« イラクにおける勢力対立の図式/世界史の動向(19) | トップページ | 集団的自衛権論議の胡散臭さ/花づな列島復興のためのメモ(331) »

2014年6月18日 (水)

シーア派とスンニ派/「同じ」と「違う」(76)

「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」という名前のイスラム教過激派の武装組織が、6月10日には北部の都市モスル、11日にはティクリートを相次いで制圧して首都バグダッドに迫っている。
イラク軍は15日になって一部拠点を奪還したとしているが、今後の展開はどうなるであろうか?
ISILの呼び名は一定でなく、報じるメディアによって「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」、もしくは「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」と異なっている。
2003年のイラク戦争後、イラクで凶悪な無差別攻撃を繰り返してきた国際テロ組織「アルカイダ」の流れを汲む過激派だ。

シリア内戦の泥沼化に伴って、急速に勢力を拡大してきた組織であって、シリアとイラクの国境をまたぐスンニ派の地域を自由に往来し、シリアのアサド政権とも戦闘を繰り広げている。
イラクとシリアにカリフ(イスラム社会の最高指導者に率いられた)国家を建設しようという目標を掲げ、北アフリカや湾岸諸国など中東や欧米諸国からシリアに流れ込んだ戦士をどんどん吸収している。
ISILを率いるアブ・バクル・アル・バグダディ容疑者の人物像はほとんど明らかになっていない。

ロイターによると、バグダディ容疑者は1971年、イラクのサマラ出身。バグダッド大学でイスラム学を学び、学位を取得。アルカイダ系組織の構成員として戦闘に加わった後、2010年にアルカイダ系組織「イラク・イスラム国」の指導者に就いた。彼の目的はビンラディン氏と同じくイスラム国家の樹立にあるという。
武装組織「イラク・シリア・イスラム国」とは何か?  イラク北部を制圧

イラクの現マリキ政権は、シーア派中心である。
イラクと国境を接する大国のサウジアラビアはスンニ派、イランはシーア派が主導している。
Ws000000
東京新聞6月17日

私のようにほとんど無宗教の人間には、シーア派とスンニ派のような宗派対立は分かりにくい。
かつて壮絶なゲバルトを繰り返した革命的共産主義者同盟(革共同)から生まれた革マル派と中核派の事例があるが、「近いものほど差異に敏感になる」というメカニズムがあるようだ。

ブラウジングしてみると、シーア派とスンニ派に関して、下記のような図解があった。

Photo_3
他国も含めての二派間の所属者数比較は圧倒的にスンニ派が多数である。しかし、イラク国内に限るなら国民の60%がシーア派、スンニ派は20%と逆転している。フセイン政権下ではスンニ派が優遇され、シーア派は弱い立場だったが、イラク戦争後はシーア派が政権の主流を取るようになった。元々宗派対立があるだけではなく、その色分けがそのまま権力や利害に直結している。地縁や何代にも渡る血脈と宗派は切り離しが出来ない繋がりである。
http://d.hatena.ne.jp/dacs/20070614/1181770208

要するに、「イスラム教の預言者の後継者を誰とするか」ということである。

 スンニ派は、預言者ムハンマドの後継者に関して血統の有無を問わないのに対し、シーア派はあくまでムハンマドの後継者は血を受け継ぐ子孫である、としています。イスラム教の誕生は7世紀ですから、1300年以上にわたり、開祖であるムハンマドの後継者争いには決着がついていないことになります。
http://special.nikkeibp.co.jp/as/iraq/vol1/page4.html

血統の問題は論理では解決しないから厄介である。
わが国でも、皇室典範の規定を巡って論議があることは周知の通りである。

第一条  皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

皇統というのが血統であるが、「男系の男子」という限定について議論がある。
なぜ男系か?
神武天皇のY染色体の連続性などと科学的な説明を装う説明もあるが、少し離れた立場で見ればナンセンスであることは自明である。
⇒2011年1月10日 (月):皇統論における「Yの論理」への疑問

|

« イラクにおける勢力対立の図式/世界史の動向(19) | トップページ | 集団的自衛権論議の胡散臭さ/花づな列島復興のためのメモ(331) »

ニュース」カテゴリの記事

思考技術」カテゴリの記事

「同じ」と「違う」」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シーア派とスンニ派/「同じ」と「違う」(76):

« イラクにおける勢力対立の図式/世界史の動向(19) | トップページ | 集団的自衛権論議の胡散臭さ/花づな列島復興のためのメモ(331) »