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2013年12月10日 (火)

北朝鮮における政変の意味/世界史の動向(5)

北朝鮮の朝鮮中央通信社(KCNA)は、9日、張成沢(チャン・ソンテク)氏を「犯罪行為」のため解任したことを伝えた。
失脚が推測されていたが、どうやら事実として粛清されたらしい。
No.2と目されていたのだから、政変と呼んでいいだろう。
⇒2013年12月 5日 (木):張成沢北朝鮮国防委副委員長失脚か?/世界史の動向(4)

独裁体制下では、今さら粛清劇は目新しいものではない、とも言える。
粛清は、1930年代のスターリンの大粛清を始め、20世紀政治史の一側面でもある。
大粛清-Wikipediaは、概要を以下のように記す。

ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた。ただしこの人数は反革命罪で裁かれた者に限る。
・・・・・・
1940年にトロツキーがメキシコで殺された後は、レーニン時代の高級指導部で生き残っているのはスターリンだけであった。また大粛清以前の最後の党大会(1934年)の代議員中わずか3%が次の大会(1939年)に出席しただけであった。
・・・・・・
党指導者を目指してスターリンに対抗していた者は全て見せしめ裁判(モスクワ裁判)で笑いものにされ死刑の宣告を受けた。ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、トムスキー、ルイコフ、ピャタコフ、ラデックはイギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、ポーランド、日本のスパイもしくは反政府主義者、あるいは破壊活動家という理由で、さらし者にされた上で殺された。
赤軍も5人の元帥の内3人、国防担当の人民委員代理11人全員、最高軍事会議のメンバー80人の内75人、軍管区司令官全員、陸軍司令官15人の内13人、軍団司令官85人の内57人、師団司令官195人の内110人、准将クラスの将校の半数、全将校の四分の一ないし二分の一が「粛清」され、大佐クラス以上の将校に対する「粛清」は十中八九が銃殺である。

引用していてもゾッとするが、大粛清は私にとっては文献的な知識であった。
リアルタイムで体験したのは、中国の文化大革命のである。
文化大革命のきっかけとなったのは毛沢東が実権を握っていた劉少奇からの実権奪還を目的として林彪に与えた指示であった。
林彪は自分の権力を高める好機としてこれを利用したした。
1966年8月、毛は劉打倒に動き出し、劉を弾劾する演説を起草して、本人が出席している党中央委員会で、それを読み上げ失脚させた。
そのニュースが流れたとき、夏休みで帰郷する時ではないかと思うが、東海道新幹線の車中で、友人と劉少奇がどうなるかについて議論した記憶がある。

私は、毛と劉は中国革命の2大英雄のように思っていたから、まさか国家主席の劉が追い落とされることになろうとは思わなかった。
いまにして思うに、純真過ぎて恥ずかしいくらいであるが、リアルポリティックスの暗部など、推測もできなかったのである。
1967年8月に中南海で開かれた見せしめ裁判でも、劉少奇は一歩も譲らず、簡潔な言葉で自分の考えを主張した。
肉体的・精神的な苦悩に3年間耐え、1069年11月12日劉少奇は死んだが、同情が集まることを恐れて毛沢東の生きている間、その死は人民に知らされなかった。

文化大革命は、人間の持っている弱さが至る所に現れた事件であったように思う。
文化大革命は日本の知識人にも多大な影響を与えた。
中国共産党は、もちろん日本共産党と深い関係があったが、両党の間に深い亀裂が生じさせた。
毛は、「日本でも文化大革命をやれ」と革命の輸出路線を支持したが、日本共産党は「内政干渉だ」として関係を断絶し激しい論争となった。
また、日本共産党内にも、文革賛美派、日本での文革引き写しの暴力革命持ち込みを掲げた分派が生まれたりしたが、党から除名されていった。
特に、日本共産党と対立していた新左翼に毛沢東思想が一定の影響力を持ち、連合赤軍等のアナクロニズムな行動を引き起こした。
なお、日本共産党と中国共産党は「誤りを誠実に認めた中国共産党側の態度」によって32年ぶりに関係を修復した。

文化大革命とは何だったのか?
文化大革命-Wikipediaに次のような記述がある。

毛沢東は大衆の間で絶大な支持を受け続けていたが、1950年代の人民公社政策や大躍進政策の失敗によって1960年代には指導部での実権を失っていた。文化大革命とは、毛沢東の権威を利用した林彪による権力闘争の色合いが強いが、実権派に対して毛沢東自身が仕掛けた奪権闘争という側面もある。特に江青をはじめとする四人組は毛沢東の腹心とも言うべき存在であり、四人組は実は毛沢東を含めた「五人組」であったとする見方もある。

同志として戦ってきた人間への、憎悪に近い行為。
毛もスターリンも特異な性格なのだろうか?
そういう面もあるのだろうが、閉鎖的な政治の場では一般的なのかも知れない。
中国ではまだ毛の肖像を天安門に掲げ、建国の父と崇めている。
しかし、その掲げられた像の前で自爆テロがあったり、山西省の共産党の建物が爆発されたり、「終わりの始まり」を予感させるような事件が続いた。
⇒2013年11月 4日 (月):天安門自爆テロ?/世界史の動向(1)
⇒2013年11月 8日 (金):山西省太原市の連続爆発事件/世界史の動向(3)

北朝鮮で行われた開処刑などの手法は、いかなる理由があったにせよ野蛮と言わざるを得ない。
張氏に浴びせられる言葉や議場から引きずり出すところの映像などは、劉少奇に加えられた蛮行を彷彿とさせる。
この国の近代化はいつのことになるのであろうか。

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