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2014年6月17日 (火)

イラクにおける勢力対立の図式/世界史の動向(19)

イスラム過激派武装組織「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」が、イラク北部を掌握し、首都バグダッドに向けて攻勢を強めている。
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イラク(共和国)は、古代メソポタミア文明を受け継ぐ歴史的な土地であり、同時に世界で3番目の原油埋蔵国である。
国境を、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接している。
こう書いてみると、日本と余りにも対照的であると思う。

さらに分かりにくくしているのが、宗派と民族対立である。
イラクの人口3100万人強の97%がイスラム教を信仰している。
そのうち、アラブ人シーア派が50%、アラブ人スンニ派が25%、クルド人スンニ派が20%とされる。
イラクの政治勢力図は以下のように整理されている。
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http://special.nikkeibp.co.jp/as/iraq/vol1/page4.html

2010年12月、第二次ヌーリー・マリキ内閣が発足した。
マリキ首相はシーア派であり、かつてフセインから死刑宣告を受けて亡命したが、イラク戦争末期に帰国して、イラク初の民主主義選挙の結果、首相になった。
第二次マリキ内閣は、三派(シーア派、スンニ派、クルド人勢力)の融和を図るための連合政権であり、シーア派、スンニ派、クルド人系からまんべんなく閣僚を選んでいる。
イラク国民議会の第一党は、イヤド・アラウィ元首相が代表を務める「イラク国民運動(イラーキーヤ)」で、内閣と議会の間にねじれがある。
イラクには国家のシンボル的存在として大統領もいるが、現在のジャラル・タラバーニー大統領はクルド同盟の代表である。
イラクの政治は、内閣、議会、大統領が微妙な力関係にあり、この微妙な政治状況が、宗派同士の対立の温床となっている。

オスマン帝国の崩壊で、英仏が一帯の土地の分割を秘密裏に決めたことが現在に繋がっている。
北部にクルド人、中西部にイスラム教スンニ派、南部にはシーア派がそれぞれ主に住むことになり、首都バグダッドはちょうど両派が重なる。
人工的な国境をだから、同族、同宗派の人々が国境をまたいで住んでおり、クルド人はトルコ、イラン、シリアと、南部シーア派はイランと接続している。

とても一筋縄では理解できない複雑さである。
このような国に、他国がどういう大義を以て介入するのであろうか?

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