内戦状態のイラクと集団的自衛権/世界史の動向(18)
いよいよサッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が始まった。
日本代表は、コートジボワールと初戦を戦い、先制点を上げたものの、後半に逆転され敗れた。
コートジボワールの主役はやはりドログバ選手という感じであった。
年齢等を考慮し、最後の30分間のタイミングを狙って投入された後、明らかに流れが変わった。
ラムシ監督の手腕が冴えていたといえよう。
日本は同選手投入後に立て続けに2点を献上しており、その存在感は際立つものであった。
ドログバ選手は、コートジボワールの内戦を止めたことでも有名である。
コートジボワールでは2002年、与野党政治家や軍部が入り乱れる権力争いから内戦が勃発し、政府派の南部と反政府派の北部に分裂する事態となった。
南部出身のドログバが、みんな同じ「Drogbacité=ドログバシテ」なのだと主張する運動を開始し、2005年10月、06年ドイツ大会の本大会進出を決めた試合の後、マイクを手にしたドログバは、更衣室でチーム全員と一緒に、生中継のテレビカメラに向かってひざまずき、内戦をやめるよう訴えた。
コートジボワール市民の皆さん、北部出身の、南部の、中部の、そして西部出身の皆さん、私たちはこうやってひざまずき皆さんに懇願します。許し合ってください。コートジボワールほどの偉大な国がいつまでも混乱し続けるわけにはいきません。武器を置いて、選挙を実施してください。そうすれば全てが良くなります。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/sports/gooeditor-20100610-01.html
内戦は同一の国家の領域内で対立した勢力によって起こる、武力紛争を指す。
日本では西郷隆盛らによる西南戦争以来、内戦の経験はない。
しかし、世界各地で内戦は絶えない。
イラクでは、政府軍とイスラム過激派との内戦の様相を帯びてきている。
アメリカの駐留戦闘部隊が撤退した後、次第に勢いを増したイスラム過激派が、北方から首都バグダッドに迫ってきた。
イラク北部でのイスラム教スンニ派過激派組織「イラク・レバント・イスラム国(ISIL)」の攻勢を受け、マリキ首相は13日、中部サマラで「全ての都市からテロリストを排除するための作戦に着手した」と述べ、ISILとの全面対決を宣言した。AFP通信などが伝えた。また、オバマ米大統領は同日、イラクへの軍事支援について数日以内に決める意向を明らかにした。
ISILは首都バグダッドの北東約80キロに位置するディヤラ県バクバ近郊まで侵攻し、13日に政府軍と衝突。バグダッドを目指している。サマラも今月5日に攻撃しており、政府軍との戦闘が続く。
イラク首相:「テロ排除に着手」 米が軍事支援へ
隣国イランのロウハニ大統領は、14日イラクの要請があれば支援する用意があると表明した。
シーア派大国のイランとしては、イラクがスンニ派のISILの攻勢にさらされているのは座視できないということだろう。
しかし両国はかつて、イ・イ(イラン・イラク)戦争を戦ったことは記憶に残っている。
イランでは1979年にシーア派によるイスラム革命があり、親米のパーレビー政権が倒れ、ホメイニーの指導下、周辺のアラブ諸国とは異なる政治体制「イスラム共和制」を敷いた。
一方、イラクではフセインが政権を掌握して反対派を粛清し、強固な独裁制を確立し、軍備を強化していった。
国境をめぐって対立していた両国は、1980年9月22日、イラク軍がイランの空軍基地を爆撃、イラン軍がそれを迎撃するという形で戦争が始まった。
戦争は1988年8月20日に国際連合安全保障理事会の決議を受け入れる形で停戦を迎えるまで続いた。
1989年6月、ホメイニーが死去し、翌1990年9月10日にイラン・イラク両国間で国交が回復した。
イランの介入姿勢は、サウジアラビアなど周辺国が警戒を強めるだろう。
イラン、イラク支援の用意、米と協力検討も
サウジアラビアはイラクと国境を接しているが、スンニ派の大国であり、親米国である。
自国内でもシーア派住民の動きに神経をとがらせているが、イランの介入姿勢すれば反発は免れない。
私は、2003年3月に行われた米英のイラク攻撃のことを思い出さざるを得ない。
米英は、『イラクの自由作戦』と命名した作戦によって、侵攻を開始した。
フランス、ドイツ、ロシア、中国などは強硬に反対したが、当時の小泉純一郎首相は記者会見で、「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします」と表明した。
アメリカ国内の世論は武力介入に高い支持を与えたが、開戦前の1月初旬、ナイト・リダー社の発表した世論調査結果によると、調査に応じたアメリカ人の内44%が、2001年9月11日の同時多発テロのハイジャック犯の一部または大半がイラク人だと考えていた。
実際には、報道によれば大半がサウジアラビア人でイラク人は一人もいなかった。
ブッシュ政権はイラク戦争開戦の理由について、大量破壊兵器を開発・保有する独裁国家イラクの脅威から国際社会を守るためだと説明したが、フセイン政権が崩壊し戦闘が終結しても、開戦の理由だった大量破壊兵器は発見されなかった。
アメリカ政府の独立委員会は、大量破壊兵器の情報は虚偽だったと結論づけた。
イラク戦争の大義は何だったのか?
現在論議されている集団的自衛権行使が容認された場合、日本は同盟国アメリカと共に戦うことになるのだろうか?
ベトナム戦争にしろ、アメリカ高く掲げた正義は歴史的に必ずしも正義とは言えないことが明らかになっている。
正義とか自衛という言葉は批判的に考えた方がいい。
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