ランドセル俳人・小林凛/私撰アンソロジー(29)
ランドセルは小学生の代名詞ともいえる。
震災直前の時期に、タイガーマスク・伊達直人を名乗る匿名の人たちの善意の輪が急速に拡がったのも、ランドセルというモノの訴求効果が一役買ったと思う。
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
⇒2011年6月 3日 (金):金子詔一さんの『ランドセルの歌』
そのランドセル商戦が年々早まり、最近は帰省中の孫にプレゼントをしたいとお盆期間中の売れ行きが好調だという。
赤や黒といった定番よりも、光沢のあるピンクやパープルといった個性的な色で、刺しゅうや縁取りが入ったデザイン性の高い商品が人気らしい。
ランドセルは夢と希望のシンボルでもある。
ランドセル俳人は、小学生の俳人である。
しかし、ランドセルは、彼の場合夢と希望の象徴とは言えない。
小林凜(本名:凛太郎)は、2001年5月生まれ。
朝日俳壇で、たびたび入選作となり注目されるが、まだ小学生、つまりランドセル俳人というわけである。
彼が句作に打ち込んだのには「いじめ」を受けていたという背景がある。
未熟児として生まれた彼は、発達が遅れたため、小学校でいじめを受ける。
幼稚園では友達と遊ぶのが大好きだったというのに。
小学校の教師は、いじめを見て見ぬふりをし、隠蔽に終始した。
楽しみにしていた小学校は、凛少年にとっては、地獄のような日々であった。
実態を知った母は、自発的不登校という選択をする。
いじめというのは、実態の把握が難しい問題である。
⇒2010年11月10日 (水):いじめと自殺の因果関係
⇒2010年11月27日 (土):いじめと自殺の因果関係(続)/因果関係論(8)
しかし、いじめの第一義的な救済者は、教師であるべきだろう。
⇒2012年7月18日 (水):教師は聖職ではないのか?/花づな列島復興のためのメモ(114)
教師が救いの手を差し出さいとしたら、不登校という選択もありうるのだろうが、それを選択できるのは限られた親子だけではないか。
それにしても、俳句の鑑賞は難しい。
ランドセル俳人の句と有名俳人の句との「違い」が良く分からないのは、私の鑑賞力が未熟ということもあろうが、桑原武夫の「第二芸術論」を思い出した。
⇒2007年8月24日 (金):俳句評価の難しさ
⇒2007年8月25日 (土):第二芸術論再読
⇒2007年8月26日 (日):第二芸術論への応答
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