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2014年6月 7日 (土)

今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)

学生時代に初めて清沢洌の『暗黒日記』を読んだときの衝撃は大きかった。
確か、筑摩書房から出ていたノンフィクション全集の中の一冊だったように記憶している。
抜粋版ではあったが、かなりの部分をカバーしていたはずである。
狂信的な思潮が圧倒的だった時代に、清沢洌のように冷静かつ客観的に世相を観る目が存在したことを知り、自分のモデルとすべき人だと思った。

久しぶりに『暗黒日記』のことを思い返したのは、東京新聞の「本音のコラム」欄で、斎藤美奈子氏の「70年前の警句」という文章に、『暗黒日記』からの引用があったからである。
斎藤氏は、意表を衝く視点を提示してくれる柔軟な思考を持った評論家である。
⇒2011年1月29日 (土):異質馴化-斎藤美奈子さん江/知的生産の方法(8)

斎藤氏の論の立て方は、一見奇抜なレトリックのようでありながら、本質に迫る。
たとえば、『文章読本さん江』という著書がある。
リサーチャーの卵時代(20代の後半頃)が、私の文章修業の時期であった。
それまで、学校では、小中学生の頃作文をやった経験があるだけで、文章の書き方を意識的に学習したことはなかった。

一方、『文章読本』という類の著書があることは知っていた。
谷崎潤一郎をはじめ、川端康成、三島由紀夫、中村真一郎、丸谷才一、井上ひさしなどの錚々たる作家たちに、それぞれ『文章読本』があるし、岩淵悦太郎氏や中村明氏は反語的な『悪文』を出している。
中村氏の方は、「裏返し文章読本」というサブタイトルであるから、『文章読本』の一種であることは間違いない。
これらの著書は一応購入し、ほとんどのものは目を通してみた。

それぞれ含蓄に富んではいるものの、読んだからといって文章がうまくなったとは思えなかった。
リサーチャーの場合、“うまい”というのは、「論旨が明快で伝達性が高い」ということである。
その意味でモデルになったのは、若くして亡くなられたが水問題から出発して広く社会工学の諸問題にアクティブに発言されていた華山謙氏(東工大教授)、アフリカというフィールドでヒトの発生というテーマにチャレンジサルされた伊谷純一郎氏(京大教授)、あるいは評論家の加藤周一氏などの文章であった。

斎藤氏の『文章読本さん江』は、既往数多くの「文章読本」を腑分けし、現代における文章のあり方を論じたものであった。
「すべての文章読本は他の文章読本の批評になっている」と書いているが、その意味で、当然斎藤版『文章読本』としての性格を持っている。
この書は、第一回小林秀雄賞の受賞作であるが、「批評とは畢竟、他人をダシにして己を語ることである」と喝破した小林秀雄の名を冠した賞に相応しい。
この本を読んでいれば、文章上達のために『文章読本』を読むというムダな努力をしないで済んだ。

ところで斎藤氏のコラムのタイトルの「70年前の警句」は、やれ解釈改憲だ、集団的自衛権の行使容認だと声高に主張されている最近の政界を、70年前、すなわち1944年の政治状況と「似ている」と見て、清沢洌の書き遺した『暗黒日記』の記述を引用するのである。
たとえば、1944年7月17日の項。

 大本営には連絡会議があるが、決定機関はない。政略と作戦には知識が入っていく機会がなく、若い参謀と、東條などの「かん」で決定されている。日清、日露戦争には明治天皇を中心に、伊藤、山縣等の元老が議をねった。これが現代と異なるところだ。

直後の7月20日の項。

 東條内閣総辞職す。この日本を不幸に陥らせた責任内閣は、かくて内輪割れの結果崩壊す。
・・・・・・
 さるにても、これくらい乱暴、無知をしつくした内閣は日本にはなかった。

斎藤氏の言い分に賛成である。
ついでに私の誕生した8月8日の項を見ると次のような文章が書かれている。

 からだの調子恢復。畠などをやる。晩に鮎沢氏宿る。
 小磯首相、ラジオで放送。何をいっているのか分からぬ。「天皇に帰一し奉る」ということが結論だが、それは何を意味するのか。これぐらい分かったようで分からぬ文字はない。

確かに、「天皇に帰一し奉る」とは、分かったようで分からない言葉であるが、今でも「成長の家」の教義の根本の天皇信仰を表す言葉だそうである。
また、私の青春の書の阿川弘之『雲の墓標』にも、4人の主人公たちが、吉野は夢の中の神がかり的な経験に感動し、坂井は「天皇に帰一し奉る」ということの深い意味がわかって来たなどといい出すシーンがある。
いち早く事故死する藤倉は、「マルクス主義の洗礼を受けていたら、もっと、科学的な見通しを立てる力を持てたろうか」と手紙に書いている。

いま私の手許にある『暗黒日記』は、評論社版復初文庫の一冊で、橋川文三氏の編集・解説である。
索引まで入れると900ページを超える大著で、今の私には通読する体力も気力も不足している。
時々、パラパラとページを繰りながら、世相に迎合しないクリティカルな精神を思い出すことにしよう。

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