広重の富士三十六景の三保松原/富士山アラカルト(5)
富士山の世界遺産登録に際しては、三保松原(静岡市清水区)の扱いを巡りひと悶着があった。
諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)は、山体と一体ではないとして構成資産からの除外を勧告し、三保松原は除外されるのではという成り行きであった。
しかし、世界遺産委員会では、各国の委員が「題材にした芸術品は多い」などと除外勧告を疑問視する意見が相次ぎ、全25件を世界遺産を構成する資産にふさわしいと認め、一転して三保松原も登録を認めることになった。
⇒2013年6月23日 (日):富士山世界遺産登録を寿ぐ/花づな列島復興のためのメモ(234)
富士山の文化的価値を外国人に格付けして貰わなくても、という意見もあったが、私は外国人が関心を持ち、理解を深めることは大事なことであると思う、
三保松原に関しては、これぞ「芸術の源泉」という感じではなかろうか。
羽衣伝説は日本各地に存在するが、最も有名なのは、三保松原であろう。
浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」がある。
三保松原に舞台を設営して行う薪能については触れたことがある。
⇒2011年10月 9日 (日):三保松原で薪能を観る
文藝の素材としても、『万葉集』巻3-296に次の歌がある。
廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし
以来、多くの和歌に詠まれている。
しかし、何と言っても絵画であろう。
歌川 広重という浮世絵師は、昔は安藤広重として知られていたように思う。
しかし、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切であるし、広重自身もそう名乗ったことはないということで、現在は歌川広重と呼ばれる。
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛する機会を得た。
天保4年(1833年)には代表作といわれる『東海道五十三次絵』を制作した。
東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地に、東海道広重美術館がある。
『東海道五十三次絵』の中の1枚に、「江尻 三保遠望」がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige031/
家康が埋葬された東照宮のある久能山から清水港を眺望した図。
清水港は、天然の良港として物資の輸送が盛んに行われた。
行き交う舟の多さから、溢れる活気が伝わってくる。
対岸に見えるのが三保松原である。
広重の『富士三十六景』にも、「駿河三保松原」がある。
http://www.tomoiki.tv/fuji36/main.html
実際の富士山と三保松原の位置関係と異なるというが、広重は、三保松原と富士山の組み合わせに拘ったのだろう。
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