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2014年2月22日 (土)

原発は「日本の生命線」か?/花づな列島復興のためのメモ(310)

1929年、アメリカの株価は大暴落した。
最初の暴落は1929年10月24日(木曜日)に起こった。
続いて壊滅的な下落が、28日(月曜日)と同29日(火曜日)に起こり、アメリカ合衆国と世界に広がる前例の無い、また長期にわたる経済不況の警鐘と始まりに急展開した。
いわゆる世界大恐慌である。

それは1930年以降、日本にも波及し、未曾有の大不況を引き起こした。
特に農村部の疲弊は凄まじかった。
食うにも事欠く状態で、「娘の身売り」が常態化した。

この難局を打開するための戦略として、満州に目が付けられた。
満州は軍事上の重要拠点だった。
いわゆる地政学の視点で考えると、日本の安全保障上、仮想敵国・ソ連から朝鮮半島を防衛することは最重要課題であった。
朝鮮半島防衛のためには、満州の実効支配が必須と考えられた。

また、満州は生産拠点としても魅力的だった。
撫順には炭坑(石炭)があり、鞍山には鉱山(鉄鉱石)があった。
撫順と鞍山は120kmしか離れていず、製鉄業に最適だった。

さらには、満州への移民により、農村の生活難を救うことができる可能性がある。
農村部から「満蒙開拓移民団(満蒙開拓団)」を募集し、満蒙(満州と内蒙古)に移住させた。
Photo
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-199.htm

いろいろな意味で、満州を支配することは魅力的だった。
中国の言い方に倣えば、満蒙は日本の核心的利益と考えられたのである。

1931年1月の衆院本会議で元外交官で元満鉄理事でもあった新人代議士の松岡洋右(政友会)が幣原外相に対し質問をした。
松岡は幣原外相の国際協調外交路線を批判し、また満州・内蒙古(満蒙)問題についても日本にとって国防上、経済上の重要地域だある事を力説し積極的な進出と処理を訴えた。
この時に言ったフレーズ、「満蒙問題は日本の生命線である」が流行語になった。

「週刊現代」3月1日号に、保阪正康氏と轡田道史の対談『昔「満州」、いま「原発」-「日本の生命線」なんてウソばかり』という記事が載っている。
両氏は、松岡洋右の「満蒙問題は日本の生命線である」を引用しつつ、「満州がなくなった方が日本は発展した」という小泉元首相の言葉を紹介している。
もちろん、当時も石橋湛山元首相らの「小日本主義」のように、帝国主義的拡大路線を批判する良識的主張もあった。
小日本主義とは、日本が朝鮮・台湾などの植民地経営を行っても行政コストなどの面で出超となるので、それらの領有を放棄した方が良い。
「主権線」を内地すなわち日本本土のみとした方が軍事負担も小さく、「通商国家」として繁栄を謳歌しようという思想であった。

両氏の歴史認識に100%賛同するわけではないが、厚みのある文化教養を身につけていないと単色の愛国心を持ちがちになる、というのはその通りであろう。
軍人はその典型で、田母神俊雄氏は、単色というよりもっと単純と評している。

島国日本の生命線とは、脳の中にある。
すなわち、心、知力、想像力である。
特定の資源をさして「これが日本の生命線だ」と考えて、その入手に過剰にこだわると失敗する、というのが結論である。

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