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2013年10月11日 (金)

「水俣条約」の意義と課題/花づな列島復興のためのメモ(267)

「水銀に関する水俣条約」が、約140の国・地域が参加した熊本市での国際会議で採択された。
131011
日本経済新聞10月11日

条約には以下のような内容が盛り込まれている。
・水銀含有製品の製造や輸出入を20年以降、原則として禁止する。
・燃焼時に水銀を排出する石炭火力発電所を新設する際には、排出抑制装置を導入する。
・新規の水銀鉱山の開発を禁じる。
・・・・・・
Photo_2
http://www.j-valve.or.jp/valve-faucet/env-info/a130322.html

条約の精神を示す前文には「水俣病を教訓に、同様の被害を繰り返さない」とある。
史上最悪の水銀禍として、水俣病は世界に知られているが、その名前を冠することにより、再び水俣病の悲劇を繰り返してはならないという願いが込められているといえよう。
しかし、水俣病の経緯から何を学び、どう教訓化するのか?

水俣病の原因物質として、現在はメチル水銀が特定されている。
しかし事実として、水俣病の歴史の中で、メチル水銀が公認されるまでにはさまざまな紆余曲折があった。
Wikipedia-水俣病や西村肇・岡本達明『水俣病の科学』日本評論社(0106)によって、その紆余曲折の様子を辿ってみよう。

既に1942年頃から、水俣病らしき症例が見られたとされる。
1952年頃には、水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった(このころは「猫踊り病」と呼ばれていた)。
1953(昭和28年)末に、水俣市で、最初の急性激症型患者が発生した。
1956(昭和31)年4月に「水俣奇病」として認知されたが、当初は伝染病ではないかと疑われた。
1956年5月1日、新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一が新奇な疾患が多発していることに気付き、原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告し、この日が水俣病公式発見の日とされる。

1956年11月には、熊本大学の研究班によって伝染性疾患ではなく、重金属中毒であることが確認された。
しかし、地域の事情からして重金属類の発生源として他に想定することがあり得ないような新日本窒素肥料(チッソ)の工場は、秘密保持を理由に熊本大学の研究班が工場の中に入ることを許さなかった。
熊大研究班は、工場廃水や水俣湾の海水・底泥などを分析して、文献を頼りに毒物を特定しようとした。
海水や底泥からは、疑わしい毒物として、多くの金属類が検出され、それを基に、マンガン説、セレン説、タリウム説などが提唱された。
チッソは、これらの物質について、提唱された説を否定することに注力した。

さまざまな可能性が検討された結果、熊大研究班は、メチル水銀中毒患者に関する症状や病理所見と水俣病患者が合致することを見出し、1959年7月に公表した。
しかし、研究班内部で意見の差異があり、メチル水銀という特定を避け、有機水銀と表現された。
有機水銀説に対し、チッソは、水俣工場のアセトアルデヒド合成工程で硫酸水銀を触媒として使用していること、塩化ビニルの合成の触媒に塩化第二水銀を使用していることを認め、かつその水銀の損失の一部が排水溝から海に流入していることも認めたが、チッソで使用している水銀の形態は無機水銀であり、有毒な有機水銀が生成するということについては否認した。

1959年10月には、チッソ水俣工場の付属病院長の細川一院長が、アセトアルデヒド工場の精留塔のドレーン(塔底液)を猫に直接投与する実験を行い、水俣病の発症を確認した。
つまり、アセトアルデヒド工場から水俣病の原因物質が排出されることが確認されたわけであるが、その後もメチル水銀が工場内で生成することについては否定を続けた。

1959年12月、「水俣病が工場排水に起因する事が決定した場合においても、新たな補償金の要求は一切行わない」という条件のもとに、水俣病患者に見舞金を支払うこととされた。
1961年末から62年初頃、水俣工場の技術部で、アセトアルデヒド精留塔ドレーンから塩化メチル水銀を抽出し1962年夏頃に、熊大研究班は、アセトアルデヒド製造工程スラッジ(排出汚泥)から、塩化メチル水銀を抽出した。
1963年2月、熊大研究班は、水俣病は水俣湾産魚介類を摂食することにより発症し、その原因毒物はメチル水銀化合物と正式に発表した。

1968年9月26日に、政府が水俣病についての正式見解として、チッソ水俣工場アセトアルデヒド設備内で生成されたメチル水銀化合物と断定した。
熊大研究班の正式発表から、実に5年半後のことだった。
有機水銀説を公表した1959年7月から数えると、およそ9年になる。
この間に、はさらに多数の水俣病患者発生した。
⇒2009年7月 9日 (木):水俣病の原因物質

1956年頃から、水俣周辺では脳性麻痺の子どもの発生率が上昇していたが、1961年、胎児性水俣病患者が初めて確認された。
水俣ではその後、合わせて少なくとも16例の胎児性患者が確認されている。
水俣病の原因物質であるメチル水銀は胎盤からも吸収されやすいため、母体から胎児に移行しやすい。
さらに、発達途中にある胎児の神経系は、大人よりもメチル水銀の影響を受けやすいことが今日では明らかになっている。
しかし、因果関係が立証されるには、余りに長い時間が必要だった。

水俣条約が採択されたが、今後解決すべき課題がいくつかある。
Wikipedia-水俣条約には次のような問題が指摘されている。

・理想を追求した条約とした場合どれだけの国が批准できるかという問題。
・ASGM(人力小規模金採掘)における水銀の使用が問題視されているが、なぜAGSMを行うのかといった根本的な問題(貧困問題)。
・今日(2013年10月現在)においても水俣病は解決されておらず、水銀を含んだヘドロで水俣湾の一部を埋め立て、それによってできた水俣エコパークの水銀未処理及び維持管理問題。

公害問題では「疑わしきは罰する」ことにしないと、被害が徒に増えることになる。
それに、秘密主義、あるいは故意の情報の秘匿が加わって、犠牲者が増え続けたのである。
あるいはコンコルドの錯誤と類似した作用で、意思決定が遅れたとも言えようか。
⇒2013年10月 5日 (土):コンコルドの錯誤/知的生産の方法(74)

福井晴敏『人類資金1』講談社文庫(2013年8月)の中に、次のような文章がある。

この世に、永遠に成長し続けるものなど存在しない。バブル崩壊で学んだはずの教訓をよそに、企業は生産性の向上に励んで大量のモノを供給し、需要者なき市場で値崩れを起こしてはデフレだと嘆く。儲からなければ経営の効率化をさらに推し進め、不要と切り捨てられた人材をあぶれさせて、消費環境の悪化に一層の輪をかけもする。まさに己の血を啜って糊口をしのぐかのごとし。とどめとばかりに到来した東日本大震災を含め、日本が歩んできた戦後七十年の絶望的な終着点がここ。否、世界中の先進国が同じサイクルに突入しつつあるという意味では、共産主義の敗退以降、世界が唯一の正義と信じた資本民主主義の行き着いた先がここ。無制限のばらまき政策で失われた二十年を取り戻そうとしたアベノミクスも、国家財政をより深い負債の海に沈める結果に終わりつつあり、投資先を失った大量の預金は再び銀行や箪笥の奥で根腐れするようになった。成長し、発展し続けることによって未来を保証されてきた資本主義社会は、その未来が担保価値を喪失したいま、投資対象ではなり得なくなったとでも言うように。

この作品は、いわゆる「M資金」をテーマにしているが、現時点では未完である.。
映画化されて近日公開予定であるが、結末を知らないであえて言えば、テーマはグローバル金融資本主義批判と思われる。
引用部分は、水俣条約を生きたものにするために何を考えなければならないか、を示唆しているのではなかろうか。

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