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2014年1月18日 (土)

残置諜者のヒロイズム・小野田寛郎/追悼(43)

小野田寛郎さんが、東京都内の病院で16日に亡くなった。
旧日本軍の陸軍少尉として派遣されたフィリピン・ルバング島の山中で、1974(昭和49)年まで約29年間潜伏し、日本に帰国した。
敗戦から帰還までの経緯は以下のようである(Wikipedia)。

1945年8月を過ぎても任務解除の命令が届かなかったため、赤津勇一陸軍一等兵(1949年9月逃亡1950年6月投降)、島田庄一陸軍伍長(1954年5月7日射殺され戦死)、小塚金七陸軍上等兵(1972年10月19日同じく射殺され戦死)と共に戦闘を継続し、ルバング島が再び日本軍の制圧下に戻った時のために密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける決意をする。日本では1945年9月に戦死公報を出されたが、1950年に赤津が投降したことで、小野田ら3人の残留日本兵が存在することが判明する。
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また、後述する捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、当時の日本の情勢についても、かなりの情報を得ていた。捜索隊はおそらく現在の情勢を知らずに小野田が戦闘を継続していると考え、あえて新聞や雑誌を残していったのだが、皇太子成婚の様子を伝える新聞のカラー写真や、1964年東京オリンピックや東海道新幹線等の記事によって、小野田は日本が繁栄している事は知っていた。士官教育を受けた小野田はその日本はアメリカの傀儡政権であり、満州に亡命政権があると考えていた。
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小野田は発見時は51歳だったが、自分の寿命は60歳と決めていて、あと9年経って60歳になったらレーダー基地に決死の突入攻撃をして果てる覚悟だったという。

私は、小野田さんが帰国した当時のことは、記憶にある。
当時大々的に報じられたが、ジャングルで孤独な戦いをしていたという人に、違和感があった。
私が生まれた頃からずっと、彼の意識においては戦闘状態だったというのである。

孤島で、限られた情報しか得られない中で、1964年東京オリンピックや東海道新幹線等の記事によって、日本が高度成長をしていることを知りながら、満州に亡命政権があると考えていたという判断。
なんとちぐはぐで、痛ましささえ感じる。
アナクロニズムであるが、ヒロイズムでもあろう。

“発見”から帰国に至る経緯は以下のようだった。
1974年2月、青年探検家の鈴木紀夫さんが会うことに成功し説得。
戦時中の上官に当たる元少佐が現地入りして3月9日、小野田さんに「任務終了と武装解除」を「命令」した結果、フィリピン軍に投降。
同12日、51歳で30年ぶりに帰国し、待ち続けていた父母と対面。
「任務終了と武装解除」の「命令」を受けて「投降」とは、なんと芝居がかったことをするのか、という印象だった。
もちろん、本人は大真面目だったのだろうが、大日本帝国陸軍の犠牲者であることは否定できない。

しかし、私たちが生きているこの日本社会こそ、虚像であると言われれば、そうかも知れないという感じもまた否定できない気もする。
かつて三島由紀夫が書いたように、日本はますます「無機質な、空っぽな、ニュートラルな」国になりつつある。
現在も、経済成長をしなければとアベノミクスを囃している。
ナショナリスムとグローバリズムが無反省に融合したニッポン。

帰国後は、ブラジルで牧場を経営し、76年に結婚。
日本とブラジルを行き来しつつ、講演活動などを続けた。
次世代育成のため、自然との付き合い方などを教える「小野田自然塾」も運営し、福島県塙町でキャンプ活動も行っていた。

小野田さんの生前の最後のインタビューが「日刊スポーツ」紙のサイトに載っている。
特に、以下の部分が心に残った。

ジャングルの中で、実は一番怖いのが雨なんです。たとえ熱帯でも、寝ている間、雨に打たれ続けたら死にますから。洞穴入ったり、掘っ立て小屋を造ったり。考えてみれば、昔から人間が一番必要としていたのは雨よけなんですね。今でも雨が降ると、あの時はあんなひどい思いをした、というのがよみがえってくる。『雨の音がしないところにいきたい』と寝言で言ったというんですから。雨音がすると、記憶が戻っちゃう。でもね、人間雨水がなければ干上がっちゃう。雨がなくては生きていけない。毎日何リットルか水分を取らなくては死んでしまう。だから、どうしても自然には従順になる。逆らっては生きていけないんです
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20140117-1245255.html

「水のある惑星」といわれるように、地球に生命が誕生する上で、水は不可欠の条件だった。
水は生存に必須の資源であると同時に、生存を脅かす存在でもある。
91歳というから、長寿化が進んだ現在でも、大往生と言っていいだろう。
合掌。

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