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2013年12月

2013年12月31日 (火)

今年を振り返って

早いもので、2013年も暮れて行く。
私なりに今年印象に残っていることを書いておく。

個人史としては、おおむね大過なく過ごすことができたように思う。
身体の不自由は依然として続いているが、家族旅行などはなんとかできる。
発症後満4年を過ぎて、症状固定期ではあるが、それでも僅かずつではあるが回復途上であるとは思う。
加齢による衰えとの競合ということになるが、現時点では回復の方がやや勝っている。

今年も多くの人を見送ることになった。
このブログで取り上げさせて頂いた人の名前を列挙する。
反権力の闘士・大島渚さん/追悼(24)2013.01.15
時代を体現した大横綱・大鵬さん/追悼(25) 2013.01.20
無間地獄の闘病生活・市川團十郎さん/追悼(26) 2013.02.05
先見性の故に陥った罠・江副浩正さん/追悼(27) 2013.02.11
中国論をこえた浩瀚な学識・中嶋嶺雄さん/追悼(28) 2013.02.20
無類の知の渉猟者・山口昌男さん/追悼(29) 2013.03.12
存在感の際立った「怪優」・三國連太郎さん/追悼(30) 2013.04.16
死の淵の人・フクイチ元所長吉田昌郎さん/追悼(31)2013.07.10
パラダイムに捉われない古代史家・森浩一さん/追悼(32)2013.0810
ひっそりとした死・高橋たか子さん/追悼(33)2013.08.14
余りに文芸的な・大河内昭爾さん/追悼(34)2013.08.25
ファミコンで新時代を開く・山内薄さん/追悼(35)2013.09.20
社会派の長編作家・山崎豊子さん/追悼(36)2013.10.01
幼児のアイドルアンパンマン・やなせたかしさん/追悼(37)2013.10.16
消費社会の変容と広告批評・天野祐吉さん/追悼(38)2013.10月.22
不動の人・川上哲治さん/追悼(39)2013.10.31
薄幸の昭和の歌姫・島倉千代子さん/追悼(40)2013.11.09
華麗なる文化人実業家・堤清二(辻井喬)/追悼(41)2013.11.28

上記以外にも、記憶に残すべき人は数多くいた。
改めて追悼の意を表したい。

環境的にはどんな年であったか?
個人的な思いを率直に言えば、違和感が際立つ年であった。

異常気象は今や恒常現象となったとも言われるが、今年も多くの極端な気象に見舞われた。
特に夏場の台風と集中豪雨と酷暑と竜巻。
これらは相互に関連があるのだろうが、「今までに経験したことのないような」事象が頻発した。

また、夏と冬が強烈で、春と秋の影が薄くなっているような気がする。
四季の移り変わりは日本の恵みである。
季語などもだんだん分かりにくくなっているのではなかろうか?

社会的な事象は、心が暗くなるようなものが多い。
今年の漢字は、「輪」であった。
Photo
http://lovelivepress.com/blog-entry-498.html

オリンピック招致が大きな要因だった。
しかし、最終プレゼンで、安倍首相が福島原発事故について、「状況は完全にコントロールされている」といったのは明らかに虚偽説明であろう。
⇒2013年10月17日 (木):安倍首相は裸の王様か?/アベノミクスの危うさ(16)

そして肝心の猪瀬都知事は、徳洲会からの5,000万円受領疑惑で辞任せざるを得なくなった。
⇒2013年12月19日 (木):百条委の設置と猪瀬氏辞任/花づな列島復興のためのメモ(283)
⇒2013年12月20日 (金):猪瀬氏の決定的な勘違い/花づな列島復興のためのメモ(284)

また、新国立競技場のデザインが問題になっている。
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http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/winners.html

デザインコンペの最優秀作はザハ・ハディドさんのデザインに決まったが、景観上如何なものかという意見がある。
そして何よりも、コンペの要項が、都の条例の制限に反していた。
80,000人収容という目的が先行したもので、招致のためなら何でもアリ、という姿勢だった。
これらは、オリンピック招致成功という国民的祝賀気分に水を差すものであろう。

政治経済の面では、良くも悪くも、安倍首相の独擅場の感があった。
アベノミクスの旗により、円安が進み、デフレは止まり、株価は上昇した。
日経平均株価は、1年間で56%も上昇した。
日本取引所グループの斉藤CEOは、「世界でダントツ」と胸をはったが、デフレ脱却というよりもバブルを思わせる。
物価上昇も、需要の増大の結果というよりも、輸入品のコスト上昇の結果ではないか。
私は、大納会に出席した安倍首相が、「来年もアベノミクスは買いです」という声を上げるのを、「そうかな?」と疑わしい気分で聞いた。

4月からは消費税増税であるが、その影響はどうなるであろうか。
野口悠紀雄氏の説くように、「株価は上がったが、給料は上がらない」とならないことを祈る。
まあ、年金生活者には給料も関係なく、負担増に対処するには、間違いなく消費を抑制せざるを得ないであろうが。

各地の高裁で、昨年の総選挙と夏の参院選について、違憲(状態)の判決が続出している。
そのような国会において、特定秘密保護法が成立し、安倍政権は実質的な憲法改正に向かって外堀を埋めつつある。
⇒2013年12月 7日 (土):特定秘密保護法成立の後で/花づな列島復興のためのメモ(278)

私には、天皇誕生日における会見で、天皇陛下自ら、「平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。」と仰っているのは、このような安倍政権の動きを暗に諭しているような気がしてならない。
⇒2013年12月30日 (月):千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社/「同じ」と「違う」(67)

中国や北朝鮮などが不安定化している。
特に、中国防空識別圏設定や張成沢処刑などはいずれも軍のイニシアティブで行われたという。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20131231ddm001030127000c.html

中・韓との関係はどうすべきであろうか?
外交は来年に向けての大きな課題となろう。

エネルギー問題については、原発の限界性がはっきりしたのではないか。
しかし、廃炉への工程も代替エネルギー開発についても道は遠い。
政府が積極的に取り組むべきではないのか。
慌ただしく、心弾まない年の瀬である。

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2013年12月30日 (月)

千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社/「同じ」と「違う」(67)

安倍首相の靖国神社参拝が賛否両論を呼んでいる。
私の周辺でも「戦没者を慰霊するのは当然だ」とか「他国から批判されたくない」といった意見は少なくない。
代表は橋下大阪市長だろう。

 安倍晋三首相が東京都千代田区の靖国神社に参拝したことを受け、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は26日、「日本のために命を落とした英霊に敬意を表するのは当たり前」と語り、安倍首相の参拝を支持した。
http://news.livedoor.com/article/detail/8384135/

しかし、靖国神社に参拝するということは、「日本のために命を落とした英霊に敬意を表する」だけの意味に留まらない。
それは、靖国神社の本来的機能が、戦死者を「顕彰」することによって、戦死者を「犠牲者」ではなく「英霊」に昇華させるものだからである。
⇒2013年12月27日 (金):慰霊と顕彰/「同じ」と「違う」(66)

予想されたように、中国・韓国の激しい反発を招いている。
わが国も大きな被害を受けてはいるが、国土が直接戦場になったのは、沖縄だけと言ってよい。
中国は戦場になっているし、韓国は植民地として支配されたのである。

安倍首相の談話に関し、激しく批判しているのが、浜矩子同志社大学教授である。
東京新聞12月29日の「時代を読む」欄で、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。」としているくだりである。
私も、相手はそう理解しないだろうと書いたが、浜教授は、英文を引いて批判する。

It is not my intention at all to hurt the feelings of the Chinese and Korean people.

「It is not my intention at all 」について、intentionは「意志」あるいは「意図」の意だが、「そんな意志は全くございません」「そのようなことは、全然意図しておりません」という言い方に、誠意がないという。

 意図してさえいなければ、どんな結果を招いてもいいというのか。許されるというのか。こちらに傷つける意図がなければ、相手は決して傷つかないとでも思うのか。あるいは、こっちが意図していないなら、傷つく方が悪いというのか。勝手に傷つくなら、致し方ない。知ったことか。そういうことなのか。
 この種の発想で突っ放して行く人は、やがて、次のようにいうようになる。「そんなつもりじゃなかったんです」。これが出た時は、もう手遅れだ。

激烈な批判である。
そして、このような態度を「幼児的感覚」とする。
子どもと大人の違いは、人の痛みが分かるか否かである。
浜教授の専門は、Wikipediaに「国際経済学」「国際金融論」「欧州経済論」とあるが、アダム・スミスの『国富論』は『道徳感情論』が前提になっているのだ、としている。

安倍首相の靖国参拝に関して、外務省を「解雇」された(外務省は人事の問題であって「勇退をお願いした」と説明)天木直人氏は、10月4日付のブログ「ケリー、ヘーゲルが千鳥が淵墓苑に顕花した衝撃」で、次のように書いた。

 安倍首相は歴代首相の中でも最も日米同盟にそぐわない首相だ。
・・・・・・
 私が安倍首相が日米同盟になじまない首相だと思うのは、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって千鳥が淵墓苑を訪れて顕花したことを知ったからだ。
 これが衝撃的な外交事件だ。
 安倍首相はさぞかし腰を抜かしたことだろう。
 これは、米国が日本の戦没者を追悼する場所は、安倍首相が言うような靖国神社ではなく、千鳥が淵だと言っているのである。
 米国のアーリントン墓地に相当するのは靖国ではなく千鳥ヶ淵であると言っているのである。

http://www.amakiblog.com/archives/2013/10/04/

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、日本国政府が設置した戦没者慰霊施設である
政教分離の原則により、特定の宗教宗派に属さない施設とされている。
戦没者の慰霊・追悼のためならば、憲法違反の疑いもある靖国神社よりも、千鳥ヶ淵戦没者墓苑の方が相応しいはずである。

公用車を使い秘書官を伴った小泉首相(当時)の参拝について、大阪高裁が違憲と判断している。
安倍首相は、私人としてとしている。
しかし、公用車に乗り、SPや公設秘書官を伴っており、憲法違反を疑われる余地はある。
天皇誕生日における陛下の以下の言葉を、安倍首相はどのように解するのであろうか。

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html

自民党の改憲草案は、第20条 (信教の自由)で、次のようになっている。


国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。
ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
http://tcoj.blog.fc2.com/blog-entry-20.html

前段は現行憲法と同じであるが、ただし書きの部分を付加している。
靖国参拝も、「範囲」であるとの解釈によって、堂々と行えることを目論んでいるともいえよう。
このような恣意的な解釈を許すことが、特定秘密保護法と同様に危険なことである。
あるいはそれが麻生氏の「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」という発言の意味することなのか?
⇒2013年8月 4日 (日):撤回では済まされない麻生副総理の言葉

安倍首相はなぜ靖国神社を選んだのか?
おそらくは、A級戦犯容疑に問われた祖父・岸信介への思いがあるのだろう。
しかし、それは私的な感情と言うべきである。
外交よりも私的感情を優先したと批判されても止むを得ないだろう。

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2013年12月29日 (日)

辺野古埋立承認の背景としての徳洲会/花づな列島復興のためのメモ(287)

沖縄県の仲井真知事が、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設に向けた政府の同県名護市辺野古の埋め立て申請を承認した。
これにより、1996年に日米両政府が返還に合意して以来、17年にわたり懸案となってきた同飛行場の移設問題は、辺野古移設に向かって進むことになった、と言えるだろうか?

 仲井真氏は記者会見で、移設を容認する理由について「現段階で取り得ると考えられる環境保全措置などが講じられており、(公有水面埋立法の)基準に適合していると判断し、承認することとした」と語った。
 安倍政権が示した米軍基地負担の軽減策に関しては「普天間飛行場の危険性除去は最大の課題。首相の強いリーダーシップにより、5年以内の運用停止の道筋が見えつつある」などと評価した。政府が示した沖縄振興策に関しても「内閣の沖縄に対する思いが、かつてのどの内閣にも増して強いと感じた」と語った。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131227-OYT1T00967.htm

普天間基地の返還要求運動は、1995年(平成7年)の沖縄米兵少女暴行事件きっかけに大きなうねりとなった。
1997年(平成9年)には、移転先候補地が名護市辺野古付近に固まった。
2004年(平成16年)に沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件が起きたことで地元の返還要求が強まり、米軍海兵隊のグアム移転問題と絡めて解決することが検討された。
2006年(平成18年)に2014年(平成26年)までに代替施設を建設し、移転させるというロードマップが決まったが、2009年(平成21年)に鳩山由紀夫内閣が成立し、移設案が再度審議されることになった。

2009年8月の総選挙で民主党に政権が交代した。
民主党は、あえてマニフェストには普天間県外移設と記載しなかったが、鳩山代表は、7月19日に那覇市で開催された集会において、移設先は「最低でも県外」にすると宣言した。
政権が発足すると、現実には県外移設が困難であることが認識されることになった。

しかし、鳩山首相はオバマ大統領に対し、11月13日に行われた日米首脳会談で、“ Trust me”"と、2010年12月末までに移設問題の解決を約束した。
にもかかわらず鳩山首相はまとめきれず、2010年5月4日、沖縄を訪問して仲井眞知事と会談し、日米同盟の関係の中で抑止力を維持する必要があるとして、「(選挙前に掲げた)すべてを県外にというのは現実問題として難しい」として事実上の県外全面移設の断念を明らかにした。

自民党が政権に復帰して、仲井真知事は辺野古埋め立てを承認したが、移設先の市民は強く反発している。

 辺野古命を守る会の西川征夫代表(69)は、テレビで知事の承認会見を見た。「実に恥ずかしい。名護の思いを完全に踏みにじった。自身の考えだけで、市民のことは考えていない」と語り「知事には、一度でいいから辺野古の浜に足を運んでほしかった。あとは名護市長選の勝利しかない」と声を強めた。
 出先のテレビで知事の会見を見た市内の男性(45)は「がくぜんとした。負担軽減は担保されたというが、実効性があるとは思えない」と不信感を示し「北部振興というが、その基本に平和がなければ成り立たない」と語った。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=59685

移転先の名護市長選は、1月19日に投開票される。
「反対」を強く訴えている現職の稲嶺進氏と、「推進」派の前県議・末松文信氏の一騎打ちである。
立候補表明していた前市長・島袋吉和氏は、菅官房長官や石破茂幹事長の一本化要請を受け入れ出馬を見送った。
名護市長選で、市民はどう判断するかが大きな節目となる。

仲井真知事の安倍首相に対する評価は、意外と思えるほど高いものだった。
それは鳩山氏をはじめ民主党政権の不甲斐なさの裏返しかとも思えるが、ここにも徳洲会が絡んでいるらしい。
植草一秀の『知られざる真実』の12月25日に「仲井真知事が辺野古埋立申請を一蹴できない理由」と言う記事があり、次のようなことが書かれている。

仲井真弘多沖縄県知事が2006年12月の知事選で辛勝した決め手になったのは、徳洲会の全面的な選挙支援であったと伝えられている。
・・・・・・

この時期に世間を賑わした大きなニュースがあった。

徳洲会病院による生体腎移植の問題である。

刑事事件に発展する様相を示していたが、沖縄知事選が終了するのと同時に、潮が引くようにこの問題も報じられなくなった。

徳洲会に大きな力が加えられ、そのなかで、徳田毅氏が自由連合を離脱して仲井真氏支持に回ったと見られる。

このときの首相が安倍晋三氏である。
・・・・・・

2012年12月総選挙における徳洲会による選挙違反事案がこの時期に表面化した最大の狙いは、仲井真弘多氏に対する揺さぶりにあるというのが私の見立てである。
・・・・・・

2006年の安倍政権にとって、沖縄県知事選は負けることのできない選挙であった。

そこで、かなり強引な方法で仲井真氏を勝たせる手を打ったのだと思われる。

2010年の知事選では前宜野湾市長の伊波洋一氏が立候補して、辺野古移設反対を主張した。

仲井真氏を再選させるために、基地反対票を分断する候補者が擁立されたが、米国は仲井真知事の再選を最優先事項に位置付けたと思われる。
・・・・・・

名護市長選があるのだから、埋め立て許可の判断は名護市長選の結果を踏まえるべきことは当然だ。

ところが、仲井真氏の挙動が不審である。

仲井真氏は12月25日に安倍首相と会談し、同日にも、辺野古埋め立て許可を出す可能性がある。

これを実行したら、仲井真氏はおしまいである。

晩節を汚すとはこのことを言う。

こういう背景だとすれば、仲井真知事の分かりにくい態度も腑に落ちる。
果たして検察庁はどこまで闇を解明できるであろうか?

安倍首相は、特定秘密保護法を成立させて以降、靖国参拝、辺野古移転のための海面埋立許可と急ピッチで施策を展開している。
大納会を前にして、株価も16,000円を超え、アベノミクス効果を喧伝しているが、自信過剰になっているようにも見える。
私の鏡中には、「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」という平家物語の一節が過るのだが。

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2013年12月28日 (土)

ファクトとエビデンスと創作性と嗅覚/知的生産の方法(77)

都知事を辞任した猪瀬氏は、次のように語った。

これからは都政に携わった経験も生かし、一人の作家として、都民として都政を見守り、恩返しをしていきたい

私は必ずしも猪瀬氏の良い読者ではないが、『昭和16年夏の敗戦  (中公文庫)』(2010年6月)や『ミカドの肖像  (小学館文庫)』(2005年3月)等で、緻密で幅広い調査力と読み手を引き込む文章力に惹かれた。
優れたリサーチャーという印象である。
それは将としての資質ではなく、参謀としての資質のように思われる。
⇒2013年12月20日 (金):猪瀬氏の決定的な勘違い/花づな列島復興のためのメモ(284)

猪瀬氏の作風の特徴は何か?
自身が言うように、「ファクトとエビデンス」に基づくもの、といえよう。

 「ファクト(事実)とエビデンス(証拠)」も猪瀬さんの口癖だそうだ。作家として旧住宅・都市整備公団を取材していたとき、空室率を調べるため夜に明かりのついた部屋を確認し、郵便受けも一軒ずつチェックしたという
 事実と証拠に基づいて真実を明らかにする。その姿勢は、都議会の答弁からはうかがえなかった。よもや辞職すれば追及から逃れられるとは考えていまい。会見でも、説明は続けると約束していた

http://www.topics.or.jp/meityo/news/2013/12/13874964478059.html

「週刊現代2014年1月4・11日号」で、曽野綾子氏が『猪瀬さんを見て思うこと』という一文を寄稿している。
冒頭で、某新聞に載ったという川柳を紹介している。

作家だろ もっと上手に嘘つけや

ここでは作家の本質を、虚構(フィクション)の創作として考えている。
フィクション(虚構)と「ファクト(事実)とエビデンス(証拠)」はおよそ対蹠的なものではないだろうか?
つまり作家という言葉の内容が、人によって異なっているのである。

「作家=もの書き=ライター」は、2つのタイプに分けられる。
フィクションのライターとノンフィクションのライターである。

川柳の作者は、フィクションのライターを想定している。
曽野氏は、将来事件を起こしたら、2つのことを心がける、としている。
1.捨て身になって本当のことを語る
2.文学として通用する構成された嘘を作る

作家という一般的な語感は、川柳作者のように、「2.」を業とする人のイメージであろう。
曽野氏は、作家は政治家とは対極にある職業だとして次のようにいう。
作家は一人で仕事をする。
そして、作家は市民の代表ではない。
浪費家だったり、ケチだったり、バクチにはまったり、異性にだらしがなかったりすることは、作家としてマイナス点にはならない。
作家であるための必要条件は、自分の弱いところや汚いところから目をそらさず向き合い続け、作品を生み出すことだ。
究極の私人であって、公人の最たるものとしての政治家とは根本的に方向性が異なる。

猪瀬氏は、フィクションのライターではない。
それは今までの作品からも、自身の「ファクト(事実)とエビデンス(証拠)」という口癖からも明らかである。
中日新聞のコラム「中日春秋」の12月20日に、香りのプロのことが載っている。

香りのプロともなると、天然と人工合成の香料を、二千五百種ほどもかぎ分け、記憶しているという
・・・・・・
▼猪瀬直樹さんのインタビュー集『日本凡人伝』に出てくる化粧品会社の調香師の体験談だ。その道のプロの技の妙を伝える本は少なくない。だが、この本ほど、語り手の息遣い、その人に染み込んだ時代の空気までをも活写している本は、そうない▼猪瀬さんの作家としての嗅覚は脱帽ものだ。
・・・・・・
▼政治をめぐるカネの腐敗臭は、それほど優れた嗅覚をも狂わせてしまうのか。「徳洲会」グループから五千万円を受け取った疑惑で、猪瀬さんが都知事の座を降りた▼すべて疑うのが、作家。自分自身を疑うだけでは、十分ではない。権力機構までをも抱え込みつつ、自分自身を疑えば、感性が研ぎ澄まされる-とは、猪瀬さんが『東京の副知事になってみたら』に記した言葉。作家猪瀬直樹はいま、政治家猪瀬直樹をどう見ているのだろう。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2013122002000108.html

猪瀬氏が今後「一人の作家として」活動していくとしたら、やはり「ファクトとエビデンス」に基づく作品を書くしかないのではないか。
曽野氏のいうように、「自分の弱いところや汚いところから目をそらさず向き合い続け、作品を生み出すこと」しか、「恩返し」の道はないと思われる。

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2013年12月27日 (金)

慰霊と顕彰/「同じ」と「違う」(66)

安倍首相が靖国神社に参拝した。
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静岡新聞12月27日

靖国神社には多くの論点がある。
高橋哲哉『靖国問題ちくま新書(2005年4月)には、以下のようなテーマが示されている。
1.感情の問題
2.歴史認識の問題
3.宗教の問題
4.文化の問題
5.国立追悼施設の問題

これらが入り組んでいるので、首相の靖国神社参拝に対しても、賛否さまざまな立場がある。
安倍首相は参拝に関し談話を発表した。

 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131226/plc13122612220016-n1.htm

国の指導者が国のために戦い、尊い命を犠牲にされた人を慰霊するのは当然とも言える。
しかし、靖国神社は単なる戦死者の追悼のための施設でないところに問題が生じる。
高橋氏は上掲書で、「靖国神社は戦死者の「追悼」ではなく、「顕彰」が本質的な役割」としている。

靖国神社は「国家教」の問題である。
「国家教」とは「国家神道」であり、「お国」を神とする宗教である。
それは日本独特の国家主義である。
その国家教への殉教者が、死後「神」として祀られるのが靖国神社ということになる。

靖国神社に神として祀られることによって、戦死者に対して、「慰霊・追悼」の他に「顕彰」の機能が生まれる。
なぜ英霊として顕彰されるか?
家族を失って、遺族は自然の感情としては、悲嘆の涙に暮れている。
しかし、それをそのままにしておいたのでは、次の戦争で国のために命を捨てて戦う兵士の精神を涵養できない。

高橋氏は、戦死者を出した遺族の感情は、ただの人間としてのかぎりでは悲しみでしかあり得ない、と言う。
その悲しみが、天皇自らが祭主となって死者の功績を褒め称え、顕彰することによって、戦場に斃れることを幸福だと感じさせる。
悲しみが、国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまう「感情の錬金術」の装置が靖国神社の本質ということになる。

「感情の錬金術」の装置であるが故に、賛成論も反対論も歩み寄りは難しい。
まして現在の靖国神社には、極東国際軍事裁判(東京裁判)によるA級戦犯も合祀されている。
東京裁判に対する見方は別としても、侵略された側の中国や韓国がナーバスになるのももっともであろう。
そういう状況の中で、敢えて、安倍首相は参拝をしたか?

首相は次のように言う。

 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。

しかし、靖国参拝によって、ほかの戦死者と同様、戦争指導者をもたたえる行為だと受け取られることがあることを理解すべきだろう。
中国は旧日本軍による侵略の、韓国は植民地支配の「被害者」ということは、歴史上の事実である。
現実に近隣諸国から激しい反発を招いているのでは、慰霊の意義も小さくなる。

首相は、すべての戦死者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝した。
今回の靖国参拝に「不戦の誓い」を込めたとも言っている。
しかし、中・韓の反発が誤解に基づくと言い張るのは、独善的ではないか。

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は、「日本のために命を落とした英霊に敬意を表するのは当たり前」と語り、安倍首相の参拝を支持した。
しかし、上記のように、「英霊に敬意を表す」のは、靖国問題の一面でしかない。

公明党の山口那津男代表は「かねて賢明な対応を求めてきたにもかかわらず、参拝したのは残念だ」と強い不快感を表明した。
靖国神社が宗教施設でもあることを考えると当然の反応だろうが、「中韓両国の批判や反発を首相自身が予測した上で今回の行動を取ったのだから」としている。
最近は自民党との差異が感じられなかったが、靖国問題に関しては距離を置いた感じである。

アメリカ政府が「失望した」とする異例の声明を出したことも注目されよう。

 米政府にはこれまで、首相の靖国神社参拝を思いとどまらせようとしてきたフシがある。10月にケリー国務、ヘーゲル国防両長官が訪日した際、宗教色がなく、A級戦犯が合祀されていない千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花したのも、靖国参拝を牽制(けんせい)する意味合いがあったとの見方もある。
 米主要メディアも異口同音に「中国、韓国との論争に火を付ける」(CNNテレビ)などと否定的に伝えたが、これらとは異なる見解を米国で表明してきたのがジョージタウン大学のケビン・ドーク教授だ。
 教授は今年に入り、産経新聞などの取材に「日本の政治指導者が自国の戦死者の霊に弔意を表することは外交・安保政策とは何ら関係はない」と述べている。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131227/amr13122700390000-n1.htm

米国内の見方も一様ではない。
「他国にとやかく言われる問題ではない」という声も聞くが、靖国問題は必ずしも国内問題ではないといえよう。
私たちは、民主党政権に失望のあまり、自民党を勝たせ過ぎたのではないだろうか。

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2013年12月26日 (木)

猪瀬氏の辞職の背後にあるもの/花づな列島復興のためのメモ(286)

猪瀬氏が辞職して、報道もすっかり都知事選モードに切り替わっているかのようである。
しかし、猪瀬氏が粘るように見えていたにもかかわらず、一転して辞職を決意せざるを得なかった背景は何か?
東京地検が鋭意捜査を進めるであろうが、「疑いがある」だけでは立件できない。
ここでは挙証責任の無い週刊誌情報を参照しよう。

「週刊現代2014年1月4・11日号」に『あの猪瀬が辞任してまで「隠したかったこと」』という記事が載っている。
猪瀬氏が辞任する前日、石原慎太郎前知事が安倍首相と官邸で昼食を兼ねて会談し、辞任が決まったという。
いわゆる「ボス交」ということだろう。
それでは、「ボス交」の当事者たちの利害はどうなのか?

石原氏は、「引導を渡したのはボクじゃない」と言っているが、この辺りで引導を渡さなければならない必然性があったという。
石原氏はかねてより徳洲会と繋がりが深かった。
百条委が設置されれば、徳洲会と石原氏の繋がりに波及することは必定である。
徳洲会と石原氏のパイプの後継は、長男の伸晃氏であり、伸晃氏に飛び火することにもなる。
それを避けるためには引導を渡さざるを得なかった。

一方、安倍首相にとってはどうか?
徳洲会マネーは自民党議員の多数にも渡っている。
安倍首相側近の甘利経産相、森少子化担当相、根元復興相などが、パーティ券でお世話になっている。
長引けば政権にも飛び火する可能性がある。
早期の幕引きを図った。

辞任に至った経緯・背景は以上の通りであるとされるが、辞任で幕が引かれたかというとそうではないというのが、同誌の見立てである。
地検特捜部は徳洲会の元専務理事が持ち込んだ膨大な資料をもとに、1年以上捜査を進めているという。
元専務理事の名前は明らかにされていないが、能宗(のうそう)克行氏と見られる。
同氏は、12月3日、警視庁などに業務上横領容疑で逮捕されている。
“金庫番”として長年にわたり徳洲会を支えてきた人物として知られるが、組織の内紛で失脚した。
2013年1月に徳洲会内での懲罰委員会にかけられたが、その際の反論書に、政界にばらまいた“徳洲会マネー”の全容について、83ページにわたって詳細に暴露していたという。

 石原氏の名前は早い段階から捜査関係者の間で挙がっていたという。検察関係者がこう明かす。
「能宗氏が徳田氏の告発について最初にある大物検察OBに相談にいったのが約2年前。能宗氏はこの時、石原氏や亀井静香氏の名前を挙げていたようです。13年1月に猪瀬氏の5千万円の話が出てきたことで、この検察OBが別の弁護士を通じて特捜部に持ち込んだといいます」
 猪瀬氏と近い人物は、18日に行われた石原氏と安倍首相らとの昼食会について、こんな見方を示した。
「あのタイミングで安倍首相と会食し“引導役”を引き受けたことは、石原氏の処世術の巧みさを感じる。検察の“ターゲット”にならないよう、政権との親密さをアピールする意味もあったのではないか。5千万円を返しにいった猪瀬氏の特別秘書は、元は石原氏の秘書。猪瀬氏が百条委員会にかけられれば、石原都政時代のことも追及される危険がありましたからね」

http://dot.asahi.com/news/politics/2013122400057.html

さらに背景にある“構図”について、「週刊現代」誌は次のように書いている。
カジノ利権に関する問題がある。
猪瀬氏は、カジノ推進派として知られる。
しかしカジノサークルの本丸は、猪瀬氏ではなく自民党である。
百条委が開かれれば、猪瀬氏はカジノ問題についても証言せざるを得なくなり、場合によっては国政崩壊という事態も予想される。
猪瀬氏も、このような事態を考えると辞任するしかなかった。

カジノ問題については、東京新聞、西日本新聞等で連載中の大沢在昌氏の『雨の狩人』でも取り上げられている。
大沢氏は、裏社会がカジノ利権に手を伸ばそうとして画策する様子を描いている。
アングラマネーのロンダリング等で、さまざまなメリットがあるのだろう。
私は海外のリゾート地で、小遣い程度の遊びしか経験がないが。

週刊誌の記事であるから、どこまで事実かは不明である。
しかし、上記記事は、百条委だったら相当部分が明らかにされたような想定で書かれている。
地検特捜部が都議会以下では、鼎の軽重を問われることになる。
このところ敗北が目立つ特捜部の意地と名誉にかけて切り込んでもらいたいものだ。

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2013年12月25日 (水)

大学の利益ランキング?/花づな列島復興のためのメモ(285)

2012年度に大学が稼いだ利益のランキングが発表された。
12月22日の日本経済新聞は、1面トップで報じている。
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しかし、このトップニュースにはどんなニュースバリューがあるのだろうか?
そもそも、 国立大学の「利益」とは何だろうか?
同紙による解説を見てみよう。

国立大と私立大では収支構造が異なる点に注意が必要だ。国立大で売上高に当たるのが「経常収益」。国からの交付金が収入全体の3~4割を占め、入学金や授業料は1割程度。意外に大きいのが付属病院の収益で2~3割のケースが多い。収入から教職員の人件費などを引いたのが経常利益。資産除却損など臨時損益を加えた「当期総利益(損失)」が企業の純利益に当たる。
 国立大は基本的に収支が均衡するように予算は組まれるが、コスト削減で利益が増えたり、施設の再開発で損失が出たりする。東京大学の2012年度決算をみると交付金に次いで付属病院収益が大きく安定収入源となっている。

http://www.nikkei.com/article/DGXNZO64457870S3A221C1NN1000/?nbm=DGXNASGD1208H_X11C13A2MM8000

「国立大は基本的に収支が均衡するように予算は組まれる」とすれば、利益は予算外のことである。
「コスト削減」だとか「施設の再開発」などの要因が、予算と乖離すると利益が増減することになる。
つまり、国立大学の「利益ランキング」というのは、予算からの乖離度ランキングである。
そんなものに意味があるのか?

そもそも、大学の本質は、などと改めて問わなくても上記の解説だけで、無意味さは十分であろう。
しかし、日本経済新聞が1面のトップで「東大が首位」と報じれば、読者を「やっぱり東大は違う。利益という面でもトップなのか」とミスリードする可能性がある。
東大はスゴイなぁ・・・

同紙は、弁解のように記事の末尾の方で次のように書いている。

大学は稼ぐことが目的ではない。だが経営力が高いほど教育・研究施設の充実に向けた投資もしやすくなり、大学の魅力度向上につながる。

上記の文章は、「経営力が高い」=「利益が高い」と解さない限り、解説としては意味をなさない。
しかし、上記のように、国立大学の場合、「利益が高い」=「予算からの乖離度が高い」ということであって、経営力という意味では、むしろ問題ではないか。

つまり、利益度ランキングの解説がいつの間にか、経営力ランキングとも読まないと意味がないようになってしまっており、しかも経営力の概念規定自身が疑問と言うべきなのだ。
あるいは、私立大学についてはある程度「経営力が高いほど教育・研究施設の充実に向けた投資もしやすくな」る、と言えるかもしれない。
しかし、大見出しは「国立大の利益 東大首位」である。
支離滅裂で論理破綻した記事であると考えざるを得ない。

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2013年12月24日 (火)

火山噴火と原発のリスク/原発事故の真相(102)

将来のエネルギー源として、原発をどう位置づけるか?
安倍政権が、「エネルギー基本計画」の改定案をまとめたが、基調としては積極的推進論である。
⇒2013年12月22日 (日):敦賀原発2号機の直下断層/原発事故の真相(100)

しかし、福島第一原発事故現場では、依然として汚染水の流出が続いている。

 東京電力は22日、福島第一原発の汚染水をためたタンクを囲む堰(せき)の3カ所から、内側にたまった水が漏れているのを新たに見つけたと発表した。21日にも、別の場所で最大1・6トンの水漏れが確認されている。東電は、土嚢(どのう)やビニールシートで水が地面に染み込むのを防ぐ処置をした。
 21日と同じタンク群では新たに1カ所から最大1トンが漏れたと推計。さらに南東にある別のタンク群では2カ所で漏れが見つかり、最大で計0・8トンが漏れたとみられる。いずれも高濃度汚染水をためたタンクで、周りにある堰の土台のコンクリートのつなぎ目付近などから漏れたという。
http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312220121.html

日量400トンといわれる汚染水を貯蔵しておくためのタンクが急ごしらえで作られている。
ずさんな工事とは思わないが、ムリな工程のしわ寄せが露呈しているということではなかろうか。
そしてこのような緊急避難的な対応が長続きするわけがない。
また、核燃料棒の取り出しが始まったが、廃炉の完了には気の遠くなるような時間を要する。
⇒2013年11月19日 (火):廃炉への長い工程と脱原発/原発事故の真相(93)

核の廃棄物をどうするのか?
小泉元首相は、処理が確立していないことを最大の理由に、脱原発・即時ゼロ論を展開してさまざまな反響と憶測を呼んだ。
⇒2013年10月27日 (日):小泉元首相の脱原発論/アベノミクスの危うさ(18)
⇒2013年12月 2日 (月):小泉「脱原発」発言は無責任か?/原発事故の真相(97)
⇒2013年10月30日 (水):脱原発問題と俯瞰する力/知的生産の方法(75)
⇒2013年11月14日 (木):細川・小泉連携で「山は動く」か?/花づな列島復興のためのメモ(271)

核廃棄物はおろか、除染土の中間貯蔵場所さえ決まっていないのが現状なのだ。
⇒2013年4月11日 (木):浪江町の現状と将来/原発事故の真相(67)
⇒2013年11月26日 (火):福島首長選結果は事故対応不信の表れ/原発事故の真相(95)

小泉元首相の思惑はいろいろあるだろうが、言っていること自体は正しいと思われる。
また、安倍首相夫人・昭恵さんも、「私は原発反対」と家庭内野党として発言をしている。
この昭恵さんの行動いついては、ヤラセではないかと手厳しく批判する声も多いらしいが、脱原発の声の輪は広がっているといっていいだろう。

しかし、安倍首相は、原発推進反対の声に耳を貸そうとはしない。

 原発再稼働に突き進む安倍政権は24日に決定する来年度予算案で、総額3兆円の「復興特別会計」を計上する見通し。復興予算といえば、被災地復興と全く関係のない事業にカネがバンバン使われていたことが判明している。なんと、「原発輸出」にまで流用していたことが分かった。
「ベトナムと原子力協定を締結した日本側は09~11年度にかけて、ベトナム現地の調査費用として約25億円を日本原電に支出しています。驚くことに、この中で5億円が復興予算から支出されていたのです。ベトナムに原発をつくることがなぜ、被災地の復興になるのか全く分からないし、よりによって原発輸出のために使うなんて、被災者をバカにしているとしか思えません。国側は『原発の輸出で被災地の原発機器メーカーが潤う』と説明していたが、あまりにデタラメ過ぎますよ」(経済ジャーナリスト)

http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/09/akie_abe_n_3413100.html

このような状況の中で、今まであまり注目されなかった火山の影響について、毎日新聞が積極的に報じている。

 毎日新聞が全国の火山学者を対象にしたアンケートで、火山の巨大噴火による原発被害の危険性が指摘された。だが現在の科学では、6000〜1万年に1回とされる巨大噴火が最長60年の原発稼働期間中に発生するかを予測するのは不可能との見方が大勢で、原子力規制委員会の審査も限界があるのが実態だ。いざ発生したら被害は甚大なだけに、複数の火山学者が「リスクがあることを国民に十分周知した上で再稼働の可否を議論すべきだ」と求めている。
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http://mainichi.jp/select/news/20131223k0000e040136000c.html

規制委が火山噴火の影響について、審査を進めているのは川内、玄海、伊方、大飯(福井県)、高浜(同)、泊の6原発である。
泊以外の5原発では「運転に影響はない」との電力各社の報告を大筋で了承したが、火山の巨大噴火の科学的知見は少ないという指摘もある。
地震と火山は関係がある。
日本列島は、地震列島であり火山列島である。
火山は大きな恵みの源泉でもあるが、巨大噴火は大災害をもたらす可能性がある。
日本に原発適地などない。

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2013年12月23日 (月)

個人線量計を用いた被曝線量の測定/原発事故の真相(101)

政府が、東京電力福島第一原発事故の復興指針で、空間線量を基に住民の被ばく線量を推定する方法から、個人に線量計を渡して実測する方法に改めることを決めた。
線量を正確に把握することには賛成である。
理論的には、空間線量よりも個人線量の方が、より細やかに測定できるだろう。
しかし、これが「被ばく基準の実質的な緩和」になるとしたら、新たなリスクを生じさせることになる。
⇒2013年11月23日 (土):被曝基準の実質緩和/原発事故の真相(94)

伊達市の年齢別年間被ばく線量に関して、下図のようなデータがある。
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http://togetter.com/li/595572

「子どもは学校など放射線量が低い所で生活する時間が長く被ばく線量も低くなったのではないか」と見られる。
とすれば、確かに生活時間の実態を反映すべきだという考え方も一理ある。
しかし、東京新聞12月23日掲載に記事によれば、個人線量計の測定値にもとんだ「落とし穴」がある危険性があることが分かった。

同紙が被曝線量にばらつきの少ない伊達市月館町で住民にヒアリング調査をしたところ、線量計が居間や廊下の壁に吊るされたままになっているケースが多いのが実態だった。
常時持ち歩いているのはわずかに17%に過ぎなかった。
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農家の女性は、「農作業の邪魔になるし、なくして弁償させられたら困るから」と言っている。
屋内の線量は屋外よりも低い。
これでは危険側に値がずれることになる。

福島原発後に菅政権は、福島県内で子どもたちが学校で安全に過ごすための放射線量の限度について「年間20ミリシーベルト未満」という目安を発表した。
これは従来の1ミリシーベルト/年の20倍であり、内閣参与を務めていた小佐古敏荘・東京大学大学院教授(放射線安全学)が、「行き当たりばったり」の破綻した政策だとして、参与の職を辞任し、抗議の声明を発したことがある。
⇒2011年4月30日 (土):小佐古・内閣官房参与が辞任/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(19)

「放射線は浴びないのに越したことはない」のである。
避難指示区域への住民帰還の目安となる線量は、民主党政権時代に「20ミリシーベルト/年以下」とし、これを除染によって、1ミリシーベルト/年以下にすると定められた。
個人線量計による測定には次のような批判がある。

 福島原発事故の避難民帰還を迎えて法定の線量限度年間1mSvが曖昧にされようとしています。マスメディアは政府の設けた土俵で議論し、個人線量計を付けさせた帰還が法の保証が無いモルモットと見えないのです。線量計を1年間着用して例えば1mSvに収まったらそれでオーケーとの発想がそもそも異様です。線量計を付けるのは職業人の被曝対策であり、一般公衆の線量限度は普通に生活して十分クリアする環境を放射線障害防止法が整えていると解すべきです。そうでない環境に帰還させるならば、現行法体系が適用されない場所であると明確に説明すべきです。年間20mSv以下になったら帰還させる政府方針は完全に一国二制度なのです。どうしても帰りたい人はリスクを知った上で帰るしかありませんし、帰らないで移住する権利もあるとはっきり言わねばなりません。
http://blogos.com/article/74379/

ポリマスターという会社が、iPhoneやiPadに装着する放射線測定器「POLISMART II PM1904」を日本国内で発売している。

「POLISMART II PM1904」は、ガイガーミュラー計数管を搭載した放射線測定器で、主にガンマ線を測定し、計測器本体は常に環境放射線・積算線量を測定、 iPhoneと接続することで検知器のデータをiPhone内に転送すると同時に、iPhoneの画面をガンマ線当線量率、積算線量率 のディスプレイとして使うことができる。アプリは無料で提供されている。
http://ascii.jp/elem/000/000/849/849646/

何かがオカシイと思うべきだろう。
iPhoneやiPadで放射線測定をするなんて。
個人線量計の使用実態をよく確認しないで、「空間線量が高くても年間被ばく量は少ない」という主張にこのデータが使われ、避難住民に早期帰還をせかすとしたら、そして政府の狙いはそこにあると思われるが、危険なことである。

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2013年12月22日 (日)

敦賀原発2号機の直下断層/原発事故の真相(100)

原子力規制委員会は、原子炉直下に活断層があると認定した日本原子力発電(原電)敦賀原発2号機(福井県)について、専門家チームによる現地調査を再び行うことを決めた。
原子力規制委員会が、原子炉直下の破砕帯が活断層の可能性が高いとした見解に対して、日本原子力発電株式会社(日本原電)が公開質問状を提出するなどの形で反論しているのを受けたものである。
⇒2012年4月28日 (土):活断層の上の原発/花づな列島復興のためのメモ(57)
⇒2012年12月12日 (水):日本原子力発電の公開質問状に対する違和感
⇒2012年12月14日 (金):活断層の上の原発を止められない?/花づな列島復興のためのメモ(173)

福島第一原発の事故を受けて、原発を従来通り推進すべきか、脱原発の方向に舵を切るべきか、まさに国論は2分されている。
私はもちろん即時原発ゼロ論に立つ。
事故が未だ収束には程遠い状況であること、現時点ですでに原発ゼロであること、核燃料の廃棄物の処理の仕組みが確立していないことが理由である。
少なくとも、事故原因が明確になるまでは、新増設はもちろんのこと、再稼働も控えるべきであると考える。

安倍政権は、原発に意欲的である。
政権のエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」の改正案が、12月13日まとまった。
原発推進を大前提にしているが、慎重論を一部併記している。
安倍政権といえども、脱原発を求める世論には逆らえないということだろう。

脱原発の世論は広範囲であるが、「エネルギー基本計画」に慎重論に対して一定の配慮をせざるを得なかったのは、小泉元首相の脱原発論の影響が大きいと思われる。
⇒2013年10月27日 (日):小泉元首相の脱原発論/アベノミクスの危うさ(18)
⇒2013年12月 2日 (月):小泉「脱原発」発言は無責任か?/原発事故の真相(97)
⇒2013年10月30日 (水):脱原発問題と俯瞰する力/知的生産の方法(75)
⇒2013年11月14日 (木):細川・小泉連携で「山は動く」か?/花づな列島復興のためのメモ(271)

エネルギー基本計画は、2002年に成立した「エネルギー政策基本法」に基づき、3年に一度見直すことになっている。
民主党政権は「2030年代に原発稼動ゼロ」を目指すとしたが、安倍首相は2012年末の政権獲得後、民主党政権時代の脱原発のエネルギー政策を「ゼロベースで見直す」と明言し、総合資源エネルギー調査会(経済産業相の諮問機関)の基本政策分科会で議論を進めていた。
分科会は新日鉄住金相談役名誉会長の三村明夫氏(日本商工会議所会頭)が会長を務め、委員15人のうち、明確に脱原発を主張したのは植田和弘京大大学院教授と辰巳菊子日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会常任顧問の二人だけだった。
これでは、結論ありきの会議であると言わざるを得ないだろう。

  案の定、今回の計画案は「安全性の確保を大前提に、基盤となる重要なベース電源として原子力を引き続き活用していく」と、原発推進を明確にした。ただ、「原発依存度については可能な限り低減させる」と、脱原発に理解を示す一方、「必要とされる規模を十分に見極めて、その規模を確保する」と、原発の新設・増設に含みを持たせる玉虫色の内容となった。
http://www.j-cast.com/2013/12/21192064.html

政府が前のめりになっている以上、日本原電も希望を捨ててはいられないだろう。
もし原子力規制委員会の認定を受け入れれば廃炉ということになる。
現在は東海第2、敦賀1号機と2号機の3基の原子炉を保有しているが、東日本大震災と東京電力・福島第1原発の事故で、現在は3基すべての稼働を停止している。
廃炉になれば、電力会社が払っている基本料金も払われなくなり、まさに存廃に関わる問題である。

Photo規制委は昨年十二月、チームを現地に派遣し、2号機の直下を通る「D-1断層」の延長線にある試掘溝(トレンチ)で新たな断層を確認した。今年五月、地層の状況から両断層は一体のもので、建屋の東側を通る活断層「浦底断層」と連動し、耐震設計上考慮する活断層だと認定した。原電は「活断層ではない」と反論。今年七月に追加の調査結果を規制委に提出し「地層に含まれる火山灰の分析から(新たに確認された)断層は新しい年代には動いていない。2号機の方向にも延びていない」とし、再調査を求めていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121802000231.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

活断層か否かにはファジーな要素が避けられない。
事業継続のためには、明確に、活断層ではない、ことを示すことが必要である。
その挙証責任は、もちろん事業者である日本原電にあるとしなければならないだろう。

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2013年12月21日 (土)

徳洲会とリクルート/「同じ」と「違う」(65)

徳洲会からの資金提供問題で、猪瀬東京都知事が辞職した。
現時点では、猪瀬氏の個人的な借入という説明であるが、それを額面通りに受け止めている人は皆無だろう。
さしあたっては選挙資金のため提供を受けたことの公職選挙法あるいは政治資金規正法違反が問われることになろう。
しかし、猪瀬氏の都議会における狼狽振りは尋常ではない印象である。
あるいは、何かに怯えてでもいるかのようであった。
背後に、より大きなものがあり、それを隠そうとしているのではないか?

徳洲会は、医療法人徳洲会を中心とし、66の病院をはじめとして総数280以上の医療施設を経営する日本最大の医療グループである。
創設者は医師で衆議院議員も務めた徳田虎雄氏で、医療法人徳洲会は、東京都千代田区に東京本部、大阪府大阪市に大阪本部を置いている。
グループ法人として、一般社団法人徳洲会(千代田区)などがある。
巨大な(企業)グループといえよう。

私は猪瀬氏をめぐる報道に接していて、リクルート事件のことを思い浮かべた。
リクルート事件とは、世界大百科事典 第2版の解説によれば以下の通りである。

情報関連企業のリクルート社が,株式譲渡の形で政・官・財界要人に巨額の贈賄を行った大疑獄事件で,1988年(昭和63)に発覚した。リクルート社は1984年12月,子会社のリクルートコスモス社の未公開株約125万株を79名に,86年7‐9月には同76万株を65名に譲渡し,同株の店頭公開(1986年10月)直後の値上がりにより受領者側が合計66億7000万円の利益を得たとされ,その額はロッキード疑獄(ロッキード事件)の3倍にのぼる。

リクルート(株式会社リクルートホールディングス)は、広告を主体にした、出版およびインターネットにおける情報サービス、人材紹介、教育など多方面に事業を手掛ける企業である。
故江副浩正氏が、1960年、大学が発行する新聞の広告代理店「大学新聞広告社」として創業した。
非上場として、サントリー、竹中工務店などに並ぶ大手企業であり、独特の企業文化で知られる。
リクルートOBが多数活躍していることから、人材輩出企業としても有名である。
リクルート事件はともかくとして、と言うか、にもかかわらずと言うかは別として、リクルートの企業文化は高く評価されることが多く、江副氏もカリスマ性を保っていた。

私が学生時代には、『企業への招待』という会社案内があった。
いわゆるリクルートブックであるが、企業広報誌と求人広告を合体させ編集したもので、就職を考える学生には便利なものだった。
今風にいえば、新しいビジネスモデルの創出ということになろう。
その本質は、情報による需要と供給のマッチングであり、フリー(無料)ビジネスの一種とも考えられる。
企業広告で基盤を確立して、不動産、旅行、転職情報などに多角化していった。

しかし、新興企業であることで、経団連に加入しているような既存の大企業からは距離を置いて見られた。
財界で孤立していたことが、政界を初めとして様々な業界とのパイプを築こうという狙いになり、リクルート事件に繋がった。
伝統的な大企業の社会が新興の企業を潰したという一面もあるのではないかと思う。

そういうところが、徳洲会と似ているようにも感じられる。
医学界というのは、古い権威主義のまかり通っている世界であろう。
60年代末から70年代初頭にかけての全共闘運動の発端は、東大医学部のインターン廃止などを求めた青医連運動にあった。
インターンや登録医などの名前で研修医という制度があったが、身分の保障がなく劣悪な労働条件を甘受せざるを得ない状況に、青年医学徒が異議申し立てを行ったのである。

東大の安田講堂を封鎖した防衛隊長(学生側の責任者)は、沼津出身の今井澄氏だった。
今井氏は、諏訪中央病院の院長等を経て、参議院議員になったが任期中に亡くなった。
今井氏によると言われている「最後の時計台放送」は有名である。

我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します
今井澄-Wikipedia

徳洲会創立者の徳田虎雄氏は、24時間年中無休の理念を掲げて各地の医師会と対立した。
そのため、政界入りをし、全国各地で66の病院や、200を超える診療所や医療施設を運営するまでに拡大した。
さまざまな批判はあるだろうが、「生命だけは平等だ」「生命を安心して預けられる病院」「健康と生活を守る病院」「ミカン1個も貰わない(「お礼」として金品の授受を受け付けない)」などのモットーは、率直に共感できる。
現時点でも、「ミカン1個も貰わない」と言い切れる医師や医療機関がどれくらいいるだろうか?

徳洲会マネーは、意外なところにも及んでいるかもしれない。
その根本的な要因は、既得権益を守ろうとする医学界の構造にあるのではなかろうか。

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2013年12月20日 (金)

猪瀬氏の決定的な勘違い/花づな列島復興のためのメモ(284)

猪瀬氏の辞職表明記者会見の全文を読みながら、この人は大きな勘違いをしていたと思わざるを得ない。
以下、「猪瀬直樹知事が辞任 【緊急記者会見・全文】」を参照する。

私の借入金問題につきまして、都議会本会議、総務委員会での集中審議、あるいは記者会見で自分なりに都議会の皆様、都民、国民の皆様に説明責任を果たすべく努力してきたつもりであります。しかし残念ながら私に対する疑念を払拭するにはいたりませんでした。ひとえに私の不徳の致すところであります。

「説明責任を果たすべく努力してきたつもり」というのは、笑止の言葉ではあるが、まあ主観の問題なので他人がどうこう言う問題ではないかも知れない。
しかし、「私に対する疑念を払拭するにはいたりませんでした」と言うよりも、事実として、猪瀬氏の説明により疑念は増殖していったのである。
ウソを糊塗しようとして、ウソで上塗りをする。
だんだん塗る範囲が広がり、自主的な説明の限界を超えてしまった。
百条委の設置の経緯は、いろいろな思惑が交錯してはいただろうが、骨格的にはそう言うしかないだろう。

最大の勘違いは、次のように話している部分である。

まずは政策について、自分はかなり精通していると思っておりましたが、いわゆる政務ということは大変その、アマチュアだったと反省していて、政治家としてずっとやってこられた方は、常にどういうものを受け取ったらいけないかとか、そういうことについて詳しいということもありますし、皆さんに対しても非常に腰が低い。そういうところがあると思います。しかし僕の場合は、政策をちゃんとやればいいだろうと、ややそういう生意気なところがあったと反省しております。

私は猪瀬氏は残念ながら、二重三重の勘違いをしていると言わざるを得ない。
第一に、政務のアマチュアだから受け取るべきでない金を受け取ってしまった、という部分である。
私たちが、アマチュアに期待しているのは、「常識」であろう。
どの金は受け取っていいか、どの金は受け取ってはいけないかは、政務に精通しているか否かの問題ではない。
社会人としての良識の範疇の問題であろう。
「教養・リベラルアーツ」と言い換えてもいい。

東京都知事に限っても、青島幸男、石原慎太郎氏が選ばれたのは、アマチュア性に期待してであろう。
あるいは、長野県知事だった田中康夫氏、静岡県知事の川勝平太氏なども同様かと思われる。
私が投票するのは静岡県ということになるが、川勝氏の1期目は厚生労働省出身の坂本由紀子氏との稀に見るような接戦だった。
⇒2009年7月 6日 (月):静岡県知事選挙の結果と自民党の迷走

方や静岡県の副知事も経験し、地元出身でもある行政経験の豊富な女性。
通常ならば盤石の自民党推薦候補を、落下傘の川勝氏が破ったのは、アマチュア性の勝利だったと思う。
⇒2010年8月 9日 (月):長野県知事選をめぐる感想
⇒2010年8月10日 (火):政治におけるアマチュアの可能性
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)

確かに石原氏などはベテラン政治家ではあろうが、登場の時以来、アマチュアリズムが本領だったのではないか。
猪瀬氏に期待しているものも、政治の手あかにまみれていないアマチュア性だったはずである。
極端なことを言えば、猪瀬氏の自慢げに言う「政策に精通している」ことはブレーンに任せればいいのである。
「将」と「参謀」はミッションが違う。器の形状が違うのである。
来年の大河ドラマの主人公、黒田官兵衛に学ぶべきであった。

猪瀬氏は有能な参謀だったかもしれないが、将としては落第だったと言わざるを得ない。
将として失格というのは、余りに人心を掌握する能力に欠けていたことである。
普通、権力を持てば周りに人は寄ってくる。
そこで問われるのが、「人を見る目」である。
人を見る前に金が見えてしまったのではあろうが。

一連の経緯を見ていて、この人には親身にアドバイスしてくれる人がいないのだな、と思った。
友人にしろ、先輩や後輩にしろ、誰かこんなにぶざまな姿を晒す前にアドバイスしてくれる人がいるものである。
まあ、もっとも手厳しい批判者だったかも知れない夫人を亡くしたことは同情の余地はあるが。

この人の人心収攬スキルの無さは、都議会における説明で、お粗末な借用証や現金を入れたというカバンを出した時の様子に現れていた。
いわゆる「ドヤ顔」というのであろうか、「エビデンスはこれだ、文句あるのか」という感じで、中立的な人でも、「ナンダ」ということになる体のものだった。
この調子で、「俺がオリンピック招致の中心人物だ」という態度でいれば、周囲は白ける。
自信過剰なのか、自信の無さの裏返しの表現なのかは分からないが。

猪瀬氏辞任により、真相追及は東京地検によることになる。
猪瀬氏の最大の勘違いは、辞任表明ですべて終わったかのように思っているのではないか、ということである。
「辞めればいいんだろ」という態度が窺えたが、そんなわけはない。
政治資金規正法違反から、贈収賄の可能性も含めて追及されることだろう。
立件のハードルは高いかも知れないが、政界に広くばらまかれているという。
リクルート事件の時を連想させるが、ハラハラドキドキしながら推移を見守っている政治家も多いのではないか。

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2013年12月19日 (木)

百条委の設置と猪瀬氏辞任/花づな列島復興のためのメモ(283)

医療法人徳洲会グループから受け取った5千万円をめぐる疑惑の追及で崖っぷちに立たされていた猪瀬都知事が、都議会が百条委設置を決めた渦中に辞任を表明した。

猪瀬直樹・東京都知事は12月18日午前、辞職願を都議会議長に提出した。医療法人「徳洲会」グループから5000万円の資金提供を受けていた問題で、都政に混乱を招いた責任を取ったという。午前10時半から都庁で緊急記者会見を開き、辞任に至った経緯を説明した。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/18/inose-naoki-resign_n_4469900.html

まあ、やむを得ないであろうが、残念なことではある。
⇒2013年12月11日 (水):窮地の猪瀬都知事と後継候補/花づな列島復興のためのメモ(280)
⇒2013年12月17日 (火):猪瀬さん、『言葉の力』は今いずこ?/花づな列島復興のためのメモ(282)
猪瀬氏は、2012年12月16日執行の東京都知事選挙で史上最多の433万8936票を獲得して当選した。
当選人告示が行われ第18代東京都知事に就任したのが、18日のことである。
奇しくも辞任の意向が明らかになったのが、就任1年目の日だということになる。

18日には、東京五輪招致成功の舞台裏を描いた猪瀬氏の著書『勝ち抜く力 なぜ「チームニッポン」は五輪を招致できたのか』PHP新書が都内の書店で売り出された。
Photo_2
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131219/crm13121908240005-n1.htm

タイミングが良いというのか悪いというのかは、立場によるだろうが、猪瀬氏にとっては間が悪いとしか言いようがないだろう。
いずれにせよ、オリンピック招致の立役者が、オリンピック準備が停滞することが主な辞任圧力になったとすれば皮肉というしかない。

猪瀬氏の外堀は、完全に埋まってしまっていた。
猪瀬氏は、政治家になる前は、作家として政治や社会問題について積極的に発言をしてきた。
私が記憶しているのは、日米開戦直前の夏の総力戦研究所という組織の若手エリートたちがシミュレーションをした戦争の経過を描いた!『昭和16年夏の敗戦』や、西武王国・堤氏支配の仕組みを解き明かした 『ミカドの肖像』などであるが、緻密な調査と読ませる筆力は迫力を感じるものだった。
2007年に、石原知都事の要請で副知事に就任し、2012年10月に石原氏の辞職表明の伴い、後継に指名された。

窮地にトドメを指したのは、副知事時代の東電追及の過程で東電病院の売却を迫ったことが、徳洲会が購入を希望していたことと関連付けられたことである。
猪瀬氏が昨年11月に徳田虎雄前理事長に面会した際、売却が決まっていた東京電力病院の取得を目指す考えを伝えられていたことが、関係者から明らかにされた。
12月6日の都議会一般質問で「東電病院の売却は話題になっていない」とした猪瀬氏の答弁は、虚偽だった疑いが出てきたのである。

なぜ、徳田氏との面談で話題になったことを率直に認めなかったのか?
私は、東電に病院の売却を要求するという猪瀬氏の行為も、徳田氏が取得を目指すのも、ある意味では当然のことであると思う。
株主総会で東電経営陣に東電改革の象徴として、東電病院のあり方について問い質す姿がビデオ放映されているが、猪瀬氏の発言内容にことさら問題になるようなことはないように思う。
問題は、当然利害が想定される立場の人間から、経緯(説明)が不明瞭な大金を授受したことである。
説明がムリにムリを重ねて収拾がつかなくなったということではなかろうか。

18日に、猪瀬氏は石原前知事と面会している。
安倍首相と石原氏は、平沼赳夫氏を交えて首相官邸で昼食を取りながら会談している。
「辞任を促された」と伝えられているが、後継指名された人からの言であれば決断せざるを得なかったであろう。
申し合わせたように、高村自民党副総裁からも辞任圧力があった。

この一連の展開には、何やら謀略的な匂いがしないでもない。
都議会が百条委の設置を決めたのと、辞任圧力との間に関係はないのか?
百条委は、猪瀬氏の辞任によって設置されなくなる。
当初、百条委の設置に積極的だったのは共産党だけで、自公両党は積極的ではなかった。
百条委によって明らかにされると具合があるいことでもあるのだろうか?
猪瀬氏の答弁が百条委の設置を促したのはその通りであろうが、自民党筋から辞任圧力とも受け止められる動きが急遽出てきたのがクサイ。

あるいは、「男の嫉妬の海」に溺れたか?
政界が嫉妬と欲望が渦巻いている世界だということは良く聞くことだが、猪瀬氏を追及する都議会議員の姿は、434万票という史上最多得票への嫉妬のようなものが感じられた。
猪瀬氏に対する434万人都民の期待は、政治のプロとしての期待ではなかったはずである。
後継が談合のような形で決まることなど、よもや無いとは思うが、清新な候補者の出現を待ちたい。

問題は、猪瀬氏辞任で幕を引いてしまってはならないことだろう。
辞任に至る経緯を、「ひとえに私の不徳の致すところ」などという抽象的な言葉で語ってはならない。
猪瀬氏には、文筆家の初心に戻って、真実を明らかにし、汚名を潅ぐことを切望する。

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2013年12月18日 (水)

原発事故収束宣言と作業員の待遇/原発事故の真相(99)

野田前首相が、福島原発事故の「収束宣言」をしたのは、2011年の12月16日だった。
それから満2年が経過したが、実態が「収束」とはずいぶん異なっていることは、報道されている通りである。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)
⇒2011年12月18日 (日):収束と終息/「同じ」と「違う」(37)

この「収束宣言」によって、事故対応している作業員の待遇にさまざまな不都合が生じていることについては、すでにその一部を記した。
⇒2013年11月13日 (水):原発事故収束宣言のもたらしたもの/原発事故の真相(92)
しかし、作業の取り扱いということではなく、作業員の被曝の検診についても、事故収束宣言を境として差が設けられていることが報じられた。
働き始めた時期が宣言の前か後かで、がん検診など補助制度の扱いが違っているのである。

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 宣言前に作業した作業員を、国は全員登録。健康状態を追跡する。さらに一定の被ばくをした作業員は、国や雇用企業の負担で、白内障やがんの検診を受けられる。より低い被ばくの作業員でも、検診と精密検査の費用を、東電が負担する。
 その補助が宣言後に働き始めた作業員には適用されない。しかし、宣言後も被ばくの危険性は高く、不安は変わらない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121702000119.html

「収束宣言」が事故の実態を反映してはいないにもかかわらず、こうしたコストカットのために利用されているのである。
「収束宣言」は何のために行われたのか?
こうした線引きが実際に行われている以上、医学的な合理性があってしかるべきであろう。
ところがそんなことはないノダ。

 放射線医学総合研究所の明石真言(まこと)理事は「医学的には、収束宣言で線引きするのはおかしい。作業員の不安解消のためにも検診の範囲は広げるべきだ。作業員の登録を一元化し、健康状態をデータベースにするなど、被ばく管理方法全体を見直す必要がある」と話した。一定の被ばくをした宣言前の作業員は無料で受けられるが、宣言後の作業員は自己負担。待遇の大きな違いに専門家は「宣言で線引きせず、広く検診を受けられるようにすべきだ」と求める。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121702000119.html
 

厚生労働省の説明は、「宣言前は原子炉が不安定で『緊急作業』としていた。
作業員の不安が大きいため長期的な健康管理が必要とされたが、宣言後は解除して、一般の原発と同じ扱いになった」ということである。
「収束宣言」の実際に果たしている役割がコストカットであっていいノダろうか?
野田前首相と安倍現首相のご意見を伺いたいところである。

 

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2013年12月17日 (火)

猪瀬さん、『言葉の力』は今いずこ?/花づな列島復興のためのメモ(282)

猪瀬都知事は、精神的にかなり追い詰められているように見える。
TVに映し出されている姿は尋常ではない。
汗を垂らしながら、空虚というか支離滅裂な答弁を繰り返す様は、『言葉の力 - 「作家の視点」で国をつくる』中公新書ラクレ(2011年6月)を書いた人とは思えない。

何かがおかしいというか異様である。
何かに怯えてでもいるような感じといえようか。
借入を仲介したのは、新右翼といわれる一水会代表の木村三浩氏という。
別に彼の交友関係を云々するつもりはないが、木村氏との関係はどのようなものなのか?

猪瀬氏は貸金庫を利用した。
八十二銀行青山支店に妻名義で貸金庫を開設したのが、5千万円を徳田毅衆院議員から受け取った前日の昨年11月19日である。

八十二銀行には私も(苦い)思い出がある。
伊那の方にある某社と共同事業を行っていた会社と提携したところ、その某社の取引銀行が八十二銀行だった。
後にちょっとした争いが起きて、八十二銀行ともヤリトリがあったという昔の話ではあるが、八十二銀行というのは、長野県の地銀である。
長野県飯山市出身で、信州大学OBの猪瀬氏が懇意にしていても不自然ではない。
不自然なのは経緯と猪瀬氏の説明である。

猪瀬氏が5千万円を借りたのが11月20日、八十二銀行の貸金庫にいれたのが21日である。
それを今年5月10日に解約して、現金は横浜銀行つくし野支店の貸金庫に移していた。
今まで、5千万円には手を触れていないと説明していたのとは全く違う。
貸金庫をめぐる説明は以下のようである。
131217_2
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121702000120.html

また、貸金庫が2つあることも伏せていた。
手を付けていないはずの金庫を、12月18日と2月1日に「開けて」いたのである。
12月18日といえば、16日の知事選の2日後である。
選挙資金として使ったのならば、それはそれで理解できる。
当選後に入用というのは?

私は猪瀬氏の熱心な読者というわけではない。
しかし、言論によって社会に影響力を行使してきた人だと思う。
また、みずからその矜持があるからこそ、『言葉の力 - 「作家の視点」で国をつくる』を書いたのであろう。

都議会でカバンに5千万円が入るか入らないかというような、本質とは思えない質問に、空虚な説明など見たくはない。
残念ながら、オリンピックの顔は別の人にやってもらうしかないようである。
西郷隆盛の有名な最後の言葉を借りれば、「猪どん、ここらでもうよか・・・」というところであろう。

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2013年12月16日 (月)

堤清二とセゾンの時代/ブランド・企業論(11)

先ごろ亡くなった堤清二氏は、セゾングループの総帥として、ユニークな企業人であった。
⇒2013年11月28日 (木):華麗なる文化人実業家・堤清二(辻井喬)/追悼(41)

最近知人の紹介で品川正治という経済人のことを知った。
今年の8月に亡くなっているのだが、元・日本火災海上保険(現日本興亜損害保険)会長で、経済同友会終身幹事だった。
新自由主義的な経済政策への批判者の1人であるが、自分の戦争体験を踏まえ、平和主義・護憲の立場に立ち、「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人だった。
その品川氏の『これからの日本の座標軸』新日本出版社(2006年10月)を読んでいたら、財界の文芸誌『ほほづゑ』 のことが書いてあり、堤氏と交流があったことが書いてあった。

文芸に造詣のある財界人ということでは不思議ではないが、経団連のタヌキ顔の会長などと比べると、品川氏にしろ堤氏にしろ、人としての器が違うように感じられる。
思考の時間軸の目盛りが違うのだ。
セゾングループは、西武百貨店を中核とした流通系最大の旧企業グループであったが、堤氏は、グループ名から敢えて「西武」を外した。
そこに、堤氏の矜持あるいは父康次郎および後継者として指名された弟義明氏との葛藤を感じる。

セゾングループを、Wikipediaで見てみよう。

歴史順に、西武百貨店・西友・朝日工業(西武化学工業)・西洋環境開発(西武都市開発)の4基幹グループを母体とし、「生活総合産業」宣言によりクレディセゾン(西武クレジット)・西洋フードシステムズ(レストラン西武・吉野家D&C・ダンキンドーナツ等)・朝日航洋・セゾン生命保険(西武オールステート生命保険)を新たな基幹企業に選定。
さらにバブル景気を迎えインターコンチネンタルホテル・大沢商会、ようやく利益貢献に回ったパルコ、コンビニ時代を反映するファミリーマートが加えられ12グループ体制。
1990年に西武ピサ、ウェイヴ、リボーンスポーツシステムズ、西武百貨店文化レジャー事業部の3社1事業部が合併して誕生したピサを加えて最盛期13グループ体制とすることもある。
これらに収まらない個別事業はセゾンコーポレーションが管轄した。

グループ構成企業は流動的であるが、上記だけでも華々しさは十分に伝わってくる。
「セゾン」とはフランス語で「季節」つまりシーズンと同義である。

東急の五島慶太と「強盗慶太・ピストル堤」と併称された康次郎は、一代で西武の礎を築いたが、1964年に急死する。
跡を継いだのは異母弟義明氏で、清二氏は、西武の本業ではない流通部門を渡した。
父の死の直後は、「兄弟会」を設置したりしたが七回忌の場で兄弟は「相互不干渉」の確約を交わして分裂した。

清二氏は、1971年、「西武流通グループ」を旗揚げしたが、1980年代まで西武鉄道の役員に名を連ね、2004年までは旧セゾングループ由来の西武百貨店、西友、ファミリーマートでライオンズの優勝セールを行なっていた。
西武百貨店のセブン&アイ・ホールディングス傘下入り以降は、西友からイトーヨーカドーに、ファミリーマートからセブンイレブンに権利が移行した。
また、そごう・西武傘下のロビンソン百貨店、東京、埼玉、千葉県内のそごうでも行うようになった。

もちろん、母が違う兄弟の葛藤は、余人には憶測の域を出ないが、傍目にも義明氏と清二氏の経営手法は甚だしく異なっていた。
詩人でもあった清二氏は、鋭敏な感性の持ち主であった。
清二氏の感性が発揮されたのは、パルコのオープン以降のことであろう。

1969年、撤退した「東京丸物」を継承する形でパルコ第一号店を池袋に開設した。
パルコは、盟友の増田通二氏に任せ、運営には干渉せず自由放任を与えたいわれる。
1973年には渋谷に進出し、若者文化やアートとの協調を掲げ、新しいフロア構成により成功した。
いわゆる「文化戦略」が本格化したのである。

百貨店から先端の文化・情報を発信する。
それは日本社会が、「豊かな社会」に移行するのと同期していた。
池袋本店は旗艦店として、最大規模の売上を稼ぎ出しつつ、文化を軸に実験的な改装を重ねる一方で、渋谷は若者の街として急浮上し、磐石な二極体制ができあがった。
渋谷は、若者文化の情報発信源となり、数々の社会現象が生まれ、若者消費を牽引した。

1973年「ウェイヴ」(ディスクポート西武)を出店、当時まだ入手困難だった音楽を集め、新たなジャンルを開拓した。
1975年、池袋西武にセゾンの文化拠点として「セゾン美術館」(西武美術館)を併設し、現代アートを中心として展示した。
1975年、大型書店の「リブロ」(西武ブックセンター)開設。
1979年、アングラ系小劇場・ミニシアターの先駆け「スタジオ200」、学校外から知識・教養の普及を図る「コミュニティカレッジ」、日本初の総合スポーツ店「スポーツ館」を開設。
1982年、池袋西武「ハビタ館」で、テレンス・コンランとの提携による家具市場に参入。
1984年、倒産した大沢商会を傘下に収め、国内高級ブランドのホールセールをほぼ独占、ファッション総合商社の西武が完成。
1987年、演劇の場として銀座セゾン劇場を開設し、「ホテル西洋銀座」を開業した。
1988年、国際的な高級ホテルチェーン「インターコンチネンタルホテル」を買収。

このような一連の急展開は、基本的には銀行融資に依存したものであった。
バブルが崩壊し、90年代の長期平成不況期に入ると、イメージ戦略は必ずしも消費と結びつかなくなり、百貨店離れ・スーパー離れを引き起こした。
また、脆弱な財務体質のまま、脱・流通業志向として手がけられたリゾート開発等により、多額の負債を抱えることになった。
昼は実業家、夜は詩人・小説家という二足のわらじにも無理があったのではないか。
セゾングループの幹部社員たちには、詩人の感性から発せられる言葉(たとえば、複合商業施設「つかしん」を作るとき、「店ではない、街をつくるのだ」)の意味が理解しがたく、清二氏の間に深い断絶があったといわれる。

最大の汚点は、「イトマン・住銀事件」との係わりであろう。
清二氏は、東京プリンスホテルの地階に高級美術品・宝飾品販売店「ピサ」をつくった。
そのピサが、「イトマン・住銀事件」の舞台となったのである。

 89年11月、首都高速を走行中のイトマン社長、河村良彦氏に自動車電話がかかってきた。電話の主は黒川園子氏。豪腕のバンカーとして鳴り響いていた住友銀行頭取、磯田一郎氏の長女である。父親の寵愛を一身に受け育てられた黒川氏は、家庭に収まる良妻賢母のタイプではなかった。82年7月、ピサに美術品担当の嘱託社員として入社したが、セゾングループ代表の堤氏に磯田氏が頼み込んで入社が決まったのである。
 その黒川氏の相談役が、“磯田の番頭”を自任していた河村氏だった。黒川氏から電話で「実はピサが買い付けを予定しているロートレック・コレクションの絵画類があるんです。どこか買い手を知りませんか」と訊ねられた河村氏は、「ぜひ、ご要望に沿えるよう前向きに検討させていただきます」と答えて電話を切った。黒川氏からの1本の電話が、裏社会の人々がイトマンを足場に住友銀行に食い込むきっかけをつくった。

http://biz-journal.jp/2013/12/post_3510_2.html

魑魅魍魎が跋扈する世界であり、詩人の感性と両立するわけもない。
大金が闇に消えたままの不祥事であったが、清二氏がセゾングループの代表を退いた最大の原因だったともいわれている。
謎を抱えたまま、清二氏は逝った。
破綻処理に負債総額からみれば僅かなものともいえるが、100億円という私財を投じたのはさすがである。

余談であるが、私の地元の沼津に西武百貨店が進出したのは1957年のことで、「沼津で東京のお買いもの」というキャッチフレーズで親しまれた。
惜しまれつつ今年の1月をもって閉店した。
⇒2013年1月31日 (木):西武沼津店の閉店と地方再生の可能性/花づな列島復興のためのメモ(186)

上記の展開の時系列からするとずいぶん早い時期になる。
清二氏が、沼津出身の詩人大岡信氏と懇意だったからという話を聞いたような気がするが、あまり信憑性はない。
大岡氏が処女詩集『記憶と現在』を伝説的な書肆ユリイカから刊行したのが1956年である。
私は、康次郎が、いわゆる「箱根山戦争」のために、箱根の西側に拠点を築いたのではないかと推測している。
ちなみに箱根山戦争-Wikipediaには次のように説明されている。

1950年からから1968年にかけて、堤康次郎率いる西武グループと、安藤楢六率いる小田急グループ、およびその背後にいる五島慶太の東急グループの間で繰り広げられた箱根の輸送シェア争いの通称。巨大グループ同士の衝突が熾烈を極めたため、これに舞台となった箱根山の名を冠して「戦争」と呼ばれ、「箱根山サルカニ合戦」とも揶揄された。
作家獅子文六により「箱根山」の題で小説化されており、後に川島雄三によって東宝で映画化された。

晩年は義明氏を再起させようと支援の道を探ったらしいが、「土下座して謝れば許してやる」が義明氏の返答だったという。
たまたま映画『利休にたずねよ』を観たのだが、秀吉が、利休の若い時代に愛した美しい高麗の女の形見として片時も離すことのなかった緑釉の香合を、差し出せば許してやるというシーンが重なった。
北朝鮮の粛清も同期して、政治権力を越えるものは何なのか、しばし考えざるを得なかった。

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2013年12月15日 (日)

張成沢粛清と先軍政治/世界史の動向(7)

北朝鮮の張成沢処刑をどう理解するか?
それは、今後の東アジア情勢にとって大きな意味を持つか?
【張真晟のインサイド​北朝鮮】という注目すべきメルマガある。

張氏は、2004年に脱北した。
その後の略歴は、、韓国情報機関傘下の国家安保戦略研究所研究員を経て、北朝鮮情報サイト「NEW FOCUS」を設立し、編集人兼代表である。
北朝鮮では、金日成総合大学を卒業し、朝鮮労働党中央党・統一戦線部(対南工作部門)勤務した。
このような経歴から、北朝鮮の内部事情に詳しいであろうこと、しかし韓国よりのバイアスが掛かっているであろうことが想定される。

【張真晟のインサイド​北朝鮮】の7月31日号に次のような記載がある。

 1カ月ほど前、北朝鮮人民保安部(警察に相当)が私の運営する北朝鮮専門サイト「NEW FOCUS」を「物理的に除去する」と特別談話を発表した。北朝鮮の国内を管轄する警察組織が韓国の民間メディアを脅迫する特別談話を出したのは恐らく初めてだ。「NEW FOCUS」は、海外で勤務する北朝鮮人脈から情報提供を受け独自報道を行ってきたが、談話は情報提供者に向けての脅迫でもあった。
 その情報通信員の何人かが最近、共通の報告をしてくる。北朝鮮で重大な権力内葛藤が起きているという。金(キム)正日(ジョンイル)遺訓をめぐる強硬派と穏健派の対立が表面化し始めたというのだ。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130731/kor13073122120006-n1.htm

そして、金正恩体制について次のように分析している。
穏健派は、強盛国家建設のため人民経済先行を主張する第1書記、張成沢を中心にする勢力で、強硬派は先軍政治を名目に核武器路線に固執する朝鮮労働党組織指導部と軍部である。
世襲の初期は穏健派が優勢に政治情勢を主導したが、穏健派による朝鮮人民軍総参謀長李英浩の粛清が、強硬派を結集させた。
穏健派の狙いは李英浩が握っていた軍経済であるが、強硬派は長距離弾道ミサイルと核実験というカードを切った。

そして今回の張成沢粛清を次のように解読する。

 今回の張成沢氏処刑は金正恩氏の唯一指導体制確立のための措置ではない。その逆である。叔父の張成沢氏が隠然と力を持った金氏一族の政治に押され、張成沢氏の穏健派勢力と対立してきた強硬派勢力の“奇襲クーデター”である。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131214/kor13121407140004-n1.htm

金正日時代には、ここまでの「小枝切り」はあり得なかった。
「小枝」とは、金正日の言葉で、「樹木が大きく育つには枝を切らなければならない」として、唯一指導体制のじゃまをしそうな親戚を「小枝」と分類し牽制した。
張成沢が党組織指導部のなかで、首都建設などの非主流担当の幹部だったのは、「小枝論」の対象だったからである。
権力に力がみなぎっていた金正日時代は小枝を牽制すれば十分だったが、金正恩政権は小枝を根こそぎにしなければならないほど統治力が弱いということである、というのが、張真晟氏の見方である。

張成沢氏処刑を通じ金正恩体制の変化を一言で要約すれば、金正恩氏は強硬派に囲まれた“首領の演技者”になったということだ。強硬派は、生きている金正恩氏の権威に服従しているのではなく、死んだ金正日氏の遺訓で北朝鮮を支配しようとしている。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131214/kor13121407140004-n1.htm

「死せる金正日、強硬派を通じ生ける金正恩を動かす」ということだろうか。
北朝鮮の政治体制は、先軍政治という言葉で知られる。
この言葉も、金正日によって指導思想として位置づけられた。

先軍政治とは、すべてにおいて軍事を優先し、朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす政治思想である。
2009年の朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法改正によって主体思想とともに指導思想として憲法に明記されるようになった。
金正日は先軍政治について「先軍政治は私の基本的な政治方式であり、我々の革命を勝利に導くための、万能の宝剣です」と述べたとされる。
この言葉を、金正日の遺訓として最大限に利用としているのが強硬派ということであろう。

しかし、敢えて張成沢粛清を、メディアを動員して劇場型にして見せなければならなかったところに、金正恩が万全の体制を築き得ていないことが透けて見える。
強硬派が長期的に優勢を保つとは思えない。
しかし、体制が落ち着く過程で暴発する可能性はあるのではなかろうか。

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2013年12月14日 (土)

北朝鮮、張成沢氏の死刑執行/世界史の動向(6)

北朝鮮の朝鮮中央通信は12月13日、党からの除名を報道していた張成沢・前国防委員会副委員長に対し、国家転覆陰謀行為の罪で前日に特別軍事裁判を開いて死刑判決を下し、即日執行したと伝えた。
なんという慌ただしさだろう。
このブログで、失脚したようだ、と書いてからわずか10日足らずである。
⇒⇒2013年12月 5日 (木):張成沢北朝鮮国防委副委員長失脚か?/世界史の動向(4)
⇒2013年12月10日 (火):北朝鮮における政変の意味/世界史の動向(5)

再審の余地もないということは、軍事国家特有ということだろう。
しかし、21世紀の今、こんなことが行われようとは。
想定を超えていたことは私だけではないようで、各国も一様に、憂慮しつつ推移を注意深くウオッチしているようだ。

韓国政府は13日午前7時半から国家安保政策調整会議を開き、協議した。終了後、統一省報道官は「一連の事態を深く憂慮しながら鋭意注視している。今後もすべての可能性に備え、万全を期す」とし、関係国と緊密に協力していく方針を明らかにした。
・・・・・・
米国務省のハーフ副報道官は12日(日本時間13日午前)、「(死刑が)本当だとすれば、北朝鮮の体制が極度に残酷であることを新たに示した」との談話を発表した。米政府も情勢の分析を急いでいる。
 ブッシュ政権時代に対北朝鮮政策に携わったジョージタウン大のビクター・チャ教授はCNNテレビに「これほど恐ろしく劇的なことは、金日成(キムイルソン)主席が権力を固めようとしていた1950年代以来だ」と指摘。

http://www.asahi.com/articles/TKY201312130003.html

事実上のナンバー2とみられていた人物がこのように慌ただしく処刑される背景に何があるのか?
朝鮮中央通信によると、クーデターを企てたというのが張氏の罪状のようだ。

朝鮮民主主義人民共和国国家安全保衛部特別軍事裁判所は、被告人・張成沢が敵と思想的に同調して、わが共和国の人民主権を覆す目的で敢行した国家転覆陰謀行為が共和国刑法第60条に該当する犯罪を構成するということを確証し、凶悪な政治的野心家、陰謀家であり、万古逆賊である張成沢を革命の名のもとに、人民の名のもとに峻烈に断罪・糾弾し、共和国刑法第60条によって死刑に処することと判決を下した。
判決は即時執行された。

http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/12/north-korea-jang-execution_n_4436402.html

その上、「凶悪な政治的野心家、陰謀家」「犬畜生にも劣る醜悪な人間のゴミ」などの言葉を使って張氏を非難している。
文化大革命時を想起させる共産主義者によくある陳腐なレトリックとも考えられるが、文化大革命よりもずっと素早い動きである。
それだけ危機の認識が深刻であったということだろう。

さらに、張氏が「外部世界に『改革家』と認識された自分を利用しようとした」とし、北朝鮮に「改革・開放政策」を迫る中国との関係を問題視している。
また、「一定の時期になり経済が落ち込み、国家が崩壊直前に至る」ことを張氏は事前に想定し、その時に首相になろうとしていたとし、経済運営が危機的状況にあることを明らかにしている。

張氏は、アントニオ猪木参院議員が11月に訪朝した時に会談した相手でもある。
同氏は、「よく分からない。北朝鮮も神経質になっているときなので余計なことを話さず、言葉を控えたい」と語っている。
周辺の反対を押し切って訪朝したのは何だったのか?
張氏は、中国だけでなく、日本とのパイプ役だったというが、パイプの先は同議員ということであろうか?

張氏排除こそがクーデターという見方もある。
穏健派の張氏の影響力を除去する強硬派が、金正恩第一書記が叔父の穏健派の張氏を生かしたままにすることを懸念して仕掛けたとするものである。
日本の将来に対してもなかなか明るいシナリオは想定できないが、現実の恐怖国家に生まれなくて良かったとは思う。

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2013年12月13日 (金)

輸出企業に優しい税制改革/アベノミクスの危うさ(23)

自民、公明両党が、12日、2014年度の与党税制改正大綱を決めた。
来年4月からの消費税率アップに関連して、さまざまな改正が盛り込まれているが、総じていえば消費者よりも輸出大企業の方を向いていることは否めない。
もちろん輸出大企業が潤うことによって恩恵を享受する人も数多いだろうが、消費者・生活者全般から見れば少数である。

それにしても、公明党の自民党との一体化ぶりは如何なものか?
参院選後、公明党のアイデンティティといったものが全く感じられない。
特定秘密保護法案にしろ、税制改革大綱にしろ、安倍政権と同化してしまっている。

今回の改正を象徴するものが自動車税であろう。
軽自動車の所有者が毎年市町村に納める「軽自動車税」について、自家用軽乗用車は現在の7,200円から1.5倍となる1万800円に引き上げることが税制改正大綱に盛り込まれた。
これなどは、東京中心の発想であると同時に、国内市場よりも輸出に目を向けたものといえる。
131213
東京新聞12月13日

軽自動車は、近年著しく性能も居住性も向上して、小型車との差異は小さくなってきている。
一方で、1,000cc以下の自動車に課せられる自動車税は2万9,500円/年であるから、軽自動車とは税金の面でかなりの違いがあった。
その幅を縮小しようということであり、一面の理屈ではあるが、地方の生活の実態からすればそれこそ生活必需品の増税である。

生活必需品については、消費税の軽減税率適用の問題も議論されたが、「社会保障と税の一体改革の原点にたって、必要な財源を確保しつつ、関係事業者を含む国民の理解を得たうえで」との条件を付した上で、「税率10%時に導入する」ことで合意した。
さらに導入に向けて「社会保障を含む財政上の課題と合わせ、対象品目の選定、区分経理などのための制度整備、具体的な安定財源の手当て、国民の理解を得るためのプロセスなど、軽減税率制度の導入にかかる詳細な内容について検討し、14年12月までに結論を得る」とし、その結果については「与党税制改正大綱として決定する」と明記した。
10%にいつなるかは、現時点では不明であり、まあ先送りということであろう。Photo
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013121302000119.html

忘年会シーズンであり、アベノミクス効果か今年は会場を押さえるのが大変だともいう。
実体経済が良くなっている実感はないが、良くなっているとすれば結構なことである。
しかし、素人目にも、消費税率アップの影響は目に見えて出てくるであろう。
負担が先行するのでは、消費マインドは冷え込むだろうからだ。

野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問] は、ダイヤモンドオンライン誌12月12日号で次のように書いている。

 12月9日に発表された2013年7-9月期のGDP(国内総生産)速報(2次速報値)では、実質GDPの対前期比増加率(季節調整済み)が、0.5%から0.3%へとかなり大きく下方修正された(年率換算値では、1.9%から1.1%に)。この大きな原因は、1次推計で0.2%とされていた民間企業設備の前期比が、0.0%に下方改定されたことだ。日本経済に「好循環」は生じていないことが、はっきりと示された。

安倍首相は、GDP(国内総生産)速報を見て、消費税増税を決断したのではなかったか。
余りに短期的視点で捉えると、道を誤ることになる。
木を見て、森も見て、判断しなければならないはずであるが。

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2013年12月12日 (木)

石破幹事長の2本目の馬脚/花づな列島復興のためのメモ(281)

安倍首相が、特定秘密保護法の成立に関し、「私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだった」と反省の弁を語ったのは9日の夕である。
しかし、自民党の石破幹事長が、11日の日本記者クラブでの会見で、どうやら2本目の馬脚を露したようである。
1本目は、自身のブログに「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と書き、あたかもデモ行為がテロと同様であるかのような認識を示したことである。
⇒2013年12月 3日 (火):石破自民党幹事長の馬脚/花づな列島復興のためのメモ(277)

石破幹事長の問題発言は、特定秘密保護法で指定された秘密を報道機関が報じることについて、何らかの方法で抑制されることになると思う、と述べて、特定秘密に関する報道は規制する必要があるとの考えを示したことである。
特定秘密を報道した場合について「最終的には司法の判断だ」と発言し、処罰の対象になり得るとも。

 しかし、秘密法は「国民の知る権利の保障に資する報道又(また)は取材の自由に十分に配慮しなければならない」と明記。正当な取材で秘密を入手した場合は処罰の対象にならず、秘密を報じた場合の罰則規定もない。そもそも公務員らが「これは秘密だ」と言わない限り、報道する内容が秘密かどうかさえ知ることはできない。
http://www.asahi.com/articles/TKY201312110401.html

石破氏は、気軽に本音をかたったのだろう。
考えてみれば、いわゆる「オフレコ発言」の取り扱いに似ている。
内輪の集まり(記者クラブ等)で、喋るけど書くなということは、良くあることであろう。

しかし、やはり法律の問題であるから厳密に考えるべきであろう。
幹事長が特定秘密保護法について、理解が十分ではないということは、安倍首相が成立後に反省をしてみせたところで、法律そのものに重大な欠陥があることを示している。
安倍首相はおそらく東アジア情勢等を踏まえ、立法の趣旨を説明すれば国民は納得すると思っているのであろう。
⇒2013年12月 5日 (木):張成沢北朝鮮国防委副委員長失脚か?/世界史の動向(4)
しかし、法律の必要性と運用における可能性は峻別して考える必要がある。

たとえば、軍隊を指揮統率するのに統帥権は必要であろう。
大日本帝国憲法は、第11条で天皇大権の1つとして、陸軍や海軍への統帥の権能として統帥権を定めていた。
統帥の権能が政府や議会から独立した統帥権独立制度の下にある国家は、第1次大戦までのドイツ、第2次大戦までの日本のように、君主権力が強い国家であった。
一方、制度的に政府や議会の統制下に統帥権が置かれている国家は、イギリス、アメリカなどのごとくデモクラシーの国家であった。

日本の場合、統帥権干犯問題を契機として、軍部の独走が始まったという歴史的事実がある。
具体的には、陸海軍の組織と編制などの制度、および勤務規則の設定、人事と職務の決定、出兵と撤兵の命令、戦略の決定、軍事作戦の立案や指揮命令などの権能である。
これらは陸軍では陸軍大臣と参謀総長に、海軍では海軍大臣と軍令部総長に委託され、各大臣は軍政権(軍に関する行政事務)を、参謀総長・軍令部総長は軍令権を担った。

大日本帝国憲法下では、天皇の権能は特に規定がなければ国務大臣が輔弼することとなっていたが、それは憲法に明記されておらず、また、慣習的に軍令(作戦・用兵に関する統帥事務)については国務大臣ではなく、統帥部(陸軍:参謀総長。海軍:軍令部総長)が補翼することとなっていた。
この軍令と国務大臣が輔弼するところの軍政の範囲についての争いが原因で統帥権干犯問題が発生した。

海軍軍令部長加藤寛治大将など、ロンドン海軍軍縮条約の強行反対派(艦隊派)は、統帥権を拡大解釈し、兵力量の決定も統帥権に関係するとして、浜口雄幸内閣が海軍軍令部の意に反して軍縮条約を締結したのは、統帥権の独立を犯したものだとして攻撃した。
つまり、天皇大権である統帥権を内閣が干犯したというものである。
干犯とは、「干渉して相手の権利をおかすこと」を意味する。
統帥権-Wikiediaは次のように解説している。

1930年(昭和5年)4月下旬に始まった帝国議会衆議院本会議で、野党の政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎は、「ロンドン海軍軍縮条約は、軍令部が要求していた補助艦の対米比7割には満たない」「軍令部の反対意見を無視した条約調印は統帥権の干犯である」と政府を攻撃した。元内閣法制局長官で法学者だった枢密院議長倉富勇三郎も統帥権干犯に同調する動きを見せた。6月海軍軍令部長加藤寛治大将は昭和天皇に帷幄上奏し辞職した。この騒動は、民間の右翼団体(当時は「国粋団体」と呼ばれていた)をも巻き込んだ。
条約の批准権は昭和天皇にあった。浜口雄幸総理はそのような反対論を押し切り帝国議会で可決を得、その後昭和天皇に裁可を求め上奏した。昭和天皇は枢密院へ諮詢、倉富の意に反し10月1日同院本会議で可決、翌日昭和天皇は裁可した。こうしてロンドン海軍軍縮条約は批准を実現した。
同年11月14日、浜口雄幸総理は国家主義団体の青年に東京駅で狙撃されて重傷を負い、浜口内閣は1931年(昭和6年)4月13日総辞職した(浜口8月26日死亡)。幣原喜重郎外相の協調外交は行き詰まった。

現時点でみるとどうも分かりにくい概念であるが、日本が「なぜ結果として負けるような戦争をやってしまったのか」を解くカギがこの統帥権である。
⇒2012年10月26日 (金):菊田均氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(7)
⇒2012年11月18日 (日):瀬島龍三氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(12)

おそらく大日本帝国憲法制定時には、統帥権がこのように機能して、国を壊滅さえることになることは想定外だったであろう。
歯止めをかける仕組みがビルトインされていない制度は危うい。
石破幹事長は、うっかり本音で語ったのだろうが、この法律の運用における恣意性を見せたのではないか。

それと同時に、No.2の宿命といったことに思わざるを得ない。
自民党幹事長と言えば、総理・総裁に次ぐポストである。
北朝鮮では張成氏が粛清された。
⇒2013年12月10日 (火):北朝鮮における政変の意味/世界史の動向(5)
No.2が危ういのは、独裁国家だけではないのかも知れない。

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2013年12月11日 (水)

窮地の猪瀬都知事と後継候補/花づな列島復興のためのメモ(280)

猪瀬都知事が、徳洲会からの献金問題で窮地に立たされている。
オリンピック招致のときの雄姿(?)とは打って変わり、都議会で釈明する姿は哀れとも見えるものだった。
責任を取るという意味で、自分の給与の全額を返上するということだが、それで責任を取ったことになるのだろうか?

私は、TVで放映されているのを見て、猪瀬氏は持たないのではないかと感じた。
言い訳にスジが通っていないのである。

猪瀬氏は、11月22日の午後1時の時点では「資金提供という形で応援してもらうことになった」と説明していたが、その後は「(都知事選後の)生活に対する不安があった」から借りた*1ので、個人の借金だと主張している(産経ニュース)。選挙資金であると認定されると違法になるのは分かるのだが、倫理的にはより大きな問題を抱える事になっている。
5,000万円が政治資金であれば、無記載は法律の解釈ミスと言い張ることもできるであろう。個人的な目的で借りたと言う事になれば、個人借用としての不自然さもさることながら、当時副知事として公職にある者が特別な便益を受けたと言う事になる。東京都は徳洲会グループの施設に補助金を支出していた(産経ニュース)。

http://blogos.com/article/75650/

後はタイミングの問題といった様相である。
それはそれで責任をとったことにはなるのだろう。
1943年に制定された都職員服務紀律は、職務上の「利害関係者」からの利益供与を禁じている。
借金も利益供与とみなされ、職責の大きさや職務への影響、信用失墜の度合いなどを踏まえて処分の程度が決まる。
猪瀬氏は副知事だったから、服務規律の対象であろうと考えるが、都によると、猪瀬氏はいったん副知事を辞めてから選挙で知事になっており、紀律は適用できないという。
しかし、倫理的に見たら許されるものでもないだろう。

猪瀬氏が辞めたらどうなるか?
早くもソワソワと動き出している人たちがいる。

「かつて都知事選で石原氏とも戦ったことがあり、現在浪人中の舛添要一氏が筆頭でしょう。石原氏が都教育委員などのポストに起用し続け、現在、首都大学東京理事長の川淵三郎氏の線もある。Jリーグ初代チェアマンとしてスポーツ色が強く、五輪開催の“顔”になりますから」(都議会関係者)
「民主党も動くだろう。菅(直人元首相)さんあたりは黙っていない。日本維新の会の東国原英夫衆院議員も色気があるはず」(野党関係者)
 さらには、こんな話も。
「局内では、キャスターの安藤優子氏の名前が出ている。本人もまんざらでもない様子です」(フジテレビ関係者)

http://dot.asahi.com/aera/2013121100004.html

 日本維新の会の東国原英夫衆院議員(比例代表近畿ブロック)は11日、自身のブログで「残念ながら維新の理念、政策、方向性が変質している。党の刷新は困難だ」として、離党と議員辞職の意向を表明した。同日中に離党届を提出する。橋下徹共同代表(大阪市長)は市役所で記者団に「これはもう本人の意思だ」と述べ、慰留しない考えを示した。
 東国原氏はブログで、維新が特定秘密保護法の衆院審議段階で与党と修正合意したことについて、「妥協や歩み寄りをすべきではなかった」と批判。橋下氏と石原慎太郎共同代表との「東西二元体制の弊害」も離党の理由に挙げ、「政策決定プロセスが有機的に機能していない」と指摘した。
http://topics.jp.msn.com/flash/article.aspx?articleid=2557601

東国原氏の言うことは尤もだとも思うが、余りに政局的であろう。
こういう人は、大概は選挙が始まる前に消えていくのではないか。

「週刊ポスト2013年12月20・27日号」に、『小泉東京都知事なら何が起きるか』という記事が載っている。
東京都の経済規模は、G20に名を連ねるほどの規模だ。
しかも7年後には夏季オリンピックが待っている。
「オイシイ」ポストである。
言ってみれば「巨大な棚ボタ」が天から落ちてくるのだ。
その割に、わくわく感に乏しい名前だろう。

猪瀬氏は昨年の選挙で433万票という史上最多得票を得た。
新知事がその数を超えなければ「猪瀬氏以下の期待」でしかないことになる。
「433万票の壁」を破る人物は誰もいないのか?

その壁を簡単に乗り越えるであろう人物といわれれば、誰もが「原発ゼロ」演説で存在感を放った小泉純一郎・元首相を思い浮かべるはずだ。
「仮に出馬すれば我々に勝ち目はないから候補を立てられない。民主党も維新も同じで、小泉支持に回らざるを得ない。共産党は戦うだろうが、原発ゼロを唱える小泉は共産党支持層さえも奪い取る。得票率9割超の圧勝になるだろう」(前出の自民党都連関係者)

と解説しているがどうであろう。
郵政民営化が正しかったかどうかは措くにしても、確かに、「脱原発」を振りかざす訴求力は並大抵ではない。
「みんなの党」の江田憲司前幹事長が新党を立ち上げるようだ。
しかし1党多弱といわれる状況の中で、野党再編ということに意味は余り無いないだろう。
なんらかの形で政界再編に繋がらないようでは、コップの中の嵐に過ぎない。
せめて「やり直し都知事選」で、何か新しい胎動が生まれないとこの国の将来は暗いだろう。

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2013年12月10日 (火)

北朝鮮における政変の意味/世界史の動向(5)

北朝鮮の朝鮮中央通信社(KCNA)は、9日、張成沢(チャン・ソンテク)氏を「犯罪行為」のため解任したことを伝えた。
失脚が推測されていたが、どうやら事実として粛清されたらしい。
No.2と目されていたのだから、政変と呼んでいいだろう。
⇒2013年12月 5日 (木):張成沢北朝鮮国防委副委員長失脚か?/世界史の動向(4)

独裁体制下では、今さら粛清劇は目新しいものではない、とも言える。
粛清は、1930年代のスターリンの大粛清を始め、20世紀政治史の一側面でもある。
大粛清-Wikipediaは、概要を以下のように記す。

ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた。ただしこの人数は反革命罪で裁かれた者に限る。
・・・・・・
1940年にトロツキーがメキシコで殺された後は、レーニン時代の高級指導部で生き残っているのはスターリンだけであった。また大粛清以前の最後の党大会(1934年)の代議員中わずか3%が次の大会(1939年)に出席しただけであった。
・・・・・・
党指導者を目指してスターリンに対抗していた者は全て見せしめ裁判(モスクワ裁判)で笑いものにされ死刑の宣告を受けた。ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、トムスキー、ルイコフ、ピャタコフ、ラデックはイギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、ポーランド、日本のスパイもしくは反政府主義者、あるいは破壊活動家という理由で、さらし者にされた上で殺された。
赤軍も5人の元帥の内3人、国防担当の人民委員代理11人全員、最高軍事会議のメンバー80人の内75人、軍管区司令官全員、陸軍司令官15人の内13人、軍団司令官85人の内57人、師団司令官195人の内110人、准将クラスの将校の半数、全将校の四分の一ないし二分の一が「粛清」され、大佐クラス以上の将校に対する「粛清」は十中八九が銃殺である。

引用していてもゾッとするが、大粛清は私にとっては文献的な知識であった。
リアルタイムで体験したのは、中国の文化大革命のである。
文化大革命のきっかけとなったのは毛沢東が実権を握っていた劉少奇からの実権奪還を目的として林彪に与えた指示であった。
林彪は自分の権力を高める好機としてこれを利用したした。
1966年8月、毛は劉打倒に動き出し、劉を弾劾する演説を起草して、本人が出席している党中央委員会で、それを読み上げ失脚させた。
そのニュースが流れたとき、夏休みで帰郷する時ではないかと思うが、東海道新幹線の車中で、友人と劉少奇がどうなるかについて議論した記憶がある。

私は、毛と劉は中国革命の2大英雄のように思っていたから、まさか国家主席の劉が追い落とされることになろうとは思わなかった。
いまにして思うに、純真過ぎて恥ずかしいくらいであるが、リアルポリティックスの暗部など、推測もできなかったのである。
1967年8月に中南海で開かれた見せしめ裁判でも、劉少奇は一歩も譲らず、簡潔な言葉で自分の考えを主張した。
肉体的・精神的な苦悩に3年間耐え、1069年11月12日劉少奇は死んだが、同情が集まることを恐れて毛沢東の生きている間、その死は人民に知らされなかった。

文化大革命は、人間の持っている弱さが至る所に現れた事件であったように思う。
文化大革命は日本の知識人にも多大な影響を与えた。
中国共産党は、もちろん日本共産党と深い関係があったが、両党の間に深い亀裂が生じさせた。
毛は、「日本でも文化大革命をやれ」と革命の輸出路線を支持したが、日本共産党は「内政干渉だ」として関係を断絶し激しい論争となった。
また、日本共産党内にも、文革賛美派、日本での文革引き写しの暴力革命持ち込みを掲げた分派が生まれたりしたが、党から除名されていった。
特に、日本共産党と対立していた新左翼に毛沢東思想が一定の影響力を持ち、連合赤軍等のアナクロニズムな行動を引き起こした。
なお、日本共産党と中国共産党は「誤りを誠実に認めた中国共産党側の態度」によって32年ぶりに関係を修復した。

文化大革命とは何だったのか?
文化大革命-Wikipediaに次のような記述がある。

毛沢東は大衆の間で絶大な支持を受け続けていたが、1950年代の人民公社政策や大躍進政策の失敗によって1960年代には指導部での実権を失っていた。文化大革命とは、毛沢東の権威を利用した林彪による権力闘争の色合いが強いが、実権派に対して毛沢東自身が仕掛けた奪権闘争という側面もある。特に江青をはじめとする四人組は毛沢東の腹心とも言うべき存在であり、四人組は実は毛沢東を含めた「五人組」であったとする見方もある。

同志として戦ってきた人間への、憎悪に近い行為。
毛もスターリンも特異な性格なのだろうか?
そういう面もあるのだろうが、閉鎖的な政治の場では一般的なのかも知れない。
中国ではまだ毛の肖像を天安門に掲げ、建国の父と崇めている。
しかし、その掲げられた像の前で自爆テロがあったり、山西省の共産党の建物が爆発されたり、「終わりの始まり」を予感させるような事件が続いた。
⇒2013年11月 4日 (月):天安門自爆テロ?/世界史の動向(1)
⇒2013年11月 8日 (金):山西省太原市の連続爆発事件/世界史の動向(3)

北朝鮮で行われた開処刑などの手法は、いかなる理由があったにせよ野蛮と言わざるを得ない。
張氏に浴びせられる言葉や議場から引きずり出すところの映像などは、劉少奇に加えられた蛮行を彷彿とさせる。
この国の近代化はいつのことになるのであろうか。

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2013年12月 9日 (月)

邪馬台国論争の新意匠/やまとの謎(91)

小林秀雄の商業文壇へのデビュー作は、『様々なる意匠』と言っていいだろう。
文芸批評が、個人の嗜好の押し付けか、マルクス主義等の公式の適用かのいずれかでしかなかった状況に対し、文学が言葉による自意識の表現であることを確認し、批評もまた批評する者の自意識の表現でなければならない、と論じて、批評のあり方を問うものであった。
⇒2007年12月25日 (火):当麻寺…②小林秀雄

ここで批評の問題を論じようというわけではない。
「邪馬台国論争」にも実に「様々なる意匠」があることは既にさまざまな角度から見てきた。
⇒2008年11月27日 (木):「憑かれた人たち」と「珍説・奇説」
最近、新意匠ともいうべき論を読んだ。

1つは、「文藝春秋」11月号における「大型企画 歴史の常識を疑え」という中の、安本美典『邪馬台国を統計学で突き止めた』という文章(取材構成・河崎貴一)である。
Photo

史料解析に数理統計学を持ち込んで、鮮やかな切れ味を見せた安本氏の業績は、古代史ファンにはおなじみのものであろう。
私が古代史の分野に興味を抱いたのも、安本氏の著書が要因だった。
⇒2008年11月16日 (日):安本美典氏の『数理歴史学』

したがって、この文章で言われている方法および結論に、新しさは感じなかった。
しかし、「九州説と畿内説をビッグデータで分析すると意外な結果が--」というリードは、流行のビッグデータか、という感じである。
そもそも、「ビッグデータ」とは何か?

「ビッグデータ」の背景には、情報通信機器のハードとソフトの進歩がある。
いわゆるICTの発達である。
⇒2013年7月 5日 (金):ビッグデータ・ブームは本物か/知的生産の方法(66)
⇒2013年7月 7日 (日):ICTとマーケティング/知的生産の方法(67)
Wikipedia-ビッグデータには、次のような説明がある。

ビッグデータ (英: big data)とは、市販されているデータベース管理ツールや従来のデータ処理アプリケーションで処理することが困難なほど巨大で複雑な データ集合の集積物を表す用語である。

安本氏のこの文章には、「ベイズ統計学に基づき計算を行った」という説明はあるが、上記のような意味でのビッグデータとは言い難いようである。

もう1つは、関裕二『新史論/書き替えられた古代史 1 「神と鬼のヤマト」誕生小学館新書(2013年10月)である。
関氏は、独学で、つまりアカデミズムの世界に身を置かずに、日本古代史の研究を進めている人である。
学統からはフリーなので、斬新で公平な目配りが可能なように思われる。
⇒2008年1月28日 (月):持統天皇…(ⅰ)関裕二説
⇒2008年1月29日 (火):持統天皇…(ⅱ)関裕二説②
⇒2008年2月 8日 (金):高市即位論(ⅱ)…関裕二説
Amazonの紹介によれば、「関氏が考古学、民俗学の成果を取り込み、日本書紀による歴史改竄を取り除いて再構築した初の古代通史」である。

「倭人の登場と日本人のルーツ」から説き起こしているが、この巻で強調されているのは、「東」の重要性である。
私たちは何となく、「文化や文明は西から」という感覚を持っている。
現在でも、大阪の芸人は話題の発信源だし、京都の新しいもの好きは有名である。
『日本書紀』においても、「東」は影が薄い。

しかし、それは必ずしも正しくはない。
古代史に『日本書紀』は欠かせないが、歴史書として読むには不可解な記述が多過ぎる。
関氏は、それは「『日本書紀』編者はヤマト建国の歴史を熟知していたからこそ、真相を闇に葬るために、記事に細工を施したのではないか」と疑いつつ、『日本書紀』を読むべきだとする。

関氏は、邪馬台国の所在地は、日本古代史にとっては重要ではないと言う。
それは、陳寿
の頭の中に描かれたものに過ぎない。

結論的に言えば、一種の「二つの邪馬台国」論である。
佐藤鉄章『検証 二つの邪馬台国―3世紀日本を駆けぬけた激流』 (1986年11月)などがある。
「2世紀から3世紀にかけて日本列島には邪馬台(耶馬台)を称する国が二つあった」とするものである。
関氏は、本居宣長の「邪馬台国偽僭説」が、考古学の裏付けを得て復活したというが、これ以上の紹介は避けるべきであろう。

私にとっては、日本神話の「天孫降臨」説話が、実は逃亡譚であったという逆転の発想が面白かった。
⇒2012年12月16日 (日):天孫降臨の年代と意味/やまとの謎(71)
⇒2012年12月25日 (火):天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)

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2013年12月 8日 (日)

大本営発表は都合の悪い事実を隠す/花づな列島復興のためのメモ(279)

今日(12月8日)の東京新聞の「東京歌壇」欄の佐佐木幸綱選に次の歌が入選していた。

音もなく逆巻く「特定秘密保護法案」釣瓶落しの時を狙いて

作者は、東京都東村山市 小野かほる氏で、佐佐木評は以下のようである。

何やら大急ぎで慌ててこの法を通そうとした政府自民党。下句、異常な急ぎぐあいを比喩して的確。

72年前、1941年の今日、ハワイ時間では7日、休日である日曜日を狙って真珠湾攻撃-ハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が航空攻撃および潜航艇攻撃を行った。
攻撃に加わり戦死した9人が二階級特進し、「九軍神」として顕彰されたが、顕彰する配慮から戦死は撃沈されたのではなく自沈であり、空中攻撃隊の800キロ爆弾で撃沈された戦艦アリゾナは特殊潜航艇により撃沈された、という大本営発表が行われた。
また、座礁した艇から艇長の酒巻和男海軍少尉が脱出して漂流中に捕虜となった公表されなかった。

特定秘密保護法によって容易に想定されるのが、行政機関が都合の悪い情報を隠蔽するであろうことである。
特に極限状況に近い場合ほど、都合の悪い情報は隠蔽され、デマ情報が独り歩きすることになる。
私が修士課程を終えようとする頃は、全共闘運動の盛期で各大学で封鎖と称することが行われていた。

「狂気の3日間」と呼ばれることになる事件が起きた。
騒然としたキャンパスに、東大・日大全共闘が京都にやってきて大学を封鎖するというウワサが流れた。
それを阻止しようということで、逆バリケードが築かれ、一般学生がそれに同調したのである。
2泊3日続いたことから「狂気の3日間」と言うのだが、コトの実態を知った学生は正気に戻り、「3日間」の意味を真剣に考えようとした。
情報が遮断されることの恐ろしさを垣間見た思いがする。

あるいは原爆投下の報道である。
1945年8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が広島市に対して原子爆弾を投下した。
大本営は政府首脳にも情報を伝え、午後早くには「広島に原子爆弾が投下された可能性がある」との結論が出された。
しかし、大本営は翌7日15時30分に、次のような報道発表をした。
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広島市への原子爆弾投下-Wikipedia

新型爆弾が原子爆弾であることが分かれば、国民の戦意が喪失すると考えたのであろう。
各紙も8月8日には広島が大きな被害を受けたことを1面トップで報じたが、大本営発表に沿って、「新型爆弾」と表記した。
一方で、アメリカ軍機から撒布されたリーフレットには、原子爆弾であることが記されていた。

広島や長崎を襲った爆弾の正体が原爆であると確認した軍部は、緘口令を諦めて報道統制を解除した。
その結果、11日から12日にかけて新聞各紙は広島に特派員を派遣し、広島を全滅させた新型爆弾の正体が原爆であると読者に明かした。

原爆に限らず、戦時において、報道はさまざまに制約されていた。
いわゆる「大本営発表」が真実と次第に乖離したものになっていった。
Wikipedia は、次のように説明されている。

大本営発表(だいほんえいはっぴょう)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)において、日本の大本営の陸軍部及び海軍部が行った、戦況などに関する公式発表のことである。
当初はほぼ現実通りの発表を行っていたが、一般的にはミッドウェー海戦の頃から損害矮小化発表が目立ちはじめ、不適切な言い換えが行われるようになり、敗戦直前には勝敗が正反対の発表すら恒常的に行ったことから、現在では「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞になっている。しかし現実の大本営発表は、戦果の誇張や一部言い回しはあるものの大筋の戦況は正しく発表されている。

情報優位側は、自分に都合の悪い情報は隠蔽し、場合によってはデマ情報を流してでも世論を誘導しようとする。
1大学の「3日間」にさえ、それはあった。

福島県鮫川村に、放射性物質に汚染された草木や稲わらを焼却して容積を減らす国内初の「焼却減容化施設」が本格運転を開始したのは、8月19日のことであった。
運転開始して間もない8月29日午後2時半ごろ、爆発事故が起きた。
環境省(大本営)発表は、「爆発は焼却炉から灰を取り出すためのコンベヤーで起こり、コンベヤーを覆う囲いの一部が破損。けが人はなく、焼却灰そのものは飛散していない」であった。
しかし、ならばなぜ実態を隠そうとするのであろうか?
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東京新聞12月6日

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2013年12月 7日 (土)

特定秘密保護法成立の後で/花づな列島復興のためのメモ(278)

昨夜遅く、特定秘密保護法が参院本会議で、自民、公明両与党の賛成多数により可決、成立した。
私はこの国の将来に対して深く憂慮するが、これでおしまいと言うわけでは決してないだろう。
安倍政権は、多少強引な手法であっても、3年後に想定される衆参同時選までは政権は安泰であり、その頃になれば大方の国民は目の前の問題に引き寄せられて、過去のことなど忘れているだろう、と読んでいると思われる。
確かにわれわれは、直近のテーマに心を奪われがちではある。
しかし、ここは多少引いた視点で俯瞰的に考えてみることも必要だろう。

わが国は、明治維新によって近代化のスタートを切ると、基本的には富国強兵路線により、欧米列強との競合関係に対処してきた。
その帰結が、大東亜戦争(太平洋戦争も含む)であった。
その過程で、情報統制が大きな役割を果たしたことは否定できないことであろう。
たとえば、昭和6(1931)年の満州事変の発端になった柳条湖事件について、当時の日本国民は、情報がコントロールされていたため、中国軍が満鉄を爆破したと信じた。
現在は石原莞爾らが柳条湖で南満州鉄道を爆破し、これを中国軍の仕業とする謀略により起こしたもの、という見方が定着しているといっていいだろう。
⇒2012年10月 1日 (月):「満州事変」をひき起こしたのは誰か/満州「国」論(3)

もちろん、元自衛隊航空幕僚長・田母神俊雄氏のように異論の持ち主もいるが、異端であろう。
私は基本的には異端の見解を好むものであるが、根拠となる史実自体は尊重したい。
⇒2012年9月18日 (火):柳条湖事件から81年、拡大する反日デモの行方/満州「国」論(2)

あるいは、1925年に成立した「治安維持法」である。
共産主義者を取り締まるために制定された法律だったが、共産主義が壊滅した後は、次第に拡大解釈され宗教団体や、右翼活動、自由主義等、あるいは芸術の分野まで対象になった。
第1次安倍政権の時、安倍首相は、「戦後レジーム」からの脱却」を政策の中心に据えていた。
⇒2007年8月12日 (日):戦後レジームについて
戦後レジームと対照されるのは何か?
1つは戦前・戦中レジームであろう。
⇒2007年8月13日 (月):戦中レジームの一断面

戦前・戦中レジームを象徴するものが「治安維持法」ではないか?
一度成立した法律が恣意的に拡大されることは、たとえば新興俳句弾圧事件を見ればいい。
⇒2007年10月26日 (金):新興俳句弾圧事件…①全体像
この法律の恣意的な運用は、たとえば五木寛之氏が新興俳句弾圧事件をテーマにした読み物にも描かれている。
⇒2007年11月 2日 (金):『さかしまに』

要するに、どうということのない片言隻句が、解釈次第で危険と見なされうるのである。
そして、治安維持法の被疑者の弁護士を弾圧し、朝鮮半島など植民地の民族独立運動の弾圧にまで用いられた。
要するに、言論弾圧による権力の暴走を止められなかったことが、敗戦に至る大きな要因だったと考えられる。

都合の悪い情報は秘匿しようとするのが権力の常である。
自民党の旧態依然たる政治に愛想を尽かして実現した民主党政権においても同じことであった。
パニックを回避するという名目で、福島第一原発事故におけるSPEEDIの予測情報を秘匿したことは、民主党政権の拭えぬ汚点である。
⇒2011年5月27日 (金):情報の秘匿によりパニックは回避されたのか?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(37)

特定秘密保護法は成立した。
しかし、情報をめぐるジャーナリズムと国民の戦いは、これからが正念場とも言える。
われわれは歴史を繰り返してはならない。
1度目は悲劇であったが、繰り返すならば喜劇になるであろうことは、マルクス言葉として知られている。
⇒2013年11月16日 (土):情報の公正な保秘と公開/花づな列島復興のためのメモ(272)

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2013年12月 6日 (金)

安全保障の名目で国を危うくする安倍一族/戦後史断章(17)

特定秘密保護法案が、5日の参院国家安全保障特別委員会で自民、公明両党の賛成多数で可決した。
両党は、6日までの会期を延長した上で、参院本会議で可決、成立させる方針だ。
22時時点では可決されたという報道はないが、時間の問題というものだろう。

それにしても、終盤に来て反対論が急速に盛り上がってきたような感じがする。
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東京新聞12月5日

世論調査の結果も今国会での成立を支持する声は少ない。
Photo
http://www.asahi.com/politics/update/1201/TKY201312010146.html

これだけの反対の声を封殺して急ぐのはなぜか?
時を置くに連れ、反対論が強まると予測されるからではないか?

森鴎外の小説に、『阿部一族』という作品がある。
鴎外の歴史小説の中の代表作と目されるもので、多分、中学か高校の頃に読んだはずであるが、内容は忘却し、タイトルだけ覚えている。
以下は、タイトルからの連想であって、内容には全く関係がない。

安倍首相の系図は以下のようである。
Photo_2
総理大臣の家系図

まさに「華麗なる一族」というべきであろう。

一族の中で、特に注目すべきは、岸信介-佐藤栄作の兄弟であろう。
岸信介は、安倍晋三の祖父(母・洋子の父)である。
東京帝国大学法学部卒業後、農商務省に入省、同省廃止後は商工省にて要職を歴任した。
建国されたばかりの満州国に渡り、国務院の高官として「満州開発五か年計画」などを手がけた。
その後、東條内閣では商工大臣として入閣したが、太平洋戦争後にA級戦犯被疑者として逮捕されるも、不起訴となる。
公職追放解除後に政界に復帰し、石橋湛山の病気により石橋内閣が総辞職すると、後任の内閣総理大臣に指名され、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の成立に尽力した。
⇒2012年12月24日 (月):エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13)

石橋湛山は私の住んでいた地区の選挙区(中選挙区)であり、岸が首相に指名された時のことは遠い記憶として残っている。
⇒2011年7月24日 (日):様々なる引き際-魁皇、湛山、菅総理
しかし何と言っても岸の記憶は、60年安保とセットになっている。
⇒2012年10月22日 (月):60年安保と岸信介/戦後史断章(3)
60年安保は、安保条約の中身の問題よりも、改定を進めようとする岸内閣および自民党のやり方に対する反感だったといえる。
⇒2007年10月11日 (木):「60年安保」とは何だったのか

佐藤栄作は、東京帝国大学卒業後、鉄道省に勤務し、運輸省の次官を最後に退官すると、非議員ながら第2次吉田内閣の内閣官房長官に任命された。
その後、第24回衆議院議員総選挙(1949年)で当選し、一年生議員ながら自由党の幹事長に就任した。
1964年、池田勇人が病気で退陣すると、後継に指名された。
1972年に退陣するまで、首相の連続在任期間は歴代総理中最長の7年8ヶ月に及んだ。
私は1963年に大学に入学し、修士課程を69年に終了しているので、ほとんどの期間が佐藤首相の時代ということになる。

岸と佐藤は、総裁公選のすぐ後に当選者(石橋、池田)が病気退陣することに伴い、惜敗していた次点の候補者として、後継者になるというまったく同一の過程を経て、首相になった。
奇しき因縁といえよう。
岸の60年安保に対し、佐藤は70年安保ということになる。

両安保も、学生を中心とする激しい改定反対運動があったが、安保闘争-Wikipediaによれば、以下のように様相が異なるものであった。

60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。しかし70年安保闘争では左翼側の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失った。

なお、佐藤栄作は、1974年非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を日本人で初めて受賞した。
甚だしい違和感を持ったことを憶えている。

佐藤の業績に沖縄返還が挙げられるが、首相就任直後の1965年1月のジョンソン会談に向けて沖縄の勉強を始めたときには「沖縄の人は日本語を話すのか、それとも英語なのか」と側近に尋ねて呆れられたとの逸話がある。
交渉の過程でアメリカ側の要請により「有事の沖縄への核持ち込みおよび通過」について、事前協議が行われた際には日本側が「遅滞なく必要を満たす」ことを明文化した密約の文書が交わされた。
これは、交渉の密使を務めた若泉敬によって、佐藤没後の1994年に暴露され、佐藤の遺品にこの合意議事録が含まれ、遺族が保管していたことが2009年12月に報道された。

岸-佐藤兄弟の歴史的評価は、人によって異なるだろう。
しかし私は、岸の安保改定強行採決は反対だったし、佐藤栄作の密約は国を危うくするものであると思う。

佐藤はノーベルへ平和賞を受賞したが、たまたま今朝、南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策と闘い、同国初の黒人大統領になったネルソン・マンデラ氏が死亡したというニュースが流れた。
ノーベル平和賞には、赤十字社を創設したアンリ・デュナン、ソーシャルワークの先駆者ジェーン・アダムズ、第2次世界大戦後の欧州復興を主導したジョージ・マーシャル、米公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ミャンマーの民主化指導者アウン・サン・スー・チーなど、平和賞の名に値する人がいる一方で、オバマ大統領などのように、政治的思惑が露骨な受賞者もいる。
佐藤の場合は、「非核三原則-核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」の提唱者であることが授賞理由だから、自ら辞退すべきものであった。

安倍首相は、一族の宿願であるかのように、特定秘密保護法を強引に成立させようとしている。
岸、佐藤を含め、国を危うくする一族と言えるのではなかろうか。

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2013年12月 5日 (木)

張成沢北朝鮮国防委副委員長失脚か?/世界史の動向(4)

韓国筋の伝えるところでは、金正恩第1書記の叔父である張成沢国防委員会副委員長が失脚したらしい。

 韓国の情報機関、国家情報院は3日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の叔父で、朝鮮労働党行政部長など要職を務める張成沢(チャン・ソンテク)・国防委副委員長の側近2人が公開処刑され、張氏自身もすべての役職を解かれて失脚した可能性が高いと国会情報委員会所属の野党議員に報告した。
 国情院によると、公開処刑されたのは党行政部で張氏の直属の部下であるリ・リョンハ第1副部長と、チャン・スギル副部長。
 2人は11月下旬、党に反対する不正行為の容疑で公開処刑されたことが確認され、その後、張氏の行方も分からなくなっているという。一方、張氏の妻で金正日総書記の実妹、金敬姫(キム・ギョンヒ)・朝鮮労働党政治局員の動静については確認できていないという。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131203/kor13120317320004-n1.htm

ベールに包まれた中での話なので実態は不明だが、どう見るか?
北朝鮮は独裁権力を世襲によって継承しているが、世襲すなわち血統は、もっともベーシックな近親性であろうが、「近親憎悪」という言葉があるように、反転すると激しい対立の要因になる可能性があるから、常に危うさを秘めたものとなる。

日本も、敗戦までは天皇制という独裁権力の世襲であったが、独裁権力であったのは明治維新後であって、日本史を通じては、権力と権威の棲み分けという方が常態であったといえよう。
⇒2010年9月29日 (水):北朝鮮の権力承継
⇒2010年9月30日 (木):権力の世襲と権威の世襲/「同じ」と「違う」(15)

金正恩第1書記の系図は下図のようである。
Photo
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013120300681

つまり張成沢氏は、金日成の娘婿である。
金日成の威光は絶大であって、張氏が生き残ってきたのはこの血統の故であろう。 
張氏は党の政治局員などを兼務し、2011年の金正日総書記死去後は金第1書記の「後見役」という位置づけだった。

張成沢-Wikipediaには以下のような記述がある。

金正日の側近中の側近として権勢を振るっていたが、2003年10月より以後、消息報道が長期間途絶える。ほどなく2004年2月頃には、分派活動を疑われて失脚したという情報も飛び交ったものの、2006年1月29日の朝鮮中央通信の報道で復権したことが判明。
・・・・・・
2008年8月末頃、交通事故で重傷を負ったとの情報がある。これについては、正男を推す張をはじめとする勢力と、次男の金正哲を推す(もしくは自分たちが権力を掌握しようとする)軍部との間の権力争いとの見方がある。
・・・・・・
2010年6月7日、国防委員会副委員長に選出。ナンバー2の地位を得る。これについては、金正恩を後継者にするための布石と言う見方と、正恩を後継者にすることを諦め、張自身を北朝鮮の次期最高指導者にするため、という2つの見方があった。
同年9月28日、第3回党代表者会議をうけて開催された中央委員会総会で政治局員候補に昇進。同時に金正恩も党中央軍事委員会副委員長に推挙され、これにより金正恩の後継者としての地位がほぼ確定した。
2011年12月17日に金正日が死亡し、葬儀委員会の名簿には19位に名を連ねた(妻は14位)。当面の間は若い金正恩を張ら後見人がバックアップする体制が取られるものとみられている。
2012年4月11日の第4回朝鮮労働党代表者会で、朝鮮労働党政治局員候補から政治局員に昇格した。

非民主主義国特有の波乱に富んでいるが、幾たびかピンチをしのいできた歴戦のしたたかな男ということであろう。
失脚の原因について、金正恩体制発足に伴い、張氏の力添えで事実上のナンバー3に昇格させた側近の崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長との間で権力闘争が発生し、これに張氏が敗北した可能性があるといわれる。
軍に足場を持たない崔氏が、軍の支持を得るため軍の主張を代弁しているという見方である。
あるいは、金正恩が自らの絶対的権力の護持のために、目の上のコブの事実上のナンバー2の張を排除した可能性も言われている。

張氏は中国とのパイプ役だったという。
しかし、今年の5月には崔氏が訪中し、昨年の張氏の訪中のときよりも、朝鮮労働党の機関紙の扱いは大きかったという。
党と軍の関係に何らかの変動があったのであろうか?

張氏の失脚が、1崔氏との争いの結果だとすると、軍が党のコントロールを超えて動いているという見方もできる。
そしてそれは、中国の権力構造の変化と連動したものではないか、とされる。
中国が東シナ海上空に、突然一方的に設定した防空識別圏は、軍が党のコントロールを超えて暴走したものであり、それが北朝鮮の権力構造に反映しているという見方である。

張失脚の背後にこうした事情を想定すると、安倍政権が、国家安全保障会議の設立を急ぎ、特定秘密保護法案をごり押しするのも、腑に落ちてくるところである。
しかし、外因に気をとられて内部の状況判断を誤ると、将来に禍根を残すことになるのは昭和前期の歴史が教えるところではなかろうか。

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2013年12月 4日 (水)

原発被害の救済を急げ/原発事故の真相(98)

今日で、東日本大震災発災の2011年3月11日から、1,000日である。
1,000日というのは、長いのか短いのか?
いまも約26万人がプレハブなどの仮設住宅で暮らしている。
仮設住宅での1,000日は、やはり長いのではないか。

「災害の階級性」ということを聞いたことがある。
東日本大震災の犠牲者について、以下のようなデータがある。

東日本大震災(2011年)でも犠牲者を年代別に数えると、60代が19%、70代が23%、80代以上も23%あった。一方、50代は12%、40代は7%、30代は6%だったから、高齢者の割合は人口割合よりもずっと多かった。つまり、現代の地震は弱者を狙い撃ちにするのである。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20131108/dms1311080723003-n1.htm

古い住宅に住み、費用のかかる耐震補強もおいそれとはできない弱者は、被害も大きいというのは分かりやすいが、それを放置するというのは政治・行政として問題だろう。
福島第一原発事故で被害の救済が遅れている地域がある。
宮城県丸森町筆甫地区は、福島第一原発事故の北北西約50キロの地域である。
丸森町の位置は下図のようである。Ws000001

丸森町の線量は下図のようであった。
Photo 
東京新聞12月2日

被曝許容基準をどう考えるかについて、何が正しいのか明確ではないが、除染の目安とされてきた1ミリシーベルト/年と考えよう。
1年は8,760時間(365×24)であるから、1/8,760=0.00011ミリシーベルト/時ということになる。
0.00011ミリシーベルト/時=0.11マイクロシーベルト/時ということになる。
⇒2013年11月23日 (土):被曝基準の実質緩和/原発事故の真相(94)

丸森町筆甫地区の線量の実測値は、おおよそ数倍のレベルである。
にもかかわらず、福島県ではないことにより、損害賠償、除染等は遅れている。
少なくとも、1ミリシーベルト/年まで除染することを急ぐべきであろう。

福島県では避難指示区域外の子供や妊婦には、52万円が支払われているのに対し、丸森町では28万円であり大きな差がある。
被曝の健康影響調査も福島県に限定されている。
県境は人為的に定められたものであり、放射能の影響はシームレスである。
東電に当事者能力がない以上、宮城県であっても、線量の高い地域は積極的に国が関与して対策を講じるべきではないか。

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2013年12月 3日 (火)

石破自民党幹事長の馬脚/花づな列島復興のためのメモ(277)

石破茂自由民主党幹事長がブログでの発言が問題になっている。

 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない本来あるべき民主主義の手法とは異なるように *1 思います
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

11月29日付の表現を、12月2日に上記のように修正した。
上記だけでは良く分からないので、直前の段落を引用すれば以下の通りである。

 今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。

つまり、デモ行進が発する「特定機密保護法絶対阻止!」の声が、「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」という認識を、「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」 のではないか、と改めた。
もちろん、この発言は多方面から批判を浴びている。
テロ(リズム)とは、「何らかの政治目的のために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、それによって行われた行為のこと、また、恐怖政治のこと」と説明されている。

野田佳彦前首相も、原発再稼働に反対するデモを「大きな音だね」と言ったことがある。
民意を率直に受け止めなかった野田氏が、選挙で惨敗するのは当然の帰結であった。

国会は、最高裁こそ「衆院選は違憲状態」という判決であったが、高裁レベルでは衆参共に「違憲」の判決を受けている。
しかしながら、自民党は3年後の参院選まで選挙をしないという意向のようである。
自分たちが圧倒的多数の状態を維持したいというのは分かるが、これを奇貨として重要法案を成立させてしまおうということでは、「あるべき民主主義の手法とは異なる」のではないか?

石破氏と言えば、2012年(平成24年)9月26日の自民党総裁選挙において、第1回で199票で1位となったが、決選投票で安倍氏に敗れた。
党員票で過半数以上を集めた実績により、党内での存在感を高め、安倍新総裁の下で第46代自民党幹事長に就任した。
自他共に、次の自民党総裁、首相候補として認識していることだろう。

私は、石破氏の発言を重く捉えたいと思う。
はしなくも、本音が表に出たと見るべきであって、自分の考えに批判的な人たちの声に耳を貸す姿勢は皆無ということだ。

 デモ活動がテロ行為であろうはずがない。デモは有権者による意思表示の重要な手段で、憲法も表現の自由を保障する。デモの持つ重みを理解していないのなら、あまりにも鈍感で、政治家失格だ。
 政権与党の幹部が、国会周辺で繰り広げられているデモ活動をどのように見ているのか、本音がよくうかがえる発言ではある。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013120302000100.html

暗澹たる気持ちになるが、「驕れるものは久しからず」であることを信じたい。

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2013年12月 2日 (月)

小泉「脱原発」発言は無責任か?/原発事故の真相(97)

小泉元首相の「脱原発」発言が論議を呼んでいる。
⇒2013年10月27日 (日):小泉元首相の脱原発論/アベノミクスの危うさ(18)
⇒2013年11月14日 (木):細川・小泉連携で「山は動く」か?/花づな列島復興のためのメモ(271)

中では、小泉氏が首相時代に首席秘書官として仕えた飯島勲内閣参与が積極的な批判を展開している。
たとえば、以下のように言う。

「ゴミ捨て場がないんだから原発は止めよう」なんて論法はおかしいよ。そういう話を聞いたのなら、国内外を問わずに適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力するのが政治家というものの責任感だろう。

しかし、現実に核のゴミの捨て場は未だに確立していない。
日本で商用の原発が稼働したのは1966年だから、すでに半世紀近く経っている。
にも関わらず、「適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力するのが政治家というものの責任感だろう」と批判するのは、およそ論理的とは言えないだろう。
半世紀の間、わが国の政治家は、「適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力」してこなかったのか?

であるならば、この問題に関しては政治家に発言する資格はない。
そうでないならば、各ゴミの捨て場を確保するのが、現実には非常に難しい課題ということになる。
私は後者であろうと思う。
というのは、除染ゴミでさえ、捨て場に苦労しているからだ。

静岡県内の市町で東日本大震災のがれきを受け入れたとき、放射能が基準値以下であってもなかなか住民が納得しないケースがあった。
私は、基準値以下のがれきは受け入れるべきだと思うが、イヤダという人の気持ちも分からないではない。
特に、乳幼児を抱えた母親が不安を訴えるのに、押し切るのはためらわれる。
飯島氏には、適地をどういう条件の場所と考えているのだろうか?

同様に、小泉発言を無責任というのが、「日経ビジネスオンライン」2013年11月29日(金)号の柏木孝夫『無責任な小泉元首相の「脱原発」発言-冷静かつ定量的な議論が必要』 である。
飯島氏に比べると論理的なようである。
しかし、小泉批判は果たして的を射貫いているだろうか?

柏木氏は、「冷静かつ定量的な議論が必要」だとして次のようにいう。

一次エネルギーを輸入に頼らざるを得ない我が国が、エネルギーの安定供給を確保するには、多くの選択肢を持つことでバーゲニングパワー(交渉力)を高めなくてはならない。そのためには、これまで一貫して述べてきたように、原子力は一定量、維持すべきというのが、わたしの考えである。このことの重要性を考えれば、決して「即時、原発ゼロ」などと無責任に発言することはできないはずである。

「一次エネルギーを輸入に頼らざるを得ない」にしても、どの程度の1次エネルギー量なのか?
1次エネルギーにおいても、シェールガスやメタンハイドレートなどの新技術開発が進められているが、それをどう織り込むのか?
たとえば、メタンハイドレートについては、メタンハイドレート-Wikipediaには次のような説明が載っている。

日本のメタンハイドレートの資源量は、1996年の時点でわかっているだけでも、天然ガス換算で7.35兆m3(日本で消費される天然ガスの約96年分)以上と推計されている。もし将来、石油や天然ガスが枯渇するか異常に価格が高騰し、海底のメタンハイドレートが低コストで採掘が可能となれば、日本は自国で消費するエネルギー量を賄える自主資源の保有国になるという意見があり、尖閣諸島近海の海底にあるとされている天然ガスなどを含めると日本は世界有数のエネルギー資源大国になれる可能性があるという意見もある。

どこまで可能性があるかは「冷静かつ定量的な議論が必要」だろうが、全く考慮しないで在来型の化石エネルギーだけを対象に議論を進めるのは如何かと思う。
バーゲニングパワーを持つことは必要だろうが、「原子力は一定量、維持すべき」ということに直接は結びつかない。
自分の「考え」と異なるからと言って、「無責任」と決めつけるのも如何であろうか?

現にわが国は原発由来の電力を使わないで過ごしている。
温暖化ガスの問題を別とすれば、問題はコストである。

柏木氏は、再生可能エネルギーの発電設備の導入状況を下表をベースに論じる。
Photo_2
再生可能エネルギーのなかで、有力なのはメガソーラーである。
2009年に策定した政府の2020年における太陽光導入量の目標2800万キロワットは、今年7月末時点のメガソーラーの認定量だけで、その7割以上にも及び、住宅用も加え、さらにFIT開始前の累計導入量も加えれば、ほぼ2800万キロワットに達するというのが、柏木氏も認めている状況である。

柏木氏は、FITの制度下で、あまりにも導入量が急増すると、電気料金に上乗せされるサーチャージ(賦課金)という形で、国民負担が大幅に増してしまうことを心配している。

日本の年間の総使用電力量を、省エネが進むことを想定して、少なめに9000億キロワット時と見積もるならば、サーチャージは1キロワット時当たり約1円になる。平均的な電気料金が、一般家庭向けで1キロワット時当たり24円程度、既に自由化されている高圧の需要家向けで同10数円であるから、サーチャージはその5~10%程度にもなる。決して小さな負担ではない。

決して「小さな負担ではない」にしても、禁止的なコストというわけではない。
柏木氏がいうように、FITが見直され、電力システム改革も進むであろうから、サーチャージも低減するのではないか。
原子力のコストこそ、ゴミの処分、事故対応等を含めれば、ずっと高いと思われる。
「冷静かつ定量的な議論が必要」であるのは、原発推進論者にこそではないだろうか。

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2013年12月 1日 (日)

福島第一事故現場の作業員の状況/原発事故の真相(96)

福島第一原発事故は、ようやく4号炉から使用済み燃料棒を取り出す工程に入った。
しかし、廃炉に至るまでまだまだ多くの苦難が予想される。
⇒2013年11月19日 (火):廃炉への長い工程と脱原発/原発事故の真相(93)

福島第一原発で働いている作業員の不足が深刻化している。
多くの作業員が、過酷な労働や基準を超える大量の被曝が原因で辞めているからである。
鉄骨がむき出しの崩壊建屋と体をむしばむ目に見えない放射能の恐怖。
劣悪な作業現場ではあるが、現在も3000人の人が収束作業に取り組んでいる。
廃炉作業が完了するまで30~40年かかると言うから、被ばく労働の長期化は避けられない。
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http://www.chunichi.co.jp/article/feature/akari/list/CK2013012802000213.html

劣悪な環境は物理的なものだけでなく、社会的・制度的にもいえる。
元請けから下請けへ、多重下請けの構造である。
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http://www.chunichi.co.jp/article/feature/akari/list/CK2013012802000213.html

当然のことながら、末端の作業員の報酬は目減りする。
東電は被曝量を過小評価するなどの姑息な対応をしているというが、熟練の作業員には通用しない。
ベテラン作業員の不足が作業ミスに繋がるというような悪循環が発生する。
Photo_6 
東京新聞11月16日

作業員の被曝線量のの目安は以下のようである。
Photo
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/bfa4f0a91a8e749cd50f19f3b47cee1f

ベテランの作業員や監督職はどうしても被曝量が大きくなりがちである。
国が事故収束宣言をしたことが、作業員の労働条件の悪化を招いているともいわれる。
⇒2013年11月13日 (水):原発事故収束宣言のもたらしたもの/原発事故の真相(92)

基本的には待遇改善と健康管理の徹底を図ることであろう。
しかしながら経営の悪化している東電にはムリだと思われる。
原発を再稼働させて原資を捻出しようなどというアクロバティックなことを考えずに、正面から取り組まなければならないであろう。

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