日和見と観天望気/「同じ」と「違う」(74)
仙台市宮城野区の日和山が、18年ぶりで「日本一低い山」に返り咲く可能性が出てきたという。
「日本一低い山」として認定されるためには、地形図に山の名称が記載されていることが条件になる。
1996年に大阪市の天保山(4.5メートル)が、住民の強い要望で地形図に山名が掲載され、標高6.05メートルだった日和山は日本最低峰の座を奪われてしまった。
日和山は、東日本大震災の津波で大きく削られてしまったが正確な高さは誰も計測していない。
日和山を愛してやまない地元の住民たちは本当に「日本最低峰」になったのかどうか、固唾をのんで行方を見守っているという。
日本一低い山再び? 津波で地形一変 仙台・日和山
日和山といえば、石巻市の日和山から見た被災地の記憶は忘れがたい。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)
このように、各地に日和山というのがある。
日和山-Wikipedia には、以下のように紹介されている。
日和山(ひよりやま)は、日本各地にある山の名前。船乗りが船を出すか否かを決める際に日和を見る(天候を予測する)ために利用した山で、港町に多い。
日和山 (北海道) - 北海道登別市にある標高377mの山。
日和山 (秋田県) - 秋田県能代市にある標高30mの山。
日和山 (石巻市) - 宮城県石巻市にある標高56.4mの山。東廻り航路の拠点港・石巻にある。
日和山 (塩竈市) - 宮城県塩竈市にある標高26.8mの山。東廻り航路の拠点港・寒風沢(塩釜港の外港にあたる)にある。
日和山 (仙台市) - 宮城県仙台市にある標高3mの山。貞山運河と七北田川の積替港・蒲生にある。日本一低い山に認定されている。
日和山 (名取市) - 宮城県名取市にある標高6.3mの山。貞山運河と名取川の積替港・閖上にある。
日和山 (山形県) - 山形県酒田市にある山。最上川河口・酒田港が望める。
日和山 (新潟県) - 新潟県新潟市にある山。天保2(1831)年、江戸の絵師長谷川雪旦が訪れ、当時の様子を描いている。
日和山 (石川県) - 石川県鳳珠郡能登町にある標高29mの山。
日和山 - 兵庫県豊岡市の地名。日和山海岸を参照。
日和山 (尾鷲市) - 三重県尾鷲市にある標高301mの山。
日和山 (鳥羽市) - 三重県鳥羽市の鳥羽駅南側にある標高68mの山。
日和を見る(天候を予測する)から、日和見という言葉に独特のニュアンスが生まれた。
杉晴夫『生体電気信号とはなにか―神経とシナプスの科学』講談社ブルーバックス(2006年7月)の中に、次のような記述がある(pp71~72)。
加藤らは世界の学界の定説であった興奮の減衰説にチャレンジして、これを覆す証拠を次々と発表したが、国内での彼らの研究に対する反応は冷淡かつ日和見的であった。これはわが国の学界の「伝統的」な態度で、現在も依然として続いており、独創的な研究の芽を摘み続けている。
著者は、東大医学部の助手からアメリカの研究機関を経て帝京大学医学部の教授になった。
わが国の学界に対する批判がどの程度の正確さと射程で問題を射抜いているか分からないが、STAP細胞を巡る一連の動きに、やや似ているような気もする。
「日和見」という言葉に、余り良いイメージはない。
若いころの私の記憶では、動詞形の「日和る」というのは、一種の侮蔑用語であった。
Wikipedia-日和見主義には、以下のような解説が載っている。
日和見主義(ひよりみしゅぎ)とは、ある定まった考えによるものではなく、形勢を見て有利なほうにつこうという考え方のことである。
・・・・・・
普通、政治的な場で相手を侮辱する時に使う言葉である。機会主義(きかいしゅぎ)、投機主義(とうきしゅぎ)、オポチュニズム(Opportunism)とも言う。
・・・・・・
日和見主義に陥る事を、1960年代の大学闘争の現場においては“日和(ひよ)る”と軽蔑した。
私は上記の闘争現場にいたというわけではないが、学生同士の日常会話で、初志貫徹に挫折しそうな時、あるいは軸がブレている時などに普通に使っていたように思う。
しかし、情勢を見て判断することが一概に悪いこととは言えない。
柔軟に状況に対応できないことはむしろ悪ではないか。
日和見とは、天気を観察することである。
日和を辞書で引くと以下のようである。
ひ‐より 【日‐和】
1 空模様。天気。「―をうかがう」
2 晴れたよい天気。晴天。また、なにかをするのに、ちょうどよい天気。「待てば海路の―あり」「小春―」「行楽―」
3 物事の成り行き。雲行き。形勢。「―を見る」
4 「日和下駄」の略。
kotobank > 日和とは
史上名高い日和見は、洞ヶ峠における筒井順慶であろう。
洞ヶ峠は、京都府八幡市と大阪府枚方市との境にある峠である。
天正10年(1582)の山崎の戦いで、明智光秀が軍を進め、筒井順慶に加勢を求めたが、順慶は兵を動かさなかった。
ここで戦いを観望し、有利なほうに味方しようとしたためであるとされる。
この故事から、有利なほうにつこうと形勢をうかがうことを、洞ヶ峠(を決め込む)と言うようになった。
しかし、この伝説は史実に反しているとされる。
筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったのである。
日和見は、情勢判断の基礎であろう。
かつて日本の降伏後、山西省で「祖国復興・山西独立」をスローガンに、「李誠」の名で資源確保のために閻錫山の山西野戦軍(約6万人・5個師団)を指揮し、毛沢東が率いる中国人民解放軍と戦ったといわれる故城野宏氏が、情勢判断学を提唱したことがあった。
『城野宏の情勢判断学―活きた人間活動の事実をとらえる』ソーテック社(1987年11月)、『経済情勢判断学』 講談社(1981年7月)などの著書がある。
「情勢判断学」とは、いかにして客観的かつ効果的に「日和る」方法の謂いではなかろうか。
富士山麓の住民は、昔から富士山にかかる雲の形を見て、天気を占う。
日和見であるが、別の言葉で言えば、観天望気ともいう。
富士山は単独峰であるため、湿気をふくんだ風が山に直接ぶつかり、高度を増すにつれて、いろいろな形をした雲があらわれます。富士山にかかる雲は古来より観天望気のよい指標となってきました。観天望気(かんてんぼうき)とは、雲や風など大気の状態を観測し、天気を予測することです。富士山の雲は非常に顕著な現象を示すため、麓の住民は富士山の雲を見て天気を予測してきたのです。富士山に発生する雲の中で代表的なものが笠雲とつるし雲です。「富士山が笠をかぶれば近いうちに雨」「ひとつ笠は雨、二重笠は風雨」など、麓には雲に関係することわざも多く残されています。実際、笠雲がかかったあとの天気は、24時間後までに雨となる確率を季節別にみると春秋が約70%、夏は約75%、冬も約70%と、統計からみてもかなり信頼性が高いと言えます。さらに、笠雲とつるし雲が同時に現れると雨の確率は約80~85%もの的中率になると言われています。
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富士山の雲と天候の関係
静岡県には民謡が少ないが、代表的なものが「ちゃっきり節」であろう。
作詞:北原白秋、作曲:町田嘉章で、1927年(昭和2年)、静岡市近郊に開園した狐ヶ崎遊園地(後の狐ヶ崎ヤングランド)のCMソングとして、静岡鉄道の依頼によって制作されたとされる。
唄はちゃっきり節 男は次郎長
花はたちばな 夏はたちばな 茶のかおり
ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ
きゃあるが鳴くんで 雨ずらよ
「きゃあるが鳴くんで 雨ずらよ」は、「蛙が鳴くから雨だろう」の静岡方言であるが、一種の観天望気である。
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