パラダイムに捉われない古代史家・森浩一さん/追悼(32)
古代史家の森浩一氏が亡くなった。
古墳研究の第一人者として天皇陵研究や遺跡保存に尽力し、考古学を身近に紹介する「お茶の間考古学」の草分け的存在として知られた同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)氏が6日午後8時54分、急性心不全のため京都市下京区の病院で死去した。85歳。大阪市出身。葬儀・告別式はすでに済ませた。喪主は妻、淑子(としこ)さん。後日、お別れの会を開く。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130810/art13081010170000-n1.htm
私はさほど熱心な読者だったとはいえないが、大局で認識の分かれているような問題に関し、鋭いが穏当と思われる考えを提示してくれた。
例えば、卑弥呼の鏡として有名な三角縁神獣鏡というものがある。
三角縁神獣鏡とは、銅鏡の縁部の断面が三角形状となった大型の神獣鏡で、古墳時代前期の古墳から多数出土している。
いわゆる『魏志倭人伝』の中に、「卑弥呼が魏の皇帝から銅鏡100枚を貰った」という文章があり、「卑弥呼の鏡」と解すべきか否かが争われている。
鏡が国産ならば、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」という仮説は崩れるだろうし、魏産ならば、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」をサポートする有力な材料になる。
⇒2008年2月17日 (日):判読と解読
森氏は、「卑弥呼の鏡説」が有力であった中で、三角縁神獣鏡が中国で全く出土していない点などから、日本製との説をいち早く打ち出して、「卑弥呼の鏡説」を否定して邪馬台国論争に一石を投じた。
三角縁神獣鏡国産説は、単に邪馬台国問題に留まらない広がりを持っていた。
京大考古学教室の教授だった小林行雄博士は、「三角縁神獣鏡の同笵関係」を精緻に研究した。
岡村秀典『三角縁神獣鏡の時代』吉川弘文館(1999年5月)は、次のように小林の推論を整理している。
椿井大塚山の首長の背後には、より強力な大和の権力者、すなわち政権の中枢にある倭王の存在が想定されるが、椿井大塚山古墳が位置するのは、木津川・淀川の水路をつうじて大和を瀬戸内海と結びつける航路の起点にあたり、その首長は、倭王の委嘱をうけて、各地の首長にたいして三角縁神獣鏡を配布する任務を帯びていたと考えられたのである。
そして、同笵鏡理論で重要なこととして、次の2点を挙げている。
①地方における最古の古墳は、いずれも椿井大塚山と三角縁神獣鏡の同笵鏡を有する関係にあること。
つまり、地方における古墳の出現は、同笵鏡の分配に示される倭政権との政治的関係によると考えられること。
②同笵鏡の分布範囲の広がりが、近畿を中心とする倭政権の段階的な伸長を示していると考えられること。
⇒2008年12月 2日 (火):邪馬台国に憑かれた人…③小林行雄と「同笵鏡」論
小林説は、三角縁神獣鏡が、卑弥呼が中国から贈られた鏡である、という前提に立っているが、その前提が成り立たないとしたら、初期大和政権の考え方が成り立たたないことになる。
森氏は、学会で主流になっている説などにはとらわれないで自説を展開した。
それは反権威主義ということでもある。
高校教諭を経て、1965~99年、同志社大学で教鞭んをとった。
立ち入りが制限されている天皇陵について、航空写真や出土埴輪を活用して検証し、築造年代を推定した。
そして、比定される被葬者の矛盾を指摘し公開を求めた。
⇒2012年4月27日 (金):歴史上の「天皇陵問題」/やまとの謎(62)
科学的根拠を欠いた被葬者の指定を批判して、仁徳天皇陵を「大山古墳」とするなど、地名を冠した呼び替えを提唱し、今日ではほぼそれが採用されている。
弥生時代などに日本海側の地域が果たした役割にいち早く着目した。
今日では、富山県の作成した「環日本海諸国図」などにより、日本海の内海的性格が広く知られるようになっている。
⇒2011年1月18日 (火):馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)
たまたま今日の東京新聞に、中村桂子・JT生命誌研究館館長の「東アジアとつながる列島」という文章が掲載されていた。
反権威主義の立場に立ち、町人の学問を標榜した古代史家の逝去を惜しむ。
合掌。
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