立原正秋『きぬた』/私撰アンソロジー(25)
立原正秋の名作『きぬた』文藝春秋(1973年3月)の第一章「裾野」における自然描写である。
「裾野」は、山の裾野という意味での一般名詞としての用法と、「裾野市」という固有名詞としての用法とを兼ねている。
裾野市は、富士山、箱根山、愛鷹山の3つの大型火山の裾野に位置する町で、私の出生地である。
この裾野の南北に黄瀬川が流れ、その周囲の平地に市街地が広がっている。
1971年(昭和46年)1月1日に市制を施行した。
『きぬた』の初出は、雑誌「文學界」の1972年1月号であるから、市制に移行して間もない時であった。
掲出の裾野の自然は、『きぬた』構成上の1つのキー概念であると言える。
『きぬた』には、文藝春秋版の他に、限定版が青娥書房から刊行されている。
その限定版跋文が、『全集第22巻』角川書店(1984年5月に収録されている。
この作品を書きはじめる1年ほど前から、三島市と富士の裾野ををかなり歩いた。「文學界」に連載をはじめてからもよく歩いた。遍在している自然をどうやって長岡道舜と縫のなかで濾過させるか、それができなければこの作品はなりたたなかった。事実私は縫のようによく歩いた。国道わきの湧水をどうやって描写するかで、六月末の雨のなかを半日たって湧水を視つめたことがあった。無限に湧きでる水を視ているうちに富士が見えてきたのは有難かった。富士が見えなければこの作品は書けなかった。
歓心寺のモデルは龍沢寺だが、現実の龍沢寺とはかかわりあいがない。場所をかりただけで、地形も作品のなかでは私なりに変えた。
自作を語るのは不得手なので、縫と道舜のなかで大きく場をしめる裾野の自然について語るにとどめた。
限定本は私の趣味にはいっていないが、青蛾書房から話があったとき、文藝春秋から出した本が二版をかさねたので、限定版を出しても読者を欺くことにはならないだろう、と判断して快諾した。編集の今村百合子さんに世話になり、装幀は文藝春秋版と同じく栃折久美子さんを煩わせた。誌して永く記憶にとろめたい。
縫は、小田原の寺の娘として生まれ、三島にある歓心寺を嗣ぐ立場にある長岡道舜と結婚する。
長岡は、金儲け主義的な仏教界や世俗に堕落した父に反発し、文学を志向して東京に出て四谷片町のマンションに住み、小説家として名を成す。
しかし、文壇もまた俗化してしまっていることに嫌気が差し、酒と女に明け暮れる、という生活を送っている。
そして、四谷界隈の爛熟した人工的な世界と、生命力に満ちた裾野の自然に象徴される世界との間を揺れ動く。
跋文にある龍沢寺は、臨済宗妙心寺派の寺院であり、山号は円通山という。
大正4年(1915年)、山本玄峰が廃寺同然の龍沢寺に入り、修行道場として復興した。
山本のもとには著名人が多く参禅し、太平洋戦争末期に、鈴木貫太郎首相に無条件降伏を進言したことで知られる。
小説の終末部分で、長岡はヨーロッパに旅立つことになっている。
自らのアイデンティティを求める見果てぬ旅であるが、どこに行こうとしているのかは、妻である縫にも不明のままである。
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