西殿塚古墳の被葬者は誰か?/やまとの謎(93)
天理市南部に広がる大和古墳群の中山支群中でも最大の大きさを誇る西殿塚古墳の墳丘に、巨大な石積み方形壇が築かれていたことが分かった。
静岡新聞4月9日
西殿塚古墳は、延喜式で山辺郡にあったとされる手白香皇女衾田陵の位置にあたる。
宮内庁により手白香皇女衾田陵に治定されているが、被葬者をめぐって、いくつかの説がある。
衾田陵と捉えずに別の被葬者を推定する試みとしては、崇神陵の陵守が衾田陵を合わせて守っていたという記録から、この西殿塚古墳こそが崇神天皇陵であったという解釈がある。
また、箸墓古墳の被葬者を卑弥呼と考えれば、それに続く大王とみる説もある。
この立場からは、台与(もしくは壱与)が有力視されている。
同古墳は、2012年に盗掘されたという経緯がある。
しかし、盗掘が軽微で実質的な被害は小さいということで、起訴猶予になっている。
そのため、動機等については未詳である。
宮内庁は、陵墓については立ち入りを制限しているが、書陵部が調査していた。
同部によれば、西殿塚古墳前方部の方形壇は一辺22メートル、高さ2.2メートル。中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、墳丘を覆う葺(ふき)石と似たこぶし大から人頭大の石が大量に見つかった。
さらに下にも石が続いており、壇全体が石積みだった可能性が高いという。
方形壇はほかの古墳にもあるが、大半が土壇で、石積みはほとんど例がない。
静岡新聞4月9日
手白香皇女の衾田陵に治定されたのは明治9年のことである。
しかしその根拠は曖昧である。
男大迹王が北陸三国の地から迎えられて継体天皇として即位し、第24代仁賢天皇の娘・手白香皇女を皇后4世紀前半とされるこの古墳の被葬者の可能性はないと見るべきであろう。
ちなみに、古墳の規模と年代は次のように整理されている。
瀧音能之監修『完全図解 日本の古代史 (別冊宝島2108)』宝島社(2014年1月)
西殿塚古墳が、巨大古墳時代の先駆け的位置にある。
今回の知見が被葬者の特定にどう影響するのであろうか?
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