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2013年9月19日 (木)

海賊と呼ばれた男/戦後史断章(14)

石油は、現代文明にとって必需品である。
エネルギー源として、あるいは原材料として。
第一次世界大戦でドイツの猛攻にあったフランスの首相クレマンソーが、「石油の一滴は血の一滴に値する」とアメリカ大統領ウィルソン宛に打電したことは有名である。
また、日本が、ABCD包囲網(アメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)、中国(China))を突破しようと、無謀な開戦に踏み切らざるを得なかったのも石油が命綱だったからである。

戦後は、米ソ冷戦の中で、トルーマン大統領による反共封じ込め政策「トルーマン・ドクトリン」が発表され、日本の経済自立化が図られた。
しかし、石油政策は、原油輸入重視、外資系元売り重視であったために、民族系の会社は、製品輸入、特にガソリン輸入を要求した。
その代表が、出光興産である。

1951年(昭和26年)から1952年にかけて、石油業界では原油輸入か製品輸入かをめぐって激しいやり取りが行われた。
時を同じくして、1951年9月にサンフランシスコ講和条約が締結され、1952年4月発効して日本の主権が回復した。
1952年5月、出光興産は外貨の割り当て50万ドルを受け、アメリカ西海岸から神戸に高オクタン価ガソリンを日章丸でを運び、おおきな話題になった。
また、世界の石油を牛耳っていた国際石油カルテル(メジャー)を不条理だとして、イランのモサデクは、1951年に石油国有化政策を行った。
しかし、メジャーに刃向かってイラン石油からの購入者はなかなか現れなかった。

そんな中、出光は、イラン石油購入の意志を固め、1952年(昭和27年)暮れから1953年2月にかけ、イラン政府との困難な交渉の結果、購入契約の調印にこぎつけた。
秘かに神戸港を出港した日章丸は、イギリス海軍の警戒網をかいくぐり、イランのアバダン港に到着する。
多数のイラン人が集まり、イギリスとの紛争のさなか、石油買い付けに来た日本船と日本人に非常に好意を寄せ、イラン経済に希望を与えるものだと賞賛された。
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1953面5月、川崎港に入港した石油製品満載の日章丸を待ち受けたていたのは、関係者と共に出光の快挙を記事にしようと集まった多くの報道陣だった。
出光は、メジャーに締め出されたイラン石油を購入しすることによって、国際石油カルテルに牛耳られている世界の石油市場に一石を投じたのであった。
また、この「日章丸事件」は、まだ敗戦の虚脱状態から抜けきれないでいる日本国民に対し、独立を回復した日本の姿を国際舞台に示し、自信と勇気を与えるものでもあった。

百田尚樹『海賊とよばれた男』講談社(2012年7月)は、出光興産の創業者・出光佐三をモデルにした人物が主人公である。
小説では、国岡鐵造(出光興産は国岡商店)という名前になっているが、政治家、官僚、外国人関係者などはほとんど実名のようである。

主人公の名前で分かるように、当然脚色されている部分もあるだろうが、話の大筋は事実に基づいていると思われる。
今年の4月9日に発表された第10回本屋大賞の第1位になった作品である。
本屋大賞は、「全国書店員が選んだいちばん! 売りたい本」がキャッチコピーの賞であり、書店員こそが本と読者を「最もよく知る立場」にあると位置づけ、投票資格者を書店員主体にしている。
以上のような点からすれば、本屋大賞で1位になるということは、ベストセラーを約束されているようなものである。
逆に、書店員の視点で考えれば、売れそうな本ということができよう。
この本も版を重ねているようで、出版不況が言われる中で、出版業界活性化に大いに貢献している。

 時は1953年3月某日。一隻のタンカーが神戸港を出港した。当時日本で唯一米国メジャーと提携関係になかった民族系石油元売会社〈国岡商店〉の日章丸である。コロンボ沖にて暗号電文を受信した同船は急遽目的地を変更してイラン・アバダン港に入港。そして復路はマラッカ海峡を迂回するなどして英国海軍の追撃をかわし、積載したガソリン1万8000キロリットル等と共に無事川崎港に帰港した。
 国や家族にすら秘めざるをえなかった彼らの挑戦を、世に〈日章丸事件〉という。当時イランの石油利権を巡っては国有化を認めない英米が経済封鎖に踏み切るなど、緊張が走っていた。そんな中、イラン側と密かに接触し、両国民の幸福のために石油を買いに行ったのが、『海賊とよばれた男』こと〈国岡鐡造〉である。

この事件は、かって石原慎太郎氏が『挑戦』というタイトルで、1960年に小説にしている。
まだ20代の頃であり、1968年の参院選で政治家デビューするずっと前である。
『太陽の季節』を引っ提げて登場した石原氏は、価値紊乱者を自称していた。
「日章丸事件」は、石原氏の潜在的な愛国心を刺激し、保守政治家へ転回していく1つのきっかけになったのではないかと推測される。
1961年に、新藤兼人脚本、須川栄三監督で、『「挑戦」より 愛と炎と』として映画化されている。
キャスティングは、三橋達也、司葉子、白川由美、藤田進、森雅之などである。
さすがに時代が違うというか、懐かしさが一杯というキャスティングではあるが、私は映画を見ていない。

原作の『挑戦』は私の好きな石原作品の1つである。
『石原慎太郎文庫3 挑戦 死の博物誌』河出書房(1965年1月)の日沼倫太郎氏の解説によれば、「この作品に登場してくる主要な人物たちは、何れも現代のシジフォスとして描かれている。・・・・・・そして問いかける。現代において愛は不可能なのか、連帯は可能でないのか、と。たぶん可能ではあるまい。」というようなテーマである。

話がだいぶ脱線した。
出光佐三は、民族会社として日本人による日本人のための会社として、西欧の巨大石油会社からの役員、銀行からの役員すら受け入れないという方針を貫いた。
戦後の石油業界のことを多少でも知れば、ほとんど無謀というべきであった。
その思想的バックボーンは『マルクスが日本に生まれていたら』春秋社(2013年7月)として上梓されている。
1966年出版の新版であるが、百田氏の本の読者から問い合わせが多くあったので、新版として刊行された。

石原氏もそうであるが、出光佐三あるいは日章丸事件というのは、民族派の血を騒がせるようだ。
私は、民族派ではないが、愛国心は人並みに持っているつもりだ。
オリンピック招致をきっかけに、愛国心について再考するのもいいかも知れない。

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