タイの軍事クーデター/世界史の動向(16)
タイの軍事クーデターをどう理解するか。
なかなか理解しづらいのではなかろうか。
私は、タイへは、1980年代の終わりごろ、2回行ったことがある。
タイは1997年に始まった嵐のようなアジア通貨危機の発火地である。
私は韓国に飛び火したアジア通貨危機に直接の影響を受けたが、タイを訪れた頃は今から思えば長閑な時代であった。
リゾートに関連した仕事をしていたこともあって、視察という名目であったが、率直に言ってほとんどが観光であった。
滞在したのは、バンコクとバタヤだが、治安は良いという印象が残っている。
ただ、ホテルで飲んだ水割りに使った氷で(多分)腹痛になった。
海外で水に中った唯一の経験である。
http://www.a-daichi.com/travelogue/thailand.html
アジア通貨危機で経済は一時的に停滞したものの、その後急激な回復を見せた。
現在では、東南アジアにおける代表的な工業国となっている。
しかし、2006年頃からのタクシン派と反タクシン派との政治的内紛が続いていて、今回のクーデターになった。
5月22日、プラユット陸軍司令官がクーデター宣言をして、混乱が続いていた情勢が急展開した。
タイのクーデターは、1930年代以降、未遂を含め約20回を数えるという。
政治対立を軍が武力で収めるという形は、民主制国家とは言えない。
同司令官は、国内分断の解消を掲げている。
一時的には国内治安が回復に向かうだろうが、軍介入はタクシン元首相派の反発を招いて、再び対立のサイクルが繰り返される方向に進む可能性が大きい。
2006年にも軍事クーデターが起きた。
クーデターは国王の介入により収拾され、軍事政権が発足し、暫定憲法が公布された。
2007年8月には2007年タイ王国憲法が公布され、民政復帰が開始された。
2008年1月に、選挙を経てクーデターで政権を追われていたタクシン系の文民のサマック・スントラウェートが首相に就任したが、スキャンダルで9月に辞任した。
2008年10月にタクシン元首相の義弟であるソムチャーイ・ウォンサワットが首相に就任したが、憲法裁判所から前年からの選挙違反のため解党命令が出され失職し、12月には野党・民主党のアピシット・ウェーチャチーワが首相となった。
2006年のクーデター以降、国民の間でタクシン派の反独裁民主戦線(UDD;赤シャツ)と反タクシン派の民主市民連合(PAD;黄シャツ)が鋭く対立している。
何が対立点か良く分からないが、次図のように整理されるようである。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Asia/Radar/20100524.html
タクシン派と反タクシン派は、それぞれ支持層の違いを反映したものだ。とされる
タクシン派は下層の支持が厚く、反タクシン派は都市中間層の支持がある。
クーデターの前のインラック首相は、タクシン元首相の妹である。
反政府デモは、インラック首相は傀儡だと口にしていたが、選挙で国民の審判を受けてケリをつけるのではダメだとする。
なぜならば、選挙をすればタクシン支持派が勝つからだという。
余りロジカルとは思えない。
それにしても最後は軍事力なのだろうか?
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