品川富士/富士山アラカルト(4)
江戸には富士山を眺める適地が何箇所かあったらしい。
昔、千駄木の某所の格安アパートに短期間住んだことがあるが、西日暮里の駅の近くに富士見坂という坂があった。
富士見がつく地名は、他にもあるらしい。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも浅草や日本橋など、江戸の中心地からの構図のものが何枚かある。
品川は、東海道五十三次の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。
落語の「品川心中」で分かるように、遊郭で賑わう場所だった。
「富嶽三十六景」の中に「東海道品川御殿山ノ不二」」と題する1枚がある。
品川の御殿山は、江戸屈指の桜の名所だった。
幕末期に品川台場築造の土砂採取で一部が切り崩され、明治期には鉄道施設工事によって御殿山は南北に貫く切り通しとなり、桜の名所としての面影はなくなった。
上の絵には、花見をして楽しんでいる人々の姿と品川宿が描かれ、遠くに富士山が見える。
東京新聞の「東京どんぶらこ」という連載の7月27日付は、「北品川」である。
品川神社と品川宿の富士講「丸嘉講」が築造した富士塚(品川富士)が紹介されている。
品川富士は、「丸嘉講」により1869年に築造が始められ、1872年に完成したという。
岩山を巡る石段が登山道で、途中には各地の富士講の講社名を刻んだ碑があるという。
片麻痺が残る身体では富士登山は諦めざるを得ないが、富士塚ならば登れるかも知れない。
老人や女人など登山できない人が、ここに登り祈れば、富士登山と同じご利益があるという。
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