親子鷹を実践・原貢/追悼(52)
東海大系列校野球部総監督の原貢氏が、5月29日、心不全のため亡くなった。
79歳だった。
甲子園で2度の全国制覇を果たすなど高校、大学で監督として輝かしい実績を挙げ、アマ球界の“ドン”と称された。
全国的な知名度は、三池工高の監督として夏の甲子園で初出場初優勝を達成した1965年からである。
原氏が三池工の監督に就任したのは1959(昭和34)年のことであった。
当時の三池工は地元大牟田地区でも全くの無名チームだった。
三池工の野球部顧問が、強化のために優れた指導者を求めて、大牟田の大企業だった東洋高圧の野球部長に相談し、紹介されたのが原氏だった。
原氏は、在学している生徒のみを鍛えることの限界を感じ、有力中学生のスカウトに乗り出した。
そして、スカウトした選手たちが2年目になった頃から、目に見えて強力なチームができたという。
やがて力をつけた三池工に、多くの有力中学生が進学するようになり、全国制覇を達成するメンバーにまでなった。
当時の原氏の指導は、絵に描いたようなスパルタ指導だったようだ。
集中力を欠いたプレーをしたら殴り、怠慢プレーしたらバットで殴りつけたというから、今ならモンスターペアレントならずとも問題視されること必定である。
原氏は、三池工での戦いぶりや指導に感じた東海大学の創設者・総長松前重義の招きで東海大学付属相模高等学校野球部監督に就任し、1970年夏の甲子園で同校を初の全国制覇に導くなど、東海大相模の名を全国に轟かせた。
1974年(昭和49年)には長男・辰徳が東海大相模に入学し、「親子鷹」としても話題となった。
数多くの教え子の中で、一番弟子が長男の辰徳氏(巨人監督)であることは衆目の一致するところであろう。
辰徳氏は1974年に東海大相模高に入学したが、貢氏は野球部内で一切の親子関係を断ち切った。
辰徳氏は「進学時に『五分五分の力なら補欠だ。六分四分でも補欠。七分三分なら考える。おまえは耐えられるか』と聞かれた」と振り返るり、チームでは誰よりも怒られて、他の選手に同情されるほどだったという。
練習では何度も辰徳氏に対して鉄拳を浴びせ、ほかの選手の襟を正すための生け贄にした。
病床の貢氏を辰徳氏が見舞うため、5月5日のナゴヤドームの巨人・中日戦の采配を川相ヘッドコーチに任せて、神奈川県内の病院に向かった。
この件を、「週刊現代」5月24日号で、『「家族想いの美談」か、「職場放棄」か?』という形で賛否の意見を紹介している。
私は、年間を通じて数多くある試合の1試合を、父親の見舞いのため欠場することに何の違和感もなかった。
自分の息子の入学式に出るために、担任の学校の入学式を欠席するのとはわけが違うだろう。
⇒2014年4月17日 (木):公私の分界をどう考えるか?/花づな列島復興のためのメモ(321)
しかし、同誌には厳しい意見も寄せられていた。
たとえば、元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞氏は次のように言っている。
歌舞伎の世界では、中村勘三郎さんが亡くなったとき、息子の勘九郎と七之介兄弟は京都南座の公演のために、お通夜や葬儀にも行かなかった、
プロとしてあるまじき行為だ。
一方、作家で僧侶の家田荘子氏は、次のように言う。
5日のマウンドに孫の菅野智之投手(辰徳監督の甥)が先発として上がり、勝利投手になった。
辰徳監督も菅野投手に「あとは頼んだぞ」と託し、菅野投手も奮起したのであろう。
巨人の試合の場合、立派な代役もいる。
一方、埼玉県の県立高校の教師は、入学してくる1年生の入学式である。
まさに一期一会の場というべきではなかろうか?
実際に同月中に貢氏が亡くなっていることを考えれば、辰徳氏にとっては父親の見舞いの方こそ一期一会だった。
であれば、辰徳氏に厳しかった貢氏も、満足だったのではなかろうか。
合掌。
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