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2013年12月 9日 (月)

邪馬台国論争の新意匠/やまとの謎(91)

小林秀雄の商業文壇へのデビュー作は、『様々なる意匠』と言っていいだろう。
文芸批評が、個人の嗜好の押し付けか、マルクス主義等の公式の適用かのいずれかでしかなかった状況に対し、文学が言葉による自意識の表現であることを確認し、批評もまた批評する者の自意識の表現でなければならない、と論じて、批評のあり方を問うものであった。
⇒2007年12月25日 (火):当麻寺…②小林秀雄

ここで批評の問題を論じようというわけではない。
「邪馬台国論争」にも実に「様々なる意匠」があることは既にさまざまな角度から見てきた。
⇒2008年11月27日 (木):「憑かれた人たち」と「珍説・奇説」
最近、新意匠ともいうべき論を読んだ。

1つは、「文藝春秋」11月号における「大型企画 歴史の常識を疑え」という中の、安本美典『邪馬台国を統計学で突き止めた』という文章(取材構成・河崎貴一)である。
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史料解析に数理統計学を持ち込んで、鮮やかな切れ味を見せた安本氏の業績は、古代史ファンにはおなじみのものであろう。
私が古代史の分野に興味を抱いたのも、安本氏の著書が要因だった。
⇒2008年11月16日 (日):安本美典氏の『数理歴史学』

したがって、この文章で言われている方法および結論に、新しさは感じなかった。
しかし、「九州説と畿内説をビッグデータで分析すると意外な結果が--」というリードは、流行のビッグデータか、という感じである。
そもそも、「ビッグデータ」とは何か?

「ビッグデータ」の背景には、情報通信機器のハードとソフトの進歩がある。
いわゆるICTの発達である。
⇒2013年7月 5日 (金):ビッグデータ・ブームは本物か/知的生産の方法(66)
⇒2013年7月 7日 (日):ICTとマーケティング/知的生産の方法(67)
Wikipedia-ビッグデータには、次のような説明がある。

ビッグデータ (英: big data)とは、市販されているデータベース管理ツールや従来のデータ処理アプリケーションで処理することが困難なほど巨大で複雑な データ集合の集積物を表す用語である。

安本氏のこの文章には、「ベイズ統計学に基づき計算を行った」という説明はあるが、上記のような意味でのビッグデータとは言い難いようである。

もう1つは、関裕二『新史論/書き替えられた古代史 1 「神と鬼のヤマト」誕生小学館新書(2013年10月)である。
関氏は、独学で、つまりアカデミズムの世界に身を置かずに、日本古代史の研究を進めている人である。
学統からはフリーなので、斬新で公平な目配りが可能なように思われる。
⇒2008年1月28日 (月):持統天皇…(ⅰ)関裕二説
⇒2008年1月29日 (火):持統天皇…(ⅱ)関裕二説②
⇒2008年2月 8日 (金):高市即位論(ⅱ)…関裕二説
Amazonの紹介によれば、「関氏が考古学、民俗学の成果を取り込み、日本書紀による歴史改竄を取り除いて再構築した初の古代通史」である。

「倭人の登場と日本人のルーツ」から説き起こしているが、この巻で強調されているのは、「東」の重要性である。
私たちは何となく、「文化や文明は西から」という感覚を持っている。
現在でも、大阪の芸人は話題の発信源だし、京都の新しいもの好きは有名である。
『日本書紀』においても、「東」は影が薄い。

しかし、それは必ずしも正しくはない。
古代史に『日本書紀』は欠かせないが、歴史書として読むには不可解な記述が多過ぎる。
関氏は、それは「『日本書紀』編者はヤマト建国の歴史を熟知していたからこそ、真相を闇に葬るために、記事に細工を施したのではないか」と疑いつつ、『日本書紀』を読むべきだとする。

関氏は、邪馬台国の所在地は、日本古代史にとっては重要ではないと言う。
それは、陳寿
の頭の中に描かれたものに過ぎない。

結論的に言えば、一種の「二つの邪馬台国」論である。
佐藤鉄章『検証 二つの邪馬台国―3世紀日本を駆けぬけた激流』 (1986年11月)などがある。
「2世紀から3世紀にかけて日本列島には邪馬台(耶馬台)を称する国が二つあった」とするものである。
関氏は、本居宣長の「邪馬台国偽僭説」が、考古学の裏付けを得て復活したというが、これ以上の紹介は避けるべきであろう。

私にとっては、日本神話の「天孫降臨」説話が、実は逃亡譚であったという逆転の発想が面白かった。
⇒2012年12月16日 (日):天孫降臨の年代と意味/やまとの謎(71)
⇒2012年12月25日 (火):天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)

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コメント

史実の追求には、史書の記述と考古学的成果を摺り合わせていかないと無理でしょうね。勝者の歴史に振り回されていては、真の歴史に近付くことは出来ないでしょう。

投稿: 閑人 | 2014年7月14日 (月) 15時26分

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