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2014年6月 2日 (月)

「赤福」のお家騒動/ブランド・企業論(27)

「赤福」といえば、伊勢の老舗の和菓子屋として有名である。
餅を漉し餡でくるんだもので、漉し餡には三つの筋が付き、五十鈴川の川の流れを表しているとされる。
妻の大好物であり、昨日も岐阜に出かける所用があり、帰りに名古屋駅で土産に買って帰った。
餅は非常にやわらかいのが特徴である。
「崩れるので、平らにして持つように気を付けてください」と言われた。

三嶋大社で福太郎という縁起餅を売っている。
草餅であるが赤福のイミテーションという感じを否めない。

和菓子の餡には、「漉し餡派」と粒餡派」に嗜好が分かれる。
もちろん物にもよるが、あえてどちらを選ぶかという質問に対して以下のような結果が得られた。
Vs
和菓子についての本音・実態調査

「つぶあん派」が61%、「こしあん派」が35%と、「つぶあん派」が多い。
男女での差はほとんどなく、若干男性の方が「つぶあん派」が、女性の方が「こしあん派」が多い結果であった。
年代別では、60代以上は70%が「つぶあん派」と圧倒的に「つぶあん派」なのに対し、30代以下は49%が「こしあん派」44%が「つぶあん派」で「こしあん派」の方が多い。
「つぶあん派」は年代が上がるほど多くなり、「こしあん派」は若い世代ほど多い、という傾向であるが、「貧しかった時代に育つと、餡をより強く実感できる「つぶあん」の方が好まれる」というのが私の仮説である。
ちなみに我が家は、私が「つぶあん派」、妻が「こしあん派」であるが、「つぶあん派」の私も赤福餅の「こしあん」には異論はない。

「赤福」は保存料を使わない生菓子であり、消費期限は夏期は製造年月日を含め2日間、冬期は3日間である。
創業300年となった2007年に、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造年月日として出荷していたこと、さらに売れ残り商品の再利用をしていたことが明るみに出た。
三重県が無期限の営業禁止処分としたことで経営問題に発展した。

その「赤福」でお家騒動だという。
2014年4月23日、赤福は臨時株主総会で浜田典保社長を退任させ、浜田益嗣(父)の妻である勝子を後任社長に選任した。
同時に、典保社長が外部から会長として迎えた玉井英二氏も取締役を退任した。
日本経済新聞によれば、「まさに仰天人事だった」。

 「あの日、臨時株主総会が開かれることは社内でもほとんどが知らなかったはず」と赤福の社員は声をひそめる。それもそのはず。関係者によると総会に出席したのは典保、父親で前の社長の益嗣(ますたね)、母親の勝子、典保の弟の吉司ら。非上場企業である赤福の発行済み株式の84%は、益嗣が社長を務める浜田総業が所有し、残りを典保と益嗣が二分する。株主総会といっても実態は浜田家の「家族会議」のようなものだからだ。
 23日午前に「家族会議」が開かれると、緊急動議によってあっという間に典保の解任が決まった。取引先金融機関にも事前には知らされておらず、周囲には突然の解任劇だったことは間違いない。だが、赤福を知る関係者の大半はその理由は推察できた。「典保さんと益嗣さんとの確執が来るところまできてしまったんだろう」と。
ひび割れた「赤福」 和菓子老舗の仰天人事

「赤福」の名前を全国区にした立役者といわれる益嗣氏は、2代目社長で、1954年に株式会社に転換した。
益嗣氏は、1960年代に名古屋や大阪に工場をつくり、西日本に販路を拡大し、1965年には菓子会社、マスヤ食品(現マスヤ)を設立して、「おにぎりせんべい」をヒットさせるなど経営手腕には定評がある。
観光名所となっている「おかげ横丁」は、江戸末期から明治初期の門前町の街並みの風情を再現した。
益嗣氏の発案によるもので、「赤福」が140億円以上も事業費を負担した。

2007年の消費期限の偽装問題で、益嗣氏は会長を引責辞任し、経営の実権を05年に社長に就いていた典保に渡した。
典保氏は、「家業から企業」の脱皮を掲げ、社内改革を陣頭指揮し始めた。
コンプライアンス室や生産管理部などを新設し、社外から、かつて住友銀行で「大物副頭取」と呼ばれた玉井英二氏を会長に招いた。
社内の風通しを良くし、偽装を常態化したといわれるトップダウンの社内風土の改革を進めた。
営業再開時(08年9月期)に64億円に落ち込んでいた売上高を、13年9月期には約92億円と事件前の水準まで戻した。

典保氏の評価が高まる一方で、益嗣氏との溝が深まっていった。
益嗣氏が円満な退任であれば問題は生じなかっただろう。
しかし、不本意な退任となった益嗣から見れば、「家業から企業」を公然と唱え、改革を推し進める典保氏は父親を否定するような存在に見えた可能性がある。
典保氏が伊勢商工会議所の副会頭、伊勢市観光協会会長に相次ぎ就任して、財界活動に力を入れることも益嗣氏の意に沿わなかったという。

退任した玉井氏に代わって、新たに取締役になった4人のうち3人は、偽装問題で引責辞任したメンバーである。
しかし、その1人は典保氏の妻の朋恵氏だ。
実権を握っている益嗣・勝子夫妻は70代後半である。
この辺りがどう影響するかが判断の分かれ目ではあるが、「お家騒動」という形で報じられるのは非近代的なイメージで、マイナスが大きいだろう。
老舗の伝統と経営の近代化は、両立しないものなのだろうか?

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