個別自衛権と集団的自衛権/「同じ」と「違う」(69)
集団的自衛権を容認するために、安倍首相は、従来の憲法解釈を変更する意向を表明している。
憲法解釈を一内閣の意向で恣意的に変更することについては、大きな疑問がある。
⇒2014年2月14日 (金):安倍首相の暴走をコントロールするのは?/花づな列島復興のためのメモ(307)
個別的自衛権と集団的自衛権はどう違うのか?
自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利である。
自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利であるとされる。
自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を個別的自衛権といい、他国に対する侵害を排除するための行為を集団的自衛権という。
安倍晋三首相は22日、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で訓示し、集団的自衛権の行使容認に合わせて法整備を進める考えを示した。
日本近海の公海上で米軍イージス艦が攻撃される事態を例示し「机上の空論ではなく現実に起こり得る事態」と強調。その上で「必要なことは、現実に即した具体的な行動論と法的基盤の整備だ」と述べた。
同時に「現実から懸け離れた観念論を振りかざして、これまでの平和国家の歩みを踏み外すようなことは絶対にない」と明言。一方で「平和国家という言葉を唱えるだけで平和が得られるわけでもない」と主張した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014032202000209.html
しかし、自民党総務会のメンバーから、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更に慎重論が相次いだ。
政府は長年、集団的自衛権を有しているが、憲法上行使できないとの憲法解釈を堅持してきた。
戦争や武力による威嚇、武力の行使を放棄した平和主義は、戦後日本の国是である。集団的自衛権を行使しなければ国民の生命、財産や国益が著しく毀損(きそん)されるという切迫した事情も見当たらない。
にもかかわらず、政府の憲法解釈を変えてまで行使を認めようというのは、いかにも乱暴だ。
総務懇談会では、首相の手法を追認する意見の一方、「集団的自衛権(の行使)を憲法解釈で認めれば、政権が交代するたびに解釈が変わり、法の安定性を害する」「行使容認で何を目指すのか。具体的な事実に基づき議論すべきだ」との慎重論も相次いだ、という。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014031902000129.html?ref=rank
自民党の高村正彦副総裁は、取材に対し次のような考え方を示した。
憲法に権力を縛る側面があること(=立憲主義)は、時代が変わっても変わることはない。
そのため、日本国憲法には三権分立という制度があり、最高裁判所を最終的な憲法判断の場とした。
最高裁は自衛権について、個別的・集団的の区別をすることなく「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」(昭和34年の砂川事件の判決)としている。
言い換えれば、存立を全うするために必要でない自衛権の行使はできないということで、政府が最高裁の認める限度を超えて解釈変更はできない。
逆に言えば、限度を超えない範囲であればいいというわけだ。
内閣法制局は「集団的自衛権の行使は一切不可」と言ってきた。
内閣法制局が否定すべきだったのは“典型的な”集団的自衛権の行使であり、例えば、日本の同盟国の米国が、他国に攻撃されたら自衛隊が米国まで行って米国を守ることは、「国の存立を全うするために必要」と言えないから「それはできない」と法制局が言うのは正しいが、「あらゆる態様の集団的自衛権の行使ができない」と言ってしまったのは、行き過ぎだった。
政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」(座長=柳井俊二・元駐米大使)は、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」に限り、行使を認める限定的容認の考え方を採用する方向で報告書をまとめる方向らしい。
これにより、外国領土での戦争に加わるといった典型的な集団的自衛権は容認対象から除外されることになる。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140324-OYT1T00079.htm?from=navr
現在の政府の憲法解釈は、自衛権の行使について、「我が国を防衛するため必要最小限度の範囲内にとどまる」とし、日本への武力攻撃を排除する場合(個別的自衛権)に限定している。
これに対し、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」に集団的自衛権を行使することも「必要最小限度の範囲内」に含まれるという理路であり、高村副総裁の考えと一致しているようだ。
憲法解釈見直しに慎重な公明党などに配慮したのであろう。
しかし、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」という表現で歯止めが効くであろうか。
多くの戦争が、「平和のために」という口実で始まっているのが現実である。
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