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2013年10月

2013年10月31日 (木)

不動の人・川上哲治さん/追悼(39)

川上哲治さんが28日亡くなった。

「打撃の神様」「V9監督」として知られた元巨人監督の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が28日午後4時58分に老衰のため東京都稲城市の病院で死去していたことが30日、分かった。93歳だった。葬儀は近親者のみで行った。巨人の強打者として終戦直後の国民に夢と希望を与え、監督としては65年から73年まで不滅のV9を達成した。選手と監督の両方で燦然(さんぜん)と輝く成績を残した川上氏。日本シリーズ中の訃報に関係者は深い悲しみに包まれた。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/31/kiji/K20131031006916130.html

一般には、ジャイアンツ「V9の監督」というイメージが強いのだろうが、私には子供の頃の「打撃の神様」の印象の方が強い。
しかし田舎育ちの少年だったので、「赤バット」も耳にしただけで、TVも含めて見たことはない。
川上さんが選手生活を終えたのは1958(昭和33)年だが、その頃はまだ一般家庭にはTVは普及していなかった。
TVが家庭に普及したのは、1959(昭和34)年4月10日、皇太子(今上天皇)と正田美智子さん(皇后陛下)の御成婚であったと言われるが、1963(昭和38)年においても、TV受像機の普及台数は白黒1,600万台、カラーはわずか5万台ほどだった。

この年私は大学に入ったが、もちろんわが家にはTVはなく、叔父の家で、日米間テレビ宇宙中継の実験放送中にケネディ大統領の暗殺現場が中継されたのを見たのが、強く印象に残っている。
それまで、TV視聴は
近所の家や電気屋さんということになるが、それにしてもモノクロだったから、「赤バット」の印象はない。

「ボールが止まって見えた」が、語録として有名である。
30歳の頃というから、1950年頃のことである。
「雑念を払って球を打つことだけに精神を集中する。疲れてもなお打つ。没入し切った時、球が見えてきた」と伝えられる。
武芸者・兵法者のような言葉に、チャンバラ好きの少年たちは憧れた。

監督時代には余りいいイメージが残っていない。
「V9」は、1965年から1973年までであり、長期的なチーム作りの成果というべきであろう。
以来、「V2」すら成し得ていないのだから、偉業には違いない。
しかし、私には、金にあかせて有力・有望選手を集めて、という印象が拭えなかった。
選手の育成という面でも、広岡達朗氏との確執などが伝えられた。

V9の途次で発生した「湯口事件」もマイナスイメージであった。
Wikipedia-湯口事件等を参照して概略を記述すれば、以下のような経緯である。

1970年のドラフトで、ジャイアンツは岐阜短期大学附属高等学校の湯口敏彦を指名し獲得した。
湯口はこの年の「高校三羽烏」に数えられ、プロでの活躍も期待されていた。
高校3年の1970年には春夏連続して甲子園に出場しており、優勝こそ出来なかったが、7試合に登板し61奪三振、防御率1.35という抜群の成績を残した。
入団直後は二軍で育成するチームの方針から二軍での調整が続いた。
1年目は肘の故障もあり二軍でもパッとせず、2年目のシーズン終了後の1972年11月23日、ファン感謝デーの紅白戦で、体調が優れない中で登板したが、打者一巡・2ホームランの滅多打ちに遭い、これにより、川上監督をはじめ二軍監督の中尾碩志からも激しく叱責された。

その後うつ病を発症し次第に悪化していった。
1973年2月20日、宮崎で行われていた春季キャンプ中に異常な言動が昂進し、湯口をキャンプから脱退させ、強制送還となった。
球団は3月に入ってから、内規により入院費の支給を打ち切った。
3月22日夕刻、湯口は病院のベッドで変死体となって発見された。
球団・病院は「湯口敏彦投手の死因は心臓麻痺である」と発表したが、湯口の死因を巡ってマスコミから「湯口は自殺し、その原因は球団にあるのではないか」と非難されることとなった。

監督だった川上は、湯口が死去した際に声明を発表したが、この時「巨人こそ大被害を受けましたよ。大金を投じ年月をかけて愛情を注いだ選手なんですから。せめてもの救いは、女性を乗せての交通事故でなかった事です」と発言した。
この発言が決定打となり、巨人はマスコミから激しいバッシング報道を受けた。
週刊ポストは湯口の急死を「事件」と報じ、死から約2週間後「巨人軍・湯口敏彦投手の死は自殺だった」という特集記事を掲載した。
何とも悲惨というか陰鬱な経緯である。

真相は分からない。
しかし、こうした報道に接するうちに、川上監督に対して冷徹というイメージが付与されたのだろう。
あるいは、V9という偉業と冷徹さはセットだったのかも知れない。
しかし、結果として、私を含め少なからぬ人に、アンチジャイアンツの心情が醸成されていったのではないか。

元中日投手の杉下茂氏の語るエピソードである。

 杉下氏が明大在学時、川上氏はすでに「神様」と呼ばれる存在。プロ入りして対戦したときに印象に残ったのは、打席での姿勢だった。一度打席に入ったら二度と外さず、「受けて立つ、いつでも来い、という感じだった」。
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2013103000983

この言葉が象徴するように、不動という言葉が相応しい人であろう。
動かざること山の如し。
大きな存在であったことは間違いない。
メジャーリーグで、上原、田沢両選手の活躍で、レッドソックスがチャンピオンになり、日本のプロ野球では日本選手権で巨人と楽天が伯仲する展開のさ中に永眠するというのも、野球一筋の人生に相応しいように感じる。
合掌。

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2013年10月30日 (水)

脱原発問題と俯瞰する力/知的生産の方法(75)

小泉元首相の「脱原発論」が政界を賑わせている。
どの程度の本気度なのかはとりあえず措くとして、安倍自民党に対するアンチテーゼは存在した方がいいだろう。
反応の中で興味深かったのは、小沢一郎氏である。
⇒2013年10月27日 (日):小泉元首相の脱原発論/アベノミクスの危うさ(18)

高い立場から冷静に考え、原子力はやめた方がいいという思いに至ったと思う

小沢氏の真意は分からないが、私は、「俯瞰する力」という言葉を連想した。
桃太郎の話は、日本人なら誰でも知っているだろう。
桃太郎が、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語である。
私は、桃太郎は桃から生まれたと信じていたが、違うバリエーションもあるらしい。

各地に“ゆかり”の場所がある。
Wikipedia-桃太郎に、桃太郎サミットや日本桃太郎会連合会に参加する自治体とその“ゆかり”の場所として、次が挙げられている。

岡山県岡山市・総社市
 ・吉備津神社
 ・鬼ノ城
 ・中山茶臼山古墳
 ・矢喰宮
 ・楯築遺跡 (倉敷市)
 ・おかやま桃太郎まつり
香川県高松市
 ・田村神社 (高松市)
 ・桃太郎神社 (高松市)
 ・女木島 (鬼ヶ島)
 ・鬼無
愛知県犬山市
 ・桃太郎神社 (犬山市)
奈良県磯城郡田原本町
 ・廬戸神社(孝霊神社)
 ・法楽寺
 ・初瀬川
 ・黒田廬戸宮(孝霊天皇の宮比定地)

場所はともかくとして、桃太郎の話には、解釈をそそるものがある。
たとえば、
なぜ桃なのか?
黍団子の意味は?
なぜ、イヌ、サル、キジのセットが選ばれたのか?

おとぎ話にリーズナブルな解釈というのもどうかとは思うが、比較的分かりやすいのは、中山志高夢が叶う桃太郎伝説の知恵』リーブル出版(2012年5月)に示されているイヌ、サル、キジの役割であろう。
イヌ:自分の役目を忠実に実行
サル:知恵を働かせ、具体化
キジ:情報を収集し、的確に伝達

今盛んに宣伝している映画『人類資金』は、「M資金」を扱っている。
なぜ、今さら、M資金なのか?
映画は阪本順治監督で、小説の原作者である福井晴敏氏とタッグを組んで脚本を書いている。
原作は現時点では未完である(全7巻の予定で、先日第4巻が発売されたばかり)が、映画は半ば独立した作品ということであろう。
社会派作品で知られる阪本監督は、「33年前に読んだM資金にまつわる本に引かれたのが、今作の企画のきっかけ」と語っているが、高野孟『M資金』日本経済新聞社(1980年3月)を指している。
⇒2009年1月15日 (木):「M資金」の謎

問われているのは、「M資金」を題材に、現代社会は富の集中や経済格差で行き詰まっているが、「お金の流れを変えたら、違う景色が見えるのではないか」ということである。
金融資本主義の矛盾は、そこここで噴出している。
東日本大震災という大きな犠牲を、「違う景色」の契機とし得るか否か?
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を

景色を見る姿勢を極論すれば、鳥瞰と虫瞰ということになる。
鳥のように上空から見るか、虫のように地べたからみるか?
どちらが「いい」とか「重要だ」ということではないが、桃太郎がキジをお供に連れたというのは、鳥瞰的な情報を欲したことを意味しているのではないか?

鳥瞰というのは、鳥瞰図などの熟語にもなっているが、上空から見た様子である。
たとえば下図のようなものである。
Photo
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/ren/web/ren11/tyou2_1.html

実際にこう見えるかどうかは別として、紀伊半島というもののマクロな理解に役立つ。
クルマで巡っても、なかなか全体の中で現在地点を位置づけるのは難しいが、こういう図だと「なるほどここか」という風に得心する。
たとえば、今年行った橋杭岩という名勝地は、上記の「2」である。
⇒2013年5月10日 (金):橋杭岩と宝永地震/紀伊半島探訪(4)

鳥瞰とほぼ同義語に俯瞰がある。
断捨離という言葉を、生き方にまで拡大して考えようと提唱して大きな反響を呼んでいるやましたひでこさんは、断捨離の続編として、『新・生き方術 俯瞰力 続・断捨離』マガジンハウス(2011年5月)という本を出している。
やましたさんは、俯瞰力の要諦を、「自分を軸にして空間(全体性)を捉え、深い洞察・高い視点・広い視野を獲得する力」と言っている。
Photo_2

「俯瞰する力」とは、見通しの利く力ということである。
見通しが利けば、ゴールを見据えることができ、ぶれ難い。
また、ゴルフのコースマネジメントと同じように、適切・的確なマネジメントに資するのではないか。
小泉元首相の政策は、「現代社会は富の集中や経済格差で行き詰まっている」のを推進したように思うが、小沢氏の言うように、「俯瞰する力」によって脱原発に至ったのならば、期待できるのかも知れない。

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2013年10月29日 (火)

どこまで続く金融腐蝕列島・みずほ銀行/ブランド・企業論(6)

みずほフィナンシャルグループ(FG)傘下のみずほ銀行が暴力団員向け融資を放置した問題で、みずほ銀行は金融庁に業務改善計画を提出した。
Photo
http://mainichi.jp/opinion/news/20131029ddm003040082000c.html

記者会見した佐藤康博頭取(FG社長)は「(組織的な)癒着、不正、隠蔽(いんぺい)は認められなかった」とする一方、「経営陣の意識、感度の低さに原因があった」と陳謝。自身の報酬を半年間ゼロとし、前頭取の塚本隆史会長は辞任(兼務するFG会長は留任)、役員OBへの報酬返納要請も含めて計54人を処分すると発表した。ただ「実態解明が不十分」「処分が甘い」との批判は強く、今後、金融庁の追加処分が焦点になりそうだ。
http://mainichi.jp/select/news/20131029k0000m020117000c.html

みずほ銀行といえば、『金融腐蝕列島』を連想する。
高杉良氏の原作で、原田眞人監督により、役所広司、仲代達矢、椎名桔平らのキャスティングで映画化もされた。
原田眞人監督は高校の後輩で、この映画も、『クライマーズ・ハイ』『わが母の記』などの作品と同様に映画館で観た。

映画の原作は、高杉氏のシリーズ作品の第2巻の『呪縛』である。
この作品は、産経新聞に連載されたものであるが、前作やこの後の2作品の舞台が協立銀行とされているのとは異なる。
モデルは第一勧業銀行総会屋事件であり、題名の「呪縛」は第一勧銀の近藤克彦頭取が会見で「呪縛が解けなかった。」と述べたことに由来する。

舞台は1997年、大手都市銀行の朝日中央銀行、通称ACB(Asahi Central Bank)。バブル期に行われた丸野證券がらみの総会屋への不正融資300億円の処理が問題となるが、旧態依然とした経営陣には危機感がない。しかし5月、東京地検特捜部がついにACB本店に家宅捜索に入る。役員らは頭取・会長の交替でことを済ませ責任を回避しようとするが、捜査の進展につれて事態が次々と明らかになり、マスコミから激しいバッシングを受ける。
Wikipedia-金融腐蝕列島

主人公の中堅行員、ACB企画部次長・北野浩と志を同じくする同期のMOF担らミドル「4人組」が主人公である。
作家、コメンテーターの江上剛氏は、元第一勧業銀行社員で、総会屋利益供与事件に際し、広報部次長として混乱の収拾に尽力した経緯がある。
「4人組」のモデルの1人であろう。
話題のTVドラマ『半沢直樹』をシリアスにした先行版である。

そのためかどうか分からないが、既視感のようなものを覚えるのは私だけだろうか?
みずほFGには、かねてから、前身の第一勧業、富士、日本興業の「旧3行意識」が抜けないと言われている。
旧3行の統合後も、持ち株会社のみずほFG(2003年1月までみずほホールディングス)と、傘下の旧みずほ銀、旧みずほコーポレート銀の幹部を旧3行で分け合うたすき掛け人事を続けてきた。
問題融資発覚時のみずほ銀頭取は、旧富士銀出身の西堀利氏、後任の頭取は旧第一勧銀出身の塚本隆史氏、佐藤康博氏は旧興銀出身である。
オリコの問題は勧銀案件とも呼ばれ、他の2行は口を挟みづらいとも言われる。
⇒2013年10月 9日 (水):みずほ銀行の暴力団融資の闇/花づな列島復興のためのメモ(266)

しかし、それを理由にできないことは、小学生でも分かることである。
みずほFGは、今年7月1日付で、中小企業・個人向けの旧みずほ銀と、大企業向けの旧みずほコーポレート銀を合併させて新みずほ銀行を誕生させた。
「ワンみずほ」というCMはよく耳にするところだ。
しかし、今回の処分案でも2トップ体制は存続する。
2
http://www.asahi.com/articles/TKY201310250033.html

しかし、それで責任を取ったと言えるのか?
グループを束ねてきた佐藤氏と塚本氏が退けば、組織が崩壊しかねないという危機感が続投の理由のようだが、疑問が残る。

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2013年10月28日 (月)

競争力強化法案は有効な成長戦略になり得るか/アベノミクスの危うさ(19)

「産業競争力強化法案」を、政府が国会に提出した。
経産省のサイトには次のように書いてある。

本法律案は、20年以上続いた我が国経済の低迷を打破し、力強い経済を取り戻すために策定された「日本再興戦略」(平成25年6月14日閣議決定)に盛り込まれた施策を確実に実行し、日本経済を再生し、産業競争力を強化することを目的としています。
本法律案では、「戦略」を政府一体となって強力に実行するための「実行計画」を策定し、実行すべき制度改革とその実行時期を明らかにして、可能な限りの加速化と深化のための仕組みを創設します。また、本法律案により、産業競争力の強化の観点から、企業の提案に基づく「規制改革」を実行するための新たな特例措置、「産業の新陳代謝」を加速するためのベンチャー支援や事業再編の促進などの措置を講じます。
http://www.meti.go.jp/press/2013/10/20131015001/20131015001.html

安倍首相は、所信表明演説で、この法案がアベノミクスの成長戦略の要になると述べた。
そして、企業ごとに規制を緩和する「企業実証特例制度」の導入や、リストラ、設備投資、雇用を促す1兆円の税制優遇を含む同法案を自画自賛した。
つまり、アベノミクスの第3の矢である「成長戦略」の切り札ということだろう。
果たして、思惑通りの効果を期待できるであろうか?

目玉とされる「企業実証特例制度」は、新たな分野に進出したり、新たな製品を作ったりする場合に、規制を見直す法改正などが経なくても、企業が自ら弊害防止策を講じ、それで十分と判断されれば、規制の適用を免除されるというものである。
例えば、自動車、電気、素材、商社などの企業が医療、福祉、介護、農業といった新たな分野に進出したいと考えた場合、主務大臣(この場合、経済産業大臣)が企業の要望を受けて、関係省庁(この場合、厚生労働省や農林水産省)と交渉する。
企業が自ら行ってきた関係省庁との交渉を、経済産業省が代行してくれるというわけである。

このように、特定官庁を重用して、他省庁に介入させようというのでは政策全体のバランスを崩す危険があるからだ。
ところが、安倍政権では経済産業省の重用が目立つ。
安倍首相が原子力発電所の運転再開や、原発輸出の拡大に熱心なこともその1つの表れではないか。
また、庶民が幅広く負担する消費増税と引き換えに、法人復興税の前倒し廃止も、経済産業省の意向が反映されているだろう。
⇒2013年9月26日 (木):消費税増税のために復興法人税を廃止という怪/アベノミクスの危うさ(12)

そもそも、官僚の作成した「成長戦略」というのが、基本的な矛盾を孕んでいるのではないか。
官僚機構は、政権与党と一体である。
アベノミクスの重心は、経産省重視に見られるように、輸出大企業に偏っていると見受けられる。
⇒2013年7月 2日 (火):円安は良いことか?/アベノミクスの危うさ(9)
⇒2013年10月 2日 (水):消費税増税に大義はあるか?/アベノミクスの危うさ(13)

大企業が成長すれば、それがやがて賃上げ等を通じて、国民一般に浸透するという説明だが、それで果たして需要不足が解消されるのであろうか?
映画化作品が話題になっている福井晴敏『人類資金1』講談社文庫(2013年8月)の次の文章に応えられるであろうか?

バブル崩壊で学んだはずの教訓をよそに、企業は生産性の向上に励んで大量のモノを供給し、需要者なき市場で値崩れを起こしてはデフレだと嘆く。儲からなければ経営の効率化をさらに推し進め、不要と切り捨てられた人材をあぶれさせて、消費環境の悪化に一層の輪をかけもする。まさに己の血を啜って糊口をしのぐかのごとし。とどめとばかりに到来した東日本大震災を含め、日本が歩んできた戦後七十年の絶望的な終着点がここ。否、世界中の先進国が同じサイクルに突入しつつあるという意味では、共産主義の敗退以降、世界が唯一の正義と信じた資本民主主義の行き着いた先がここ。無制限のばらまき政策で失われた二十年を取り戻そうとしたアベノミクスも、国家財政をより深い負債の海に沈める結果に終わりつつあり、投資先を失った大量の預金は再び銀行や箪笥の奥で根腐れするようになった。成長し、発展し続けることによって未来を保証されてきた資本主義社会は、その未来が担保価値を喪失したいま、投資対象ではなり得なくなったとでも言うように。

現在の大企業に革新的な成長を期待することはないものねだりである。
与党は基本的に既得権益を守る立場であり、その打破をに期待するのは間違っているだろう。
「既得権益VS新興勢力」という図式で考えれば、成長の原動力であるイノベーションがどちらの側にあるかは明白である。
革新的な成長を期待するのであれば、それは政権、政策の外から独自に成長する企業に期待するしかないのだ。

安倍首相自身が、臨時国会の所信表明演説で「景気回復の実感は、いまだ全国津々浦々まで届いてはいない」と述べている。
消費税増税前の駆け込み需要とか5兆円規模の経済対策といったカンフル剤の効果は、言ってみれば束の間のことに過ぎない。
「成長とは何か?」という根本的な問いからスタートしなければならないように思う。

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2013年10月27日 (日)

小泉元首相の脱原発論/アベノミクスの危うさ(18)

小泉元首相の脱原発論が波紋を広げている。

 小泉氏の発言を歓迎しているのは民主党の菅直人元首相、前原誠司元外相、みんなの党の渡辺喜美代表、共産党の志位和夫委員長、生活の党の小沢一郎代表、社民党の又市征治幹事長ら。
 渡辺氏は十七日の衆院本会議の代表質問で小泉氏と直接「原発ゼロ」について語り合ったことを紹介し、安倍晋三首相に脱原発への政策転換を迫った。
 また七月の参院選で初当選した山本太郎参院議員(無所属)も本紙の取材に「言っていることはすごくまともだ」と評価している。
 彼らの多くは、以前小泉氏を批判し、激しく対立してきた。その「政敵」を持ち上げているのは小泉氏の知名度と発信力を利用し、脱原発の機運を高めようとしているからだ。

Photo_3
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013102002000123.html

安倍政権の高い支持率を前にして、存在感を示せない面々の焦りが伝わってくるような気がする。
そんな思惑が見え透いては、対抗軸の構築など遠い夢だろう。
安倍首相は、小泉氏の発言について、「今の段階で(原発)ゼロを約束することは無責任だと思う」と批判している。

 首相の発言は、原発停止の影響で火力発電向け燃料の輸入コストがかさみ、原発ゼロを続けるのは現状では難しいとの認識を示したもの。小泉氏は最近、講演で「脱原発」を再三主張し、「経済界では大方が原発ゼロは無責任だと言うが、核のごみの処分場のあてもないのに原発を進める方がよほど無責任だ」などと語っている。首相はこれに反論した形だ。
http://www.asahi.com/articles/TKY201310240408.html

脱原発陣営は、所詮同床異夢なのだろうか?
ひょっとしたらという人物の名前が挙がっている。
細川護熙元首相である。

細川氏が日本新党を率いて、8党派連立により、自民党からの政権交代を実現したのは1993年のことであった。
しかし、消費税を福祉目的税に改め税率を3%から7%に引き上げる国民福祉税構想を発表したことをきっかけとして、与党の結束はもろくも崩壊し、辞任を余儀なくされた。
98年に60歳で電撃引退した後は、悠々自適のように見える生活を送ってきた。
しかし、3.11以後は「脱原発」に大きな関心を持ってきたと言われる。

「細川さんは先月末、専門家など数人と会って『脱原発』の可能性を探っている。もともと、細川さんは脱原発論者だが、タイミングや内容から、専門家は『小泉さんと連絡を取っているようだ』と語っていた」
 小泉、細川両氏をよく知る野党幹部が解説する。
 「2人が再びバッジをつけることはないが、連絡を取り合って野党再編の話をしているようだ。顧問的な立場で『脱原発』についてメディアなどで訴え、実動部隊は現役の野党議員というイメージだ。実際、私を含め野党幹部数人が、こうしたシミュレーションで連絡を取りながら、勉強会旗揚げの準備に入っている」
 小泉、細川両氏が後ろ盾となる「脱原発新党」が誕生すれば、確かに、世論の関心を高められそうだ。

https://www.facebook.com/hanayuu999/posts/487838277982262

私には政界の裏事情は良く分からないが、飯島勲という人がいる。
小泉内閣で首席首相秘書官として内閣を支え、2012年12月、第2次安倍内閣において内閣官房参与に就任した。
先日、知人が貸してくれたので、『秘密ノート〜交渉、スキャンダル消し、橋下対策』プレジデント社(2013年6月)に目を通してみた。
大概の本は何かしら得るものがあるものだが、この本に限って、読んで損をした気分である。
まったくの駄本というものだろう。

その飯島氏が、「週刊文春」に『激辛インテリジェンス』という連載コラムを持っている。
10月24日号に、「特別編」として、『小泉純一郎/「原発ゼロ宣言」に物申す!』を載せている。
どこが“激辛”なのか良く分からないし、インテリジェンスというのも羊頭狗肉だと思うが、要は、100年先ならともかく、20~30年先で捉えると、「脱原発」は「実現なき素晴らしき理想」だ、ということである。
そして、「『ゴミ捨て場がないんだから原発は止めよう』なんて論法はおかしいよ。そういう話を聞いたのなら、国内外を問わずに適地を懸命に探し、答えを見つけようと努力するのが政治家というものの責任感だろう。」としている。
まったく唖然である。
「答えの見つかるまでは、稼働させない」というのが「政治家というものの責任感」ではないのか。
このような人物が内閣官房参与として、安倍政権に何らかの影響力を持っているとすれば、危ういことであると言わざるを得ない。

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2013年10月26日 (土)

田中将大と稲尾和久/「同じ」と「違う」(61)

プロ野球の日本シリーズ第1戦は、巨人が勝利した。
2-0というのは、少なくとも圧勝というわけではない。安打数では楽天の方が多かったが。勝負のアヤが巨人の方に傾いたのだろう。
今年の日本シリーズで、原、星野両監督は、先発投手を予告することで合意した。

今年の楽天を代表するのは何といっても田中将大投手だろう。
星野監督は、いろいろな条件を勘案した上で、敢えて則本昂大投手を初戦に充てた。
決して奇策というわけではない。
新人ながら、WBCの疲れが残る田中に代わって開幕投手に抜擢され、シーズン15勝というエース級の成績を挙げている。
今日の試合でも、巨人打線を十分に抑え込んでいた。

第2戦は、楽天は田中、巨人は菅野智之と予告されている。
今年のプロ野球界の話題は、マー君こと田中将大投手が席巻した。
抜群の成績で東北楽天ゴールデン・イーグルスをパリーグ覇者に導いた。

開幕からクライマックスシリーズ(CS)の1勝を含め無傷の25連勝、昨年8月からの通算は29連勝という記録を残した。
最優秀防御率(1.27)、最多勝利、勝率第1位の三冠王は文句なし、他の追随を許さない。
2013年のプロ野球が、「田中将大の年」として記憶されることは間違いない。

勝負強さは天性のものといえよう。
かつて楽天の監督を務めた野村克也氏から、「マー君、神の子、不思議な子」と言われたほどである。
田中投手の成績は下表の通りである。
Photo_2
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3270

今年の成績は2011年とよく似ているが、奪三振数が大きく異なる。
田中投手には剛腕のイメージもあるが、決して単なる剛腕ではない。

「力まかせに投げていない証拠。リラックスして投げ、三振は、欲しい時に狙っている。シーズンを通じて、体への負担を少なくした省エネ投法で安定した力を出すのにつながった」と、多くのスポーツ科学の専門家は分析する。
 投手の体調は、登板のたびに異なり、すべて好調ということはありえない。その好不調の波を可能な限り小さくし、不調のときにきちんと対処する技術を持っているか、もっていないかが、一流と二流を分ける大きな壁となる。今年の田中投手にも、もちろん好不調の波があったが、その差は極めて小さく、悪い時はきちんと修正していた。ここに負けない秘密がある。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3270?page=2

私たちの世代には、「神の子」で甦る言葉がある。
「神様、仏様、稲尾様」と言われた稲尾和久投手である。

入団1年目(1956年)に21勝6敗。防御率1.06で最優秀防御率。
2年目(1957)年は、35勝6敗、防御率1.37。
3年目(1958)年は、33勝10敗、防御率1.42。
4年目(1959)年は、30勝15敗、防御率1.65。
5年目(1960)年は、20勝7敗、防御率2.59。
6年目(1961)年は、42勝14敗、防御率1.69。

3年連続で30勝以上と1961年の42勝は、前人未到であり、絶後であろう。
今とは選手の体調マネジメントの考え方が違うが、けた外れの成績である。
稲尾の「鉄腕」という愛称は、アトムと共に少年の憧れだった。
特に、1958年の日本シリーズは、ジャイアンツを相手に3連敗の後の4連勝というミラクル勝利の原動力だった。
⇒2007年11月14日 (水):稲尾和久さんを悼む/追悼(3)

比べるのは無意味であるが、今年の田中の成績は、稲尾を彷彿とさせるものと言えよう。
仙台に本拠地を構える東北楽天ゴールデン・イーグルスにとって、田中投手の活躍とリーグ優勝はこの上ないプレゼントであったといえよう。
稲尾は、西鉄ライオンズという福岡の野武士集団の中で活躍した。
紳士集団であることを義務付けられたジャイアンツのアンチテーゼだった。
同じように、新興の東北という地方球団であることに因縁のようなものを感じさせる。

日本シリーズの結果がどうなるかは現時点では神のみぞ知るところであるが、反主流好みの私としては、是非、東北楽天の勝利でプロ野球シーンの幕を閉じて貰いたいものだ。
田中投手の出来がカギになるのは間違いないだろう。

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2013年10月25日 (金)

阪急阪神ホテルズのメニュー偽装/ブランド・企業論(5)

シティ・ホテルで食事することなど滅多にない。
回復期の病棟から退院したとき、家族でお祝いをしたのと、友人がお祝いをしてくれたのが最近の思い出だろうか。
会社員として現役の頃も、堅苦しいホテルのレストランは苦手だったので、接待等でも余り使ったことはない。
いずれにしろ、ホテルでの食事は、“ハレ”の機会ということになるだろう。

阪急阪神ホテルズといえば名門ホテルチェーンといっていい。
同社のサイトには次のように書いてある。

創始者である小林一三(1873~1957)は、ゆとりある生活をすることこそが大衆の理想の生活であると考え、より多くの人が楽しめるような仕組みを作ることに全力を注ぎました。質を落とすことなくコストを抑える工夫をして、提供価格をできるだけ安く抑え、画期的な発想でさまざまな事業を成功へと導きました。
ホテルにおいては、80年前に宝塚ホテルをオープンし、さらに10年後、東京・新橋にビジネスマンのためのホテルの草分けとなる、第一ホテル(現 第一ホテル東京)をオープンさせました。その先進性は引き継がれ、東京オリンピックの年には大阪新阪急ホテルを開業するなど、時代に適応したホテル経営で拡大してまいりました。
2004年の第一ホテル東京やホテル阪急インターナショナルなどを展開する第一阪急ホテルズと、新阪急ホテルグループの経営統合に続き、2006年10月1日阪急ホールディングスと阪神電鉄の経営統合に伴い、ホテル阪神が加わり「阪急阪神第一ホテルグループ」が誕生いたしました。
現在ではホテル数50を越す国内屈指のホテルグループとして成長を続けています。

http://www.hankyu-hotel.com/group/outline.html

その「国内屈指のホテルグループ」のメニューに虚偽記載があった。
たとえば「鮮魚のムニエル」は「冷凍保存した魚のムニエル」だった。
「レッドキャビア」という記載は、実際は「トビウオの卵」だった。
Photo_2
東京新聞10月23日

「若鶏の照り焼き 九条ねぎのロティと共に」などと、いかにも食材にこだわっているかのような表現である。
日本経済新聞のコラム「春秋」は次のように書いている。

どこからが「嘘」となり、どこまでを「マーケティング」と呼べるのだろう。買い手が笑顔で満足なら、それでよいともいえる。けれども白を黒と呼べば罪である。京都の九条ネギと称して普通のネギを出せば、すぐ嘘だと知れる。「メニュー偽装」を犯した阪急阪神ホテルズは消費者の基準を、ずいぶん甘くみたものだ。

いくら贔屓目に考えても、マーケティングとは言えないだろう。
同社の出崎弘社長は24日の記者会見で、次のように語った。

 会見で出崎社長は「会社の管理体制や審査体制が不十分だった」と謝罪。「意図を持って誤った表示をしたことはない。偽装ではないと認識している」とし、誤表示だったと強調した。辞任する考えはないと話した。
 ところが「既製品のチョコレートは手作りと表示してよいと勘違いしていた」などとされた調査結果が不自然だと問われると、出崎社長は「(従業員が)本音で回答したかつかめていない」と調査不足を認めた。その上で「霧島ポークの上海式醤油(しょうゆ)煮込み」や「天ざるそば(信州)」など6メニューを対象に、今月中に再調査することになった。

http://www.asahi.com/articles/OSK201310240062.html

どう見ても、往生際が悪いと言うか、心証を悪くしているとしか思えない。
偽装と誤表示の違いは、騙そうとする意志があるか否かということであろう。
故意と過失の違いともいえる。
⇒2010年10月 1日 (金):故意と過失/「同じ」と「違う」(21)
上のメニュー表示を見れば、明確に「騙そう」という意思がうかがえる。
つまり偽装と言うべきであって、誤表示ではない。

この国の虚偽記載(偽装)には、年季が入っている。
何しろ、最初の正史である『日本書紀』からして、偽装としか思えない記述が多数ある。
⇒2007年9月 6日 (木):偽装の原点?
粉飾決算など日常的と言っていいかも知れない。
⇒2008年7月20日 (日):『粉飾の論理』

また、建築における耐震偽装、食品の産地や成分偽装など、ニュースになったものだけでも数多い。
偽装国家という人もいるくらいである。
⇒2007年9月 2日 (日):偽装国家

われわれは、ブランドをなぜ信用するか?
それは、このような偽装が行われることがないだろうと信ずるからである。
阪急阪神ホテルズ(サイトかr分かるように、阪急が母体ということだろう)は、小林一三以来、営々として築いてきたブランドを、一瞬の内に失った。
情報の伝達・拡散のスピードが著しく早くなっているのである。

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2013年10月24日 (木)

カスリーン台風と利根川治水/戦後史断章(15)

10月下旬というのに、大きな被害をもたらした台風26号に続き、27号、28号と2つの台風が接近している。
私の記憶では、大きな被害を発生させた台風は、9月下旬に多かった。
調べてみると、台風の特異日というのは、9月17日頃と26日頃である。

9月17日頃は1947年(昭和22年)のカスリーン台風、1948年(昭和23年)のアイオン台風、1961年(昭和36年)の第2室戸台風、26日頃は1954年(昭和29年)の洞爺丸台風、1958年(昭和33年)の狩野川台風、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風などです。いずれも災害史に残る名だたる台風ばかりです。
Photo
http://www.bioweather.net/column/weather/contents/mame005.htm

敗戦後、わが国の国土は荒廃した。
「国破れて山河あり」と言われ、「戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ」とされるが、山河もまた元の状態ではあり得なかった。
そんなところへ台風が襲来し、大きな被害が発生した。
昭和22年9月の「カスリーン台風」である。

当時は連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年から1953年5月までアメリカ合衆国と同様に、A、B、C順に女性の名前が付けられていた。
カスリーン台風の英名は「KATHLEEN」で、Aから数えて11番目である。
カスリーン台風の進路は下図のようであり、先日の台風26号と似通った進路といえよう。
Photo
Wikipedia-カスリーン台風

この台風による死者は1,077名、行方不明者は853名に上り、罹災者は40万人を超え、戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらした。
利根川では、「明治43年の大洪水」の大洪水が有名である。
利根川、荒川水系の各河川が氾濫するとともに、各地で堤防が決壊し、関東平野一面が水浸しになった。
死者・行方不明者数1,379人、堤防決壊7,266カ所で、東京の下町一帯がしばらくの間冠水した。
破堤した中条堤の修復をめぐって大きな論議が起きるなど、利根川水系の治水のあり方に抜本的な見直しを迫る水害であった。
中条堤の保持していた遊水機能を何によって代替するかは、利根川治水の最大の論点と言ってもいい。
⇒2009年12月 6日 (日):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論(2)中条堤の遊水効果

カスリーン台風では、「明治43年の大洪水」の時には破堤しなかった新川通と呼ばれる直線河道が破堤した。
新川通は、いわゆる利根川東遷事業によって生まれたものである。
東遷事業の全体像は複雑であり、またどこからどこまでを一単位の事業として考えるかについて諸説あるが、ここでは江戸時代の荒川というサイトによって、東遷事業の概略を見よう。

徳川家康の江戸入府(1590年)当初から、利根川東遷事業、つまり利根川の流れを常陸川に導き,銚子で鹿島灘に落とす構想を描いていたと言われる。
その目的は、次の4項目を考えることができる。
①江戸を利根川による水害から守る。         
②埼玉平野から利根川を遠ざけて、古利根川流域の新田開発をする。    
③舟運を開いて、東北と関東との経済交流をはかる。    
④東北の雄藩伊達に対する防備として、利根川を江戸城の一大外壕とする。

東遷事業の起点が、会の川の締切りであった。 1594年のことである。
ただしこれを利根川東遷の端緒とすることには異論もある。
小出博は、利根川東遷事業という遠大な構想のもとにおける工事ではなく、忍城近辺の水害防除と農業生産の安定化にあったのではないか、とする。
忍城は、「のぼうの城」として話題になったが、水郷というような場所であった。

元和7(1621)年、関東郡代伊奈備前守忠治は、栗橋に「新川通」と呼ばれる新河道を開削し、太日川(当時の渡良瀬川)と合流させた。
これにより、下流域はおおよそ現在の江戸川に沿って江戸湾へと流れ出るようになった。
同年、赤堀川の掘削も始まった。
赤堀川の開削によって、利根川は常陸川を経由して鬼怒川と合流し、銚子で海に注ぐはずだった。
しかし、赤堀川は台地を掘削するために難工事であり、失敗を重ねて、20年後の承応3年(1654)、川床を3間堀下げて深さを増して、はじめて利根川の水が赤堀川を流下して常陸川に入った。

新川通は、比較的楽観視されていた場所であったが、上流の遊水地帯が開発によって消滅しているなどの状況変化があり、利根川の水が新川通に集中した。
また、下流の栗橋付近の鉄橋に漂流物が引っかかって流れを悪くしていたほか、渡良瀬川との合流点もあるため、増水時には水の流れが悪くなるという構造的な問題を抱えていた。
このようないろいろな要因が複合して、堤防の決壊に至った。

現在の利根川水系の治水計画の基本は、下図のような流量配分によっている。
Photo_2
利根川水系における治水計画

もちろん、自然現象であるから、想定通りの流量になるとは限らない。
特に、最近の異常な降水には不安を覚える。
流域の土地利用が高まっているからである。

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2013年10月23日 (水)

汚染水の流出は止められるか?/原発事故の真相(91)

汚染水の流出が止まらない。

 東京電力は23日、福島第1原発の汚染水を貯蔵する地上タンクで約300トンの漏えいがあった「H4」エリア付近の排水溝で22日に採取した水から、ストロンチウムなどベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり最大5万9000ベクレル検出されたと発表した。過去最高値だった17日採取分の3万4000ベクレルを上回った。
http://mainichi.jp/select/news/20131023k0000e040184000c.html

一方、安倍首相は、23日午前の参院予算委員会で、「福島近海での放射性物質の影響は発電所港湾内の0・3平方キロメートルにおいて、完全にブロックされている。外洋においても福島県沖を含む広いエリアでしっかりモニタリングをしていて、基準値をはるかに下回る値だ」と答弁し、相変わらず「完全にブロック」を強調している。
果して「完全にブロック」と言っていい状況かどうか?
汚染水の流出が続く限り、そうとも言っていられないのではなかろうか。

独立行政法人の産業技術総合研究所は、福島原発の原子炉建屋に流入する地下水の大部分は敷地に降った雨水によるという研究結果をまとめた。
敷地全域を舗装して遮水するなどの対策を取れば地下水の流れがほぼ止まり、汚染水の増加が防げる可能性があるとしている。
131021
静岡新聞10月21日

産総研の研究グループは、東電が公表している地下構造データをもとに地下水の流れを解析し、次のような見解を取りまとめた。

 福島原発の地下は水を通しやすい砂岩の層(透水層)と、水を通しにくい泥の層(不透水層)が重なる。敷地内に降った雨は地下20~40メートルの「富岡層T3部層互層部」という地層から上を流れていた。一方、阿武隈山地で降った雨水は地下深くを通過し、同原発の原子炉建屋には流入していないとみられる。
建屋には毎日400トンの地下水が流入しているが、敷地内に降る雨水量をもとにした計算とほぼ一致。原発建設前は建屋付近に川が流れていたが、水源は敷地内の雨水と推定され、今回の分析結果と矛盾しない。
 このため、原子炉建屋に流れ込む地下水はほとんどが雨水で、一部が原発西側の水田からの流入と結論づけた。これが裏付けられれば、敷地全体を舗装や防水シートなどで遮水処理し、原発建屋周辺への地下水流入を防げる可能性が高まる。

http://www.nikkei.com/article/DGXNZO61125800W3A011C1CR8000/

海洋に流出する水は、降水に由来する。
この水が建屋の地下で直接核燃料に接触するか、冷却用水が漏出するかは分からない。
しかし、元を閉めることができれば、流出するものもなくなるであろう。
⇒2013年10月 4日 (金):むしろuncontrolと言うべきでは/原発事故の真相(89)
⇒2013年8月29日 (木):原子力市民委員会の緊急提言/原発事故の真相(81)
⇒2013年8月 7日 (水):福島第一原発の汚染水の水収支/原発事故の真相(76)

東電は地下水の流入を防ぐため、原子炉建屋を囲う凍土壁建設計画を進めている。
43c0bf585d171c9f4d6b0a882578392f
http://blog.goo.ne.jp/torl_001/e/7fb97d94a219aea8b271fd887b4de8b2

この凍土壁の場合、円筒ではなくコップのように形成できるかどうかが成否の分かれれ目だという。
「底の無い筒状のモノ」を水中に垂直に入れた場合、筒の中の水面は周りの水面と同じで下がらない。
この状態では原子炉や建屋などからの汚染水が外部に染み出てくるだろうといわれる。

どちらがより効果的か、またより費用が安いか?
あるいは他に方法があるのか?

今の状況では、安倍首相は世界に対して大ウソを騙ったことになり兼ねない。
今までの経緯に拘らず、汚染水対策を急ぐべきだ。
⇒2013年4月15日 (月):福島第一原発の汚染水は他に対策がないのか?/原発事故の真相(68)
⇒2013年7月28日 (日):高濃度汚染水対策を急げ/原発事故の真相(74)

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2013年10月22日 (火)

消費社会の変容と広告批評・天野祐吉さん/追悼(38)

広告を商品の宣伝としてではなく、批評の対象として位置づけた天野祐吉さんが、20日午前くなった。
享年80歳、TVで拝見する限りだが、まだまだお元気そうだった。
雑誌「広告批評」を1979年に創刊した。

広告は、消費社会のあり方と共にある。
わが国で、消費者像をめぐって、電通と博報堂の間で、「少衆・分衆」論争が繰り広げられたのは、1980年代中ごろのことだった。
よく知られているマズローの「人間の欲求の発展段階説」によれば、人間の消費欲求は段階的に高度化していく。
それを、ライフスタイルの変化として捉え、マーケティングによってその変化の様相を捉え、的確な広告を打つことが、広告会社のミッションである。

電通の藤岡和賀夫氏は、1984年のベストセラー『さよなら、大衆。―感性時代をどう読むか PHP研究所で、成熟消費社会における少衆化現象を摘出した。
一方、博報堂生活総合研究所は、『「分衆」の誕生―ニューピープルをつかむ市場戦略とは』で、少衆ではなく分衆という概念を提起し、世にいう「少衆・分衆論争」が巻き起こった。

その後、マーケティングの研究者片山又一郎氏は、1986年の『ニューファッション化社会』ビジネス社においてファッションについて次のように述べた。

服という形をとっているが、本質的にはコミュニケーションというソフトのメディアであり、デザイナーはデザインを通して信号を送る。それをキャッチし、共鳴した消費者は、その服を身につけることでデザイナーの思想を共有する。さらに、彼らはその服を通して、自分がその思想に共鳴していることを訴えるのである。その意味で、デザイナーが作り、消費者がまとっているのは、ハードとしての服ではなく、ソフトとしての情報なのである。

いわゆるDCブランド(ディーシーブランド)は、こうした文脈で理解できよう。
Wikipedia-DCブランドに、次のような解説がある。

この用語がいつ頃から使われ始めたかは明らかではないが、1979年(昭和54年)の新聞に、渋谷PARCO PART2の地下1階メンズフロアの広告として、「デザイナーブランド(ただしアルファベットではDesigner's BrandのちにDesigners' Brand)」の名のもとに、松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・高橋幸宏(年齢順)の名およびメンズファッションへのコメントを載せたことが、この用語を社会認知させる最初のものであった。

1979年の「広告批評」の創刊は、このような社会事象と同期していたわけである。
ところで、わが国のGDP成長率の推移は下図の通りである。
Photo
http://www.tuins.ac.jp/~ham/tymhnt/butai/keizai2/shotoku/prefincm/ch_gnp.html

いわゆる高度成長の時代は1973年のオイルショックで終わりを告げた。
10月6日に第四次中東戦争争(6日〜26日)が勃発し、10月16日に、石油輸出国機構 (OPEC) 加盟産油国のうちペルシア湾岸の6ヶ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。
石油価格の上昇は、1次エネルギー源を石炭から石油に置き換えていた(いわゆるエネルギー革命)日本に大きな打撃を与えた。
日本の消費者物価指数は、1974年(昭和49年)は23%上昇し、「狂乱物価」という造語が生まれた。
インフレーション抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などを抑制する政策がとられたので、1974年(昭和49年)は-1.2%という戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長が終焉を迎えた。

しかし、オイルショックは、社会の根底的なところで進んでいた変化を顕在化させる要因に過ぎなかったのではないか。
永遠に高度成長を続けることは不可能である。
それはわれわれの社会総体が変容していくすることを意味する。

吉本隆明は、『超西欧的まで 』弓立社(1987年11月)などで、日本社会を捉える認識の枠組みを、現代モデルから現在モデルへの遷移として説明している。

 つまり、あいかわらず、この商品はいいよとという宣伝をしているコマーシャルもありますが、それとは全然関係ないイメージを付け加えているコマーシャルもあります。あるいは逆に、商品なんか売れる、売れないはどうでもいい、とおもっているんじゃないかと見まがうばかりの宣伝・広告も出現しているのです。

あるいは山崎正和は、『柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学中公文庫(1987年3月)で、時間を効率的に使うことを第一義に考える「生産的人間」から、「時間を楽しむ過程重視の「消費的人間」への変化とした。
このような宣伝・広告の状況にいち早く着目したのが、天野祐吉さんであった。
「広告批評」は、2009年に休刊したが、天野さんと共に同誌を生み、育てた島森路子さんの闘病と関係しているとのことである。
島森さんも今年の4月に亡くなられている。
天野さんにとっては、「やるべきことはやった」ということであろう。
合掌。

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2013年10月21日 (月)

伊豆大島の台風禍/花づな列島復興のためのメモ(269)

10月16日に関東地方に接近した台風26号で、伊豆大島で大きな被害が出た。
死者・行方不明合わせ50人近い。
さまざまな要因はあるのだろうが、写真を見る限りでは、道路から崩落しているから、道路の状況つまり開発が原因の1つになっていることは間違いないだろう。
Photo
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/const/news/20131017/636269/

子供の頃は、大規模な台風災害が多かったような記憶がある。
昭和22年のカスリーン台風はリアルタイムでは余り覚えていないが、利根川の歴史を勉強するようになって、戦後史に特筆される災害であることを知った。
昭和29年の洞爺丸台風は、水上勉の『飢餓海峡』のモデルになったとも言われているが、数少ない生き残りだという人と後年親しくなり、酒席でよく話を聞いた.。
しかし、往々にして体験談というものは、脚色されているようである。

昭和30年代前半の狩野川台風、伊勢湾台風は、はっきりとした印象が残っている。
特に、狩野川台風については、直接の被害を受けたわけではないが、身近な場所で大きな被害が発生したし、その体験を直接聞きもした。
しかし、治山治水対策の進展とともに、台風による大規模な被災は徐々に少なくなっていった。
狩野川についても、放水路が設けられて以降、大規模災害は起きていない。

伊勢湾台風の後、都市地域での水害が目立つようになってきた。
流域の開発とともに、保水・遊水機能が減少し、降水が一挙に集中的に流下するようになった。
一方、被災のポテンシャルとしての資産の蓄積・集中も進んだ。
国土の条件が災害に弱くなったのである。
高橋裕さんの先駆的な啓蒙書『国土の変貌と水害』岩波新書1971) に書かれている通りである。

しかし、ここ数年、また水害の様相が変わってきているような気がする。
雨の降り方が尋常ではないのである。
伊豆大島の降水量は、気象庁の観測史上最高となる24時間雨量824mmを記録した。
想像を絶する雨量といえよう。
設定されたばかりの特別警報は、広域が対象ということで発令されなかった。
⇒2013年8月28日 (水):異常気象頻発の夏と特別警報/花づな列島復興のためのメモ(253)

降水が激化している現象が、地球温暖化のせいかどうかは分からない。
また、温暖化しているにしても、CO2濃度が原因なのかどうか分からない。
しかし、何らかの地球科学的な変動が起きているのではなかろうか。

台風26号の進路は、ほとんど予想通りだった。
262013101500028924roupeiro00112view
http://bylines.news.yahoo.co.jp/masudamasaaki/20131015-00028924/

そして、10年に1度程度の非常に勢力の強いと言われてもいた。
自然災害に対して、いくら制度的な対応をしても、工学的な対応をしても、限界があるだろう。
最終的な判断はヒトに委ねられている。
今回の場合、住民と町という行政組織に、「まさか」という油断があったという指摘もある。

伊豆大島といえば活火山であり、火山活動の脅威が先ず頭に浮かぶ。
しかし、火山活動によりさまざまな噴出物が堆積している上にわれわれは生活を営んでいるのである。
伊豆大島だけのことではなく、日本という国土全体がそうなのである。
2012年5月 8日 (火):火山活動との共生/花づな列島復興のためのメモ(62)

26号に続いて、27号が似たような進路で接近しているし、28号も発生している。
台風の襲来は避けられないが、災害の発生は防ぐことは避けることが可能であろう。

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2013年10月20日 (日)

金子三勇士さんのコンサート

テレ朝系で日曜日に放映されている長寿番組に『題名のない音楽会』がある。
クラシック音楽を中心に音楽をいろいろな角度から楽しませてくれる。
当初、作曲家の故黛敏郎さんが司会をしていたが、現在は指揮者の佐渡裕さんがやっている。
今日の出演者に、金子三勇士さんがいた。

実は、三勇士さんの演奏を昨夜、目の前で堪能したばかりである。
三勇士というのは珍しい名前であるが、“みゆじ=Miyuji”と読む。
日本人の父とハンガリー人の母を持つハーフである。
1989年年生まれだから、まだ23~4歳である。
6歳にして単身ハンガリーに留学し、祖父母の家よりバルトーク音楽小学校に通った。
しかし、実に折り目正しい日本語を話す。

裾野市千福が丘の住人で、企業向けの語学研修などを主業務としている株式会社エフ・アイ・エー(F.I.A.)の社長である金子詔一さんが開いた小さなコンサートである。
三勇士さんと詔一さんは、同じ金子姓であるが、たまたまということだそうだ。
詔一さんは、『今日の日はさようなら』の作詞・作曲を手掛けたミュージシャンでもある。
『今日の日はさようなら』は森山良子さんが歌って大ヒットしたが、ボーイスカウトやガールスカウトの活動において、団員やリーダーたちによって歌われるスカウトソングであり、文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌・歌謡曲などを対象にして選定した「日本の歌百選」に選ばれている。

詔一さんは、『今日の日はさようなら』以外にも、裾野市内外の学校の校歌なども手掛けられているが、『ランドセルの歌』という実にいい歌がある。
実は、先日来春小学校に入る孫のランドセル選びに付き合ったのだが、ランドセルという用具には独特の思いが込められている。
⇒2011年6月 3日 (金):金子詔一さんの『ランドセルの歌』
⇒2013年9月22日 (日):ランドセル俳人・小林凛/私撰アンソロジー(29)
⇒2011年4月13日 (水):左手のピアニスト・智内威雄さんの演奏を目の前で聴

千福が丘というのは東急グループが開発した高級住宅地で、詩人・文芸評論家の大岡信さんも、終の棲家にした。
詔一さんが、F.I.A.の千福が丘オフィスの中に、ライブラリー“一人静か”を開設し、コンサート会場としても供用している。
ラウンジという感じの小規模会場であるが、モーツアルトなどはこんな会場で演奏したのではないかと思われる。
そこで、三勇士さんのリサイタルが行われた。
131019_2
三勇士さんは、ピアノメーカーとして有名なスタンウェイ&サンズ社のスタンウェイ・アーティストの1人である。
スタインウェイ・アーティストは、スタインウェイから金銭的なサポートを受けることはないが、個人的にスタインウェイピアノを所有し、プロフェッショナルとして演奏する時には常にスタインウェイピアノで演奏する演奏家である。
スタンウェイ&サンズ社が日本法人設立15周年を記念して、ジリコテという希少な木材を使用した特別限定製品を3台製造した。その中の1台を詔一さんが購入したという縁で今回の演奏会になったということである。

“一人静か”にはすでに1台のスタンウェイがあったが、今回は新旧2台の音色を聴き比べるという趣向もあった。
私には2台の違いを聴き分ける音感はなかったが、目の前で演奏される迫力はさすがだった。
公演は新と旧のスタンウェイの2部に分かれ、1部(旧)はベートーベンの『月光』の第一楽章に始まり(会場はセミオープンで晴れていれば月が見えたはずであるが、曇天にして適わず)、ショパンを中心に構成された。
2部はリストである。

三勇士さんにはハンガリーの血が流れているが、リストの演奏は彼のアイデンティティの証明でもあるだろう。
特に、ラ・カンパネラやハンガリー狂詩曲のような超絶技巧曲を目の前で、テレビでアップの画面で見るように、蝶が舞うようなダイナミックな運指を視聴できたのは得難い体験だった。
村上春樹のベストセラー『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は未読だが、「巡礼の年」というのが、リストの作品に由来することを教えてもらった。
『題名のない音楽会』でも演奏していたが、スイスの中の『郷愁』という作品を演奏してくれた。
三勇士さんがビッグアーティストに育つ予感のする演奏会だった。

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2013年10月19日 (土)

消費税増税にみる報道の翼賛化/花づな列島復興のためのメモ(268)

政府が来年4月に、消費税率を現行の5%から8%へ引き上げることにした経緯については、釈然としているわけではないが、“ルール”に則っていると言われれば反論し難い。
⇒2013年9月26日 (木):消費税増税のために復興法人税を廃止という怪/アベノミクスの危うさ(12)

しかし、予定されていたこととはいえ、国民不在の決定という感じは拭えないだろう。
その違和感の1つに、マスメディアがこぞって増税賛成という立場だったことがある。
そんなに挙国一致するほど、対立点がないのだろうか?
少なくとも、増税による景気の悪化をどう考えるかということに関しては、多様な見方があり得るのではないか?

しかし、マスメディアに期待するのは、無いものねだりなのだろう。
特に新聞は、「新聞には軽減税率を適用すべき」などと言っているのだから、批判的な主張など打てるはずもない。
⇒2013年9月10日 (火):新聞界に競争原理は不要なのか?/花づな列島復興のためのメモ(258)
⇒2013年9月13日 (金):何のための消費税増税か?/花づな列島復興のためのメモ(260)

「文藝春秋」11月号の「新聞エンマ帖」というコラムで、この間の事情を「なし崩し翼賛報道」と解説している。
すなわち、最終的な増税決定の局面が、2020年東京オリンピック決定に沸く祝賀ムードのどさくさ紛れに進行したというわけである。
実際、ブエノスアイレスで国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催都市に東京が決まったのは、7日(日本時間では8日)のことだった。
そのことを報じ得る9日の朝刊は、業界の談合で一斉に休刊日だったので、新聞で報じられたのは9日の夕刊からだった。
この談合というか、競争意識の無さも如何なものかとは思うが、10日の朝刊からは、オリンピック報道と同期して消費税増税報道が始まった。

10日朝刊
朝日:増税指標クリアと判断/GDP3.8%増、首相、(十月)1日にも決断
日経:消費増税「予定通り」強まる/9月月例報告 景気回復を明記

11日朝刊
産経:消費増税 公算強まる/首相、経済対策で判断
朝日社説:消費増税 法律通り実施すべきだ

12日朝刊
読売:消費税 来年4月8%/首相、意向固める/経済対策に5兆円

朝日の魅力の1つだった批判精神など見る影もない感じである。
⇒2013年10月14日 (月):朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(3)
12日の読売の記事が、一連の報道の決定版ともいうべき内容であったと「エンマ帖」子はいう。
そして、政権の進め方の舞台裏を、各紙にも載っている「首相動静」欄にカギが隠れていると、次のように解説する。

10日午後
閣議の前に、麻生、甘利、菅氏と会談。
→増税の内意と経済対策とりまとめ指示

ナベツネ氏らと会食→ナベツネ氏は増税の心証を得る
11日午後
高村副総裁、野田税制調査会長の党側に、予定通りの方針伝達

つまり、読売は「安倍-ナベツネ」会談の感触と自民党サイドの裏も取って12日朝刊の「決定版」を打った。
「エンマ帖」子は、「新聞が政権に協力し、五輪ご祝儀で増税決行を後押ししようと腹を括った」と解説している。
政府が60人の有識者から意見聴取をした時点で、7割は賛成ということが明らかだったから、「増税固める」程度の観測記事は書けるだろう。
それをしなかったのは、「丁寧に広く意見を聞く」という政権の手順を尊重したからで、一貫して、増税への軟着陸に協力したのだ。
翼賛体制の行方が不安である。

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2013年10月18日 (金)

積極的平和主義をどう理解するか/アベノミクスの危うさ(17)

安倍首相は、臨時国会における所信表明演説で、「積極的平和主義」という概念を使用した。

 戦後六十八年にわたる平和国家としての歩みに、私たちは胸を張るべきです。しかし、その平和を将来も守り抜いていくために、私たちは、今、行動を起こさねばなりません。
 単に国際協調という「言葉」を唱えるだけでなく、国際協調主義に基づき、積極的に世界の平和と安定に貢献する国にならねばなりません。「積極的平和主義」こそが、我が国が背負うべき二十一世紀の看板であると信じます。
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement2/20131015shoshin.html

安倍首相は、9月の訪米時にも、保守系のシンクタンク・ハドソン研究所でも「積極的平和主義」に言及している。
首相のお気に入りの言葉と考えていいだろう。
それでは、「積極的平和主義」という言葉をどう理解するか?

伊藤憲一『新・戦争論―積極的平和主義への提言新潮新書(2007年9月)という著書がある。
「人類の誕生から現代の「イラク戦争」「対テロ戦争」までを射程に収め、戦争が成立してきた条件を問い直し、「戦争時代の黄昏」と「不戦時代の到来」を告げる文明論的考察。」と紹介されている。
また、日本国際フォーラム政策委員会が、2009年10月に『積極的平和主義と日米同盟のあり方』という政策提言を行っている。

これらの文脈の中で考えるならば、首相の「積極的平和主義」の意味するところは、日米同盟の強化と集団的自衛権に関する解釈の変更ということになろう。
専守防衛をうたい、不戦を誓った憲法9条を軸にした現行憲法の平和主義を意識したものであることは明らかである。
そして、ナチスの手口をまねて憲法改正をすればいい、と言った麻生副総理兼財務相とも歩調が合っている。

これを是とするか非とするか?
私は、現行憲法を完璧なものであって、不磨の大典だとは思わないが、現時点で麻生氏のように、「うまく」改正すればいい、ということには反対である。
⇒2013年8月 4日 (日):撤回では済まされない麻生副総理の言葉
そして安倍首相は、集団的自衛権行使容認に向けて、内閣法制局長官を更迭するなどの手を着々と打っている。

戦争と平和は、一般的には対立概念である。
しかし、往々にして、「平和を実現するために」という名目で戦争が始められるというのが事実であろう。
記憶に新しいところでは、ブッシュ前大統領が、イラク開戦にあたり米国民に向かって、「この危険な時を克服し、平和を実現する」と呼びかけたことだ。
そして皮肉にも、「イラクの自由」という作戦名を付けた。

小泉首相(当時)は、国連と日米同盟の両立を言っていたが、それが不可能な事態に立ち至ると、いち早く米国支持(つまり2国同盟優先の判断)を明確にした。
この時、副島隆彦氏の説くように、「日本はアメリカの属国」を実感したものだった。

戦争を始める言葉はいろいろある。
日本は、「聖戦」という言葉で、大東亜戦争つまり対(鬼畜)米英戦争(後に、対中、対蘭、対ソ戦争も含むと解釈された)を始めた。
同じ言葉(ジハード)が、イスラム国家で用いられている。
「聖」という言葉には宗教的なニュアンスがあり、近代的な合理主義とは対極的である。
そして多くの場合、聖戦を戦うのは、マインド・コントロールされ易い、そして拒否権を持たない純真な若者ではないか。

安倍首相の「積極的平和主義」には、アメリカと共同して軍事力行使によって平和を構築することを意味していると理解できよう。
武器や関連技術輸出を原則的に禁じる「武器輸出三原則」の見直しは、その一環である。
耳当たりのいい言葉には注意が必要である。

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2013年10月17日 (木)

安倍首相は裸の王様か?/アベノミクスの危うさ(16)

第185回国会における安倍首相の所信表明演説をTVで視聴していて、ふと「裸の王様」という言葉が頭をよぎった。
安倍首相は、日本人は、長引くデフレの中で萎縮してしまったが、この呪縛から日本を解き放ち、再び、起業・創業の精神に満ち溢れた国を取り戻せば、若者が活躍し、女性が輝く社会を創り上げられる。
それが、アベノミクスの成長戦略で、日本の「新しい成長」の幕開けだとして、次のように言う。

 「心(しん) 志(し)あれば 必ず便宜(べんぎ)あり」
 意志さえあれば、必ずや道は拓(ひら)ける。中村正直は、明治四年の著書「西国(さいごく)立志編(りっしへん)」の中で、英国人スマイルズの言葉をこのように訳しました。
 欧米列強が迫る焦燥(しょうそう)感の中で、あらゆる課題に同時並行で取り組まなければならなかった明治日本。現代の私たちも、経済再生と財政再建、そして社会保障改革、これらを同時に達成しなければなりません。
 明治人たちの「意志の力」に学び、前に進んで行くしかない。明治の日本人にできて、今の私たちにできないはずはありません。要は、その「意志」があるか、ないか。
・・・・・・
総理就任から十か月間、私は、地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、二十三か国を訪問し、延べ百十回以上の首脳会談を行いました。これからも、世界の平和と繁栄に貢献し、より良い世界を創るため一層の役割を果たしながら、積極果敢に国益を追求し、日本の魅力を売り込んでまいります。
・・・・・・
 今の日本が直面している数々の課題。復興の加速化、長引くデフレからの脱却、経済の再生、財政の再建、社会保障制度の改革、教育の再生、災害に強く安全・安心な社会の構築、地域の活性化、そして、外交・安全保障政策の立て直し。これらも、「意志の力」さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私は、そう確信しています。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement2/20131015shoshin.html

自信に満ち溢れた演説といえよう。
しかし、「意志の力」だけで、困難は乗り越えられるのか?
「意志の力」は不可欠だけど、それだけでは問題は解決しない。

アベノミクスの中心が成長戦略であることは、自らも認める通りであろう。
しかし、果して、政府主導の戦略で、マクロな成長が可能なのか、という根本的な疑問がある。
首相が変わるたびに、お色直しをした「成長戦略」が登場した。

「5年で労働生産性を5割増」。これは2007年4月、安倍晋三首相が第1次政権の折に出した「成長力加速プログラム」の目標である。
 これが翌2008年、福田康夫元首相の「経済成長戦略」では「10年程度で実質2%成長」になり、さらに2009年には、麻生太郎元首相(現・財務相)の「未来開拓戦略」で「2020年に実質GDP=国内総生産=120兆円増」へと移った。
 民主党も人のことは言えない。2009年に政権交代を果たした鳩山由紀夫元首相は「新成長戦略」で「2020年までに環境など新分野で100兆円超の需要創造」と打ち上げる。続いて翌2010年の菅直人元首相は「新成長戦略―元気な日本復活のシナリオ」、2011年の野田佳彦前首相は「日本再生戦略」をぶち上げ、同様の目標を高々と掲げたのである。

田村賢司『「7度目の成長戦略」で懲りないためにすべきこと』

これらの成長戦略と、何が違うのだろうか?
「意志の力」というだけでは、「戦略」とは言えまい。

「水俣の被害は克服し」「フクシマの汚染水はアンダーコントロール」という認識は、見えない服を立派な出来だ、と言うのとどう違うのか?
『裸の王様』は、アンデルセンの有名な童話である。
原題を直訳すれば、「皇帝の新しい服」。

今さら紹介するまでもないが、新しい服が大好きな王様の所に2人組の詐欺師がやってくる。
彼らは、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。
王様が見に行くと、目の前にあるはずの布地が見えない。
王様は、家来たちの手前、見えないとは言えず褒める。
家来も同様である。
王様は、見えもしない衣装を身にまといパレードに臨み、見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやす。
見物人の中の子供が、「王様は裸だよ!」と叫び、しまいには皆が「王様は裸だ」と叫ぶ。

要するに、認識と現実に乖離があるのである。
家来は追従するだろうが、利害のない子どもの目はだませない。
安倍首相も認識と現実が食い違っているのではないか。
131016
東京新聞10月16日

最近読んだ福井晴敏『人類資金1講談社文庫(2013年8月)の中に、次のような文章があった。

この世に、永遠に成長し続けるものなど存在しない。バブル崩壊で学んだはずの教訓をよそに、企業は生産性の向上に励んで大量のモノを供給し、需要者なき市場で値崩れを起こしてはデフレだと嘆く。儲からなければ経営の効率化をさらに推し進め、不要と切り捨てられた人材をあぶれさせて、消費環境の悪化に一層の輪をかけもする。まさに己の血を啜って糊口をしのぐかのごとし。とどめとばかりに到来した東日本大震災を含め、日本が歩んできた戦後七十年の絶望的な終着点がここ。否、世界中の先進国が同じサイクルに突入しつつあるという意味では、共産主義の敗退以降、世界が唯一の正義と信じた資本民主主義の行き着いた先がここ。無制限のばらまき政策で失われた二十年を取り戻そうとしたアベノミクスも、国家財政をより深い負債の海に沈める結果に終わりつつあり、投資先を失った大量の預金は再び銀行や箪笥の奥で根腐れするようになった。成長し、発展し続けることによって未来を保証されてきた資本主義社会は、その未来が担保価値を喪失したいま、投資対象ではなり得なくなったとでも言うように。
pp162~163

成長戦略の内実を示すべきだろうが、スローガンばかりで具体的な施策は示し得ていない。
そして、「意思の力」を強調すると、往々にして強者の論理になることに気をつけるべきだ。
ジニ係数に見られるように、日本社会における格差は拡大しているのである。
⇒2013年9月13日 (金):何のための消費税増税か?/花づな列島復興のためのメモ(260)

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2013年10月16日 (水)

幼児のアイドルアンパンマン・やなせたかしさん/追悼(37)

「アンパンマン」などの作品で知られる漫画家のやなせたかしさんが亡くなった。
本名・柳瀬嵩、享年94歳で漫画界の最長老だった。Photo_2
東京新聞10月16日

アンパンマンは、ほとんどの幼児がお気に入りになるキャラクターだ。
ほとんど楕円だけで構成される単純とも思えるデザインのどこに惹かれるのであろう。
2
私の孫も、やっと目が見え始める頃から、アンパンマンのぬいぐるみ等のグッズに囲まれていればご機嫌だった。
アンパンマンは、被災地の人たちを元気づけもした。
Photo_3
http://anpanman.jp/sekai/

本能だけで生きているような赤ん坊が、アンパンマンのストーリーを気に入って好きになるということはないはずである。
視覚的な印象以外に考えにくい。
Wikipedia-アンパンマンから、成立の経緯や人気の秘密を探ってみよう。

原型作品は、1969年に「PHP」誌に連載されていた(大人向けの)読み物『こどもの絵本』(単行本のタイトルは『十二の真珠』)の第10回連載「アンパンマン」(10月号掲載)。
1973年、これを発展させたキャラクターとして、あんパンでできた頭部を持つ「あんぱんまん」が「キンダーおはなしえほん」(フレーベル館)10月号に登場した。
1975年、キャラクター名を片仮名に変更した続編の絵本『それいけ!アンパンマン』を出版。
絵本のアンパンマンは当初、貧困に苦しむ人々を助けるという内容であり、未就学児には難解な内容で、編集部や批評家、幼稚園の先生などから酷評されたが、次第に子供たちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到するようになった。
絵本がシリーズを重ねていくに伴い、アンパンマンの仲間や敵のキャラクターが増えていった。

多くのキャラクターの中で、準主役は、敵役の“ばいきんまん”だろう。
バイキン星からやって来た悪者であるが、いつもアンパンマンにやっつけられてしまう。
やなせたかしさんの作品の根底に戦争体験がある。

「正義の味方というなら、まず飢えている人を救わなくては」というのが、やなせさんの言葉である。
アンパンマンが自分の顔をちぎってみなに分け与えるのは、飢えている人を救うためだ。
その結果、自分も傷つくのである。
やなせさん語録から。

 「正義は逆転する。A国にとっての正義がB国にも正義だとは限らない。では、逆転しない正義は何かといえば、飢えている人を助けることなんじゃないか。政治だって、飢え死にする人がいるなら、どこかまちがっているんですよ」
http://www.asahi.com/culture/update/1015/TKY201310150272.html

正義における相対性と絶対性と言えようか。
声高に「倍返しだ!」といって、敵をやっつけるのとは一線を画した成熟した視線である。
戦場での悲惨な体験や多くの死を目にしてきたことによって生み出された優しさではなかろうか。
合掌。

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2013年10月15日 (火)

チッソと水俣病/ブランド・企業論(4)

「水銀に関する水俣条約」(the Minamata Convention on Mercury:「水銀条約」「水俣条約」)が国際会議で採択され、水銀被害の無い社会へのスタートが切られた。
しかし、本当に被害が根絶されるまでには、なお多くの課題を解決していかなければならないと思われる。
⇒2013年10月11日 (金):「水俣条約」の意義と課題/花づな列島復興のためのメモ(267)

水俣病の原因者であるチッソ株式会社とは、いかなる企業であるか?
Wikipedia-チッソを見てみよう。

戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで知られる。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコー、日本ガスなどの母体企業でもある。
同社が有していた事業部門を2011年3月31日をもって中核子会社のJNCに移管したことで、同社は水俣病の補償業務を専業とする会社となった。
主な子会社・関連会社として、JNC、JNC石油化学(旧:チッソ石油化学)(事業所:千葉県市原市)、九州化学工業(工場:福岡県北九州市)、JNCファイバーズ(旧:チッソポリプロ繊維・事業所:滋賀県守山市)や、ポリプロピレン事業合弁会社の日本ポリプロなどがある。また、日本国内の合弁相手に吉野石膏や同社と同根である旭化成がある。

上記の抜粋から分かることは、水俣病を起こしたことを別として、旭化成、積水化学工業、信越化学工業などの母体企業であること、JNCという商号と関連が深いことであろうか。
ちなみに、JNCとは、Japan New Chissoの略である。
つまり、新日本窒素である。
1965(昭和40)年にチッソ株式会社に改称するまでの商号が、新日本窒素肥料株式会社(1950(昭和25)年)だった。

沿革は古く、1906(明治39)年に遡る。
曾木電気株式会社設立として野口遵により設立された。
1908(明治41)年、日本窒素肥料株式会社に改称され、水俣工場で空中窒素固定法による石灰窒素の製造を開始した。
石灰窒素、合成アンモニア、塩化ビニル、酢酸ビニル、ポリエチレン、合成オクタノールなどを日本で最初に事業化し、「技術のチッソ」として、イノベーティブな企業として知られていた。

日本化学工業史における日本窒素肥料株式会社成立の意義は、電気化学工業の出発点をなしたことである。
上記の沿革の曾木電気株式会社は、鹿児島県伊佐郡大口村で設立され、1907(明治40)年に、野口遵と藤山常一が中心となって設立された日本カーバイド商会が合併して、日本窒素肥料株式会社になった。
日窒は、1909(明治42)年に水俣工場を完成させて、石灰窒素の生産を開始した。
1914(大正3)年に完成した八代郡鏡町の鏡工場が、石灰窒素と硫安を大量生産する能力を備え、それが日窒発展の原動力になった。

野口遵は、第1次世界大戦勃発直後に、水俣新工場の建設を決定し、1918(大正7)年に、石灰窒素・変成硫安の一貫生産設備が完成し、鏡工場と水俣新工場の両工場によって、日窒は巨大な超過利潤を蓄積した。
1921(大正10)年、野口遵は、アンモニア合成法を見学し、特許権購入の契約締結をした。
アンモニア合成は、1923(大正12)年に宮崎県東臼杵郡恒富村の延岡工場で稼動を始め、水俣工場も合成硫安生産工場に切り替えられた。
合成硫安技術は、水素ガスを電気分解に求めるもので、電気化学工業としての性格を持ち、日窒は、所要電力の確保のために電源開発を進めた。
また、1926(昭和元)年には朝鮮水電株式会社を設立し、翌年には朝鮮窒素肥料株式会社を設立した。
⇒2009年7月25日 (土):チッソとはどういう会社だったのか

水俣工場は、1927(昭和2)年に稼働をはじめた合成酢酸工場によって、有機合成工場に特化した。
第1次世界大戦中に、ドイツで成立したアセチレン系有機合成工業は、カーバイドの新しい用途と工業技術体系を生み出した。
カーバイドより発生するアセチレンから、アセトアルデヒド(CH3CHO)を作り、さらにアセトアルデヒドを中間原料として、酢酸、無水酢酸、アセトン、ブタノールなどを生産するもので、水俣工場はアセチレン系有機合成化学の拠点として位置づけられることになったのである。
⇒2009年7月26日 (日):日本の化学工業における日窒(チッソ)の先行性

加藤邦興『日本公害論』青木書店(7704)によれば、日窒水俣工場は、日本の化学工業全体との関係で言えば、実験工場的位置づけを持っていた。
つまり、日窒はパイオニア性を有する企業であったが、それは三井、三菱、住友などの財閥系企業が負担すべきリスクを、肩代わりして負ったということである。

なお、チッソ歴代社長の1人として、皇太子妃・雅子妃殿下の祖父の江頭豊がいる。
1964(昭和39)年、新日本窒素肥料の取締役社長に就任、1971(昭和46年)、チッソ社長を退任し、会長に就任している。
後藤田正晴は皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚について、患者の憎悪や国民の不満が皇室に向くことを危惧し、「皇居に莚旗が立つ」と反対した。
しかし水俣病患者から皇室に抗議行動がされたことはない。
Wikipedia-水俣病参照

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2013年10月14日 (月)

朝日新聞社はどうなっているのか?/ブランド・企業論(3)

朝日新聞といえば、名実ともにわが国のオピニオンリーダーであることを、自他ともに信じてきただろう。
私も、子供の頃最初に意識した新聞が朝日だったし、長じて独立した家計を営むようになってからも、朝日を購読していた時期があった。
私の高校時代の親友の1人が記者になっており、彼と会えば朝日の悪口は言っても、それは信頼感を前提としたものであった。
名文家として知られる伝説的な記者の疋田桂一郎氏の文章はお手本だったし、外岡秀俊氏は朝日入社前から注目の人だった。
⇒2011年8月 6日 (土):『北帰行』ノスタルジー

それがいつの頃からであろう、朝日新聞の論調に違和感を持つようになったのは。
私の親友は40歳代の若さでガンを発症して亡くなったが、その前か後かはっきりした記憶はない。
しかし、夕刊の配達が翌日の朝刊と一緒のような地方都市に転居した時代に、朝日の購読を止めたような記憶があるから、だとすれば多分友人の死の以前である。
朝日の個別の記事には、さすがにと思わせられるものもあったが、社全体の記事の雰囲気に馴染めなくなっていた。
⇒2012年7月12日 (木):民自公翼賛体制と朝日新聞の変質/花づな列島復興のためのメモ(108)

それでも、新聞本体とは相対的に独立して、「週刊朝日」には読ませる記事が多かったような気がする。
その「週刊朝日」がオカシイ。
「週刊朝日」(朝日新聞出版)の小境郁也編集長が、10月8日付で懲戒解雇された。
小境氏は、昨年、佐野眞一氏の橋下徹大阪市長に関する連載中止事件の後、同誌立て直しのために就任した。
その彼が懲戒解雇された理由に驚かされる。
重大なセクハラ疑惑だというのだ。

9日発売の「週刊文春」(文藝春秋/10月17日号)は、小境氏が行った社会人としてあるまじき行為について触れているが、その問題の核心的な部分は、「週刊朝日」を発行する朝日新聞出版の採用試験の面接に来た女性が選考から漏れたが、面接官だった小境氏が後でその女性に接触し、自分と交際すれば採用することを持ちかけ、非正規雇用で採用したというものだ。
http://biz-journal.jp/2013/10/post_3091.html

まったく聞くだけで不快になるような行為であるが、中小零細企業ではありがちなことなのかも知れない。
私の見聞の範囲でも、類似のようなことのウワサに接したことはある。
しかし、天下の朝日が、である。

看板コラムの「天声人語」にも首を傾げたくなるような文章がある。
10月5日掲載分である。

 弱い立場にある労働者の権利を脅かすのか、能力の高いエリートに自由を与えるのか。必要のなくなった従業員を解雇しやすくするのか、よりよい職場を求めるやり手社員が転職しやすくするのか。考える角度によって正反対にも見える議論である。
 安倍政権の成長戦略のひとつとして、雇用に関するルールを特定の地域に限って緩めようという話が進んでいる。たとえばいま企業は簡単には社員をクビにできない。裁判になれば、その解雇が正当かどうか、様々な側面から検討される。
・・・・・・
 特区の作業グループはきのう、新ルールの対象になるのは弁護士や公認会計士、あるいは博士号の持ち主などに限ると言い出した。要は外資やベンチャーでばりばりと働く高給取りの話なのだ、と。残業代ゼロの方は引っ込めてしまった。
 批判や抵抗に気を使ったのだろうか。とはいえ強者のルールがいつか弱者に及ばないとも限らない。

どんな議論にも、「考える角度によって正反対にも見える」要素はある。
オピニオンは、その「考える角度」こそが重要であり、どちらの側から見て判断するかが問われる。
中立なような意見は、「強者」の側に立つものと言って間違いない。
しかし、ここにも「ハインリッヒの法則」(⇒2013年10月12日 (土):水俣条約と真情に欠ける安倍首相の言葉/アベノミクスの危うさ(15))が働いているのだ、と指摘している人がいる。
同社OBの井上久男という人である。

・・・・・・端的に言えば、重大事故は組織や職場が抱える課題や病巣の「氷山の一角」なのである。
「週刊朝日」の「小境編集長懲戒解雇事件」は、組織の病巣の一部が現れたにすぎないのではないか。
・・・・・・
 今の朝日新聞では、メディアの置かれている環境が激変している時代に、どのような取材をしてどのような記事を打ち出していくかといったことを自分たちの頭で突き詰めて考えていく本質的な議論よりも、「ニューヨークタイムズはこうやっている」「ヤフーから学ぼう」といった浅い議論が好まれる傾向にあるという。
・・・・・・
 戦略に欠けるだけならまだしも、新聞社として生き残るために何をなすべきかの気概すらも欠けているように見える。
・・・・・・
 さらに、読者の知る権利に応えるという新聞社としての本質にこだわって活動する記者や編集者は、正論を吐く煙たい存在として中枢からは遠ざけられ、当たり障りのない迎合型、さらに悪く言えばゴマすり型人材が重用される傾向にある。

http://biz-journal.jp/2013/10/post_3091.html

消費税増税には賛成だが、新聞の購読料は軽減税率を適用して欲しい、などという志の低さが根底にあるのではないか。
⇒2013年9月10日 (火):新聞界に競争原理は不要なのか?/花づな列島復興のためのメモ(258)

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2013年10月13日 (日)

八咫鏡とは何か?/やまとの謎(90)

大師10月2日、伊勢神宮の式年遷宮で内宮の神体を新正殿に移す「遷御の儀」が行われた。
⇒⇒2013年10月 3日 (木):伊勢神宮の起源/やまとの謎(88)

 参道の常夜灯などの明かりが消されると、天皇の使いである勅使が「出御(しゅつぎょ)」を告げた。午後8時、旧正殿を出た神体の八咫鏡(やたのかがみ)は、白い絹の布で覆い隠され、神宝の太刀や盾、鉾(ほこ)などを持った神職ら百数十人に前後を守られるように進んだ。
 暗闇のなか、提灯(ちょうちん)の明かりにうっすらと照らされた白い絹の布が通り過ぎると、人々は頭を垂れ、柏手(かしわで)を打った。同40分ごろ、西隣の新正殿に「入御(じゅぎょ)」
した。
http://www.asahi.com/national/update/1002/NGY201310020029.html

「遷御の儀」とは、神体の八咫鏡を旧正殿から新正殿に遷す儀式が中心となる。
八咫鏡は、三種の神器の1つである。
三種の神器は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のことである。
すなわち、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣の3つであり、歴代天皇が継承し、皇位の正統性を示すものである。
1
Wikipedia-三種の神器

三種の神器のうち、剣すなわち天叢雲剣と爾すなわち八尺瓊勾玉とを併せて、剣爾と称する。
剣は熱田神宮に祀られており、宮中には分身がある。
爾(玉)は、宮中に本体があるとされる。
八咫鏡も宮中にあるものは、分身であって、本体は伊勢神宮のものである。

剣爾は、天皇の身近にあって、天皇と共に移動する。
前回の式年遷宮の翌年の昭和49年11月7日に、昭和天皇と皇后が伊勢神宮に参拝した。
このとき、剣爾が携行された。剣爾御動座である。
これに対し、八咫鏡は、宮中三殿の中央の賢所に祀られていて、特別の場合を除いて動かされることはない。
つまり、三種の神器の中でも別格というか筆頭の位置づけということになる。

剣と玉は、源平の壇ノ浦の戦いで二位の尼が安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差し勾玉の箱を奉じて入水し一緒に水没したとされる。
このようなことから、現存するもの位置づけについてはいろいろな考え方があるが、Wikipedia-三種の神器には、次のような説明が載っている。

神器が現存か否かについては異説が多いが、そもそもの実体や起源を論ずる段階で諸説があるため、どのような情況をもって「現存」とよぶのかすら論者によってまちまちな前提での議論が多い。
また三種の神器は、「皇室所有とされること」に意味があるとの主張もある。つまり、「皇室が三種の神器を所有している」というより、「皇室所有のもの」こそが、三種の神器とする。これは皇室の権威を最大限にみなし、三種の神器を単なる権威財とみなしている。しかしそれなら、神器が奪われても天皇が所有権を放棄し新たな神器の所有権を取得すればいいことになるので、過去に天皇を崩御させてまで1つの個体を奪い合ったり、占領に備えて隠そうとしたりしたことが説明できない。
そもそも実際の儀式に使われるのは三種の神器の「形代」(レプリカではなく神器に準ずるもの)であり、実物については祭主たる天皇も実見を許されないため、その現存は確認できない。

八咫鏡の実体はどのようなものか?
Wikipedia-八咫鏡には、次のような記述がある。

金属鏡であったか、石鏡であったか定かではなく、発生年代不詳。
・・・・・・
神道五部書等によれば「八葉」といい、考古学者の原田大六は福岡県糸島市にある平原遺跡出土の大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)と、もとは同じ形状、大きさのものではなかったかと推定している。この鏡は、明治初年に明治天皇が天覧した後、あらためて内宮の奥深くに奉置されたことになっている。

要するに、実体は良く分からないが、大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)と同様なものなのだろう。
同鏡は、文字や神獣などの図柄の無い図象のみの青銅鏡である。

科学技術が高度化した現在において、このような神器が大きな意味を持っていることは不思議な感じがするが、行き過ぎると皇国史観になる。
神器を特別視するのは、物神崇拝のような気もするが、いずれにしろ共同幻想である。
心の問題と科学技術の問題のバランスをどう折り合いをつけて行くのか。

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2013年10月12日 (土)

水俣条約と真情に欠ける安倍首相の言葉/アベノミクスの危うさ(15)

10月11日の日本経済新聞朝刊のコラム「春秋」に同感した。
安倍首相の言葉遣いに関してである。

安倍首相が水俣条約の会議に寄せたメッセージで「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と述べた。これに水俣病患者の側から「被害は克服されていない」と反発が出ているという。▼「原発の汚染水はコントロールされている」という五輪招致演説に重なる何ものかを感じとった人も多いのではないか。国際舞台で、外向けに、日本の実力を誇って胸を張る。見えを切る姿は頼もしくさえあるのだが、国内で現にいま苦しんでいる人々へのまなざしが感じられない。考えてみればどちらも同じ構図である。▼五輪を東京で開く。世界を水銀の汚染、あらたな水俣病から守るために指導力を発揮する。どちらも大義ある話だ。首相が国を引っ張るのも当然だろう。しかし、その公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか。いや、どうしても「本質」と思えてならないのである。

「原発の汚染水はコントロールされている」というオリンピック招致のプレゼンについては、「そんなことはない」と思うのが世間の常識だろう。
⇒2013年9月24日 (火):「嘘も方便」首相と日本の将来/花づな列島復興のためのメモ(264)
⇒2013年10月 4日 (金):むしろuncontrolと言うべきでは/原発事故の真相(89)
しかし、言った以上はやらなければ、ということで、事故対策が進捗すれば、という期待感もあった。

ところが聞こえてくるのは、相変わらずの事態である。
東京電力は9日、福島第1原発の淡水化装置の配管の接続部を協力企業の作業員が誤って外し、高濃度の汚染水が漏れたと発表した。
東電によると現場にいた作業員11人のうち6人が汚染水を浴びたが、被曝量は深刻なレベルではないという。
しかし、いわば単純なケアレスミスが続くところに、問題が潜んでいる。
有名な「ハインリッヒの法則」によれば、「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」。
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些細なケアレスミスが、重大な事故を招くとも言えよう。
⇒2013年5月26日 (日):放射性物質漏洩事故の認識/原発事故の真相(71)

TPP交渉においても、「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」と訴えて選挙を戦ったはずであるが、「聖域」と位置付けてきた重要5農産物(コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物)について、関税撤廃の対象にするかどうかを検討するという。
言うことに信頼性が欠けていると言わざるを得ないだろう。
⇒2013年10月10日 (木):TPP交渉の行方/アベノミクスの危うさ(14)

日本経済新聞は、「財界の御用新聞」と評されるほどに、財界よりというか保守的な論調の新聞である。
それがコラムとはいえ、首相の言葉を痛烈に批判しているのである。
もちろん、水俣条約のメッセージにしろオリンピック招致委会議におけるスピーチにしろ、原稿を書いたのは別の人間であろう。
しかし、だからと言って、許されるというものではないことは当然である。

水俣病の苦難の歴史、特に大部分が自民党政権下の「不作為」により多くの被害者が苦しんできた歴史、未だに救済の網の目で救えていない人が多数現存することを考えるならば、「その克服を経た我々」などとは口にできないはずである。
同じく、10月11日の東京新聞朝刊のコラム「筆洗」は、市役所で働く坂本直充さんという人の「水俣」という詩を紹介して、次のように書いている。

▼冒頭に引いた詩「水俣」で坂本さんは問う。<誰もが幸せを願っていた/海の恵みは生命を育んだ…誰が生命を奪ったのか/誰が母に苦しみを与えたのか…水俣で地球の痛みを感じますか/水俣で地球の悲しみを感じますか>▼安倍晋三首相は、水俣条約を採択する会議に向けて、わが国は水銀による被害を克服したと言った。しかし、水俣病は今も多くの人を苦しめ続けている。被害の全貌すら分かっていない▼水俣の深い川は、<希望の海へそそぎ込むまで流れ続ける>と坂本さんはうたう。水俣の痛み、悲しみから目をそらしていては、決してたどりつくことができない海だ。

「春秋」氏は、「言葉尻をあげつらうのは良くないが、その人の本質を表すような言葉が出たときには、それはもう容赦なく批判すべきですね」といった城山三郎の言葉を引いている。
安倍首相の本質は、結局生活感覚に乏しい世襲議員ということなのだろうか。

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2013年10月11日 (金)

「水俣条約」の意義と課題/花づな列島復興のためのメモ(267)

「水銀に関する水俣条約」が、約140の国・地域が参加した熊本市での国際会議で採択された。
131011
日本経済新聞10月11日

条約には以下のような内容が盛り込まれている。
・水銀含有製品の製造や輸出入を20年以降、原則として禁止する。
・燃焼時に水銀を排出する石炭火力発電所を新設する際には、排出抑制装置を導入する。
・新規の水銀鉱山の開発を禁じる。
・・・・・・
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http://www.j-valve.or.jp/valve-faucet/env-info/a130322.html

条約の精神を示す前文には「水俣病を教訓に、同様の被害を繰り返さない」とある。
史上最悪の水銀禍として、水俣病は世界に知られているが、その名前を冠することにより、再び水俣病の悲劇を繰り返してはならないという願いが込められているといえよう。
しかし、水俣病の経緯から何を学び、どう教訓化するのか?

水俣病の原因物質として、現在はメチル水銀が特定されている。
しかし事実として、水俣病の歴史の中で、メチル水銀が公認されるまでにはさまざまな紆余曲折があった。
Wikipedia-水俣病や西村肇・岡本達明『水俣病の科学』日本評論社(0106)によって、その紆余曲折の様子を辿ってみよう。

既に1942年頃から、水俣病らしき症例が見られたとされる。
1952年頃には、水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった(このころは「猫踊り病」と呼ばれていた)。
1953(昭和28年)末に、水俣市で、最初の急性激症型患者が発生した。
1956(昭和31)年4月に「水俣奇病」として認知されたが、当初は伝染病ではないかと疑われた。
1956年5月1日、新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一が新奇な疾患が多発していることに気付き、原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告し、この日が水俣病公式発見の日とされる。

1956年11月には、熊本大学の研究班によって伝染性疾患ではなく、重金属中毒であることが確認された。
しかし、地域の事情からして重金属類の発生源として他に想定することがあり得ないような新日本窒素肥料(チッソ)の工場は、秘密保持を理由に熊本大学の研究班が工場の中に入ることを許さなかった。
熊大研究班は、工場廃水や水俣湾の海水・底泥などを分析して、文献を頼りに毒物を特定しようとした。
海水や底泥からは、疑わしい毒物として、多くの金属類が検出され、それを基に、マンガン説、セレン説、タリウム説などが提唱された。
チッソは、これらの物質について、提唱された説を否定することに注力した。

さまざまな可能性が検討された結果、熊大研究班は、メチル水銀中毒患者に関する症状や病理所見と水俣病患者が合致することを見出し、1959年7月に公表した。
しかし、研究班内部で意見の差異があり、メチル水銀という特定を避け、有機水銀と表現された。
有機水銀説に対し、チッソは、水俣工場のアセトアルデヒド合成工程で硫酸水銀を触媒として使用していること、塩化ビニルの合成の触媒に塩化第二水銀を使用していることを認め、かつその水銀の損失の一部が排水溝から海に流入していることも認めたが、チッソで使用している水銀の形態は無機水銀であり、有毒な有機水銀が生成するということについては否認した。

1959年10月には、チッソ水俣工場の付属病院長の細川一院長が、アセトアルデヒド工場の精留塔のドレーン(塔底液)を猫に直接投与する実験を行い、水俣病の発症を確認した。
つまり、アセトアルデヒド工場から水俣病の原因物質が排出されることが確認されたわけであるが、その後もメチル水銀が工場内で生成することについては否定を続けた。

1959年12月、「水俣病が工場排水に起因する事が決定した場合においても、新たな補償金の要求は一切行わない」という条件のもとに、水俣病患者に見舞金を支払うこととされた。
1961年末から62年初頃、水俣工場の技術部で、アセトアルデヒド精留塔ドレーンから塩化メチル水銀を抽出し1962年夏頃に、熊大研究班は、アセトアルデヒド製造工程スラッジ(排出汚泥)から、塩化メチル水銀を抽出した。
1963年2月、熊大研究班は、水俣病は水俣湾産魚介類を摂食することにより発症し、その原因毒物はメチル水銀化合物と正式に発表した。

1968年9月26日に、政府が水俣病についての正式見解として、チッソ水俣工場アセトアルデヒド設備内で生成されたメチル水銀化合物と断定した。
熊大研究班の正式発表から、実に5年半後のことだった。
有機水銀説を公表した1959年7月から数えると、およそ9年になる。
この間に、はさらに多数の水俣病患者発生した。
⇒2009年7月 9日 (木):水俣病の原因物質

1956年頃から、水俣周辺では脳性麻痺の子どもの発生率が上昇していたが、1961年、胎児性水俣病患者が初めて確認された。
水俣ではその後、合わせて少なくとも16例の胎児性患者が確認されている。
水俣病の原因物質であるメチル水銀は胎盤からも吸収されやすいため、母体から胎児に移行しやすい。
さらに、発達途中にある胎児の神経系は、大人よりもメチル水銀の影響を受けやすいことが今日では明らかになっている。
しかし、因果関係が立証されるには、余りに長い時間が必要だった。

水俣条約が採択されたが、今後解決すべき課題がいくつかある。
Wikipedia-水俣条約には次のような問題が指摘されている。

・理想を追求した条約とした場合どれだけの国が批准できるかという問題。
・ASGM(人力小規模金採掘)における水銀の使用が問題視されているが、なぜAGSMを行うのかといった根本的な問題(貧困問題)。
・今日(2013年10月現在)においても水俣病は解決されておらず、水銀を含んだヘドロで水俣湾の一部を埋め立て、それによってできた水俣エコパークの水銀未処理及び維持管理問題。

公害問題では「疑わしきは罰する」ことにしないと、被害が徒に増えることになる。
それに、秘密主義、あるいは故意の情報の秘匿が加わって、犠牲者が増え続けたのである。
あるいはコンコルドの錯誤と類似した作用で、意思決定が遅れたとも言えようか。
⇒2013年10月 5日 (土):コンコルドの錯誤/知的生産の方法(74)

福井晴敏『人類資金1』講談社文庫(2013年8月)の中に、次のような文章がある。

この世に、永遠に成長し続けるものなど存在しない。バブル崩壊で学んだはずの教訓をよそに、企業は生産性の向上に励んで大量のモノを供給し、需要者なき市場で値崩れを起こしてはデフレだと嘆く。儲からなければ経営の効率化をさらに推し進め、不要と切り捨てられた人材をあぶれさせて、消費環境の悪化に一層の輪をかけもする。まさに己の血を啜って糊口をしのぐかのごとし。とどめとばかりに到来した東日本大震災を含め、日本が歩んできた戦後七十年の絶望的な終着点がここ。否、世界中の先進国が同じサイクルに突入しつつあるという意味では、共産主義の敗退以降、世界が唯一の正義と信じた資本民主主義の行き着いた先がここ。無制限のばらまき政策で失われた二十年を取り戻そうとしたアベノミクスも、国家財政をより深い負債の海に沈める結果に終わりつつあり、投資先を失った大量の預金は再び銀行や箪笥の奥で根腐れするようになった。成長し、発展し続けることによって未来を保証されてきた資本主義社会は、その未来が担保価値を喪失したいま、投資対象ではなり得なくなったとでも言うように。

この作品は、いわゆる「M資金」をテーマにしているが、現時点では未完である.。
映画化されて近日公開予定であるが、結末を知らないであえて言えば、テーマはグローバル金融資本主義批判と思われる。
引用部分は、水俣条約を生きたものにするために何を考えなければならないか、を示唆しているのではなかろうか。

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2013年10月10日 (木)

TPP交渉の行方/アベノミクスの危うさ(14)

インドネシア・バリ島で開かれた環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に参加する12カ国の首脳会合が8日閉幕した。
年内妥結に向け、「残された困難な課題の解決に取り組む」とする首脳声明を採択したが、具体的な解決策を示すに至らなかった。
安倍晋三首相は、現地で記者団に対し、「交渉の年内妥結に向けた大きな流れができた」と述べたが、目標としていた「大筋合意」と言っていいかどうか。
12カ国が当初目指していた「実質的な作業を終えた」とする文言が盛り込まれなかったことは、「大筋合意」とは言い難いのではないか。

それよりも今後論議になると思われるのは、政府・自民党が、重要5農産物(コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物)について、関税撤廃の対象にするかどうかを検討する考えを明らかにしたことである。
これまで関税維持を求める「聖域」と位置付けてきている。
昨年末の総選挙でも、「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」と訴え、7月の参院選でも政策集に「重要五項目の聖域を確保する」と掲げていたので、公約違反ということになろう。
まあ、公約違反はこの国ではいつものことであり、さほど驚くようなことでもないが。

そもそも、民主党の菅政権以来、「平成の開国」と言ってきたことに、「聖域」があり得るのだろうか?
仮に、死守したい領域をそう呼ぶとしたら、交渉相手に自分の弱点を開示するようなものであろう。

転換の背景に、日本を取り巻く厳しい交渉環境があると言われる。
仮に「重要五項目」を死守すれば、関税の自由化率は93.5%になる。
しかし、回の議長国ニュージーランドは100%の自由化派、次回の議長国になる見通しのシンガポールも100%派で、参加国の中で最も発言力が強い米国も、95%程度を求めているとされる。
Tpp5
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013100802000110.html

最初から、交渉妥結と「聖域を守る」ことは、両立しないことだったといえよう。
にもかかわらず、自民党が、「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」としていたのは、方便ということであろうか?
オリンピック招致のためには、福島原発事故についても、「under control」と実態とかけ離れたことを平然とスピーチするのだから、選挙に勝つためには、ということだったのであろうか?
⇒2013年10月 4日 (金):むしろuncontrolと言うべきでは/原発事故の真相(89)
⇒2013年9月24日 (火):「嘘も方便」首相と日本の将来/花づな列島復興のためのメモ(264)

しかし、各国のスタンスには差異があり、年内妥結となるのかどうか不透明と言った方がいいだろう。
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東京新聞10月9日

TPP参加は、アベノミクスの「第3の矢」である成長戦略にとって重要な柱であろう。
しかし、これから人口減少が本格化する中で、個人的なレベルでも基本的な需要は充足されている。
いかなる「成長」が可能なのか、難しい課題であり、「第3の矢」の内容は明らかではない。
⇒2009年1月 2日 (金):人口減少社会の到来とグローバル市場主義モデルの終焉

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2013年10月 9日 (水)

みずほ銀行の暴力団融資の闇/花づな列島復興のためのメモ(266)

みずほ銀行が暴力団組員らへの融資を放置し、金融庁から業務改善命令を受けた。
巷では、先ごろ放映を終えたTVドラマ『半沢直樹』になぞらえて、「みずほ銀行には半沢直樹のような人材がいないのか」といった声が多いようである。
それにしてもこの事件には現時点では不明な点が多い。
たとえば次のような点である。
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http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201309300707.html

このうち、「情報が担当役員止まりだった」という当初の説明は、10月8日の佐藤康博頭取の記者会見で覆された。

 みずほ銀行の佐藤康博頭取は8日、暴力団への融資を放置した問題発覚後、初めて記者会見し、問題融資を銀行として把握した2010年12月、当時頭取だった西堀利氏にも取引実態が報告され、事実を把握していたと発表した。
 佐藤頭取は、みずほフィナンシャルグループ(FG)の取締役に就任した2011年7月の取締役会に出席し、暴力団融資問題を「知り得る立場だった」と述べた。
 みずほ銀はこれまで、問題を把握していたのは当時の上野徹郎副頭取ら法令順守担当までだったと説明していたが撤回した。金融庁にも当初、この事実を報告しておらず、経営責任が問われるのは必至だ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131008/crm13100816360016-n1.htm

10月4日にみずほが開いた会見では、岡部俊胤副頭取が「(情報は)担当役員止まり」と強調した。
わずかに4日後、まさに舌の根も乾かぬうちと言えよう。
佐藤頭取自身が複数回にわたって出席した会議で配布された参考資料の中に、オリコとの取引に関して反社会的勢力との取引が分かる形での記載があったという。
配られた資料に記載があったという点で知り得る立場にあったが、認識するまでには至らなかった、という弁明ということになる。
図らずも、反社会的勢力に対する意識の低さを物語るものである。

担当役員止まりではなかったわけで、となると、他の2項目の謎がさらに深くなる。
問題の1つに、提携ローンという仕組みがある。
「提携ローン」は、自動車や家電を買う際に信販会社が審査し、提携する銀行が貸し付けるものである。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013100502000129.html

信販会社の信用情報は、銀行の信用情報より少ないから、審査が甘くなる。
メガバンクの中で「提携ローン」の仕組みを利用しているのは、みずほ銀行だけだという。
とすれば、審査を意図的に甘くして融資の拡大を図ったとしか言いようがないだろう。
バブル期ならともかく、未だにこんな発想なのか、と驚くしかない。

同行は、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行が合併して誕生した。
この経緯が未だに尾を引いているようにも思える。
問題となった案件は、オリエント・コーポレーション(オリコ)に係わるものだという。

オリコは旧第一勧業銀行の影響力が強く、歴代社長は第一勧銀出身者が務める。
問題の融資が明らかになった2010年12月時点のみずほ銀行の頭取は富士銀行出身で、同行のコンプライアンス(法令順守)を担当する役員は日本興業銀行出身だった。
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東京新聞10月9日

旧行意識による風通しの悪さが今も続いているのだろうか?
3行のバランス人事も変わっていないようである。
同行OBで、第一勧業銀行総会屋利益供与事件元にした高杉良の小説およびそれを原作とした映画『金融腐蝕列島』のモデルともなった作家の江上剛氏は、次のように言う。

 世界的に見ても金融業界でマフィアや日本の暴力団などの反社会的勢力との関わりを断つ動きが広がる中、提携ローンとはいえ、2年間も関係を放置していたことは認識が甘すぎる。
 ましてや取締役会で資料が配られていながら、だれも何も対応を取らなかったというのは、責任を取りたくない表れであり、日本の代表的なメガバンクとしての姿勢を疑う。発覚後の対応もあまりにもずさんで稚拙だ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131009/crm13100900440003-n1.htm

企業の社会的責任(CSR)が言われて久しい。
みずほ銀行のこの事件を、特殊なものと見るか、普遍的なものであって表面化したのは氷山の一角であると見るか?
私には底知れぬ闇のように感じられる。

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2013年10月 8日 (火)

再稼働の前に原賠法の実質の整備を/原発事故の真相(90)

福島第一原発事故からもう直ぐ2年7カ月である。
民法の損害賠償請求権の消滅時効は3年だが、東電の広瀬直己社長は、請求権の消滅期間を過ぎても損害賠償に対応する意思を示している。
しかし、5月に成立した時効中断に関わる特例法は、原子力損害賠償紛争解決センターに申し立てた項目について、和解仲介手続きの打ち切り通知を受けた後、1カ月以内に民事訴訟を提訴した場合に限定している。
⇒2013年9月14日 (土):損害賠償は実態に即した運用を/花づな列島復興のためのメモ(261)

一方、政権は再稼働に前のめりになっている。
もし、再び事故が起きた場合の備えはあるのか?

もちろん、事故が起きるようなことがあってはならないであろう。
そのためにも、安全審査は厳格に行われるべきだろう。
ところが、安全審査は再稼働の要件ではないという意見も出始めている。
日本経済新聞9月25日付の安念潤司・中央大学教授の意見である。

 本来、運転中の原子炉を停止させるためには、当局が原子炉等規制法に基づいて運転の停止を命令するか、あるいは原子炉設置許可を取り消すかしなければならない。だが現状では、こうした処分を受けた原子炉は存在しない。電力各社には、原発の運転を停止していなければならない法律上の義務はないのである。
・・・・・・
 もっとも、本年7月8日「新規制基準」が施行された結果、各電力会社はこれに適合すべく、原子炉関連の機器の新増設などの措置をとらなければならなくなった。・・・・・・しかし、これらの許認可申請のために、電力会社は原子炉の運転を停止する法令上の義務を負うわけではない。許認可手続きと原子炉の運転は並行して行えるのである。

そして、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)では、「異常に巨大な天災地変」によって生じた損害は免責されるという規定により、東電が損害賠償責任を負うか否かも未確定であるとする。
だから、東電が損害賠償責任を負わないか、負うとしても十分に限定的ならば、柏崎刈羽発電所の再稼働で弁済可能である可能性がある、と言う。
だから、柏崎刈羽を稼働させよ、という論旨である。

まったくもって、本末転倒の主張というべきであろう。
確かに、法律の文言上は、安念教授のような意見も成り立つのかも知れない。
しかし、現実に、事故は起きているのである。
そして、事故により、避難生活を余儀なくされる中で、不幸にして亡くなられる方も少なからずいる。
⇒2013年3月13日 (水):原発関連自殺の実態/原発事故の真相(58)
⇒2013年3月30日 (土):避難生活のストレス/原発事故の真相(65)

そういう中で、再稼働によって損害賠償の原資を捻出するのが許されるのであろうか?
世論の反発を招いて撤回を余儀なくされた自民党の高市早苗政調会長の原発再稼働論と同根の発想だと思う。
⇒2013年6月19日 (水):高市発言の思考の文脈/原発事故の真相(73)

自動車事故について、事故が起きた時に発生するであろう損害賠償の負担に備えるため、保険に入ることは庶民ですらよく承知している。
しかるに、原子力事故についてはどうか?
福島第一の事故を受け、2011年8月に、国会で原賠法を「1年をめどに見直す」と決議したのに、期限を1年以上過ぎても、ほとんど検討が進んでいないという。
Photo
東京新聞10月7日

自動車の場合ですら、保険に入らずして運転をするのは非常識である。
まして、原子力発電においておや。

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2013年10月 7日 (月)

生薬と漢方薬/「同じ」と「違う」(60)

8月28日の新聞に、「龍角散の故郷『生薬の里』に」という記事が載っていた。
龍角散はのどの薬として、私にも馴染みがある。
Wikipedia-龍角散には次のように解説されている。

龍角散は非常に歴史の古い薬であり、原型は、江戸時代中期に佐竹藩の御典医である藤井玄淵によって創製され、藩薬として重宝されていた。蘭学を学んだ2代目玄信が西洋の生薬を取り入れ改良する。3代目正亭治が、藩主佐竹義尭の持病である喘息を治すためにこの薬を改良した。龍角散と命名されたのもこの頃とされている。龍角散の名は龍骨・龍脳・鹿角霜といった生薬に由来するが、これらの生薬は後の処方見直しの際に外されてしまう。
明治維新によって藩薬であった龍角散は藤井家に下賜される。1871年に藤井家は佐竹藩江戸屋敷に近い神田豊島町(現・東神田の本社所在地)で薬種商をはじめ、龍角散は一般に発売されることとなった。4代目藤井得三郎が龍角散の剤型を現在のような微粉末状に改良する。また、積極的に新聞広告や街頭宣伝を行い、龍角散を全国的なヒット商品に仕立てることに成功した。

この解説からすると純粋に和製の薬らしい。
私は語感からして、漢方薬の一種だと思っていたが、とんだ思い違いらしい。
Wikipedia-漢方薬には次のようにある。

漢方薬 (かんぽうやく)は、伝統中国医学の一種で、日本で独自に発展した漢方医学の理論に基づいて処方される医薬品。

それでは生薬はどう解説されているか。

生薬(しょうやく、きぐすり、Crude Drugs)とは、天然に存在する薬効を持つ産物から有効成分を精製することなく体質の改善を目的として用いる薬の総称である。

三島に所縁のある薬草・ミシマサイコ(三島柴胡)について、書いたことがある。
⇒2013年8月26日 (月):絶滅危惧種・ミシマサイコの復活
秋田県美郷町は、昨年訪れた角館の近くである。
⇒2012年10月28日 (日):みちのくの小京都・角館/みちのく探訪(2)
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美郷町の「生薬の里」で栽培されるのは、甘草である。
甘草は、漢方薬に広範囲にわたって用いられる生薬であり、日本国内で発売されている漢方薬の約7割に用いられているという。
漢方薬は一般的に複数の生薬をあらかじめ組み合わせた方剤をさすが、甘草湯は甘草のみを用いた単味の処方である。
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スペインカンゾウ(Wikipedia-カンゾウ属

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2013年10月 6日 (日)

籠神社と伊勢神宮の関係/やまとの謎(89)

伊勢神宮の式年遷宮行事は、内宮に続き5日外宮でも「遷御の儀」が営まれた。
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http://sankei.jp.msn.com/life/news/131005/trd13100521520013-n1.htm

今年は伊勢神宮の式年遷宮だけでなく、出雲大社の「平成の大遷宮」の年でもあった。
5月に出雲大社の「本殿遷座祭」が行われ、御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座したが、出雲大社の遷宮は概ね60〜70年毎に行われているというから、ある意味で「当たり年」であったと言える。
先ごろ行われた伊勢神宮の「遷御の儀」の様子は、TVで広く伝えられた。
⇒2013年10月 3日 (木):伊勢神宮の起源/やまとの謎(88)

ところで、日本三景の1つである天橋立の近くに籠神社という神社があって、元伊勢と呼ばれている。
Wikipedia-籠神社を見ると、次のように解説されている。

籠神社(このじんじゃ、こもりじんじゃ)は、京都府宮津市にある神社。式内社(名神大社)、丹後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
元伊勢の一社であり、元伊勢籠神社とも称する。元伊勢根本宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神ともいう。丹後国総社は不詳だが、当社が総社を兼ねたとする説もある。

私は、肌着メーカーのグンゼの会社見学をした折、天橋立に足を伸ばし、籠神社にも立ち寄ったことがある。
しかし、その頃、神社仏閣よりも、企業経営の方が関心が高かったので、さしたる印象は残っていない。
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P10002672

Wikipedia-籠神社の解説によれば、以下のようである。

社伝によれば、豊受大神は本来真名井原の地(現在の奥宮)に鎮座し、匏宮(よさのみや)または与佐宮と呼ばれた。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移った際に豊受大神から御饌物を受けた。その4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移ったため、当社を「元伊勢」という。

しかし、伊勢神宮と籠神社の間には、相当の距離がある。
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伊勢神宮と籠神社にはどのような関係にあるのか?
1つの見方が、熊野本宮を入れた3地点が、2等辺3角形を成すというものである。
Photo
http://ninja250ksr.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06

上図の2等辺3角形の精度がどの程度のものか?
また、古代において、ナスカの地上絵のような位置関係を測量する技術があったのであろうか?

籠神社の存在する地域は、与謝という地名で知られる。
現在の与謝郡は、舟屋で有名な伊野町と与謝野超町から成る。
俳人・与謝蕪村との縁も深い。
⇒2009年10月20日 (火):マルチアーチストとしての蕪村
⇒2009年10月21日 (水):マルチアーチストとしての蕪村(2)
丹後の地は、なかなか味わい深い所のようである。

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2013年10月 5日 (土)

コンコルドの錯誤/知的生産の方法(74)

「費用対効果」という言葉がある。
コスト・パフォーマンス、最近は「コスパ」などと略される。
要するに、「費用」と「効果」を対比して優先順位を決めようということである。

民主党政権時代に、華々しく「事業仕分け」を行ったのも、「費用対効果」の低い事業を止めようということであったと思う。
「事業仕分け」自体は絶えず意識して行うべきであろうが、民主党政権は、仕分け作業をウリにしようとして失敗した。
劇場型と呼ばれるような手法で、蓮舫氏や枝野幸男氏らが厳しく切り込んでいる(つもりの)姿をアピールしようとしたが、スーパーコンピュータの開発で「一番でなければならない理由は何ですか?」という発言等で自滅したように感じられる。
⇒2009年11月30日 (月):投資と費用/「同じ」と「違う」(15)

「昭和の三大バカ査定」という話がある。
Wikipedia-昭和の三大馬鹿査定によれば、以下のようなことである。

1987年12月、政府予算復活折衝のさなかに大蔵省田谷廣明主計官(当時)が述べた言葉である。
昭和の三大バカ査定、と言われるものがある。それは戦艦大和、伊勢湾干拓、青函トンネルだ。
田谷主計官は更に言葉を続けて、「もし(民営化したばかりのJRで)整備新幹線計画を認めれば、これらの一つに数えられるだろう。」と締めくくった。

田谷氏は過剰接待問題ですっかりnotoriousになってしまい退任せざるを得なくなったが、発言自体は正鵠を射ていたのではないか。
リニア新幹線のルートのことを聞いて、「昭和の三大バカ査定」の話を連想した。
JR東海の事業で、夢のある事業ではあるが、完成するのは、本格的な人口激減時代が始まる頃・・・
⇒2013年9月29日 (日):リニア新幹線と本州中央部の地質構造/花づな列島復興のためのメモ(265)

主計官といえば、東大法学部で首席を争った秀才揃い。
「バカ査定」も主計官が査定しているはずである。
もちろん、暗に陽に、族議員等からの働きかけがあったのは想像に難くないが。

「昭和の三大バカ査定」の当否はともかく、「費用対効果」という意味で、昭和史(というより日本史)の最大の失敗は、大東亜戦争(太平洋戦争)ではないか。
猪瀬直樹現東京都知事の『昭和16年夏の敗戦』中公文庫(2010年6月)によれば、開戦前に必敗の情勢だったことを冷静に分析していた集団がいた。
Amazonの惹句は次のようである。

緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る…。
日米開戦直前の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した戦争の経過は、実際とほぼ同じだった!ことが描かれています。

どうして敗戦に至ることが想定されていて、開戦に踏み切ったのか?
あるいは、どうみても戦局が立ち行かなくなっている昭和20年に入っても、東京大空襲やヒロシマ、ナガサキを体験しなければならなかったのか?
⇒2013年8月24日 (土):スターリン極秘指令による抑留と人道に対する罪/戦後史断章(12)
⇒2007年8月14日 (火):終戦の経緯と国体護持
⇒2010年8月16日 (月):天皇の戦争責任について

「コンコルドの錯誤」とか「コンコルド効果」と言われている概念がある。
次のように解説されている。

コンコルド効果(Concorde effect)とは、投資の継続が損失拡大につながることがわかっているにもかかわらず、これまでの投資で失った金額や時間などを惜しんだり、損失を確定させることを忌避したり、損失による責任をとることを避けたりするために、投資を継続することを言う。
コンコルドの誤謬、コンコルド錯誤ともいう。金銭的な投資以外でも、時間的、精神的なコストを負い、対象から離れがたくなっている状況で、追加の負担をしてしまう場合にもコンコルド効果と言われる場合もある。
コンコルドとは、英仏で共同開発が行われた超音速旅客機 (SST: supersonic transport) 。マッハ2.0で飛行する定期運航路線をもった唯一の超音速民間旅客機だった。
ただ、騒音や通常よりも長い滑走路を必要としたことなどから、コンコルドに関する投資を回収できず、1976年に製造中止となった。2000年には離陸時に大規模な事故を起こし、運行が停止された。
超音速旅客機コンコルドは、定員が少なかったうえ、燃費も悪く当初から採算ベースにのらないとの見通しはあったものの、いったん動き出した計画を途中で止めることができなかった。
投下済みの資金のことを埋没費用(まいぼつひよう)ないしはサンク・コスト (sunk cost)といい、このコストに縛られ投資を続けてしまった典型的な例として、コンコルドの名前がつけられている。

山本七平氏の卓見に、日本人の意思決定には、深く「空気」が係わっているというのがある。
⇒2008年4月28日 (月):山本七平の『「空気」の研究』
「コンコルドの錯誤」は、空気のなせる業の要素が大きいのではないか。

福島原発事故の収束が見えない。
⇒2013年8月20日 (火):福島第一原発事故の“収束”は何時になるのか?/原発事故の真相(78)
にもかかわらず、短期的な経営成績を理由に再稼働を急ぐ。
原発はすでに「コンコルドの錯誤」に陥っているのではないか?
⇒2013年9月27日 (金):事故収束のメドも立たないのに再稼働か?/原発事故の真相(87)

私は核燃料の再処理ができていない以上、再稼働すべきではないと考える。
⇒2013年9月28日 (土):原発の地元とは?/原発事故の真相(88)
⇒2013年10月 4日 (金):むしろuncontrolと言うべきでは/原発事故の真相(89)

約10年くらい前に「十九兆円の請求書」と題した(怪)文書が永田町に出回ったそうである。
「核燃料の再処理には最低で19兆円、最大で50兆円もの費用がかかり、トラブル続きで既に破綻している」というような内容だった。
経産省の若手エリート官僚が作成したというウワサであるが、確かめようもない。
昭和16年夏の敗戦』の平成版であろうか?

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2013年10月 4日 (金)

むしろuncontrolと言うべきでは/原発事故の真相(89)

安倍首相は、オリンピック招致の最終プレゼンにおいて、福島第一原発事故について、「The situation is under control」(状況はコントロール下にある)とし、 次のようにスピーチした。

「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」。
「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」。
「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」。 
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130908-00027937/

ところが、聞こえてくるニュースは、このスピーチを裏切るものばかりだ。
汚染水の貯蔵タンクから汚染水が漏出しているケースが続発している。

 東京電力福島第1原発の汚染水をためる貯蔵タンクから新たな漏れがあった問題で、東電は3日、推計約0.43トンが漏れたと発表した。一部は排水溝を通って港湾外の海に達したとしている。タンクを囲う高さ30センチのせき内にたまった水を、既にほぼ満杯状態だったタンクに移した結果、タンクの天板と側板の間からあふれたとしている。安倍晋三首相は「汚染水の影響は港湾内の0.3平方キロで完全にブロックされている」としているが、汚染水は港湾外に達した。
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131003k0000e040235000c.html

私たちは、東電の謝罪会見に慣れつつある。
しかし、実は大変な事態であることをよく認識しなければならないだろう。
今のような状態では、オリンピック開催どころではないのではないか。
東電の事故対応は、余りにもお粗末のような気がする。
汚染水が漏れていたタンクについて、次のように報じられている。

 東京電力福島第1原発の貯蔵タンク(直径約9メートル、高さ約8メートル、容量450トン)から汚染水が漏れた問題で、東電は3日、タンクの設置場所に傾斜があることを把握しながら設置していたことを明らかにした。設置時は「許容の範囲内」と判断していたが、東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は3日の記者会見で「計画に甘さがあったと言わざるを得ない」と陳謝した。
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131004ddm001040049000c.html

現場の作業には一定の範囲に収めるべく許容範囲が定められているであろう。
どうしても、計画通りには実施できないことがあるからだ。
通常は、それらを勘案して、安全率を上乗せする。
その安全率を超えてしまったということだろう。

もし、通常の場合であれば、あるいはこのようなことがあっても大目に見られるかもしれない。
しかし、場合が場合である。
万が一にも許されるような状況ではないだろう。
先日もタンクの底板のつなぎ目部分のボルトが緩んでいたり、それとは別に底板と鋼板の間に微細な隙間が見つかったという事故が報じられた。

現場の作業員は、高い線量の下に、作業し難い防護服を着て、疲労困憊しているのではないか。
あるいは、考えたくないことだが、もっと深刻な事態を隠蔽するための陽動作戦的に、地表タンクの管理のお粗末を利用しているということもあり得ないではない。
つまり、メルトスルーした核燃料が、地下水に直接接触しているなどの事態である。
⇒2013年9月25日 (水):核ゴミをこれ以上増やすな/原発事故の真相(86)
⇒2011年12月 3日 (土):原発事故中間報告と廃炉へのプロセス/原発事故の真相(12)

そういう懸念を表現している図があったので以下に引用しておく。Photo_3
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-2135.html

どう考えてみても、安倍首相の「The situation is under control」という言葉とは食い違っているだろう。
現状はむしろuncontrol、すなわち無統制とも言うべき状態ではないだろうかと危惧する。

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2013年10月 3日 (木)

伊勢神宮の起源/やまとの謎(88)

伊勢神宮の式年遷宮のクライマックスと言ってよい「遷御の儀」が2日夜、皇大神宮(内宮)で行われ、ご神体の八咫鏡が旧正殿から新正殿に移された。
Photo
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG02031_S3A001C1CC1000/

今回の式年遷宮では、約700年ぶりに宮域林からヒノキを切り出し、造営に利用した。
100年近く前から生態系に配慮して独自の造林計画を進めてきたという。
鎌倉時代に宮域林で適材が尽きて以来、木曽から調達していたが、宮域林を育成してきた成果が実った。
131003
静岡新聞10月3日

私は、伊勢神宮に2度参詣しているが、いずれも神社仏閣などに余り興味のない頃であり、観光ルートの一環として立ち寄ったに過ぎない。
しかし、現在の興味・関心からすれば伊勢神宮は、ほぼセンターの位置を占めているということになる。

川添登『伊勢神宮―森と平和の神殿』筑摩書房(2007年1月)は、伊勢神宮の創建の実相に迫った謎解きの書である。
川添氏は、建築のメタボリズム運動に理論面から参画した論客である。
メタボリズムは、黒川紀章、菊竹清訓など実作と理論の両面で活動した人が多くいたが、川添氏は幅広い視野で、特に日本文明の成り立ちを論じてきた。
⇒2007年10月14日 (日):黒川紀章氏の死/追悼(2)
⇒2012年1月 6日 (金):菊竹清訓と設計の論理/追悼(19)

川添氏は上掲書で、伊勢神宮を「森と平和の神殿」と規定している。
宮域林が完全に復活すれば、名実共に、ということになろう。
また、「はじめに」で、「伊勢神宮は、現在の国際社会にも通用する日本人が日本人であることの思想的・倫理的な意味を含みこんでいるのではないか、と考えるに充分な根拠がある」として、6つを挙げている。
たとえば(2)は、以下のようである。

(2) 伊勢神宮は、古代--日本神話、中世--神国意識、近世--お伊勢参り、近代--皇国史観と、かたちを変えながらも、日本の歴史を貫いて戦後にいたるまで、日本人の心のなかに奏でつづけてきた通奏低音であったことは、まぎれもない歴史的な事実である。その間、それぞれの時代に応じて、日本人が日本人であることの意味を語りつづけてきたのである。

私が学校教育を受けたのは、まだ皇国史観の反動が強かった時代である。
日教組なども今のような利権談合共同体(輿石氏が象徴している)というようなものではなく、情熱的な教師も数多かったように思う。
時代の空気としては、まだ「伊勢神宮=天皇制」というような感じで、伊勢神宮に対しても否定的な雰囲気ではなかったか。

伊勢神宮の起源については、Wikipedia-伊勢神宮には、次のように記されている。

天孫・邇邇芸命が降臨し、天照大御神は三種の神器を授けられ、その一つ八咫鏡に、「吾が児、此の 宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀)」として、天照大御神のご神霊がこめられる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇のお側に置かれ、天皇自らが観察されていた。八咫鏡は、第10代崇神天皇の御代に、大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫に祀らせた。
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)[11]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。

天孫降臨の意味についても諸説あるし、八咫鏡をどう捉えるかについてもさまざまな見方があろう。
⇒2012年12月16日 (日):天孫降臨の年代と意味/やまとの謎(71)
⇒2012年12月25日 (火):天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)
⇒2013年1月 4日 (金):天孫降臨と高千穂論争/やまとの謎(75)
⇒2008年11月30日 (日):邪馬台国に憑かれた人…①原田大六と「東遷」論

川添氏は、『続日本紀』文武2年12月の「多気大神宮を度会郡に遷す」の条項が、事実上伊勢神宮の創建を示すものではないか、としている。
古代史学界で川添説がどう位置づけられているかは知らないが、日本という国の事実上の成立が白村江の敗戦によるものだとすれば、文武朝は重要なエポックだったはずである。
⇒2009年8月29日 (土):白村江敗戦のもたらしたもの

それは、白鳳時代という有名な割に実体の不明な時代の理解にも係わってくると思われる。
⇒2008年1月 6日 (日:「白鳳」の由来
⇒2008年2月20日 (水):白鳳年号について
⇒2008年1月 8日 (火):「白鳳」年号の位置づけ

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2013年10月 2日 (水)

消費税増税に大義はあるか?/アベノミクスの危うさ(13)

安倍晋三首相は、来年4月からの消費税増税を決めた。
安倍政権は、60人の有識者を官邸に呼んで、消費税増税について賛否を聞いた。
しかし、60人を人選した時点で7割が賛成することは、あらかじめ分かっていたことであろう。
つまり「やらせ」以外の何物でもない。
131002
静岡新聞10月2日

既定の路線だったのだろうが、ひょっとして見送るのではないかという観測もあった。
アベノミクスが頓挫する懸念があるからである。
景気の腰折れを防ぐため、6兆円という大型の景気対策を講ずるという。
財政再建という課題に照らしてみても、本末転倒と言うべきではないか。

そもそも、消費税増税は社会保障改革と一体のものだったはずである。
安倍首相は、家族の助け合いを強調して、社会保障費をカットし、国民の負担を増やしている。
円安による輸入品の値上げに伴い、物価は上昇している。
家計にとっては三重苦である。
Ws000000
東京新聞10月2日

景気対策の中身はどうか?
消費税増税が、自民党の利益集団へのバラマキに使われていると言われても仕方がないだろう。
「消費税増税を実施すると景気を悪化させる恐れがあるから、景気対策が必要だ」という論理で法人税減税や公共事業の大盤振る舞いを行うのでは悪循環である。

民主党政権の余りのお粗末さが、現在の事態を出来させている。
鳩山、菅、野田の3氏、特にドジョウを自称する野田氏は善意の人だろうが、消費税増税の露払いをしただけに終わった。
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を思い出す。
増税のために巨額の経済対策を実施するのでは、いつまで経っても財政再建にならないだろう。
逆進性の消費税を増税する大義はどこあるのか?

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2013年10月 1日 (火)

社会派の長編作家・山崎豊子さん/追悼(36)

作家の山崎豊子さんが、9月29日心不全で亡くなった。88歳だった。
社会性のあるテーマに切り込んだ長編小説が得意だった。
「日本のバルザック」などとも呼ばれることがあった。

日本経済新聞のコラム「春秋」に直木賞を受賞したときの逸話が紹介されている。

毎日新聞大阪本社の記者をしていた山崎豊子さんが「花のれん」で直木賞をとったとき、かつて上司だった井上靖からお祝いの言葉が速達で届いた。「直木賞受賞おめでとう/橋は焼かれた」。もう後戻りできない。その一言に覚悟を決め、山崎さんは新聞社を辞めた。▼「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「沈まぬ太陽」。88歳で死去した山崎さんが残した小説のタイトルを並べるだけで、社会や組織の矛盾や暗部、つまりは戦後日本の実相そのものが、主人公の名や場面場面とともに浮かんでくる。それだけ読まれ、あるいは映画やテレビドラマにも繰り返しなったということだ。
日本経済新聞「春秋」10月1日

私は、通読したのは『不毛地帯』くらいしかなく、あとは映画やTVドラマを見て楽しんだようないい加減な読者でしかない。
しかし、『不毛地帯』の印象は強かった。
『不毛地帯』は、大本営参謀でシベリアに抑留され、商社マンとして活躍する壱岐正という人物が主人公である。
と書けば、誰でもあの瀬島龍三氏がモデルと思うだろう。
⇒2007年9月 5日 (水):瀬島龍三氏の死/追悼(1)

ところが、山崎さんは、主人公のモデルが瀬島氏であるという通説を否定する。
瀬島氏から原型だけをとり、自分が造型したのであって、瀬島氏がモデルではないと言う。

 山崎さんは、戦時中の経歴や自身について語りたがらない瀬島氏へ度々取材を試みたが、断られ続けた。ついに瀬島氏も「あなたの根気に負けた。そのかわり、負けたからにはちゃんと話します」と取材に応じたという。
 インタビューは100時間以上に及んだが、どうしても瀬島氏が答えてくれないことがあった。関東軍の将校が、最初にソ連軍と出会う場面だ。この席で、悪名高いシベリア抑留がソ連軍との間で密かに交わされたのではないかという疑問は、今でも歴史学者の中では根強く残る。
 「日本の捕虜をシベリア鉄道の枕木を一本一本敷くように、兵器として使いたいというソ連軍の申し出に関東軍は了承したのか」と聞くと、瀬島氏は「そんな覚えはない」。さらに踏み込もうとすると、「辛いから思い出したくない。これ以上いいたくない」を繰り返したという。
 「その点は昭和史をやっていられる方は疑問に思われるんですが、私も同様に疑問に思います。瀬島さんは、非常に頭のよい方ですから嘘をつくようなバカなことはなさいません。しかし、シベリア抑留の歴史的事実は話してほしかった」
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_09/g2007090525_all.html

瀬島氏の「書かれざる(言わざる)部分」をどう評価するか?
それは戦後に亡くなられた戦争犠牲者をどう弔うかという問題でもある。
私は畑違いの分野に転職してどう過ごすべきか悩んでいた時、創業オーナーが「壱岐正のようにやってくれれば・・・」と語ったことがある。
それは、瀬島氏のように、ということとほとんど同義だったと思うが、残念ながら私にはその期待に応えるだけの才がないことは、自分が一番分かっていた。

『不毛地帯』は、1973年~78年にかけてサンデー毎日で連載されて人気を呼び、76年には仲代達矢主演で映画化されている。
私は、新興のその会社で、要するに企業参謀の役割を期待されているのだろうと理解した。
大前研一氏が『企業参謀』プレジデント社を出したのが1975年であるから、企業参謀という言葉がようやく認知された頃のことである。

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