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2014年6月23日 (月)

ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)

石原環境相の「金目発言」や東京都議会での野次など、品位のない政治家の発言が波紋を呼んでいる。
⇒2014年6月20日 (金):品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)

石原氏に対して、野党各党は「閣僚としての資質を欠く」と批判し、衆院に不信任決議案、参院に問責決議案を提出したが、いずれも与党の反対多数で否決された。
不信任決議案の提出に加わった日本維新の会の共同代表の石原慎太郎氏は本会議を欠席し、採決に加わらなかった。
不信任に反対した与党側にも「配慮が足りなかった点もあったかもしれない。大いに反省を促したい」(自民党の田中和徳氏)と苦言を呈する声があった。
野党は「今回の発言で中間貯蔵施設の稼働は間違いなく遅れ、福島の復興も遅れる。『石原氏の罷免なくして復興なし』だ」(民主党の辻元清美衆院議員)と手厳しかった。

 「用地補償など最後は予算措置の規模を示すことが重要だとの趣旨だった。お金ですべて解決する意図では全くない。品位を欠き、誤解を招く表現で心からおわびしたい」
 「国会閉会後、速やかに福島を訪れ、直接謝罪したい。発言が意図せざる理解をされた。撤回したい」
 石原氏は今回の「金目」発言について、19日の参院環境委員会でこう釈明し、謝罪した。
やはり出た! 懲りない石原伸晃環境相

おそらくは近く行われる内閣改造で交代となり、責任の所在はうやむやになるであろうが、この発言は、謝罪したり、撤回して済む問題ではないと思う。
私は、自民党の議席が圧倒的な現状では止むを得ない決議ではあろうが、石原氏の留任は自民党の驕りを示していると考える。
石原氏は、二世で甘やかされて育ったためであろうか、問題発言を繰り返してきた。
「それが彼の持ち味だ」と評する向きもあるが、いかにも軽いという印象は拭い難い。

2012年9月の自民党総裁選では有力候補として位置づけられていた。
しかし、以下のような軽率発言などがあったことなどにより、安倍、石破両氏に大きく差を付けられた。
・尖閣問題について、「中国は、攻めてこない。誰も住んでいないんだから」
・社会保障費の削減について、「私は尊厳死協会に入ろうと思っている」
・汚染土の処理について、「もう運ぶところは、福島原発の第1サティアンのところしかないと思う」

これらの履歴を踏まえれば、今回の「金目発言」が一過性の「失言」というよりも、石原氏の思考の反映であると考えるべきであろう。
とするならば、安倍首相は任命責任を自覚すべである。

一方、東京都議会の一般質問中にセクハラとも取れるやじが飛んだ問題は、国際的な反響も呼んでいるようである。
米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版は、質問者だった塩村文夏都議のインタビューを掲載し、「女性軽視の議員に、結婚や出産をしたくてもできない女性を支援する政策は立案できない」との発言を紹介した。

 同紙は塩村都議が「セクハラ発言の集中砲火を浴びた」として、安倍晋三政権が女性重視の成長戦略を訴える中で、やじ問題が波紋を呼んでいるとした。
米紙、セクハラやじで「女性軽視」塩村氏会見の記事掲載

発言者の特定や処分を求めた議長への申し入れは不受理となった。
みんなの党は、声紋鑑定で発言者を特定するという。
何とも情けない話である。
早期の幕引きを図りたいという自民党の意向もあったにであろう、自民党都議の鈴木某が発言の一部について認めたという。
彼は会派を離脱するというが、一件落着としてしまってはならないだろう。

おそらくは、軽い気持ちで飛ばした野次だったのであろう。
それが反響が大きくなって、自分の発言だと言い難くなっていたのではないか。
当初は、自分だということを否定していたという。
石原氏の発言も、記者団に囲まれて軽いジョークのつもりだったと思われる。

私は、軽い気持ちのときこそ構えが甘くなって、本音が表れやすいものだと思う。
石原氏も都議も、普段思っていることが、図らずも表出してしまったということではないか。
であれば、「失言」という言葉が相応しいかどうか疑問である。
自民党の体質は、一時的に下野したくらいでは変わらないということであろう。

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