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2013年12月 6日 (金)

安全保障の名目で国を危うくする安倍一族/戦後史断章(17)

特定秘密保護法案が、5日の参院国家安全保障特別委員会で自民、公明両党の賛成多数で可決した。
両党は、6日までの会期を延長した上で、参院本会議で可決、成立させる方針だ。
22時時点では可決されたという報道はないが、時間の問題というものだろう。

それにしても、終盤に来て反対論が急速に盛り上がってきたような感じがする。
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東京新聞12月5日

世論調査の結果も今国会での成立を支持する声は少ない。
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http://www.asahi.com/politics/update/1201/TKY201312010146.html

これだけの反対の声を封殺して急ぐのはなぜか?
時を置くに連れ、反対論が強まると予測されるからではないか?

森鴎外の小説に、『阿部一族』という作品がある。
鴎外の歴史小説の中の代表作と目されるもので、多分、中学か高校の頃に読んだはずであるが、内容は忘却し、タイトルだけ覚えている。
以下は、タイトルからの連想であって、内容には全く関係がない。

安倍首相の系図は以下のようである。
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総理大臣の家系図

まさに「華麗なる一族」というべきであろう。

一族の中で、特に注目すべきは、岸信介-佐藤栄作の兄弟であろう。
岸信介は、安倍晋三の祖父(母・洋子の父)である。
東京帝国大学法学部卒業後、農商務省に入省、同省廃止後は商工省にて要職を歴任した。
建国されたばかりの満州国に渡り、国務院の高官として「満州開発五か年計画」などを手がけた。
その後、東條内閣では商工大臣として入閣したが、太平洋戦争後にA級戦犯被疑者として逮捕されるも、不起訴となる。
公職追放解除後に政界に復帰し、石橋湛山の病気により石橋内閣が総辞職すると、後任の内閣総理大臣に指名され、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の成立に尽力した。
⇒2012年12月24日 (月):エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13)

石橋湛山は私の住んでいた地区の選挙区(中選挙区)であり、岸が首相に指名された時のことは遠い記憶として残っている。
⇒2011年7月24日 (日):様々なる引き際-魁皇、湛山、菅総理
しかし何と言っても岸の記憶は、60年安保とセットになっている。
⇒2012年10月22日 (月):60年安保と岸信介/戦後史断章(3)
60年安保は、安保条約の中身の問題よりも、改定を進めようとする岸内閣および自民党のやり方に対する反感だったといえる。
⇒2007年10月11日 (木):「60年安保」とは何だったのか

佐藤栄作は、東京帝国大学卒業後、鉄道省に勤務し、運輸省の次官を最後に退官すると、非議員ながら第2次吉田内閣の内閣官房長官に任命された。
その後、第24回衆議院議員総選挙(1949年)で当選し、一年生議員ながら自由党の幹事長に就任した。
1964年、池田勇人が病気で退陣すると、後継に指名された。
1972年に退陣するまで、首相の連続在任期間は歴代総理中最長の7年8ヶ月に及んだ。
私は1963年に大学に入学し、修士課程を69年に終了しているので、ほとんどの期間が佐藤首相の時代ということになる。

岸と佐藤は、総裁公選のすぐ後に当選者(石橋、池田)が病気退陣することに伴い、惜敗していた次点の候補者として、後継者になるというまったく同一の過程を経て、首相になった。
奇しき因縁といえよう。
岸の60年安保に対し、佐藤は70年安保ということになる。

両安保も、学生を中心とする激しい改定反対運動があったが、安保闘争-Wikipediaによれば、以下のように様相が異なるものであった。

60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。しかし70年安保闘争では左翼側の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失った。

なお、佐藤栄作は、1974年非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を日本人で初めて受賞した。
甚だしい違和感を持ったことを憶えている。

佐藤の業績に沖縄返還が挙げられるが、首相就任直後の1965年1月のジョンソン会談に向けて沖縄の勉強を始めたときには「沖縄の人は日本語を話すのか、それとも英語なのか」と側近に尋ねて呆れられたとの逸話がある。
交渉の過程でアメリカ側の要請により「有事の沖縄への核持ち込みおよび通過」について、事前協議が行われた際には日本側が「遅滞なく必要を満たす」ことを明文化した密約の文書が交わされた。
これは、交渉の密使を務めた若泉敬によって、佐藤没後の1994年に暴露され、佐藤の遺品にこの合意議事録が含まれ、遺族が保管していたことが2009年12月に報道された。

岸-佐藤兄弟の歴史的評価は、人によって異なるだろう。
しかし私は、岸の安保改定強行採決は反対だったし、佐藤栄作の密約は国を危うくするものであると思う。

佐藤はノーベルへ平和賞を受賞したが、たまたま今朝、南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策と闘い、同国初の黒人大統領になったネルソン・マンデラ氏が死亡したというニュースが流れた。
ノーベル平和賞には、赤十字社を創設したアンリ・デュナン、ソーシャルワークの先駆者ジェーン・アダムズ、第2次世界大戦後の欧州復興を主導したジョージ・マーシャル、米公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ミャンマーの民主化指導者アウン・サン・スー・チーなど、平和賞の名に値する人がいる一方で、オバマ大統領などのように、政治的思惑が露骨な受賞者もいる。
佐藤の場合は、「非核三原則-核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」の提唱者であることが授賞理由だから、自ら辞退すべきものであった。

安倍首相は、一族の宿願であるかのように、特定秘密保護法を強引に成立させようとしている。
岸、佐藤を含め、国を危うくする一族と言えるのではなかろうか。

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