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2014年3月

2014年3月31日 (月)

脳の回路形成の可視化/進化・発達の謎(2)

人間の赤ちゃんと成人との差は、他の動物に比べると格段に大きい。
たとえば、馬の赤ちゃんは、生まれて直ぐに四足で立ち上がる。
しかし、人間の赤ちゃんは、二足で立ち上がるのに早くても1年位を要する。

やがて言葉を覚え、好奇心が芽生えてからは、驚くほどの勢いで多くのことを学習していく。
自分の子育ての時は、余裕もなく必死だったが、孫の場合は観察する余裕もあって、つぶさに発達の様子を眺めることができる。
それを記録した島泰三『孫の力―誰もしたことのない観察の記録』中公新書(2010年1月)という著書があるが、確かに孫の成長を眺めることは、高齢者にとって大きな楽しみといえよう。

ところで、人間の頭の中の情報処理は次のように説明されている。
情報処理の最小単位は神経細胞(ニューロン)で、1つの神経細胞から長い「軸索」と、複雑に枝分かれしている「樹状突起」と呼ばれる突起が出ている。
これらの突起が別の神経細胞とつながり合い、複雑な神経回路網(ネットワーク)を形成している。
1個の神経細胞はそれぞれ1万個もの神経細胞と連絡を取り合っている。
神経細胞内では、電気の流れが情報を伝える。
紙経細胞と神経細胞の接合部分はシナプスと呼ばれるわずかな隙間があり、この部分では神経伝達物質が次の神経細胞に情報を伝達する。
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http://www.nissui.co.jp/academy/eating/07/02.html

この脳内神経回路網は、どのようにして形成されるのであろうか?
3月28日の静岡新聞に、三島市にある国立遺伝学研究所(遺伝研)の興味深い研究が紹介されていた。
ここでは、科学ニュースのサイトから引用する。

国立遺伝学研究所(遺伝研)は3月27日、生まれて間もないマウスの大脳皮質の神経回路を可視化する方法を開発し、生きたまま脳の深部までとらえることの可能な改良型の二光子顕微鏡の観察技術と組み合わせることで、新生児大脳皮質の神経回路が成長する様子を直接観察することに成功したと発表した。
同成果は、同研究所の水野秀信氏、羅ブンジュウ氏、佐藤拓也氏、岩里琢治氏、理化学研究所脳科学総合研究センターの斎藤芳和氏、糸原重美氏、生理学研究所の足澤悦子氏、吉村由美子氏らによるもの。詳細は3月27日付(米国時間)で米国科学誌「Neuron」オンライン版に先行掲載された。ヒトの脳表面の大部分を占める大脳皮質は、哺乳類に特有の脳構造であり、そこにある神経回路により、知覚や運動、思考、記憶などの高度な情報処理が行われていることが知られている。しかし、この回路は生まれた時は未熟でおおまかにしかできておらず、さまざまな刺激により、成長することが分かっていたものの、そのプロセスやメカニズムについては、良く分かっていなかった。
研究グループでは、今回開発した技術を用いて新生児マウスの大脳皮質を調べたところ、神経細胞は突起を激しく伸び縮みさせながら、結合すべき正しい相手に向かって突起を広げていくことを突き止めたという。また、遺伝子操作によって情報をうまく受け取れなくした神経細胞では、突起の伸び縮みの程度が異常に大きくなり、正しい相手の有無と関係なくランダムに突起が広がることも確認したという。
Photo
http://news.mynavi.jp/news/2014/03/28/211/

私の孫は今年小学校に入学する。
この1年、つまり幼稚園の年長の間に、ずいぶんニューロンのネットワークが高密度化したように思える。
たとえば、運動会で万国旗を作ったことから、国旗に興味を持ち、ソチ・オリンピックで各国の国旗が掲揚されるのをTVでみて増幅されたようである。
私の子供たちがかって遊んだことのある国旗ゲームという遊び(裏返してある2枚の国旗をトランプの神経衰弱の要領であてる)に、飽くことなく挑戦する。
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http://www.yukawanet.com/archives/3733622.htm

祖父母が相手であるが、孫の圧勝である。
短期記憶においては、到底6歳児に敵わないのだ。
小さい頭の中で、どのような現象が起きているのかと考えると不思議である。

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2014年3月30日 (日)

言語の分節化機能と文化/知的生産の方法(83)

ヒトと他の動物を区分けするメルクマール(指標)の1つが、言語の使用であると言われる。
もちろん、サルやイルカなどにも原初的な言語はあるという説を聞くが、そこには明らかに質的な相違があるはずである。
人間は、五感を通じて得た外界に関する認識を、言葉を用いて概念化する。
そして、概念化することによって、現実とは相対的に独立的な思考の世界を展開することが可能になる。

例えば「虹の色」について考えてみよう。
虹は、大気中に浮遊する水滴(特に雨滴)により、太陽光線が反射屈折して生じることは古くから知られていた。虹は、「赤」「橙」「黄」「緑」「青」「藍」「紫」という7色というのが、日本人の常識である。
しかし、光は連続した波長から構成されているのであって、7つのスペクトルに明確に離散しているわけではない。
すなわち、波長は本来アナログであってデジタルではない。
われわれが虹の色を7色に分解するのは、「赤」から「紫」に至る7つの色の言葉・語彙(ボキャブラリー)を持っているからである。
Photo
http://blog.donaldo-plan.com/archives/2502

色のスペクトルは、もっと詳細に区分することも可能である。
黄色と緑色の中間色としては、“黄緑色”がある。
“黄緑色”は実際に使用している言葉でもある。
さらに黄色と黄緑色の中間色として、“黄黄緑色”を考えることができるし、さらには“黄黄黄緑色”を考えることもできるだろう。
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このように考えれば、虹は24色に36色にも、あるいは72色にも数えられる。
あるいは、これらの「色の言葉」がなければ、その色として認識することができないともいえる。
実際に欧米では、「藍」色は明確に分離されていず、虹は6色だと認識されているとも言われる。
「藍」という言葉を知らなければ、「青」と「紫」は隣接した色として認識されているであろう。
このように、モノを意味のある単位で捉えることを“分節化”といい、そこでは言葉が重要な働きをしている。

このように、世の中の連続した事象に区切りを入れ、分節化して捉えることは、言葉の存在を抜きにしては考えられない。
そして、虹のスペクトルが離散して存在しているわけではなく、それを認識する言葉に依存しているように、その分節の仕方が対象の側の性質にあるわけではないことに留意する必要がある。
虹の色の認識と同じように、ものごとを認識することと言葉(ボキャブラリー)とは密接な関連性を持っている。

例えば、日本語では「米」を炊けば「御飯」に変わるが、英語ではともにライス(rice)である。
一方、英語では同じ「肉」でも、ロース、フィレ、ランプ等々詳細に区分する。
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http://www.koubegyu.net/steak/fillet.html

両者の食に対する関心の違い、言い換えれば文化の違いである。
そういう意味で言えば、分け方は文化であると言ってよい。

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2014年3月29日 (土)

大岡昇平『花影』/私撰アンソロジー(32)

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桜前線が北上中である。
南北に長い日本列島を1ヶ月以上かけて縦断するが、桜花の見頃は一瞬の間に過ぎ去る。

掲出したのは、大岡昇平『花影』中央公論社(1961年5月)の一節で、毎年、桜の季節になると思い出す。
私も、10年ほど前に、奈良に住む幼馴染の女性と、小学校の同窓会で再会して、花の吉野へ行こうと盛り上がったが、果たせないままでいる。

立原正秋氏に、『『花影』覚え書』という評論があって、『立原正秋初期作品集(二)』深夜叢書社(1968年5月)に収められている。
また、氏は、『最も影響を受けた作品』の一つとして、この作品を挙げ、「恋愛の純粋結晶の容(かたち)を教えてくれた作品でした」と書いているし、「懐かしい顔 大岡昇平氏について」では、「名作と名品は同じ意味だが、『花影』は名品であった。全篇が澄んだ響きでつらぬかれた小説である。名作にはそれなりの夾雑物が蔵われているが、名品は澄んだ音色を発するだけである。」と書いている。
『花影』に対して強い思い入れがあったことが分かる。

主人公の足立葉子は、銀座のバーのホステスで30歳をとうに過ぎている。
葉子は大学で西洋美術史の講義をしている松崎に囲われていたが、松崎の別れ話にあっさり別れた。
葉子は父親のように頼りにしている美術評論家の高島に身の振りかたを相談した。
高島は、落ちぶれていて、葉子の昔のホステス仲間の潤子の居候的存在になっている。
2人のいうなりに、葉子は潤子の店の雇われマダムとして、銀座に、返り咲いた。
葉子は、さまざまな事件を経て、最後には銭湯で髪を洗って体を清めた上で、睡眠薬自殺をする。
日は高く、花の影は地上に落ちて重なっていた。

葉子のモデルは、坂本睦子という静岡県三島市生まれの女性だという。
孤児同然に育った不幸な生い立ちで、1931年、青山二郎が出資した銀座のバー「ウィンゾア」に出て、坂口安吾と中原中也が彼女を争ったという。
その後、安吾の愛人だったとされるが、小林秀雄に求婚されて、いったんは受け入れたが睦子が破棄し、オリンピックの選手と京都へ駆け落ちした。
まことに恋多き女性のように思える。
坂本睦子-Wikipedia は、次のように記している。

その後東京へ戻り、番衆町の喫茶店「欅」に勤めたあと、1935年、工場主をパトロンとして銀座に「アルル」という自分の店を持った。時に二十歳。1938年頃から河上徹太郎の愛人となって長く続いた。戦後、1947年からまた銀座へ出て、バー「ブーケ」で働く。1949年には、青山二郎が睦子のアパートに住んでいたこともある。1950年、青山が命名した「風(プー)さん」が開店し、ここに勤めている時、作家としてデビューしたての大岡昇平と関係ができ、大岡のアメリカ留学を挟んで八年近く愛人関係にあった。その後睦子は「ブーケ」の支店「ブンケ」に出ている。しかしために大岡は夫人の自殺未遂のようなことがあって何度か別れを考えたという。
こうした男の文学者、文化人のみならず、宇野千代、白洲正子とも親しかったが、1957年ころ、大岡と別れ、一年後、自室で睡眠薬自殺を遂げた。
・・・・・・
報せを受けて駆けつけた大岡は号泣していたというが、『中央公論』8月号から、睦子をモデルとしてに『花影』の連載を始めた。当初は6月開始の予定だったが2ヶ月遅れたという。そのエピグラフは、むしろ睦子を引き受けなかった青山を責めるものになっている。1959年8月号で完結すると、『群像』9月号の合評会で、河上徹太郎、平野謙、高見順がこれを評したが、河上は自身の愛人だった女だけに歯切れが悪く、奇妙な座談会になっている。しかし『花影』は単行本になると、新潮社文学賞と毎日出版文化賞を受賞した。
・・・・・・
大岡の死後、白洲は『いまなぜ青山二郎なのか』(1991)で『花影』を批判し、睦子がちゃんと描けていない、肝心の魔性が出ていないとし、青山に対しても大岡の日ごろの恨みを小説で晴らしたようだ、とした。このあたりから、坂本睦子への関心が高まり、久世光彦は睦子をモデルに改めて『女神』(2003)を書いた。
『花影』は1961年に川島雄三監督・池内淳子主演で映画になっている。

映画を観て男女関係の奥行が分かるような年齢でもなかったが、池内淳子は何となくイメージに沿うような気がする。
「文壇」という言葉が実体を伴っていた時代である。
平成の世になって、桜の花は変わらず咲いているが、上記の固有名詞の人たちは誰もいない。

年々歳々花相似 
歳々年々人不同

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2014年3月28日 (金)

袴田事件再審開始決定と司法制度/花づな列島復興のためのメモ(318)

いわゆる袴田事件について、静岡地裁は27日、再審開始と死刑、拘置の執行停止を決定した。
1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で強盗殺人放火事件が発生し、その裁判で袴田巌被告の死刑が確定していた。
法務省によると、死刑囚の拘置停止決定と再審による無罪判決前の釈放は初めてだというが、死刑囚の無罪が確定した冤罪事件がないわけではない。
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静岡新聞3月27日夕刊

再審開始決定の骨子は以下の通りである。
・再審を開始し、死刑と拘置の執行を停止する
・犯行着衣とされた5点の衣類には、袴田元被告や被害者以外の血液が付着している可能性が認められる
・衣類に関する証拠は無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する
・衣類以外の証拠も検討したが、犯人性を推認させる力が弱い
・袴田元被告は捜査機関が捏造(ねつぞう)した疑いのある重要な証拠で有罪とされた
・これ以上の拘置は耐え難いほど正義に反する
http://mainichi.jp/shimen/news/20140328ddm001040213000c.html

この決定を受け、静岡地検は東京拘置所の袴田元被告を逮捕から47年7カ月ぶりに釈放したが、再審開始決定の取り消しを求めて即時抗告する方針で、再審の可否は東京高裁で再び審理される見通しである。
陰惨な事件は確かに存在した。
である以上、犯行を行った人間がいることは間違いない。
もし、犯人が別にいるとすれば、その人間はどこで、どうしているのか?

事件発生から1年2カ月後に工場のみそタンクから見つかった血痕の付いた衣類5点は、確定判決において袴田被告を犯人と認定する上で最も重視した証拠だった。
その衣類が、今回「後日捏造された疑いがある」とされたのだ。
ズボンは太ももが入らない。
捜査当局はこれを「味噌によってズボンが縮んだから」と強弁した
「B」という表示があったのを「肥満用」だと主張したが、「B」は色のことだった。
どう見ても、死刑を確定させるような証拠にはなり得ない。

どうして、検察は頑張ってしまったのだろう。
どうして、裁判官は死刑の判断をしたのだろう。

検察・警察などの捜査機関は、証拠を捏造したのか?
足利事件、厚労省の不正郵便事件等の記憶がある現在、十分にあり得ることだと考えられる。
⇒2009年6月 6日 (土):冤罪と裁判員制度
⇒2009年6月10日 (水):刑事責任能力の判断と裁判員裁判
⇒2012年4月 8日 (日):厚労省不正郵便事件の不可解な着地点/花づな列島復興のためのメモ(49)

裁判所が「これ以上の拘置は耐え難いほど正義に反する」とまで言っていることに対し、即時抗告が妥当と言えるのだろうか。
しかも、一審の静岡地裁で死刑の判決文を書いた元裁判官・熊本典道氏は、裁判長を見据えて受け答えする袴田の様子や、任意性に乏しい供述調書などを通じ、「有罪認定は難しい」と思っていたのに、結審後に判決文を検討する中で、裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断、結果的に先輩判事に押し切られたと語っている。
この半年後、熊本は耐えられず退官し、弁護士に転じて再審請求を支援する。
合議の秘密を破り、第1次再審請求中の2007年、「無罪の心証があった」と告白したが、請求棄却が確定した。

私の心証としては限りなくシロではあるが、ここでは内容に立ち入ることはしない。
ただ、再審開始決定文の中にある「捜査機関が捏造した疑いのある重要な証拠で有罪」「これ以上の拘置は耐え難いほど正義に反する」という言葉は重い。

もちろん、真実は藪の中ではある。
しかし、「捜査機関が捏造した疑いのある重要な証拠で有罪」にすることは断じてあってはならない。
もし、検察がメンツのために抗告するとしたら、国民の信頼をますます失うことになる。
まず、抗告するに足る判断の根拠を示すことが必要ではないか。

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2014年3月27日 (木)

恐竜の絶滅に関する新仮説/進化・発達の謎(1)

生物進化の様子は化石によって調べる。
その年代区分は、たとえば以下のように示される。
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http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/chishitsunendai-01.htm

約6,600万年前の白亜紀と新生代は、進化史の大きな画期である。
白亜末期に、中生代三畳紀に現れ、中生代を通じて繁栄した恐竜など生物が大量絶滅した。
当時生存していた生物種の約7割が絶滅したという。
はたして、地球に何が起きたのだろうか?
子供のみならず、大人にとっても興味深いテーマである。

生物の大量絶滅については、これまで様々な仮説が提唱されてきた。
メキシコ・ユカタン半島に約6550万年前に直径10キロの隕石が衝突し、環境が変動して地球上の全生物種の半分以上が絶滅したとされている。
隕石衝突で放出されたちりが日射を遮り寒冷化が起きたとする説など、さまざまな説が提唱されているが、どれも海の生物の絶滅をうまく説明できなかった。

千葉工業大学・惑星探査研究センターの大野宗祐上席研究員らで作る研究グループが、3月9日付の英科学誌ネイチャー・ジオサイエンス(Nature Geoscience)に、新しい説を発表した。
巨大隕石の衝突で発生した酸性雨による海洋の酸性化が原因となった可能性が高いという説である。

千葉工業大学のチームは、隕石の衝突直後の様子を再現した実験で突き止めたという。
三酸化硫黄と呼ばれる物質が大量に放出されていたことが分かり、これにより海が酸性化し、プランクトンなど生物の多くが生存できなくなった。
三酸化硫黄は強い酸性雨を引き起こす物質で、衝突後、数日のうちには地球全体に降りそそぎ、それが恐竜の絶滅につながった可能性が高いと研究グループはみている。
大野上席研究員は「隕石の衝突による酸性雨と恐竜などの大量絶滅のメカニズムを知ることは、現在の生態系がどのように作られたかを理解するうえでも重要だ」と話している。

私は以前、恐竜の絶滅に関する説の紹介をしたことがある。
⇒⇒2010年7月 6日 (火):恐竜はなぜ絶滅したのか?/因果関係論(6)
産経新聞の2010年7月5日付の「宇宙-その過去から未来を解き明かす」という記事の紹介である。
要約すれば、以下のようなものであった。

世界の学際的な研究者41人の研究チームが、米科学誌「Science」の2010年3月5日号に、小惑星の衝突による環境変動が原因と結論づけたことが発表された。
1980年に、ノーベル物理学者のルイス・アルバレズ博士らにより提唱され、1991年に、メキシコのユカタン半島で直径約180キロの白亜紀末に形成された大クレーター(チュチュルブ・クレーター)が発見されて、賛同者が増えていたものだ。
直径10~15キロの巨大隕石が、秒速20~30キロで、浅い海の下にあったユカタン半島に衝突し、クレーターを生成した。
そのエネルギーは、冷戦時代に米ソが保有していた核爆弾を、全部同時に爆発させたものの1万~10万倍と計算されている。

この説ですべてが説明されているわけではないのは当然であった。
千葉工業大学のグループは、海の酸性化という媒介項を取り入れることによって、より進んだ説明を行った。
しかし、まだ、これですべて終了というわけではないだろう。

私たちは、恐竜という言葉で、かつて栄えたといわれる「巨大爬虫類」のことを代表させている。
爬虫類の進化系統樹は下図のように示される。
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http://www.riken.jp/pr/press/2013/20130709_1/

注目すべきは、言語の起源との関係で最近注目を集めている鳥類と恐竜が同類であることである。
隕石が衝突しなければ、言葉をもった恐竜が出現していた?

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2014年3月26日 (水)

幻の党派・都市科学研究所/ブランド・企業論(23)

学生運動の歴史の中でも、「京大天皇事件」は有名なものの1つであろう。
1951年(昭和26年)11月12日、関西巡幸途上の昭和天皇が京都大学に来学した折り、学生たちが公開質問状を読み上げたという事件である。
起草者は技術論で有名になる中岡哲郎氏だったという。
中岡氏は、当時理学部の学生だった。

偶発的な出来事だったようであるが、京大の学生自治会は解散させられ、何人かの学生が退学処分を受けた。
⇒2013年9月 9日 (月):ゼンガクレンという伝説/戦後史断章(13)
私は小学1年生だったから、リアルタイムには知らない事件である。

この時、京大学生自治会(同学会)の指導部にいた何人かが、後に、食べて行くために会社を設立した。
計画学研究所といい、後に都市科学研究所と改称した。
社長は、全学連の第3代委員長だった米田豊昭さんで、京大の学生運動をウラで仕切っていた榎並公雄さんも加わった。
私はある縁で、2人と知りあう機会があったが、榎並さんの肩書は、専務取締役だったように記憶している。

都市科学研究所は、大阪万博のプランを受託したことをきっかけとして、飛躍的な発展を遂げた。
大阪万博は、梅棹忠夫、小松左京、川添登氏らが仕掛け、堺屋太一(池口小太郎)氏が通産省の官僚として、企画運営に係わった。
大阪万博が開催されたのは1970年であるから、1960年代の総決算としての意味があったように思う。
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)

私が駆け出しのリサーチャーの頃(そして駆け出しのまま転職してしまったのだが)、都市科学研究所と接触があった。
その頃、関西のビッグプロジェクトの大半に係わっていた(財)都市調査会という組織があって、京都大学の総長を務められた奥田東さんを理事長に据え、関西国際空港、関西文化学術研究都市構想などを手掛けていた。
旧建設省OBで、少しも役人らしくない豪放な人柄の藤野良幸さんという人が専務理事としてリサーチの実務の長だった。
(財)都市調査会と連動する民間の機関がいくつかあり、その代表が、都市科学研究所だった。

米田さんも榎並さんも、都市調査会の理事を兼任していたはずである。
ということは、都市科学研究所を作った人たちが、仕事の受け皿として作った財団法人が都市調査会ということなのかも知れない。
榎並さんは、三一新書で『都市の時代』という著書を刊行するなどの学者肌の人だったが、1976(昭和51)年に、48歳という若さで亡くなられた。
榎並さんが亡くなられてすぐに刊行された『榎並公雄君をしのぶ』という小冊子の巻頭に、米田さんが追悼文を寄せている。
⇒2009年9月19日 (土):八ツ場ダムの入札延期 その8.奈良忠さん
その冒頭に、「榎並と私は、三十年近い犬猿の友であった」と書かれていることはすでに記したが、 学生運動の時代から、米田さんが表面に出て活動し、榎並さんは非公然活動を担当していたらしい。

榎並さんが亡くなられてから、米田さんは東京進出など拡大志向に走った。
それは実力以上のいわば米田さんの「夢」であり、結局は破綻してしまうことになる。
私には知る由もなかったが、都市調査会と都市科学研究所は、東京進出のために相当無理を重ねていたようである。
今考えれば、既に苦境に陥っていた米田さんが、危機打開のために東京進出を図ったというようにも思える。

私が接触を持った頃が都市科学研究所の最盛期だったようである。
正確な時期は記憶の彼方であるが、榎並さんは健在であったから、1973~4年位だろうか。
梅田の一等地に事務所を構え、50人くらいの、いかにもキレそうな人たちが大勢いたような記憶がある。

その時の縁で、私より若干先輩の人と、何年間かメールのやりとりをしていたことがある。
まだ、SNSとかブログなどは存在していなかった時代である。
ガンを患って亡くなられてしまったが、私と同じように応用化学系の学科の出身で、博士課程まで修了し学位を持っていた。
都市科学研究所を退社してベンチャー企業の役員をしていた頃、梅田で一度お会いしたが、年齢の割に白髪が進んでいたのは抗がん剤のためだったのだろうか。

また、数年前、ある研究会で講師を務められた方が、同研究所の出身者と分かり、散会後の酒席で昔話をしたことがある。
今では都市科学研究所のことを知る人も数少ないのではないか。
都市科学研究所に触れた資料もほとんど見当たらない。

後藤正治という人が「幻の党派」というノンフィクションを書いていて、『私だけの勲章岩波現代文庫(2005年8月)という作品集に収められている。
米田さんや榎並さんもそうであるが、この作品集で取り上げられている人物は、ネオン街の流し、テレビ局の技術クルー、選挙参謀、プロ野球の代打など、まあ裏方の世界の住人である。
中では、元阪神タイガースの川藤幸三さんが世間に知られているくらいであろう。
解説を書いている鎌田慧さんの言葉を借りれば、「どこか演歌っぽい中年男たち」である。

この作品集の主人公の中で、私が直接知っているのは、米田さんと榎並さんだけである。
「幻の党派」は、都市科学研究所の盛衰の事情を要領よくまとめているが、重要なキーパーソンのことに触れられていない。
上田篤氏である。
都市科学研究所の事実上の創業者であり、発展の契機となった大阪万博にも深く関係している。
建築学者であるが、近年は『縄文人に学ぶ』新潮新書(2013年6月)や『小国大輝論 〔西郷隆盛と縄文の魂〕』藤原書店(2012年5月)など、どちらかといえば文明論的な観点から発言している。

「小樽商科大学人文研究」に載っている今西一『荒神橋事件・万博・都市科学研究所-上田篤氏に聞く-』というインタビュー記事を読むと、都市科学研究所と上田さんの関係が水面下の事情も含めてよく分かる。
とかく表に現れた現象だけで理解しがちであるが、世の中は表から見えることよりも見えないことの方が重要なことがしばしばあるように思う。

シンクタンクの定義は不確定であるが、およそ規模の利益というものが小さい業種ではないか。
もちろん、共有情報などのメリットもあるが、インターネット時代にはそれもあまり意味はない。
野村総合研究所、三菱総合研究所、日本総合研究所などの大手は、IT分野が収益の柱であるし、グループ企業からの支援的な業務もあるのではないか。

規模の利益は、研究員1人当たりの間接的な費用(いわゆるオーバーヘッド)が小さくなることであろうが、ある規模以上ではほとんど効果は飽和する。
おそらく、30~50人くらいが適正規模で、100人を超えると、維持のためのコストが負担になってくる。
都市科学研究所の軌跡を眺めると、そんなことを思う。
結局は、米田さんの「日本を動かす一流の組織」という見果てぬ夢のような拡大志向が、都市科学研究所を破綻に導いたと言っていいだろう。

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2014年3月25日 (火)

個別自衛権と集団的自衛権/「同じ」と「違う」(69)

集団的自衛権を容認するために、安倍首相は、従来の憲法解釈を変更する意向を表明している。
憲法解釈を一内閣の意向で恣意的に変更することについては、大きな疑問がある。
⇒2014年2月14日 (金):安倍首相の暴走をコントロールするのは?/花づな列島復興のためのメモ(307)

個別的自衛権と集団的自衛権はどう違うのか?
自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利である。
自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利であるとされる。
自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を個別的自衛権といい、他国に対する侵害を排除するための行為を集団的自衛権という。

安倍晋三首相は22日、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で訓示し、集団的自衛権の行使容認に合わせて法整備を進める考えを示した。

 日本近海の公海上で米軍イージス艦が攻撃される事態を例示し「机上の空論ではなく現実に起こり得る事態」と強調。その上で「必要なことは、現実に即した具体的な行動論と法的基盤の整備だ」と述べた。
 同時に「現実から懸け離れた観念論を振りかざして、これまでの平和国家の歩みを踏み外すようなことは絶対にない」と明言。一方で「平和国家という言葉を唱えるだけで平和が得られるわけでもない」と主張した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014032202000209.html

しかし、自民党総務会のメンバーから、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更に慎重論が相次いだ。

 政府は長年、集団的自衛権を有しているが、憲法上行使できないとの憲法解釈を堅持してきた。
 戦争や武力による威嚇、武力の行使を放棄した平和主義は、戦後日本の国是である。集団的自衛権を行使しなければ国民の生命、財産や国益が著しく毀損(きそん)されるという切迫した事情も見当たらない。
 にもかかわらず、政府の憲法解釈を変えてまで行使を認めようというのは、いかにも乱暴だ。
 総務懇談会では、首相の手法を追認する意見の一方、「集団的自衛権(の行使)を憲法解釈で認めれば、政権が交代するたびに解釈が変わり、法の安定性を害する」「行使容認で何を目指すのか。具体的な事実に基づき議論すべきだ」との慎重論も相次いだ、という。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014031902000129.html?ref=rank

自民党の高村正彦副総裁は、取材に対し次のような考え方を示した。

憲法に権力を縛る側面があること(=立憲主義)は、時代が変わっても変わることはない。
そのため、日本国憲法には三権分立という制度があり、最高裁判所を最終的な憲法判断の場とした。
最高裁は自衛権について、個別的・集団的の区別をすることなく「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」(昭和34年の砂川事件の判決)としている。
言い換えれば、存立を全うするために必要でない自衛権の行使はできないということで、政府が最高裁の認める限度を超えて解釈変更はできない。
逆に言えば、限度を超えない範囲であればいいというわけだ。

内閣法制局は「集団的自衛権の行使は一切不可」と言ってきた。
内閣法制局が否定すべきだったのは“典型的な”集団的自衛権の行使であり、例えば、日本の同盟国の米国が、他国に攻撃されたら自衛隊が米国まで行って米国を守ることは、「国の存立を全うするために必要」と言えないから「それはできない」と法制局が言うのは正しいが、「あらゆる態様の集団的自衛権の行使ができない」と言ってしまったのは、行き過ぎだった。

政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」(座長=柳井俊二・元駐米大使)は、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」に限り、行使を認める限定的容認の考え方を採用する方向で報告書をまとめる方向らしい。
これにより、外国領土での戦争に加わるといった典型的な集団的自衛権は容認対象から除外されることになる。
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http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140324-OYT1T00079.htm?from=navr

現在の政府の憲法解釈は、自衛権の行使について、「我が国を防衛するため必要最小限度の範囲内にとどまる」とし、日本への武力攻撃を排除する場合(個別的自衛権)に限定している。
これに対し、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」に集団的自衛権を行使することも「必要最小限度の範囲内」に含まれるという理路であり、高村副総裁の考えと一致しているようだ。
憲法解釈見直しに慎重な公明党などに配慮したのであろう。

しかし、「放置すれば日本の安全に重要な影響を与える場合」という表現で歯止めが効くであろうか。
多くの戦争が、「平和のために」という口実で始まっているのが現実である。

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2014年3月24日 (月)

安倍晋三と岸信介/「同じ」と「違う」(68)

安倍首相が、祖父岸信介を尊敬していることはよく知られている。
岸信介は、60年安保をもの心ついてから体験した世代にはなじみがある名前である。
60年に10歳とすれば、今年64歳ということになる。
ずいぶんと時間が過ぎたものである。

岸信介は「昭和の妖怪」と呼ばれた政治家であった。
商工省の要職を歴任した後、建国されたばかりの満州国で、国務院の高官として実業部次長や産業部次長など要職を歴任し、「満州開発五か年計画」などを手がけた。
その後、日本の商工省に復帰すると次官に就任し、東條内閣では商工大臣として入閣している。
東條内閣の閣僚を務める間も、商工省の次官や軍需省の次官を兼任していた。
典型的なエリート官僚のコースを辿ったと言えよう。

戦後は、A級戦犯被疑者として逮捕されるが、不起訴となるも公職追放になった。
公職追放解除後に政界に復帰すると、「自主憲法制定」「自主軍備確立」「自主外交展開」という対米自主路線を打ち出して政界に復帰し、自由党の属した。
しかし、「軽武装、経済重視」の立場から対米協調路線を取る吉田茂首相(当時)を公然と批判したため除名され、日本民主党の結党に加わった。
保守合同で自由民主党が結党されると幹事長となった。
石橋内閣にて外務大臣に就任し、石橋湛山の病気により石橋内閣が総辞職すると、後任の内閣総理大臣に指名された。
⇒2012年10月22日 (月):60年安保と岸信介/戦後史断章(3)
⇒2013年12月 6日 (金):安全保障の名目で国を危うくする安倍一族/戦後史断章(17)

首相として、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の成立に尽力した。
首相を退任してからも影響力を行使し、自主憲法制定運動に努め続けた。
晩年は御殿場の邸宅で過ごしたが、現在は御殿場市に寄贈され一般に公開されている。
指定管理者は羊羹で有名な虎屋のグループ会社であり、虎屋の販売所が併設されている。
いかにも瀟洒なたたずまいである。
Photo_2
http://www.kyu-kishitei.jp/

安倍晋三首相は、1954年生まれであるから60年安保の時には未就学児だった。
デモ隊のシュプレヒコールを真似て「アンポハンタイ」などと言って走り回っていたというから、自分の頭で考える年齢には達していない。

「週刊現代2013年12月28日号」に、田崎史郎氏と福田和也氏の対談記事『安倍晋三と岸信介-タカ派の血と、格の違いについて』が載っていた。
田崎史郎氏は、日本の時事通信社解説委員を務める政治評論家であるが、Wikipediaによれば、大学2年時に三里塚闘争へ参加して、凶器準備集合罪で逮捕のうえ13日間留置されたという履歴があるる。
福田和也氏は、慶應義塾大学環境情報学部教授というよりも文芸評論家の顔の方が有名であろう。
悪と徳と 岸信介と未完の日本』扶桑社(2012年4月)という著書が示すように、保守派の論客と言ってよい。

2人は、特定秘密保護法の強行採決で岸政権の時のことを思い出した、ということから始める。
比べると、岸の安保改定の時の方が官邸に余裕があったという。
岸がTV の「巨人VS阪神」戦を見て、球場が満員なのを確認し、声なき大衆は自分を支持しているのだ、とした。
60年の時との大きな違いについて、次の2点を挙げている。
1.野党勢力の弱さ
2.反政府デモの持続性の無さ

田崎氏によれば、安倍首相の執務室には岸の写真が飾ってあるという。
田崎氏は、「安倍は保守派ではあるが、靖国参拝は実行していないところがリアリストである」と発言しているが、その後靖国参拝を行っている。
絶対多数という安心感がリアリストの目を曇らせたのか、その後の国際社会の評価は厳しい。
靖国参拝も、A級戦犯に問われた岸を尊敬するが故の行為であろうか。
靖国神社が、単なる慰霊だけでなく、国家のための戦争に動員するための装置であることを踏まえれば、批判が起きるのも止むを得ないだろう。
⇒2013年12月27日 (金):慰霊と顕彰/「同じ」と「違う」(66)

憲法改正に執念を燃やしているが、岸の刷り込みだろうというのが福田氏の見方である。
2人の最大の違いは、戦争体験の有無である。
死線をかいくぐって政治家になった世代とそうではない世代では、腹の据わり方が違う。
筋金入りの反共の岸にも、発禁の北一輝を読み、社会主義のこともきっちり学ぶという幅の広さがあった。

安倍には、執務室の写真で分かるように、岸と同じくらい重みのある仕事をしたいという願望がある。
それは憲法改正ということになる。
田崎氏は、安倍首相にはアクが足りないと言い、福田氏は格が違うと評する。
二世のお坊ちゃんと妖怪の差であろうか。

3月14日の東京新聞に、「祖父の幻影を追う安倍首相の迷走」という記事があった。
これに関連してジャーナリストの田中良紹氏は、「岸信介と安倍晋三はこれほど違う」という文章を書いている。

岸元総理の戦略は「アジアの日本」を固めて、日本を占領支配したアメリカからの自立を図るというものである。そのために反共主義を強調してアメリカに取り入りながら「自主憲法」を制定しようとした。従って共産中国とは敵対関係になったが、しかし「政経分離」の原則を貫き、日本の経済的利益が左右されないようにした。
ところが安倍総理がやっている事は真逆である。アメリカに取り入るためと考えたのか、中国包囲網を作ってアジアに緊張を生み出し、緊張が高まれば結局はアメリカにすがりつくしかなく、日本の自立とはまるで逆方向を向いている。またアメリカと対等になるためと称して集団的自衛権の解釈変更を目指すが、それがアジアにさらなる緊張を生み出せば、さらにアメリカにすがるしかなくなる。

安倍首相が、意図はともかく結果的に反米になってしまっているのではないか、という見方についてはすでに触れた。
⇒2014年2月20日 (木):安倍首相は反米か?/アベノミクスの危うさ(27)

安倍総理はこれからいちいちアメリカに振付けられる可能性がある。日本の対米自立などとんでもない。岸元総理との比較などとんでもない。安倍総理は、未熟さを露呈して国民の失望を買った民主党政権と同じ「政治ごっこ」をやっているに過ぎない。ところがそれに気付かない政治家や学者、評論家、メディア、国民がいる。これは日本全体が幼稚化している事を示す証拠だと私は思っている。

私は田中氏について詳しく知らないが、言うべきことを言っていると思う。
ジャーナリズムの世界に大政翼賛会的なムードが流れ始めているようだが、批判精神なきジャーナリズムに価値はないだろう。
 

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2014年3月23日 (日)

認知症患者の増大と在宅ケア/ケアの諸問題(2)

2025年に団塊の世代が後期高齢者になる。
要介護率は、後期高齢者になるとグンと増える。
介護における2025年ショックと呼ばれている。
⇒2014年2月 6日 (木):揺れる介護福祉士養成制度/花づな列島復興のためのメモ(304)
⇒2014年2月17日 (月):「徴介護制」はあり得るか?/花づな列島復興のためのメモ(308)

介護は現在の先端的な課題であるが、その職業が3K(キツイ、キタナイ、キケン)とか、さらには「給料が安い、休暇が少ない、カッコ悪い」を加えて、6Kが世間に定着してしまっている。
「給料」は、需給バランスで決まる要素もあるので、今後のことは分からないが、私の知る限りでは「安い」と言わざるを得ないような状態である。
そのため、介護福祉士を養成するための専門学校等(介護福祉士養成校と言われる)は、応募者が少なく定員充足に苦労しているところが多いようだ。
中には、志を持った素晴らしい若者もいるが、例外のようである。

認知症患者はどれくらいいるのだろうか?
厚生労働省研究班の推計によれば、2012年時点の認知症高齢者は、軽度者を含め約462万人だということである。
予備軍とされる「軽度認知障害」(MCI)の約400万人を加えれば、65歳以上の1/4が該当する。
もはや誰でも罹患する可能性があるといえよう。
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http://www.sankeibiz.jp/econome/news/140125/ecb1401251158001-n1.htm

国の方針は、高齢者を介護施設で支えるのではなく、在宅介護を普及させ、自宅で暮らしてもらうということである。
しかし、 在宅介護にも大きな問題がある。

第一は、「独居老人の認知症」の問題である。
誰でも、自分は認知症ではない、と思いたいだろう。
「独居老人」の場合、挙動に認知症の症状が現れても、誰にも気づかれないということがある。
自分で認知症と診断するのは、矛盾というものであろう。

第二に、見張りの限界の問題である。
認知症患者が起こした鉄道事故の判決が波紋を呼んだ。

2007年の12月。愛知県内に住む当時91歳だった認知症の男性が、自宅から一人で外に出て、およそ一時間後に、3キロほど離れたJRの駅の線路内で列車にはねられて亡くなりました。この事故で列車に遅れなどが出たことから、JR東海が、振り替え輸送の費用などの損害賠償として、およそ720万円の支払いを遺族に求めて提訴。今年8月の名古屋地裁の判決では、遺族のうち、同居していた男性の妻と、横浜に住む長男の2人に賠償責任を認め、JRが求める全額を支払うよう命じました。
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https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/172073.html

この判決は、認知症の人を見守る注意義務を家族に厳しく求めている。
しかし、判決が求めるような責任を果たすためには、部屋に鍵をかけて閉じ込めておくようなことになりかねない。
それがあるべき介護のあり方なのか?

さらに、介護に深くかかわるほど重い責任を問われている。
長男は、親の介護のために妻を実家近くに住まわせ、自分も月3回ほど実家を訪れていたという。
その長男の責任を認め、介護とのかかわりが少ない他の兄弟は責任を問われなかったが、これでは積極的に親の面倒を看ようという子供がいなくなる恐れもある。

認知症が増えていくのは間違いないだろうが、在宅ケアに固執すると問題は解決しないと思われる。

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2014年3月22日 (土)

加齢による認知能力の衰えと防止/ケアの諸問題(1)

輝ける石原慎太郎氏に対して、失礼にも「耄碌」ではないかとした。
⇒2014年3月 9日 (日):石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)
私は、森元総理も相当に耄碌の程度が進んでいると考えるが、その森氏が「あの方は、我が儘だから」と評したことは、的確だと思っている。
もっとも、さすがに石原氏もトーンをダウンさせて、「党を割るつもりではない」としているようであるが。

誰しも加齢と共に、認知能力は衰える。
それが、耄碌なのだが、過去に立派な仕事をし、かつ我が儘な(すなわち自己主張の強い)人ほど亢進するようだ。
石原氏は、典型的にそのような人間類型であろう。

かくいう私も決して他人事ではないことは承知している。
立派な高齢者である。
記憶力の減退は、とみに著しい。
固有名詞を失念するのは日常茶飯事になっている。

認知能力の減退が進行すれば、認知症である。
認知症の原因となる疾患は次表のようである。
Photo
『認知症のことがわかる本』おはよう21(中央法規出版(2013年10月臨時増刊)

脳血管障害を既に起こしてしまっている私が気をつけるべきは、再発の防止と、脳血管型認知症の予防であろう。
高血圧や糖尿病などの成人病予防が中心であり、共通する。
実際に脳梗塞の再発予防薬に、認知症の進行を抑制する効果があると報告されている。

 国立循環器病研究センター(大阪府吹田市)の猪原匡史(いはらまさふみ)医長らは、脳梗塞(こうそく)の再発予防薬「シロスタゾール」に、認知症の一種のアルツハイマー病の進行を抑える効果があることが分かったと発表した。27日付の米オンライン科学誌プロスワンに掲載された。軽度の場合に有効といい、アルツハイマー病の進行予防薬としても使えるよう、国の薬事承認を目指す臨床試験(治験)を今秋にも始める。
 シロスタゾールは血管内に血栓を作りにくくし、血管を広げて脳の血流を増やす効果がある。
 認知症は、脳の血管や神経細胞に障害が起こり、記憶力などが低下。アルツハイマー病は認知症の4〜5割を占めるとされ、異常なたんぱく質が脳内に蓄積するとされる。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140227dde041040068000c.html

アルツハイマー型認知症の予防法は未だ明らかになっていない。
発生原因が特定されていないからだ。
晩発性アルツハイマー型認知症が、日本人の老人性認知症の90%を占めるといわれている。

老人性認知症では、他人とのコミュニケーションに障害が起きる。
コミュニケーションの重要な手段である言語と表情などの非言語の両面で障害が発生する。
他社との意思疎通が困難になり、感情のコントロールが効かなくなってくる。
感情失禁である。
進行すると、ADL(Activities of daily living:日常生活動作)にも障害が出てくる。
食事や衣服の着替えなどに介助が必要になる。

これらは脳血管障害の場合と同様である。
これらの行為を司っているのが脳の前頭前野という領域である。
社会的に問題となる症状のほとんどは、前頭前野の機能ということになる。
20140310_124100
http://www.gakushu-ryoho.jp/whats/index2.html

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2014年3月21日 (金)

日本のSIerの構造と問題点/ブランド・企業論(22)

わが国のIT業界の構成を図示すれば下図のようになる。
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http://www.necsoft.co.jp/saiyo/2015/nec_soft_slide/page01_04.html

わが国で、コンピュータが普及期に入ったのは、1960年代後半から70年代にかけてである。
IT関連業務は企業の中で次第に重要化していくが、IT技術者はその会社の本業ではない業務に従事する者であった。
そこで、プログラマーやオペレーターなどを派遣するという業界が成立した。
やがて、ソフトウェア開発など、より上流の業務も受注する力をつけて行き、次第に業務領域を拡大してSIerになったというのが独立系SIerである。
この他に、メーカーが関連する業務を独立させたSIer、大手ユーザー企業が多角化の一環として別法人化したユーザー系SIerがある。
業界の発展の様子は下図のようである。
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http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140225/538991/?ST=print

2014年4月入社予定の学生を対象とした「IT業界就職人気ランキング」調査の結果は下表のようであった。
Photo
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130318/464164/

学生の人気ランキングは、将来の構造不況ランキングであるという皮肉な見方もできる。
確かに、この世の春を謳歌した「黒いダイヤ:石炭」「白いダイヤ:砂糖」などのかつての人気業種、あるいは日本長期信用銀行(長銀)や日本債権信用銀行(日債銀)などの信用を名前に冠した銀行の信用の脆さ、山一證券や鐘紡などの名門企業の実態などをみると、学生の人気ランキングなどあてにはならない。

しかし、人気がある企業には、優秀な人材が集まりやすいのも事実である。
トップのNTTデータは、調査開始以来不動の首位である。
総合ランキングで10位までに入った新しい顔ぶれをみると、アクセンチュア(5位)、日本ユニシス(8位)、SCSK(9位)がランクインした。
5位のアクセンチュアは、「今回の採用から、当社が求める人材像として“挑戦する人”を明確に打ち出した」という。
学生にとってはハードルが高い方が人気が出るように思える。

コンサルティング会社やシステムインテグレータが順位を上げる一方で、前年よりも人気を落としたのが大手ITメーカーで、前回2位の富士通は6位、前回6位のNECは11位とトップ10入りを逃した。
ほかにも日立製作所は前回13位から16位へ、日本IBMは7位から23位へ落ちた。
これは、総合エレクトロニクスメーカーの業績不振の影響が大であろう。
流行に左右されない“不易”のスキルを身につけることが必要ではなかろうか。
⇒2009年4月13日 (月):情報革命における不易と流行
それを、楠木建『経営戦略のセンス』新潮新書(2013年4月)では、センスと呼んでいる。

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2014年3月20日 (木)

IT業界における2015年問題/花づな列島復興のためのメモ(317)

ひと昔前のことになるが、「IT革命」という言葉が流行語になったことがある。
IT=Information Technologyで、要するに情報技術である。
それに、C=communicationを加えて、ICTと言うようになっている。
⇒2009年4月13日 (月):情報革命における不易と流行
⇒2013年7月 5日 (金):ビッグデータ・ブームは本物か/知的生産の方法(66)
⇒2013年7月 7日 (日):ICTとマーケティング/知的生産の方法(67)

情報システムの企画、構築、運用などを一括して行うことを、システムインテグレーションという。
システムの企画・立案からプログラムの開発、必要なハードウェア・ソフトウェアの選定・導入、完成したシステムの保守・管理までを総合的に行う。
システムインテグレーションを行う事業者をシステムインテグレーター(SIer:System Integrator)という。

いま、SIerがうけに入っているという。
リーマンショックや東日本大震災で凍結していたプロジェクトが再始動し、幅広い業界でIT投資が増えているkらだ。
2015si
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140225/538989/?ST=print

しかし、SI業界は、私が現役の頃より、常に人材(IT技術者)の不足と過剰を繰り返してきた。
技術者の育成には時間を要する。
供給のリードタイムが長いのだ。

したがって、需要が旺盛な時期に合わせて技術者を確保すると、ピークが過ぎると仕事がないということになる。
かといって、仕事の少ない状況に合わせていると、機会損失が発生する。
その辺りの見極めがSIerの経営の要諦ということになる。

需給バランスの調整弁として機能してきたのが、多重下請け構造である。
営業力のある会社が元請けとなって受注し、1次→2次→3次→4次・・・と仕事は流れる。
一般に、下流の業務ほど細切れになり、部品の製造を担当するのはどの業界でも変わらない。
下流に行くほど単価は安くなるが、さしたる技術力も要求されないので、その限りでつじつまが合っているとも言える。

SI業界に、2015年問題というのがあるらしい。
2015年にIT受託の仕事が集中し、その後に急減すると予測されている現象である。
ある意味では、IT関連業務には恒常化している現象ともいえる。
日本のIT業界には、コンプライアンス上問題となるような事象が、事実として多いことは周知のことである。
多重下請け、法令無視、従業員の給与抑制というような慣行である。

特に、二重派遣の問題は社会的にも問題となり、法律の網を潜るため、偽装請負のような現象も生まれた。
基本的な要因は、IT技術者の需給バランスの問題であるが、2015年問題でIT技術者の不足がさらに深刻化すれば、違法な就労業態が増えることになりかねない。
また、2015年を過ぎて仕事が急減すると、多重下請けの下流に位置する中小IT企業は、仕事の確保に苦労することが予想される。

このままでは、若者は企業向け情報システムの業界を敬遠し、優秀なIT技術者は業界を見限って離脱してしまうだろう。
結果として、日本のIT業界の質の低下に繋がりかねない。
それは顧客企業にも影響する。
情報システムの質が企業の生命線になっている時代に、質の低下を余儀なくされるとしたら、成長戦略も画餅ということになるだろう。

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2014年3月19日 (水)

マレーシア機はどこへ行った?

クアラルンプール発北京行きのマレーシア航空機・ボーイング777(MH370便)が、8日消息を絶ったまま、行方が分からない。

事故か、事件か?
どこへ向かったのか?
墜落したのか、着陸しているのか?

マレーシア政府から新たな情報が明らかにされているが、謎は深まるばかりだ。
捜索に協力した国は25カ国に上るという。
これだけ大規模の捜索活動は前代未聞だというが、現時点では、痕跡すら発見されていない。

マレーシア現地時間3月8日午前1時19分、操縦室にいる人物は、同国の地上管制に対し「了解。おやすみ(all right,good night)」と砕けた表現で話し、異変を示唆する様子は見られなかった。    
その2分後、レーダー情報を送信するトランスポンダのスイッチが切断された。
トランスポンダのスイッチを切ったのは誰なのか?

事件、たとえばハイジャックだとすれば、ランスポンダを切った人物は、専門知識を持っていたことになり、入念に練られた計画ということになる。
航空機を操縦していない方のパイロットが無線通信を行うとすれば、彼がトランスポンダのスイッチを切ったのか?      

マレーシアとベトナムの管制が管轄する空域の間の微妙な位置を飛行中に切断されたのは、計画通りなのか、偶然なのか?
捜査当局によると、8日午前1時07分から37分のある時点に、機体の状態を地上に送信するシステム「エーカーズ(ACARS)」も停止されたという。    

トランスポンダが遮断された後、北東に向かっていたMH370便はマレーシア東側のコタバル沖上空から北西に針路を変えている。
軍のレーダーではペナン島北西約200マイル(約320キロ)地点で最後に確認されている。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20140316ddm001040176000c.html

業界関係者の間では、マレーシア機の異常事態が、専門的な技術や準備なしに起きたと見る向きはほとんどいないということだ。
トランスポンダが切られた段階でパイロットは異常に気づくであろうが、管制には何も伝えてこなかった。

しかし、行方不明になった航空機は意外に多いという報道もある。

「Bloomberg」は3月13日付けの記事で、1948年以降に世界各地で発生した航空機の失踪事故について示したインフォグラフィックを掲載している。
Aviation Safety Network(航空安全ネットワーク)が編纂したデータに基づいて作成されたリストによると、1948年以降行方不明が宣言された定員14人以上の航空機の数は83機に上る。
このインフォグラフィックでは、行方不明となり発見されなかった航空機が最後に確認された位置と、大規模な調査の結果発見された航空機の位置が示されている。平均すると1年に1.2機の飛行機が行方不明になっているが、1960年代までの事故が多く、1985年以降は数がかなり減っていた。
Photo
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/17/missing-malaysia-airlines_0_n_4983977.html

エシュロンなどグローバルな監視体制が言われている中で、ミステリアスなことである。

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2014年3月18日 (火)

クリミヤはどうなるか?/世界史の動向(10)

ウクライナ南部クリミア半島で、16日に実施された住民投票は、ロシアへの編入に圧倒的な支持が集まった。
クリミア自治共和国議会は17日、独立を宣言し、「クリミア共和国」としてロシア編入を求める決議を採択した。
プーチン大統領は17日、ウクライナ南部クリミア自治共和国を独立国として承認する大統領令に署名した。

あれよあれよという間の独立である。
大統領令は、クリミアの住民投票で住民の意思が示されたとし、特別市セバストポリを含む「クリミア共和国」を「主権を持つ独立国」として承認する内容である。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20140318ddm001030178000c.html

クリミア半島の最南端・セヴァストポリの岸壁には、無数の弾痕が刻まれているという。
ロシアは、19世紀にはオスマン帝国と、20世紀にはナチスドイツと死闘を演じている。
ソチオリンピックが、ロシアの愛国心を高揚させていることが、プーチンの動きである。

 クリミアの分離は、黒海周辺におけるロシアの影響力拡大にもつながる。周辺にはロシアの後ろ盾で独立を宣言し、国際社会の大部分が承認していない三つの「国家」がある。グルジアからの独立を宣言している南オセチアとアブハジアは、2008年のグルジア紛争でロシアが国家承認して関与を強化。1990年にロシア系住民が独立宣言したモルドバ領内の沿ドニエストルは承認していない。
 ロシアの関与の仕方はさまざまだが、ここにクリミアも加わることになる。プーチン政権としては勢力圏とみる旧ソ連諸国での不安定な状況を利用し、影響力を保持する狙いがある。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20140318ddm003030068000c.html

米国と欧州連合(EU)は17日、プーチン政権当局者らに対する入国・入域禁止などの制裁を決めた。
ロシアがクリミア併合に踏み切った場合には対露制裁がさらに強化される可能性が高い。
ロシアがクリミヤの併合に踏み切るのか?

「住民の意思」という点では、住民投票の結果が出ている。
しかし、ロシアがクリミア中枢を掌握した状況での住民投票である。
いわば、出来レースだった。

プーチンは18日に、上下両院と地方首長を前に演説し、クリミアの「編入要請」に関する自らの立場を表明した。
議会は親政権勢力で固められており、すでに全4政党がクリミア編入を歓迎する立場を表明している。
鮮やかという言葉は適当ではないかもしれないが、プーチンの動きはそう言いたくなる気もする。

プーチンがロシアの最高権力の座に就いてから14年の間に、かつての凋落するロシアは、世界史のキー国家になった。
一連の軍事力を背景にした動きは、時間が逆に動いているように見える。
満州事変における関東軍も、鮮やかといえば鮮やかな動きではなかったか。
⇒2014年2月22日 (土):原発は「日本の生命線」か?/花づな列島復興のためのメモ(310)
⇒2012年10月 1日 (月):「満州事変」をひき起こしたのは誰か/満州「国」論(3)
21世紀も戦争の世紀となるのであろうか?

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2014年3月17日 (月)

コピー&ペーストの功罪/知的生産の方法(82)

私がリサーチャーという職業に従事していたのは、1970年代の中〜後半のことであった。
シンクタンクの定義にもよるが、一応シンクタンクと称していた組織で、官庁関係のプロジェクトが中心だった。
予算との兼ね合いで形式的な納期は3月末のものがほとんどだったが、実質的には5月いっぱいぐらいかけて最終成果物に仕上げたものが多かった。

とはいえ、3月末には仮納品という形で検収を受けた。
仮納品するためには体裁を整えることが必要である。
そこで威力を発揮したのが、NHXすなわちN(のり)とH(ハサミ)とX(ゼロックス)だった。
仲間内では、リサーチャーの3種の神器などと称していた。

しかし、これはあくまで体裁を整えるというためだけのものであることは、発注者ー受注者双方の了解事項であった。
本当の納期までには、ちゃんとした成果物に仕上げますから、という了解のもとで行われていた作業である。
であるから、3月末を過ぎてからが地獄のような追い込みの時期であった。
シュラフを持参し、事務所に段ボールを敷いて仮眠をとる、などということが常態であった。
リサーチャー35歳定年説というのが流れていたが、こんな生活では確かに35歳くらいが限度だろうと、実感した。

遡って学生時代のことを考えてみれば、ゼロックスが代名詞になっている乾式コピーは高嶺の花だった。
家庭用の複合機でコピーができ、大判のものでもコンビニに行けば何とかなる現状など、夢想もできなかった。
文献のコピーは、手書きで行っていた。
外国の単行本には、当たり前のように海賊版が出回っていた。
著作権の意識などほとんどなかったと言ってよい。

打ち合わせの資料など複数部を用意する場合は、青焼きと呼んでいた湿式コピーだった。
湿式コピーを大量に用意するのは単純な作業で、嫌がる人が多かったが、リサーチに行き詰まった時などには格好の気分転換になるので、私は好きだった。
単に、行き詰まることが他人より多かっただけなのかも知れないが。
電卓さえ、社会人になった1969年には、パーソナルな備品ではなかった。
配属された課に、文字通り「卓上型」の電子式の計算機が入った時は歓声が上がった。
その後の「性能/価格」の向上は驚くほどの速度で、名刺入れに入ったり、腕時計に電卓機能がついたりするのに時間を要しなかった。

STAP細胞が論文撤回(取り下げ)の方向であるという。
コピー&ペーストが容易に行える時代だからなあ、という感想を持った人は多いに違いない。
渦中の小保方さんも、至極簡単な気持ちで、日常的にコピー&ペーストをしていただろうと推測される。
そういう時代であり、コピペ探知サービスが企業として成り立っているらしい。

今私がやっているように、パソコンを使い、インターネットを通じて情報発信することが簡単に行える時代になった。
いわゆるWeb2.0である。
何とすばらしい時代になったものかと思う。
情報の受発信が大衆化され、モノ書きが一部のエリート・インテリの独占する時代は終わったのだ。

しかし、便利さを手に入れることは、一方で往々にして何かを失うということである。
オリジナリティが特に問われる科学の研究においては、オリジナルとコピーは峻別して管理しなければならない。
自分の書いたものでも、どれがオリジナルだったか分からなくなってしまいがちである。
私は、煩わしいほど「版の管理」を行い、引用はかならず引用と分かるようにしている(つもりである)。

博士論文とかネイチャーへの投稿というような重大な局面で、不用意なミスが起きることは信じ難いことである。
Photo
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140312/wlf14031222070028-n2.htm

共著者という人たちは、何をシェアしていたのだろうか、と思う。
万が一、不用意ということではなく、故意であったならば……
人間の心の中は他人には窺い知れないのだから、詮索するのは止めておこう。

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2014年3月16日 (日)

STAP細胞ー成果主義と広報戦略/花づな列島復興のためのメモ(316)

STAP細胞の研究疑惑について、理化学研究所(理研)が記者会見を行った。
理研としての、現時点での判断は以下の通りである。

独立行政法人理化学研究所(以下「研究所」)は、発生・再生科学総合研究センター(以下「CDB」)の研究員らがNature誌に発表した2篇の研究論文に関する疑義について、様々な指摘があることを真摯に受け止め、調査委員会を設置して調査を行ってきた。
調査は、現在も継続しており、最終的な報告にはまだしばらく時間を要するが、社会的な関心が高いことを踏まえ、調査委員会が調査を行ってきた6つの項目に対し、これまでの調査で得た結論及び調査継続中の事項について、中間報告を行うものである。
具体的な内容としては、以下の点となる。
  ・2つの調査項目については、調査の結果、データの取扱いに不適切な点はあったが、研究不正には当たらないと判定したこと
  ・継続して調査が必要とした4つの項目があること
なお、現在も継続している調査については、事実関係をしっかりと把握した上で結論を導く必要があり、結論を得た時点で速やかに報告する。
研究論文(STAP細胞)の疑義に関する調査中間報告について

調査結果を図表にしているものを引用する。
Ws000001
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20140314005012.html

記者会見には、野依良治・理事長▽川合真紀・研究担当理事▽米倉実・コンプライアンス担当理事▽竹市雅俊・発生・再生科学総合研究センター長▽石井俊輔・研究論文の疑義に関する調査委員長(理研上席研究員)が出席し、質疑応答が行われた。
主な発言を報道から抜粋する。

Q:捏造はあったのか。
石井:画像の取り違えについて虚偽説明があったか否かは、データを集めて客観的にヒアリングをしないと判定できない。既に実験ノート、作成日のデータがある画像が提出されている。これまでで完全に捏造というものはない。
Q:STAP細胞の存在について確信はあるか。
竹市:科学の世界で確信はエビデンス(証拠)に基づく。今回は確信を持つには、第三者の検証を待つしかない。
Q チェック体制の見直しを具体的に。
川合:個々の研究者の倫理観をあげていくことしかない。所属長が確認することはやっていきたいが、科学の自由を考えた場合、10人がおかしいと言っても、そこに一つの真理があるかもしれない。科学に多数決はなじまない。不注意はできる限りなくすべきだ。
Q:博士論文の画像の転用について小保方さんの説明は。
石井:だいぶ昔に、骨髄由来の血液細胞を使い、このような画像を得ていた。それを間違って使ってしまったという説明だ。
Q:中国の論文をコピーしたことについては。
石井:これは実験のメソッド(方法)の文章で一般的なもの。この点については論文の内容を借用したということではないと見ている。
Q:疑義が生じた点はどれくらいあるのか。
石井:現時点で緻密に調査項目として今日発表した六つ。
Q 論文で言及されていない写真があったり、違うメソッドがあったり、共著者が読めばわかることでは。
竹市:本来あるべきことでないことが起こった。私自身が理解しかねている。
野依:伝統的な科学研究の多くは比較的狭い分野別に行われ、単一の研究室で行われていたことが多かった。今はネットワーク型の時代、先端的な研究は分野横断的に行われることになっている。今回は一人の未熟な研究者が膨大なデータをとりまとめた。責任感に乏しく、チーム連携に不備があったと私は思っている。
Q:小保方さんは未熟と言うが、そういう人がなぜユニットリーダーになったのか。
竹市:ヘッドとなる人は公募だ。書類審査と、どんな研究をし、今後何をしようとしているかのプレゼンで決める。
Q:小保方さんは撤回提案にどう回答したのか。
竹市:心身ともにしょうすいした状態で、うなずくという感じだった。それで了承したと判断した。
Q:画像は全て小保方さんが管理し、論文でのレイアウトや採用も、小保方さんがやったと認定されているのか。
石井:小保方さんと笹井さんの共同作業と認識している。小保方さんにはネイチャーの論文を構成するのは一般的に力不足。どういう流れにするかは笹井さんがやったと思う。共同作業で図のアレンジを小保方さん、ロジックを笹井さんがやったと聞いている。
Q:切り張りについて、小保方さんは問題だと思っていなかったのか。
石井:彼女のヒアリングでは「やってはいけないという認識がなかった。申し訳ありません」という認識だった。抵抗がなかったのか、倫理観を学ぶ機会がなかったのか、私がコメントするのは適切でない。
Q:電気泳動と博士論文の画像転用について、改ざんの可能性もあるとして調査を進めるのか。
石井:改ざんに当たるのかどうか、調査の必要がある。学位論文とネイチャーでは、細胞にかけたストレスの条件が違うのに同じ画像を使っているのはおかしい。(流用の疑いとは)断言はできない。
Q:ES細胞を意図的に混入したかどうかの検証は。
石井:データだけでは検証が難しい。

私が、関心のある部分を恣意的に引用したが、全体として、最終結論は出ていないということだ。
理研の現時点での判断は、未熟で不適切ではあったが、不正とは言い切れない、ということのように、私には読める。

しかし、故意にやったのではないとしたら、余りにも大きな過失のようである。
理研もしくはわが国の科学に対する取り組みの姿勢が問われよう。
私は今回の問題の背景には、研究開発の予算獲得の問題があると思う。
⇒2013年8月 1日 (木):研究における成果主義の弊害/知的生産の方法(70)

事業仕分けにおいて、蓮舫氏がスーパーコンピュータの開発に関し、「2番ではだめなのか」と予算削減を正当化するかの如く発言したことに対し、野依理事長らの科学者から猛反発が起きたことは記憶に新しい。
⇒2009年11月30日 (月):投資と費用/「同じ」と「違う」(15)
これは、逆に言えば、仕分けをしたくなるくらい、先端的な科学研究には資金が必要ということである。

研究に必要な資金をどう確保するかは、研究マネジメントにおける大きな課題ともいえる。
資金確保のためには?
第一に、納得させうる研究成果を出し続けることだろう。
第二に、上手なプレゼンテーションを行うことであろう。

第一はともかく、第二は行き過ぎると、佐村河内と同じことになり兼ねない。
⇒2014年2月 7日 (金):佐村河内守代作問題/ブランド・企業論(18)
⇒2014年3月 7日 (金):佐村河内守の罪と罰/人間の理解(2)
割ぽう着姿の小保方さんの姿には、ちょっとそんな感じがした。

理研には広報チームもあるという。
研究室をピンクや黄色にすることや割ぽう着姿が演出だとしたら、未熟以前の問題だろう。
マーケティングにとって科学は本質だろうが、科学にとってマーケティングは本質ではない、と言えるのではないだろうか。

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2014年3月15日 (土)

正統的二枚目・宇津井健/追悼(49)

俳優の宇津井健さんが3月14日、慢性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。
82歳だった。

宇津井さんは、進学校として有名な千葉県立千葉高等学校卒業、早稲田大学第一文学部演劇専修中退して、1952年に俳優座養成所に第4期生として入団した。
同期には佐藤慶・佐藤允・仲代達矢・中谷一郎らの個性的俳優が揃っている。
映画の黄金時代で活躍した人たちである。

1954年に新東宝に入社し、若手スターとして活躍した。
私は、新東宝時代の宇津井さんを観た記憶があるが、当時の新東宝は子供心にも見てはいけないもののような印象だった。
新東宝が倒産した1961年に大映に移った。

その後、テレビに活躍の場を移し、1965年に開始された主演作の『ザ・ガードマン』では高い視聴率を得た。
山口百恵さんと共演した「赤いシリーズ」では、、“山口百恵の父親役”として一世を風靡したと言われているが、私はみていない。

2006年4月から放送開始した『渡る世間は鬼ばかり』の第8シリーズで藤岡琢也に代わり主人公の岡倉大吉を演じていた。
自宅にはトレーニングルームがあり、体を鍛えることが毎日の日課だったという。
中高年になってからは、役柄として、子供思いの父親または祖父役を演じることが多かった。
温厚で気が優しいが根は熱血、といった性格が風貌とマッチしていた。

大学時代に馬術部に所属し、長年乗馬を趣味としていた。

馬術の達人として知られ、映画デビュー作は馬を乗りこなすことが条件だったため、白羽の矢が立ったほど。
近年も映画「ごくせん THE MOVIE」(2009年)「沈まぬ太陽」」(09年)テレビドラマ「相棒」(10年)などに出演していた。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/14/ken-utsui_n_4963572.html

死去に接し、長年の親友だった仲代達矢が「私1人が取り残された…」と故人を偲んだ。
まさに正統的な二枚目としての人生だったといえよう。
合掌。

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2014年3月14日 (金)

西予地震と上関原発/原発事故の真相(109)

今朝の午前2時過ぎ、四国や中国、九州にかけて強い地震があった。
愛媛県西予市で震度5強、高知や広島、山口、大分の各県でも5弱を記録した。
大阪管区気象台によると、震源は瀬戸内海西部の伊予灘で、震源の深さは約78kmとのことである。

この地域の地震と言えば、南海トラフ地震が頭に浮かぶ。
南海トラフとは、四国の南の海底にある水深4,000m級の深い溝(トラフ)である。
南海トラフ北端部の駿河湾内に位置する部分が駿河トラフである。
非常に活発で大規模な地震発生帯であり、巨大地震の発生が心配されている。
Photo_5
http://shachoublog.net/nyu-su/torahu-kakuritu.html

昨年、政府の地震調査委員会は、南海トラフで想定されるマグニチュード8~9の巨大地震が、今後30年以内に発生する確率は60%~70%と発表した。
切迫性はかなり高いといえよう。

今回の地震について、気象庁は、国が想定するM9級の南海トラフ巨大地震との関連性は薄いとの見解を示した。
気象庁によると、今回の地震は、日本列島側のプレート(岩板)の下に沈み込むフィリピン海プレート内の深部で発生した。
一方、南海トラフ巨大地震は両プレート境界で起き、その震源はより浅い20~30kmと想定されている。
今回の地震とは震源の深さや、地震を発生させる力のかかり方が異なるという。

四国電力は、愛媛県伊方町の伊方原発に異常はなかったと発表した。
しかし、この地域には、建設計画中の原子力発電所がある。
上関原子力発電所である。
中国電力が、瀬戸内海に面する山口県熊毛郡上関町大字長島に建設を計画している。
長島西端の田ノ浦の山林を切り開いて14万平方メートルの海面を埋め立て、改良型沸騰水型軽水炉2基の計画である。
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赤丸を付したのが上関原発計画地である。
地震のあった西予市とは、目と鼻の先である。
私は、宇和島市の伊達博物館に、古文書の調査に行ったことがあるが、絵に描いたような風光明媚な所であった。
同時に、四国、本州、九州が意外な近さであると感じた。

今回の地震(西予地震)は、上関原発計画に対する警告ではなかろうか。
11日に行われた政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」に出席して式辞を述べた伊吹文明衆議院議長は、「震災で得た教訓を元にエネルギー政策の在り方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしてまいりたいと存じます」と述べ、「脱原発」の姿勢を打ち出した。
至極まっとうな意見であるが、 安倍首相周辺からは不快感が出ているという。
伊吹氏は、衆院議長に就任するに際し、自民党籍を離脱しているが、党内の良識派が続くことを期待しよう。

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2014年3月13日 (木)

STAP細胞に関する過熱報道/花づな列島復興のためのメモ(315)

理化学研究所の小保方晴子・研究ユニットリーダーなどによる新型万能細胞「STAP細胞」の研究についての疑惑報道が過熱している。
1月に発表した時の報道の芸能人に対するような過熱ぶりと、同様といえる。
まあ、方向性は逆ではあるのだが。

私は、最初の報道の時点では、「そんなことがあり得るのか?」と思った。
ネイチャー誌に投稿した際の「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄していると酷評され、掲載を却下された」という小保方さんの談話を読んで、ネイチャーのレフェリーのような専門家でさえ(だからこそ?)そうなのか、と思った。
⇒2014年1月30日 (木):新しい人工万能細胞/知的生産の方法(79)

しかし、それがイノベーションというものだろうと思う。
インパクトのある研究は、往々にして「想定外」の事態から生まれる。
だから、意図的にイノベーションの重点分野を設定することには限界があるのではないかとも考えた。
⇒2014年2月 1日 (土):官製成長戦略でイノベーションは起きるか/アベノミクスの危うさ(26)

現在見聞している疑惑は、次の2つのことが混在しているように思われる。
1.研究成果の真実性の問題
2.論文などにおける表現の問題

1.は根本に関わる問題である。
あらゆる科学は仮説であり、事実による検証を繰り返して、より確からしい仮説に進化していく。
STAP細胞の場合は、第三者が再現できるか否かがカギである。
「現時点では」まだ、再現に成功した例はないということである。
しかし、これは1例でも再現すれば、疑惑は否定される性格のものである。
もう少し時間を置かないことには判断のしようがないだろう。

2.については、次のように報道されている。

 博士論文の文章流用疑惑は、約100ページある論文のうち、研究背景を説明する冒頭約20ページの文章が米国立衛生研究所(NIH)のホームページ上にある幹細胞の基礎知識の解説文とほぼ同じだった。該当部分に引用の記載はなかった。
 一方、理研は、英科学誌の調査の中間報告を14日に公表するが、不正の有無についての核心部分は先送りされる見込みだ。
 この論文では別の実験結果を示す胎盤の画像2枚が酷似することなどが指摘されてきたが、10日になって、研究の根幹に関わる画像4枚が小保方氏の博士論文の画像に酷似することが新たに判明。理研はこれを「重大に受け止める」として、論文撤回の検討に入った。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140312/wlf14031222070028-n1.htm

上掲記事によれば、論点は2つある。
A.博士論文の文章流用疑惑
B.ネイチャー論文の画像の妥当性

A.については、余り大騒ぎしない方が良いのではないか?
博士論文の中の研究背景を説明する部分ということであれば、そのことについてのオリジナリティを問題にするような性格ではないだろうと思う。
研究の経緯と現状を的確に整理することが眼目であり、権威ある機関のものを引用するのは、出典さえ明示すれば良かっただけのことのように思える。
まあ、マナー違反ではあろうが。

B.は、より深刻である。
論拠に関わるものだからである。
画像の管理はどうしていたのか?
共同研究者が当然気がつくはずだろうと思えるが、スルーしてしまっているのは何故か?
単なる過失か、何らかの意図があるのか?

 胎盤の画像について共著者は当初、「小保方氏の単純ミス」とみていた。だが、博士論文と同じ画像が掲載されていた場合、単純ミスとは考えにくくなる。
 しかし、この重要問題は中間報告には間に合わず、今後の追加調査の対象になる見込み。論文は2月以降、外部からの指摘で疑問点が続出しており、対応が後手に回っている形だ。
 理研はこれまで、STAP細胞を作製した研究成果そのものは「揺るぎない」としてきた。だが博士論文と同じ画像が掲載されていた疑いが明らかになると、「成果は事実とプロセス(過程)が大事。プロセスに疑念が指摘された」とトーンダウン。成果の信頼性も揺らぎつつあることを事実上、認めた。
 理研は2月18日に調査委員会を設置。委員長ら理研側2人、弁護士を含む外部有識者3人の計5人で構成され、小保方氏らへの聞き取りや実験ノートの確認などを行っている。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140312/wlf14031222070028-n1.htm

理化学研究所は、かつて「科学者の楽園」と呼ばれ、わが国の科学技術を支えてきた研究所である。
宮田親平『「科学者の楽園」をつくった男―大河内正敏と理化学研究所』日経ビジネス人文庫(2001年5月)が詳しく 栄光の軌跡を記している。
その伝統は今でも残っており、特定国立研究開発法人とされる可能性が大きい。

政府は、12日の総合科学技術会議で、世界最高水準の研究開発を担う「特定国立研究開発法人」について、理化学研究所と産業技術総合研究所を候補とする方針を決めた。
「特定国立研究開発法人(仮称)」は、独立行政法人改革の一環として新たに創設される制度で、優れた研究者に対し、高い給与を支払うことなどを可能にするもの。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00264646.html

私は学生時代、工学部の化学系の学科で学んだ。
といっても、その後の人生に役立てたとはとても言えないはぐれ鴉なのであるが・・・
私の学んだ学科は、喜多源逸という理化学研究所にも縁の深い化学者が創設したもので、石油化学の児玉信次郎らに引き継がれ、福井謙一のノーベル賞受賞に結びついた。
喜多源逸は、高分子化学の桜田一郎なども育て、ノーベル賞受賞者の野依良治現理化学研究所理事長もその流れの中にある。

私が学生時代に学んだことを要約すれば、「基礎の重視」と「実験ノートの書き方」ということになろうか。
「基礎の重視」は福井謙一の業績をみれば明らかである。
私の学生時代にも、「基礎をやりたい」と言って理学部から転入してきた人がいた。

化学系だから、実験は必須であった。
実験を記録するノートは、よく会社の経理の元帳などに使われるような厚手の表紙のノートを指定された。
鉛筆などの書き直しのできる筆記具の使用は禁止である。
要するに、一期一会の精神で臨め、ということであろう。

ということからすれば、今回の画像データの扱い方は大きな疑問である。
画像のID管理はどう行われていたのか?
私の学生時代とは異なり、実験の記録などにもパソコンは欠かせないだろう。
しかし、便利さは安易さに流れがちである。
理化学研究所の名誉にかけて、経緯を明らかにして頂きたい。

私は、現時点でも、STAP細胞が生成されたのは事実である思う(思いたい)。
私の青春期には、日本の立国は科学技術によるというムードがあったように思う。
金融資本主義が優位になって、理工系出身者が銀行や証券などに就職する時代があった。
しかし、資源小国性が解消されていない以上、科学技術立国の基本は不変であろう。
過熱報道で、有為な研究者の道を閉ざしたり、理系を敬遠するような流れになる愚は避けたいと願う。

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2014年3月12日 (水)

何事もなかったように再稼働するのか?/原発事故の真相(108)

東日本大震災から3年が過ぎた。
政権は、民主党が自民党と無差別の野田政権で愛想を尽かされ、再び自民党に戻った。
自民党の安倍政権は、福島第一原発の事故を忘れたかのように、原発推進の姿勢を鮮明にしている。
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東京新聞3月12日

福島の事故現場はどうなっているか?
安倍首相の言うように、「完全にコントロールされている」と思っている国民は皆無だろう。
⇒2013年9月24日 (火):「嘘も方便」首相と日本の将来/花づな列島復興のためのメモ(264)
⇒2013年10月 4日 (金):むしろuncontrolと言うべきでは/原発事故の真相(89)

にもかかわらず、原発を再稼働させようというのである。
汚染水漏れの事故は、もはやニュースにもならなくなってしまったようである。
しかし、毎日400立方メートルという大量の汚染水が発生し続けているのだ。
汚染水はタンクに貯蔵されているが、タンクは増加する一方である。
事故以前に、森やグラウンドなどだった用地も、タンク置き場や除染装置置き場などで一杯である。
2140307_2
東京新聞3月7日

再稼働させるにしても、せめて福島事故の汚染水対策にメドがついてからであろう。
しかし、各電力会社は、再稼働をすべく安全審査の申請をしている。
2140311_2
静岡新聞3月11日

かくして、私たちは、何事もなかったように、原発の電気で毎日暮らすのであろうか?

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2014年3月11日 (火)

「3・11」と様々なる不条理/花づな列島復興のためのメモ(314)

巨大で過酷な震災から3年が過ぎた。
3年という時間は、決して短いものではない。
人生80年として、4%に近い。
この震災は、何を遺し、何を変えたのか?
未だに26万人以上という多くの人が避難生活を余儀なくされている。

私は、2009年12月に脳梗塞を発症し、2010年の5月末までの約半年間、入院生活を余儀なくされた。
⇒2010年6月 1日 (火):闘病記・中間報告(6)/退院(1)
その入院中に考えたことは、脳血管疾患は巨大地震と似ているのではないかということであった。
⇒2010年3月22日 (月):闘病記・中間報告(2)予知の可能性
⇒2010年4月11日 (日):闘病記・中間報告(3)初期微動を捉えられるか

退院して約9か月経過した時点で、実際に巨大地震が発生した。
巨大地震は、想像を超えるきぼだった。
⇒2011年3月11日 (金):大規模地震で日本国はどうなるのか?

TVの映像としてではあるが、実際に震災の惨状を目の当たりにして、脳血管疾患と地震には、まったく違う現象ではあるが、やはり似ている要素があることを実感した。
基本的に、両方とも、当事者にとっては「想定外」のことであることである。

もちろん、地震についても予知の試みは行われている。
潜在的危険は、多くの人の共通認識ともいえよう。
しかし、いつ、どの位の規模で発生するかを、ある程度の精度で予知することは難しい。
⇒2013年5月31日 (金):地震予知の諸問題/花づな列島復興のためのメモ(223)

脳血管疾患も同様である。
脳血管疾患は、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血に区分され、疾患の発生した部位と発生の仕方による区分であるが、実際の現象は千差万別である。
脳血管疾患は、脳卒中ともいうが、「卒」は卒然などの熟語で分かるように突然に起こることを意味し、「中」には「あたる」という訓がある。

発生してしまったものは、元に戻ることはない。
分化した体細胞を未分化な分化万能細胞へと戻すこと(初期化[リプログラミング])ができると考えられるiPS細胞やSTAP細胞が話題になっているが、生体は基本的に非可逆的であり、脳も同様である。
壊れてしまった脳の部位は、現状では復旧することはないのである。
そして、多くの場合、深刻な後遺症が残る。
後遺症の態様も千差万別である。

巨大地震も、直接的被害も巨大なものであるが、現時点の課題は、後遺症からの脱却ということであろう。
不幸なことに、福島第一原発事故という人災が複合しているのが、今回の震災の最大の特徴である。
石原慎太郎日本維新の会共同代表は、「原子力の活用は人間の進歩だ」と講演で語った。
⇒2014年3月 9日 (日):石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)

一般論としてはそうも言えるかも知れない。
しかし、未だに住み慣れた街、住み慣れたわが家に帰ることができずに避難生活を余儀なくされている人が大勢いるという現実を前にしては、「原子力の活用を再考すること」が人間の進歩なのではないだろうか。

後遺症を克服するために、リハビリテーションを行う。
難しいのは、脳の回路は非可逆的であって、リハビリによって回復するわけではないことである。
代替的な回路の形成を図るわけであるが、これがそう簡単ではない。
筋力の衰えの回復などと全く異なっている点である。
⇒2010年6月 4日 (金):闘病記・中間報告(7)/退院(2)
⇒2010年5月 9日 (日):闘病記・中間報告(5)回復期リハビリについて
それでも、発症後4年以上経った現在でも、きわめて緩徐的ではあるが、少しは改善していることを実感する。
通常、症状固定と診断されるのは、発症後6カ月である。

原発事故は、「風評」という問題も提起している。
「風評」の原因には実体がないが、被害には実体がある。
疾患の場合も同様のことが起こり得る。
実際に私も、「あいつも終わりだな」という声を耳にしている。
もっとも、これは「風評」とは言えないだろうが。

柏市で、また連続通り魔事件が起きた。
容疑者には、逮捕前に報道陣に自ら「事件を目撃した」として、犯行の内容を明かすなどの不可解な行動も見られる。
⇒2014年3月 6日 (木):柏通り魔容疑者の自己顕示の心理/人間の理解(1)
こういう犯罪の場合に用いられる常套句が、「心の闇」だ。
動機となる心理の状態がブラックボックスとい...うことである。

「わけのわからない」感の原因が、「いきなり」とか「突発的」にということにあるとすれば、通り魔事件も震災や脳卒中に類似しているような気がする。
いずれも、当事者にとっては不条理なことである。

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2014年3月10日 (月)

消費税増税で景気はどうなるか?/アベノミクスの危うさ(29)

消費税率の改変まで秒読みになってきた。
1997年度以来だから、17年ぶりである。
今回の消費増税は、景気にどう影響するであろうか?

前回は、村山内閣で内定し、橋本内閣が実施した。
「福祉を充実させる」という名目であった。
今回は、 野田第2次改造内閣で、消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案が成立し、第2次安倍内閣が、4月からの引き上げを閣議決定した。
Photo_4
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201309/article_104.html

上記サイトでは、「消費増税→消費沈滞→商品が売れなくなる→企業収益悪化・従業員の給与低下→法人税、所得税の税収減少・若年層の失業増加・社会不安→戦争」と解説している。
しかし、「日経ビジネス2014年3月5日(水)」で、永濱利廣氏は、『1997年の二の舞は避けられる-消費増税でも景気が腰折れしない理由』と書いている。

永濱氏は、次のようにいう。   
今回の消費増税の負担額を試算すると、消費増税そのものは相当景気へのダメージが大きいと判断される。
今回の消費税率3%引き上げは、それだけで8兆円以上の負担増になり、家計にも相当大きな負担がのしかかる。
これを単純に世帯数で割れば、1世帯平均15万円弱の負担増になる。
しかし、総務省「家計調査」を用いて、具体的に4人家族(有業者1人)の平均的家計への負担額を試算すれば、年間約9.0万円の負担増となる。
現実的には、企業が消費税率の8兆円の負担分のうち3兆円程度は価格転嫁できないと想定される。

また、内閣府のマクロ計量モデルの乗数をもとに経済成長率への影響を試算すれば、2013年度は駆け込み需要により0.5%ポイント経済成長率を押し上げるが、2014年度については1.0%ポイントも経済成長率を押し下げると試算される。
従って、外部環境にもよるが、無防備で消費税率を引き上げれば景気腰折れの可能性が相当高まっていただろう。
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消費増税の経済成長率への影響

しかし、消費税率引き上げに伴い、97年度のように日本の景気が後退局面に入る可能性は高くないだろうという。
今回は真水で5.5兆円の景気対策と0.6兆円の追加減税が打ち出されている。
内閣府のマクロ計量モデルの乗数をもとに今回の経済対策と減税が経済成長率に及ぼす影響を試算すると、消費税率引き上げに伴う経済成長率押し下げを0.3%ポイントにとどめることができると試算される。
経済対策が、0.7%ポイント経済成長率を押し上げると想定されるためである。
97年当時と比べて買いだめがしにくいサービス消費の割合が高まっていることからも、駆け込み需要の反動減の規模が97年ほど大きくならない可能性が大きいと考えられる。

また、97年の消費税率引き上げ後に景気が腰折れした背景には、アジア通貨危機や国内における金融システム危機が発生したことがある。
アジア通貨危機は、タイ、インドネシア、韓国等の経済に大きな打撃を与え、これらの国はIMF管理に入った。
私にも苦い思い出がある。
提携していた韓国企業が、IMF体制の影響を受け、アメリカ企業傘下に入ることを余儀なくされ、大きな損失を受けたのである。

今回は、そういう環境ではない。
しかし、決して楽観はできないのではないか。

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2014年3月 9日 (日)

石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)

石原慎太郎といえば、若くして『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、話題作・問題作も多い作家である。
同時に、保守政治家としての履歴もすでに長い。
現在は、橋下徹氏と共に、日本維新の会の共同代表を務めている。
日本維新の会は、決して零細政党ではない。
一昨年末の第46回総選挙において172名の公認候補を立て、54議席(うち小選挙区14議席、比例区40議席)を獲得、衆議院での第3党となった大政党である。

その共同代表を務める石原氏が、耄碌したとしか思えない挙動を見せている。
党が、原子力協定に反対を決めたことについて、多数決で反対を決めたのは高校の生徒会のやり方であり、本当にばかばかしく恥ずかしい、と言ったのである。
政党が、多数決で決めた政策を、代表者が反対するとはどういうことか?
民間企業で言えば、取締役会の多数決議を社長の独断でそれとは異なる勝手な行動をとるようなものである。
特別背任に相当しよう。

そもそも国権の最高機関である国会が多数決で決めることにも、高校の生徒会のやり方であり、本当にばかばかしく恥ずかしい、と否定するのであろうか?
「(原子力協定の)採決の時に私は賛成しますよ、賛成したらどうする」とも発言した。
さすがに若手議員から、間髪をいれず「出て行け!」と声が出た。
当たり前である。

もはや石原氏の頭のなかから政党や民主主義という概念が抜け落ちているのだろう。
それは全体への気配りや状況把握の力が欠如しているということでもある。
どうしようもない耄碌ぶりである。

耄碌とは何か?

【耄】は日本語では「老いぼれる」ことを言う。【耄】という字は「老」の下に「毛」という字を書く。
この場合の「毛」は「細い・衰えた」の意味である。
【碌】は「碌すっぽ」の碌。
「碌ずっぽ 」とは、下に打消しの言葉を伴って、物事を満足に成し遂げないことを表す言葉。
Yahoo! JAPAN知恵袋

【老人性痴呆】より
…65歳以上に発症する脳萎縮に基づく痴呆を主徴とする老年精神病をいい,医学的には老年痴呆という。65歳未満に発症する初老期痴呆の一つであるアルツハイマー病と病理学的には差がない。最近は,したがってアルツハイマー型老年痴呆senile dementia of the Alzheimer typeと呼ばれる。症状の中心は痴呆であるが,初発の症状としては,(1)記銘力障害(最近の出来事を覚えられない),(2)失見当識(時間や場所の見当がつかない)の二つに加え,(3)判断や計算などが極端に悪くなる。…
世界大百科事典内のもうろく(耄碌)の言及 

人間は、高齢化するに従い、認知能力が弱まるのは避けられない。
病的になれば、認知症ということになる。
石原氏は、すでに認知症のレベルに至っているように見える。
現状は、自己中心が高じて、すでに極論の域を超えている。

私は、異端を排除しろという意見には反対である。
しかし、正常な認識ができなくなったら、少なくとも表舞台からは退場すべきだと考える。
過去の名声に捉われて、誰も率直に言わないのではないか?
失言大魔王の森元総理が、石原氏を評して、「あの方、我が儘な方ですから」と言ったという。
この限りでは、的確な評言である。

石原氏も、日本維新の会も、賞味期限切れということだろう。
こんなことでは、ますます自民党が、我儘をし放題、やりたい放題になってしまうだろう。
国会も健全なバランスを保って欲しいものだ。

石原氏には、『老いてこそ人生』幻冬舎文庫(2003年7月)という著書がある。
信長が桶狭間の一戦を前にして舞ったという「敦盛」とハップル望遠鏡について触れつつ、以下のように書いている。

 六十五億光年という距離や時間と対比しての私たちの人生のせいぜい八十年という年月の意味合いは、塵のようなもの、在るのだか無いのだかわからぬくらいのもの、つまり、夢、幻のようなものだという実感をますます与えてはくれます。
 そしてその実感を踏まえて生きていくことにこそ人間は、他の動物は備えぬものごとへの認識を持ち、その上にさまざまな意識や精神や情念を持った私たち人間の人生の意味と価値があるに違いありません。

私も「老いてこそ人生」という言葉に同感を覚える。
しかし、
自らの「意識や精神や情念」が醜態をさらしていることを自覚していないとしたら、そうとばかりは言えない。


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2014年3月 8日 (土)

北海道電力の経営事情/ブランド・企業論(20)

電気エネルギーは、われわれが使うエネルギーの基本形態である。
日本では、電力会社が地域独占的に供給しているので、電力会社の経営状態は他人事ではあり得ない。
東京電力などは、福島第一原発事故ひとつで、事実上経営破綻の状態になった。
旅客では、JR北海道が事故続きで、事実上の破綻会社だと思われる。
⇒2013年11月18日 (月):JR北海道の民営化は間違いではなかったか?/ブランド・企業論(9)

北海道電力はどうか?
「日経ビジネスオンライン」の3月5日(水)号に、 田村賢司『北海道は「27%」の電気料金引き上げ!? 北電債務超過の瀬戸際が見せる日本の危機』 が載っている。
冒頭に、「経営悪化が電力料金の大幅引き上げか、原子力発電所の早期再稼働かを政府に迫ろうとしている」とある。
「電力料金の値上げ」と「原子力発電所の早期再稼働」は二者択一ということだろうか?
北海道電力の業績は、2012円3月期以降最終赤字が続いている。
Photo
日経ビジネスオンライン

これは、泊原発1、2号機が定期点検のため、運転を停止して火力発電へ転換し、燃料費が高騰したためである。
自己資本比率は昨年末(第3四半期)に、7.3%(単独決算)まで落ち込んだ。
このまま大幅赤字が続けば、来期は債務超過に陥る恐れもある。

債務超過となれば1年以内に解消しない限り上場廃止というのがルールだ。
そうなれば、株主に巨額の損失が発生する。
社債(電力債)の価値も大きく毀損するだろう。
個人投資家にも機関投資家にも膨大な負担をかぶせることになりかねない。

原発を再稼働させれば、赤字は回避できると見られる。
私は、原発の発電コストが安いというのは、変動費に限ればという条件付きだと思うが。
しかも、使用済み核燃用の処理のメドが立っていない現状では、変動費の算出自体も問題があると言わざるを得ないのであるが。

しかし、それらの条件を無視したにしても、原発再稼働は容易ではないだろう。
原発の再稼働申請は昨年7月から始まったが、審査は予定より大幅に遅れている。
もちろん、予定は電力会社の都合であって、原子力規制委員会の問題ではない。

北電は、電力料金の値上げに急速に傾いているという。
消費税が引き上げられ、物価もインフレに向かう最中での電力慮金値上げは、国民生活を破壊するだろう。
ちなみに、泊原発の再稼働が来期出来ない場合に、その分を火力発電で埋め合わせると27%のコスト増になるという。
一度に27%の値上げなど認められるわけはないだろう。

同期字には、繰延税金資産の会計処理の問題についても触れているが、それについては割愛する。
私は、核燃料サイクルが完成していない以上、原子力規制委員会の安全審査に合格したとしても、原発再稼働に反対する。
北海道は、風力という資源に恵まれている。
再生可能エネルギーのモデル電力会社としての方向性を考えるべきだと思う。

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2014年3月 7日 (金)

佐村河内守の罪と罰/人間の理解(2)

全聾の作曲家として、現代のベートーヴェンとも評された佐村河内守の楽曲が、実は別人の作品であったという事件で、佐村河内が謝罪会見を行った。
代作問題が発覚してから佐村河内が公の場に見せたのは初めてである。

会見に先立ち、報道陣に佐村河内が横浜市で2月に受けた聴覚障害検査の診断書が配られた。
診断書には、「障害の程度は、身体障害者福祉法別表に掲げる障害に該当しない」と書かれていた。
会場に姿を見せた佐村河内は、今までの長かった髪短く切り、髭も剃り、サングラスもかけていなかった。
全国ツアーのポスターと比べると、まるで別人のようである。
⇒2014年2月 7日 (金):佐村河内守代作問題/ブランド・企業論(18)

Photo_4
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030711560016-n1.htm

 記者会見場となった東京都内のホテルには、海外メディアを含む報道陣約300人が集まった。手話通訳者を伴って現れた佐村河内さんは、肩まであった髪をばっさりと切り、トレードマークのサングラスも外していた。
 記者会見は、ひな壇で約40本のマイクが並ぶ机の前に佐村河内さんが座り、壇の下に待機する通http://mainichi.jp/shimen/news/20140307dde041040021000c.html

冒頭に、佐村河内は、「この度は多大なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」と謝罪した。
そして、「誤りがあってはいけないので、紙に書いてまいりました」として、読み上げて関係者を特定しつつ、「本当に申し訳ございませんでした」と詫びた。

次いで、、聴力検査の結果や音楽への思いなどについて話し始めた。
障害者手帳については、聴覚障害がないという検査結果であり、障害者年金を受け取っていないことを説明した。
しかし、取材などで言葉がひずんでしまい会話が聞き取れないことがあるため、手話通訳が今も必要なことは間違いないとした。

ゴーストライターだった新垣隆氏との関係については、謝罪はなかった。
そして、新垣氏とのかかわりについて、次のように語った。

私が詳細な設計図を書き、新垣氏がそれを音にしていくというものでした。疑問なのは、師匠である三善晃氏に代作がバレることを恐れていたはずの新垣氏がなぜ今、暴露したのか、私にとっては疑問でした。
 ギャラについては、雑誌では新垣氏が『もうこんなことはやめましょう』と何度も私に言ったと書かれていましたが、ウソです。そんなことを言ったことは1度しかなかった。月刊誌『新潮45』で野口さんという方に書かれたときに、はっきり私に『こんなことはやめましょう』と言いましたが、そのときの1度だけです。
 それから、いま正直に言いますが、非常に言いにくいことですが、いつも私が新しいコンセプトを思いつき、新宿のある喫茶店で待ち合わせして新垣氏と話をするとき、曲の内容や構成について話した上でギャラを提示すると、彼はまず首を横に振ります。そして値段を、ギャラを上げると、渋い顔をして『うーん』となる。もう少し値をつり上げると、笑って『(そのギャラで)いいですよ』と。これがこの18年の真実です。私は(新垣氏が証言している)雑誌を見て目を疑いました。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030712130017-n1.htm

結局、佐村河内に創作の才能は無く、コンセプト(?)を提示したに過ぎなかったということだろう。
にもかかわらず、ばれると新垣氏を告訴すると息巻いている。
本当に謝罪の気持ちがあるのかどうか、疑ってしまう。
義手のヴァイオリニストについては、次のようである。

--一人の少女の人生をもてあそぶことがなぜできたのか
「何をもってして傷つけたというのか。記事には私の言葉が中略、中略とあって、全文が載っていない。私は(少女の)父親に対して選択を迫ったことはありません」
--なぜあなたは(少女に)義手を外せと仰ったのか
「サプライズで、義手のバイオリニストが登場したら、みんなが感動してくれると思いました」
--彼女の障害を使って感動させようとしたのか
「感動すると思いませんか」
--舞台の上で義手を付ければ感動すると
「僕はそれでよかったと思います」
--義手に感動するのではなく演奏に感動するのではないか。あなたは義手であることを見せようとしただけではないか。違う人の作った曲で、あなたはバイオリンを続けたいなら、私に謝れというメールを送っている。どういう根拠でそういうメールが送れるのか
「中学時代がバイオリニストになるには一番大事で、彼女が卓球部に入りたいと言ったので…」
--(発言を遮り)あなたはバイオリンの教師でも何でもない。なぜそんなことがいえるのか
「失礼します」
--彼女への謝罪の言葉を聞いていません
「そういう気持ちはあります。申し訳ありませんでした。ただ、絶対服従を迫ったことは絶対ありません」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140307/ent14030713330022-n4.htm

コピーしていて気分が悪くなった。
障害者に対する冒涜以外の何物でもないだろう。
NHKや朝日新聞など、メディア界のリーディング企業が、ベートーヴェンに擬すなどの形でこんな男の犯罪的行為のお先棒を担いでしまったわけで、その責任は重いとせざるを得ない。

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2014年3月 6日 (木)

柏通り魔容疑者の自己顕示の心理/人間の理解(1)

柏市の路上で男性2人が殺傷されるなどした連続通り魔事件の容疑者が逮捕された。
一連の事件は3日午後11時45分ごろまでの約10分間に、同じ市道の約50メートルの範囲で起きたものだ。
強盗殺人容疑で逮捕されたのは、現場近くに住む自称無職、竹井聖寿(せいじゅ)容疑者(24)である。

 Ws000001 捜査本部は同日朝から任意聴取した上で竹井容疑者を立ち会わせて自宅を家宅捜索した。捜査関係者によると、室内から血のついた凶器を含むとみられる複数の刃物が見つかった。
 逮捕容疑は3日午後11時37分ごろ、会社員の池間博也(いけまひろや)さん(31)の首などを複数回刺すなどして現金1万数千円などが入った手提げバッグを盗み、死亡させたとしている。
 竹井容疑者は、刺殺された池間さんと同じマンションの別フロアに住んでいた。竹井容疑者は4日夜、毎日新聞の取材に対し、自室の廊下から事件の一部始終を目撃したと言い、「(犯人が)倒れた男性の背中を何度も刺し続けた」などと説明していた。捜査本部は竹井容疑者と池間さんとの面識については、「把握していない」としている。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140306ddm001040179000c.html

市道の両脇には住宅が立ち並び、街灯が多く夜間でも比較的明るい場所である。
JR柏駅に近く、いつもは夜でも通行人は少なくない。
ひと頃、東大の柏キャンパスに用事があって、JRで行ったことも何回かあるのでなんとなくなじみのある場所である。
不可解なのは、竹井容疑者がメディアの取材に積極的に対応しているような様子であることだ。

 竹井容疑者は4日夜、事件現場からわずか約20メートルの場所にある自宅マンション前で、毎日新聞などの取材に約40分間、事件の一部始終を目撃したなどと説明していた。「犯人は笑いながら、何度も背中を刺した。その様子をスマートフォンで動画撮影した」とも話していた。
 竹井容疑者は午後8時半ごろから集まっていた記者に対し、3日深夜に大声を聞き4階の自室のドアを開けて廊下に出たところ、事件を目撃したと説明。「暗闇の中で光ったので刃物だと分かった」などと述べ、刃体の長さについても両手を広げて「これぐらい、30〜40センチはあった。牛刀のようだったが、柄の部分は見えなかった」などと語っていた。
 容疑者の特徴を「身長は約175センチで黒色ジャンパー姿。太ってもやせてもいない」と話し、1階に住んでいた池間さんについては「面識はない。同じマンションの住人が刺されるなんて分からなかった」としていた。
 さらに、犯行開始時から車を奪って逃走するまでの様子を動画で撮影したと説明。「動画は警察に渡したがSDカードにコピーを保存している」と話したため、記者が確認を求めると「警察に止められているから」と拒んだ。その上で「僕も早く(容疑者が)捕まってほしいと思っている。警察が明日公開するはず」と語っていた。
 竹井容疑者は首のあたりまで伸びた髪を茶色に染め、黒っぽい上着姿。「ハッハッハと奇声を発し、笑いながら刺した」と異常性を強調し、「見境無く襲いかかるのは怖い」などと話した。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140306ddm001040179000c.html

これはどういう心理であろうか?
陽動作戦のつもりなのか?
だとすれば、余りにリスク感覚が欠如している。
あるいは、現実と幻覚の区別がつかないというようなことなのか?
それにしては、応答に不自然さはないような感じである。

先日も、三重県四日市市で起きた中3女子生徒強盗殺人事件で高3男子生徒が逮捕されるという報道があった。

2  三重県朝日町で昨年8月、同県四日市市の中学3年、寺輪博美さん=当時(15)=が殺害された事件で、強盗殺人容疑などで今月2日に逮捕された県立高校3年の男子生徒(18)が事件後、ツイッターに「めっちゃやばいやん」「地元で女子中学生の死体が見つかったって…手の震え止まらん」などの内容を書き込んでいたことが、捜査関係者などへの取材で分かった。
 男子生徒は調べに「私が犯人です」と容疑を認めているといい、四日市北署捜査本部は書き込みをした動機や背景を詳しく調べる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140303/waf14030310080007-n1.htm

逮捕された少年は、女子生徒の遺体が発見された昨年8月29日午後、約2時間の間に自分の「ツイッター」で16回もツイートしていた。
しかし、翌日には1回だけで、その後は約1カ月の間、発信していなかった。
専門家は、「焦りや不安をかき消すためでは」と指摘している。

まあ、不安に駆られるのは分かる。
しかし、自分の投稿サイトを利用するのがよく分からない。
自分は無関係ということをアピールしたいという心理があったのか?

柏の事件は、秋葉原通り魔事件を思い出させる。
しかし、過去の通り魔事件では、犯人が金銭を要求するケースは珍しいが、竹井容疑者は、池間博也さんを刃物で刺殺した直後に、車で通りかかった男性に刃物を突きつけ3,500円入りの財布を奪うなど、一連の4件の犯行で3人が金銭や車を要求された。
秋葉原の無差別殺傷事件では、ネットの掲示板で、だれにも相手にされなくなって「孤立感を深めたこと」などが犯行動機だったとされる。
⇒2008年6月11日 (水):秋葉原通り魔と心の闇

大阪教育大付属池田小で児童殺傷事件を起こした男は、「捕まって死刑にしてほしかった」と事件の動機を語っている。
柏の事件は、これらの通り魔事件とは異質のようでもある。
何が動機だったのか?
「心の闇」といわれる部分は、まだまだブラックボックスのようである。

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2014年3月 5日 (水)

ビルマの竪琴の水島上等兵・安井昌二/追悼(48)

俳優の安井昌二(本名・四方正雄)さんが3日午前9時、急性心不全のため千葉県内の自宅で死去した。
最近は見た記憶がないが、子供の時観た映画『ビルマの竪琴』は印象に残っている。
原作は竹山道雄で、彼が唯一執筆した児童向けの作品である。

竹山道雄は、右派としての印象が強いが、『ビルマの竪琴』は旧制一高の教授として多くの教え子を戦場に送り出した体験に基づき発表したものである。
また1940年には、日独伊三国同盟締結に際して、全体主義の台頭に警鐘を鳴らした知識人である。
戦後直後から1950年代にかけては、当時の日本の社会主義賛美の風潮に抗してスターリニズムへの疑念を表明した。

『ビルマの竪琴』は、雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載された。
映画化は市川崑の監督による。
1956年と1985年に2回映画化されているが、私の記憶にあるのは、1956年の方である。

以下のようなあらすじである。

1945年7月、ビルマ(現在のミャンマー)における日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていた。
日本軍のある小隊では、音楽学校出身の隊長が隊員に合唱を教え、隊の規律を維持し、慰労し合い、団結力を高めていた。
彼ら隊員の中でも水島上等兵は特に楽才に優れ、ビルマ伝統の竪琴の演奏をよくした。
水島はビルマ人の扮装もうまく、その姿で斥候に出ては、状況を竪琴による音楽暗号で小隊に知らせていた。

やがて日本は無条件降伏し、小隊は捕虜となった。
しかし、降伏を潔しとしない小隊はいまだに戦闘を続けており、そのままでは全滅する。
日本軍を助けたい隊長は、降伏説得の使者として、竪琴を携えた水島が赴くことになる。
しかし、彼はそのまま消息を絶ってしまった。

収容所の鉄条網の中で水島の安否を気遣う隊員たちの前に、水島によく似た僧が現れる。
隊員は思わずその僧を呼び止めたが、僧は一言も返さず、逃げるように歩み去る。
やがて小隊は3日後に日本へ帰国することが決まった。
出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。
収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱する。
ついに青年僧はこらえ切れなくなったように竪琴を合唱に合わせてかき鳴らす。
隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけるが、彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。
「今こそ別れめ!(=今こそ(ここで)別れよう!)いざ、さらば。」と詠う別れのセレモニーのメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。
水島は、降伏を説得しに出かけた後、道々で無数の日本兵の死体を目にした。
水島は、英霊を葬らずに自分だけ帰国するわけにはいかないと、この地に留まることを決心する。
そして、水島は出家し、本物の僧侶となったのだった。

水島役を安井昌二が演じた。
他に、井上隊長役が三國連太郎、伊東軍曹役が浜村純、小林一等兵役が内藤武敏、馬場一等兵役が西村晃等のキャスティングである。

小学校の5年生の頃だから、反戦的な主張などは理解の外だったと思う。
しかし、『埴生の宿』や『仰げば尊し』のメロディが耳に残った。
水島上等兵のモデルは、ビルマで終戦を迎え、復員後僧侶になった群馬県の雲昌寺の中村一雄氏だという。
安井昌二さんは、劇団新派等で二枚目役として活躍したということだが、私は新派の舞台を見たことがない。
テレビドラマでは「銭形平次捕物控」「チャコちゃん」シリーズなどに出演したとあるが、これらの記憶もない。
水島上等兵だけで十分存在価値のある俳優だった。
合掌。

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2014年3月 4日 (火)

クリミヤ半島の帰趨/世界史の動向(9)

ウクライナ情勢が急迫化している。
歴史的な政争の舞台として有名なクリミヤ半島で、また戦火が上がる可能性も出てきている。

緊迫するウクライナ情勢を受けて、オバマ米大統領は3日、ロシアが南部クリミア半島で軍事活動を停止しない場合、「ロシアを孤立させ、経済に打撃を与えるあらゆる経済的、外交的措置を検討する」と明言した。米政府はロシアとの交流プログラムの凍結に踏み切り、欧州連合(EU)などと連携した対露包囲網の構築を急いでいる。一方、クリミア半島のロシア黒海艦隊がウクライナ軍に対し、4日午前5時(日本時間正午)を期限として最後通告を出したという報道について、ロシア側が否定した。「期限」を過ぎても戦闘発生は伝えられておらず、情報が錯綜(さくそう)している状況だ。http://mainichi.jp/shimen/news/20140304dde001030061000c.html

クリミヤ半島は、ウクライナの黒海に突き出た半島である。
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幅5-8kmのペレコープ地峡によって大陸とつながっている。
よく「半島の地政学」などというが、まさにロシアとヨーロッパの軋轢が土地に刻み込まれているような半島である。

オスマン帝国が露土戦争(1768年〜1774年)でロシアに敗れると共にロシアに従属し、1763年クリミヤ半島全域がロシア帝国に併合された。
特に、1853年〜1856年にかけて戦われたクリミヤ戦争は、近代史の1つの画期となる戦争であった。
クリミヤ戦争は、ナイチンゲールの名前で知られる。
クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革などにより、看護の世界のシンボルとなった。

この戦争によりロシアの後進性が露呈した。
産業革命を経験したイギリスとフランス、産業革命を経験していないロシアの国力の差である。
建艦技術、武器弾薬、輸送手段のどれをとっても、ロシアはイギリスとフランスよりもはるかに遅れをとっていた。
オーストリアも国際的地位を失い、サルデーニャや、戦中に工業化を推進させたプロイセン影響力を持つようになった。

第二次世界大戦では、ソ連の祖国防衛戦争の激戦の舞台となった。
1944年、リスターリン政権により、クリミア半島はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一部として統治された。
1955年、祖国防衛戦争勝利の10周年を機に、ウクライナ融和策の一環としてウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管され、1991年のソ連崩壊後、独立したウクライナの一部となった。
1992年5月5日、クリミア半島は独立を宣言したが、のちにウクライナ内の自治区となることで同意、クリミヤ自治共和国が成立した。

第二次世界大戦末期、ヤルタ近郊でアメリカ、イギリス、ソビエト連邦による首脳会談が行われた。
ソ連対日参戦、国際連合の設立について協議されたほか、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定し、東西冷戦の端緒ともなった。
まさに世界史の動向に大きな影響を与えてきた半島である。

報道を見る限り、ロシア支持は圧倒的に少ないようだ。
北方領土問題との兼ね合いで、日本はどのような対応をするのであろうか。

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2014年3月 3日 (月)

不適格な籾井NHK会長の任命責任/アベノミクスの危うさ(28)

選りによって、何でこの人だったのか?
そんな疑問を抱いてしまう。
およそ品格というものが感じられない人物が、公共放送を代表するポストに座っている。

NHKの籾井勝人会長が1月25日の就任初日、10人の理事全員に辞表を提出させていたことが2月25日に判明した。
この日午前の衆院総務委員会に参考人として招かれたNHK理事10人が提出を認めた。
民主党の福田昭夫氏の質問に対する答弁で、各理事は「日付は空欄のまま署名、押印して提出した」などと述べた。

「日付を空欄とし、署名、捺印(なついん)した辞表を提出しました」「私も提出しました」「私も……」
 衆院総務委で福田昭夫氏(民主)の質問に理事10人が辞表提出を認めた。籾井氏は当初、人事案件を理由に答えなかったが、理事の答弁後は「各理事は事実をそのまま述べた。それはそれでけっこう。私がどう思うかは別問題」と述べた。
 NHK会長には理事を罷免する権限があるが、職務上の義務違反などがあった場合などに限られ、経営委員会の同意も必要。このため2年間の任期満了前に会長の意向で辞任させる場合は、会長が本人に辞表提出を要請するのが通例だ。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/25/mom_n_4851423.html?utm_hp_ref=mostpopular

これでは、籾井氏も、もうもたないであろう。
就任記者会見での不適切発言を、経営委員会で「どこが失言だったのでしょうか」と開き直るなど、反省が全く感じられない。
部下の理事に辞表を出させていたこともごまかそうとしたのに、理事10人が「嘘はつけない」と反旗を翻した。
国会の質疑で、辞表を提出させられたことを認めるということであるから、これ以上の証言はないだろう。

籾井氏は、「こういうことは一般社会ではよくあることだと私は理解しています」と言っている。
しかし、私の体験の範囲では、少なくとも「よくあること」ではない。

一般社会、つまり民間企業で、社長が就任早々に役員に辞表提出を求める事などあり得るのか。何の落ち度もないのに、唐突に辞表提出を求められ萎縮しないで仕事ができるのか。企業のコンプライアンスやコーポレート・ガバナンスに詳しい牛島信弁護士は、「一般的によくあることとは到底思えません。よくあるなら、私は必ず経験してます」と話す。
http://www.j-cast.com/tv/2014/02/27197827.html

NHK会長には理事を罷免する権限はあるが、職務上の義務違反などがあった場合などに限られ、経営委員会の同意も必要とされる。
このため2年間の任期満了前に会長の意向で辞任させる場合は、会長が本人に辞表提出を要請するのが通例だ。

籾井氏が自発的に辞任しない場合はどうなるか?
NHKの会長は国会が同意した経営委員によって選ばれる。
NHK経営委員は、任期3年で、NHKの経営方針、事業計画、番組編集計画などを決める経営委員会のメンバーのことであるが、経営委員も問題含みである。

安倍首相は昨秋、自らに近い4人を任命したが、百田尚樹氏は東京都知事選の応援演説で「南京大虐殺はなかった」などと発言し、長谷川三千子氏は、朝日新聞東京本社で93年に拳銃自殺した新右翼活動家・野村秋介をたたえる追悼文を委員就任前に寄稿していた。
⇒2014年2月 9日 (日):都知事選と安倍政権批判/花づな列島復興のためのメモ(305)

自分の耳に快適な意見を聞いていると、次第に客観的な判断力を失ってくる。
行きつく先は、自分が裸であることにも気がつかない裸の王様だ。
⇒2013年10月17日 (木):安倍首相は裸の王様か?/アベノミクスの危うさ(16)

「籾井辞任シナリオは3つです。NHK予算は現在、衆院審議中。辞めなければ衆院を通さないぞ、と迫るのがひとつ。2つ目は衆院は通すが野党が元気な参院段階で、紛糾を理由に辞任を迫るシナリオ。それでも辞めなければ、予算を通さない。立ち往生させて辞任に追い込むシナリオです。こうしたプランが先週あたりから永田町を駆け巡っている。当然、会長へのプレッシャーになっていくと思います」(政治解説者・篠原文也氏)
http://gendai.net/articles/view/news/148314/2

いずれにせよ、籾井氏が会長を続ければ続けるほど、問題は拡大するだろう。
敵なしのように見える安倍体制も、盤石とはいえないようだ。

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2014年3月 2日 (日)

原発がベースロード電源になり得るのか/原発事故の真相(107)

中長期のエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の政府案が、2月25日に公表された。
原発を「エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」と位置づけ、安全性が確認されたものは再稼働を進めるとしている。
昨年12月時点では、原発は「ベース電源」であった。

「ベース電源」と「ベースロード電源」。
言い換えることの趣旨はどこにあるのか?
またまたレトリックによって、目くらましをしようということであろうか?

「ベースロード」とは常時継続的に供給を求められる電力量である。
それを供給する発電所などが「ベースロード電源」ということになる。
つまり、電源の種類や性格として説明しすることによって、「ベース」という位置づけ、基盤にするという判断を隠蔽しようということであろう。
何ともこそくではないだろうか。
「ベース電源」と「ベースロード電源」について、以下のような解説がある。

結論を言うと、「ベース電源」と「ベースロード電源」はどちらも「電気を安定的に供給する電源」という意味で、大きな違いはない。もともと海外では「ベースロード電源」と呼んでいるため、海外にならって文言を揃えただけとも言える。
しかし、これまでと今回の案では、ベースロード電源の「説明」に違いが見られる。これまではベース電源を単に「安定供給を行える電源」と説明していたのに対し、今回の案では「発電コストが安い」ことを説明に加え、原発がベース電源として必要であることに説得力を持たせているのだ。
これまで資源エネルギー庁では、日本における電源設備を3つのタイプに分類していた。常にほぼ一定の出力で運転を行う「ベース供給力」、電力需要の変動に対応して稼働し主としてピーク時に必要な供給を行う「ピーク供給力」、両者の中間的の役割をもつ「ミドル供給力」である。Photo

http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/25/nuclear-power-base-load-energy-source_n_4852262.html

要するに、基底的な需要に対応する電源ということだと理解できる。
昼夜を問わず供給し続け、それなしでは、経済も暮らしも立ちゆかないような電源である。

しかし、原発がそういう電源として位置づけられるだろうか?

福島原発事故の検証が終わっていない段階で、そういう位置づけをすること自体、危ういことであろう。
事故が津波だけによるものなのか?
震度はいくつまで安全なのか?

原発のコストは、本当に安いのか?
コストには、どこまで含めているのか?
燃料費だけみれば安いのかもしれないが、ライフサイクル全体でみた場合はどうなのか?
事故の場合の対策費、補償費は十分に見込んでいるのか?

それに、廃棄物問題をどうするのか?
昼夜、運転をすれば昼夜核廃棄物が生成する。
現状は、増え続ける核のごみの処理策がない。
そういう状態で廃棄物を増やし続けることを基本とするというのは、正常な精神とは思えない。

早く再生エネルギーへの転換を図るには、どうすべきかこそが計画されなければならない。
格好のフロンティアを座視しているだけでいいのだろうか?
原発依存を続ければ、それだけフロンティアへの参入が遅れるだけではないのか?

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2014年3月 1日 (土)

「ぞうさん」の童謡詩人 まど・みちお/追悼(47)

戦後を代表する童謡詩人のまど・みちお(本名石田道雄=いしだ・みちお)さんが、2月28日、老衰のため亡くなった。
1909年〈明治42年〉で、104歳だった。

私の母も同年生まれだったから、「そうか!」という感慨が湧いてくる。
母が死んだのは1997(平成9)年だったが、87歳だった。
その時は大往生だと思ったが、まどさんに比べれば、まだまだだったということになる。

まどさんの作詞した童謡はたくさんある。
とりわけ、次のような作品は多くの子供たちに愛唱された。

「やぎさんゆうびん」
「ぞうさん」
「ふしぎなポケット」
「一ねんせいになったら」

童謡「ぞうさん」は、1948年に書かれたものだ。
1953年に團伊玖磨が曲をつけてNHKラジオで放送された。

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ

2009年に100歳になったまどさんを取材した井上圭子さん(東京新聞記者?)は、次のようなメッセージを聞き取っている。

 童謡「ぞうさん」には、人間の子どもに対するメッセージが込められていた。「『鼻が長い』と言われればからかわれたと思うのが普通ですが、この子ゾウは『お母さんだってそうよ』『お母さん大好き』と言える。素晴らしい。人の言うことに惑わされて、自分の肝心な部分を見失ってしまうのは残念です」
・・・・・・
「世の中にいきるものはすべて、たったひとつの存在です。そのものが、そのものであるということ。それだけで、ありがたく、うれしく、尊いことです」
「池の水面をアメンボが動くと、アメンボの周りに輪が広がります。不思議だなあと思います。あんなに小さいものが、あんなに大きな水を動かすなんて」
「ぼくはタタミイワシを毎朝パクパク食べるのに、腕にとまった蚊はかわいそうで殺せない。矛盾だらけです。生きものの命を食べずに生きている生きものはいませんが、食べない生きものまで殺すのは人間だけです」
・・・・・・
「生きていると必ず、毎日、新しく見つけるものがあります」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014022802000242.html#print

まどさんにも、戦争体験がある。
1943年、召集によって台湾の船舶工兵隊に入り、マニラを皮切りに各地を転戦した。
終戦はシンガポールでを迎えた。
この戦場での体験が、生きる者への優しい眼差しや「生きる意味」といった作品のメッセージに繋がっているのであろう。

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