余りに文芸的な・大河内昭爾さん/追悼(34)
文芸評論家の大河内昭爾が8月15日に亡くなった。
私はどういう経緯だったのかは忘れたが、若い頃、初期の『青春文学ノート-抒情の周辺』淡路書房 (1953年)と 『現代の抒情』早稲田大学出版部 (1963年) を、神田の古書店街(だったと思う)で購入して所有していた(はずである)。
もちろん、拾い読み程度のことはしているはずであるが、仕事が忙しくなると共に、言い換えれば余裕を失ってしまい、じっくりと通読した記憶はない。
しかし、その程度の読み方ではあっても、気になる存在であった。
忙しくしていたころ、ふと立ち寄った都内の大型書店で「季刊文科」という雑誌を見つけて購入したことがある。
同誌は発行元がいくつか変わっているが、邑書林時代であった。
現在の発行元である鳥影社のサイトを見ると、13号〜20号であり、最新号が59号らしいから10年以上前のことだと思う。
まあ、マイナーな、といってもいいだろう。
実売がどれくらいかは分からないが、果して損益分岐点を超える部数が売れたのか、疑問である。
鳥影社のサイトには次のようにある。
「文学の魅力を問い直す」これが「季刊文科」の端的純一な目標である。劇画的時代に活字の魅力をよびもどすのは至難のことだが、反時代的表現はもともと文学の宿命であり、それこそが文学の魅力の源泉であろう。
「季刊文科」編集委員 一同
http://www.choeisha.com/bunka.html
1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者を指導した。
今日(8月25日)の東京新聞コラム「大波小波」に『大河内昭爾の情熱』と題する文が載っている。
埋もれた才能の発掘・育成に対する情熱であるが、最近は同人誌そのものが低調になっているという。
文学というより文芸が好きで好きでたまらない人ではなかったかと忖度する。
芥川龍之介の言葉を借りれば、「文芸的な、余りに文芸的な」人生ではなかったのだろうか。
合掌。
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