ITビジネスの動向と日本の伝統/知的生産の方法(99)
書店で、尾原和啓『ITビジネスの原理』NHK出版(2014年1月)が目に入り、購入した。
生まれた時にインターネットなどのデジタル環境が既に存在していた世代をデジタル・ネイティブ、人生の途中で触れた世代をデジタル・イミグラント(移民)という。
私はイミグラントの1人であるが、若い人と話していると、むしろエトランゼという感覚である。
だから、適当なガイドブックが必要だと思ったのだ。
世紀が変わる頃、「IT革命」という言葉が流行語になったことがある。
オンリィ・イエスタディのような気もするが、その後のITによる影響は「革命」の語が決して大げさではなかったことを示している。
先日も電車の7人掛けのシートの全員が、スマホと向き合っていた。
かつて梅棹忠夫氏は、消化器官が食物という「つめもの」を必要とするように、肥大化したヒトの脳は情報という「つめもの」を貪欲に欲するのだ、と喝破した。
『梅棹忠夫著作集』第14巻の解説で、野村雅一氏は『文明史のラジカルな羅針盤』と題し、次のように書いている。
無意味情報が感覚器官で受けとめられ、脳内を通過することによって、感覚器官は敏感に刺激され、脳神経系はおおいに緊張し活動する。それによって情報産業の時代にもっとも重要になる感覚器官と脳神経系系統の外胚葉諸器官の活動が活発に維持される。従来の「情報理論」では無意味情報はノイズだが、このような「コンニャク情報論」にたてば、ノイズさえも、感覚・脳神経系を興奮させる情報の一種とかんがえられる。
動物の進化の歴史は、ある意味では、感覚器官と脳神経系の進化の歴史といえる。しかし、環境への適応といった目的論でそのすべてを説明しようとするのはあやまりだろう。人間は、なにが原因か確定的なことはわからないが、結果的に脳神経系を異常に発達させた。とにかく、厖大な数の脳細胞が存在し、それらは活動したがっている。消化器官系が活動しているかぎり、栄養があろうがなかろうが、食物というつめものが必要なように、意味があろうがなかろうが、「大容量の脳のなかになにかをつめこまなければならない。そのつめものが情報である。……大脳が存在するかぎり、それは情報を消化してしまうのだ」
スマホと向き合っている姿は、感覚器官と脳神経系の進化の歴史の最先端の形なのだ。
野村氏は、これを「脳が『欲情』する」と洒落ている。
最近は、ITではなくて、ICTという語もよく使われる。
Cはコミュニケーションである。
尾原氏は、I(C)T産業の歴史(高々20年程度ではあるが、すべての革命がそうであるように、20年の間の変化は劇的である)を俯瞰して、いくつかのキーワードを提示している。
・情報の粒度
・電話から情報端末へ
・人はなぜ情報発信するか etc.
梅棹氏がマクロに提示したデッサンの具体例である。
そして、今後のITビジネスの方向性を占うキーワードとして、「コンテクスト」を提示している。
アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールは「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」という区分をした。
「コンテクスト」とは、コミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことである。
ハイコンテクスト文化とは、コンテクストの共有性が高い文化のことであり、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことである。
日本は、典型的なハイコンテクストな文化であり、多民族・多宗教のアメリカはローコンテクストな文化である。
日本のハイコンテクスト文化を象徴するのは、俳諧のような「座の文芸」であろう。
連歌(句)は、五七五と七七を交互に繋げていくものである。
難しい式目(ルール)については専門書に譲るが、前句に込められた想いを汲み取り、それを元に別の形に展開していくものであると考えられる。
その最もシンプルな形が、五七五と七七を2人で共作するものである。
先日、静岡新聞で「親守詩」というものを知った。
親子が短歌の形式で互いの気持ちを表現する「親守詩」を広めようと、裾野市の市民有志でつくる実行委員会が7月27日、「第1回親守詩裾野市大会」を市民文化センターで開く。メンバーは「親守詩の取り組みを地域に定着させたい」と意気込んでいる。
・・・・・・ 「子守歌」をもじった親守詩は、子どもが作った上の句(5・7・5)に親が下の句(7・7)をつなげる連歌。口にできない思いを伝え合う機会として高橋史朗明星大教授が提唱し、全国で普及を目指す動きがある。
「親守詩」普及へ市民有志ら一丸 7月、裾野市大会
「親守詩」は典型的なハイコンテクストであろう。
インターネットはアメリカで生まれた。
であるから、今までのインターネットは、ローコンテクストにならざるを得なかった。
だが今後はハイコンテクスト化してくるであろう、というのが尾原氏の予想である。
となれば、Google、Microsoft、Facebookなどのアメリカ企業に替わって、日本の出番ではなかろうか。
特に子供たちが「親守詩」などによって、ハイコンテクストな創作に馴染むことが、重要な意義を持つように思える。
芭蕉の「不易流行」の言ではないが、ITリテラシーを強調することによって忘れがちな伝統文芸の価値を再認識すべきではなかろうか。
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