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2014年2月25日 (火)

生か美か・山本兼一/追悼(46)

うかつにも、山本兼一さんの死去を知らなかった。
去年の12月に、映画『利休にたずねよ』を観た。
原作者の山本さんは、私より一回り若いから、まだまだ多くの作品を送り出してくれるものと思っていた。
2月25日付の沼津のコミュニテュイ・ペーパー「沼津朝日」の投稿文で、逝去を知った。

山本兼一-Wikipediaによると、以下のような経緯であった。

2012年10月に肺腺癌で一度入院。2013年12月中旬に病状が悪化して再入院し、病床で執筆を続けていた。2014年2月13日午前3時42分に原発性左上葉肺腺癌のため京都市の病院で死去。57歳没。
雑誌『中央公論』に2013年11月号から連載していた「平安楽土」が絶筆となった。最後となった同作の第6回を編集者に送ったのは死去前日、亡くなる約5時間半前であった。

まさに、作家魂という感じである。
映画で利休を演じたのは、市川海老蔵である。
暴力事件に巻き込まれるなどして良くないイメージもあったが、さすがに存在感のある演技であった。
また、若い利休の茶の湯の師匠である武野紹鴎役に、昨年2月に亡くなった市川團十郎が出演している。
⇒2013年2月 5日 (火):無間地獄の闘病生活・市川團十郎さん/追悼(26)

團十郎は、 息子を案じての出演だというが、次のように言っている。
  「利休を演じる海老蔵は持ち前の鋭さをもってして、美を見極めようとした利休の才能の一片を演じているのかなと、一緒に出てみて感じました」
海老蔵も本望ではなかろうか。

映画の中に黒樂茶碗が登場する。
昨年、佐川美術館や樂美術館で見たものだ。
樂家には「ちゃわん家」の暖簾がかかっていたがルーツは瓦家らしい。
⇒2013年4月26日 (金):樂美術館/京都彼方此方(5)
⇒2013年4月25日 (木):佐川美術館

「沼津朝日」の文章の筆者は、加藤靖雄さんという人で、静岡・山岡鉄舟会の会員ということである。
山本さんに、山岡鉄舟を描いた『命もいらず名もいらず』があるが、鉄舟会との因縁は深いようだ。

『利休にたずねよ』は、第140回(平成20年度下半期) 直木賞受賞さくである。
利休は、秀吉の参謀としても、その力を如何なく発揮し、秀吉の天下取りを後押した。
しかしその鋭さゆえに秀吉に疎まれ、理不尽な罪状を突きつけられて切腹を命ぜられる。

命じられた切腹は、果たして自殺なのか、他殺なのか?
江藤淳が自殺した時、 「文學界」1999年11月号で「『江藤淳の死』再考」という特集を載せた。
中では、山田潤治という人の『自決することと文学の嘘』という文章が印象的であった。...
山田氏の論考は、参照されることの多いエミール・デュルケムの『自殺論』とは別の枠組み、
「他殺-自殺」、「自然死-自殺」という2つの軸で捉えようと試みる。

「他殺-自殺」は、たとえば目の前に迫った死に対して、みずからの身体をどう処決するか、という選択である。
典型として、信長に叛旗をひるがえした松永弾正の、信長の垂涎の「平蜘蛛の釜」を信長の差し出せという命に対して、城の上から叩きつけて自害するという選択がある。
あるいは壇ノ浦で知盛の「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」と言い残して海に没したとされる選択。
彼らは、死すべき運命を感知し、それに逆らわず死を甘受する意思を示すかのように、みずから命を絶つ。

「自然死-自殺」は、自然死の対極として自殺を捉える。
自然死という運命に逆らって先取りする自殺であり、「生」と「死」の選択肢において、「死」を選ぶという選択である。
この場合、必ずしも死は逃れられないという状況ではない。
死ぬことによってどのような評価が得られるか、他人にどのように理解されるかを判断した上での自殺である。
つまり「名」を残すために「死」を選ぶのであり、自覚的な自殺と言うことができる。

『利休にたずねよ』では、高麗の女性との悲恋が1つの鍵になっている。
政治権力は不合理な要求を突き付ける。
それに反抗するのは、死を意味する。
現代でも、北朝鮮やウクライナ等の権力者の要求と私生活。

利休は秀吉に切腹を命ぜられる。
利休は言う。
「私が額づくのは、美に対してだけだ」
この美は、女性の美か、茶碗の美か。

どちらでもいいことだろうが、映画を観ていて気になった。
早過ぎる死である。
合掌。

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