靖国に祀られざる者の鎮魂
8月は、鎮魂の季節といえよう。
全国で多少の違いはあるが、太陰太陽暦である和暦の7月15日を中心にした「お盆」は、祖先の霊を祀る行事として広く行われている。
特に、終戦の日である8月15日と重なることから、あの戦争の戦没者の霊を追悼する意識が強くなる。
しかし、実態として、8月15日が「終戦の日」かどうかについては、議論が必要な面もある。
Wikipedia-終戦の日には、各国の「終戦の日」についての説明があるが、日本については以下のように記されている。
日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。
日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。
- 1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
- 1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
- 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
- 1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が完全な独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。
現実に、8月15日の玉音放送で国民の多くは降伏したことを認識したが、8月22日、旧ソ連は部隊を国後・択捉・歯舞・色丹に転戦させ、全千島を占領した。
⇒2007年8月10日 (金):ソ連の対日参戦
昨15日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開催された。
また、靖国神社にも大勢の人が参拝した。
68回目の終戦の日を迎え、今年も猛暑の中、多くの国民が東京・九段の靖国神社に足を運んだ。安倍晋三首相は参拝を見送り、自民党総裁として玉串料を奉納した。
名代の萩生田光一総裁特別補佐は、首相が「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に尊崇の念を持って哀悼の誠をささげてほしい。本日は参拝できないことをおわびしてほしい」と伝えたと話した。
首相が参拝しなかったのは残念だが、春の例大祭への真榊(まさかき)奉納に続いて哀悼の意を表したことは評価したい。首相は第1次政権時に靖国参拝しなかったことを「痛恨の極み」と繰り返し語っている。秋の例大祭には、国の指導者として堂々と参拝してほしい。
靖国神社には、幕末以降の戦死者ら246万余柱の霊がまつられている。首相が国民を代表して参拝することは、国を守る観点からも重要な責務である。
閣僚では、新藤義孝総務相、古屋圭司拉致問題担当相、稲田朋美行革担当相の3人が参拝した。民主党前政権は全閣僚に参拝自粛を求めたが、安倍首相は「私人としての参拝は心の問題であり、自由だ」と各閣僚の判断に委ねた。当然である。
靖国神社近くで来日した韓国の野党議員らが「安倍政権の軍国主義化は日韓関係を阻害している」などと訴える一幕があった。当初は神社前で非難声明を読み上げる予定だったが、警察に説得され、声明発表を断念した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130816/plc13081603060001-n1.htm
確かに靖国神社への「私人としての参拝は心の問題」であるだろう。
しかし、閣僚が完全な私人と言い切ることについては、留保したいと思う。
それはそれとして、靖国神社に祀られているのは誰で、祀られていないのはどういう人か?
靖国神社のサイトでは、次のように説明している。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
つまり、靖国神社に祀られているのは、「国を守るために」に戦没した者である。
いまNHKの大河ドラマで人気の「八重の桜」の会津藩側は、賊軍の位置づけであるから、靖国の祭祀対象ではない。
あるいは、鹿児島では絶大な人気の西郷隆盛など西南戦争における薩摩側犠牲者も然りである。
歴史が勝者によって描かれるのは常であるが、鎮魂の季節には、敗者の側に目を向けてみたいと思う。
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コメント
もし、自分の国が必要であるならば、自分の国は自分自身で守れ。
虎の威を借る狐になるな。狐の根性が汚い。
力は正義である。(Might is right).
もしも、自分に正義が必要であるならば、自分自身の力を示すこともまた必要なことである。
仏法の守護神は、仁王である。国家の守護神は、自国の軍隊である。
主護神を置かずして、法を説く者はむなしい。得意な歌詠みは、ごまめの歯ぎしりとなるか。
自分の死に場所を探す兵士ばかりでは、戦に勝てない。戦場に屍をさらせば、敵の戦果の山となる。
兵卒は有能、参謀は無能。
お上の理不尽な要求には、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、南の島に雪が降る。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2013年8月16日 (金) 22時45分