半導体戦争における巨艦日立の沈没/ブランド・企業論(14)
かつて半導体が「産業のコメ」と呼ばれた時代があった。
「産業のコメ」とは、産業の中核を担うものの意味である。
幅広い分野で利用され、産業全体の基盤となり、生活に必要不可欠なものをいうが、高度成長期は鉄鋼、1970年代後半以降は半導体がそう呼ばれた。
半導体が「産業のコメ」の時代、半導体製造企業は花形だった。
成績優秀な学生は、競って半導体製造企業を目指した。
ところが、国際競争が激化し、サムソンをはじめとする韓国勢の台頭とコスト競争が激化し、日本企業は苦戦を強いられるようになる。
NEC・日立・三菱と、代表的な国産半導体製造企業集結してしてエルピーダメモリ社が発足したが、業績不振で会社更生法の適用を受ける有様だった。
⇒2012年2月28日 (火):硅石器時代とエルピーダの破綻/花づな列島復興のためのメモ(29)
⇒2012年1月13日 (金):経済産業省審議官の法律感覚
かつての花形事業が、統合して新会社を作らざるを得なくなった末に会社更生法を適用されるまでに至った経緯はどういうことか。
それでも、1990年段階では、日立製作所は、世界第4位の位置にあった。
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXDZO64880830U4A100C1TY8001
日立は、もともと東京電力などに発電設備を納める重電事業が主流であった。
歴代トップは、ほとんど重電出身者が占め、1950年代に始まった半導体は、伸び盛りの事業として目立ってはいたが、社内の基盤は弱かった。
日立が営業利益で最高益を上げたのは、今から23年前の1991年3月期。当時の稼ぎ頭はメモリーであり、半導体部門が全社の収益を支えた時代もある。それでも、半導体プロパーで社長はおろか副社長になった人はいない。専務も牧本1人にとどまる。
同上
半導体の世界には、「ムーアの法則」と呼ばれる有名な経験則がある。
⇒2013年7月 5日 (金):ビッグデータ・ブームは本物か/知的生産の方法(66)
Wikipedia-ムーアの法則
一般には、集積回路上のトランジスタ数は「18か月ごとに倍になる」と表現される。
したがって、臨機応変、状況に応じて変わることが重要である。
日立の社風の大きな特徴は予算主義であるといわれる。
各事業部門が次の年度の売上高や利益、投資額などの詳細な予算を立て、その達成度合いを評価指標とする。
この予算主義は、重電には馴染むが、市況の変化しやすい半導体や家電には馴染まない。
急成長したサムスン電子はカリスマリーダーのもとで、市況が低迷している時にあえて巨額の投資をした。
予算主義の会社では、赤字の事業部門は新規投資をし難い。
急速に進む技術革新のダイナミズムにおいて行かれることになるのは、ある意味で必然である。
を経営陣がどこまで理解したかが、彼我の格差を生んだ大きな要因だ。する逆張りの発想で成功した。
いわゆる事業ポートフォリオを一律の基準で考えてはいけないということだろう。
技術革新の早い分野でどう事業を構築するかは、アベノミクスでは解けない日本の産業界の課題であろう。
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