吉本隆明『高村光太郎』/私撰アンソロジー(33)
一昨年の3月16日に亡くなった吉本隆明の全集が晶文社から刊行され始めた。
「全38巻・別巻1」という膨大なものだが、私は特設サイトを見るだけで、購入を迷っている。
吉本氏 は、高村光太郎の先駆け的な研究家であった。
『吉本隆明全著作集 8 作家論 2』 勁草書房(1973年2月)は、高村光太郎に関する論考を収めている。
光太郎に関する最初の単行本『高村光太郎』は、飯塚書店から1957(昭和32)年に刊行された。
掲出箇所は、その「敗戦期」のなかの一節である。
『抒情の論理』未来社(1963年4月)の「あとがき」に、収録した初期の詩作品「エリアンの手記と詩」について、次のように書いている。
「エリアンの手記と詩」は、昭和二十一年~二十二年のあいだにかかれたと推定する。少年期から青年前期の印象を手記のかたちでくみたてたフィクションで、未発表のまましまってあった幼稚な原稿をこんどとりだした。これと、『高村光太郎』(飯塚書店 五月書房)のなかの「敗戦期」とが表裏一体の関係にある。
それを敗戦前後の彷徨と自分で言っている。
1942年:(17歳)米沢高等工業学校(現 山形大学工学部)入学。
1945年:(20歳)東京工業大学に進学。
東京工業大学在学中に数学者遠山啓と出会う。
遠山啓教授が開講した自主講座「量子論の数学的基礎」を聴講し、決定的な衝撃を受けたと語っている。
今までに出会った特筆すべき「優れた教育者」として、私塾の今氏乙治と遠山啓の2人の名をを挙げている。
1924年生まれの吉本は、総力戦として戦われた大東亜戦争の動員対象の世代である。
いわゆる「戦中派」である。
幼少期は皇国教育が激化し、中等・高等教育をまともにうける機会をもてなかった。
戦中派でも、吉本より2,3歳上だと特攻死した人も少なくない。
掲出部分は、戦中派の心情を表出したものといえよう。
戦争期から抵抗者だったかのようにふるまっている「前世代の詩人たち」(『抒情の論理』所収)が、戦中派としては許せなかったのだろう。
ちなみに、「前世代の詩人たち」には「壷井・岡本の評価について」という副題がついている。
壷井・岡本とは、プロレタリア詩人として有名な壷井繁治と岡本潤である。
彼らが反戦詩人としてもてはやされていたのに対して、実は「後ろめたそうな戦争詩人」であることを、実作を挙げてみることによって証明したのだ。
吉本は、彼らの実像を明らかにすることを世代的責任と考えたのだ。
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