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2014年6月

2014年6月30日 (月)

集団的自衛権と集団安全保障/「同じ」と「違う」(79)

集団的自衛権行使容認の閣議決定に関し、政府は、国会などで説明するための想定問答をまとめていたが、集団安全保障についても、「憲法上の武力行使は許容される」と明記していることが分かった。
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東京新聞6月28日

 想定問答では、集団安全保障では「武力の行使」はできないのか、との問いに対し、集団的自衛権を含む行使の条件を定めた「武力行使の新3要件」を満たせば、武力攻撃が発生した直後から「憲法上許容される」とした。
 例えば、中東ペルシャ湾で海中にまかれた機雷を取り除くなど、自衛隊が「新3要件を満たす活動」をしている時に、国連安全保障理事会の決議が出て、集団安全保障に切り替わった場合を想定。「決議が採択されたからといって、『新3要件』を満たす活動を途中でやめなければならないわけではない」とした。
 与党協議では、集団安全保障で武力を使うことについて、公明党が「武力の行使の範囲が際限なく広がる」として反発。閣議決定案には盛り込まず、議論を棚上げした。しかし、想定問答は、国際法では「集団安全保障」に分類される行動でも、新3要件を満たせば、憲法上は「我が国による自衛の措置」となると区別して、機雷除去などは可能と結論づけた。
 また、政府は武力行使を目的に他国の領域に自衛隊を原則として派遣しないとしてきた。これに対し、想定問答では、中東ペルシャ湾を念頭に、国際法では「武力行使」と見なされる機雷除去について「他国の領海内であっても、『新3要件』を満たす場合には、憲法上許されないわけではない」とした。
 集団的自衛権などを行使する地理的な範囲については「新3要件」に照らせば「自(おの)ずから限界がある」としたが、具体的な範囲は示さなかった。また、行使する相手国について、政府は公明党の求めで「我が国と密接な関係にある他国」としたが、この解釈について「米国以外は、一般には相当限定されるが、個別具体的な状況に即して総合的に判断」と、米国以外との協力の余地を残した。
集団安保で武力行使容認 政府想定問答、首相答弁と矛盾

私は公明党との協議は出来レースの茶番と考えるが、集団的自衛権と集団安全保障とはどういう関係なのか?
集団安全保障は、他国を侵略した国に対し、国連を中心とした国際社会が団結して制裁を科すことで平和維持を図る仕組みであると説明される。
1990年にクウェート侵攻したイラク軍を、国連安全保障理事会決議に基づく米国中心の多国籍軍が攻撃した例が該当する。

政府は、武力行使を伴う集団安全保障への参加は憲法に抵触するとの立場だった。
安倍首相も15日の記者会見で「自衛隊が湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは決してない」と否定した。
しかし、自民党の石破茂幹事長らは可能性に含みを残したような発言をしていた。

一方、集団的自衛権は、同盟国など密接な関係にある国への武力攻撃を自国への攻撃と見なして実力で阻止するものである。
自衛ではなく他衛であるが、集団的自衛権が主に2国間の関係であるのに対し、集団安全保障は多国間の枠組みである。
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集団安全保障  戦闘参加、首相は否定 自衛隊の危険増大も

私には、集団的自衛権は行使容認だが集団安全保障での武力行使は否定するという論理が良く分からない。
集団的自衛権の行使中に国連で決議されればどうするのか?
まあ、安倍首相は心情の人であって論理の人ではないようであるが。

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2014年6月29日 (日)

公明党の存在理由/花づな列島復興のためのメモ(336)

集団的自衛権の行使容認で、与党が合意し閣議決定される見通しだという。

公明党の山口那津男代表は6月26日に出演したテレビ番組で、集団的自衛権の行使について、「一部限定的に容認する余地はあるのではないか」と述べ、容認する考えを示した。自民党の高村正彦副総裁が提示していた、集団的自衛権行使を容認する「新3要件」についても、「二重三重の歯止めがきいており、拡大解釈のおそれがない」と評価した。
山口代表が憲法解釈の変更を認める姿勢を示すのは、この日が初めて。政府与党は7月1日にも、集団的自衛権行使を容認すると憲法解釈を変更する閣議決定を行う方向で調整に入った。公明党は週明けまでに、党内をまとめる。
集団的自衛権、公明党・山口代表が自民党案受け入れを表明「拡大解釈のおそれがない」

公明党の地方組織には異論が強いようである。

 公明党は28日、集団的自衛権の行使について地方組織代表者の意見を聞く会合を党本部で開いた。容認に動く党執行部に出席者から異論が続出した。だが、執行部は連立を維持する立場から、30日に最終的な党内の意見集約を終え、行使容認のための7月1日の閣議決定を認める考えだ。
公明、地方から異論相次ぐ 集団的自衛権行使容認めぐり

まあ、公明党執行部が反対の姿勢だというのはポーズに過ぎないだろうと思っていた。
公明党は、集団的自衛権の行使を阻止するか自民党との連立政権を維持するかの岐路に立っていた。
できれば二匹のウサギを同時に得たいというのが執行部の意向だったのだろうが、安倍政権が行使容認に強い意欲を持っている以上、二者択一でしかあり得ないことは明らかであった。

連立維持に重きを置く執行部と「平和の党」の看板を重視する地方組織の温度差ということだろう。
しかし、結局は与党に留まることを選択するのであろうが、長い目で見れば禍根を残すことになると思われる。

集団的自衛権を使えるようにする閣議決定に関し、政府が、国会などで説明するための想定問答をまとめていた。
その中で、集団安全保障での武力行使について、公明党の反発で閣議決定案には盛り込まないとしたが、想定問答には「憲法上の武力行使は許容される」と明記しているという。
二枚舌というか、公明党の反対は「限定的」とを見切られている証拠だろう。
しかし、いわゆる後方支援の一部につき、2008年に名古屋高裁は、憲法9条及び法律に違反するとの判決を下している。

論理的な破綻は、根拠の援用の迷走という形で表れている。
田中秀征氏は次のように批判している。

 今回の議論の過程で究極の不見識と言えば、1959年の「砂川判決」と72年の政府見解の援用だろう。とても歴史の検証に耐えられるものではない。
 砂川判決の援用は猛反発を招き、いつの間にか引っ込められたが、実は土壇場で持ち出された72年の政府見解の援用に至っては開いた口がふさがらない。
 要するに「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」という結論に導くための理由を、何と行使するための理由として援用したのである。
公明党は結党以来、最大の岐路に立っている!!

公明党の存在意義とは何だろうか?
同党のサイトを見てみよう。
2006年9月30日に 第6回公明党全国大会で採択された「新宣言」は次のような言葉で結ばれている。

理念なき政治、哲学なき政治は混迷をもたらし、国を衰退させる。民衆、現場から離れた政治は迷走する。公明党は深き理念と哲学の基盤に立って、幅広い国民の理解と連帯と協力のもと果敢に諸改革の実現に取り組む。
https://www.komei.or.jp/komei/about/meeting/movement06/declaration.html

この言葉に照らしていえば、国会での正規の手続きを経ることなく、内閣が憲法解釈を変えるということが説明できるのだろうか?
歯止めというものは一度外れると、止め処がない。
そして、論理がすり替わってくる。
「集団的自衛権」は自衛の論理ではない。
他衛のために、日本の領土外で武力行使することには反対である。

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2014年6月28日 (土)

2014年W杯敗退の教訓/花づな列島復興のためのメモ(335)

2014年サッカーW杯ブラジル大会で、日本チームは1勝もできずにグループリーグで敗退した。
日本は5大会連続の出場であり、ヨーロッパ等のチームで活躍する選手も増えて、歴代最強チームなどと評されていた。
それに、東日本大震災が起きたりしたことなどから、期待が盛り上がっていたのは自然である。

にわかサッカーファンであるから技術論や戦略論を云々することはできないが、力量の差は明らかだったようである。
初戦のコートジヴォワール戦で、本田選手が見事なシュートを決め先制した時には、素人なりに「いけるかも」という感じがした。
Jリーグの隆盛もあって、日本選手の総体的なレベルが向上していることは間違いないであろう。

結果論であることを承知で言えば、この初戦を逆転負けしたことがグループリーグを突破できなかった1つの要因だ思う。
「流れ」というものがある。
スポーツに限らず、麻雀やブラックジャックなどのゲームにも、「流れ」はある。
ビジネスや人生などにも言えるのかも知れないが、その「流れ」に逆らうとうまく行かない確率が高い。
流れを冷静に観察し、タイミングを合わせて自分の方に引き寄せることが重要であろう。
今大会について言えば、コートジヴォワールのドログバ選手選手の投入によって試合の流れが変わり、それがグループリーグの敗退に繋がったように思う。
⇒2014年6月15日 (日):内戦状態のイラクと集団的自衛権/世界史の動向(18)

W杯は4年に1度の開催である。
リベンジは4年後であり、今大会からどのような教訓を得るべきは専門家に任せたいが、私の感想を記しておく。
ヨーロッパで活躍していると言っても、スペイン、イタリア、イングランド、ポルトガルなどが敗退していることをみれば、ヨーロッパの国といえども苦戦していることが分かる。
また、アジアサッカー連盟(AFC)からは、日本、韓国、イラン、オーストラリアの4チームが出場しているが、1勝もできなかった。
気候等のブラジルという風土が関係しているのかも知れないが、先ずは力の差というべきであろう。

まあ、世界のレベルを見ていて感ずるのは、スピード感である。
カウンター攻撃を受けて失点するシーンが多かったが、ボールを奪われてからシュートを放たれるまでの時間が短いし、蹴られたボールのスピードも速い。
オランダのロッペン、ブラジルのネイマール、アルゼンチンのメッシ選手などのスピード感あふれるプレーは、見ていても気持ち良く、サッカーの醍醐味というものだろう。

日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督は、「責任はすべて私にある。日本代表を離れないといけない」と述べ、退任の意向を示した。
ザッケローニ監督は就任以来55試合で采配を振るい、30勝12分け13勝という結果を残した。
勝率54.6%は、日本サッカーがプロ化して以降の代表監督で3位にあたる。
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グラフで見る日本代表

次期監督に就任するのは誰であろうか?
今まで同じ監督が2大会連続で指揮を執ったことはない。
私は、ジェフ千葉の監督からシーズン中に異例の就任をしたオシム監督が続けていれば、と想像する。
「考えて走るサッカー」を標榜して、代表チームに新しい方向性を示したと言われるが、脳梗塞で倒れ退任せざるを得なかった。

ビッグデータといわれる時代である。
サッカーのマネジメントもビッグデータは活用されている。
データスタジアムという会社は、スポーツにまつわる分析サービス提供の草分けである。

同社はサッカーではJリーグオフィシャルデータサプライヤーとして、年間1000試合前後のデータをシステムに入力している。日本代表のデータなら2003年から全試合を、ワールドカップの試合は2006年のドイツ大会から全64試合をデータ化し、多様な分析結果を公開している。

同社のフットボール事業部の滝川有伸氏は、日本代表がベスト8進出を目指すための条件を、次のように予測していた。

日本は攻撃面を重視したメンバーで大会に臨んでいるが、試合終盤に差し掛かかってリードしたまま逃げ切りたい、または引き分けのままでもいいという状況となった場合に相手の猛攻やパワープレーをいかに防ぐかがカギになる
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20140610/562992/?ST=print

コートジヴォワール戦で逆転されたことを考えれば、首肯できるものだ。
データ活用のイメージは以下のようである。

 手間と暇をかけて入力したデータを基に、多様な視点で情報を解析するのが「Data Striker(データストライカー)」というシステム。試合中に発生したデータを多様な視点から分析することで、チームあるいは選手のプレーについて答えを導ける。現在はJ1、J2、J3全チームの半数程度がこのシステムを使っている。
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同上

システムの改良は不断に行われている。
代表チームがどこまで活用しているかは知らないが、ITの徹底利用は、日本チームの優位性を生かす1つの道ではなかろうか。
サッカーというゲームは、文化や伝統の影響が大きい。
つまり、ハイコンテクストなコミュニケーションが求められるということであろう。
⇒2014年6月27日 (金):ITビジネスの動向と日本の伝統/知的生産の方法(98)

私は、コミュニケーションの問題を考えると日本人監督の方が望ましいように思うが、もし外国人監督を迎えるならば、監督と一体になれる日本人コーチは必須であろう。

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2014年6月27日 (金)

ITビジネスの動向と日本の伝統/知的生産の方法(99)

書店で、尾原和啓『ITビジネスの原理』NHK出版(2014年1月)が目に入り、購入した。
生まれた時にインターネットなどのデジタル環境が既に存在していた世代をデジタル・ネイティブ、人生の途中で触れた世代をデジタル・イミグラント(移民)という。
私はイミグラントの1人であるが、若い人と話していると、むしろエトランゼという感覚である。
だから、適当なガイドブックが必要だと思ったのだ。

世紀が変わる頃、「IT革命」という言葉が流行語になったことがある。
オンリィ・イエスタディのような気もするが、その後のITによる影響は「革命」の語が決して大げさではなかったことを示している。
先日も電車の7人掛けのシートの全員が、スマホと向き合っていた。

かつて梅棹忠夫氏は、消化器官が食物という「つめもの」を必要とするように、肥大化したヒトの脳は情報という「つめもの」を貪欲に欲するのだ、と喝破した。
『梅棹忠夫著作集』第14巻の解説で、野村雅一氏は『文明史のラジカルな羅針盤』と題し、次のように書いている。

無意味情報が感覚器官で受けとめられ、脳内を通過することによって、感覚器官は敏感に刺激され、脳神経系はおおいに緊張し活動する。それによって情報産業の時代にもっとも重要になる感覚器官と脳神経系系統の外胚葉諸器官の活動が活発に維持される。従来の「情報理論」では無意味情報はノイズだが、このような「コンニャク情報論」にたてば、ノイズさえも、感覚・脳神経系を興奮させる情報の一種とかんがえられる。
動物の進化の歴史は、ある意味では、感覚器官と脳神経系の進化の歴史といえる。しかし、環境への適応といった目的論でそのすべてを説明しようとするのはあやまりだろう。人間は、なにが原因か確定的なことはわからないが、結果的に脳神経系を異常に発達させた。とにかく、厖大な数の脳細胞が存在し、それらは活動したがっている。消化器官系が活動しているかぎり、栄養があろうがなかろうが、食物というつめものが必要なように、意味があろうがなかろうが、「大容量の脳のなかになにかをつめこまなければならない。そのつめものが情報である。……大脳が存在するかぎり、それは情報を消化してしまうのだ」

スマホと向き合っている姿は、感覚器官と脳神経系の進化の歴史の最先端の形なのだ。
野村氏は、これを「脳が『欲情』する」と洒落ている。

最近は、ITではなくて、ICTという語もよく使われる。
Cはコミュニケーションである。
尾原氏は、I(C)T産業の歴史(高々20年程度ではあるが、すべての革命がそうであるように、20年の間の変化は劇的である)を俯瞰して、いくつかのキーワードを提示している。
・情報の粒度
・電話から情報端末へ
・人はなぜ情報発信するか etc.

梅棹氏がマクロに提示したデッサンの具体例である。
そして、今後のITビジネスの方向性を占うキーワードとして、「コンテクスト」を提示している。

アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールは「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」という区分をした。
「コンテクスト」とは、コミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことである。
ハイコンテクスト文化とは、コンテクストの共有性が高い文化のことであり、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことである。
日本は、典型的なハイコンテクストな文化であり、多民族・多宗教のアメリカはローコンテクストな文化である。

日本のハイコンテクスト文化を象徴するのは、俳諧のような「座の文芸」であろう。
連歌(句)は、五七五と七七を交互に繋げていくものである。
難しい式目(ルール)については専門書に譲るが、前句に込められた想いを汲み取り、それを元に別の形に展開していくものであると考えられる。
その最もシンプルな形が、五七五と七七を2人で共作するものである。

先日、静岡新聞で「親守詩」というものを知った。

 親子が短歌の形式で互いの気持ちを表現する「親守詩」を広めようと、裾野市の市民有志でつくる実行委員会が7月27日、「第1回親守詩裾野市大会」を市民文化センターで開く。メンバーは「親守詩の取り組みを地域に定着させたい」と意気込んでいる。
・・・・・・ 「子守歌」をもじった親守詩は、子どもが作った上の句(5・7・5)に親が下の句(7・7)をつなげる連歌。口にできない思いを伝え合う機会として高橋史朗明星大教授が提唱し、全国で普及を目指す動きがある。
「親守詩」普及へ市民有志ら一丸 7月、裾野市大会

「親守詩」は典型的なハイコンテクストであろう。
インターネットはアメリカで生まれた。
であるから、今までのインターネットは、ローコンテクストにならざるを得なかった。
だが今後はハイコンテクスト化してくるであろう、というのが尾原氏の予想である。

となれば、Google、Microsoft、Facebookなどのアメリカ企業に替わって、日本の出番ではなかろうか。
特に子供たちが「親守詩」などによって、ハイコンテクストな創作に馴染むことが、重要な意義を持つように思える。
芭蕉の「不易流行」の言ではないが、ITリテラシーを強調することによって忘れがちな伝統文芸の価値を再認識すべきではなかろうか。

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2014年6月26日 (木)

「失言」体質と自民党の病理/花づな列島復興のためのメモ(334)

しつこいようであるが、政治の世界で流行している「失言」について付言したい。
⇒2014年6月20日 (金):品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)
⇒2014年6月23日 (月):ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)
一件落着とするには余りにも大きい問題が含まれていると考えるからだ。

第一は、石原伸晃環境相の「金目発言」。
お詫び行脚だそうである。

 石原伸晃環境相は23日午前、東京電力福島第1原発事故の除染に伴う中間貯蔵施設を巡る「最後は金目(かねめ)でしょ」との自身の発言について、建設候補地の福島県大熊町の渡辺利綱町長と面会し「深く反省している。町民に不快な思いをおかけし、心からおわびしたい」と謝罪した。渡辺町長は「多くの町民が不快な感情を持っているのは事実。ただ直接、速やかに来ていただいたことは大きなけじめと受け止める」と述べた。
 石原環境相は、同県会津若松市にある大熊町役場出張所を訪問。「品位を欠く表現で、お金で解決すると受け止められ、厳しい意見をいただいた」と頭を下げた。午後には、もう一つの候補地である同県双葉町の伊沢史朗町長や佐藤雄平知事とも会い、発言をわびる。
石原環境相:金目発言「深く反省。心からおわび」謝罪行脚

私には、「直接、速やかに」出向くことが、どうして「大きなけじめ」になるのか良く分からないが、それはともかくとして、念のため辞書で「金目」を引いてみると、以下にようである。

かね‐め 【金目】 
金銭的価値の高いこと。高価。「―の品」
金銭に換算した価値。値段。「―に積もらば拾七八貫目が物あり」〈浮・万金丹・五〉

この解説では、環境相自ら言うように、「品位を欠く表現」であるには結びつかないような気もする。
しかし、言葉の意味は文脈の中で確定する。
石原氏は否定しているが、補償交渉を金で解決しようという意図と解さざるを得ない。
文学者の子息にしては、著しくデリカシーに欠けているし、品位を欠いているのは間違いない。
慎太郎氏には家庭教育についての一家言があったはずであるが、その辺りはどうだったのだろうか?

都議会の発言については、自民党の鈴木章浩議員(51)が「早く結婚した方がいい」と発言したことを認めた。
私はよく知らなかったが、鈴木議員はいわくつきの問題議員のようである。
2012年8月19日に、尖閣諸島の魚釣島沖に戦没者の慰霊名目で洋上から接近した日本人のうちの1人である。
石原都知事が都で購入するとしていた時期であり、選挙区からしても石原慎太郎シンパと考えられる。
とすれば、2つの「失言」は、慎太郎的な何かで結びついているとも言える。
猪瀬前知事の徳洲会問題では、百条委設置を提唱して辞任のお膳立てをした「功労者」である。

自民党は、所属議員への聞き取り調査をした結果、吉原修幹事長が「『早く結婚した方がいい』以外のヤジを聞いた議員はいなかった」と結論づけた。
開いた口を閉じられないとはこのことだろう。
TVでさえ、他の発言があったことは聞き取れる。
このまま閉会して幕引きを図ろうとしている自民党の態度を有権者は忘れないようにすべきであろう。
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東京新聞6月26日

自民党の驕りであるが、何重にも卑劣な行為で、中学生のイジメに通じるのではないかと思う。
発言者が特定され難い状況で、事実存在したはず他の発言者は現時点では不明である。
選挙の時は自分の名前を連呼していたであろうにもかかわらず、匿名という仮面を被っているのである。
発言を認めた鈴木議員も、当初は否定していた。
仲間意識によってウヤムヤにしてしまえばしめたもの、というようなココロが手に取るように透いて見える。

「大げさに騒ぐな」という大人ぶった意見もあるようだが、陰湿で、幼稚と言わざるを得ない。
慎太郎氏は勇ましい発言がお好きなようだが、根底にあるのは弱いものイジメである。
安倍首相も、福島の復興や女性の活用を口にするなら、本気で毅然とした態度で臨むべきだろう。

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2014年6月25日 (水)

白蓮の鈴と裾野市の佐野原神社/富士山アラカルト(8)

静岡県裾野市の佐野原神社で、6月22日、柳原白蓮が奉納し、今年5月に見つかった本坪鈴が一般公開された。
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静岡新聞6月23日

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佐野原神社はJR御殿場線の裾野駅に近い場所にあるが、子供の頃、境内でチャンバラごっこをしたことがある思い出の場所である。
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現在は隣接地域が、裾野駅前の区画整理区域になっていて、虫食い状態である。
佐野原神社の祭神は、二条為冬卿である。
為冬は「和歌の家」御子左家嫡流二条為氏の三男として生まれ、和歌の才能に恵まれた。
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後醍醐天皇の信任も厚かったが、南北朝の争いに巻き込まれ、足利尊氏らを討つため尊良親王に従って出陣したが、建武2(1334)年12月12日に斃れた。
明治維新後、国や地元有志の努力で残されていた将軍塚の前に社殿を建て、明治9(1876)年佐野原神社として創立された。
和歌に秀でた祭神を祀る神社に歌人が奉納するのは自然だ。

柳原白蓮は、NHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』の主要な登場人物である。
花子とは「赤毛のアン」を翻訳出版する村岡花子(吉高由里子)のことであり、花子の「腹心の友」として葉山蓮子(仲間由紀恵)がいる。
蓮子が、後に歌人として名を成すことになる白蓮事件で有名な白蓮(本名・燁子)である。

白蓮事件は、1921年(大正10年)10月20日、柳原白蓮が、滞在先の東京で出奔し、社会運動家で法学士の宮崎龍介と駆け落ちした事件である。
NHKのドラマでは、宮崎龍介は、宮本龍一という役名になっている。
父は孫文達を支援して、辛亥革命を支えた有名な革命家の宮崎滔天であり、龍介は編集者・弁護士・社会運動家として活動した。
今週は、カフェー・ドミンゴでブルジョアの妻である蓮子にケンカを売った龍介が、ケロッとして九州まで脚本を書いてくれるように会いに行くシーンで始まった。
つまり、龍介は、直情径行というか短絡的な男として描かれている。

新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載された。
センセーショナルに世間を賑わしたであろうことは容易に想像できる。
時代の先端のさらに先をゆく女性だったのだろう。

6月23日の日経新聞の朝刊コラム「春秋」が書いているように、「女性の相棒モノ」が人気になっているようだ。
去年の『あまちゃん』もアイドルを目指す高校生コンビという設定だったし、評判のディズニー映画『アナと雪の女王』も姉妹である。
未だにレベルの低い性差別発言が止まらないが、心強いのは「同性の相棒」ということだろうか。

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2014年6月24日 (火)

遠藤麟一朗とリベラルアーツ/知的生産の方法(98)

今朝の静岡新聞に、山梨学院大学の全面広告が載っている。
国際リベラルアーツ学部が新設されるという告知である。
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iCLAというi○○の表記が三番煎じ風味であるが、大学も生き残りのため、いろいろ工夫しなければならないのだなあ、と思う。
相変わらず、大学、学部が新設されているようであるが、今後の人口減を考えた場合に成功する確率はかなりの隘路になるであろうことが予想される。
見聞する範囲で成功例と言えるのは、故中嶋嶺雄氏が尽力した秋田県の国際教養大学くらいではないだろうか。
⇒2013年2月20日 (水):中国論をこえた浩瀚な学識・中嶋嶺雄さん/追悼(28)
あるいは、静岡文化芸術大学 などを含めてもいいかも知れないが、なかなか難しそうである。

私は、リベラルアーツという言葉で連想するのは、たとえば故遠藤麟一朗氏のことである。
先ごろ亡くなった粕谷一希氏の『二十歳にして心朽ちたり―遠藤麟一朗と『世代』の人々』新潮社 (1980年11月)、洋泉社MC新書版(2007年11月)の主人公である。
私は粕谷氏の著書によって、遠藤麟一朗という存在を知り、2000年にアラビア石油のサウジの採掘権が失効した時、勤務していた社内掲示板システムに以下のような一文を載せたことがある。

アラビア石油(アラ石)が約40年にわたって保有してきたサウジアラビアにおける石油採掘権益が、2000年2月28日をもって失効した。昨今、石油は「戦略物資」から「市場商品」へと性格が変わったというような論調が多いが、原発等が多くの問題を抱えている状態において、現時点でも依然として重要なエネルギー資源であることに変わりはない。その埋蔵地域は偏在しており、戦略物資性は決して軽視すべきものではないと思う。「日の丸原油」の象徴としてのアラ石の権益は、単に「原油輸入量の5%に過ぎない」という以上の意味を持っていると考えるべきである。そのアラ石の歴史の中に、希有とも言うべき華麗な才能を抑制して生きた1人の企業人がいた。戦後の混乱期に学生が編集し、そのクオリティの高さが伝説的な声名を残す総合雑誌『世代』の初代編集長、エンリンこと遠藤麟一朗である。
(以下略)

また、このブログでも取り上げたことがある。
⇒2008年5月28日 (水):『世代』と遠藤麟一朗
遠藤は、粕谷氏の著書のタイトルからも窺えるように、戦後雨後の筍のように現れた数多くの雑誌の中でもひときわ異彩を放つ「世代」の編集長であった。
昭和21年夏創刊した学生のための学生による総合誌。
混乱を極めた時代に、奇跡のように大輪の硬質の知性が結晶した。

遠藤麟一朗は東京高工を出て大手建設業の技師となった父と、同郷の裕福な旅館の娘で東京の実践女専を卒えた母との間に世田谷松沢で生まれた。番町小、府立一中から41年一高入学。トーマス・マンを原書で読むために文乙を選択し、日本古典を系統的に読むために明寮国文学会に入室したといわれる。『向陵時報』編集委員となって短文などを発表し、「ひとりゐればかゞやきわたるしづけさを酒たうべする夜のおろけさ」とか「人おのおのおのれが道を歩みけり墓一つづつたまはれと言へ」の短歌は寮生たちの愛唱するところとなった。44年海軍入隊し主計少尉、終戦で東大(経)に復学して全国大学専門学校機関誌『世代』の創刊に参加し、46年7月発刊から第6号までの編集長として携わる。47年秋卒業して住友銀行入行、配属先の日比谷支店で組合運動に参加し、西荻窪やがて和歌山支店へと配転され、61年同行を退職。同年アラビア石油に入社した。
「二十歳にして心朽ちたり」を読む

「世代」は、昭和21年に創刊号が出され、何度かの休刊を挟んで、昭和27年に第17号の刊行をもって終わる。
創刊号から第6号までの編集長を遠藤麟一朗が務めた。
「世代」の世代をめぐる人間模様や遠藤の卓越した編集能力などについては、粕谷氏の書に譲るが、「世代」は、現在でも折に触れて回想や論評の対象となる雑誌である。
粕谷氏は『中央公論』の名編集長と評された人であるが、プロの目から見て、「遠藤麟一朗の『世代』編集について……それ以後の『世代』とは画然とした差があるように思われる」と言っている。

遠藤編集長時代の「世代」は、マチネ・ポエティック同人として戦後文壇に鮮やかなデビューをすることになる加藤周一、中村真一郎、福永武彦の3人組に、コラム欄を提供してその文芸活動をスタートさせたという文学史的な意味を持つが、一方で、編集の志向レベルが高すぎて、実際の執筆者は、学生よりも大家や新進気鋭の学者・評論家が多く、学生の機関誌という当初の性格付けから、批判もかなりあったようである。
しかし、遠藤は決して編集方針について妥協することをしなかったという。
その結果でもあろうが、学生の投稿者の中にも、中村稔、吉行淳之介、いいだもも、太田一郎、矢牧一宏、白井健三郎、八木柊一郎など、後に名を知られるようになった人たちが数多くいる。

特に、いいだももは、遠藤と並ぶ「世代」の牽引役であったが、2人を結びつけたのが、後に経済学者となる日高晋氏であった。
日高氏も、文芸に手を染めていたが、2人の煌めくような才能を目の当たりにして、学問に沈潜した。
日高は2人より年長だったため、一足先に応召されたが、そのとき携帯した日の丸に、遠藤は「常在高貴」、いいだは「自由は死せず」と書き記したという。
若さ故に敢えて反時代的なポーズを強調したという面もあろうが、当時の一般的な雰囲気とは余りにも隔絶した精神の表出と言えるのではなかろうか。

遠藤は、引用した履歴からも分かるように、典型的な東京の秀才だった。
しかし、復学した東大では、芸術・文化・哲学といった領域、あるいは飲酒に埋没している。
戦争体験が大きな影響を与えたと推察されるが、遠藤にとって必要なリベラルアーツということだったのだろう。
大学は、かつての教養課程さえ縮小され、実学志向が強くなっていると言われているが、人生のいずれかの時期にリベラルアーツを身に付けることは必要であると思う。
遠藤は、国家公務員上級職試験や司法試験などの道を選ばず、住友銀行に就職するが、組合運動などで経営陣と対立し、アラビア石油に転職する。

アラビア石油は、1958年に「アラビア太郎」と呼ばれた山下太郎が設立。
日本の自主開発油田の権利を、サウジアラビアやクウェートなどから取得した。
しかし、2000年にサウジアラビアの、2003年にはクウェートの採掘権を失い、現在は開発事業からは撤退した形になっている。

ところで、このような麒麟としての資質を持ちながら麒麟に成り果せなかったような遠藤を主人公にした評論を粕谷氏が書いたということは、当然、遠藤の人生の軌跡に対して少なからぬシンパシーがあったからであろう。
タイトルは、中唐期の詩人李賀の詩句から採られている。

長安に男児有り二十にして心已に朽ちたり(陳商に贈る)

李賀の字は長吉。
『赤目四十八瀧心中未遂』で知られる車谷長吉氏のペンネームは、李賀の字からとったということである。

遠藤は自分で自分に流謫処分を課したかのように、アラビアでの生活を送った。
この早熟の天才が、灼熱の砂漠で一介のビジネスマンとして活動する姿を想像し、あるいはアルチュール・ランボーなどと通底する心情があったのではないかと考えたりした。

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2014年6月23日 (月)

ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)

石原環境相の「金目発言」や東京都議会での野次など、品位のない政治家の発言が波紋を呼んでいる。
⇒2014年6月20日 (金):品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)

石原氏に対して、野党各党は「閣僚としての資質を欠く」と批判し、衆院に不信任決議案、参院に問責決議案を提出したが、いずれも与党の反対多数で否決された。
不信任決議案の提出に加わった日本維新の会の共同代表の石原慎太郎氏は本会議を欠席し、採決に加わらなかった。
不信任に反対した与党側にも「配慮が足りなかった点もあったかもしれない。大いに反省を促したい」(自民党の田中和徳氏)と苦言を呈する声があった。
野党は「今回の発言で中間貯蔵施設の稼働は間違いなく遅れ、福島の復興も遅れる。『石原氏の罷免なくして復興なし』だ」(民主党の辻元清美衆院議員)と手厳しかった。

 「用地補償など最後は予算措置の規模を示すことが重要だとの趣旨だった。お金ですべて解決する意図では全くない。品位を欠き、誤解を招く表現で心からおわびしたい」
 「国会閉会後、速やかに福島を訪れ、直接謝罪したい。発言が意図せざる理解をされた。撤回したい」
 石原氏は今回の「金目」発言について、19日の参院環境委員会でこう釈明し、謝罪した。
やはり出た! 懲りない石原伸晃環境相

おそらくは近く行われる内閣改造で交代となり、責任の所在はうやむやになるであろうが、この発言は、謝罪したり、撤回して済む問題ではないと思う。
私は、自民党の議席が圧倒的な現状では止むを得ない決議ではあろうが、石原氏の留任は自民党の驕りを示していると考える。
石原氏は、二世で甘やかされて育ったためであろうか、問題発言を繰り返してきた。
「それが彼の持ち味だ」と評する向きもあるが、いかにも軽いという印象は拭い難い。

2012年9月の自民党総裁選では有力候補として位置づけられていた。
しかし、以下のような軽率発言などがあったことなどにより、安倍、石破両氏に大きく差を付けられた。
・尖閣問題について、「中国は、攻めてこない。誰も住んでいないんだから」
・社会保障費の削減について、「私は尊厳死協会に入ろうと思っている」
・汚染土の処理について、「もう運ぶところは、福島原発の第1サティアンのところしかないと思う」

これらの履歴を踏まえれば、今回の「金目発言」が一過性の「失言」というよりも、石原氏の思考の反映であると考えるべきであろう。
とするならば、安倍首相は任命責任を自覚すべである。

一方、東京都議会の一般質問中にセクハラとも取れるやじが飛んだ問題は、国際的な反響も呼んでいるようである。
米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版は、質問者だった塩村文夏都議のインタビューを掲載し、「女性軽視の議員に、結婚や出産をしたくてもできない女性を支援する政策は立案できない」との発言を紹介した。

 同紙は塩村都議が「セクハラ発言の集中砲火を浴びた」として、安倍晋三政権が女性重視の成長戦略を訴える中で、やじ問題が波紋を呼んでいるとした。
米紙、セクハラやじで「女性軽視」塩村氏会見の記事掲載

発言者の特定や処分を求めた議長への申し入れは不受理となった。
みんなの党は、声紋鑑定で発言者を特定するという。
何とも情けない話である。
早期の幕引きを図りたいという自民党の意向もあったにであろう、自民党都議の鈴木某が発言の一部について認めたという。
彼は会派を離脱するというが、一件落着としてしまってはならないだろう。

おそらくは、軽い気持ちで飛ばした野次だったのであろう。
それが反響が大きくなって、自分の発言だと言い難くなっていたのではないか。
当初は、自分だということを否定していたという。
石原氏の発言も、記者団に囲まれて軽いジョークのつもりだったと思われる。

私は、軽い気持ちのときこそ構えが甘くなって、本音が表れやすいものだと思う。
石原氏も都議も、普段思っていることが、図らずも表出してしまったということではないか。
であれば、「失言」という言葉が相応しいかどうか疑問である。
自民党の体質は、一時的に下野したくらいでは変わらないということであろう。

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2014年6月22日 (日)

内苑と外苑/「同じ」と「違う」(78)

「外苑」という言葉で思い浮かべるものは何であろうか?
私は、さしあたって地下鉄の駅名の「外苑前」である。
銀座線の青山一丁目駅と表参道駅の間である。
明治神宮外苑前の意味であるが、神宮球場や国立競技場などの大規模運動施設が集中するエリアである。
2020年東京オリンピックのメイン会場となる予定の新国立競技場のデザインや規模をめぐってホットな論議が行われている場所である。
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地下鉄「外苑(前)」駅は固有名詞であるが、「外苑」はそもそも普通名詞である。
皇居や神社の外にある付属の庭園の事を言う。
対応する語は「内苑」である。
内苑=宮城・神社などの中庭⇔外苑

明治神宮(Wikipedia)には、以下のように説明されている。

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする神宮である。
面積約70万平方メートルの境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国よりの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館などがある。
明治天皇は崩御後、京都の伏見桃山陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民(当時)から起こり、1914年(大正3年)になると天皇に縁の深かったこの地への神宮建設が決定した。造営は翌1915年(大正4年)から開始され、全国から13,000人もの国民が労力奉仕に自発的に参加した。鎮座祭は、1920年(大正9年)11月1日に行われた。
22万坪(約73ヘクタールに及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、買い上げられて南豊島御料地となっていた。
明治神宮は2010年(平成22年)現在、初詣では大晦日から正月三が日の間で300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めることでも知られる。

明治神宮は、伊勢神宮、霧島神宮などに比し、ずいぶん歴史の新しい神宮である。
深い森に包まれているという印象だが、元々は森がない荒地であった。
神社設営のために人工林を作ることが必要となり、造園に関する多彩な学者が集められた。
「明治神宮御境内 林苑計画」が作成されたが、現在の生態学でいう植生遷移(サクセッション)という概念が林苑計画に応用された。
有名なイチョウ並木などのデザインもこの時に行われたものである。

神宮「外苑」は、「明治神宮」そのものの「内苑」とセットになるものである。
神宮外苑は「明治神宮」の外の苑、外苑として建設された。

この2つは、地理的に見ると「内と外」の関係には見えません。明治神宮は、東京都渋谷区代々木にありますが、神宮外苑は位置的には東京都新宿区となります。外苑の一部は港区にもまたがっており、その敷地はとても広大です。ちなみに、外苑ははっきりとした区画がされておらず、「外苑」自体の具体的な住所もありません。この点は内苑と外苑で異なります。何も知らない人が見れば、神宮外苑と内苑というのは隣り合っているわけでもないし、関係ないのではないか?と思ってしまうかもしれませんが、神宮外苑は「神宮内苑」つまり「明治神宮」あっての外苑なのです。内苑は神社を基調としており、宝物展示館などの文化展示施設のある和風の庭園であるのに対し、神宮外苑は洋風の庭園となっており、多くのスポーツ施設や文化施設が設置されている事が特徴となっています。
http://www.fnbashford.com/01/

「週刊現代」誌に連載中の中沢新一氏の「アースダイバー」(5月24日号)・『外苑とは何か(1)』によれば、「代々木にある内苑とはうってかわって、ここは徹底的に未来志向型の公園空間としてつくられることになった」。
中沢氏は、内苑と外苑は、それぞれを成り立たせる原理が違い、内苑は「隠れる」ことを原理とし、外苑は「見せる」ことを原理としているという。

この2つは、地理的に見ても、「内と外」の関係とは言い難いが、内苑あっての外苑なのである。

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2014年6月21日 (土)

故意と悪意/「同じ」と「違う」(77)

STAP細胞をめぐる問題で、共著者の1人である若山照彦山梨大学教授が16日記者会見を行い、自身が保管していたSTAP幹細胞は、小保方晴子氏に作製を依頼して渡したマウスとは別系統の細胞だったとの解析結果を発表した。

 若山氏は「STAP細胞があることを示す証拠はなかった。全ての解析結果が存在を否定する方向だが、絶対にないと言い切ることもできない」と述べた。若山氏は、STAP細胞の作製を山梨大で何十回も繰り返したができていないと明かした。
 解析は第三者機関が実施。若山氏は、小保方氏が作ったSTAP細胞を培養し、増殖能力を高めたとするSTAP幹細胞を作製して保存していた。
若山照彦山梨大教授「STAP否定する方向」 小保方氏、別マウスで作製

また、理研の小保方研究室の冷凍庫からラベルに「ES」と書かれた容器が見つかった。

理研が容器内の細胞の遺伝子を解析したところ、15番染色体に、細胞を光らせる遺伝子が挿入されており、若山照彦・山梨大教授の研究室に保存されていたSTAP幹細胞を第三者機関が解析した結果と一致していた。理研は「この細胞がES細胞(胚性幹細胞)であるかどうかや、若山教授に渡したものと同一かは不明」とし、今後も検証を続ける。
Ws000000
STAP細胞:小保方研究室に「ES」と書かれた容器

どうやら小保方リーダーが論文に記載したSTAP細胞は、ES細胞が混入していたものだったようである。
だとして、理研の下した小保方懲戒処分は妥当だったといえるだろうか?
問題は、混入が意図的な捏造か、不適切な実験によるミスだったか、である。

理研の規定は、研究不正について、「悪意のない間違い及び意見の相違は含まない」とある。
理研調査委は「悪意」について「偽装など加害目的のような意図を必要とするものではない。故意と同じ」と説明し、渡部委員長は「小保方氏側に『悪意』という言葉に誤解があった。同じ規定で、一般的な意味で『悪意』という言葉を使った記載もあり、規定の文言にも問題がある」と述べた。
一方、小保方氏側は、画像の不備について「過失であり、不正でない」と訴えた。
⇒2014年5月 9日 (金):理研は説明責任を尽くしているか?/知的生産の方法(94)

私は、小保方氏が意図的な捏造を行った可能性は、ほとんど無いだろうと思う。
捏造が通用するほど甘い世界ではないだろう。
すなわち「故意」ではなく、「過失」というべきであり、理研の下した処分は疑問との立場である。
小保方氏は、ミスすなわち未熟であったことを問われても、不正を問われる筋合いではない。

故意と悪意は、理研調査委の言うように、「同じ」概念なのだろうか?
それとも、「違う」要素があるとすれば、どう違うか?
Yahoo知恵袋に、「法律でいう故意と悪意ってどう違うのでしょうか? 故意なら必ず悪意になりますか?」という質問があり、以下のような回答が寄せられている。

故意は過失と違って、わざとやることです。
刑法で使う言葉です。
悪意は善意と違って、事実を知っていることです。
民法で使う言葉です。
たとえば、自分に所有権がない事を知っていて売ることは他人物売買ですので、悪意といえば悪意ですが、他人から所有権を取得する交渉を現にしている場合、買主を騙す故意はないですよね。
逆に、自分に所有権があるかどうかよくわからないんだけど、もしなかったとしても別に構わないや、と思って売り飛ばしたら、詐欺について未必の故意があることになりますが、所有権がないことについて悪意だったわけじゃないですよね。
違うものは違う、ということでいいんじゃないでしょうか。

上記を前提とすれば、理研調査委は、規定の解釈も、適用も間違っていることになる。
もちろん、小保方処分に限定してのことであり、小保方氏の未熟性、そのような小保方氏を登用し、論文を書かせ、割烹着姿の演出までした問題の根源を問うこととは別問題である。

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2014年6月20日 (金)

品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)

悲しいことに、驚くような低劣なレベルの話題が続いている。
1つは、石原伸晃環境相の、「最後は金目でしょ」発言。

発言は、首相官邸で、16日に菅義偉官房長官に住民説明会などについて報告した後、記者団の質問に答えるる中で出た。
住民説明会は、東京電力福島第一原発事故に伴う除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設の建設をめぐり、候補地の福島県双葉、大熊両町を対象としたものだ。
「最後は金目でしょ」は、ごく普通に理解すれば、「異論はあるでしょうが、金の多寡で決着がつく」ということである。

確かに、金の多寡でしか解決しようのないことも多い。
損害賠償、除染、帰還あるいは移転先での新しい生活・・・・・・。
金がなければ話にならないだろう。
しかし、それを口に出すのは、品位に欠けることであり、普通の大人ならば控えるだろう。

私は、石原発言を聞いて、「耄碌親父にバカ息子」と思った。
父の慎太郎氏は、日本維新の会を割って、自民党にすり寄ろうという姿勢がミエミエだ。

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は11日の安倍晋三首相との党首討論で、結いの党の江田憲司代表を「なんとかという党の党首」と呼び「自主憲法制定」を江田氏が嫌ったことが維新分党の一因となったことから「消えてなくなった社会党と同じような言い分だ」と痛烈に批判。さらに、石原氏は「維新内には他党との合流を熱願する向きがあった」とも述べ、江田氏との合流を目指す橋下徹共同代表グループの動きも牽制(けんせい)した。
 石原氏はその後、持ち時間のほとんどを使って日米同盟などに関する持論を展開。最後は「非常に大事な質問をしようとしたのに…」と延長を訴えたが、かなわなかった。
石原氏 結い江田氏を痛烈批判 橋下系を牽制

かつて颯爽と価値紊乱者の光栄を掲げていた人が、よぼよぼとした足取りで権力に媚びる。
本人は媚びている意識はないのだろうが、第三者の目にはそう映る。
⇒2014年3月 9日 (日):石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)
⇒2014年5月29日 (木):未熟橋下と老害石原の協議離婚/花づな列島復興のためのメモ(329)

老害と化した姿は見たくないが、ここまで頑張るのは息子伸晃が総理になるのを夢見ているからだとも言われる。
見果てぬ権力の夢ということであろうか。
確かに、伸晃氏は総裁選において対立候補の1人だった。
しかし、総理・総裁の器ではないことは、自民党員の目にも明らかであろう。

伸晃氏の発言は、地元などから厳しい反発を招き、国会では野党が参院に問責決議案を提出した。
軽率で無神経な発言であるが、安倍政権には留任するようである。
首相の任命責任を問わなければならないだろう。
首相の口にする「被災者に寄り添う」「福島の再生なくして日本の再生なし」とは全く相いれないのではないか。
伸晃氏は、19日の参院環境委員会で、発言について謝罪し、撤回したが、住民説明会では補償の話が多かった」と未練がましい。

もう1つは、東京都議会の本会議での出来事である。
6月18日、みんなの党会派の塩村文夏議員(35)が、一般質問で妊娠、出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えた際、男性の声で「自分が早く結婚すればいい」「産めないのか」などのヤジが飛んだという。
こちらも、耳を疑わせるような品位の無さである。
塩村氏のツィートが非常に多くリツィートされている。
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http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/6/2/6283.html

ヤジは自民都議らが座る一角から上がっていたという。
終了後、みんなの両角穣幹事長が、自民の吉原修幹事長に抗議した。
吉原幹事長は、発生源が自民かどうかは「わからない」としながらも、「各会派が品位を持って臨むべきだ」と話した。
自派が抗議を受けているというのに、「各会派が品位を持って臨むべきだ」と一般論で答えるのは誠実な態度ではない。

私たちは、こんな自民党に、圧倒的な議席を与え、政権への復帰を許したのである。
やりきれない気持ちにならざるを得ないが、このような政治家に、即刻退場を促すレッドカードはないものだろうか。

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2014年6月19日 (木)

集団的自衛権論議の胡散臭さ/花づな列島復興のためのメモ(331)

政府は、集団的自衛権を行使できるようにするための閣議決定をするという。
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東京新聞6月18日

 政府の原案は、戦争には至らないが緊張状態にある「グレーゾーン事態」を記した「①武力攻撃に至らない侵害への対処」、多国籍軍への後方支援拡大や武器使用などの「②国際社会の平和と安定への一層の貢献」、集団的自衛権の行使に関する「③憲法第9条の下で許容される自衛の措置(検討中)」、「④今後の国内法整備の進め方」で構成されている。
 公明の説明によると、原案では、③は自公で協議中のため具体的な文言はなく、別紙で「国際法上は集団的自衛権が根拠となる」と明記し、国際法で使えるとされていることを理由に行使が可能だとの考えを盛り込んだ。また、1972年に出された政府見解をもとに、集団的自衛権の発動要件として「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」とした。ただ、公明が党内で閣議決定に関する議論をしていないことから、具体的な協議は行わなかった。
集団的自衛権、閣議決定原案示す 自公、機雷除去で対立

長年の国会論議を経て積み上げてきた政府の憲法解釈は、「日本も集団的自衛権を持つが、憲法9条によってて行使することはできない」である。
これを安倍内閣はひっくり返そうというのである。
しかし、一内閣の閣議決定という手続きだけでよいものであろうか?
先の総選挙において、解釈改憲を想定して投票した人は果たしてどの程度いたのであろうか?

私には、今行われている集団的自衛権論議は、相当に胡散臭いように思われる。
自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利であって、自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利であるとされる。
自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を個別的自衛権といい、他国に対する侵害を排除するための行為を集団的自衛権という。
⇒2014年3月25日 (火):個別自衛権と集団的自衛権/「同じ」と「違う」(69)

「他国に対する侵害を排除するための行為」であるから、他衛権という方が正確なように思えるが、それは措くとしよう。
集団的自衛権(Wikipedia)では、次のように説明されている。

集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である。憲章第51条を以下に引用する。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

世論は二分されている。
メディアの論調も対照的である。
Ws000000
集団的自衛権(Media Watch Japan)

二分されている世論のどちらを支持すべきか?
防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛氏は、産経新聞「正論」欄で朝日新聞や大江健三郎氏などの反対論を批判して、次のように書いている。

 朝日も大江氏も「井の中の蛙(かわず)」の議論をやっている。大海には目を閉ざしている。なぜか。その方が大衆煽動には都合がよいからだ。が、それは国民説得の道ではない。煽動と説得とは大違いで、説得に煽動は不要。地味でよい。
 一言補うと、戦争という言葉は情況説明のために日常、しばしば使われる。私だって使う。が、こと自衛権の法理、文理的説明のためには、この用語を使ってはならない。この点、肝に銘ずべきだ。
 私は自分の経験から集団的自衛権について有権者の99%は理解ゼロだと考える。有権者1億400万強の1%は104万強だが、この抽象的概念を曲がりなりにも説明できる人数はそれ以下だ。99%の有権者にとり、それは正体不明の〈妖怪〉なのだ。
集団的自衛権行使は「戦争」に非ず 煽動と説得は大違い

妖怪とは、マルクスが「共産主義という妖怪が欧州を彷徨している」と言った意味と同じであると佐瀬氏は言う。
そして、「妖怪が彷徨すると戦争なのだぞ」という賢者のご託宣が聞こえると、大衆は「そうかもしれないな」と思う、とする。
佐瀬氏の主張は、大衆は無知であり操作できる対象だという大衆蔑視である。

東京新聞の本音のコラム欄は、権力に媚びない執筆者が多い。
本日(6月19日)は、竹田茂夫氏が『命と暮らし』と題して、安倍首相が記者会見で示したパネル(⇒2014年5月16日 (金):成長戦略の実体は原発と軍需産業か/アベノミクスの危うさ(31))を前提に、次のように書いている。

かれらの本当の願望は、情報と教育とメディアを統制し、抵抗を振り払って原発再稼働や沖縄の基地移転を強行し、欧米並みに海外派兵を行う、つまり国内外で強制力や暴力の行使を躊躇しない強面の国家を打ち立てることにある。

なぜ、安倍首相は集団的自衛権に強く執着しているのか?
田原総一朗氏は次のように解説している。

日米安保条約の第5条では、日本が危機に陥ったときアメリカが日本を助けると定められているが、これはアメリカが世界の警察だった時代に作られたものだ。
いまは事情が変化している。もし尖閣諸島に中国が攻めこんできたとき、アメリカは本当に日本を助けてくれるのか。「世界の警察」をやめたということで、日本を助けてくれない危険性があるのではないか。アメリカ国内の世論からも、なぜ日本のためにアメリカ人が命を捨てないといけないのかと反発が起きる可能性がある。
そこで、アメリカに「有事のときは、ちゃんと助けてくれよ」と念押しするために、アメリカが危機のときは日本が助けるという集団的自衛権の行使に踏み切るというわけだ。つまり、集団的自衛権の行使を認めるのは、アメリカへの念押しという意味がある。
もう一つは、精神的な意味だ。日本の外交政策について「対米従属外交をやめて、自立せよ」という主張がこれまでにも政治家や有識者から出ていたが、集団的自衛権の行使を認めることで、アメリカに従属するのでなく、より対等に近い関係になることができるという考えだ。アメリカに対してプライドがもてるような関係にしたいという気持ちがある。

http://blogos.com/article/86968/

どうも良く分からない。
集団的自衛権を分かりやすい絵で示せば、以下のようである。
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仲間の国を守るため武力使う権利

繰り返すが、攻撃されているのは日本ではなく、同盟国(仲間の国)である。
仲間の国は、さしあたっては絵に描かれているように、安保条約を結んでいるアメリカである。
斎藤美奈子氏は、6月18日付の「本音のコラム」欄で、国家を我が家にたとえて次のように書く。

 御町内の親しい家に強盗が入ったら知らんぷりはできんだろ、というのが政府の言い分だが、彼らが想定している「親しい家」は番犬を山ほど飼っている町内会長、しかも凶暴な犬を町じゅうに放って迷惑をかけまくっているヤバい一家だ。
そんな一家に協力したら自分が強盗になるのがオチ。しかも我が家に害が及ぶ「おそれ」まで許容したら、町の不審者はみんな撃ってもいいことになっちゃうぞ。

戦後のアメリカの軍事介入は以下のようである。
Photo
東京新聞6月19日

胡散臭い概念の行使を、憲法を変えるのでなく、解釈を変えるという胡散臭い方法でやろうとしている。
しかも「必要最小限の」というような胡散臭い限定をするのは、「義」も「理」もないことを表しているのではないか。

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2014年6月18日 (水)

シーア派とスンニ派/「同じ」と「違う」(76)

「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」という名前のイスラム教過激派の武装組織が、6月10日には北部の都市モスル、11日にはティクリートを相次いで制圧して首都バグダッドに迫っている。
イラク軍は15日になって一部拠点を奪還したとしているが、今後の展開はどうなるであろうか?
ISILの呼び名は一定でなく、報じるメディアによって「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」、もしくは「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」と異なっている。
2003年のイラク戦争後、イラクで凶悪な無差別攻撃を繰り返してきた国際テロ組織「アルカイダ」の流れを汲む過激派だ。

シリア内戦の泥沼化に伴って、急速に勢力を拡大してきた組織であって、シリアとイラクの国境をまたぐスンニ派の地域を自由に往来し、シリアのアサド政権とも戦闘を繰り広げている。
イラクとシリアにカリフ(イスラム社会の最高指導者に率いられた)国家を建設しようという目標を掲げ、北アフリカや湾岸諸国など中東や欧米諸国からシリアに流れ込んだ戦士をどんどん吸収している。
ISILを率いるアブ・バクル・アル・バグダディ容疑者の人物像はほとんど明らかになっていない。

ロイターによると、バグダディ容疑者は1971年、イラクのサマラ出身。バグダッド大学でイスラム学を学び、学位を取得。アルカイダ系組織の構成員として戦闘に加わった後、2010年にアルカイダ系組織「イラク・イスラム国」の指導者に就いた。彼の目的はビンラディン氏と同じくイスラム国家の樹立にあるという。
武装組織「イラク・シリア・イスラム国」とは何か?  イラク北部を制圧

イラクの現マリキ政権は、シーア派中心である。
イラクと国境を接する大国のサウジアラビアはスンニ派、イランはシーア派が主導している。
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東京新聞6月17日

私のようにほとんど無宗教の人間には、シーア派とスンニ派のような宗派対立は分かりにくい。
かつて壮絶なゲバルトを繰り返した革命的マルクス主義者同盟から生まれた革マル派と中核派の事例があるが、「近いものほど差異に敏感になる」というメカニズムがあるようだ。

ブラウジングしてみると、シーア派とスンニ派に関して、下記のような図解があった。

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他国も含めての二派間の所属者数比較は圧倒的にスンニ派が多数である。しかし、イラク国内に限るなら国民の60%がシーア派、スンニ派は20%と逆転している。フセイン政権下ではスンニ派が優遇され、シーア派は弱い立場だったが、イラク戦争後はシーア派が政権の主流を取るようになった。元々宗派対立があるだけではなく、その色分けがそのまま権力や利害に直結している。地縁や何代にも渡る血脈と宗派は切り離しが出来ない繋がりである。
http://d.hatena.ne.jp/dacs/20070614/1181770208

要するに、「イスラム教の預言者の後継者を誰とするか」ということである。

 スンニ派は、預言者ムハンマドの後継者に関して血統の有無を問わないのに対し、シーア派はあくまでムハンマドの後継者は血を受け継ぐ子孫である、としています。イスラム教の誕生は7世紀ですから、1300年以上にわたり、開祖であるムハンマドの後継者争いには決着がついていないことになります。
http://special.nikkeibp.co.jp/as/iraq/vol1/page4.html

血統の問題は論理では解決しないから厄介である。
わが国でも、皇室典範の規定を巡って論議があることは周知の通りである。

第一条  皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

皇統というのが血統であるが、「男系の男子」という限定について議論がある。
なぜ男系か?
神武天皇のY染色体の連続性などと科学的な説明を装う説明もあるが、少し離れた立場で見ればナンセンスであることは自明である。
⇒2011年1月10日 (月):皇統論における「Yの論理」への疑問

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2014年6月17日 (火)

イラクにおける勢力対立の図式/世界史の動向(19)

イスラム過激派武装組織「イラク・レバントのイスラム国(ISIL)」が、イラク北部を掌握し、首都バグダッドに向けて攻勢を強めている。
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イラク(共和国)は、古代メソポタミア文明を受け継ぐ歴史的な土地であり、同時に世界で3番目の原油埋蔵国である。
国境を、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接している。
こう書いてみると、日本と余りにも対照的であると思う。

さらに分かりにくくしているのが、宗派と民族対立である。
イラクの人口3100万人強の97%がイスラム教を信仰している。
そのうち、アラブ人シーア派が50%、アラブ人スンニ派が25%、クルド人スンニ派が20%とされる。
イラクの政治勢力図は以下のように整理されている。
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http://special.nikkeibp.co.jp/as/iraq/vol1/page4.html

2010年12月、第二次ヌーリー・マリキ内閣が発足した。
マリキ首相はシーア派であり、かつてフセインから死刑宣告を受けて亡命したが、イラク戦争末期に帰国して、イラク初の民主主義選挙の結果、首相になった。
第二次マリキ内閣は、三派(シーア派、スンニ派、クルド人勢力)の融和を図るための連合政権であり、シーア派、スンニ派、クルド人系からまんべんなく閣僚を選んでいる。
イラク国民議会の第一党は、イヤド・アラウィ元首相が代表を務める「イラク国民運動(イラーキーヤ)」で、内閣と議会の間にねじれがある。
イラクには国家のシンボル的存在として大統領もいるが、現在のジャラル・タラバーニー大統領はクルド同盟の代表である。
イラクの政治は、内閣、議会、大統領が微妙な力関係にあり、この微妙な政治状況が、宗派同士の対立の温床となっている。

オスマン帝国の崩壊で、英仏が一帯の土地の分割を秘密裏に決めたことが現在に繋がっている。
北部にクルド人、中西部にイスラム教スンニ派、南部にはシーア派がそれぞれ主に住むことになり、首都バグダッドはちょうど両派が重なる。
人工的な国境をだから、同族、同宗派の人々が国境をまたいで住んでおり、クルド人はトルコ、イラン、シリアと、南部シーア派はイランと接続している。

とても一筋縄では理解できない複雑さである。
このような国に、他国がどういう大義を以て介入するのであろうか?

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2014年6月16日 (月)

成長戦略の中身について/アベノミクスの危うさ(34)

いわゆるアベノミクスは「3本の矢」で構成されているとされる。
首相官邸のサイトには、下図が掲げられている。
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アベノミクスは初動において、順調な株価の上昇を招き好スタートを切ったように見えた。
しかし、この1年間は勢いが止まってボックス圏で推移している。
⇒2014年6月14日 (土):「デフレ脱却」の正体/アベノミクスの危うさ(33)

そこで期待されているのが、「3本目の矢」である「成長戦略」である。
上記官邸サイトでは、「成長への道筋」として、下図のような説明がある。
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抽象論のレベルでは特に言うべきことはない。
しかし、本当に成長が可能なのか、あるいは成長を目標とすべきか、疑問なしとはいえない。
たとえば「新たなフロンティアを作り出す」といっても、容易には「作り出」せないから、フロンティアなのだろう。
それでも、本気で取り組めば可能なように思われるのが、「規制・制度改革と官業の開放の断行」である。

しかし、政府の規制改革会議の答申には、いくつかの疑問を感じる。
雇用分野では、時間でなく成果で賃金が決まる労働時間規制の見直しを求めた。
社会人のほとんどの期間を残業代とは無縁で過ごしたが、報酬を時間に対して支払うか、成果に対して支払うかといえば、本質的には成果に対して支払うべきであろう。
現実には組織労働については個別の成果が捉えにくいことなどから、労働時間に対して支払うのが合理的な場合が多い。
特に自分の裁量の余地がほとんどないような場合には、時間で支払う方が妥当であろうが、あくまで成果の代理変数であると考える。

しかし、成果を強調すると、かえって様々なマイナスが生じることも事例に事欠かない。
成果主義の陥穽である。

医療分野では、混合診療の拡大が目玉らしい。
安倍首相が都内の病院を視察の上で法案を提出するなど、強いこだわりを見せた。
製薬会社や医療機器メーカーは、概して市場拡大が期待できると考えているようである。
しかし肝心の日本医師会は、必ずしも賛成ではないようだ。
東京女子医大病院(東京都新宿区)における小児に対する医療事故が問題になっている折でもあり、医療の問題は成長戦略とは切り離して考えるべきだろう。
⇒2014年6月11日 (水):誰のための混合診療か?/アベノミクスの危うさ(32)

問題は、農業改革である。
農協に関して、JA全中(全国農業協同組合中央会)の廃止を柱とした原案が、「新たな制度に移行」にすり替わった。
農業の基盤強化など本来の目的が担保されるのかどうか不明である。
ということは、「岩盤に穴をあける」という掛け声とは裏腹に、硬い岩盤を避けているのではないか。

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2014年6月15日 (日)

内戦状態のイラクと集団的自衛権/世界史の動向(18)

いよいよサッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が始まった。
日本代表は、コートジボワールと初戦を戦い、先制点を上げたものの、後半に逆転され敗れた。
コートジボワールの主役はやはりドログバ選手という感じであった。
年齢等を考慮し、最後の30分間のタイミングを狙って投入された後、明らかに流れが変わった。
ラムシ監督の手腕が冴えていたといえよう。

日本は同選手投入後に立て続けに2点を献上しており、その存在感は際立つものであった。
ドログバ選手は、コートジボワールの内戦を止めたことでも有名である。

コートジボワールでは2002年、与野党政治家や軍部が入り乱れる権力争いから内戦が勃発し、政府派の南部と反政府派の北部に分裂する事態となった。
南部出身のドログバが、みんな同じ「Drogbacité=ドログバシテ」なのだと主張する運動を開始し、2005年10月、06年ドイツ大会の本大会進出を決めた試合の後、マイクを手にしたドログバは、更衣室でチーム全員と一緒に、生中継のテレビカメラに向かってひざまずき、内戦をやめるよう訴えた。

コートジボワール市民の皆さん、北部出身の、南部の、中部の、そして西部出身の皆さん、私たちはこうやってひざまずき皆さんに懇願します。許し合ってください。コートジボワールほどの偉大な国がいつまでも混乱し続けるわけにはいきません。武器を置いて、選挙を実施してください。そうすれば全てが良くなります。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/sports/gooeditor-20100610-01.html

内戦は同一の国家の領域内で対立した勢力によって起こる、武力紛争を指す。
日本では西郷隆盛らによる西南戦争以来、内戦の経験はない。
しかし、世界各地で内戦は絶えない。
イラクでは、政府軍とイスラム過激派との内戦の様相を帯びてきている。

アメリカの駐留戦闘部隊が撤退した後、次第に勢いを増したイスラム過激派が、北方から首都バグダッドに迫ってきた。

 イラク北部でのイスラム教スンニ派過激派組織「イラク・レバント・イスラム国(ISIL)」の攻勢を受け、マリキ首相は13日、中部サマラで「全ての都市からテロリストを排除するための作戦に着手した」と述べ、ISILとの全面対決を宣言した。AFP通信などが伝えた。また、オバマ米大統領は同日、イラクへの軍事支援について数日以内に決める意向を明らかにした。
 ISILは首都バグダッドの北東約80キロに位置するディヤラ県バクバ近郊まで侵攻し、13日に政府軍と衝突。バグダッドを目指している。サマラも今月5日に攻撃しており、政府軍との戦闘が続く。
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イラク首相:「テロ排除に着手」 米が軍事支援へ

隣国イランのロウハニ大統領は、14日イラクの要請があれば支援する用意があると表明した。
シーア派大国のイランとしては、イラクがスンニ派のISILの攻勢にさらされているのは座視できないということだろう。
しかし両国はかつて、イ・イ(イラン・イラク)戦争を戦ったことは記憶に残っている。

イランでは1979年にシーア派によるイスラム革命があり、親米のパーレビー政権が倒れ、ホメイニーの指導下、周辺のアラブ諸国とは異なる政治体制「イスラム共和制」を敷いた。
一方、イラクではフセインが政権を掌握して反対派を粛清し、強固な独裁制を確立し、軍備を強化していった。
国境をめぐって対立していた両国は、1980年9月22日、イラク軍がイランの空軍基地を爆撃、イラン軍がそれを迎撃するという形で戦争が始まった。
戦争は1988年8月20日に国際連合安全保障理事会の決議を受け入れる形で停戦を迎えるまで続いた。
1989年6月、ホメイニーが死去し、翌1990年9月10日にイラン・イラク両国間で国交が回復した。

イランの介入姿勢は、サウジアラビアなど周辺国が警戒を強めるだろう。
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イラン、イラク支援の用意、米と協力検討も

サウジアラビアはイラクと国境を接しているが、スンニ派の大国であり、親米国である。
自国内でもシーア派住民の動きに神経をとがらせているが、イランの介入姿勢すれば反発は免れない。

私は、2003年3月に行われた米英のイラク攻撃のことを思い出さざるを得ない。
米英は、『イラクの自由作戦』と命名した作戦によって、侵攻を開始した。
フランス、ドイツ、ロシア、中国などは強硬に反対したが、当時の小泉純一郎首相は記者会見で、「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします」と表明した。

アメリカ国内の世論は武力介入に高い支持を与えたが、開戦前の1月初旬、ナイト・リダー社の発表した世論調査結果によると、調査に応じたアメリカ人の内44%が、2001年9月11日の同時多発テロのハイジャック犯の一部または大半がイラク人だと考えていた。
実際には、報道によれば大半がサウジアラビア人でイラク人は一人もいなかった。

ブッシュ政権はイラク戦争開戦の理由について、大量破壊兵器を開発・保有する独裁国家イラクの脅威から国際社会を守るためだと説明したが、フセイン政権が崩壊し戦闘が終結しても、開戦の理由だった大量破壊兵器は発見されなかった。
アメリカ政府の独立委員会は、大量破壊兵器の情報は虚偽だったと結論づけた。

イラク戦争の大義は何だったのか?
現在論議されている集団的自衛権行使が容認された場合、日本は同盟国アメリカと共に戦うことになるのだろうか?
ベトナム戦争にしろ、アメリカ高く掲げた正義は歴史的に必ずしも正義とは言えないことが明らかになっている。
正義とか自衛という言葉は批判的に考えた方がいい。

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2014年6月14日 (土)

「デフレ脱却」の正体/アベノミクスの危うさ(33)

生活必需的な商品の値上げが相次いでいる。
サーモン、ハマチ、カツオなどの鮮魚が、平年と比べると2~7割値上がりしている。
世界的なすし人気で輸入が減ったり、海水温の低下で取れなくなったりと、原因は様々であるが、食卓に欠かせないだけに痛い。
また、丸大食品も、ハム、ソーセージなどの加工食品を8月1日から平均10%の値上げを発表した。

食品だけではない。
レトルト食品やシャンプーの詰め替え容器などに使うナイロンフィルムの価格が上昇している。
石油化学原料の値上がりを受けて大手のユニチカや東洋紡などが打ち出した値上げを、需要家の印刷会社が上げ幅を圧縮して受け入れたものである。
印刷会社は他の樹脂フィルムの値上がり分とともに包装製品への転嫁するという。

安倍政権がアベノミクスを打ち出して以来、経済界は概してアベノミクスを評価しているようである。
株価の動向を、TOPIXで見てみよう。
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アベノミクスを打ち出してから昨年の5月頃までは、ほぼ一本調子で上げていた。
しかし、その後は、概ね1100円~1300円のボックスで推移している。
政府は法人税減税などを約束し、株価維持(PKO)のため、全力を尽くしているように見える。
しかし、税体系全体の中で代替財源をどうするのか、明確な説明はない。
まさか、消費税の増税分を充当?

前半の株価は、主として黒田日銀総裁が言うところの「異次元の金融緩和」の効果と見られる。
国債を買い入れ、世の中に出回る資金量を増やすことが骨子である。
資金量を増やすことによって、消費者物価指数を対前年比2%上昇させるという。
資金量が増えれば、お金の価値は下落し、財・サービスの価格は上昇する。
将来もこの傾向が続くとすれば、価格が上昇する前に購入しようと消費は活発化するだろう。
そうすれば、デフレから脱却し、景気は良くなって行く。
日銀の金融緩和は、アベノミクスの「3本の矢」の1本目である。
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週刊朝日4月11日号

しかし、生活感覚的には、消費者物価が上がったことを素直に喜べない。
冒頭で書いたように、物価の値上がりは需要の増大ではなく、他の要因によって起こっている。
他国の需要増、気象変動、原材料の高騰(円安を含む)などである。

地方における生活必需品であるガソリンについてみよう。
ガソリン価格の推移は下図のようであるが、ガソリン価格は、基本的に為替レートに依存する。
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http://www.d3.dion.ne.jp/~furuk_tm/gti_data/price.htm

リーマンショックのよって下落したガソリン単価は基本的に上昇基調にあるが、直近のその要因は円安と増税であろう。
そもそも地方においてはガソリンは生活必需品であって、価格弾力性は硬直的である。
つまり「需要が増えたから価格が上がった」わけではない。
企業の賃上げが報道されているが、大企業はともかく中小零細企業は、賃上げしたくてもできないのが現実のようである。
消費増税もあって、一般的な人々の生活は決して楽になっていないであろう。

黒田日銀総裁はインタビューに応えて次のように語っている。

 黒田総裁は22日、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビュー(英語で行われ、WSJが翻訳した)で「実施がカギだと思う。迅速かつ即座に実施する必要がある」と語り、改革のペースに不満を示した。また「重要なのは政府や民間セクターが行うことだ」とし、安倍政権が改革を速やかに実施しなければ「実質成長率は期待外れに終わる可能性がある」と指摘。「それは経済にとっても、社会にとっても好ましくない」と述べた。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303295604579581380259838254

アベノミクスによってインフレあるいは脱デフレになったとして、それを喜んでいいものかどうか、疑問である。

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2014年6月13日 (金)

白元における失敗の要因/ブランド・企業論(29)

防虫剤「ミセスロイド」や保冷枕「アイスノン」などを生産、販売する日用品メーカーの白元(本社・東京都台東区)が、5月29日、東京地裁に民事再生法の適用を申請し、受理された。
負債総額は255億円だという。

「アイスノン」は、私などの世代にとっては思い出深い商品である。
昭和40年代、家庭用冷蔵庫の普及で、自宅で凍らせて繰り返し使用が可能な氷枕に変わるアイスノンは、子育て真っ最中の家庭の必需品だった。
私の子供の頃は、まさに氷枕だったので、文明とはかくなるものか、と感じさせられる商品の1つであった。
保冷剤というような一般名詞よりも、「アイスノン」という固有名詞の方が圧倒的に使われたように思う。

同様のことは、「ホッカイロ」についても言える。
冬場のゴルフにおいて、「ホッカイロ」は必需品とまではいかなくても、あれば便利であり、誰かが持ってくれば喜んでお裾分けにあずかった。
白元という名前よりもこれらの商品名が浸透していたことは間違いない。

同社のサイトを見ると、1923(大正12)年、鎌田商会(弊社の前身)創業とある。
創業者鎌田泉個人経営による防虫剤・防臭剤の製造販売の開始である。
株式会社になったのは1950(昭和25)年である。
直近の資本金は、33億7,033万円だから伝統ある大企業である。

その伝統の大企業がどこで躓いたのか?
もちろん要因はいろいろ挙げられよう。
端的には、相対的な商品力の低迷ということではなかろうか。

保冷剤については、普及と共に安価な類似商品が大量に市場に出回った。
アイスノンはブランド力において優越していたが、価格が重視されるのは日用品マーケットの宿命である。
有効な差別化戦略は難しく、シェアは落ちて行った。
ホッカイロはロッテが開発したホカロンを追随する形で市場に参入し、二大勢力となったが、後発メーカーの大量参入と低価格戦略によりシェアを落とさざるを得なかった。

マーケティングの用語にコモディティ化というものがある。

ある商品カテゴリにおいて、競争商品間の差別化特性(機能、品質、ブランド力など)が失われ、主に価格あるいは量を判断基準に売買が行われるようになること。一般に商品価格の下落を招くことが多く、高価な商品が低価格化・普及品化することを“コモディティ化”という場合もある。
コモディティ化(こもでぃてぃか)

同社商品の共通項は、上記の意味でのコモディティ化の宿命を持っていることであろう。
だから、老舗のブランド力を背景にした価格設定が、類似品の低価格参入によって消費者離れを起こしやすい、というのが本質的な問題であった。
しかし、花王、ライオン油脂、ユニチャームなどの企業も同様の商品を扱っている。
なぜ、白元は落後したか?

民事再生の引き金になったのは、創業家4代目社長の鎌田真社長に原因があると指摘されている。
たとえば以下のような指摘であるが、同様の内容が「週刊現代」6月21日号に『インサイドレポート』として掲載記事がある。

鎌田社長は創業者の孫で、慶応大経済学部卒業後に都市銀行を経て白元に入社。その後ハーバード大でMBAを取得し、2006年に四代目社長に就任。マスクの「快適ガードプロ」などヒットを飛ばす一方、民放テレビ局の女子アナとの交際も報じられるなど華麗な交友関係でも知られた。
 09年3月期には売上高301億1400万円と公表していたが、防虫剤市場でエステーに押されるなど競争激化で業績が伸び悩み、財務状態が悪化した。
 13年に住友化学が白元の第三者割当増資に応じ、白元株の19・5%を保有する筆頭株主となった。今年1月には、主力商品「ホッカイロ」の国内販売事業を医薬品メーカー「興和」に譲渡するなど資金繰りに追われた。
 その後、同社のずさんな経理処理が発覚。東京商工リサーチによると、決算内容に信憑(しんぴょう)性の問題が浮上、白元は金融機関に今年3月末から6月末までの返済猶予などを要請したが、銀行団は白元支援でまとまらず、取引先も事態を重く見たことから自力再建の道が絶たれた。
 29日付で引責辞任した鎌田社長。同社のウェブサイトでは「強いリーダーシップと確かなマネージメントをもって、白元に関わるすべての人を幸せへと導く」とうたいあげているが、ハーバードの教科書に「正直」の文字はなかったのか。
白元 御曹司社長が会社をつぶすまで 慶応→米ハーバードでMBA

ここでは、同族企業の経営私物化というお定まりの問題があるが、もう1つ、鎌田社長がハーバード大のMBAだったという点に注目したい。
ひと頃ほどMBA人気は無いようであるが、MBAというだけでは何の価値もないのはすべてのスキルと同じことである。
経営の現場の文脈の中でどう生かすかのセンスが問われるわけであるが、テレビ局の女子アナ(週刊現代誌によれば、現参議院議員の丸川珠代氏(自民党政策審議会長代理))と浮名を流しているようでは、センス以前の問題であろう。

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2014年6月12日 (木)

DNA鑑定とアイデンティティ/知的生産の方法(97)

アイデンティティという言葉がある。
ビジネスパーソンにとっては、CI(コーポレート・アイデンティティ)によってお馴染である。
辞書サイトには、次のような説明が載っている。

「あるものがそれとして存在すること」、またそうした認識をさします。「同一性」「一致」のことです。
アイデンティティー(identity)は、広義には、「同一性」「個性」「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」「特定のある人・ものであること」などの意味で用いられます。
コンピューター関係で用いられるときは、「一致」「識別」のことです。
学術用語としてのアイデンティティーの定義は、哲学分野では、「ものがそれ自身に対して同じであって、一個のものとして存在すること」です。心理学・社会学・人間学などでは、「人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」と説明され、「本質的自己規定」をさします。

このアイデンティティを明らかにする手段の1つとして、DNA鑑定が大きな決め手とされるようになった。
DNA鑑定は物証の王様といわれ、再審無罪となった足利事件、東電OL殺害事件、最近の袴田事件等はすべてDNA鑑定が決め手と言ってよい。

ちょっと前に、女優の喜多嶋舞氏が俳優の大沢樹生氏との結婚生活において産んだ子供について、DNA鑑定の結果、大沢氏の父性確率が0%だったということが話題になっていた。
その後の経緯については知らないが、親子関係というものを改めて考えさせられた。
DNAは生物学的な親子関係の決め手ではある。
しかし、親子関係には、一定期間共同生活を送ることにより、単なる血統的な意味よりももっと別の要素もあるのではないか。

それにしても、父親というものは、母親に比して何と頼りない存在であることか。
法律上の婚姻関係にある男女を父母として生まれた子を嫡出子という。
民法は婚姻中に懐胎された子をもって夫の子と推定する懐胎主義によって立法している(772条1項)。
ところが、第2次大戦前には、婚姻の慣行として子が出生するまで婚姻の届出をせず、内縁関係にとどまるという場合も多かった。
それでは不合理ということで、判例、学説は懐胎主義から脱し、父母の婚姻中に出生した子をもって嫡出子とする出生主義によることになった。
であるから、大沢-喜多嶋夫妻の子供が、法律的に大沢氏の子供であることは確定している。

嫡出子と非嫡出子には、法律の上で以下のような差異がある。

1.父子関係の成立
嫡出子は母の夫が父であると推定されるが(772条)、非嫡出子の父子関係は父の認知によって成立する(779条)。なお、母子関係については後述の通り、通常、懐胎・分娩という事実から当然に発生する(判例として最判昭37・4・27民集16巻7号1247頁)。
2.親権
嫡出子の親権は父母が共同で行うが(818条)、非嫡出子の親権は母が単独で行う。ただし父が認知し、父母の協議によって父を親権者と定めることができる(819条4項)。
3.氏
嫡出子は父母の氏を称するが(790条1項)、非嫡出子は母の氏を称する(同条2項)。父の氏への変更は家庭裁判所の許可により可能で(791条1項)、このとき子は父の戸籍に入る。
嫡出(Wikipedia)

父子関係の直接的な証明が難しかった時代には、嫡出の推定は婚姻関係で判断することが自然でもあり、合理的だった。
しかし、近年の生物科学の発展により、DNA鑑定という有力な手段が登場し、民法の規定のままでいいのかどうかが問われている。
最高裁で弁論が開かれた父子関係取り消し訴訟は、DNA型鑑定が民法の嫡出推定を破ることができるかどうかが問われている。

民法は、夫が遠隔地で暮らしているなど明らかに夫婦関係がない場合などには例外的に「推定が及ばない子」として、嫡出推定を否認している。
しかし、今回争われているのは、このような例外的な事情はない。

関西訴訟は、夫が単身赴任中に妻が妊娠。お宮参りや保育園行事などに家族として参加していたが、妻が別の男性と交際していることが発覚した。妻が子を連れて家を出ていき、今は交際相手とともに生活しているという。北海道訴訟では、結婚約10年後に妻が出産し、夫の子として出生届を出したが、その後、離婚が成立した。
DNAの鑑定技術向上で民法の「想定外」 最高裁はどう判断?

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静岡新聞6月10日

まあ、ケースバイケースで判断せざるを得ないような気はするが。

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2014年6月11日 (水)

誰のための混合診療か?/アベノミクスの危うさ(32)

安倍首相は10日、「混合診療」について、患者の希望があれば、一定の基準の下で全国の病院や診療所で実施できる新たな制度をつくると正式表明した。
規制改革の一環で、成長戦略の1つの柱ということである。
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日本経済新聞6月10日

患者の希望に沿って診療を行えるようにすることは、望ましいように思える。
特に難病罹患者にとっては、多少なりとも可能性があるなら、ぜひ受診したいと願うだろう。
しかし素朴に考えて、「診療のあり方が成長戦略の柱?」という疑問が湧く。

患者の選択肢というが、難病患者の診療にも貧富の差ということか?
従来禁止とされていたことの問題点はクリヤーされたのか?

わが国の健康保険制度は、健康保険でみることができる診療(薬や材料も含む)の範囲を限定している。
混合診療とは、健康保険の範囲内の分は健康保険で賄い、範囲外の分は患者自身が費用を支払うことで、費用が混合することを言う。
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http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/qa/01.html

自己負担分を拡大しようということであるが、「安全な医療を、貧富の差にかかわらず受けられる」という原則とは相容れないものでもある。
新たな制度は、「患者申し出療養制度(仮称)」といい、下図のような内容である。
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患者の希望で混合診療可能に 首相が正式表明

新制度は、患者が、未承認の新薬や医療機器による治療を望めば、相談を受けた医師は、東大病院などの実績のある臨床研究中核病院と協力し、混合診療の申請ができるようにする。
治療内容の安全性や効果を医師が説明し、患者が納得することが前提であり、病気の種類や治療法に制限は設けない。

制度改革が、本当に安倍首相のいうように、患者本位の制度になるのかどうか?
医療費あるいは医療保険給付費の圧縮という狙いが透けて見えるような気がするのは、保険制度に頼らざるを得ない者の僻みだろうか?
公的医療保険で扱うべき医療の範囲を縮小し、その分を自由診療に移し変えようというものでなければ幸いである。

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2014年6月10日 (火)

KADOKAWA・ドワンゴ経営統合/ブランド・企業論(28)

5月13日、株式会社KADOKAWAと株式会社ドワンゴは、両社が経営統合することで合意したと発表した。
対等の精神に基づき、両社の完全親会社となる「株式会社KADOKAWA・DWANGO」を共同株式移転で設立するとしている。
統合会社は、両社の株主総会などの承認を経て10月1日に設立する予定で、代表取締役会長には現ドワンゴ代表取締役会長の川上量生氏、代表取締役社長には現KADOKAWA取締役相談役の佐藤辰男氏が就任する予定である。

KADOKAWAとドワンゴの2社は従来から、濃密な関係を持っていた。
2011年に資本提携しており、お互いに株式を持ち合いしている。
両社の時価総額は1000億円前後でほぼ同じくらいである。
そういう条件が揃っての統合であり、必然とも言えるのかも知れない。
統合した会社の姿は、以下のようである。
Kadokawadwango
http://thepage.jp/detail/20140521-00000007-wordleaf

株式会社KADOKAWAは、角川書店を中心とする老舗企業である。
私などには、創業者の俳人としても著名だった角川源義のイメージが強く、国文学系の出版社という感じがするが、多彩な領域のメディア企業化している。
一方の、株式会社ドワンゴは、1997年設立の新興企業である。

伝統的メディア企業と新興メディア企業の統合で思い出すのは、AOLとタイム・ワーナーとか、日本のTBSと楽天、ニッポン放送とライブドアなどである。
大きな話題となったが、いずれも成功しなかった。
その辺りを問われて、角川歴彦社長は、次のように説明している。

まず、敵対的な合併を目論むと大概ダメになると思います。ですから、今のご質問例の半分はそういう形だったと思います。タイム・ワーナーとAOLについては、今日になってみれば歴史的な、時代的な評価として無理だったということにあると思います。
その点では、KADOKAWAがリアルなプラットフォーマーとしてきちっとした成果を出したいというときに、ドワンゴがいたわけです。また、ドワンゴが自身のプラットフォームから配信している若きクリエーターたち、UGCたちには、もうひとつ上を卒業するような可能性、才能を持った人たちが、またKADOKAWAの舞台で仕事をしてくれる。これが積み重なっていけば、異質と思われた会社同士が、実は一卵性双生児だった、と思っていただける日が近いと思っております。
http://logmi.jp/12816

私は、両社の内部事情については良く知らない。
しかし、上記の役員体制を見れば、KADOKAWAの角川歴彦会長の、ドワンゴ会長・川上量生氏への後継者指名と言ってもいいだろう。

川上氏は京都大学工学部の出身で、現在45歳。
卒業後、サラリーマンを経て1997年にドワンゴを創業した。
当初はセガ・エンタープライゼス(現セガサミーホールディングス)のゲーム機ドリームキャスト関連のビジネスを行っていたが、携帯コンテンツ事業にシフト、2007年にニコニコ動画を開始して躍進した。
統合後の持株会社では、角川氏は相談役に退く。
角川氏は、2010年の資本・業務提携の時点から、川上氏に対して合併を持ちかけていたという。

経営統合することにより、KADOKAWAの有するコンテンツおよびリアルプラットフォームとドワンゴの有する技術力およびネットプラットフォームが融合する。
ネット時代の新たなビジネスモデル作りを、若い川上氏に託した角川氏の判断は、どう出るか?
過去のメディアの大型統合は失敗例が多い、というジンクスを破ることを期待したい。

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2014年6月 9日 (月)

炉内未使用プルトニウムの報告漏れ/原発事故の真相(116)

各国は国際原子力機関(IAEA)に、プルトニウム保有量を報告することが義務づけられている。
しかし日本は、2012年以降原子炉燃料内のプルトニウムを含めていないという。
1406082
東京新聞6月8日

プルトニウム(Plutonium) は、原子番号94の元素であるが、ウラン鉱石中にわずかに含まれている以外は自然界には存在しない。
放射性元素で、半減期はプルトニウム239の場合約2万4000年である。
プルサーマル発電におけるMOX燃料としても使用されるが、主に核兵器の原料に使われるため、厳重な管理が国際的な了解事項である。

 政府は意図的な過少報告でないとしているが、兵器転用可能なプルトニウムが実態通り報告されておらず、国内外の専門家は日本の認識の甘さを指摘している。日本が保有するプルトニウム総量は約四十四トンとされてきたが、実際は約四十五トンに上る。
 問題のプルトニウムは九州電力玄海原発3号機(佐賀県)の混合酸化物(MOX)燃料に含まれる六百四十キロ。一一年三月、定期検査中の原子炉に入れられたが、原発事故を受け、運転再開できず炉内に置かれたままだった。二年後の一三年三月、未使用のまま炉から抜き取られ、今も燃料プールに保管、IAEAの査察対象となっている。しかし政府は一二年、全国の原子炉施設にある一一年末時点の未使用プルトニウム量について、一〇年末の二・二トンから一・六トンに減らしてIAEAに報告。玄海3号機の炉心にMOX燃料を入れたことが理由で、昨年も一・六トンで報告している。
Photo
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014060802000097.html

原子力委員会事務局は「炉内にある燃料は使用中と見なし、以前から報告対象外としている。
しかし、それが趣旨に沿っていると言えるのか疑問である。
オリ・ヘイノネン元IAEA事務次長は、「どこにあろうが未使用のプルトニウム。報告に反映すべきだ」としている。
福島の事故が起きた以上、放射性物質の管理・情報公開に関しては、事故以前よりナーバスになってしかるべきである。
ところが日本の政府を含む原子力ムラの人たちは、まったく逆の方向に意識が向いているらしい。

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2014年6月 8日 (日)

親子鷹を実践・原貢/追悼(52)

東海大系列校野球部総監督の原貢氏が、5月29日、心不全のため亡くなった。
79歳だった。
甲子園で2度の全国制覇を果たすなど高校、大学で監督として輝かしい実績を挙げ、アマ球界の“ドン”と称された。

全国的な知名度は、三池工高の監督として夏の甲子園で初出場初優勝を達成した1965年からである。
原氏が三池工の監督に就任したのは1959(昭和34)年のことであった。
当時の三池工は地元大牟田地区でも全くの無名チームだった。
三池工の野球部顧問が、強化のために優れた指導者を求めて、大牟田の大企業だった東洋高圧の野球部長に相談し、紹介されたのが原氏だった。

原氏は、在学している生徒のみを鍛えることの限界を感じ、有力中学生のスカウトに乗り出した。
そして、スカウトした選手たちが2年目になった頃から、目に見えて強力なチームができたという。
やがて力をつけた三池工に、多くの有力中学生が進学するようになり、全国制覇を達成するメンバーにまでなった。
当時の原氏の指導は、絵に描いたようなスパルタ指導だったようだ。
集中力を欠いたプレーをしたら殴り、怠慢プレーしたらバットで殴りつけたというから、今ならモンスターペアレントならずとも問題視されること必定である。

原氏は、三池工での戦いぶりや指導に感じた東海大学の創設者・総長松前重義の招きで東海大学付属相模高等学校野球部監督に就任し、1970年夏の甲子園で同校を初の全国制覇に導くなど、東海大相模の名を全国に轟かせた。
1974年(昭和49年)には長男・辰徳が東海大相模に入学し、「親子鷹」としても話題となった。

数多くの教え子の中で、一番弟子が長男の辰徳氏(巨人監督)であることは衆目の一致するところであろう。
辰徳氏は1974年に東海大相模高に入学したが、貢氏は野球部内で一切の親子関係を断ち切った。
辰徳氏は「進学時に『五分五分の力なら補欠だ。六分四分でも補欠。七分三分なら考える。おまえは耐えられるか』と聞かれた」と振り返るり、チームでは誰よりも怒られて、他の選手に同情されるほどだったという。
練習では何度も辰徳氏に対して鉄拳を浴びせ、ほかの選手の襟を正すための生け贄にした。

病床の貢氏を辰徳氏が見舞うため、5月5日のナゴヤドームの巨人・中日戦の采配を川相ヘッドコーチに任せて、神奈川県内の病院に向かった。
この件を、「週刊現代」5月24日号で、『「家族想いの美談」か、「職場放棄」か?』という形で賛否の意見を紹介している。

私は、年間を通じて数多くある試合の1試合を、父親の見舞いのため欠場することに何の違和感もなかった。
自分の息子の入学式に出るために、担任の学校の入学式を欠席するのとはわけが違うだろう。
⇒2014年4月17日 (木):公私の分界をどう考えるか?/花づな列島復興のためのメモ(321)
しかし、同誌には厳しい意見も寄せられていた。

たとえば、元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞氏は次のように言っている。
歌舞伎の世界では、中村勘三郎さんが亡くなったとき、息子の勘九郎と七之介兄弟は京都南座の公演のために、お通夜や葬儀にも行かなかった、
プロとしてあるまじき行為だ。
一方、作家で僧侶の家田荘子氏は、次のように言う。
5日のマウンドに孫の菅野智之投手(辰徳監督の甥)が先発として上がり、勝利投手になった。
辰徳監督も菅野投手に「あとは頼んだぞ」と託し、菅野投手も奮起したのであろう。

巨人の試合の場合、立派な代役もいる。
一方、埼玉県の県立高校の教師は、入学してくる1年生の入学式である。
まさに一期一会の場というべきではなかろうか?

実際に同月中に貢氏が亡くなっていることを考えれば、辰徳氏にとっては父親の見舞いの方こそ一期一会だった。
であれば、辰徳氏に厳しかった貢氏も、満足だったのではなかろうか。
合掌。

 

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2014年6月 7日 (土)

今こそ必要な『暗黒日記』のクリティカル思考/知的生産の方法(96)

学生時代に初めて清沢洌の『暗黒日記』を読んだときの衝撃は大きかった。
確か、筑摩書房から出ていたノンフィクション全集の中の一冊だったように記憶している。
抜粋版ではあったが、かなりの部分をカバーしていたはずである。
狂信的な思潮が圧倒的だった時代に、清沢洌のように冷静かつ客観的に世相を観る目が存在したことを知り、自分のモデルとすべき人だと思った。

久しぶりに『暗黒日記』のことを思い返したのは、東京新聞の「本音のコラム」欄で、斎藤美奈子氏の「70年前の警句」という文章に、『暗黒日記』からの引用があったからである。
斎藤氏は、意表を衝く視点を提示してくれる柔軟な思考を持った評論家である。
⇒2011年1月29日 (土):異質馴化-斎藤美奈子さん江/知的生産の方法(8)

斎藤氏の論の立て方は、一見奇抜なレトリックのようでありながら、本質に迫る。
たとえば、『文章読本さん江』という著書がある。
リサーチャーの卵時代(20代の後半頃)が、私の文章修業の時期であった。
それまで、学校では、小中学生の頃作文をやった経験があるだけで、文章の書き方を意識的に学習したことはなかった。

一方、『文章読本』という類の著書があることは知っていた。
谷崎潤一郎をはじめ、川端康成、三島由紀夫、中村真一郎、丸谷才一、井上ひさしなどの錚々たる作家たちに、それぞれ『文章読本』があるし、岩淵悦太郎氏や中村明氏は反語的な『悪文』を出している。
中村氏の方は、「裏返し文章読本」というサブタイトルであるから、『文章読本』の一種であることは間違いない。
これらの著書は一応購入し、ほとんどのものは目を通してみた。

それぞれ含蓄に富んではいるものの、読んだからといって文章がうまくなったとは思えなかった。
リサーチャーの場合、“うまい”というのは、「論旨が明快で伝達性が高い」ということである。
その意味でモデルになったのは、若くして亡くなられたが水問題から出発して広く社会工学の諸問題にアクティブに発言されていた華山謙氏(東工大教授)、アフリカというフィールドでヒトの発生というテーマにチャレンジサルされた伊谷純一郎氏(京大教授)、あるいは評論家の加藤周一氏などの文章であった。

斎藤氏の『文章読本さん江』は、既往数多くの「文章読本」を腑分けし、現代における文章のあり方を論じたものであった。
「すべての文章読本は他の文章読本の批評になっている」と書いているが、その意味で、当然斎藤版『文章読本』としての性格を持っている。
この書は、第一回小林秀雄賞の受賞作であるが、「批評とは畢竟、他人をダシにして己を語ることである」と喝破した小林秀雄の名を冠した賞に相応しい。
この本を読んでいれば、文章上達のために『文章読本』を読むというムダな努力をしないで済んだ。

ところで斎藤氏のコラムのタイトルの「70年前の警句」は、やれ解釈改憲だ、集団的自衛権の行使容認だと声高に主張されている最近の政界を、70年前、すなわち1944年の政治状況と「似ている」と見て、清沢洌の書き遺した『暗黒日記』の記述を引用するのである。
たとえば、1944年7月17日の項。

 大本営には連絡会議があるが、決定機関はない。政略と作戦には知識が入っていく機会がなく、若い参謀と、東條などの「かん」で決定されている。日清、日露戦争には明治天皇を中心に、伊藤、山縣等の元老が議をねった。これが現代と異なるところだ。

直後の7月20日の項。

 東條内閣総辞職す。この日本を不幸に陥らせた責任内閣は、かくて内輪割れの結果崩壊す。
・・・・・・
 さるにても、これくらい乱暴、無知をしつくした内閣は日本にはなかった。

斎藤氏の言い分に賛成である。
ついでに私の誕生した8月8日の項を見ると次のような文章が書かれている。

 からだの調子恢復。畠などをやる。晩に鮎沢氏宿る。
 小磯首相、ラジオで放送。何をいっているのか分からぬ。「天皇に帰一し奉る」ということが結論だが、それは何を意味するのか。これぐらい分かったようで分からぬ文字はない。

確かに、「天皇に帰一し奉る」とは、分かったようで分からない言葉であるが、今でも「成長の家」の教義の根本の天皇信仰を表す言葉だそうである。
また、私の青春の書の阿川弘之『雲の墓標』にも、4人の主人公たちが、吉野は夢の中の神がかり的な経験に感動し、坂井は「天皇に帰一し奉る」ということの深い意味がわかって来たなどといい出すシーンがある。
いち早く事故死する藤倉は、「マルクス主義の洗礼を受けていたら、もっと、科学的な見通しを立てる力を持てたろうか」と手紙に書いている。

いま私の手許にある『暗黒日記』は、評論社版復初文庫の一冊で、橋川文三氏の編集・解説である。
索引まで入れると900ページを超える大著で、今の私には通読する体力も気力も不足している。
時々、パラパラとページを繰りながら、世相に迎合しないクリティカルな精神を思い出すことにしよう。

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2014年6月 6日 (金)

渡辺恒雄氏の老醜/人間の理解(4)

人間は、歳をとるとともに、さまざまな障害が現れてくる。
老醜という現象もその1つであろう。
老醜とはどういうことか?

一般的には、「年をとって姿などが醜いこと」(デジタル大辞泉)である。
しかし、次のような解釈もある。

むろん、「醜」という字には「みにくい」「悪い」「憎む、嫌う」などという意味があります。さらに、「恥じる、恥ずかしく思う」「恥」「比べる」「たぐい、仲間」「もろもろ、多人数」などという意味も含まれているのです。
・・・・・・
それは、ちょうど「悪」と言う字が「悪い」という意味の他にも、接頭というのでしょうか名詞の最初に付いて、畏敬の念を抱かせる強さを意味するのと似ています。例えば、「悪源太 」のようにです。
老醜現象というやっかいな症候群

渡邉恒雄という「独裁者」がいる。
渡邉氏自身が、「俺は最後の独裁者だ」と言っているから間違いないだろう。
株式会社読売新聞社社長、株式会社読売巨人軍オーナー、社団法人日本新聞協会会長などを歴任し、株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆、株式会社読売巨人軍取締役会長の現任である。
齢88歳、通常の会社ではとっくに引退している年齢である。

その独裁者・渡辺氏とプロ野球巨人元代表の清武英利氏が泥沼の争いをしている。
代表を解任された清武氏と巨人側が、互いに損害賠償を求めて訴訟をしているのだ。
Vs
静岡新聞6月6日

独裁者・渡辺氏の証言を見て、認知能力に疑問を持ったのは私だけであろうか。

 プロ野球巨人の球団代表解任をめぐり、元代表の清武英利氏と巨人側が互いに損害賠償などを求めている訴訟で5日、読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長が証人として東京地裁の法廷に立った。渡辺氏は、清武氏側が主張するコーチ人事への不当な介入について否定した。
 渡辺氏は尋問で、2011年10月に清武氏らから次季人事案の報告を受けた際の状況を振り返り「人事案を了承した覚えは全くない」と強調した。報告に対し「そうか、わかった」と発言した意味を問われると「早く僕の前から帰ってもらうために言った」と説明した。清武氏側はいったん了承された人事案が覆されたと主張している。
 この訴訟は巨人側が「清武氏が虚偽の事実を公表した上、重大な守秘義務に違反した」と1億円の損害賠償を求めたのに対し、清武氏側が不当な解任だとして、巨人側と渡辺会長に約6千万円の賠償などを求め反訴している。
 清武氏は11年11月に記者会見を開き、渡辺会長がコーチ人事に不当に介入したと批判。巨人は「取締役として適格性を欠く」として代表を解任した。巨人側と清武氏は、解任後の対応をめぐり別の訴訟合戦も繰り広げている。
G渡辺会長「不当介入」を否定 清武氏解任訴訟で証言

私は巨人という球団の内部事情に通じているわけではないが、独裁者と自認する人に案を持って行って報告した際に、「そうか、わかった」と言われた状況をイメージすることはできる。
当然、「了承した」と考えるだろう。
「早く僕の前から帰ってもらうために」言われたとは、まず思わないはずである。
反対であれば、「否=No」と言うことに何の障害があるわけでもないからだ。

「清武氏が虚偽の事実を公表した」かどうかは認識の問題ではあるが、客観的に見て「虚偽の事実」とは思えない。
つまり、この訴訟については、清武氏側に理があると考える。
とすれば、渡辺恒雄氏の姿は、デジタル大辞泉の定義の通り、「年をとって姿などが醜いこと」と言わざるを得ない。
決して、「仲間が多い」とか「畏敬の念を抱かせる強さ」というような意味ではない。

渡辺氏にも当然純真な若い時代があった。

東京大学在学中の1945年12月に日本共産党に入党を申し込む。日本青年共産同盟の同盟員としてビラ貼りや演説会の勧誘など下積みのような活動を経験して、1947年頃、正式な党員として認められる。東大学生細胞(共産党が地域・職場などに設けた末端組織の旧称)に所属し、他大学でも演説を行い党員を増やしたが、1947年12月、自ら離党届を提出し、結果的に離党ではなく除名される。
渡邉恒雄(Wikipedia)

長生きをするのはめでたいことだが、老醜を晒すのは如何なものか?
主筆として君臨する新聞が健全なジャーナリズムであるとも思えない。
一方、清武氏も辣腕のジャーナリストだった。

立命館大学経済学部卒業後、1975年読売新聞社入社。東京本社社会部次長時代に、第一勧業銀行総会屋事件や山一證券の破綻などをスクープ。
清武英利(Wikipedia)

私は、ある資金調達プロジェクトを山一證券主幹事で実施したが、その償還が終了しないうちに破綻してしまい、大きな影響を受けた。
ある意味で私の人生における想定外の出来事であったが、清武氏の書いた『しんがり 山一證券 最後の12人』 講談社((2013年11月)を読んで振り返るよすがとしてみたい。

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2014年6月 5日 (木)

天安門事件から25周年/世界史の動向(17)

天安門事件から25年が過ぎた。
この間に、世の中は大きく変わったが、中国共産党の武力制圧を正当化する姿勢は変わっていない。
というよりも、ますます頑なになっているように見える。

ノーベル賞の中でも平和賞は政治的な臭いが付きまとうので、あまり客観的な評価ができないのであろうが、2010年、中国在住の中国人として初のノーベル賞受賞者となった劉暁波氏について見てみよう。
劉氏は、2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、以後、外国要人訪中や人民代表大会会期中は自由を失い、電話・インターネットによる交信が遮断された。
2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」による懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決が下され、4度目の投獄となり、2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け現在も遼寧省錦州市の錦州監獄で服役中である.。

今や中国経済は世界でトップの大国である。

世界銀行の国際比較プログラムは最新の購買力平価換算の国内総生産(GDP)で、中国が年内に米国を抜いて世界最大の経済大国になる見通しを示した。
 多くのエコノミストは中国が米国を抜くのは2019年になるとみていたが、モノやサービスのコストで換算することで、両国の差は大幅に縮まった。こうした変化は、1870年代から続く米国が世界経済を支配する時代がほとんど終わったことを示している。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0201A_S4A500C1000000/

しかし、世界の中でリスペクトされているかといえば、そんなことはないだろう。
諸々要因はあるだろうが、畢竟、共産党政権の一党独裁に原因があるのではないか。
有名な「権力は腐敗しやすく、絶対的な権力は絶対に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)」というアクトン卿の言葉通りである。

25年前、出張の旅先でTVの映像を固唾を飲んで見ていた日は遠くなりつつあるが、まだ鮮明である。
5年前、所用で北京にいた私は、観光客気分で紫禁城の見学に出掛けたが、天安門付近のものものしい警戒に驚いた。
⇒2009年6月 5日 (金):天安門の“AFTER TWENTY YEARS”

報道されているところでは、天安門やウルムチなどで不穏な動きが見られる今年、警戒ぶりはさらに強まっているようである。
⇒2013年11月 4日 (月):天安門自爆テロ?/世界史の動向(1)
⇒2013年11月 8日 (金):山西省太原市の連続爆発事件/世界史の動向(3)
⇒2014年5月27日 (火):緊迫するウルムチ/世界史の動向(14)

 4日、天安門広場はすべての入り口に安全検査所が設けられた。警察は訪れた全員に身分証を提示させ、特殊な端末で登録。水筒の中身までチェックした。
Photo
http://www.asahi.com/articles/ASG6465QVG64UHBI02J.html?ref=nmail

力で抑え込もうとしても抑えきれないのが世界史の必然というものだろう。
中国の指導部は、求心力を高めようとしてか、わざわざ外部に敵を作ろうとしているようにも見える。
しかし、それではリスペクトされる存在から遠ざかるばかりだろう。

 日米欧などの先進7カ国(G7)首脳会議(サミット)は4日夜(日本時間5日未明)、ブリュッセルで開幕した。初日は外交政策について協議し、焦点のウクライナ情勢では、親欧米派の次期大統領への支援を表明する首脳宣言を採択した。ロシアには緊張緩和に向けたウクライナとの協力などを求め、情勢次第で追加制裁をとる用意があると警告した。
 また、首脳宣言は、緊張が高まる東シナ海・南シナ海の情勢についても「深い懸念」を表明。中国の海洋進出を念頭に、現状を変更する「威嚇や強制、力を用いた一方的ないかなる試みにも反対する」と強調、名指しを避けながらも中国の動きを牽制(けんせい)した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140605/plc14060511250006-n1.htm

共産党独裁政権の終焉する日はそう遠くないのかも知れない。

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2014年6月 4日 (水)

超高齢社会と限界自治体/花づな列島復興のためのメモ(330)

5月1日にNHKで放映された『極点社会 ~新たな人口減少クライシス~』は、ショッキングな未来像を伝えるものだった。

わが国が急速に高齢化しつつあることは良く知られている。
65歳以上の高齢者が、総人口に占める割合を、高齢化率という。
高齢化率によって、社会の状態は次のように区分けされる。

高齢化社会:高齢化率7%超
高齢社会:高齢化率14%超
超高齢社会:高齢化率21%超

わが国の高齢化率の推移は下図のようである。
2_2
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2011/gaiyou/html/s1-1-1.html

すなわち、わが国は1970年に高齢化社会に、1994年に高齢社会に、2009年に超高齢社会になった。
ここまでは、事態の深刻さは別としても、比較的馴染みがあることである。
その結果として、わが国の人口は、ドラスティックな変化をしていくだろうと予測されている。
国土交通省が発表した「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」と題するレポートによると、日本の人口は2004年の1億2784万人をピークとし、今後100年間に100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく。
2_4
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111118/201698/

この図をみると、われわれが日本史において、実に特異な時代に生きているのだなあと、感慨のようなものを覚える。
大東亜(太平洋)戦争中に大政翼賛会が掲げたスローガンに、「進め一億火の玉だ」というのがあるが、わが国の人口が1億を超えているのは、だいたい1950年~2050年の間ということになる。
1
進め一億火の玉だ

一億というのは、大東亜(太平洋)戦争中は、 朝鮮半島や台湾などの植民地人口も含めて称したのであろう。
また、大東亜戦争(太平洋)によって、このような大きなグラフにも表れるような人口減少(戦死および戦争関連死)があったことも分かる。

『極点社会 ~新たな人口減少クライシス~』は、人口減少によって、従来余り意識されなかった問題が生ずることを指摘した。
Ws000000
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3493.html

超高齢社会になると、高齢者の数が増えるような印象であるが、多くの地方では高齢者すら減少していくのだ。
高齢者すら減少を始めた市町村は、年金で成り立ってきた経済がシュリンクする 。
そして、東京の都心部である豊島区ですら、地方から流入する若い人が枯渇し、結果として消滅する危機だという。
⇒2014年5月12日 (月):人口減少の過程と問題②/ケアの諸問題(8)

1312_2地方で雇用のPhoto_4場を失った若年女性が首都圏にこれまで以上に流入していくが、首都圏では子供を産み育てられないことは、出生率が示しているところだ。
地方は若年女性が消え、必然的に急速な人口減少を招く。
すなわち、“限界自治体”化し、壊死していく。
一方で過密と集中が予想される首都圏は、少子化が進む。
結果的に日本全体が縮小していくのだ。

出産可能な女性の数は、20年先程度までは現時点でほぼ確定している。
ドラッカー流の表現をすれば、『すでに起こった未来』なのである。

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2014年6月 3日 (火)

懐疑的な現実主義者・粕谷一希/追悼(51)

編集者・評論家の粕谷一希さんが、30日亡くなった。84歳だった。
中央公論社で「中央公論」などの編集長を務め、退社後は『二十歳にして心朽ちたりー遠藤轔一朗と「世代」の人々』をはじめとして、力のこもった評論作品を書いた。
私は同書を読んで、遠藤麟一朗という存在を初めて知り、ある意味での衝撃を受けたが、そのことについては改めて記すこととしたい。

粕谷氏は、いわゆる進歩的文化人が中心だった戦後の日本の論壇に、現実主義的な論者を登場させた立役者である。
昭和5年に東京で生まれ、東京大学を卒業後、中央公論社に入社した。

中央公論社に、「言論史上初めてといわれる論壇を対象とする」吉野作造賞が創設されたのは、1965年の創業80年を記念してのことだった。
受賞者は翌1966年から選定されたが、衛藤瀋吉、永井陽之助、萩原延寿、永井道雄、村上泰亮、高坂正堯などの錚々たる論者が選ばれている。
この賞の企画・実行者が、粕谷氏だった。
なお、同賞は、中央公論社が読売新聞社の傘下となったあとに読売論壇賞と統合されて読売・吉野作造賞に改編された。

粕谷氏は、現実主義の論調の台頭に大いに与ったことになる。

現実主義論調とは、勢力均衡、権力政治、軍事力の側面を重視した外交論(国際政治学)を指す。
根津朝彦「編集者粕谷一希と『中央公論』―「現実主義」論調の潮流をめぐって―」『総研大文化科学研究』4号

「世界」や朝日新聞などにおいて主流だった論調のアンチテーゼということになろう。
粕谷氏が中央公論社に在職したのは、1955年~1978年の間であった。
中央公論社が株式会社化されたのは、1926年であったが、淵源は、1886年(明治19年)に京都・西本願寺の有志が集まり「反省会」を設立した時に遡る。
翌1887年、反省会は「反省会雑誌」を創刊(後に「中央公論」と改題)したが、反省会の設立を以て創業としている。
「中央公論」は大正デモクラシーを代表する総合雑誌として部数を伸ばし、1916年には「婦人公論」を創刊した。

中央公論社は1990年代に経営危機に陥り、1999年に読売新聞社(現読売新聞東京本社)が全額出資して中央公論新社を設立、営業を譲り受けた。
2002年の読売グループ再編により新設されたグループ持ち株会社読売新聞グループ本社の事業子会社となって現在に至っている。
旧中央公論社は1999年2月1日付で株式会社平成出版に商号変更、同年8月23日に解散し、2001年9月1日に清算が終了して、完全消滅した。
諸行無常である。

粕谷氏は、中央公論社の良き時代に在職したといえるだろう。
粕谷氏によって論壇に登場した一人である萩原延寿氏は、革新と社会主義がほとんど同義的であった1965年2月号の『中央公論』誌に載せた「革新とは何か」において、マルクスの「革新的(ラディカル)であるというのは、物事を根底にまで遡って理解することである」という定義の意味を改めて問題提起した。
しかし、60年代末に吹き荒れた「造反有理」をスローガンとした学園紛争は、ラディカルであったのか否か?

粕谷氏は、「編集とは筆者とテーマの選択的構成である」と言った。
化学反応において、優れた選択性を持つ触媒が重要な役割を担うが、編集者はそういう存在だということなのだろうか。
今こそ、編集が重要な時代であるように思われる。
合掌。

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2014年6月 2日 (月)

「赤福」のお家騒動/ブランド・企業論(27)

「赤福」といえば、伊勢の老舗の和菓子屋として有名である。
餅を漉し餡でくるんだもので、漉し餡には三つの筋が付き、五十鈴川の川の流れを表しているとされる。
妻の大好物であり、昨日も岐阜に出かける所用があり、帰りに名古屋駅で土産に買って帰った。
餅は非常にやわらかいのが特徴である。
「崩れるので、平らにして持つように気を付けてください」と言われた。

三嶋大社で福太郎という縁起餅を売っている。
草餅であるが赤福のイミテーションという感じを否めない。

和菓子の餡には、「漉し餡派」と粒餡派」に嗜好が分かれる。
もちろん物にもよるが、あえてどちらを選ぶかという質問に対して以下のような結果が得られた。
Vs
和菓子についての本音・実態調査

「つぶあん派」が61%、「こしあん派」が35%と、「つぶあん派」が多い。
男女での差はほとんどなく、若干男性の方が「つぶあん派」が、女性の方が「こしあん派」が多い結果であった。
年代別では、60代以上は70%が「つぶあん派」と圧倒的に「つぶあん派」なのに対し、30代以下は49%が「こしあん派」44%が「つぶあん派」で「こしあん派」の方が多い。
「つぶあん派」は年代が上がるほど多くなり、「こしあん派」は若い世代ほど多い、という傾向であるが、「貧しかった時代に育つと、餡をより強く実感できる「つぶあん」の方が好まれる」というのが私の仮説である。
ちなみに我が家は、私が「つぶあん派」、妻が「こしあん派」であるが、「つぶあん派」の私も赤福餅の「こしあん」には異論はない。

「赤福」は保存料を使わない生菓子であり、消費期限は夏期は製造年月日を含め2日間、冬期は3日間である。
創業300年となった2007年に、冷凍保存していた製品を、解凍日を製造年月日として出荷していたこと、さらに売れ残り商品の再利用をしていたことが明るみに出た。
三重県が無期限の営業禁止処分としたことで経営問題に発展した。

その「赤福」でお家騒動だという。
2014年4月23日、赤福は臨時株主総会で浜田典保社長を退任させ、浜田益嗣(父)の妻である勝子を後任社長に選任した。
同時に、典保社長が外部から会長として迎えた玉井英二氏も取締役を退任した。
日本経済新聞によれば、「まさに仰天人事だった」。

 「あの日、臨時株主総会が開かれることは社内でもほとんどが知らなかったはず」と赤福の社員は声をひそめる。それもそのはず。関係者によると総会に出席したのは典保、父親で前の社長の益嗣(ますたね)、母親の勝子、典保の弟の吉司ら。非上場企業である赤福の発行済み株式の84%は、益嗣が社長を務める浜田総業が所有し、残りを典保と益嗣が二分する。株主総会といっても実態は浜田家の「家族会議」のようなものだからだ。
 23日午前に「家族会議」が開かれると、緊急動議によってあっという間に典保の解任が決まった。取引先金融機関にも事前には知らされておらず、周囲には突然の解任劇だったことは間違いない。だが、赤福を知る関係者の大半はその理由は推察できた。「典保さんと益嗣さんとの確執が来るところまできてしまったんだろう」と。
ひび割れた「赤福」 和菓子老舗の仰天人事

「赤福」の名前を全国区にした立役者といわれる益嗣氏は、2代目社長で、1954年に株式会社に転換した。
益嗣氏は、1960年代に名古屋や大阪に工場をつくり、西日本に販路を拡大し、1965年には菓子会社、マスヤ食品(現マスヤ)を設立して、「おにぎりせんべい」をヒットさせるなど経営手腕には定評がある。
観光名所となっている「おかげ横丁」は、江戸末期から明治初期の門前町の街並みの風情を再現した。
益嗣氏の発案によるもので、「赤福」が140億円以上も事業費を負担した。

2007年の消費期限の偽装問題で、益嗣氏は会長を引責辞任し、経営の実権を05年に社長に就いていた典保に渡した。
典保氏は、「家業から企業」の脱皮を掲げ、社内改革を陣頭指揮し始めた。
コンプライアンス室や生産管理部などを新設し、社外から、かつて住友銀行で「大物副頭取」と呼ばれた玉井英二氏を会長に招いた。
社内の風通しを良くし、偽装を常態化したといわれるトップダウンの社内風土の改革を進めた。
営業再開時(08年9月期)に64億円に落ち込んでいた売上高を、13年9月期には約92億円と事件前の水準まで戻した。

典保氏の評価が高まる一方で、益嗣氏との溝が深まっていった。
益嗣氏が円満な退任であれば問題は生じなかっただろう。
しかし、不本意な退任となった益嗣から見れば、「家業から企業」を公然と唱え、改革を推し進める典保氏は父親を否定するような存在に見えた可能性がある。
典保氏が伊勢商工会議所の副会頭、伊勢市観光協会会長に相次ぎ就任して、財界活動に力を入れることも益嗣氏の意に沿わなかったという。

退任した玉井氏に代わって、新たに取締役になった4人のうち3人は、偽装問題で引責辞任したメンバーである。
しかし、その1人は典保氏の妻の朋恵氏だ。
実権を握っている益嗣・勝子夫妻は70代後半である。
この辺りがどう影響するかが判断の分かれ目ではあるが、「お家騒動」という形で報じられるのは非近代的なイメージで、マイナスが大きいだろう。
老舗の伝統と経営の近代化は、両立しないものなのだろうか?

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2014年6月 1日 (日)

天皇家と出雲国造家の関係/やまとの謎(94)

高円宮家の次女典子さまと出雲大社禰宜(宮司の補佐役)で、祭務部長の千家国麿さんの婚約が内定した。
尊皇意識の篤い産経新聞は、号外まで出して祝意を表した。
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典子さまは大正天皇のひ孫にあたる「女王」であるが、女王の結婚は戦後初めてのことである。
現行の皇室典範では、女王は、 天皇からみて直系で三親等以遠の者に与えられる。
皇室典範で定められた敬称は殿下である。

第五条  皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。
第六条  嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。
第二十三条  天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
○2  前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。
ところで、千家国麿氏の血筋をたどると「天照大神」が現れる。
神話がどこまで現実を反映しているかは別として、天皇家に比肩しうる家系ともいえる。
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http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/38337133.html

出雲国造家の先祖は天照大御神の第二子である天穂日命であるという。
両家にとってめでたいことであるが、天皇家と出雲の関係については、多くの謎がある。

『古事記』『日本書紀』等の伝える日本神話の中で、出雲は最重要の位置を占める。
いわゆる出雲神話であり、出雲を舞台に大国主神やスサノオが活躍する。
スサノオのヤマタノオロチ退治の話や大国主神の因幡の素兎の話はポピュラーである。
大国主神の「大国」はダイコクとも読めることから、大黒天(大黒様)とも習合した。
大国主神は様々な名前で日本各地の神社に祀られている。
その筆頭が出雲大社である。
出雲大社は、伊勢神宮と並んで日本で最も著名な神社である。

出雲大社の現在の本殿は延享元(1744)年に建てられたもので、その高さは地面から千木の先端まで八丈(約24メートル)もあある。
伊勢神宮の社殿の高さが約12メートル、その他の著名な神社の社殿も10メートル前後で、出雲大社の社殿の高さは群を抜いている。
さらに、社伝によれば社殿の高さは、中世には現社殿の高さの2倍、十六丈(約48メートル)もあったとされる。
建築史家の福山敏男氏が作成した十六丈本殿の復元図は以下のようである。
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http://www.ookuninushiden.com/

平安時代の中頃の『口遊』という書物には、建物の項として「雲太、和二、京三」と記されている。
雲太(出雲太郎)は出雲大社、和二(大和二郎)は東大寺大仏殿、京三(京三郎)は平安京の大極殿のことをさす。
出雲大社が東大寺大仏殿や京都御所の大極殿よりも大きいと書かれている。
平成12(2000)年4月、出雲大社の地下祭礼準備室建設に伴う発掘調査中に、三本の巨木の丸太を束ねた、宇豆柱の根元部分が出土した。
その後9本の柱の中央に位置する心の御柱と、南東にある側柱の根元部分も相次いで出土した。
心の御柱に使われていた丸太一本の最大径は上層部で1.2メートルで、丸太三本を束ねた心の御柱の直径は最大3.2メートルにもなり、それまで疑問視されていた金輪造営図などの信憑性が高まった。

このような出雲大社に関する謎の他にも、出雲には数多くの謎があり、その解釈が古代史像に大きく影響する。
出雲の謎については少しづつ勉強していきたいが、現実の問題としては、典子さまは結婚に伴い皇室典範の規定により皇籍を離脱することになる。
結婚前の女性皇族は現在、典子さまの他に7方おられるが、ご結婚による皇籍離脱により、皇族方は逐次減少していく。
秋篠宮悠仁さまが即位される時代には、天皇を支える皇族は何人になっているだろうか。
いよいよ、天皇制をどう考えるか、重要な時期に差し掛かっているといえよう。

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