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2014年4月15日 (火)

記憶のメカニズム/知的生産の方法(87)

記憶とは不思議なもので、思い出そうと一生懸命になると消えてしまい、ふと何かの拍子に思い出す。
人の名前などは典型で、顔はくっきりとしたイメージを描いているにも関わらず、名前がどうしても出てこないことがある。
そういったことは、加齢とともに増えていくようで、同世代の人間同士の会話では、「アレ何て人だっけ?」、などというのが常態である。
記憶に脳の海馬という組織が関係していることは良く知られている。
中原清一郎『カノン』は、この海馬を入れ換える手術が、近未来において実施されるという想定である。
⇒2014年2月15日 (土):記憶とアイデンティティ/知的生産の方法(80)
⇒2014年2月16日 (日):記憶とアイデンティティ②/知的生産の方法(81)

海馬を入れ換える、すなわち脳間移植をするとどうなるか?
移植する人間をAaとBbで表す。
大文字のA、Bは、AとBという2人の人間の海馬以外の部位の総体を表し、小文字のa、bは2人の海馬を表すものとする。
手術後には、AbとBaという2人が誕生し、AaとBbは消滅する。

小説の設定では、Aaは氷坂歌音(カノン)という32歳の女性であり、Bbは寒河江北斗という58歳の男性である。
手術をして誕生したAbは、歌音の身体と北斗の海馬、Baは北斗の身体と歌音のかいばである。
小説では、身体が覚えている記憶についても触れられているが、優越的なのは海馬に蓄えられている記憶である。

ところで、記憶研究は、現在進行中のホットな領域であるが、井ノ口馨 記憶をコントロールする-分子脳科学の挑戦』岩波科学ライブラリー(2013年5月)を見てみよう。
井ノ口氏は分子生物学の立場から脳科学に取り組んでいる人である。
 井ノ口氏によれば、生命科学には「氏の生命科学」と「育ちの生命科学」の2つの潮流がある。
前者は遺伝的な現象を中心とする20世紀の生命科学である。
1953年のワトソン&クリックによるDNAの二重らせん構造の発見がその金字塔である。

一方、後者は、生き物が経験や環境によってどう影響を受けるかを追究する21世紀の生命科学である。
その中心は脳科学であるが、DNAの二重らせんあるいは物理学におけるニュートンの運動法則のような基本原理は未解明である。
「Decade of the brain.」という言葉があるそうである。
「脳の10年」、1990年代のことであり、脳科学が急速に発展した時期である。

著者は、その10年が始まる直前に、分子生物学に基礎を置いた細部の研究から脳科学の分野に転身した。
私が特に興味を持って読んだのは、記憶が連合するメカニズムについてである。
記憶は一旦、海馬という部位に蓄えられ、海馬にある記憶は関係のない記憶と連合しやすい状態にある。
しかし、大脳皮質に移されて以後は、記憶は別々に収納されるので、連合しにくくなる。
海馬の記憶は活性ということだろう。
Photo_2
http://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku3/kioku3_1.html

心的外傷後ストレス障害(PTSD)という疾患がある。
危うく死ぬまたは重症を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。
新しい体験をするとその情報が脳内の海馬にある特定のシナプスに入力されるが、神経新生を促進すれば海馬から記憶が早く消えることが分かってきた。
神経新生を促進するような介入をしてあげれば、トラウマ体験そのものを消すことができなくても、PTSDの症状を和らげることができるのではないか。
つまり、海馬にある記憶が特に問題なのであって、大脳皮質に独立した記憶としてしまわれる状態に移してしまえば、PTSDの症状は軽減されるという仮説である。
臨床的にも有意なデータが得られているということだ。

あるいは、瞬間瞬間に記憶はアップデートされている。
新しく入ってきた情報が、蓄積されている記憶をアップデートするからこそ、人間は知識を形成したり概念を作ったりできる。
人間が他の動物と異なるのは、高度に知的な活動を営むことができるからである。
言語、道具、文明・文化・・・・・・

誰でも一度は、「自分は何者なのだろうか?」という疑問を持つといわれる。
私も、いつも考えているという訳ではないが、人生の岐路のような局面では考えた。
もっとも、わが人生の岐路は多過ぎるのではないか、という気もするが。
デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」と言った。
それでは、「思う」とは、どういうことか?
脳の働きであることは分かってきたが、どう理解すれば良いのだろうか?

井ノ口氏によれば、人間の精神の営みとして、知識や概念の形成と意識という2つが特に重要である。
われわれが何かを考える時、思考のベースには過去に獲得した知識があり、それを照合しながら新しい事柄を考える。
逆に言えば、記憶がなかったりものを覚えられなかったりして知識を持つことができなければ、精神的な営みもできないということになる。
概念あるいは知識を形成するには、別個に覚えた記憶を連合することが必要である。
その連合のメカニズムを、物理科学の言葉で説明することが、記憶研究の目指す方向ということになる。

意識についてはどう考えられるか。
意識を司っているのは、額の裏側に位置する大脳皮質の前頭前野である。
意識には、今この瞬間に意識している意識と、自分の自我とか人格を形作っている意識がある。
後者は記憶そのものであるが、「今この瞬間の意識」はどう考えられるか?

意識が形成される瞬間についての実験によれば、意識する数秒前に脳の活動が変化を起こしている。
過去の瞬間瞬間に体験したことを、その瞬間瞬間に意識したことが記憶になって、現在の記憶を構築している。
瞬間の意識を脳に留めるメカニズムがあって、それが記憶の獲得(記銘)ということになる。
一方で、過去の記憶の積み重ねが現在の意識を形成しているという面があって、過去の出来事を思い出す(想起)ことが意識ともいえる。
そう考えれば、「今この瞬間の意識」というのは、超短期記憶ではないのか、というのが現在の井ノ口氏の仮説のようである。

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