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2013年12月27日 (金)

慰霊と顕彰/「同じ」と「違う」(66)

安倍首相が靖国神社に参拝した。
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静岡新聞12月27日

靖国神社には多くの論点がある。
高橋哲哉『靖国問題ちくま新書(2005年4月)には、以下のようなテーマが示されている。
1.感情の問題
2.歴史認識の問題
3.宗教の問題
4.文化の問題
5.国立追悼施設の問題

これらが入り組んでいるので、首相の靖国神社参拝に対しても、賛否さまざまな立場がある。
安倍首相は参拝に関し談話を発表した。

 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131226/plc13122612220016-n1.htm

国の指導者が国のために戦い、尊い命を犠牲にされた人を慰霊するのは当然とも言える。
しかし、靖国神社は単なる戦死者の追悼のための施設でないところに問題が生じる。
高橋氏は上掲書で、「靖国神社は戦死者の「追悼」ではなく、「顕彰」が本質的な役割」としている。

靖国神社は「国家教」の問題である。
「国家教」とは「国家神道」であり、「お国」を神とする宗教である。
それは日本独特の国家主義である。
その国家教への殉教者が、死後「神」として祀られるのが靖国神社ということになる。

靖国神社に神として祀られることによって、戦死者に対して、「慰霊・追悼」の他に「顕彰」の機能が生まれる。
なぜ英霊として顕彰されるか?
家族を失って、遺族は自然の感情としては、悲嘆の涙に暮れている。
しかし、それをそのままにしておいたのでは、次の戦争で国のために命を捨てて戦う兵士の精神を涵養できない。

高橋氏は、戦死者を出した遺族の感情は、ただの人間としてのかぎりでは悲しみでしかあり得ない、と言う。
その悲しみが、天皇自らが祭主となって死者の功績を褒め称え、顕彰することによって、戦場に斃れることを幸福だと感じさせる。
悲しみが、国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまう「感情の錬金術」の装置が靖国神社の本質ということになる。

「感情の錬金術」の装置であるが故に、賛成論も反対論も歩み寄りは難しい。
まして現在の靖国神社には、極東国際軍事裁判(東京裁判)によるA級戦犯も合祀されている。
東京裁判に対する見方は別としても、侵略された側の中国や韓国がナーバスになるのももっともであろう。
そういう状況の中で、敢えて、安倍首相は参拝をしたか?

首相は次のように言う。

 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。

しかし、靖国参拝によって、ほかの戦死者と同様、戦争指導者をもたたえる行為だと受け取られることがあることを理解すべきだろう。
中国は旧日本軍による侵略の、韓国は植民地支配の「被害者」ということは、歴史上の事実である。
現実に近隣諸国から激しい反発を招いているのでは、慰霊の意義も小さくなる。

首相は、すべての戦死者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝した。
今回の靖国参拝に「不戦の誓い」を込めたとも言っている。
しかし、中・韓の反発が誤解に基づくと言い張るのは、独善的ではないか。

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は、「日本のために命を落とした英霊に敬意を表するのは当たり前」と語り、安倍首相の参拝を支持した。
しかし、上記のように、「英霊に敬意を表す」のは、靖国問題の一面でしかない。

公明党の山口那津男代表は「かねて賢明な対応を求めてきたにもかかわらず、参拝したのは残念だ」と強い不快感を表明した。
靖国神社が宗教施設でもあることを考えると当然の反応だろうが、「中韓両国の批判や反発を首相自身が予測した上で今回の行動を取ったのだから」としている。
最近は自民党との差異が感じられなかったが、靖国問題に関しては距離を置いた感じである。

アメリカ政府が「失望した」とする異例の声明を出したことも注目されよう。

 米政府にはこれまで、首相の靖国神社参拝を思いとどまらせようとしてきたフシがある。10月にケリー国務、ヘーゲル国防両長官が訪日した際、宗教色がなく、A級戦犯が合祀されていない千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花したのも、靖国参拝を牽制(けんせい)する意味合いがあったとの見方もある。
 米主要メディアも異口同音に「中国、韓国との論争に火を付ける」(CNNテレビ)などと否定的に伝えたが、これらとは異なる見解を米国で表明してきたのがジョージタウン大学のケビン・ドーク教授だ。
 教授は今年に入り、産経新聞などの取材に「日本の政治指導者が自国の戦死者の霊に弔意を表することは外交・安保政策とは何ら関係はない」と述べている。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131227/amr13122700390000-n1.htm

米国内の見方も一様ではない。
「他国にとやかく言われる問題ではない」という声も聞くが、靖国問題は必ずしも国内問題ではないといえよう。
私たちは、民主党政権に失望のあまり、自民党を勝たせ過ぎたのではないだろうか。

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