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2013年8月 1日 (木)

研究における成果主義の弊害/知的生産の方法(70)

科学者による研究データの捏造・偽造の問題が相次いでいる。
⇒2013年7月12日 (金):治験とクリティカル思考/知的生産の方法(69)

成長戦略のあり方が課題として問われているが、成長の源泉は基礎研究にある。
大学の社会的機能の重要な1つは、イノベーションをもたらす基礎研究にあるといえよう。
私自身は、大学時代は遊び呆けていたクチだが、優れた研究者、尊敬する研究者たちに間近に接する機会を得たことは、その後の人生にとって大きな資産になったと思っている。

その基礎研究の砦であるべき大学で、不正が相次いでいる。
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東京新聞8月1日

上表にあるように、アカデミズムの頂点に位置するはずの東京大学でも、論文の改竄や虚偽成果が報じられている。

 東京大分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授のグループの論文について、画像などに改ざんや捏造の疑いがあることが7月25日、分かった。東大が設置した調査委員会は複数の論文について撤回が妥当と判断した。東大は関係者から事情を聴くなど検証を進め、不正が認められた場合は処分を検討する。調査委は加藤元教授のグループが発表した100本を超す論文を調査。骨ができる仕組みやホルモンが作用する仕組みなどに関する複数の研究論文について、「画像の反転・複製」などの改ざん、「画像の合成」などの捏造の疑いがあるという。
http://www.shijyukukai.jp/news/?id=7018

iPS細胞に臨床研究についての問題で、私は、「医学は、もちろん自然科学的に基礎を置くが、人間に対する深い理解がなければならないだろう」と書いた。
⇒2012年11月20日 (火):「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ
もちろん、人間に対する深い理解が必要なのは、医学に留まらない。

なぜ、このような業績の偽造・捏造が行われるのでろうか?
私は東北旧石器文化研究所という民間団体の副所長・藤村新一の遺跡捏造事件のことを思い出す。
藤村は、神の手・ゴッドハンドの持ち主と称賛され、当該分野の権威者と目される人まで、一般向けの概説署で、彼の“功績”を讃えた。

考古学では、発掘されたモノがすべてに優先する。
したがって、藤村新一が自ら埋めておいたものを“発掘”したとしても、写真等で証拠をつかまない限り、それが“発掘”されたものとして扱うのは自然である。
研究者性善説である。

論理的に批判できないようなものだとしたら、果して学問とか研究といえるのだろうか、という疑問が湧く。
もちろん、当該分野の研究者にも、不審に思っていた人はいた。
しかし、事件が発覚するまでは、その声は一般には届かなかった。
それに、理論よりも、現場の前にひざまづくべきだという藤村の研究所の理事長らの意見が、空気を形成していたといえる。

客観的にみれば、新発見の95%が藤村の手による、と聞いただけで疑問を持つべきだろう。
それは、確率的にあり得ないことのように思える。
だからこそ、“神の手”と呼ばれたということであろうが、“神”が登場する案件はまず疑ってみる方がいいのではないか。

しかし、不正研究問題がこれだけ続出すると、もはや構造的な問題というべきであろう。
東大分子細胞生物学研究所の場合、研究を主導した元教授は、「捏造は自分の知らないところで行われていた」と釈明している。
日本野球機構のコミッショナーも、同じような発言をしていた。
⇒2013年6月13日 (木):「飛ぶボール」釈明の不可解/花づな列島復興のためのメモ(229)

組織の責任ある立場の人が、その自覚を持たないで他人のせいにする。
そういう人に限って、成果は自分のものにしたがるのだろう。

その成果の評価の仕組みが問題であろう。
成果の上がっていないところに予算はつき難い。
特に、文科省が、競争的資金に重点を置いているのが原因だともいわれる。

なんでも平等にすればいいというものでもないが、基礎研究のように、成果が具体化するまでのリードタイムの長い研究の評価は難しい。
表面的な成果主義では、大学の存在意義が問われることになる。
不正はいずれ発覚する。
発覚した不正の償いは出来ないことを知るべきだ。

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