カネボウの栄光と迷走/ブランド・企業論(2)
カネボウ化粧品の商品が問題になっている。
販売している美白化粧品を使用すると、肌がまだらに白くなるという被害である。
美白成分ロドデノールを含有している化粧品ということである。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130913/1052178/?n_cid=nbptrn_top_bunya&rt=nocnt
美白化粧品とは、しみ、そばかすの原因となるメラニン色素の生成を抑える機能などを備えた化粧品である。
乳液や化粧水など基礎化粧品が多く、化粧品各社は独自の有効成分を開発して販売競争を繰り広げている。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130724072938420
自主回収をしているが、親会社である花王の業績にも影響するのではないかと言われている。
経緯は以下のようである。
静岡新聞9月12日
旧カネボウが解体されて9年、名門ブランドがまた深い傷を負った。
2007年に開かれた厚生労働省の審議会で白斑の原因とみられる美白成分「ロドデノール」の安全性に疑問が示されていたことが当時の議事録で分かったが、提示された安全性問題について議論しないまま審議会は終了し、美白化粧品は医薬部外品として承認されたという。
株式会社カネボウ化粧品は、旧カネボウ株式会社から化粧品事業を切り離して2004年(平成16年)5月に発足した。
花王株式会社の完全子会社である。
子供の頃、近所に鐘紡の工場があって、構内で遊んだことがある。
当時はセキュリティなどをいう人もなかった。
静岡県裾野市であり、現在はショッピングセンターになっている。
蚕が飼われていたが、子供のことゆえ具体的にどのような事業が行われていたかは、知る由もなかった。
そういう懐かしさもあって、カネボウが破綻した時、少し事情を調べてみたことがある。
『裾野市史・通史編Ⅱ』(裾野市)によれば、大正12(1923)年にできた蚕種製造所を、鐘紡が昭和8(1933)年に買収し、昭和産業静岡蚕種製造所となった。
『鐘紡製糸四十年史』(非売品)の「事業場史」の部分に、「静岡蚕種製造所」という項目がある。
「当時鐘紡の定款には蚕種製造の事業項目がなかったので、表面上は昭和産業名義を用いたが実質的には鐘紡の一事業場として扱われてきた」と記述されているように、地元では鐘紡の工場と呼ばれていた。
蚕は桑の葉を食べて成長し、繭を作る。
繭糸を束ねて生糸にし、さらに撚糸等の工程を経て絹糸ができる。
今では、生糸生産といっても余り馴染みがないけど、生糸生産が日本の産業の中核を占めていた時代があった。
わが国の生糸生産は、20世紀初頭には7千トン程度だったが、大正、昭和の初めにかけて急増し、昭和9年に4万5千トンのピークを迎えた。
つまり、裾野の蚕種製造所を鐘紡が買収した頃が、生糸生産も最盛期だったということになる。
戦時中は低迷したものの、昭和30年代以後は2万トン水準を維持していた。
しかし、昭和50年を境に減少を続けてきた。
現在の状況は、正確には分からないらしい。
Wikipedia-絹には、以下のように説明されている。
2010年現在では、市場に提供する絹糸を製造する製糸会社は、国内では2社のみとなっている。2社の年間生産量は不明であるが、現在国が発表している「絹」生産量を賄うのは、社員数や資本金から推測して不可能に思われる。「国産の絹」と称するものについては、どの段階(製糸、織布)での国産なのか、注意するべきであろう。
往時は輸出産業の花形でもあった。
昭和1ケタ台においては、生産量の3分の2に当たる年3万トン強が輸出にあてられていた。
当時の外貨獲得額の3割強を稼ぎ出しており、わが国の近代化に大いに貢献したといえよう。
ナイロンやポリエステルなどの化学繊維の登場など、技術革新の影響をまともに被り、衰退を余儀なくされた。
たかだか1世紀の間に蚕糸産業ほど激しい消長を示した産業は例が少ないのではないか。
裾野市には鐘紡町という名前はなかった。
しかし、山口県防府市、滋賀県長浜市、富山県高岡市などには、今でも鐘紡町という地名が残っているという。
山口県防府市鐘紡町 - かつて同地にカネボウ防府工場があったが、カネボウの経営再建中に閉鎖された。跡地はベルポリエステルプロダクツの工場となったほか、2008年3月14日、跡地の一部にロックシティ防府(現・イオンタウン防府)が開店した。
滋賀県長浜市鐘紡町 - カネボウの繊維事業を承継したKBセーレン工場がある。
富山県高岡市鐘紡町 - カネボウ製薬を承継したクラシエ製薬の工場がある。
もちろん、企業城下町だから、という側面もあるのだろうが、地元から好意的に受け止められていなければ、地名として使われるということもないだろう。
34年間会社経営に携わり、「経営家族主義」と「温情主義」を提唱・実践して日本的経営論を考案した武藤山治以来のヒューマニズムの伝統によって、地域社会に溶け込む努力が図られたということだろう。
なお、武藤山治は政界に進出するとともに、言論人としても活躍した。
Wikipedia-武藤山治には以下のような記述がある。
『時事新報』の編集者として渋沢栄一の系譜に繫がる「政商」や、徳富蘇峰などの御用新聞記者を攻撃。「政・財・官」の癒着を次々と暴き、連載『番町会を暴く』で「帝人事件」を告発。権力者から付け狙われ、(昭和9年)3月9日)福島新吉に北鎌倉の自宅近くで狙撃され、翌10日に亡くなった。
今日、CSR(corporate social responsibility:企業の社会的責任)が喧伝されているが、鐘紡の経営は先駆的だったともいえよう。
それが再びのブランド失墜的事態である。
ブランドを維持し続けるのは至難のことといえよう。
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