集団的自衛権の議論の土台に疑問を投げかけている。

 必要なのは、戦略ではないのか。
  政府がいうようにホルムズ海峡の安全が脅かされるような事態は、あるかも知れない。
 朝鮮半島危機が再燃するかもしれない。
 その想定自体は、否定できない。
 それならば、危機回避のためにどんなことが出来るのか、
 危機に至ったとして、危機終息へのプロセスの全体像はどのようなものか、
 こういったことを多面的かつ戦略的に導き出さねばならない。
 軍事行動だけでかたがつくような単純な話ではないのは、イラクやアフガンで身にしみたはずだ。
"戦略"なき集団的自衛権論議

日本国憲法と集団的自衛権は両立しない。
しかし、集団安全保障と憲法は両立する、と泥氏は言う。

 いずれの国も正義に立脚した国際協調主義に立とうというのが国連加盟国の一致事項であって、日本国憲法もその立場に立っている。
 その世界で名誉ある地位を占めたいというのだから、自国の侵略戦争を否定するのは当然だが、それにとどまってはならないはずだ。
 日本も各国とともに世界平和という立脚点から集団的措置をとる行動に参加してこそ、名誉ある地位を占めることができよう。
 ただし、そこに参加するにあたってどのような参加の仕方がありうるのかを、憲法にもとづいて考えなければならないのだ。
 武力の行使だけが集団安全保障ではない。
"戦略"なき集団的自衛権論議

政府は、集団的自衛権による武力の行使はOKだが、集団安全保障はNOだという。
その理路が良く分からないと以前のエントリーで書いた。
⇒2014年6月30日 (月):集団的自衛権と集団安全保障/「同じ」と「違う」(79)

しかし、泥氏のような見解ならば理解できる。
私は泥氏に同意したいと考える。

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2014年7月29日 (火)

ウナギの傾向と対策/日本の針路(14)

今日は「土用の丑の日」。
土用とは、以下のような期間である。

五行に由来する暦の雑節である。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである。
土用

したがって、四季のそれぞれに土用があるが、特に夏のことを指すことが多い。
昔海水浴に行った時、土用波に気をつけろ、と注意されたことがあった。
世界大百科事典 第2版の解説は以下のようである。

熱帯の洋上で発生した台風の暴風圏から出てくるうねりは,数千kmの海面を伝搬していち早く日本の太平洋岸に打ち寄せる。これは台風が洋上にある間じゅう継続する。夏の土用の入り(7月20日前後)がすぎて,日本が太平洋高気圧におおわれておだやかな晴天が続いているときに顕著に現れるところから,俗に特異な季節的現象として〈土用波〉と呼ばれてきた。

土用の間のうち十二支が丑の日を「土用の丑の日」という。
今年は、土用はが7月20日(日)~8月6日(水)で、この期間における丑の日は7月29日だけである。「梅雨明け十日」という言葉があるが、夏の土用の時期は暑さが厳しく夏ばてをしやすい時期である。
したがって、昔から「精の付くもの」を食べる習慣があった。

『万葉集』にも大伴家持に次の歌がある。

石麻呂に吾物申す夏痩せに良しといふ物ぞ鰻漁り食せ  
(巻16・3854)

土用にウナギを食べる習慣が一般化したきっかけは、平賀源内が近所のウナギ屋に相談されて、「本日、土用丑の日」と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことだと言われている。
6月12日、国際自然保護連合(IUCN)が、ニホンウナギをレッドリスト(絶滅危惧1B)に指定した。
過去30年で、生息数が50%以上減ったという基準を満たしたからだ。
したがって、今日はウナギがレッドリストに指定されてから初めての「土用の丑の日」である。

三島市は富士山への降水が湧出することもあって、水が豊富である。
市内のうなぎ屋では、この湧水にうなぎを2~3日打たせ、うなぎ特有の臭みや余分な脂を落として食用に供している。
⇒2012年7月26日 (木):土用の丑の日に因んで
レッドリストに指定されて、ウナギはどうなるであろうか?

現在出回っているウナギは、稚魚のシラスウナギを捕獲し育てたものがほとんどである。
しかしシラスウナギの漁獲高は激減しており、養殖ウナギがピンチになっている。
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ニホンウナギ、絶滅危惧種 「土用の丑」未来につなげ! 期待の完全養殖、コストが課題

親から採取した卵をふ化させ成魚に育てる「完全養殖」は実験室では既に成功している。
完全養殖が難しかったのは、太平洋を回遊するウナギ生態(産卵地や幼体が育つ環境など)がく謎だったからである。
⇒2012年7月26日 (木):土用の丑の日に因んで

ウナギの河川での生態についての調査も始まった。
西マリアナ諸島で生まれたウナギは、成長しながら日本の河川にたどり着き、大人になるまでの4~15年を過ごすといわれるが、その詳しい生態は分かっていない。
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日本経済新聞7月28日

私自身は、加齢のためもあるのか、以前ほどウナギを食べたいとは思わなくなった。
また、日野市では、「ウナギは神様の使い」として食べることをタブーにしているという。
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東京新聞7月23日

埼玉県の吉川市は江戸川と中川が流れる低湿地でナマズの養殖で知られる。
河川の歴史を勉強する(という名目の)研究会の会員だった頃、吉川市のナマズの養殖場を見学したことがある。
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せっかくだからということで、江戸川と中川の合流点付近の福寿家というナマズ料理店でナマズ料理を食した。
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http://mitsuikaihatsu.blog122.fc2.com/blog-entry-242.html

好みの問題ではあるが、「ナマズのかば焼き」という話題性だけで、ウナギに敵うとは思えなかった。
ウナギは万葉の時代から食べてきた資源である。
なんとか絶滅の危機から復活してもらいたいものだ。

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2014年7月28日 (月)

白鳳文化の代表としての夢違観音/法隆寺・聖徳太子(1)

静岡市美術館で、6月14日~7月27日の会期で「法隆寺展」が行われていた。
7月15日に一部展示の入れ替えがあるということで、前期と後期に行ってみたが大きな入れ換えはなかった。
出展の目玉は、白鳳美術の典型とされる「夢違観音」像と、聖徳太子信仰関連である。
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三嶋大社で開講されている「古典講座」の今年度と通年テーマは「万葉の挽歌」であるが。7月27日の第4回は『行路死を悼む聖徳太子の歌』だった。
前日に後期展示を見てきたばかりだったので、偶然とはいえ驚き、菊地義裕東洋大学文学部教授の名調子の講義もいつもに増して頭に入った。

ところで、夢違観音(ゆめちがい、もしくはゆめたがい)は、悪い夢を良い夢に変えてくれる、あるいは悪夢から逃れさせてくれるということからのネーミングである。

高さ86.9cmの銅造で、やや鋭角的な唇に優しほほえみをうかべている。
上半身裸形で身体は豊かな厚みがあり、天衣はゆるやかな曲線で、左手には小さな水瓶を持っている。
現在は法隆寺の大宝蔵院にあるが、江戸時代の宝永7年(1710年)以降は東院絵殿の本尊として祀られていたという。

この像について、以下のような解説がある。

白鳳時代も後期になると、仏像の人間臭さが目立ってきて、豊満な肉体を感じさせるものが多く現れる。その代表的なものは、法隆寺宝蔵にある夢違観音だ。ふっくらとした顔、肉付きのよい体つきが、いかにも人間的な地上性を感じさせる。
白鳳時代の仏像3:夢違観音

この解説にあるように、夢違観音像は白鳳美術の代表例とされるが、「白鳳」とは何だろうか?
以前に九州年号との関連について書いたことがある。
⇒2008年1月 6日 (日):「白鳳」の由来
⇒2008年1月 8日 (火):「白鳳」年号の位置づけ
⇒2008年1月12日 (土):「白鳳」という時代

学習百科事典では、白鳳文化と関連語彙について、以下のように図解している。
Ws000000

つまり、薬師寺が白鳳文化の代表例とされる。
⇒2008年2月22日 (金):薬師寺論争…①「白鳳」か「天平」か
あるいは、藤原京自体が白鳳的だといわれる。
⇒2008年1月 5日 (土):白鳳芸術としての藤原京

具体的には、乙巳の変(645年)から平城遷都(710年)までの期間である。
この期間の状況は複雑であり、白鳳時代像をどう認識するかは日本古代史理解の大きなカギであると言ってよい。

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2014年7月27日 (日)

ホワイトカラーの仕事はなくなるか?/技術論と文明論(3)

かつて、労働する人を、ホワイトカラーとブルーカラーに大別していた。
カラーは色ではなく、襟のことである。
つまりブルーカラーは、主に作業服を着た現場の作業員など現業系や技能系の職種であり、業務内容は肉体労働が主体である者である。
対義語がホワイトカラー、つまり白襟で、ワイシャツの襟が白である事からデスクワーカーを指していた。

まあ、私自身の例で言えば、メーカーの技術開発の仕事に従事していた時は、いわゆる作業着でブルーカラー(実際はグレーカラー)だったし、リサーチャー時代は服装は自由だった.。
マネジメントに携わるようになってからは、基本的にはスーツを着ていたが、カラーシャツが一般的になった。
仕事の内容自体は、余り差がないと思う。
デスクワークでも必ずしも白襟というわけではないが、ホワイトカラーという言い方は生きているようである。

「オフィスの未来像」という調査をした時、労働は、できればしないで済ませたい苦役か、あるいは自己実現のために進んで行う行為か、ということが議論になったことがある。
もちろん実際は、どちらかに決められるというようなものではないだろうが。

「文藝春秋」誌の8月号に、新井紀子(国立情報学研究所教授)の『ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる』が載っている。
人間は、ロボットを、苦役としての労働を人に替わってするものとして開発した。
⇒2010年5月23日 (日):「恐竜の脳」の話(4)山椒魚
⇒2010年6月27日 (日):赤ちゃんロボットと認識の発達過程

しかし、そのロボットが進化した結果、人間固有の仕事だと思われていた領域を浸食しつつある。
いわゆる「ビッグデータ」を解析して、最適解を導出する仕事は、コンピュータには適わない。
インターネット広告の世界では、利用者の履歴などから趣味や嗜好を判断して表示する。
Amazonなどのオススメは、有難いこともあるが、ウザイ感じの時もある。
投資のディーリング業務などは、瞬時の判断が求められるが、人間よりコンピュータの方がパフォーマンスはいいだろう。

将棋の世界では、着実にトップ棋士のレベルに近づきつつある。
⇒2014年4月27日 (日):電王戦の結果と2045年問題/知的生産の方法(93)
新井教授らが進めている「ロボットは東大に入れるか」のロジェクトについては以下で触れた。
⇒2014年1月19日 (日):ロボットが東大に入る日/知的生産の方法(78)
すでに私大579校のうち、403校で合格可能性8割のA判定だという。

東大合格レベルはまだ先のことになるが、時間の問題であることは間違いない。
その時、人間に残されている職種は何か?

新井教授は、ロボットが苦手な領域として、「言語と論理を駆使した高度な思考」「身体や五感を使った認識」などを挙げる。
それらはどう学び、どう教育すべきか?
少なくとも、効率至上主義からは決別しなければならないだろう。

内田樹『街場の共同体論』潮出版社(2014年6月)で、学校の教師がコンビニの店員化しているのではないか、と言う。
子供たちは、賢い消費者化している。
つまり、最小の投資で最大の効果を得る消費者である。
となれば、学校でも最少の学習で最大の成績を得ようとするだろう。
できるだけ学習しない、努力しないということである。

ホワイトカラーやブルーカラーに対してゴールドカラーという言い方が話題になったのは何時頃のことだっただろうか?
ロボットに浸食されない職業こそ、ゴールドカラーと呼ぶべきではないか?

 経営学者Robert Earl Kelleyの『The Gold-Collar Worker』(Addison-Wesley刊、1985年)という本を読んだのはもう随分前ですが、そこに書いてあった「ゴールドカラー層が形成される」動きが最近現実になってきたようです。学者ってすごいですね。何十年も前に「世の中がこれからどうなっていくか」を学術的に推測できるのですから。
 内容を簡単に説明しましょう。産業革命以降の、第1次産業から第2次・第3次産業への移行期にブルーカラー層とホワイトカラー層が分離しました。昔は大半が農民だったのに、その息子や娘たちは工場に勤める者と、ビルの中で書類仕事をする者とに分かれていったということです。
 Kelley氏は「その次の段階として、先進国ではホワイトカラーから、“自分の能力”を自由に売って働くゴールドカラーが分離する」と主張しています。「一方、ブルーカラーは減少するだろう」とも予測してます。今ならブルーカラー層が消えていくというのはよく分かります。日本も工場自体が減り、そこで働く人は大幅に減少しました。中小企業には存在し続けていますが、大企業が巨大工場を国内に多数保有していた時代とは、ブルーカラーの数は大きく異なります。
新たな職種層、“ゴールドカラー”の登場

しかし誰もがゴールドカラーになれるわけではない。
中間層の消失が言われているが、言い換えればブルーカラーはおろかホワイトカラーの消失ということであろう。
安倍首相は成長戦略として「ロボット革命実現会議」を掲げた。
しかし、中間層が消失してしまった社会の成長は至難であろう。

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2014年7月26日 (土)

法秩序の安定性と市民感覚/日本の針路(13)

裁判員制度の本質が問われている。
最高裁が、検察側の求刑の1.5倍に当たる裁判員裁判の判決に対して、「他の裁判結果との公平性が保たれた適正なものでなければならず、過去の量刑傾向を共通認識として評議を深めることが求められる」との判断を示した。
市民感覚よりも過去の量刑相場を尊重すべし、ということである。

裁判員制度にとって、量刑判断は難しい問題である。
市民感情は、時々の世相に傾きがちである。
法的秩序の安定性ということを考えれば、過去の量刑とのバランスも必要である。
⇒2009年5月16日 (土):裁判員制度と量刑判断

制度導入の趣旨は、余りに市民的常識と乖離した判決の是正にあると理解する。
たとえば冤罪である。
私たちは、すでに検察当局ですら証拠を捏造するということがあり得るということを知ってしまった。
⇒2009年6月 6日 (土):冤罪と裁判員制度
⇒2014年3月28日 (金):袴田事件再審開始決定と司法制度/花づな列島復興のためのメモ(318)
⇒2012年2月18日 (土):小沢裁判に対する疑問

ありていに言えば、専門家と称する人たちを信用できなくなっているのである。
原発に対して、あるいは諫早湾の干拓に対して、あるいは経済政策に対して・・・
信用に足る専門家は、どこに、何人いるのだろうか、という気になる。
法曹についても同様ではないか?
⇒2008年1月 9日 (水):非常識な判決

であるから、裁判に市民感覚を導入すること自体には賛成である。
しかし、裁判員制度が最適解かどうかについては疑問である。
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問

裁判の判決には、高度の専門性が要求される。
法曹の世界に難しい司法試験が課されているのは当然であろう。
と同時に、人間性の洞察に基づいた、言い換えれば教養豊かな判決であって欲しいと願う。
⇒2009年1月25日 (日):裁判における専門性と教養性

裁判の現状はどうか?
今回の最高裁の判断は、過去の量刑傾向を基準とすべし、ということである。
もちろん、過去の量刑の傾向と大きく乖離することにはリスクが伴う。
しかし、それが市民感覚なのである。

市民感覚を否定することは、すなわち裁判員制度を否定することではないのか?
裁判員裁判と求刑との関係で、以下のようなデータがある。
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大阪・寝屋川の1歳虐待死:最高裁、求刑超え判決破棄 裁判員経験者、意見割れ

もちろん、裁判員裁判においても上級審で否決されることがあるのは当然である。
しかし、過去の量刑相場を尊重すべしということでは、何のための制度かということにならないか。
過去の判例の量刑で決めるのなら、ロボットでもできる。
いかに感情を組み込むかが人間の行う裁判とも言える。

 「プロの裁判官にとっては数ある裁判の一つでも、裁判員にとっては唯一の裁判」。2011年に東京地裁が強盗殺人罪に問われた男に死刑判決を出した際に裁判員を務めた女性は、2審で無期懲役に減刑された際、「市民感情を反映した判断が否定されたことに反感を覚えた」という。今回の最高裁判決についても「被告にも会わず、裁判記録と今までの事例との比較だけで、裁判員の判決が見直されるのは納得がいかない」と語った。
大阪・寝屋川の1歳虐待死:最高裁、求刑超え判決破棄 裁判員経験者、意見割れ

市民と裁判官は、下級審において、従来の量刑は軽過ぎると判断した。
裁判官だけの上級審でそれを否定する十分な根拠が示されているのだろうか?
私には裁判員の経験はないが、上記の感想に同調したいと考える。

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2014年7月25日 (金)

「危険ドラッグ」への名称変更だけでは不十分/人間の理解(6)

「脱法ドラッグ」や「脱法ハーブ」を、「危険ドラッグ」に名称を変更した。
危険性の認識を高めようという趣旨で、警察庁などが新しい呼び名について意見を募集した結果であるというが、果たして効果はあるのだろうか。
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静岡新聞7月22日夕刊

そもそも「脱法」という表現が使われていたのは、「合法ではないが違法とも言い切れない」からだという。
確かに現在の法規制の網を潜りぬけているという意味では違法とは言い切れないかもしれない。
そもそも法律に触れなければ何をしようと自由だ、という考え自体が誤りだと思う。
別に道徳や倫理を説くつもりではないが、人の行いには法律以前の善悪があるだろう。
それはそれとして、脱法状態であるということは、規制のあり方の問題であって、名称の問題ではないだろう。
⇒2014年7月11日 (金):亡国の脱法ドラッグに有効な規制を/日本の針路(7)

人間には好奇心というものがあって、良いことにも、悪いことにも向かう。
麻薬というようなものが無くならないのは、好奇心で試してみたいという気があるからだろう。
思春期には特に好奇心が旺盛であるから、危険といわれるものに関心が行く。

危険なのは「友人が多く、不良仲間とも付き合える優等生タイプ」という。周りの空気を読むのがうまいが流されやすく、薬を勧められても断れない。
「脱法」の罠 乱用ドラッグ・ハーブ(上)

「脱法」に換えて「危険」と言ってみても、上記のような例には余り効果がなさそうである。
募集に寄せられた名称は以下のようであったという。

脱法ドラッグに代わる新しい呼び名として、警察庁や厚生労働省に数多くの意見が寄せられました。
最も意見が多かったのは、▽麻薬に準じるものと書く「準麻薬」で183件、▽次いで「廃人ドラッグ」が140件、▽「危険薬物」が123件、▽「破滅ドラッグ」が110件、▽新しい呼び名として選ばれた「危険ドラッグ」が102件でした。そして、▽「有害ドラッグ」が95件、▽「違法ドラッグ」が87件、▽「殺人ドラッグ」と「幻覚ドラッグ」が85件、▽「錯乱ドラッグ」が81件などでした。
「脱法ドラッグ」新呼称は「危険ドラッグ」に

まあ似たり寄ったりというところだろう。
名称だけでは訴求力は限られている。
抑制のためには、本当の恐ろしさを周知徹底させることと、厳罰化しかないのではないか。

人間の特性は、脳の異常とも言うべき肥大化したことであろう。
その脳を直撃をするのである。

 動かないマウスが示すもの。それは恐ろしい作用だ。舩田室長は「含まれる化学物質がマウスの中枢神経(脳)に作用し、体温が下がった。ぐったりしたということは、運動機能にも影響を与える毒性を持つということだ」と解説する。
 中枢神経が薬物の影響を受けると、意識障害や吐き気、幻覚などさまざまな症状が出る。中でも、昨年発表された実験は、その恐ろしい毒性を裏付け、研究者に衝撃を与えた。舩田室長らがハーブに使われる成分「合成カンナビノイド」をマウスの脳神経細胞に垂らしたところ、2時間で細胞や神経線維が破壊されてしまったのだ。
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「脱法」の罠 乱用ドラッグ・ハーブ(中)

使われているドラッグは、系統の違う複数の成分が混ざっていることが多い。
成分ごとに違うさまざまな症状を訴える患者に特効薬はない。
また、有害成分が取り締まり対象に指定されるたび新たな成分が出回り、その“効果”は強くなる。
物質で規制するのには限界があることは明らかである。
利用者は当然であるが、販売者を厳罰にしないと社会に著しい害悪を及ぼすだろう。
撲滅運動が必要ではないか。

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2014年7月24日 (木)

ハンフォード・サイトの現状と核廃棄物の処理/原発事故の真相(117)

第二次世界大戦中の原子爆弾を製造することを目的とするマンハッタン計画は有名である。
大辞林(三省堂)には次のように説明されている。

第二次大戦中,アメリカにおいて産・軍・学の協同によって進められた原爆製造計画。広島・長崎への原爆投下,核開発競争の出発点となったばかりでなく,巨大科学と呼ばれる宇宙開発・原子力開発など国家主導型の研究開発のモデルとなった。 〔当初,事務所の置かれたマンハッタン工兵管区からの称〕

1942年にプルトニウムの精製場所として選ばれたのが、ハンフォード・サイトである。
アメリカ陸軍工兵司令部はデュポン社と契約して、ハンフォード・サイトの核施設の建設を進めた。
ハンフォードと近くの村から、1500世帯が転地させられたという。
先日、ある若い女性が、「日経ビジネス」誌の表紙のデュポンという字が、空腹だったこともあってデコポンに見えて仕方がなかった、という笑い話を披露してくれた。

認識の枠組みを「スキーマ」というが、私の孫のR君は、カタカナを読めるようになった頃、「アンパンマンショップがあったよ」と興奮気味に話したことがあった。
よく聞いてみると、アパマンショップのことだったらしい。
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まあ、デュポンはアメリカを代表する会社であるから、マンハッタン計画に係わるのも当然であろう。
現在、ハンフォード・サイトは米国で最大級の核廃棄物問題の箇所になっている。
ハンフォードの汚染水タンクは、漏出が確認されて二重壁構造にされた。
その二重壁からも漏出が確認され、大きな問題となっている。
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東京新聞7月22日

施設誕生から今年で70年になる。
福島事故の収束するのはいつのことだろうか?
俵万智さんの歌の「おかたづけ」が済んでいないのだ。
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東京7月21日

再稼働を云々するのは時期尚早である。
⇒2014年7月21日 (月):川内原発を再稼働させるのか?/技術と人間(2)

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2014年7月23日 (水)

憲法9条と積極的平和主義/日本の針路(12)

安倍首相の説明に説得力が欠けるのは、情熱的な割に論理の道筋(理路)が不明確なことが一因だと思われる。
安倍首相のお気に入りの言葉に、「積極的平和主義」がある。
集団的自衛権行使を容認する閣議決定においても、強調されている。
しかし、「積極的平和主義の具体的な意味は明快ではない。

かつて日本は、「聖戦」という言葉で、大東亜戦争つまり対(鬼畜)米英戦争(後に、対中、対蘭、対ソ戦争も含むと解釈された)を始めた。
ブッシュ元大統領は、イラク開戦にあたり米国民に向かって、「この危険な時を克服し、平和を実現する」と呼びかけ、「イラクの自由」という作戦名を付けた。
つまり、平和を唱えた戦争の例は多い。
⇒2013年10月18日 (金):積極的平和主義をどう理解するか/アベノミクスの危うさ(17)

先のオーストラリア訪問の際のキャンベラの連邦議会での演説でも強調されている。

首相は「戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省とともに始めた日本人は、平和をひたぶるに願って今日まで歩んできた」として戦前への反省を踏まえて世界平和に貢献する考えを強調。その上で、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定に基づき、安全保障関連の法整備を進める方針を表明した。
 演説で首相は、第二次世界大戦で日豪両国が戦った歴史を振り返り、哀悼の意を示した。「20世紀の惨禍を二度と繰り返させまい。日本が立てた戦後の誓いは今後も変わるところがない」とした。集団的自衛権の行使容認に関し「安全保障の法的基盤を一新しようとしている」と説明する一方で、狙いについては「法の支配を守る秩序や、地域と世界の平和を進んでつくる一助となる国にしたい」と「積極的平和主義」の意義を強調した。
安倍首相:豪連邦議会で演説「積極的平和主義」強調

分かりにくいのは、「平和憲法」と称される憲法解釈の改変との関係であろう。
現憲法が平和憲法と言われる所以は、第9条にある。
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http://event.kinasse.com/kuma9/kyuujo.html

首相の言う「日本人は、平和をひたぶるに願って今日まで歩んできた」という具体的な表現が9条であると考えるのが自然であろう。
ところが、それを骨抜きにしようというのが集団的自衛権である、という指摘がある。

お笑い芸人の太田光と社会学者の中沢新一の共著に『憲法九条を世界遺産に』集英社新書(2006年8月)がある。
また、「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動がある。

戦争の放棄を定めた憲法9条をノーベル平和賞に推した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(事務局・神奈川県相模原市)に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したとの連絡があり、正式に候補になったことがわかった。朝日新聞デジタルが報じた。
「憲法9条をノーベル平和賞に」一人の主婦が発案 委員会が推薦受理

戦争放棄を憲法に謳っている国はあるのか?
Yahoo知恵袋に、「日本のように戦争放棄を宣言している国って、他にあるのですか?」という項目がある。
次のような回答がある。

戦争を完全に放棄しているのは,日本の他に太平洋のパラウが有名です。パラウは,日本が第一次大戦後に,敗戦したドイツ領の島々を国連から委託統治したのが最初で,そこでは今でも日本人に好意的で,国旗も日本の日の丸を模して作ったそうです。
戦争放棄と絞るとこれぐらいしかありません。
後は,永世中立国オーストリア・スイス・トルクメニスタンだそうです。ただ,どこの国とも軍事同盟を結んだりできないため,スイスなどはとてもしっかりとした軍隊を作り上げ,もしものときは,自らが自国を守ることになっています。永世中立国は,日本のような非武装・非暴力な国ではないので,自国を守る軍は,しっかり作っているのです。

もちろん、国権の発動たる戦争は放棄しているが、正当防衛の権利は有するというのが従来の解釈である。
集団的自衛権、すなわち他国の防衛が正当防衛の範疇に入るのか?
一心同体的な国の場合は、正当防衛ということはできよう。
さしあたってアメリカということであろうが、アメリカからの押しつけ憲法だから自主憲法制定を、と言っている人が、武力行使についてはアメリカのいいなりになろうとしているのではないか。

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2014年7月22日 (火)

沖縄密約裁判、特定秘密保護法、解釈改憲、アベノミクス/日本の針路(11)

1972年の沖縄返還をめぐる日米間の密約文書開示訴訟で、14日、最高裁は元毎日新聞記者西山太吉氏ら原告側の上告を棄却した。
行政機関が存在しないと主張する文書について、「開示の請求者側に存在を立証する責任がある」との初判断を示したが、司法の権威を自ら貶める判断と言えよう。
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東京新聞7月15日

最高裁が弁論を開かないと決めた時点で二審の高裁判決が維持されることは確定的であったが、情報開示を求める側に重い立証責任を課したことは、特定秘密保護法の施行を控え、国民の知る権利に大きな制約を与えはしないか。
⇒2014年7月 8日 (火):沖縄密約裁判と秘密保護法/日本の針路(6)

集団的自衛権の行使の閣議決定を受けて、衆参の予算委員会で審議が行われた。
政府が歯止めとする武力行使の3要件のうち「(国民の権利が)根底から覆される明白な危険がある場合」をどう解釈するかについては、以下のようなやり取りがあった。

横畠裕介内閣法制局長官の答弁は、以下のようであった。

 他国への武力攻撃が発生し、「国民に、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻・重大な被害が及ぶことが明らかな状況」だと。
 その上で、どういう事態が該当するかは「攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、規模、態様、推移」などを総合的に考慮し、「我が国に戦禍が及ぶ蓋然(がいぜん)性、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断する」と。
 つまり、日本自身が武力攻撃を受けたのと変わらないぐらい深刻な場合にのみ、集団的自衛権の行使が許されると言ったのだ。
集団的自衛権 横畠長官の答弁は重い

「日本自身が武力攻撃を受けた」場合は、当然従来の政府見解のように個別的自衛権で対応できる。
あえて、集団的自衛権の行使という必要はない。
だが安倍首相は、長官答弁と基本的に変わらないとしながらも、政府が武力行使の3要件に照らして判断すると強調した。

問題は以下のような場合である。
中東のホルムズ海峡が機雷で封鎖され、原油供給が滞るような場合、集団的自衛権を行使して機雷掃海ができるとするか否かである。
原油の供給の途絶は「日本自身が武力攻撃を受けた」のと変わらないぐらい深刻か?
人によって考えはさまざまであろう。
1973年や1979年のオイルショックを体験した人、あるいは堺屋太一『油断!』文春文庫(1978年3月)などを読んだ人の中には、まさに日本の死活問題だ、という人もいるだろう。

 世論調査では、政府が集団的自衛権の行使を容認したことを「評価する」としたのは35・3%にとどまった。逆に、集団的自衛権による自衛隊のシーレーン(海上交通路)での機雷除去には47・8%が「賛成」と回答、「反対」を約10ポイント上回った。集団的自衛権の象徴的事例の行使には理解を示す一方、集団的自衛権の行使容認そのものには慎重という逆転現象が起きたわけだ。
アベノミクス評価に大きな陰り 内閣支持率下落の背景
 

しかし、である。
機雷を敷設した国にとっては、その除去は戦闘行為そのものであろう。
当然のことながら、反撃する。
それに応戦すればもはや戦争である。
第1次世界大戦も、サラエボでの偶発的な出来事が、瞬く間に拡大した。
戦争とはそういうものであろう。
⇒2014年7月14日 (月):第1次世界大戦と日本/世界史の動向(21)

日本経済は原油輸入の8割以上を中東に依存している。
そのシーレーン確保は重要な問題である。
しかし、「日本の経済に相当な打撃がある」たびに集団的自衛権の行使を認めたら、日本はハリネズミのように身を固めなければならないだろう。
それが現憲法と相容れないことは明らかである。
解釈で方がつく問題ではない。

秘密保護法によって、政府判断を批判できる余地はきわめて絞られた。
しかも、挙証責任が開示を求める側にあるという最高裁判断である。
集団的自衛権の行使についても、政府の独断ということになれば、オーストラリアでの演説の次の冒頭の言葉を裏切ることになろう。

戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省とともに始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただひたぶるに願って、今日まで歩んできました。20世紀の惨禍を、二度と繰り返させまい。日本が立てた戦後の誓いはいまに生き、今後も変わるところがなく、かつその点に、一切疑問の余地はありません。
豪州国会両院総会 安倍内閣総理大臣演説

ここへきて看板のアベノミクスにも厳しい評価が出ていることが表面化しつつある。

 政府高官は、内閣支持率が低下傾向にあることについて「集団的自衛権の問題が一番の要因だった。これが終われば、支持率は高くなる」と分析する。しかし、世論調査では首相の景気・経済対策を「評価しない」との回答が47・1%と「評価する」を7・7ポイントも上回り、前回調査(6月28、29両日)と評価が逆転。社会保障政策も6割超が評価せず、老後の生活への不安を解消していないといえる。
 政府は有効求人倍率など経済指標が好調に推移していることを強調する。だが、日経平均株価は昨年12月から今年1月にかけて1万6千円台に突入したものの、2月以降は1万5千円台で足踏み。高騰するガソリン価格は、自動車での移動が欠かせない地方の生活費を圧迫し、経済指標に表れにくい“不満要素”となっている。
アベノミクス評価に大きな陰り 内閣支持率下落の背景

民の暮らしは確実に悪化しているのが分からないとしたら、やはり「裸の王様」と言わざるを得ないだろう。
⇒2014年7月16日 (水):お友達内閣の経済ブレーン/アベノミクスの危うさ(36)
⇒2013年10月17日 (木):安倍首相は裸の王様か?/アベノミクスの危うさ(16)

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2014年7月21日 (月)

川内原発を再稼働させるのか?/技術論と文明論(2)

「おかたづけちゃんとしてからつぎのことしましょう」という先生の声  俵万智

「原発再稼働を問う」という東京新聞の特集ページに載っている『海辺のキャンプ』と題する中の一首。
原子力規制委員会は16日の定例会合で、九州電力川内原発1、2号機の審査で、地震・津波などの自然災害や重大事故に対応できる安全性を要求する新規制基準に「適合していると認められる」とする審査書案を提示し、了承した。
安倍政権は、原子力規制委が規制基準への適合性が確認され、地元の合意が得られた原発は再稼動させる方針を表明している。
川内原発はこのまま再稼働に向かって進むのだろうか?

簡単にはそうは進まないだろうし、進ませるべきでもない。
先ず第一に地元の合意である。
鹿児島県の伊藤祐一郎知事は地元の範囲について「県と薩摩川内市、首長と議会」との見解を示している。
しかし影響を受けるのが確実な自治体の声を無視するわけには行くまい。
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原発から30キロメートル圏内にある姶良市の市議会が「川内原発の1、2号機の再稼働に反対し廃炉を求める」意見書を可決した。
姶良市議会議長は、日本経済新聞の取材に対し、以下のように答えた。

 ――鹿児島県の伊藤祐一郎知事は、再稼働への地元同意は県知事と県議会、薩摩川内市長と市議会で十分で他の自治体は必要ないとしています。
 「伊藤知事は体の不自由な要援護者の避難計画についても県が定めた30キロ圏は現実的でなく、10キロ圏ぐらいまで作っておけばいいといっている。健常な人だけ逃げれば良いのか。県が策定した避難計画のシミュレーションでも、平時のみを想定したような内容が多い。乗用車での避難を前提にしているが、運転できない人はどうなるのか。避難計画で示された避難経路も、地震による崖崩れや津波で実際には使えないと想定される。全部でないが、不備が目立つ」
川内原発再稼働「反乱」の真相 姶良市議会議長に聞

われわれは、福島第一原発事故の教訓に学ばなければならない。
安倍政権は新規制基準を「世界で最も厳しい水準」とし、合格原発は再稼働を進める方針だが、基準に合格するということは、再稼働のための必要条件ではあろうが十分条件ではない。
⇒2013年7月 9日 (火):規制委の安全性審査は必要条件ではあるが十分条件ではない/花づな列島復興のためのメモ(243)

福島の教訓を学ぶということは、規制基準を厳しくすることは当然であるが、万が一事故が起きても住民の被害を食い止める手立てを整えておくことであろう。
事故が起きた場合の防災体制の整備は、姶良市議会の決議が示すように明らかに遅れている。
伊藤鹿児島県知事は「30キロ圏までの要援護者の避難計画は現実的ではない」と発言している。
これは、対象となる要援護者の数が増え、避難手段や受け入れ先の確保が難しいことが背景にあるといわれる。
しかし、図らずも事故が起きた時の影響の大きさを語っているといえよう。

国際原子力機関(IAEA)は原発事故対策として「5層の防護」を定めている。
新規制基準については、IAEAなどの国際基準にならい、第4層から第5層の防護レベルを含めた5層の考え方を取り入れている。
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深層防護(5層)による安全確保の強化

福島第1原発事故後、政府は事故に備えた重点対策区域を原発から8〜10キロ圏から30キロ圏に拡大した。
ところが、第5層の防災対策は災害対策基本法で自治体任せにされ、規制委の審査対象から外れているのだ。
規制委の審査合格が十分条件ではないことは明らかであろう。
福島原発事故の「おかたづけ」もしないうちに、「次のこと」をしてはいけないのは、子どもでも分かる道理である。

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2014年7月20日 (日)

石油コンビナート阻止闘争50周年/技術論と文明論(1)

沼津、三島、清水3市町への石油コンビナート進出計画の阻止から今年で50年の節目を迎えた。
のちの市民運動に大きな影響を与えたといわれる反対運動を記念する集会が沼津市で、6月7日開催された。
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沼津朝日新聞6月11日

日本には石油コンビナートとされるものは石油化学工業協会の見解では15箇所あるが、製油所、エチレンプラント、誘導品工場の3種類がそろっているのは13箇所で、三菱化学の四日市、三井化学の岩国大竹は該当しない。
石油コンビナートは、高度経済成長を象徴するものである。
1956年(昭和31)年7月に発表された経済白書(副題日本経済の成長と近代化)の結語には、太平洋戦争後の日本の復興が終了したことを指して《もはや「戦後」ではない》と記述され流行語にもなった。
白書作成の指揮を執ったのは、経済企画庁の調査課長であったエコノミストの後藤誉之助である。
戦後復興がある程度実り、さらなる成長のためには「軽工業から重化学工業への転換」が必要で、石油コンビナートにその中心的役割が期待された。

1956年、川崎市、四日市市、岩国市、新居浜市の4ヶ所に建設が決定され、それぞれ日本石油化学、三菱油化、三井石油化学工業、住友化学工業が中核業者となった。
1958年には、三井化学・岩国、住友化学・新居浜が稼動した。
1960年代前半までは、石油化学産業は日本の将来を担う産業として期待されていた。
私は1963年に大学に入学するが、必ずしも自分の能力に最適だとはいえない工学部の工業化学系の学科を選択したのも、そのような事情があったからである。

私が大学に入学した年に、静岡県から工業整備特別地域に指定された東駿河湾地区に、石油コンビナート建設計画が発表された。
三島市中郷地区に富士石油が日産処理能力15万バーレルの製油所をつくり、そのナフサの供給をうけて住友化学が清水町にエチレン年産10万トンをふくむ16品目の石油化学工場を設立する。
他方で東京電力が富士石油の重油で140万キロワットの火力発電所を沼津市の牛臥海岸埋立地に建設しようという内容だった。
四日市をうわまわる規模で、当時の一般的な風潮とすれば、地域の発展のために歓迎するはずであった。

 石油関連企業にとって、港湾をちかくにひかえ、用水が豊富で、しかも京浜地帯にも遠くないこの地域は垂涎(すいぜん)の好条件をそなえていた。しかし、県当局と企業との一体化した誘致=進出運動にもかかわらず、三島市・沼津市・清水町住民によるコンビナート進出反対の統一行動は、その計画を粉砕した。それまでおもいのままにつきすすんできた高度成長政策下の開発計画は、王手をかけてたちはだかった二市一町の住民にはばまれたのである。
 いちはやく反対を表明したのは、さきに東洋レーヨンを誘致した結果、水不足になやみ、工場進出に疑念をいだいていた三島市民だった。反対運動をもりあげていったのは婦人連盟(婦人会)と町内会長連合会である。石油コンビナート対策三島市民協議会に、青年団や文化団体とともに参加したかれらは、公害先進地の四日市などの実態を視察して報告し、あるいは住民にコンビナート建設の賛否を問うアンケート調査をおこなって、82%が゛反対゛という結果を発表した。39年(1964)4月の婦人会・町内会長連合会合同臨時総会では、石油コンビナート進出絶対反対が決議された。
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石油コンビナート反対闘争

まさに名水で知られる柿田川などの豊富な水をアテにした計画であった。
三島市民が反対に立ち上がったのは、市内の小河川の水量の減少を身に沁みて体感していたからである。
⇒2009年7月28日 (火):三島市内における湧水量の減少/因果関係論(4)
⇒2009年7月29日 (水):湧水量の減少の原因と影響

三島市では、特定非営利活動法人グラウンドワーク三島を中心として、水と緑の環境保全に市民が大きな力となっている。
⇒2009年4月24日 (金):水の都・三島と地球環境大賞

この50年間で日本の産業の風景も大きく変わった。
先日大学の同期会があったが、化学産業の前衛として活動してきた友人たちも、第一線から引退しつつある。
私は在学中にコンビナート計画が現実化すれば、と思ったこともあるのは事実であるが、もちろん今となっては豊かな自然が残っている住環境を有難いと思っている。

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2014年7月19日 (土)

親子関係をどう捉えるか?/人間の理解(5)

DNA型鑑定で血縁がないことが明らかになった場合、それまでの父子関係を取り消すことができるか?
17日、最高裁の判断が示された。
血縁よりも「子の法的な身分の安定」を重視するという結論である。
140718
静岡新聞7月18日

 5人の裁判官のうち、2人はこの結論に反対した。父子関係を116年前に定義した民法の「嫡出(ちゃくしゅつ)推定」=KM=が、現代の科学鑑定で否定されるかが最大の争点だった。この日の判決では複数の裁判官が、新たなルール作りや立法などを求める意見を出しており、親子関係をめぐる議論が高まりそうだ。
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DNA鑑定だけで父子関係取り消せず 最高裁が初判断

裁判官の意見が3:2に分かれたように、明快には決められない問題であろう。
しかし、DNA鑑定至上主義的な風潮があるとすれば、それに反省の契機を投じたという点で評価できるのではないか。
人間の家族関係は、DNAで代表される生物学的親子関係だけではないからである。
家族は社会のもっとも原初的な形態と考えられる。
つまり社会性を考慮しなければならないという点で、他の生物とは一線を画している。

現実の親子関係は多様である。
生物学的な親子関係が存在していても破綻している場合もあるし、生物学的な親子関係がなくても睦まじく暮らしている場合もある。
要はケースバイケースである。
⇒2014年6月12日 (木):DNA鑑定とアイデンティティ/知的生産の方法(97)

多様な現実に則した判断が可能なように立法措置を講じる必要がある。
何よりも子供の利益を優先して判断すべきで、親の事情は、そのことにどう影響するかで勘案すべきだろう。
反対意見の金築誠志裁判官の「夫婦関係が破綻して子の出生の秘密が明らかになっている上、血縁上の父親と新たな親子関係を確保できる場合には、元の父子関係を取り消すことを認めるべきだ」という指摘はその通りだと考える。

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2014年7月18日 (金)

マレーシア航空機がウクライナで墜落/世界史の動向(22)

クアラルンプール発北京行きのマレーシア航空機が行方不明になったのは3月のことだった。
⇒2014年3月19日 (水):マレーシア機はどこへ行った?

今度は、ウクライナ上空で墜落とのニュースである。
墜落したのはアムステルダム発クアラルンプール行きのボーイング777型マレーシア航空17便で、ドネツク市近郊に墜落した。
偶然ではあろうが、同じ航空会社で、稀に見るような事故が続いたことになる。

事故のニュースに接し、「なんでわざわざウクライナ上空を飛ぶのか?」と思ったが、ヨーロッパから、マレーシアなど東南アジアまで最も短い距離で飛行しようとすれば、ドイツやポーランドを経由してウクライナ上空を通過し、ロシアに抜けるのが最短コースになるということだ。
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マレーシア機 なぜウクライナ上空を飛行

墜落の原因は何か?
現時点では不明であると言わざるを得ないが、ウクライナ当局と親ロ派双方が相手が関与したのではないかと主張している。

ウクライナ当局は、親ロシア派武装勢力がロシアの軍事諜報当局者の支援を受け、ソ連時代に開発されたSA11地対空ミサイルにより撃墜されたと非難。
一方で親ロシア分離独立派の「ドネツク人民共和国」の指導者は関与を否定、ウクライナ空軍のジェット戦闘機が撃墜したと指摘した。
ただ親ロシア派は、地対空ミサイルを入手したことを認めており、14日にはウクライナ空軍の輸送機を撃墜した。
マレーシア機墜落は「撃墜」とウクライナ当局、親ロ派は関与否定

親ロ派は、東部ドネツク、ルガンスク両州の各地で政府庁舎を占拠している。
⇒2014年5月28日 (水):ウクライナ政府軍と親ロシア派の攻防/世界史の動向(15)
墜落した地点も、親ロ派の支配している地域であろう。
ウクライナ軍と親ロ派の争いが急拡大しないとも限らないのは、第1次位世界大戦の経緯をみても十分に考えられよう。
第1次世界大戦から100年目の今年、世界にきな臭さが立ち込めているようだ。
⇒2014年7月14日 (月):第1次世界大戦と日本/世界史の動向(21)

マレーシア航空機を撃ち落としたのは、ウクライナか親ロ派か?
いずれなのか、あるいはどちらでもないか、やがて明らかになるであろうが、日本が戦闘の拡大の引き金を引くようなことがあってはならないだろう。
⇒2014年7月 1日 (火):海外での武力行使に道を開くな/世界史の動向(20)

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2014年7月17日 (木)

地方議会の品質と選挙の不正/日本の針路(10)

地方議会をめぐるあきれるようなニュースが多い。
東京都議会での性差別発言は、全容に蓋をしてしまって閉会した。
⇒2014年6月23日 (月):ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)

兵庫県の野々村竜太郎県議は、政務活動費の使途が大問題になり、号泣する場面がテレビで放映された。
野々村氏は辞職することになったが、それで解決したと思った人はいない。
おそらく、野々村氏ほど露骨ではないにせよ、似たようなことをしている地方議員は大勢いるだろうと考えているのではないか。

今度は、脱法ドラッグの逮捕者が、神奈川県の前自民党県議だという。

 脱法ドラッグを所持したとして、神奈川県警薬物銃器対策課と神奈川署などは16日、前県議、横山幸一容疑者(41)=横浜市鶴見区下末吉=を薬事法違反で逮捕した。県警によると、脱法ドラッグの所持については認めた上で、「たばこの先につけて吸っていた。指定薬物が検出されたことにびっくりしている」などと供述しているという。
 逮捕容疑は6月26日、借りている横浜市神奈川区青木町の短期賃貸マンションの一室で指定薬物「α−PHPP」の粉末(約0・3グラム)を所持していたなどとしている。
 県警によると、26日午前11時半ごろ、神奈川区のホテルにいた30代の女性から「知人が薬をやった」と110番があった。神奈川署員が駆けつけたところ、現場にいた横山容疑者が「脱法ドラッグを使った。マンションにまだある」と説明。マンションから見つかった十数種類の脱法ドラッグの鑑定で指定薬物の化学成分が検出されたため、県警が7月7日に逮捕状を取っていた。
 横山容疑者は県議会議長を務めた祖父の後を継いで自民党から2007年の県議選(横浜市鶴見区)に出馬して初当選。12年7月の県議会第2回定例会では、可決された「脱法ハーブ対策の推進強化を求める意見書」の提出議員に名を連ねていた。2期目の途中の6月30日、「一身上の都合」を理由に辞職願を提出し、8日の県議会で許可されていた。
所持の前神奈川県議を薬事法違反で逮捕

脱法ドラッグについては、運転事故が相次ぎ問題になっているところである。
⇒2014年7月11日 (金):亡国の脱法ドラッグに有効な規制を/日本の針路(7)
6月30日に辞職願を提出というが、露見したのが6月26日だからあわてて辞職願を出したということだろう。
バレなければ何をしたって構わない、という心が透けて見えるようだ。

地方議会のクオリティが問われるが、選んだのは有権者である。
選挙で選ばれた「選良」と呼ばれるべき人たちである。
しかしその選挙自体に、まさかと思うようなニュースがある。
高松市選管で白票を水増しするという不正が発覚した。

 昨年7月に実施された参院選の開票の際に高松市選管が白票を水増ししたとされる事件で、公職選挙法違反(投票増減)容疑で逮捕された前市選管事務局長らが投票数と交付した投票用紙の数が約300票合わないと勘違いしたことをきっかけに、選管ぐるみで不正に票の操作を繰り返していたことが高松地検特別刑事部の調べで分かった。つじつま合わせのため衛藤晟一(せいいち)首相補佐官(自民)の312票を段ボール箱に入れて隠し、同市での得票を「0」としていた。同地検は15日、前市選管事務局長で開票管理者代理だった山地利文容疑者(59)ら6人を公選法違反(投票増減)罪や刑法の封印破棄罪で起訴した。
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高松市選管白票水増し 選管ぐるみ票操作 6人起訴

アフガニスタン等で、公正な選挙が行われていないというニュースは耳にする。
しかし、投票所に行った実感では日本ではそんなことはないだろうと思っていた。
ところが、投票行為が済んで開票の段階で不正があろうとは!
しかも、「選管ぐるみで不正に票の操作を繰り返していた」とは!
ひょっとすると、これも野々村県議のようにあからさまではない形で、普遍的に行われているのか?

また、青森県平川市議会では、20人の市議のうち、15人が選挙違反で逮捕されたという。

 今年1月26日に投開票された青森県平川市長選をめぐり、落選した前市長の大川喜代治容疑者(69)=公選法違反容疑で再逮捕=への票とりまとめの報酬として現金を受け取ったとして、県警捜査2課などは同法違反容疑で平川市議を6人逮捕、社会福祉法人の元理事長・水木貞容疑者(66)を再逮捕した。これまでに同容疑で9人の市議が逮捕されており、市議会の定数20のうち15人の市議が逮捕される異常事態となった。
 人口3万2000人、津軽地方に位置する平川市の議会が逮捕者続出で機能不全に陥っている。
市議20人中15人逮捕!青森・平川市で異常事態

津軽選挙という言葉もあるというから、歴史的に繰り返されていたことかも知れないが、そろそろ「いい加減にしないか」という感じである。
議員の質が先か選挙が先か、などという問題ではない。
同じ問題の表裏である。

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2014年7月16日 (水)

お友達内閣の経済ブレーン/アベノミクスの危うさ(36)

「新潮45」の7月号に、岩村充氏と藻谷浩介氏の対談『「経済学の限界」をわきまえないアベノミクスの虚妄』という対談記事がのっている。
岩村氏は、日本銀行出身で早稲田大学商学研究科教授の経済学者である。
貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム』新潮選書(2010年9月)という著書から分かるように、視野の広い学者である。

藻谷氏は日本総研の主席研究員であるが、『里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く』角川oneテーマ21新書(2013年7月)が 大ベストセラーになり、今様々な方面から注目を集めている人である。
対談は互いにリスペクトし合う雰囲気の、好感の持てるものであるが、次のような見方に納得した。
安倍首相のブレーンについてである。

第1次安倍内閣の時、「お友達内閣」などと自分のお気に入りの仲間で内閣を構成する手法が批判された。
それでも、塩崎恭久氏のように、主義主張は異なるにしても、苦労を共にした仲間という意識がある人が中枢にいた。
第2次安倍内閣のブレーンはどうか?

目玉政策のアベノミクスを支える経済学分野についてみると、浜田宏一、岩田規久男、本田悦朗、高橋洋一氏等の名前が浮かぶ。
揃って、「貨幣が成長を決する」というマネタリストである。
あるいはリフレ派といわれる人たちである。
リフレ派とは、コトバンクによれば以下の通りである。

緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。
・・・・・・
リフレ派の主張は、政府・中央銀行が数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。

あるいは、集団的自衛権行使容認の論拠とすべく自ら設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)。
行使容認論者で構成され、憲法については薄いが、解釈改憲に踏み切る。
要するに、身辺には同調者しかいず、昭恵夫人しか(?)批判者がいない、ということである。
「裸の王様」になるのも、むべなるかなである。
⇒2013年10月17日 (木):安倍首相は裸の王様か?/アベノミクスの危うさ(16)
にもかかわらず、マスコミからのアベノミクスに対する批判は少ない。

それは現在、日本人の間に「リセット願望」が高まっているからではないか?
リセットした後に成長の伸びしろが用意されているのではないか?
しかし、それは幻想に過ぎない。
なぜなら、敗戦後とは世界経済の成長性も全く違うし、日本の社会構成も全く違う。
今や日本社会は超高齢社会になっているのだ。
⇒2014年6月 4日 (水):超高齢社会と限界自治体/花づな列島復興のためのメモ(330)

香西泰氏の研究によれば、太平洋戦争において、米軍は重要産業地帯ではなく、下町などの住宅地を重点的に攻撃した。
日本軍が必死に守る産業設備を攻撃するよりも、厭戦気分を醸成した方がリスクが小さいという判断である。
そうして温存された産業設備と戦時中に工場に動員された人のスキルが戦後高度成長の源になった。
「焼け野原からの奇跡の復活・成長」というのは、神話に過ぎない。
その神話をもう一度というのはないものねだりである。

次に予定されている総選挙まで、政権は安泰なのだろうか?
第1次安倍政権が、体調不良で途中で退出を余儀なくされたことを忘れるほど、記憶力が減退している訳ではない。
そういう危うさを自覚してかしないでか、一内閣の閣議決定という形で日本の針路を決めようとする。
その姿勢に対しては、やはり「No!」と言うべきであろう。

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2014年7月15日 (火)

たかが or されど、滋賀県知事選/日本の針路(9)

13日投開票された滋賀県知事選で、前民主党衆院議員の三日月大造氏が、自民、公明推薦の元経済産業省官僚の小鑓隆史氏を抑えて当選した。
1地方自治体の首長選挙ではあるが、集団的自衛権の閣議決定など強気の運営を続けてきた安倍政権に対する意思表示とも読める。
当初は小鑓氏が絶対的に優勢と見られていた。
そのムードの風向きが変わったのは、7月1日の集団的自衛権の行使を容認した閣議決定がきっかけだったとされる。

根強い反対を振り切って閣議決定を強行した安倍晋三首相の手法に批判が集中するのとほぼ同時に、「三日月氏猛追」の情報が伝えられた。自民党の東京都議、衆院議員の女性蔑視のやじ問題も相次いで表面化し、三日月氏を支援する現職の嘉田由紀子知事に攻め手を与えた。
 集団的自衛権に代表される安倍政権の強引な姿勢、自民党の1強体制への懸念が「相乗効果」(自民党幹部)となり、「おごり」批判が地方選で噴き出した形だ。
 選挙中、小鑓氏の陣営は政権与党の強みを生かそうと組織固めを徹底した。菅義偉官房長官ら閣僚、小泉進次郎復興政務官らを続々と投入。石破氏は自らたびたび滋賀に入ったほか、党本部から県議、市議らに電話を数百件もかけた。終盤には菅氏が日本維新の会の松井一郎幹事長に依頼し、維新の橋下徹共同代表を応援演説に立てて無党派層にアピール。なりふり構わず逃げ切りを図ったが、及ばなかった。
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滋賀知事選、自公敗北 「1強」政権に冷水 福島、沖縄知事選に影響も

上図を見れば、自公の与党VS野党という対決の構図だったことは明白である。
滋賀県知事選という事情に注目してみれば、最大の争点は「原発」だったといえよう。
次いで、集団的自衛権の問題が影響したことは、次図からも窺える。
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滋賀知事選、自公敗北 「1強」政権に冷水 福島、沖縄知事選に影響も

滋賀県は湖国である。
福井県の大飯原発の再稼働を決めたのは民主党政権であるが、安倍政権はより積極的に原発依存をしようとしている。
⇒2012年4月13日 (金):拙速に過ぎる政府の大飯原発再稼働判断/原発事故の真相(26)
⇒2012年4月23日 (月:なぜ急ぐ、大飯原発再稼働/原発事故の真相(27)
⇒2013年9月 7日 (土):大飯原発活断層判断の怪/原発事故の真相(83)

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滋賀県に限らず近畿圏にとって、琵琶湖は命の水甕である。
大飯原発に事故が起きれば、近畿一円に被害が及ぶ。
中央(東京)にいる人間に、その実感があるのだろうか?

今秋には福島、沖縄両県知事選が予定されている。
地方の首長選とはいえ、国政に直結するイシューが問われることになるだろう。

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2014年7月14日 (月)

第1次世界大戦と日本/世界史の動向(21)

100年前、すなわち1914年6月28日、第1次世界大戦が勃発した。
日本は、この大戦にどう係わり、現在からみてどういう教訓が得られるであろうか?

1944年生まれの私にとって、1914年という年は、生まれる遥か前の歴史的な時間である。
ということは、1971年生まれの人たち、もう40代に入っている第2次ベビーブーマーの感覚は、第2次世界大戦の開戦について、同じような感覚を持っているであろう。
とすれば、世代間の経験の違いは埋めるのが難しいわけである。

先ごろ世界遺産登録が決まった「富岡製糸場と絹産業遺産群」の富岡製糸場が開業したのが、明治5(1872)年である。
わが国は紡績業を中心とした初期の産業革命を明治20年代央までにほぼ完了させた。
技術革新の波は、徐々に化学・機械・食品などの分野に広がっていき、明治27(1894)年~28(1895)年の日清戦争、明治37(1904)~38(1905)年の日露戦争の両戦争に勝利して国力充実の基礎を築いた。

第1次世界大戦(1914~18)において、各国はドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれた。
日本は、1902年に締結した日英同盟に基づき、連合国側の一員として参戦し、勝利の分け前に与った。
日清、日露に引き続く戦勝が日本に経済的繁栄と自信ををもたらしたことは想像に難くない。
第1次大戦中に、世界各地への輸出が増加し、工業生産が5倍になったという。

日本は、イギリスの同盟国として、中国や南洋諸島に対する影響力を増大し得た。
中国山東省のドイツの権益を奪い、対華21カ条要求により中国への介入を強めた。
田母神俊雄氏のように正当な要求だったと主張する人もいるが、客観的に見て「あわよくば」という野心が見え透いた要求だったであろう。
⇒2009年1月12日 (月):田母神氏のアパ論文における主張…対華21箇条要求

おそらくは、少なくとも財閥には、「戦争とは儲かるもの」というような雰囲気が充溢していたのではなかろうか。
大正デモクラシーとか大正ロマンというように、長い明治と昭和に挟まれた「短い大正年間」は、ノスタルジーを喚起する面があるが、それは戦勝の結果のアダ花だったと思われる。

事実、第1次世界大戦後に欧米各国が国際市場に復帰すると、たちまち競争基盤の弱い日本企業は大打撃を受けて不況に突入してしまう。
追い打ちをかけるように発生したのが、大正12(1923)年9月1日の相模湾を震源とする直下型地震だった。死者・行方不明者合わせて15万人近くという未曾有の被害をもたらした関東大震災である。

社会全体が一種のパニック状態に陥る中で、多数の在日韓国人が「暴徒化した」というデマをもとに惨殺されるというような事態が起きたことは、忘れてはならないであろう。
明治43(1910)年の韓国併合によって、表面的にはともかくとしても、潜在的には反日感情が醸成されていたと思われるから、多くの日本人の中に「韓国人が暴徒化して襲ってくるかも知れない」という恐怖感があったと思われる。
ちなみに、安重根によって韓国統監府初代総監だった伊藤博文が暗殺されたのは、 明治42(1909)年のことであった。

伊藤博文の暗殺が韓国併合の日本世論を喚起し、韓国併合がさらに反日意識を高揚させていくという憎悪と不幸のスパイラル的増幅である。
イスラエルとパレスチナの例を見るまでもなく、報復は拡大再生産して行きがちである。
嫌韓、嫌中的な雰囲気が強まる中で、ヘイトスピーチが問題になっているが、憎悪と不幸の連鎖をどこかで断ち切ることが必要である。

関東大震災時には、東京憲兵隊麹町分隊長だった甘粕正彦大尉によって、無政府主義者といわれていた大杉栄や伊藤野枝らが虐殺されている。
この事件の実行犯は甘粕ではないという説もあり、実際に、甘粕は懲役10年の判決を受けたにもかかわらず僅か2年で出獄し、昭和2(1927)年7月に渡仏している。
『暗黒日記』の清沢冽が、甘粕の罪状を知って、直ぐに『甘粕と大杉の對話』という一種の思考実験的な文章を書いており、武田徹『偽満州国論』河出書房新社(1995年12月)に引用されている。
⇒2014年6月 7日 (土):今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)
甘粕は日本が大東亜戦争(太平洋戦争、第2次世界大戦)に雪崩れて行く歴史で、裏面で大きな役割をしているが、それについては別の機会にしたい。

大正から昭和への改元は、12月も末のことだったから、実質的な元年は昭和2(1927)年といってもいい。
昭和に入ってすぐに金融恐慌が起きた。
関東大震災の影響で、銀行が多額の不良手形を抱えていたときに、片岡蔵相が国会で、「ただいま東京渡辺銀行が休業しました」と報告し、それを聞いた預金者が窓口に殺到して、結果として銀行は休業に追い込まれた。
片岡蔵相が発言した時点では渡辺銀行は営業を継続していたのだから、最近の失言とは異質の「失言」だったことは間違いないが、既に恐慌の発生する客観条件は十分に醸成されていたと考えるべきだろう。

昭和から平成への改元は1989年のことである、偶然かも知れないけど、バブル経済がピークに達し、平成2年以降下り坂に転じる転換期だった。
同じように、大正から昭和への改元のときも、人々に時代が変わっていくことを意識させたのではないか。
昭和2年の7月(つまり改元後半年くらいの時点)に、芥川龍之介が服毒自殺を遂げるという事件が起きている。
芥川は、死の動機として「ぼんやりした不安」という言葉を遺しているが、昭和3(1928)年には、関東軍による張作霖爆殺事件が起き、それが満州事変、日中戦争に繋がっていくわけだから、芥川の研ぎ澄まされた感性は、時代の行方を感知するカナリヤの嗅覚の役割だったのではないか。

第1次世界大戦は、日本にとっては切実感が希薄な戦争であった。
国内は関東大震災等で不穏な状況であったが、日本は世界の中で相対的にプレゼンスを高めた。
イギリスに代わってアメリカが世界の指導国になり、ロシアでは社会主義革命が起きて、共産党の独裁体制となった。
戦後の対独講和条約(ヴェルサイユ条約)の過酷さが、ナチスの台頭を招いた。
ということを考えれば、第1次世界大戦は第2次世界大戦に繋がっていることになる。
その割に、世間の関心は100年という節目の年に対して、関心が薄いような気がする。

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2014年7月13日 (日)

集団的自衛権と自衛隊員/日本の針路(8)

自衛隊は、憲法9条との関係で、専守防衛という形で合意が得られてきた。
いまその性格が大きく変わろうとしている。
集団的自衛権の行使が認められれば、他国の戦争に加わる道が開けるからだ。
その影響は国民全体に及ぶが、直接的には先ず第一に自衛隊員に係る。

自衛隊員自体はどう考えているであろうか?
もちろん、人によってそれぞれであろう。

 「喜んで、とはいわないけれど、命令なら行きます」。陸上自衛隊に今年入隊し、東日本の駐屯地に勤務する20代の隊員は「もし戦場に行くことになったら」との記者の問いにそう答えた。
 他の隊員と集団で生活し、武器や装備の扱い方の訓練を受けている。長距離を走る訓練では、途中で動けなくなった隊員を抱えてゴールを目指す。疲れ切って戻る宿舎で、新聞を読む時間はない。「集団的自衛権って何なのか、よくわからない」
「命令なら戦場に行く」…自衛隊員の思いは

おそらく「命令なら行く」という人が最も多いのではないだろうか。
命令に服するのは軍隊の最も基本的な規律だからである。
しかし隊員の家族にとっては必ずしもそうではあるまい。
私の知人にも、自衛隊員の息子を持つ母親がいるが、できれば辞めさせたいと言っていた。
上記の新聞記事でも次のような母親の声が紹介されている。

息子の入隊に賛成したのは、「災害救助で社会貢献したい」と動機を話したからだ。息子の制服姿を見た入隊式でも戦場に立つことは想像しなかったが、にわかに現実味を帯びてきたように思える。「人を殺すことに息子を加担させたくない。戦争に行かせるために、自衛隊へ入れたわけじゃない」。声をふるわせながら、「なぜこれを止められないの」と訴えた。
「命令なら戦場に行く」…自衛隊員の思いは

また、実際に現場の苦しさ、厳しさを体験した上での次のような意見がある。

 「『派兵は政治が判断すべきこと』『9条があるから中国になめられる』と言う人がいるが、訓練であっても実弾が飛び交う下をはいつくばった経験がないから、そんなことが言える」。現場を知るからこそ力を込める。「銃を手にする自衛官はサラリーマン意識の隊員も少なくない。入隊時に誓約するのは、日本に対する直接および間接侵略に対して『身をもって責務の完遂に努める』だ。無関係の国へ派遣されるいわれはない」
 解釈改憲によって集団的自衛権の行使を容認しようとする手法にも憤りを感じる。「要は安倍首相の独り善がり。1億2千万の国民の命をそんな理屈で危険にさらすわけにはいかない」
集団的自衛権を考える(19)元自衛隊員に聞く きょう創設60年

TwitterやFacebookで「すごい説得力」と評判の意見を紹介する。
強烈な安倍首相批判=元自衛官(防空ミサイル部隊)の泥 憲和さん。

・・・・・・
 なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。 縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、 安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。 君たち自衛官も殺されて来いというのです。 冗談ではありません。 自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。 なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。 自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。 見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。
 みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。 いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。 日本を守る話ではないんです。 売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。 売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。 それが集団的自衛権なんです。
・・・・・・

私たちは、いま私が生きてきた時間、戦後という営みを再考するときである。渡邊白泉の次の句を噛みしめながら。
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⇒2014年7月 5日 (土):さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)

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2014年7月12日 (土)

株価対策のための公的資金投入/アベノミクスの危うさ(35)

株式市場の短期的な変動で経済政策の是非を云々したくはないが、安倍首相あるいはアベノミクスは、それが最終的な評価であるかのように、株価維持にまい進している。
年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が国内株を約2500億円買い増ししているが、資産構成で株の比率を引き上げるという。
そのためか、2013年度の運用が黒字だったことのPRに熱心である。

 厚生年金と国民年金の積立金を運用する「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)は4日、2013年度の運用益が10兆2207億円だったと発表した。株価上昇を追い風に、利回りは8・64%に達した。公的年金の資産運用が独立した形で始まった01年度以降で最高となる約11・2兆円だった前年度に続き、2年連続で10兆円を超す運用益となった。
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年金積立金の運用、13年度は10.2兆円の収益

しかし、株式にリスクが伴うことは当然であり、2013年度の国内株式市場は例外的と考えるべきではなかろうか。
5年間の日経平均株価は下図のようであり、2013年度は運用が容易な相場だった。
2013年度の実績で安心をしているとヤケドを負うことになる。
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5月11日の日経平均株価の終値は前日比52円43銭(0.34%)安い1万5164円04銭で、5日続落だった。
日経平均の5日続落は実は「アベノミクス相場」始まって以来、初めてのことだという。

 この日のさえない展開の主因は、ポルトガルの銀行で経営不安問題が表面化し、欧米株が下げた前日からの流れだ。円相場が1ドル=101円台前半と2カ月ぶりの円高・ドル安水準に振れたため、電気機器や自動車が売られた。業種別日経平均で見ると電気が0.48%、自動車が0.43%下落した。
 だが、外部環境に加え、日本株固有の弱材料を気にする海外投資家が増えている、という証言もある。クレディ・スイス証券の白川浩道チーフ・エコノミストは言う。「海外ヘッジファンドから『日本の景気は本当に回復するのか』、『安倍政権は本当に盤石なのか』という質問を受けることが増えた」
 家計調査や機械受注の5月の統計で、これまで「想定内」と言われてきた消費増税後の反動減が思わぬ大きさで表れたことが原因だ。10日に発表された機械受注統計では「船舶と電力を除く民需」が前月比19.5%減と大きく落ち込んだ。統計が遡れる2005年4月以来最大だ。
 「下落」は経済統計数字だけでない。安倍政権への信認も下落している。日本経済新聞社とテレビ東京の6月の調査で安倍政権の不支持率は36%と、政権発足以来最も高くなった。もともと外国人投資家には不人気な安全保障政策などに傾注した揚げ句、支持率も下落しているとあっては「来年秋予定の消費税率再引き上げや法人税減税が困難になるのでは、との懐疑論が広がりやすく、そうなると日本株は売られやすい」(クレディ・スイスの白川氏)というわけだ。
アベノミクス相場初の「5日続落」で潮目は変わるか

市場関係者のなかには、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)のカイが支えになるはずという見方もあるというが、ブラックジョークのように聞こえる。
企業の株価を維持するために税金を投入するというのは、本末転倒だろう。
いまや日本株の3割が外国人投資家なのである。
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投資部門別株式保有比率の推移

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2014年7月11日 (金)

亡国の脱法ドラッグに有効な規制を/日本の針路(7)

脱法ドラッグを吸引して自動車事故を起こすニュースが相次いでいる。
脱法ドラッグとは何か?
Wikipediaでは、以下のように説明している。

脱法ドラッグ(だっぽうドラッグ、英: legal intoxicant、quasi-legal drug)とは、法律に基づく取締りの対象になっていない薬物。麻薬と同様の効果を持つ物質を指す。合法ドラッグとも呼ばれる。厚生労働省は違法ドラッグと呼称している。
日本において脱法ドラッグは、吸飲や経口等で摂取し、中枢神経系に作用し酩酊・多幸感・幻覚などの向精神作用をもたらす薬物のうち、法律、条例、省令等によって、所持や摂取、売買の禁止対象となっていない薬物のことを指す。例として、かつて脱法ドラッグであった、強い効果を持つ2C-T-7(2006年に麻薬に指定)は五感の歪みや幻覚を感じ、弱い効果を持つラッシュ(2006年に指定薬物に指定)は数分程度の間酩酊感を得る。日本において、脱法ドラッグが登場し始めたのは1990年代の後半とされ、2000年頃インターネットの普及などに伴い濫用が広がったとされる。
ただし、脱法ドラッグであっても、販売の名目の如何に関わらず事実上人体摂取目的に販売したと判断される場合は「無承認・無許可医薬品の販売」として薬事法違反での取り締まりの対象となる。しかし、「事実上人体摂取目的に販売したと判断される場合」が曖昧なため、いまだにアダルトショップやインターネット上で、クリーナーや芳香剤、研究用試薬、観賞用などと謳って販売されていることがある。

要するに、脳・中枢神経系を麻痺させる効果を持つ物質である。
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使ったらどうなるの?

脳・中枢神経系の高度な発達が人間を他の動物との違いである。
とすれば、意識的に脳・中枢神経系を麻痺させることは人間失格ともいえる。
事実、事故のニュースを聞いて感じるのは、人間性への懐疑である。

向神経作用という意味では、酒類も同じであるという意見がある。
程度の問題であると思われるが、脱法ドラッグの場合、余りにも副作用が強く大きい。

いわゆるドラッグの類は、一時的にいい気分になると言われていますが、その作用が切れたときの絶望感や不安感は、耐えられないほどに強いので、それから逃れるために、またドラッグに手を出してしまい(依存)、次第に自分の意志では止められなくなってしまいます。
また、繰り返し使用していると、一回に使う量がどんどん増えていきます(耐性)。こうなると、薬物欲しさに暴力事件を起こしたり、窃盗などの犯罪に手を染めるなど、薬物無しでは生活できなくなります。
さらに、いったん薬物依存症に陥ると、治療には長い期間が必要となります。その間に家族や友人を失ったり、若い人は将来が閉ざされ、一生を台無しにしてしまいます。
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使ったらどうなるの?

現在は、薬事法で「指定薬物」に指定し、製造や販売を禁止している。
今年4月からは所持や使用も禁じられている。
現在指定を受けている物質は、1300種を超えるというが、個別の物質を指定するという方法に限界があるのは明らかである。
化学物質は無限にあると言ってもいい。

規制対象になっていない類似の効果を持つ物質をどうするか?
出回った特定の物質を薬事法で規制しようとすると、規制対象に指定するまでに数カ月の時間がかかり、その空白の時間に脱法ドラッグ業者は別の規制されていない成分を使ったドラッグを売り出してしまう。
規制が始まるころには、かつての製品は販売を打ち切るので規制が追いつかない。
いわゆるイタチゴッコであるが、それでは不十分であることは当然である。
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脱法ドラッグを吸って、罪に問われることはあるか

次々と現れる類似のドラッグを「実質的に同等である」とみなし、規制をしようという動きもある(包括規制)。
しかし、「実質的に同等」というのが定義が難しい。
余りに裁量の範囲が大きいことは、刑事法制の精神に違反することになる。

しかし、報道されている事件は明らかに公共の福祉を阻害している。
有効な法制を早急に確立しなければ亡国という事態になる。
5万4千人の中学生を対象にした厚生労働省の調査によれば、使用経験があると答えたのは120人で、脱法ドラッグが入手可能としたのは15%に上った。
脱法ドラッグの経験者は、約6割に大麻や覚醒剤の使用経験があることも判明した。
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脱法ドラッグ、中学生120人が「経験」 5万人調査

中学生と言えば好奇心が旺盛な年頃である。
しかし、何らかの抑止対策を講じないと、人生を棒に振る結果になる。
大人の責任は大きい。

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2014年7月10日 (木)

STAP論文撤回理由書書き換えの怪/知的生産の方法(100)

6月29日に、三嶋大社に設えられた水無月祓の茅の輪を潜ってきた。
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早くも今年の半分が過ぎたことになるが、「もう」半分と考えるか、「まだ」半分と考えるか。
ポジティブ思考とネガティブ思考の違いだなどと言われる。
相場には「もうはまだなり、まだはもうなり」という格言もあるが、今年の10大ニュースを考えるには「まだ」早いだろう。

とは言え、STAP細胞を巡る一連の問題は、間違いなく十大ニュースの一角に入るのではなかろうか。
1月末に理化学研究所から、新生児マウスの脾臓細胞から簡単な処理で万能性のある細胞が得られた、と発表があった時は大きな期待感を持った。
⇒2014年1月30日 (木):新しい人工万能細胞/知的生産の方法(79)

ヒトの身体は約60兆個の細胞からできている。
たった1個の受精卵が細胞分裂を繰り返して、身体の各部位に分化するが、その過程は非可逆的であるというのが今までの発生生物学の常識であった。
受精卵だけが分化能力(多能性)を持っており、人工的に多能細胞を作るとすれば、初期の受精卵から作るのが最も可能性が高い。
こうした発想で受精卵から人工万能細胞のES細胞が作られた。
また、京都大学の山中伸弥教授は、分化した細胞を初期化する因子を発見して、iPS細胞を開発した。
⇒2012年10月 9日 (火):山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞/花づな列島復興のためのメモ(148)

理研の発表は、弱酸性溶液に浸けるだけで万能性が発現するというのだから画期的であるはずだった。 
ところが、1か月ほどの間に数々の問題点が指摘された。
それでも、ミスはあっても将来性のある研究と、期待を持ち続けた。
⇒2014年3月13日 (木):STAP細胞に関する過熱報道/花づな列島復興のためのメモ(315)
ショックだったのは研究リーダーの小保方氏の実験ノートの画像を見た時である。
およそドキュメントとは呼べないようなもので、これは何らかの錯誤があったのかも知れないな、と感じざるを得なかった。
⇒2014年5月 9日 (金):理研は説明責任を尽くしているか?/知的生産の方法(94)

真相はどういうことか? 
ニュースで見聞する範囲ではなかなか理解できなかったが、ようやく「日経サイエンス」誌の8月号に載っている『STAP細胞の正体』という解説記事で分かったような気がした。
「分かる」と「分ける」は同じ語源だというが、あるものを他のものと明瞭に分けられた時「分かった!」という感覚になる。
アイデンティティあるいは動詞形のアイデンティフィケーションという言葉があるが、識別(同定)あるいは識別(同定)することである。
あるものがどういう存在であるのか、分かりやすい日本語で言えば「正体」ということであろうか。

記事は、STAP細胞について遺伝子の塩基配列の解析データを分析した結果、「STAP細胞」とされているものは「ES細胞」だった可能性が高いというものである。
それを踏まえて、論文の共著者が英科学誌ネイチャー論文撤回を申し出て、科学上の問題は一応決着したと言われた。
ところが、論文撤回の理由書が、共著者の合意がないまま書き換えられていたことが7日に判明した。
新たなミステリーである。

 STAP細胞は、若山氏が小保方氏にマウスを提供。そのマウスから小保方氏がSTAP細胞を作り、若山氏がSTAP幹細胞に培養したとされている。
 ところが若山氏は6月、STAP幹細胞を調べたところ、当初、自分が渡したマウスと違う15番染色体に印となる遺伝子が挿入されていたと発表。このマウスは、自分の研究室では一度も利用したことがないとして、小保方氏の細胞作製に疑問を投げかけた。この発表を受け、共著者は全員の合意で、論文の撤回理由書に「この場所(=15番)に遺伝子を挿入したマウスは若山研究室で維持されたことはない」と記載してネイチャー側に提出していた。
 ところが2日に発表された同誌には、STAP幹細胞が「若山研のマウスや胚性幹細胞(ES細胞)と挿入場所が一致する」と逆の説明に変わっていた。
 若山氏は産経新聞の取材に対し、STAP幹細胞の遺伝子の挿入場所は、別の解析で15番染色体ではなかった可能性があるとして、6月の発表内容を修正。そのうえで、若山氏が小保方氏に渡したマウスとは異なることに変わりはないと説明した。
 若山氏は「ネイチャーには染色体の番号だけ修正を依頼した。その後、誰かがさらに大きく修正した。若山研に疑惑が行くような修正なので、私でないことは明らか」としている。
 これに対し、共著者の丹羽仁史理研プロジェクトリーダーは「(修正は)発表を見て気づいた。それ以上のことは何も分からない。若山氏に説明していただくしかない」とコメント。理研関係者によると、若山氏の修正メールは共著者に共有されておらず、小保方氏や理研の笹井芳樹副センター長、米ハーバード大の共著者も修正は全く知らなかったという。
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STAP論文、撤回理由を無断書き換え

謎が謎を呼ぶような展開で、「まだ」最終的な真相解明にはほど遠い。
それも含めて、10大ニュース入りは間違いないだろう。

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2014年7月 9日 (水)

親鸞と本願寺/京都彼方此方(8)

静岡新聞、東京新聞等で連載していた五木寛之『親鸞・完結篇』が7月6日に終わった。

 十一月二十八日、朝方、つよい風が吹いて庭木が折れた。
 親鸞はその日、朝から呼吸がとぎれたり、また大きくあえいだりしながら、すこしずつ静かになり、やがて昼過ぎに口をかすかに開いたまま息絶えた。自然な死だった。
 そばにつきそっていたのは、覚信と蓮位、有房、顕智、専信、そして尋有の六人だけだった。

さすがにストーリーテラーである。
エンディングに向けて、息詰まるような展開で、朝の楽しみだった。
Wikipediaによれば、親鸞の入滅は以下のようである。

親鸞は、弘長2年(1262年 )11月28日 (グレゴリオ暦換算 1263年1月16日 )、押小路(おしこうじ)南、万里(までの)小路東の「善法院」(弟の尋有が院主の坊) にて、享年90(満89歳)をもって入滅する。臨終は、親鸞の弟の尋有や末娘の覚信尼らが看取った。遺骨は、鳥部野北辺の「大谷」に納められた。 流罪より生涯に渡り、非僧非俗の立場を貫いた。

私はそれから750年という節目の年に、所縁の龍谷ミュージアムや西本願寺を訪れる機会を得た。
⇒2011年11月30日 (水):龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)

本願寺の成立については、Wikipediaは以下のように記している。

文久9年(1272年)(親鸞入滅より10年後)、親鸞の弟子たちの協力を得た覚信尼により、「大谷」の地より「吉水の北の辺」に改葬し「大谷廟堂」を建立する。(永仁3年(1295年)親鸞の御影像を安置し、「大谷影堂」となる。)
元応3年(1321年)、「大谷廟堂」は本願寺第三世 覚如により寺院化され、「本願寺」と号し成立する。(応長2年〈1312年〉に、「専修寺」と額を掲げるが、叡山の反対により撤去する。)

本願寺は京都駅近くの一等地に、東西が併存している。
もちろん存在は学生時代から知っていたが、正直にいえば、余り関心がなかった。
Ws000000

東西の本願寺がどう違うかも知らないで過ごしてきた。
2011年に西本願寺を訪ねて、その伽藍の大きさにびっくりした。
改めて本願寺の分立について引用すると、以下のようである。

関ヶ原の戦い後、かねてから家康によしみを通じていた教如は家康にさらに接近する。慶長7年(1602年)、後陽成天皇の勅許を背景に家康から、「本願寺」のすぐ東の烏丸六条に四町四方の寺領が寄進され、教如は七条堀川の本願寺の一角にあった隠居所から堂舎を移しここを本拠とする。「本願寺の分立」により本願寺教団も、「准如を十二世宗主とする本願寺教団」(現在の浄土真宗本願寺派)と、「教如を十二代宗主とする本願寺教団」(現在の真宗大谷派)とに分裂することになる。ただし教如の身分は死ぬまで公式には「本願寺隠居」であって必ずしも本願寺が分立したとは言い切れない。つまり形の上では七条堀川の本願寺の境内の一角に構えていた教如の隠居所(本願寺境内の三分の一を占め阿弥陀堂や御影堂もあった)を、六条烏丸に移させたにすぎない。東本願寺が正式に一派をなすのは次の宣如のときからである。
慶長8年(1603年)、上野厩橋(群馬県前橋市)の妙安寺より「親鸞上人木像」を迎え、本願寺(東本願寺)が開かれる。七条堀川の本願寺の東にあるため、後に「東本願寺」と通称されるようになり、准如が継承した七条堀川の本願寺は、「西本願寺」と通称されるようになる。
本願寺の歴史

ややこしいことである。
驚くべきことに、親鸞の実在性が確認されたのは、大正期以降のことであるらしい。
晋遊舎ムック『日本史の新常識100』(2014年7月)の「日本仏教界の革命者」の項に、次の記載がある。

 実際、明治半ばの歴史学界は親鸞の存在を否定する方向に傾いた。
・・・・・・
 大正9年(1920年)から平成の今日まで、親鸞実在の証拠が断続的に発見された。
・・・・・・
 さらに、常楽台には「親鸞木像の胎内に本人の遺骨を納めた」という伝承があった。平成20年(2008年)、根立研介京大教授の調査で、その事実も確認されたのだ。

私は親鸞の基礎資料についてはすでに研究され尽くしているかと思っていたが、とんでもない認識違いのようである。

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2014年7月 8日 (火)

沖縄密約裁判と秘密保護法/日本の針路(6)

1972年の沖縄返還を巡って日米両政府が交わした密約文書の開示を求めた訴訟は、国に開示を命じなかった東京高裁の判決が確定する見通しとなった。
最高裁が14日に判決を言い渡すことを決め、二審の結論を見直す際に必要な弁論を開かないため、原告側の訴えを退けた二審の高裁判決が維持される見通しである。

 「沖縄密約」を巡っては、2000年に米公文書の存在が判明したが、当時の政府は密約の存在を否定した。09年に政権を奪った民主党は密約を調査する有識者委員会を外務省に設置。委員会は10年に「広義の密約があった」と結論付けた。東京高裁も11年、密約と文書の存在を認めたが、外務省は廃棄の経緯も含めて再調査をしていない。政府筋は「何度再調査しても仕方がない」と明かす。
沖縄密約:不開示確定へ 「情報公開 何のためか」

沖縄密約事件とは、第3次佐藤内閣の1971年、日米間で結ばれた沖縄返還協定に際し、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(時価で約12億円)を日本政府がアメリカに秘密裏に支払う密約が存在することを掴んだ毎日新聞社政治部の西山太吉記者が日本社会党議員に漏洩した事件である。
検察側の主張によると、西山記者は女性事務官に酒を飲ませて泥酔させて肉体関係を結び、その関係を基に外務省極秘電文のコピーを盗み出させた。

1972年、日本社会党の横路孝弘と楢崎弥之助が、西山が提供した外務省極秘電文のコピーを手に国会で追及した。
この事実は大きな反響を呼び、世論は日本政府に批判的となったが、政府は情報源がどこかを内密に突き止め、佐藤首相は西山と女性事務官の不倫関係を掴むと反攻に出て、西山と女性事務官は外務省の機密文書を漏らしたとして、4月4日に国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴された。

当時の東京地検特捜部の検事佐藤道夫が書いたとされる起訴状の「ひそかに情を通じ、これを利用して」という文言が「空気」を変えた。
当初は他紙も、西山を逮捕した日本政府を言論弾圧として非難し、西山を擁護していたが、世論は一転して西山と女性事務官を非難する論調一色になった。
裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。

この事件の本質は何だったのか?
沖縄返還に伴う「密約の存否」のはずである。
それが、情報入手における男女関係に関心が集中し、あるいは集中するように誘導され、「密約の存否」から逸れて行った。
佐藤首相側の戦略勝ちということになるが、果たしてそれでいいのだろうか?

余波として、毎日新聞が不当な取材をしたということで不買運動が起こり、毎日新聞凋落の一因となったといわれる。
政府は密約の存在を否定していたが、2010年の一審・東京地裁判決で、密約文書に「署名した」とする元外務省局長の証言があって、文書が存在していたことは事実と考えるほうが自然であろう。
国は「探したが見つからなかった」と主張した。
二審においても国は「再調査したがやはりなかった」と主張したが、東京高裁は、一審に続いて文書が存在したと認める一方で、国の再調査結果を評価し、開示を命じた一審判決を取り消した。
ただし、国が密約を隠すために意図的に文書を廃棄した可能性があると指摘し、国の文書管理のあり方を批判した。

わが国には当該文書が存在していず、米国側に存在しているとしたら、文書管理に対する国の姿勢が問われよう。
行政機関の保有する情報の公開に関する法律(行政機関情報公開法)が2001年4月1日施行されたが、「探したけれどなかった」で済むとすれば、有名無実である。
まして、「特定秘密の保護に関する法律」が成立し、国の決定がどんどんヴェールに隠される方向にある。
集団的自衛権で、武力行使を伴う自衛隊派遣を決定する場合などにおいても、最も重要な根拠が「ブラックボックス」になって国民に知らされない可能性が高い。
渡辺白泉(⇒2012年1月17日 (火):渡邊白泉/私撰アンソロジー(14)、2007年11月16日 (金):渡辺白泉)の句がリアリティを増してくる。

戦争が廊下の奥に立つてゐた

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2014年7月 7日 (月)

三島北高校のグローバル人材教育/日本の針路(5)

文部科学省が今年度から「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」事業というのを始めた。
何となく胡散臭いネーミングであるが、全国の高校56校が指定され、静岡県からは三島北高校が選定された。
三島北高といえば私などの世代にとっては、女子校というイメージが強い。
富士真奈美、長山藍子、二宮さよ子等の女優を輩出してきたが、10年ほど前から共学になった。

SGHは何を目指すのか?
世界で活躍できる人材育成を行うという。
文科省では、指定校では単に英語教育を充実させるだけでなく、世界の貧困問題について学んだり、海外展開に力を入れる地元企業と協力して国際的なビジネスについて考えたりするなど、生徒に世界的な視野で物事を考えさせるプログラムを導入するとしている。

まあ特に反対することもないので、結果を見守りたいが、私が「世界で活躍できる人材」という言葉でイメージするのは、たとえば小沢征爾氏であり、あるいは羽生結弦クンである。
彼らこそ「スーパーグローバル」という言葉に相応しいのではないかと思うが、となると高校課程の教育の問題ではないような気がする。
むしろ枠にはまったカリキュラムではなく、自分で好きなことを突き詰めてやった結果ではないか?

三島北高校は、プロポーザルに「“生命を守る水”プロジェクト~国際的視野から地域課題を解決できるグローバルな人材の育成」の構想を挙げた。
このテーマ設定は適切なものだと考える。
地球のことを「水のある惑星」などというが、地球に多量の水が存在するのは奇跡のようなものである。
引力と水の物性(比重、沸点と融点、比熱 etc.)の絶妙なバランスによって、地表の7割が水で覆われている。

名水で知られる柿田川に隣接している柿田川公園に、水神を祀る貴船神社が建立されている。
小さな社であるが、その一隅に「水五訓」を刻んだ石碑が建っている。
Photo_2

「水五訓(則)」は、NHKの大河ドラマの主人公・黒田官兵衛の教えという説があるが、官兵衛の如水の号に合わせたこじつけのようである。
三島出身の大岡信氏に「故郷の水へのメッセージ」という有名な詩がある。
Photo_4

われわれは、「地表面の七割は水」であることに慣れて、「人体の七割も水」であることを忘れがちである。
日本人は、「水と安全はタダ」だと思っていると喝破したのはイザヤ・ベンダサンこと山本七平であった。
しかし二一世紀は「水争奪戦」の世紀になるといわれている。
もはや、「水も安全もタダではない」。

また、生命の起源が海にあることは、定説と言ってよい。
三好達治には、次のような詩がある。

海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、フランス人の言葉では、あなたの中に海がある。

なお、グローバルを辞書で引くと以下のような説明である。

1.全体の,世界的な,グローバルな
2.全体的な,包括的な
3.球状の; 球形の

水は最も普遍的であると同時に、最も価値のある物質なのである。

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2014年7月 6日 (日)

鍼灸と漢方/「同じ」と「違う」(80)

一か月ほど前に、大学の同期会が初めて開かれた。
現住地が東京と大阪を中心に全国に分散しているので、中をとって岐阜で開催ということになった。
日本の人口重心は岐阜県の関市だという。
私は新幹線の駅からして、「岐阜は名古屋の西」という思い込みがあったが、地図で見ると北という方が正確である。
長良川の鵜飼いを楽しもうという趣旨だったが、半身不随の私は河畔から眺めるに留めた。

翌日、岐阜在住の同研究室出身の友人が、車で近傍を案内してくれた。
その1つに、内藤記念くすり博物館があった。
木曽川の・中州にあり、エーザイの創業者内藤豊次により1971年(昭和46年)に設立されたものである。
たまたまJR東海の広報誌「ひととき」の6月号に坪内稔典氏の紹介文があり、「もう一度行きたい場所」とされていたのでタイミングが良かった。

博物館の前に薬草園が広がっている。
約450種の薬用植物が植えられているという。
20140601_111859

興味はあったが、当日は真夏のような炎暑で、この辺りは暑さで有名な地域である。
外の見学は自粛した。
博物館の中は充実した展示であった。
「撮影は自由」という。
漢方について詳しく説明されていて、確かに「もう一度行きたい場所」である。
20140601_113124

われわれは、東洋(中国)医学を「漢方」と言っているが、江戸時代、ヨーロッパ医学を蘭方と指すことに対して考案されたとされる。
漢方医学(Wikipedia)によれば、以下のような概要である。

症状を含めたその患者の状態を証(しょう)と呼び、証によって治療法を選択する。証を得るためには、四診を行うだけではなく、患者を医師の五感でよく観察することがまず必要である。
西洋医学では、患者の徴候から疾患を特定することを「診断」と呼び、これに基づいて疾患に応じた治療を行う。しかし漢方医学では、治療法を決定すること自体が最終的な証となる。例えば葛根湯が最適な症例は葛根湯証であるという。

漢方医学の治療的技法として、生薬方と鍼灸がある。
ただ「漢方」という場合には生薬方を指す場合が多い。
あるサイト(http://kenkouzousin.seesaa.net/article/32026981.html)では、「漢方と鍼灸」の差異について、「同じ理論からスタートしているが、治療に生薬を使うか、はり灸を使うかの違いだけ」と説明している。

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2014年7月 5日 (土)

さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)

渡辺白泉という俳人の代表句を紹介したことがある。
⇒2012年1月17日 (火):渡邊白泉/私撰アンソロジー(14)
中でも次の句は人口に膾炙しているといえよう。

戦争が廊下の奥に立ってゐた

渡辺白泉は長く沼津市立高校で国語を教えた。
⇒2007年10月19日 (金):有名句の評価…③白泉
⇒2007年11月16日 (金):渡辺白泉
構内に同窓会により、句碑が建てられている。
20140712_1119583
http://www.genki1.net/item/33326

戦争は、いつの間にか家の中に入り込んでいた。
渡辺自身によれば、「戦争」とは憲兵のことだそうだが、憲兵ならずとも不気味な監視の目が私たちの生活を見張っている。
この句のことを思い出したのは、集団的自衛権の行使容認に反対するデモを詠んだ市民の俳句が、さいたま市の公民館の月報への掲載を拒否されたというニュースを目にしたからだ。
拒否された句と経緯は以下のようである。

梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

 俳句の掲載を拒否したのは大宮区の三橋(みはし)公民館。同公民館は、毎月発行する「公民館だより」の俳句コーナーに、館内で開く俳句教室の一作品を掲載している。
 作者らによると、掲載作品は、この俳句教室の会員約二十人が詠んだ句の中から、互選で一句選ぶ方式。「梅雨空-」は六月に選び、七月号に掲載予定だったが、公民館は月報の俳句欄を削除して発行した。公民館長は「世論が大きく二つに分かれる問題で、一方の意見だけ載せられない」と説明したという。
 公民館を管轄する市生涯学習総合センターの小川栄一副館長は、本紙の取材に「この句が市の考えだと誤解を招いてはいけない。公民館の判断は妥当だ」と話した。
Photo_2
梅雨空に「九条守れ」の女性デモ さいたまの70代俳句 月報掲載拒否

公民館長と生涯学習総合センター副館長の態度は、いわゆる「自主規制」というものだろう。
自主規制が昂進して他人に対する圧力に転化し、圧力が強制に転化していくことは、新興俳句弾圧事件等で知る人ぞ知ることである。

 短詩型文学に加えられた最初の弾圧は、川柳にたいしてであった。
・・・・・・
 俳句にたいする弾圧は、主として反伝統派の総称たる「新興俳句」派の弾圧であったが、そのトップを切ったのが「京大俳句会」事件であった。同会は京都大学および第三高等学校の学生らによって古くから存在しいわゆる伝統俳句の陣営に属していたが、一九三三年から機関紙「京大俳句」を発行し、いわゆる新興俳句運動と提携して、無季(季題無用)、規準律(五・七・五の一七字定型と、その定型を全く無視する自由律の中間の型で、一七字定型の精神をできるだけ維持しながら自由な形式をとるもの)を提唱してリアリズムを標榜し、また三七年以降いわゆる「戦争俳句」の実践を俳壇に率先しておこなった。京都に中心をおき、東京・京都・大阪・神戸にそれぞれグループをもち、句会・研究会を開催するとともに機関誌を発行し、検挙時の会員は四八名であった。このうち、京都在住の平畑静塔・波止影夫・仁智栄坊ら六名が、四〇年二月に検挙され、さらに五月から八月にかけて西東三鬼ら七名が各地で検挙されて京都に連行された。検挙総数は警保局調によれば一五名である。検挙にあたって犯罪証拠となったのは、主としてリアリズムに関する俳論であったらしいが、彼らの作品を例示すれば左の通りである。
 

 軍橋もいま難民の荷にしなふ     平畑静塔
 あなたいゐない戦勝の夜を嬰児は眠る 波止影夫
 タンク蝦蟇の如く街に火を噴きつ   仁智栄坊
 塹壕に一つ認識票光る        西東三鬼

 検挙された人たちのうち三名が治安維持法によって起訴され、約一年後に禁錮二年執行猶予三年をいいわたされ釈放された。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-220.html

このブログでも紹介したことがある。
⇒2007年10月26日 (金):新興俳句弾圧事件…①全体像

事件を題材にした小説に、五木寛之『さかしまに』(齋藤慎爾編『俳句殺人事件―巻頭句の女 』光文社文庫(0104)所収)がある。
「オール讀物」の75年5,6月号に連載された作品であるが、さすがに面白く読ませる。
⇒2007年11月 2日 (金):『さかしまに

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2014年7月 4日 (金)

集団的自衛権行使の新3要件決定の手口/日本の針路(3)

集団的自衛権の行使に関して、自公両党の調整は、「武力行使の新3要件」で決着した。
3
東京新聞7月3日

その舞台裏について次のような報道がある。

 解釈改憲の核心は、自民党の高村正彦副総裁が提案した自衛権行使の「新3要件案」だ。特に「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある」という集団的自衛権行使に絡む文言をめぐり、自公間で調整が続く。
 だが、実はその原案は、公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に渡したものだった。解釈改憲に反対する公明党が、事実上、新3要件案の「下書き」を用意したのだ。
 「私が考える新3要件というものの、たたき台を作ってみました」
 13日の安全保障法制整備に関する第6回与党協議会で高村氏が突如A4サイズの紙を配った。「集団的自衛権の行使はできない」と結論付けた1972年の政府見解の一部を引用し、行使を認める逆の結論を導き出す私案だった。「この紙を見たのは初めてだ」。協議会後に北側氏は明言した。だが、事実は違う。
 政府関係者によると、その数日前に公明党執行部がひそかに集合。解釈改憲で対立する首相と山口氏の「落としどころ」を探るためだった。連立維持を優先させ、解釈改憲を受け入れる政治決断の場でもあった。
 山口氏が「憲法解釈の一番のベースになっている」と尊重してきた72年見解を援用する形で、限定容認と読み取れる原案を内閣法制局に作成させる。北側氏がそれを指示していた。
自衛権行使「新3要件」公明が原案 自民案装い、落としどころ(2014/06/20付 西日本新聞朝刊)

「平和の党」を標榜する公明党に期待する人も多かったようだが、結局は「理念」よりも政権という現実の御利益を優先したのだ。
まあ、宗教団体も現世利益を訴求しないと組織の維持拡大が図れないということだろう。
しかし、緩んだタガが求心力の低下という形でフィードバックしてくることは必然である。
⇒2014年6月29日 (日):公明党の存在理由/花づな列島復興のためのメモ(336)

公明党が、限定容認論を認めた段階で、外堀は埋められたといえよう。
執行部が連立維持を優先した後は、公明党の党内会議はガス抜きの場となった。
ちなみに、防衛省・自衛隊のサイトには次のように記されている。

憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
憲法と自衛権

現行の武力行使の3要件は次のようである。
(1)日本への急迫不正の侵害がある
(2)侵害を排除するために他に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使

集団的自衛権は、他国を防衛することであるから、(1)を書き換える必要がある。
はじめに高村氏から提示された私案は「我が国の存立が脅かされ、国民の権利が覆されるおそれがある場合」であった。
この「おそれ」という文言があまりに曖昧であることから、調整した結果決着したというのがストーリーであるが、実際は公明党が譲れる線を提示してそれに沿ってまとめたということだろう。
Ws000000
自民修正案「おそれ」を「明白な危険」に

自民党はハードルを上げておいて、公明党側に低くすることを委ねたのだ。
難題を吹っ掛けて相手の顔を立てつつ狙いどころに落とし込む。
ヤクザやインチキ商法が良く使う手口である。

安倍首相は「新3要件は基本的にこれまでの自衛権行使の3要件と変わるものではない」と言っているが、日本が攻撃された場合だけ武力行使するという限定と、日本は攻撃を受けていないのに他国のために武力行使を容認するのとでは大きな差異がある。
①の状況であると政府は判断すれば、「先制攻撃」もあり得るということであり、従来の「専守防衛」とはまったく異なるというべきだろう。
「明白な危険」を捏造し、武力行使に至ればもはやそれが捏造だと分かっても後戻りはできない。

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2014年7月 3日 (木)

閣議決定文章の非明晰性と論理破綻/日本の針路(2)

政府が集団的自衛権行使を容認した「閣議決定(全文)」を読んでみた。
一読ではなかなかすんなりとは頭に入ってこない。
構成は以下のようになっている。

前文
1 武力攻撃に至らない侵害への対処
(1)安全保障環境の変化と課題
(2)取り組みの強化
(3)手続の迅速化
(4)米軍部隊との切れ目のない対応の必要性
2 国際社会の平和と安定への一層の貢献
(1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」
 ア 後方支援の法律上の枠組み
 イ 「積極的平和主義」の立場
 ウ 「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所での支援活動
(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用
 ア 従来の立場
 イ 「積極的平和主義」の立場
 ウ 「武力の行使」を伴わない警察的な活動
 (ア)警察的な活動の必要条件
 (イ)国家に準ずる組織の不存在
 (ウ)内閣の裁量
 (エ)警察比例の原則
3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置
(1)安全保障環境の変化と解釈変更の必要性
(2)憲法第9条と1972年の政府見解
(3)我が国と密接な関係にある他国と自衛権
(4)武力行使の要件
(5)民主的統制の確保
4 今後の国内法整備の進め方

閣議決定の文章が明晰ではないのは、公明党を説得するために論理をひねくり回した結果であろう。
3-(1)に、次のような文章がある。

これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。

これは、明らかに矛盾する2つのことを両立させようということである。
「従来の憲法解釈を変更」と「政府の憲法解釈の論理的整合性と法的安定性」を両立させることはできない。
そのため、1972年の集団的自衛権は行使できないという政府見解を、集団的自衛権行使容認の論拠にするという「離れ業」になった。
1972年政府見解を引用しよう。

 ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場にたっているが、これは次のような考え方に基づくものである。
 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
 しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

「集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」と明言している。
それ(従来の論理)を「安全保障環境の変化があって」不十分というのならば、解釈変更ではなくて、論理の変更である。
論理の変更ならば、条文の変更をすべきことは言うまでもない。
論理の変更というよりも、論理のスリカエと言うものもある。

 これを批判するのは小林節・慶応大名誉教授(憲法学)だ。「例を挙げれば『あなたは美しいから好きだ』と言っていた人が『あなたは美し過ぎるから嫌いだ』と言い始めるようなものだ。要するに政府にとって論理などどうでもいい。やりたいことをやると言っているに等しい」
 本来は「改憲論者」である小林さんが続ける。「『安保環境』の変化を持ち出すのはトリックに過ぎない。従来の憲法解釈では尖閣諸島を守れないから集団的自衛権の行使を可能にし、日米同盟を強化すると安倍晋三首相は訴えるが、尖閣は日本の領土だから個別的自衛権で対応できる。強迫観念をあおる手法に惑わされてはならない」
集団的自衛権の行使容認 閣議決定文の「ごまかし」 憲法専門家らがキーワードで読み解く

2-(2)-ウ-(イ)で、「「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる」としているが、イラクの現状をみれば、まさに「国家に準ずる組織」が登場しているのではないか。
ベトナム戦争当時「ベトコン」と呼んでいたのは、「国家に準ずる組織」なのか否か。
政府・与党の決定は、まったくの欺瞞であると言うべきであろう。

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2014年7月 2日 (水)

政治における曖昧なレトリックの危険性/日本の針路(1)

s安倍内閣は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。
Photo
東京新聞7月2日

首相官邸周辺で「反対」のシュプレヒコールが響く中、記者会見を行って行使の意義を強調した。

 「安保改定当時は戦争に巻き込まれるという批判がずいぶんあった。しかし、強化された日米同盟は、抑止力として、長年にわたり日本とこの地域の平和に大きく貢献してきた」
閣議決定、首相「今後50年、日本は安全だ」 改憲射程「やっと、ここまで来た」

首相は確信的であるが、私には熱病に罹患しているようにしか見えない。
どう頭をひねって解釈しても、同盟国救援のために武力を用いることを容認するという解釈は出てこない。
つまり、「集団的自衛権の行使」というのは、憲法に抵触する。
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http://event.kinasse.com/kuma9/kyuujo.html

私たちは、「解釈改憲」という言葉にもう少しナーバスになった方がいいだろう。
あたかも、「改憲ではありません」と言っているようだが、改めるというよりも破棄したと考えるべきだろう。
世界のスタンダードが集団的自衛権行使容認だとしても、あえてそのスタンダードとは異なる選択をしても何が悪いというのだろうか?
それこそが「以和貴為」の理念の表示である。
憲法は規範なのである。

集団的自衛権は他衛権であり、解釈改憲は憲法廃棄であった。
そして、積極的平和主義。
アメリカと共同して軍事力行使によって平和を維持して行こうと解釈できる。
⇒2013年10月18日 (金):積極的平和主義をどう理解するか/アベノミクスの危うさ(17)

耳障りのいい、曖昧な概念でことを進めようとするのは、何かしらの企みを疑わせる。
集団的自衛権行使の論拠が迷走しているのがそれを裏付けている。
140702
静岡新聞7月2日

最終的に、集団的自衛権は持っているが憲法の規定により行使できない、という1972年の政府見解を論拠(?)にして、正反対の結論を導くというアクロバットである。

柳条湖事件をきっかけとして軍事的に鮮やかな動きをみせた関東軍(日本陸軍)は、満洲全域を掌握し、なし崩し的に日中戦争が始まった。
結局は、世界を相手にした無謀な戦争をし、打ちのめされるまで引き返すことができなかった。
外圧によってしか変われない、カタストロフまで行かないと変われない。
それを繰り返すのか。

安倍首相は、記者会見で基本的には従来とは変わりはないのだ、と強調する。

 現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があります。しかし、そのようなこともあり得ない。
安倍内閣総理大臣記者会見

これは首相の主観の表明であって、何の裏付けも示されていない。
基本的考え方が「何ら変わることはない」ならば、どうしてもっと慎重にことを進めないのか?
「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解」が、どうして誤解と断定できるのか?
曖昧なレトリックでなし崩し的に事態が進み、折り返し不能な地点まで進むという愚を繰り返してはなるまい。

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2014年7月 1日 (火)

海外での武力行使に道を開くな/世界史の動向(20)

第一次世界大戦が勃発してからちょうど100年になる。
まあ、時間は連続しているので、時間そのものに節目があるわけではないが、人間の意識には節目がある。
その節目の時に、安倍政権は戦後ずっと封印してきた「戦力の海外派遣」というパンドラの箱を開けた。

 安倍内閣は1日夕の臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をした。歴代内閣は長年、憲法9条の解釈で集団的自衛権の行使を禁じてきた。安倍晋三首相は、その積み重ねを崩し、憲法の柱である平和主義を根本から覆す解釈改憲を行った。1日は自衛隊発足から60年。第2次世界大戦での多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、「専守防衛」に徹してきた日本が、直接攻撃されていなくても他国の戦争に加わることができる国に大きく転換した日となった。
政府、集団的自衛権行使へ閣議決定 憲法解釈を変更

第二次大戦の反省を踏まえ、敗戦後のわが国は、戦争放棄の平和国家を国是としてきた。
それが一内閣の判断で、反故にされようとしているのである。
140701
東京新聞7月1日

安倍首相が、ダボス会議において、現在の日中関係を第一次世界大戦前の英独関係にたとえた。
安倍首相自身は、「そうならないように、コミュニケーションを図る」という趣旨であったと説明しているし、その通りだと思うが、参加各国との間でかなりの温度差があったようである。

史上初の世界大戦は、戦車や飛行機、機関銃といった大量殺害兵器が登場し、死者、負傷者とも数千万人に上ったといわれる。
きっかけは、100年前の6月28日に起きたサラエボでのオーストリア皇太子の暗殺事件である。
半島の紛争が瞬く間に欧州全土での戦闘へと広がり、多くの人が戦争は早期に終結すると楽観していたにもかかわらず、「塹壕戦」が主流となったため戦線は膠着して、戦争は長期化した。
長期化とともに戦線が拡大していった。

当時のヨーロッパ列強は複雑な同盟・対立関係の中にあった。
経済的な相互依存が深まり、戦争は「無益どころか不可能」と言われていたにもかかわらず、多くの誤算の上に各国が「望まない戦争」の泥沼に引きずり込まれた。

日本は日英同盟に基づいて、1914年8月23日にドイツ帝国へ宣戦を布告し、連合国の一員として参戦した。
帝国陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻略、さらに海軍はドイツが植民地支配していた南洋諸島を攻略した。
戦後、大日本帝国は連合国の主要5大国の一国としてパリ講和会議に参加し、山東半島の権益と併せてパラオやマーシャル諸島などの、それまでドイツが支配下に置いていた赤道以北の太平洋上の南洋群島を委任統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となった。

戦闘行為が国外であったこと、勝利の分け前に与ったことが、軍部の発言権を強くし、泥沼の地平に足を踏み入れて行った。
他国の領土での戦争は、ある意味で非戦闘員の犠牲を伴わない。
しかし、核兵器を持った段階で、地球上に安全地帯はなくなったのである。

われわれは、20世紀に体験した2つの世界大戦に学ばねばならない。
1つは、国外で戦力を発動しないこと。
2つは、為政者の煽るナショナリズムに乗らないこと。
3つは、情報を客観的に分析し、挑発に乗らないリテラシーを身につけること。

後で振り返った時、今日が大きな曲がり角だったと総括されないようにしたい。

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