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2013年12月30日 (月)

千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社/「同じ」と「違う」(67)

安倍首相の靖国神社参拝が賛否両論を呼んでいる。
私の周辺でも「戦没者を慰霊するのは当然だ」とか「他国から批判されたくない」といった意見は少なくない。
代表は橋下大阪市長だろう。

 安倍晋三首相が東京都千代田区の靖国神社に参拝したことを受け、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は26日、「日本のために命を落とした英霊に敬意を表するのは当たり前」と語り、安倍首相の参拝を支持した。
http://news.livedoor.com/article/detail/8384135/

しかし、靖国神社に参拝するということは、「日本のために命を落とした英霊に敬意を表する」だけの意味に留まらない。
それは、靖国神社の本来的機能が、戦死者を「顕彰」することによって、戦死者を「犠牲者」ではなく「英霊」に昇華させるものだからである。
⇒2013年12月27日 (金):慰霊と顕彰/「同じ」と「違う」(66)

予想されたように、中国・韓国の激しい反発を招いている。
わが国も大きな被害を受けてはいるが、国土が直接戦場になったのは、沖縄だけと言ってよい。
中国は戦場になっているし、韓国は植民地として支配されたのである。

安倍首相の談話に関し、激しく批判しているのが、浜矩子同志社大学教授である。
東京新聞12月29日の「時代を読む」欄で、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。」としているくだりである。
私も、相手はそう理解しないだろうと書いたが、浜教授は、英文を引いて批判する。

It is not my intention at all to hurt the feelings of the Chinese and Korean people.

「It is not my intention at all 」について、intentionは「意志」あるいは「意図」の意だが、「そんな意志は全くございません」「そのようなことは、全然意図しておりません」という言い方に、誠意がないという。

 意図してさえいなければ、どんな結果を招いてもいいというのか。許されるというのか。こちらに傷つける意図がなければ、相手は決して傷つかないとでも思うのか。あるいは、こっちが意図していないなら、傷つく方が悪いというのか。勝手に傷つくなら、致し方ない。知ったことか。そういうことなのか。
 この種の発想で突っ放して行く人は、やがて、次のようにいうようになる。「そんなつもりじゃなかったんです」。これが出た時は、もう手遅れだ。

激烈な批判である。
そして、このような態度を「幼児的感覚」とする。
子どもと大人の違いは、人の痛みが分かるか否かである。
浜教授の専門は、Wikipediaに「国際経済学」「国際金融論」「欧州経済論」とあるが、アダム・スミスの『国富論』は『道徳感情論』が前提になっているのだ、としている。

安倍首相の靖国参拝に関して、外務省を「解雇」された(外務省は人事の問題であって「勇退をお願いした」と説明)天木直人氏は、10月4日付のブログ「ケリー、ヘーゲルが千鳥が淵墓苑に顕花した衝撃」で、次のように書いた。

 安倍首相は歴代首相の中でも最も日米同盟にそぐわない首相だ。
・・・・・・
 私が安倍首相が日米同盟になじまない首相だと思うのは、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって千鳥が淵墓苑を訪れて顕花したことを知ったからだ。
 これが衝撃的な外交事件だ。
 安倍首相はさぞかし腰を抜かしたことだろう。
 これは、米国が日本の戦没者を追悼する場所は、安倍首相が言うような靖国神社ではなく、千鳥が淵だと言っているのである。
 米国のアーリントン墓地に相当するのは靖国ではなく千鳥ヶ淵であると言っているのである。

http://www.amakiblog.com/archives/2013/10/04/

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、日本国政府が設置した戦没者慰霊施設である
政教分離の原則により、特定の宗教宗派に属さない施設とされている。
戦没者の慰霊・追悼のためならば、憲法違反の疑いもある靖国神社よりも、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の方が相応しいはずである。

公用車を使い秘書官を伴った小泉首相(当時)の参拝について、大阪高裁が違憲と判断している。
安倍首相は、私人としてとしている。
しかし、公用車に乗り、SPや公設秘書官を伴っており、憲法違反を疑われる余地はある。
天皇誕生日における陛下の以下の言葉を、安倍首相はどのように解するのであろうか。

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html

自民党の改憲草案は、第20条 (信教の自由)で、次のようになっている。


国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。
ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
http://tcoj.blog.fc2.com/blog-entry-20.html

前段は現行憲法と同じであるが、ただし書きの部分を付加している。
靖国参拝も、「範囲」であるとの解釈によって、堂々と行えることを目論んでいるともいえよう。
このような恣意的な解釈を許すことが、特定秘密保護法と同様に危険なことである。
あるいはそれが麻生氏の「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」という発言の意味することなのか?
⇒2013年8月 4日 (日):撤回では済まされない麻生副総理の言葉

安倍首相はなぜ靖国神社を選んだのか?
おそらくは、A級戦犯容疑に問われた祖父・岸信介への思いがあるのだろう。
しかし、それは私的な感情と言うべきである。
外交よりも私的感情を優先したと批判されても止むを得ないだろう。

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