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2013年8月

2013年8月31日 (土)

iPS細胞から脳を作製/闘病記・中間報告(60)

脳卒中の後遺症はやっかいだ。
私も発症後、12月が来れば満4年ということになるが、いまだに右半身はいうことを素直に聞いてくれない。
歩行のような普通の動作が難しいのだ。

それでも、下肢は歩行ができるようになった。
問題は上肢である。
右手は当初の「廃用」という診断からは脱したのではないかと思うが、「実用」には程遠い、といったレベルである。
⇒2011年10月25日 (火):簡易上肢機能検査/闘病記・中間報告(35)
しかし、極めて緩慢ではあるが少しずつは回復しているので、可能な限りリハビリに努めたいと思う。

医学の進歩は驚異的である。
オーストリアや英国の研究チームが、iPS細胞(人工多能性幹細胞)から、直径約4ミリの立体的な脳組織を作ることに成功したという発表があった。

 脳組織には大脳皮質に似た構造や髄膜などが含まれており、複雑な人間の脳の一部を形作った画期的な成果。脳の成長が滞る小頭症の患者のiPS細胞からも脳組織を作り、発達異常が起きることを確認した。
 チームは「脳が出来上がる仕組みを調べたり、人間の脳に特有な病気の仕組みを解明したりすることにつながる」としている。
 チームは実験用の人間のiPS細胞を神経系の細胞へ変化させ、培養液をかき混ぜるなどしながら培養した。すると変化を始めて2カ月で直径約4ミリの脳組織に成長した。ただ各部分の位置や形は本来の脳とは異なり、大きさは10カ月間培養を続けてもこれより大きくならなかった。中央部では、酸素や栄養が行き渡らず細胞が死んでいた。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/130829/scn13082917000003-n1.htm

もちろん、血管がないなど、脳を完全に再現したわけではないらしいが、重要な大きな一歩といえよう。

Ips
出来た脳の組織は、ヒトの大脳皮質のように神経細胞の層が重なり、記憶をつかさどる海馬の細胞や目の網膜の組織も含まれていました。また、研究グループでは、脳が生まれつき小さい「小頭症」の患者からiPS細胞を作り出し、同じように脳の組織にしたところ病気の状態を再現することもできたとしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130829/k10014117031000.html

今の時点では、神秘的ともいうべき脳の働きには程遠いというべきであろうが、進歩の速度は驚異的である。
神の領域に近づいてきたといえよう。

そこで問題になるのは、倫理である。
医学の分野でも研究者の不正の報道が相次いでいる。
⇒2013年8月 1日 (木):研究における成果主義の弊害/知的生産の方法(70)

とりわけ脳は、意識や感情という人間を人間たらしめている要因の司令塔である。
かつてはSFとして扱われていたテーマが現実化しているともいえる。
山中伸弥教授らのiPS細胞の研究は、日本人として誇るべき業績であるが、今後倫理の問題でもわが国はリーダーシップを発揮していけるであろうか?

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2013年8月30日 (金)

人口減少時代と加工貿易/花づな列島復興のためのメモ(254)

総務省が28日、住民基本台帳に基づく3月末時点の人口動態調査結果を発表した。
日本人の総人口は1億2639万3679人と、4年連続で減少した。
死亡数が出生数を上回る自然減は過去最大を更新している。
このような人口のトレンドは、短期的にはどうしようもない。

国土交通省の「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」によると、日本の人口は2004年の1億2784万人がピークということだ。
今後100年間に100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく。
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http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111118/201698/

100年かけて増大した人口が、100年かけて減少していくわけであるから、不思議と言えば不思議、そんなものかと言えばそんなものと言えないこともない。

過去はどうだったのか?
超長期的な人口推移については正確な人口統計があるわけではないが、現代社会研究所所長・青森大学社会学部教授・古田隆彦氏の図を見てみよう。
Photo_2
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/interview/16/index1.html

古田氏は、日本列島には過去5回の波動があったという。

まず第1は約4万年前の「石器前波」(人口は3万人)。第2に紀元前1万年前から始まる「石器後波」(30万)。第3に紀元前300年からの「農業前波」(700万人)。第4に西暦1400年から江戸時代まで含む「農業後波」(3300万人)。そして第5に1830年から現代まで続いた「工業現波」(1億2700万人)です。

古田氏は、これらの5回の波動は日本列島の人口容量の変化を示しているという。
つまり、列島の自然環境の利用の仕方(≒文明のカタチ)によって、人口容量が変わる。
具体的には、石器文明、農業文明、工業文明のそれぞれの文明の人口容量が限界を迎えると、人口は停滞や減少を始める。

太平洋戦争後、加工貿易文明によって得た新たな人口容量により、急激に人口を増やしてきた。
その前提条件は、工業製品の方が農業製品より高いということであった。
ところが、1993年以降、小麦、米、とうもろこしの国際価格は上昇する一方で、安い工業製品が日本に流れ込むようになった。
人々は今後に対する漠然とした不安を抱くようになっている。
人口は社会の余裕があるときには常に増加し、余裕がなくなると本能的な人口抑制装置が作動する。

アベノミクスやTPPの賛成派には、加工貿易で生きてきた人たちが多いような印象である。
そのシンボルが、タヌキのような経団連の会長ということになろうか。

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2013年8月29日 (木)

原子力市民委員会の緊急提言/原発事故の真相(81)

原子力市民委員会という組織が、8月28日付で、「事故収束と汚染水対策の取り組み体制についての緊急提言」を提出した。
私も、2011年12月16日の野田首相(当時)の「収束宣言」がマヤカシであること、東電には当事者能力が欠如していることについては再三触れてきたことなので、わが意を得た思いである。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)
⇒2013年8月20日 (火):福島第一原発事故の“収束”は何時になるのか?/原発事故の真相(78)

サイトを見ると、原子力市民委員会(座長:舩橋晴俊・法政大学社会学部教授)は、今年の4月15日に設立された。
設立趣意書を抜粋する。

 福島第一原発事故から二年が経過した。事故炉の安定の確保にはほど遠く、多くの被災者が故郷に戻れぬ一方、生活の再建の見通しも立たないという過酷な状況が続いている。
・・・・・・
 2012年12月の政権交代を契機に、政治サイドでは、福島事故以前の状態への原状復帰、つまり大半の原発の再稼働、および建設中・計画中の原発の開発や核燃料サイクル事業の継続、更には海外への原発輸出といった志向が強まり、失効状態にあるエネルギー基本計画を改定し、そこに原状復帰の方針を盛り込もうとする動きが強まっている。
・・・・・・
 ここにおいて重要になってきたのは、脱原発社会建設のための公共政策上の具体的道筋を、倫理的観点を盛り込みながら本気で考えることである。私たちにはその経験が乏しい。それは従来の政治・行政体制のもとで、脱原発が進むことはほとんどあり得ないと多くの人が考えてきたためである。しかし福島原発事故によってその状況は大きく変わった。
・・・・・・
 以上のような状況をふまえて、このたび、脱原発社会建設のための具体的道筋について、公共政策上の提案を行うための専門的組織として「原子力市民委員会」を設立することとした。
・・・・・・
 既存の「原子力委員会」は、原子力関係者による、原子力関係者のための組織として、原子力政策の企画・審議・決定を行ってきたものと、私たちは認識している。それに対して「原子力市民委員会」は、市民の公共利益の観点に立って、原子力政策の企画・審議・提言を行う点で、原子力委員会と大きく異なっている。

http://www.ccnejapan.com/?page_id=16

提言の内容の大要は以下の通りである。

1 事故収束作業における相次ぐトラブルと汚染水の漏洩が続いていることは、福島第一原発事故が収束していないこと、これまでの政府の事故収束についての判断は誤っていたこと、政府が責任のある取り組み体制を構築してこなかったこと、東京電力には事故収束と汚染水対策を進める能力が欠けていることを示している。・・・・・・
2 事故収束に当たる事業体をつくり、関連分野の専門家を集めて、汚染水に対する機動的対策を緊急に実施するべきである。・・・・・・
3 汚染水対策業務の遂行に当たっては、最適技術の選択を行いながら進めることとし、大型タンクの建設と既存の応急的、仮設的汚染水処理システムを耐久性のある恒久的な汚染水処理システムに更新していくこと、および実効性のある海洋への汚染水流出防止システムを構築することを提案する。
4 東京電力は、過去2 年半にわたって適切な事故処理も汚染水対策もできなかった。東京電力の法的な破綻処理や組織分割も検討されるべきだが、それに先立ち、まず、汚染水対策をはじめとする事故収束に当たる事業主体を独立させるべきである。さらに、東京電力の経営形態や法的位置づけについてのより根本的な見直しのために、「専門調査委員会」を国会に設置するべきである。

http://www.ccnejapan.com/

タンクからの汚染水漏れ事故について、原子力規制委員会は28日、トラブルの深刻さを示す国際原子力事象評価尺度(INES)を「レベル3」(重大な異常事象)に引き上げると発表した。
Ws000000_2 
東京新聞8月29日

原発事故は決して収束していない。
むしろ事故後の中で、危険性は高まっているともいえる。
⇒2013年8月22日 (木):福島原発事故の新段階/原発事故の真相(79)
⇒2013年8月23日 (金):政府は非常事態宣言を発するべき/原発事故の真相(80)

私は原子力市民委員会の提言を支持する。
そして、速やかに提言が活かされ、真の収束が一刻も早く訪れるよう祈念する。

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2013年8月28日 (水)

異常気象頻発の夏と特別警報/花づな列島復興のためのメモ(253)

今年の夏の気象は異常だったような気がする。
異常気象というのは毎年どこかで発生しているともいえるが、この列島の猛暑と豪雨は記録的だった。
毎日のように、「観測史上初めて」とか、「これまでに経験したことのないような大雨」といった表現に接していたような気がする。
個人的な感想では、日本の夏はもはや熱帯と考えた方がいいのではないか。

異常気象の定義は次の通りである。

気象庁では、「過去30年の気候に対して著しい偏りを示した天候」を異常気象と定義している。
世界気象機関では、「平均気温や降水量が平年より著しく偏り、その偏差が25年以上に1回しか起こらない程度の大きさの現象」を異常気象と定義している。

⇒2009年8月 5日 (水):今年の夏は、やはり異常気象か?

気象庁は、8月30日(金)の0時から「特別警報」の運用を開始する。
これまで、大雨、地震、津波、高潮などにより重大な災害の起こるおそれがある時には、各種の警報が発表されてきた。
特別警報というのは、これらの警報の発表基準をはるかに超える豪雨や大津波等が予想され、重大な災害の危険性が著しく高まっている場合に発せられる。

特別警報が対象とする現象は、東日本大震災における大津波や、我が国の観測史上最高の潮位を記録した「伊勢湾台風」の高潮、紀伊半島に甚大な被害をもたらした「平成23年台風第12号」の豪雨等が該当するという。
Photo_5
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/tokubetsu-keiho/

平成23年台風第12号の爪痕は、今年5月に紀伊半島を訪れた時にも復旧途上であった。
⇒2011年9月 6日 (火):台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)
⇒2013年5月13日 (月):那智大社と那智滝/紀伊半島探訪(5)

今年も、7月末の山口・島根県豪雨では、島根県津和野町で24時間での降水量が381.0mmという島根県内で観測史上最大の降水量を記録した。
この豪雨で気象庁はこの豪雨の約1ヵ月後に運用予定であった特別警報に準ずる対応をとった。
山口・島根両県では、つい最近も豪雨に襲われた。
島根県西部の益田市では未明に、観測史上最多の1時間に87.0ミリの猛烈な雨を記録した。

この他、8月上旬の秋田・岩手県豪雨が記憶に新しい。
気象庁によると、秋田県鹿角市ではこの地点の観測史上最多となる1時間に108.5ミリの猛烈な雨を観測した。
降り始めた朝からの雨量は約300ミリに上り、8月の月間雨量平年値の倍近くとなった。

特別警報の目安は「50年に1度」ということである。
今夏は1カ月の間に3回も「50年に1度」を経験したことになる。
横山博予報課長は、秋田・岩手県の大雨について、「特別警報」のレベルだと記者会見で言い、「50年に1度というのは、それぞれの地域についてであり、日本列島全体についてという意味ではない。短期間に続いたのは暖かく湿った空気が流れ込みやすい状況にあるためだ」と説明した。

それにしても、山口・島根の豪雨は同じ地域に「50年に1度」級の雨が1カ月に2度降ったことになる。
観測の精緻化等の要因があって、「記録的」の頻度が高くなっているのだろうか?
それにしても、「記録的な○○」が流行現象のようになっては、シャレにならない。

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2013年8月27日 (火)

立原正秋『きぬた』/私撰アンソロジー(25)

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立原正秋の名作『きぬた』文藝春秋(1973年3月)の第一章「裾野」における自然描写である。
「裾野」は、山の裾野という意味での一般名詞としての用法と、「裾野市」という固有名詞としての用法とを兼ねている。
裾野市は、富士山、箱根山、愛鷹山の3つの大型火山の裾野に位置する町で、私の出生地である。
この裾野の南北に黄瀬川が流れ、その周囲の平地に市街地が広がっている。

1971年(昭和46年)1月1日に市制を施行した。
『きぬた』の初出は、雑誌「文學界」の1972年1月号であるから、市制に移行して間もない時であった。
掲出の裾野の自然は、『きぬた』構成上の1つのキー概念であると言える。

『きぬた』には、文藝春秋版の他に、限定版が青娥書房から刊行されている。
その限定版跋文が、『全集第22巻』角川書店(1984年5月に収録されている。

 この作品を書きはじめる1年ほど前から、三島市と富士の裾野ををかなり歩いた。「文學界」に連載をはじめてからもよく歩いた。遍在している自然をどうやって長岡道舜と縫のなかで濾過させるか、それができなければこの作品はなりたたなかった。事実私は縫のようによく歩いた。国道わきの湧水をどうやって描写するかで、六月末の雨のなかを半日たって湧水を視つめたことがあった。無限に湧きでる水を視ているうちに富士が見えてきたのは有難かった。富士が見えなければこの作品は書けなかった。
 歓心寺のモデルは龍沢寺だが、現実の龍沢寺とはかかわりあいがない。場所をかりただけで、地形も作品のなかでは私なりに変えた。
 自作を語るのは不得手なので、縫と道舜のなかで大きく場をしめる裾野の自然について語るにとどめた。
 限定本は私の趣味にはいっていないが、青蛾書房から話があったとき、文藝春秋から出した本が二版をかさねたので、限定版を出しても読者を欺くことにはならないだろう、と判断して快諾した。編集の今村百合子さんに世話になり、装幀は文藝春秋版と同じく栃折久美子さんを煩わせた。誌して永く記憶にとろめたい。

縫は、小田原の寺の娘として生まれ、三島にある歓心寺を嗣ぐ立場にある長岡道舜と結婚する。
長岡は、金儲け主義的な仏教界や世俗に堕落した父に反発し、文学を志向して東京に出て四谷片町のマンションに住み、小説家として名を成す。
しかし、文壇もまた俗化してしまっていることに嫌気が差し、酒と女に明け暮れる、という生活を送っている。
そして、四谷界隈の爛熟した人工的な世界と、生命力に満ちた裾野の自然に象徴される世界との間を揺れ動く。

跋文にある龍沢寺は、臨済宗妙心寺派の寺院であり、山号は円通山という。
大正4年(1915年)、山本玄峰が廃寺同然の龍沢寺に入り、修行道場として復興した。
山本のもとには著名人が多く参禅し、太平洋戦争末期に、鈴木貫太郎首相に無条件降伏を進言したことで知られる。

小説の終末部分で、長岡はヨーロッパに旅立つことになっている。
自らのアイデンティティを求める見果てぬ旅であるが、どこに行こうとしているのかは、妻である縫にも不明のままである。

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2013年8月26日 (月)

絶滅危惧種・ミシマサイコの復活

ミシマサイコという草花がある。
漢字で書けば、三島柴胡、学名はBupleurum scorzonerifoliumである。
セリ科の多年草で、丘陵地や草地に生え、薬草として使われるが、絶滅危惧種に指定されている。

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根が柴胡(さいこ、「紫胡」はよくある誤字)という生薬として用いられ、日本薬局方に収録されている。解熱、鎮痛作用があり、大柴胡湯(だいさいことう)、小柴胡湯(しょうさいことう)、柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)などの多くの漢方方剤に配合される。
近年では乱獲により絶滅危惧種となっている。
和名は、静岡県の三島市付近の柴胡が生薬の産地として優れていたことに由来する(現在の産地は、宮崎県、鹿児島県、中国、韓国など)。

Wikipedia-ミシマサイコ

このミシマサイコを増やそうと、三島市の三島大通り商店街が店先で栽培に乗り出している。
地元にゆかりの名産を復活し、街おこしにつなげようという狙いである。

 大通り商店街は、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅から三嶋大社までの東西七百メートル。百店以上の専門店が連なる。楽器店や雑貨店といった二十一店の前に、ミシマサイコの植木鉢が一つずつあり、黄色いかれんな花が咲いている。
 買い物に訪れた三島市谷田の主婦杉本貴子さん(55)は「こんな素晴らしい植物があるのは知らなかった。地域の宝なので市民で大切にしていきたいですね」と、鉢植えの説明書きを熱心に読んでいた。
 ミシマサイコの歴史は古く、市郷土資料館と市農政課によると、伊豆地方のサイコは一一〇〇年ごろの文献に既に登場するほど有名で、江戸期には特産物だった。三島で生産、あるいは集荷された生薬が良質で、ミシマサイコの名前になったとされる。
写真
ミシマサイコの花
・・・・・・
 栽培に取り組むきっかけは、商店街などで五月に開かれた「みしま花のまちフェア」に合わせて、商店主らが花と緑であふれる景観を目指す「大通り商店花飾り隊」を発足したこと。「せっかくなら三島の名前をアピールできる植物を育てよう」とミシマサイコに着目し、七月から鉢植えで栽培を始めた。
 今後は、毎年少しずつ鉢植えの数を増やし、すべての店先に置く予定。商店街から情報発信し、三島を代表する薬草だったことを市民に知ってもらい、栽培の輪を広げようと考えている。
 花飾り隊の一員で化粧品店を営む樋口純一さんは「名前も“三島最高”で縁起がいい」と笑顔でPR。「市民の関心が高まって、休耕地を利用して、昔のように生薬としての生産ができるようになれば」と、大きな夢を語った。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20130811/CK2013081102000080.html

このような花があることを知らなかった。
ささやかで身近な試みではあるが、このような試みが増えていくことが大切だろうと思う。

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2013年8月25日 (日)

余りに文芸的な・大河内昭爾さん/追悼(34)

文芸評論家の大河内昭爾が8月15日に亡くなった。
私はどういう経緯だったのかは忘れたが、若い頃、初期の『青春文学ノート-抒情の周辺』淡路書房 (1953年)と 『現代の抒情』早稲田大学出版部 (1963年) を、神田の古書店街(だったと思う)で購入して所有していた(はずである)。
もちろん、拾い読み程度のことはしているはずであるが、仕事が忙しくなると共に、言い換えれば余裕を失ってしまい、じっくりと通読した記憶はない。

しかし、その程度の読み方ではあっても、気になる存在であった。
忙しくしていたころ、ふと立ち寄った都内の大型書店で「季刊文科」という雑誌を見つけて購入したことがある。
同誌は発行元がいくつか変わっているが、邑書林時代であった。
現在の発行元である鳥影社のサイトを見ると、13号〜20号であり、最新号が59号らしいから10年以上前のことだと思う。

まあ、マイナーな、といってもいいだろう。
実売がどれくらいかは分からないが、果して損益分岐点を超える部数が売れたのか、疑問である。
鳥影社のサイトには次のようにある。

「文学の魅力を問い直す」これが「季刊文科」の端的純一な目標である。劇画的時代に活字の魅力をよびもどすのは至難のことだが、反時代的表現はもともと文学の宿命であり、それこそが文学の魅力の源泉であろう。
「季刊文科」編集委員 一同

http://www.choeisha.com/bunka.html

1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者を指導した。
今日(8月25日)の東京新聞コラム「大波小波」に『大河内昭爾の情熱』と題する文が載っている。
埋もれた才能の発掘・育成に対する情熱であるが、最近は同人誌そのものが低調になっているという。

文学というより文芸が好きで好きでたまらない人ではなかったかと忖度する。
芥川龍之介の言葉を借りれば、「文芸的な、余りに文芸的な」人生ではなかったのだろうか。
合掌。

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2013年8月24日 (土)

スターリン極秘指令による抑留と人道に対する罪/戦後史断章(12)

広島や長崎への原爆投下は、許されるか?
アメリカ側の世論としては、広島、長崎への原爆投下を「日本に無条件降伏を促すためにした」と正当化するものが多数だという。

原爆投下無罪論の根底には、戦争自体は犯罪ではない、という考えがある。
戦争による殺人について、何の罪科を問うのか?
いかなる証拠が違法なのか?
原爆投下についても、この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した人は具体的にいるのであるが、戦争における殺人を肯定するならば、原爆も同じことではないか?

しかし、軍事戦略思想家のベイジル・リデル=ハートは、アメリカによる日本への原子爆弾投下について、日本の降伏は既に時間の問題となっていたので、このような兵器を用いる必要性は無かったと批判している。
さらに、連合国側の無条件降伏要求が、戦争を長引かせる一因となり、何百万人もの犠牲を余分に出す結果になったとも論評している。

また、ラダ・ビノード・パール判事は、「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。
パール判事の意見は、現在の時点で考えれば、きわめて穏当なものであったように思える。
⇒2013年8月 6日 (火):沖縄基地問題の出口は?/花づな列島復興のためのメモ(251)
ナチスのホロコーストと同じように、原爆投下も、人道に対する罪に相当するのではないか?

同じように、「人道に対する罪」の問われるべきものとして、スターリンによるシベリア等への抑留を挙げることができると思う。
「シベリア等への抑留」とは、約60万人の関東軍兵士がソ連・モンゴルへ送られ、強制労働に従事した出来事である。

第二次世界大戦での日本軍とソ連軍の戦闘は、1945年8月9日から始まった。
広島・長崎の原爆投下でさえ、客観的に見ればこのような兵器を用いる必要性は無かった。
まして、原爆投下がされた後でのソ連の対日参戦の必要性は、日本の敗戦という意味ではなかったはずである
ソ連の参戦には、敗戦を見越したうえで、戦後に対する思惑があった。
⇒2007年8月10日 (金):ソ連の対日参戦

そのシベリア抑留は、8月23日、ポツダム宣言に反したスターリンの極秘指令「国家防衛委員会決定NO.9898」による。
ソ連軍は、約60万人の関東軍兵士を捕虜としてソ連・モンゴルへ移送し、ソ連で重労働に従事させた。
抑留者は1949年12月までに日本へ帰還されたが、抑留期間中の死亡者は約6万人に上るという。
また戦犯容疑を疑われた者は、日ソ共同宣言が結ばれる1956年まで抑留された。

国際法理的にどう解釈すべきかは不知であるが、常識的に考えれば不法行為とせざるを得ない。
シベリアやモンゴルの抑留犠牲者の遺骨が納められている千鳥ケ淵戦没者墓苑で、スターリンの指令が発せられた23日、追悼集会が開かれた。

 民間団体シベリア抑留者支援センターなどの主催。スターリンが1945年、旧日本軍捕虜のシベリア移送を命じる「極秘指令」を出した日に合わせ、2003年から追悼集会を開いており、今回が11回目。 厚労省によると、シベリアやモンゴルには約60万人が抑留され、約5万5千人が栄養失調などで死亡した。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130823/trd13082315030016-n1.htm

亡くなった人の数すら明確ではない。
原爆投下に比べ、シベリアやモンゴルへの抑留はフォーカスされ難いように感じる。
歴史認識の一環として、もっとしっかりと目を向けるべきではなかろうか?
もちろん、日本の戦争責任ももっと明確にすべきだとは思うが。

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2013年8月23日 (金)

政府は非常事態宣言を発するべき/原発事故の真相(80)

福島原発事故の汚染水にどう対処するのか?
東京電力の対応能力と姿勢では、ムリである。
政府として、「非常事態宣言」を発し、国として全力で対処する段階ではないか。2130823
東京新聞2013年8月23日

廃炉が完了するまで、炉の冷却は続く。
完全なリサイクルができなければ、汚染水も増え続ける。

 福島第一原発は、1〜3号機の原子炉にある溶けた核燃料を冷やすため、水を循環させている。冷却水は放射性セシウムや塩分を取り除いて再利用するが、原子炉建屋などには地下水が1日約400トン流れ込み、冷却水と混じって、放射性物質を含む汚染水が増え続けている。これらの汚染水を原発敷地内で保管するのが、地上タンクと地下貯水槽だった。
 原発の敷地内にある貯水タンクは大型でも容量は約千トン。これに対し、地下貯水槽の容量は2千トンから1万4千トンと大きく、総容量は約5万8千トン。東電は貯水槽を汚染水保管の「切り札」として考えていた。しかし、汚染水漏れの相次ぐ発覚で、貯水槽の使用を断念した。
 東電の地上タンクの増設計画は、現在約33万トンの保管総容量を今年9月までに45万トン、平成27年9月までに約70万トンに増やすとしていた。貯水槽の使用断念を受けた緊急対策として、増設時期をできるだけ早めるとしている。地上タンクについて「設置スペースの確保はできている」とする。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/05/post_7109.html

漏えいのあったタンクの容量は1000トンで、漏えい前はほぼ満杯だった。福島第一原発には1000基を超えるタンクが設置されている。13日現在、39万トンあるうち33万トンの汚染水が貯められている。  
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MRT5FW6S973301.html

汚染水の増加量は400トン/日だと言われる。
漏えいのあったタンクの容量1000トンは、2日半で満杯になる。
「設置スペースの確保はできている」といっても、いずれ限界がくる。

1年365日で、14.6万トンである。
1000トンのタンク146本分である。
残容量6万トンだとすれば、150日程度の余力しかない。

増設するにしても、費用はともかく、時間と場所の制約がある。
廃炉まで40年とすれば、584万トンである。
40年はともかく、いたちごっこのような状態である。
地上タンクにせよ地下貯水槽にせよ、漏出の可能性は常にある。

そのような危うい状態で、何が“収束”であるといったのだろう。
原子炉は、機能を果たせなくなっても冷やし続けなければならないのだ。
発電コストにどこまで算入しているのだろうか?
原発は稼働させればコストが安いといった高市自民党政調会長にお伺いしたい。
⇒2013年6月19日 (水):高市発言の思考の文脈/原発事故の真相(73)
⇒2013年6月20日 (木):原発の出口戦略をどう考えるのか/花づな列島復興のためのメモ(233)

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2013年8月22日 (木)

福島原発事故の新段階/原発事故の真相(79)

福島原発事故は、収束どころか新たな段階に入ったようである。
汚染水タンクからの漏水は、事態が明らかになるに連れ、深刻なものであることが分かって来た。
1308212
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013082190071128.html#print

 東京電力は20日、福島第1原子力発電所の地上タンク周辺で水たまりが見つかった問題で漏洩したタンクを特定し、漏洩した汚染水の量が300トンに達すると発表しました。漏洩量は過去最大といい、汚染水からはベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり8000万ベクレルと高濃度で検出されています。漏洩は現時点で止まっておらず、東電は詳しい漏洩箇所や原因などの特定が急務です。政府は8月上旬になってようやく汚染水問題への関与強化を決めましたが、この問題と距離を置いてきた原子力規制委員会とともに遅すぎた対応は東電ばかりではないようです。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO58746620R20C13A8000000/?dg=1

原子力規制委員会が、国際原子力事象評価尺度(INES)を「レベル3」(重大な異常事象)に引き上げる構えを示した。

INESの尺度は0から7までの8段階。同委員会は当初、この問題を暫定的に「レベル1」(逸脱)と評価していたが、同日の会合で正式な引き上げを検討すると述べた。東日本大震災が起きた2011年3月の原発事故自体には、すでにレベル7の評価が下されている。
同原発からの汚染水流出の問題は、科学者らが1年以上前から指摘していた。
東電は7月、汚染された地下水が海へ流れ出していることを確認。流出を防ぐために地下に壁を設けものの、汚染水が壁を越えたり、横から回り込んだりして海へ流れ込む恐れがあることを認めていた。
今回は、汚染水を貯蔵するタンクからの水漏れが19日に見つかり、その後相当な量が漏出したことや、放射能濃度が非常に高かったことが明らかになっている。

http://www.cnn.co.jp/world/35036210.html

東電単独ではもはや手に負えないことは明らかである。
安倍首相も、「東電任せにせず、国としてしっかり対策を講じる」と表明しているが、深刻さを本当に受け止めているのかどうか。
政府と東電は一体となって汚染水対策に全力を尽くすべきだろう。

国際原子力機関(IAEA)も、福島第1原発で汚染水漏えいが続いている状況を「深刻に」受け止めており、求められれば支援する用意があると表明した。

IAEAのギル・チューダー報道官は電子メールの声明で「日本の当局は原発の状況に関する情報をIAEAに提供し続けており、IAEAの専門家が問題を注意深く見守っている」と指摘。「IAEAはこの問題を深刻にとらえており、要望に応じて支援を提供する用意がある」と表明した。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE97K07G20130821

支援してくれる国あるいは組織には積極的に力を借りるべきだ。
事故直後に、政府がアメリカからの支援を断ったと言われる。
支援が廃炉を前提としたものであったので、その時点では時期尚早との判断だったという。
原発事故の発生直後、政府がアメリカの支援断る

民主党の国会議員には東電労組出身者がいる。
労組は民主党、役員は自民党とリスク分散をしていたとも言われる。
東電労組の委員長は、 「裏切った民主党議員には、報いをこうむってもらう」という発言をしたとも伝えられている。
「裏切った民主議員には報いを」 東電労組執行委員長の「恫喝」が波紋

大企業の労働組合は、労働者の共通の利益などには関心がなく、自分たちの私的利益が優先ということだろう。
東電の組合員が、労働者の範疇に入るかどうか議論はあるだろうが、「万国の労働者、団結せよ」というのは昔の話だろうか。

問題のタンクは、ボルトでつなぎ合わせる構造であり、暫定仕様と考えるべきものだろう。
2
東京新聞2013年8月21日

同じ構造のタンクであれば、当然同様の事故は起きると考えられる。
廃炉まで40年かかると言われている。
もはや手遅れかもしれないが、廃炉までの工程を見据えた対策を講じるべきだろう。
そうすれば、原発に合理性のないことがはっきりするだろう。
それでもなお、原発に依存しようというのだろうか?

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2013年8月21日 (水)

三段階論という方法③庄司和晃の認識の発展過程論/知的生産の方法(73)

小学校教師の経験を持つ教育学者庄司和晃は、教育を認識の発展過程として捉え、認識発展のメカニズムについて、独自の三段階の論理を構築した。
庄司の考察を、『認識の三段階連関理論』季節社; 増補版 (1999年4月)によって見てみよう。

認識に関して、抽象度という「ものさし」を導入してみる。
この世界は、具象的なもの(素朴的段階)、抽象的なもの(本格的段階)、半抽象的なもの(過渡的段階)の3段階に区分けすることができる。

三:概念的・抽象的・普遍的・法則的・理論的
二:表象的・半抽象的・特殊的・コトワザ的
一:感覚的・具象的・個別的・経験的・体感的

この認識の3段階の構造の理解において、核心となるものは、二の「過渡的段階」である。
二は、三の「本格的段階」と一の「素朴的段階」の要素をあわせもった中間的な性格を帯びており、「三+一」という二重性としてとらえることもできる。
二の発見は、「三+一」の構造を探しだすことであり、問題・事象の分析において有効性を発揮する度合いも高い。

認識の発展とは、今まで知らなかったことを知るようになったり、これまで感覚的にしかとらえていなかったものを理論的にとらえるようになったりすることである。
部分的にしか把握していなかったものが、より全体的な把握に到達することである。

こうした認識の発展には3つのあり方がある。
イ 「のぼる」道
認識が一般的・抽象的・全体的になり、適用できる範囲が拡大し、視野がひろがる。
つまりより展望がきく地点に立つ道。
法則化・原理化・本格化・抽象化の過程。 

ロ 「おりる」道
認識が具象化していく認識発展のプロセス。
目に見えない一般的なものが感覚的なものへ近づき、目で見え、手でつかめるような地点へくる道。
「のぼり」の逆に、素朴化・具象化(具体化)・図解化・例証化・感覚化の過程。

ハ 「よこばい」の道
段階間の「のぼりおり」ではなく、同じ段階を「よこばい」して、その認識内容を拡張していく認識発展のありかた。

論理的な思考の説明として、次図のような三角形が示される。
Photo_4
2011年2月 9日 (水):ファシリテーターと理路の見える化/知的生産の方法(10)

上図を、「のぼる」「おりる」「よこばい」として見ることもできよう。

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2013年8月20日 (火)

福島第一原発事故の“収束”は何時になるのか?/原発事故の真相(78)

2011年12月16日、野田首相(当時)は、「福島原発事故が冷温停止状態に達し、事故そのものは収束した」と宣言した。
「冷温停止状態に達し」「事故そのものは」という欺瞞に満ちたレトリックで、野田氏は何を主張し、何を隠蔽したかったのだろうか?

どう贔屓目に見ても、この時点で、「福島原発事故が収束した」とは言えないことは、その後の事態によってはっきりしている。
それは決して後知恵ということではなく、客観的にみれば当初から明らかであった。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)

汚染水の海への流出問題の深刻性については言うまでもない。
⇒2013年7月28日 (日):高濃度汚染水対策を急げ/原発事故の真相(74)
⇒2013年7月31日 (水):東京電力のPRの姿勢/原発事故の真相(75)
⇒2013年8月 7日 (水):福島第一原発の汚染水の水収支/原発事故の真相(76)
⇒2013年8月17日 (土):汚染水対策の不安/原発事故の真相(77)
海の汚染は、言うまでもなくわが国だけの問題に留まらない。

海への流出以外にも、新たに汚染水の貯蔵タンクから漏出が判明した。

 東京電力は19日、福島第1原子力発電所の原子炉の冷却に使った後の汚染水を貯蔵するタンク周辺で水たまりが見つかり、真上約50センチで最大毎時100ミリシーベルトと非常に高い空間線量を計測したと明らかにした。東電は「タンク内の汚染水が漏れた可能性が高い」としており、少なくとも120リットルが漏れたとみられる。
 原子力規制委員会は、国際的な事故評価尺度のレベル1と暫定評価した。8段階のうち下から2番目の「逸脱」に当たる。
Photo
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO58693210Q3A820C1CR8000/

国際事故評価レベルに該当する事態である。
国が定めた一般人の年間限界被曝量は1mSv/1年間である。
1年間は、約365×24時間=8,760時間であるから、100mSv/時だとすると、約88万倍である。
あるいはわずか3,600秒/100=36秒で限界被曝量に達する。
また、原発の作業員が年間に許容される放射線量は、特に50mSvとされているが、わずか30分で達する。

東電は海への流出はないとしているが、原子力規制庁は19日、汚染水が付近の排水溝から海に流出した可能性を調査するよう指示した。
どうして「海への流出はない」と言えるのか?
一般論としても、「ない」ことを証明することは困難である。
まして今までの広報の姿勢からして、字面通りに受け取る人はほとんどいないだろう。
第一、漏れている場所も特定できていないという。
現場の線量が高いため、近寄れないからだ。

東電に事故収束能力がないことははっきりしている。
政府が明確に主導権を発揮するべきだろう。
再稼働の是非論は、福島第一の事故が、真に収束してからの話ではないか。

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2013年8月19日 (月)

消費税増税は財政再建に資するか?/花づな列島復興のためのメモ(252)

民主党野田政権が提出した消費税増税法は、来年4月に施行される。
現在5%の消費税率は、2014年4月に8%、2015年10月に、10%へと、2段階で引き上げられることになっている。
しかし、安倍首相は税率アップの最終判断を下していない。

論点は何か?
反対論は、景気回復を阻害するとし、賛成論は、財政再建を先送りにするなという。
どちらがより妥当なのか?

私には経済政策は、どちらの側に立ってももっともなように聞こえる。
裏を返せば、どちらの側も100%妥当だということにもならないようだ。

国の借金が1000兆円を超えた、と財務相から発表された。

   国債や借入金などによる「国の借金」が2013年6月末時点で初めて1000兆円を超えたと、財務省が8月9日に発表した。
   人口1人当たりに換算すると、約792万円になる。政府は、13年度さらに国債約43兆円発行する予定で、国の借金は、年度末には計1107兆円になる見込み。
http://www.j-cast.com/2013/08/12181302.html

大きすぎて実感を伴わないが、何とかしなくては、ということは大多数の国民の共通感覚だろう。
国の収入は税収である。
税収の中で、ウェイトをどう考えるか?
支出の配分をどう考えるか?
それにより、私たちの暮らしのカタチが決まってくる。

支出については、参院選前に次のような選択肢が示された。
130713
東京新聞7月13日

結果は、自民の圧勝である。
しかし、収入については論点化が避けられていたのではないか?

振り返ってみれば、現在のデフレ経済が定着したのは、1997年にアジア危機が本格化した際、当時の橋本総理によって導入された消費税増税であった。
崩壊寸前となった日本の銀行システムを救済するためとされたが、この増税は結果として税収をこの15年間で20%減少させた。
Gdp
http://www.toushinotetsujin.com/hedge-fund/2012/03/gdp.html

消費税は平成元年に3%で新設し、平成9年に5%に増税された。
にもかかわらず、税収は平成2年の60兆1059億をピークに、増税した平成9年には53兆9415億に落ち込んで、一度も平成9年度の税収を越えていない。
Photo_3
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120626/1340676954

安倍首相のブレーンにも、景気への悪影響を懸念する声もある。
果たしでどういう判断をするのだろうか?

周りの声を聞いても、年金生活者は消費を抑制するしかなさそうである。
何のための増税か、改めて問われることになるのではないか?

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2013年8月18日 (日)

識字率と革命/因果関係論(22)

革命という事象は、因果関係が複雑なものの代表といえるだろう。
「産業革命」「フランス革命」「ロシア革命」・・・
「革命」は、Wikipedia-革命では次のように規定されている。

革命(かくめい、英語: Revolution、レボリューション)とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革が、比較的に短期間に行われること。対義語は保守、改良、反革命など。
「レボリューション」の語源は「回転する」の意味を持つラテン語の「revolutio」で、ニコラウス・コペルニクスの科学革命で使用され、後に政治的変革に使用されるようになった。また漢語の「革命」の語源は、天命が改まるとの意味で、王朝交代に使用された。
革命は人類の歴史上、さまざまな方法や期間、動機となった思想によって発生した。その分野には、文化、経済、社会体制、政治体制などがある(農業革命、産業革命、フランス革命、ロシア革命など)。また、何が革命で何が革命でないかの定義は、学者の間で議論が続いている。

まあ、革命という現象がそもそも一義的には定義されないのだから、因果関係の考え方自体もさまざまになるのは当然ともいえる。
「フランス革命」には、火山活動による天候不順が大きな要因になった、という説がある。
⇒2012年3月 9日 (金):餓死という壮絶な孤独(3)/花づな列島復興のためのメモ(34)
⇒2009年10月16日 (金):八ツ場ダムの深層(6)吾妻川の地政学
⇒2012年9月30日 (日):「火山の冬」と富士山噴火の可能性/花づな列島復興のためのメモ(147)

今日の東京新聞の朝刊コラム「筆洗」に面白い説が紹介されていた。
識字率と革命の関係である。
フランス革命はパリ周辺の男性の5割が文字を書けるようになった時に、起きたのだという。

識字率 (Literacy rate) とは初等教育を終えた年齢、一般には15歳以上の人口に対して、文字(書記言語)を読み書きし、理解できる比率として定義される。
識字率を計算する場合、
母語における日常生活の読み書きができることを識字の定義とする。

▼人口統計学を駆使して、一九七〇年代にソ連の崩壊を予測したことで知られるE・トッド氏は『アラブ革命はなぜ起きたか』(藤原書店)で指摘している。十七世紀の英国の市民革命も、二十世紀初頭のロシア革命も、男性の識字率が五割を超えたころに起きた。知への目覚めが、民衆の政治参加を呼び起こす条件になるのだ▼トッド氏が識字率とともに重視するのが、出生率と内婚率だ。女性の識字率が上がると、妊娠出産を自分でコントロールするようになり、出生率は下がる傾向がある。女性の意識が、根本的に変化したということだ▼もう一つの内婚とは、いとこ同士など身内で結婚し合い、一族の絆を固めること。この率が下がることは、人々がより開かれた人間関係を求めるようになったことを示すという▼これらの指標を分析すれば、「エジプトの社会は、呆気(あっけ)にとられるような仕方で変貌しつつある」のは明らかだと、トッド氏は指摘する。「政治体制の過渡的形態がどんなものになるにせよ、社会はより個人主義的にして自由主義的になるだろう」と▼エジプトで起きている変革への流れは、大河に銃を撃つような愚行では決して止められない。それだけは確かだろう。

E.トッドのついてのWikipediaの説明は以下のようである。

エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 - ) は、フランスの人口学・歴史学・家族人類学者である。人口統計による定量化と家族構造に基づく斬新な分析で知られる。現在、フランス国立人口学研究所 (INED) に所属する。2002年の『帝国以後』は世界的なベストセラーとなった。

日本の核武装に対する考えは現在の私とは異なるが、一理ある。

2006年、朝日新聞のインタビューにおいて、「核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい。」と述べ、日本の核武装を提言した。さらにトッドは、ドゴール主義的な考えだとして、「核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる」と指摘する。ほか、被爆国である日本が持つ核への国民感情については、「国民感情はわかるが、世界の現実も直視すべき」とした。
フランスの核武装については、何度も侵略されてきたことが最大の理由とし、「地政学的に危うい立場を一気に解決するのが核だった」と指摘した。
日本が核兵器を持った場合に派生する中国とアメリカと日本との三者関係については、「日本が紛争に巻き込まれないため、また米国の攻撃性から逃れるために核を持つのなら、中国の対応はいささか異なってくる」との見通しを出したうえで、「核攻撃を受けた国が核を保有すれば、核についての本格論議が始まり、大きな転機となる」と指摘した。

識字率に戻れば、識字率というのは認識力と表現力のことであろう。
とすれば、過半の認識力・表現力が深まったとき、革命が起きるというのは納得的である。
なお、世界の識字率の現状は下図のようだとされる。Ws000001
Wikipedia-識字

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2013年8月17日 (土)

汚染水対策の不安/原発事故の真相(77)

福島第一原発事故による汚染水が深刻化している。
⇒ 2013年7月28日 (日):高濃度汚染水対策を急げ/原発事故の真相(74)
⇒2013年8月 7日 (水):福島第一原発の汚染水の水収支/原発事故の真相(76)

政府も本腰を入れることにしたようだが、流出量の認識自体が混乱しているようだ。

 東電の試算は、独自のコンピューターソフトに、原発と水源となる山との高低差や、地盤の通しやすさなどを入力。その結果、地下水は一日十センチずつ山側から海側へ動き、一千トンの地下水が敷地全体に流れ込んでいるとはじいた。このうち、四百トンはこれまでの汚染水処理の経験から、1~4号機の建屋地下に流れ込んでいることが判明。残り六百トンのうち、二百トンは5、6号機へ向かい、四百トンは高濃度汚染水がたまる問題のトレンチ(配管やケーブルを収める地下トンネル)周辺の敷地を経て、海に流れ込んでいると推定した。
 それなりに根拠がありそうだが、東電は流出しているとする四百トンのうち「高濃度に汚染されているのは百トンだけだ」と強調する。
 一方、「試算」と呼べるかどうかも怪しいのが政府の数字。
 東電は、護岸近くに井戸を三本掘り、それぞれで地下水を一日百トンくみ上げ、海への漏出を止める計画。
 政府の試算は、このくみ上げ量を「くみ上げなかったら、海に漏れるはずの汚染水」とみなし、単純に井戸の数をかけて三百トンとはじいている。
 東電側では、政府の数字にとまどいを隠せず、担当者は「井戸から一日計三百トンくみ上げるという計画であって、それ以上の意味はないのに…」と話す。井戸も二本は未完成で、本当に一日百トンの地下水がたまるかどうかも分からない。
 東電の試算値と百トンの開きがあることについて、あらためて経済産業省資源エネルギー庁に問い合わせた。担当者は「百トンは別のエリアに行っている」と答えたが、具体的には明示できなかった。
Photo
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013080902000119.html

資源エネルギー庁の発表数値は、以下のような内容である。
・1000トン/日の地下水が福島第一に流れ込んでいる。
・このうち、原子炉建屋に流れ込んでいる約400トンがタンクに溜められている。
・残りの約600トンのうち、半分の300トンが汚染水として海に流出し、300トンは汚染されずに海に流出している。

1000トン/日の地下水流入と300トンの汚染水流出は、今回初めて公表されたものである。
問題は、原子炉建屋には、地下水の流入だけで、流出はないのか、ということである。

Photo_3
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20130808/1375932208

上図におけるβをゼロと見なせるかということであるが、不自然な仮定と考えるのが妥当であろう。
つまり、高濃度汚染水の流出量は不定であり、何時からかということも良く分かっていないというのが実態である。

先ずは流出を止めることが先決ではあるが、地下水の流動の様子が手さぐりであるというのが現状であることを直視しなければならない。
東電の不誠実な態度が原因であり、対策が遅れるわけである。

その他にも、福島第一原発の地盤は、地震で沈下している。

 汚染水の水位を、地下水位より少し下に維持していれば、地下水が建屋に入り込もうとする力の方が少しだけ勝り、地下水の流入は抑えつつ、汚染水は建屋外に出ない-との方法で管理ができる。
 沈下した深さが正確に分からず、建屋と地下水の関係が実態とずれれば、大量の地下水流入で、汚染水がどんどん増えるという事態を招きかねない。
 このほか、地盤沈下により、建屋とトレンチ、トレンチ同士の継ぎ目などが損傷し、汚染水が漏れ出している恐れもある。
 建屋も海水配管トレンチも、それ自体の耐震性は高いが、ケーブルが入った小さなトレンチとの接合部などについては、東電も「損傷が起きている可能性は否定できない」と認識している。
Photo_2
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081502000154.html

東電の地盤高の調査は、人工衛星による測定であるが、精度が汚染水対策としては不十分だという。
さまざまな仮定の下に立てられた対策であり、その仮定の検証を急ぐべきであろう。

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2013年8月16日 (金)

靖国に祀られざる者の鎮魂

8月は、鎮魂の季節といえよう。
全国で多少の違いはあるが、太陰太陽暦である和暦の7月15日を中心にした「お盆」は、祖先の霊を祀る行事として広く行われている。
特に、終戦の日である8月15日と重なることから、あの戦争の戦没者の霊を追悼する意識が強くなる。

しかし、実態として、8月15日が「終戦の日」かどうかについては、議論が必要な面もある。
Wikipedia-終戦の日には、各国の「終戦の日」についての説明があるが、日本については以下のように記されている。

日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。
日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。

  1. 1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
  2. 1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
  3. 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
  4. 1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。

4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が完全な独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。

現実に、8月15日の玉音放送で国民の多くは降伏したことを認識したが、8月22日、旧ソ連は部隊を国後・択捉・歯舞・色丹に転戦させ、全千島を占領した。
⇒2007年8月10日 (金):ソ連の対日参戦

昨15日は、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開催された。
また、靖国神社にも大勢の人が参拝した。

 68回目の終戦の日を迎え、今年も猛暑の中、多くの国民が東京・九段の靖国神社に足を運んだ。安倍晋三首相は参拝を見送り、自民党総裁として玉串料を奉納した。
 名代の萩生田光一総裁特別補佐は、首相が「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に尊崇の念を持って哀悼の誠をささげてほしい。本日は参拝できないことをおわびしてほしい」と伝えたと話した。
 首相が参拝しなかったのは残念だが、春の例大祭への真榊(まさかき)奉納に続いて哀悼の意を表したことは評価したい。首相は第1次政権時に靖国参拝しなかったことを「痛恨の極み」と繰り返し語っている。秋の例大祭には、国の指導者として堂々と参拝してほしい。
 靖国神社には、幕末以降の戦死者ら246万余柱の霊がまつられている。首相が国民を代表して参拝することは、国を守る観点からも重要な責務である。
 閣僚では、新藤義孝総務相、古屋圭司拉致問題担当相、稲田朋美行革担当相の3人が参拝した。民主党前政権は全閣僚に参拝自粛を求めたが、安倍首相は「私人としての参拝は心の問題であり、自由だ」と各閣僚の判断に委ねた。当然である。
 靖国神社近くで来日した韓国の野党議員らが「安倍政権の軍国主義化は日韓関係を阻害している」などと訴える一幕があった。当初は神社前で非難声明を読み上げる予定だったが、警察に説得され、声明発表を断念した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130816/plc13081603060001-n1.htm

確かに靖国神社への「私人としての参拝は心の問題」であるだろう。
しかし、閣僚が完全な私人と言い切ることについては、留保したいと思う。
それはそれとして、靖国神社に祀られているのは誰で、祀られていないのはどういう人か?

靖国神社のサイトでは、次のように説明している。

靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。

つまり、靖国神社に祀られているのは、「国を守るために」に戦没した者である。
いまNHKの大河ドラマで人気の「八重の桜」の会津藩側は、賊軍の位置づけであるから、靖国の祭祀対象ではない。
あるいは、鹿児島では絶大な人気の西郷隆盛など西南戦争における薩摩側犠牲者も然りである。
歴史が勝者によって描かれるのは常であるが、鎮魂の季節には、敗者の側に目を向けてみたいと思う。

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2013年8月15日 (木)

広重の富士三十六景の三保松原/富士山アラカルト(5)

富士山の世界遺産登録に際しては、三保松原(静岡市清水区)の扱いを巡りひと悶着があった。
諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)は、山体と一体ではないとして構成資産からの除外を勧告し、三保松原は除外されるのではという成り行きであった。
しかし、世界遺産委員会では、各国の委員が「題材にした芸術品は多い」などと除外勧告を疑問視する意見が相次ぎ、全25件を世界遺産を構成する資産にふさわしいと認め、一転して三保松原も登録を認めることになった。
⇒2013年6月23日 (日):富士山世界遺産登録を寿ぐ/花づな列島復興のためのメモ(234)

富士山の文化的価値を外国人に格付けして貰わなくても、という意見もあったが、私は外国人が関心を持ち、理解を深めることは大事なことであると思う、
三保松原に関しては、これぞ「芸術の源泉」という感じではなかろうか。
羽衣伝説は日本各地に存在するが、最も有名なのは、三保松原であろう。
浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」がある。

三保松原に舞台を設営して行う薪能については触れたことがある。
⇒2011年10月 9日 (日):三保松原で薪能を観る
文藝の素材としても、『万葉集』巻3-296に次の歌がある。

廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし

以来、多くの和歌に詠まれている。
しかし、何と言っても絵画であろう。

歌川 広重という浮世絵師は、昔は安藤広重として知られていたように思う。
しかし、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切であるし、広重自身もそう名乗ったことはないということで、現在は歌川広重と呼ばれる。

天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛する機会を得た。
天保4年(1833年)には代表作といわれる『東海道五十三次絵』を制作した。
東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地に、東海道広重美術館がある。

『東海道五十三次絵』の中の1枚に、「江尻 三保遠望」がある。
Photo
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige031/

家康が埋葬された東照宮のある久能山から清水港を眺望した図。
清水港は、天然の良港として物資の輸送が盛んに行われた。
行き交う舟の多さから、溢れる活気が伝わってくる。
対岸に見えるのが三保松原である。

広重の『富士三十六景』にも、「駿河三保松原」がある。
Photo_2
http://www.tomoiki.tv/fuji36/main.html

実際の富士山と三保松原の位置関係と異なるというが、広重は、三保松原と富士山の組み合わせに拘ったのだろう。

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2013年8月14日 (水)

ひっそりとした死・高橋たか子さん/追悼(33)

作家の高橋たか子さんが亡くなっていた。
マスコミにも大きく報じられることなく(と思う)、ひっそりとした死だった。

 作家の故高橋和巳の妻で、「ロンリー・ウーマン」「怒りの子」など女性の内面を追求した観念小説で知られる作家の高橋たか子(たかはし・たかこ、本名・和子=たかこ)さんが12日、心不全のため死去した。81歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は著作権代理人の鈴木喜久男さん。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0718/TKY201307180143.html

12日というのは、7月のことであるから1月前である。
私は、東京新聞の今日の「大波小波」欄で初めて知った。
積極的な読者ではなかったが、夫君だった高橋和巳の小説と評論は、学生の頃比較的熱心な読者だった。
大学に入りたての頃、文藝賞だったかを受賞した『悲の器』の観念の劇ともいうべき思弁的な内容に衝撃を受けた。

たたか子夫人の『高橋和巳の思い出』は、1971年に彼が亡くなって間もなく出版されたように思う。
その中の、「和巳は家では「自閉症の狂人」だった」という文章は有名である。
高橋和巳は確かにそうだろうな、と頷いて読んだ記憶がある。
なお、この「自閉症」の用法は、今日では誤りであるとされている。

その後、文芸誌に掲載されたたか子夫人の何篇かの作品は目にしているはずである。
しかし、観念が先行しているような感じで、私の好みには合わなかったように思う。
私の友人の中には傾倒に近い思い入れを持って、作品に接していた人もいてちょっと違和感があった。
カトリックの洗礼を受け、修道生活を送った時期もあるというが、その方面も疎いので、結局それきりになった。

いま関連記事を検索してみると、結婚後は鎌倉に居を構えていた。
1967年に和巳が京都大学助教授に就任して京都に移住した時、たか子は鎌倉に残り、別居生活となった。
たか子の故郷である京都の土地柄に女性蔑視的風潮があることが理由だったと言われる。
しかし、京都がことさらに女性蔑視的であったのかどうか?

和巳は、全共闘旋風が吹き荒れる中で、その嵐の渦中に入り込んで抜き差しならない状態になり、結果として「断腸」のような形で死を迎えることになった。
和巳に相応しい死の形とは思ったが、もし長生きしていたらどのような作家になっていたであろうか?
あるいは、学究生活に戻り、中国文学者として業績を挙げていたのだろうか?

いずれにせよ、たか子夫人の死により、和巳もあの世で、やっと安息の時を迎えるのかも知れないなと、死後の世界を信じていない私が、しばしそんな思いに耽った。
謹んで冥福を祈りたい。
合掌。

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2013年8月13日 (火)

三段階論という方法②菊竹清訓の設計の論理/知的生産の方法(72)

建築設計は、科学(工学)の性格と芸術の性格を併せ持っている。
素晴らしい建築作品は、われわれの感性に強く訴えるが、その構造は緻密な力学計算に支えられている。

菊竹清訓は、戦後建築・デザイン界に大きな足跡を残したメタボリズムグループの中心人物の1人であった。
⇒2012年1月 6日 (金):菊竹清訓と設計の論理/追悼(19)

菊竹清訓は、武谷三男により提唱された科学的認識の三段階論を建築設計の分野に応用して、実践的な設計論を提唱した。
具体的な作品としては、出雲大社庁の舎や江戸東京博物館が代表作といわれる。

出雲大社庁の舎は、1963年の作品で、 日本建築学会賞の作品賞を受賞している。

Photo_2
鉄筋コンクリート打放しの現代建築でありながら、大社の環境とちゃんとした関係を保っている。大社の建築とは必ずしも馴染んでいないが、大社の境内の白砂利敷きの地面と、杉の巨木老木の緑とは合っている。
http://kenchiku.tokyo-gas.co.jp/live_energy/modern/24.php

両国駅の近くに建つ大きな建物が、江戸東京博物館である。

Photo_3
建物は上部と下部に分かれている。上部には常設展示室、収蔵庫、図書室、和風レストランを収め、下部には企画展示室、ホール、ミュージアムショップ、洋風レストランなどを収める。そしてその間がスカッと抜けており、「江戸東京ひろば」と名付けられた屋外空間となっている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2301F_T20C13A4000000/

菊竹三段階論を、『代謝建築論―か・かた・かたち』彰国社(1969年)によって、概要をみよう。

人間は<かたち>を感覚で捉えることができる。
しかし、<かたち>をより深く知るためには、感覚を裏付ける知識による理解が必要である。
理解はさらに<かたち>についての興味を通じて、その本質的な意味を考えるというところに拡大深化するであろう。

菊竹は、日本語の「かたち=かた+ち」「かた=か+た」という語源的検討や、建築において、目的とか建築種別を越えて「かた」と呼ぶべき空間構造があるあるという認識を踏まえ、設計の論理として以下を提唱した。

設計には認識と実践の2つのプロセスがあって、この2つが複雑にからみあって成り立っている。
これを単純化すれば、認識のプロセスは、
<かたち> → <かた> → <か>
の3段階ですすみ、実践のプロセスは逆に、
<か> → <かた> → <かたち>
の3段階ですすむ。

感覚/現象/形態  … <かたち>/KATACHI
   ↓   ↑
理解/実体/技術   … <かた>/KATA
   ↓   ↑
思考/本質/構想    … <か>/KA

私がビジネスの方法論でもあり得ると思っていることは既に書いた。
⇒2012年1月 6日 (金):菊竹清訓と設計の論理/追悼(19)

コンセプトを具体的なものとしてどう具体化するか?
抽象的に考えれば共通といえるが、個別的・具体的にはそれぞれ異なる。
その兼ね合いが難しい。

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2013年8月12日 (月)

品川富士/富士山アラカルト(4)

江戸には富士山を眺める適地が何箇所かあったらしい。
昔、千駄木の某所の格安アパートに短期間住んだことがあるが、西日暮里の駅の近くに富士見坂という坂があった。
富士見がつく地名は、他にもあるらしい。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも浅草や日本橋など、江戸の中心地からの構図のものが何枚かある。
品川は、東海道五十三次の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。
落語の「品川心中」で分かるように、遊郭で賑わう場所だった。

「富嶽三十六景」の中に「東海道品川御殿山ノ不二」」と題する1枚がある。Photo

品川の御殿山は、江戸屈指の桜の名所だった。
幕末期に品川台場築造の土砂採取で一部が切り崩され、明治期には鉄道施設工事によって御殿山は南北に貫く切り通しとなり、桜の名所としての面影はなくなった。
上の絵には、花見をして楽しんでいる人々の姿と品川宿が描かれ、遠くに富士山が見える。

東京新聞の「東京どんぶらこ」という連載の7月27日付は、「北品川」である。2

品川神社と品川宿の富士講「丸嘉講」が築造した富士塚(品川富士)が紹介されている。
品川富士は、「丸嘉講」により1869年に築造が始められ、1872年に完成したという。
岩山を巡る石段が登山道で、途中には各地の富士講の講社名を刻んだ碑があるという。
Photo_2

片麻痺が残る身体では富士登山は諦めざるを得ないが、富士塚ならば登れるかも知れない。
老人や女人など登山できない人が、ここに登り祈れば、富士登山と同じご利益があるという。

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2013年8月11日 (日)

三段階論という方法①武谷三男の科学的認識の発展論/知的生産の方法(71)

いくつかのジャンルにおいて、「三段階論」と呼ばれる理論や方法論がある。
それぞれのジャンルにおいて有名であり、有効性を発揮してきたといえよう。
なかでも物理学者・武谷三男の定式化は、元祖三段階論というべき位置を占めている。

わが国の科学研究史において、最も輝かしい業績を誇るものが、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一、武谷三男ら京都大学素粒子論グループの研究であろう。
湯川秀樹は、日本人初のノーベル賞受賞者として、敗戦後の日本社会に明るい灯を点した。

朝永振一郎は湯川秀樹と京都大学の同期である。
ノーベル賞を受賞したのは1965年で、湯川よりだいぶ遅れたが、私は高校生の頃(1964年?)、講演を聞いたことを覚えている。
ノーベル賞を受賞する前のことであるが、田舎の高校生でも名前を知っていた。
猫に小判のようなものであろうが、実に魅力的な穏やかな話しぶりであり、本当の学者とはかくの如きものかと思った。

坂田昌一は、長く名古屋大学にあって、素粒子論研究の拠点を形成した。
2008年のノーベル賞受賞者である小林誠、益川英俊は、坂田の薫陶を得ている。
このように、京都大学の素粒子論研究グループは、ノーベル賞研究者を輩出した学者集団である。

彼らの研究を方法論的に支援したのが、武谷三男の三段階論であると言われる。
武谷三段階論とは、科学的な認識の発展には次の3つの段階があるとするものである。

第1段階:現象論的段階
 現象の記述、実験結果の記述の段階
第2段階:実体論的段階
 現象が起こるべき実体的な構造を知り、この構造の知識によって現象の記述が整理されて法則性を得る段階
第3段階:本質論的段階
 任意の構造の実体が、任意の条件の下にいかなる現象を起こすかを知る段階

抽象的記述ではいささか分かりづらい面があるが、武谷は、ニュートン力学の形成史を例にとって以下のように説明している。

現象論的段階:ティコ・ブラーエによる天体の運動の詳細な観測の段階
実体論的段階:ケプラーによる地動説の提唱。すなわち太陽系モデルによる観測結果の整理の段階
本質論的段階:ニュートンにおける力、質量、運動等の法則の確立。演繹的推論による発見の段階

ここで特に重要なことは、実体論的な段階を明確に位置づけたことことであるといわれる。
湯川の日本人初のノーベル賞受賞として結実した中間子論は、中間子という実体概念の導入によりなされた。
そして、実体論的段階から本質論的段階への道を開いたとされる。

本質論的段階に至って、未知の現象を予測しうることになる。
科学と呼ばれるに相応しい段階といえよう。
武谷三段階論が、研究の位置づけと方向性の提示において、有力かつ有効な役割を果たしたのである。

なお、武谷三男は、戦中に特高警察に拘束されている。
そういう思想的な背景もあるのだろうが、素粒子論グループは戦後民主化運動にも深く関与した。
民主化の運動体的性格をも持っていた素粒子論グループは、悪化した研究環境を立て直し、新たな研究制度創出に貢献するなど、研究体制の革新の上でも大きな役割を果たした。

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2013年8月10日 (土)

パラダイムに捉われない古代史家・森浩一さん/追悼(32)

古代史家の森浩一氏が亡くなった。

 古墳研究の第一人者として天皇陵研究や遺跡保存に尽力し、考古学を身近に紹介する「お茶の間考古学」の草分け的存在として知られた同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)氏が6日午後8時54分、急性心不全のため京都市下京区の病院で死去した。85歳。大阪市出身。葬儀・告別式はすでに済ませた。喪主は妻、淑子(としこ)さん。後日、お別れの会を開く。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130810/art13081010170000-n1.htm

私はさほど熱心な読者だったとはいえないが、大局で認識の分かれているような問題に関し、鋭いが穏当と思われる考えを提示してくれた。
例えば、卑弥呼の鏡として有名な三角縁神獣鏡というものがある。
三角縁神獣鏡とは、銅鏡の縁部の断面が三角形状となった大型の神獣鏡で、古墳時代前期の古墳から多数出土している。

いわゆる『魏志倭人伝』の中に、「卑弥呼が魏の皇帝から銅鏡100枚を貰った」という文章があり、「卑弥呼の鏡」と解すべきか否かが争われている。
鏡が国産ならば、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」という仮説は崩れるだろうし、魏産ならば、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」をサポートする有力な材料になる。
⇒2008年2月17日 (日):判読と解読

森氏は、「卑弥呼の鏡説」が有力であった中で、三角縁神獣鏡が中国で全く出土していない点などから、日本製との説をいち早く打ち出して、「卑弥呼の鏡説」を否定して邪馬台国論争に一石を投じた。
三角縁神獣鏡国産説は、単に邪馬台国問題に留まらない広がりを持っていた。

京大考古学教室の教授だった小林行雄博士は、「三角縁神獣鏡の同笵関係」を精緻に研究した。
岡村秀典『三角縁神獣鏡の時代』吉川弘文館(1999年5月)は、次のように小林の推論を整理している。

椿井大塚山の首長の背後には、より強力な大和の権力者、すなわち政権の中枢にある倭王の存在が想定されるが、椿井大塚山古墳が位置するのは、木津川・淀川の水路をつうじて大和を瀬戸内海と結びつける航路の起点にあたり、その首長は、倭王の委嘱をうけて、各地の首長にたいして三角縁神獣鏡を配布する任務を帯びていたと考えられたのである。

そして、同笵鏡理論で重要なこととして、次の2点を挙げている。
①地方における最古の古墳は、いずれも椿井大塚山と三角縁神獣鏡の同笵鏡を有する関係にあること。
つまり、地方における古墳の出現は、同笵鏡の分配に示される倭政権との政治的関係によると考えられること。
②同笵鏡の分布範囲の広がりが、近畿を中心とする倭政権の段階的な伸長を示していると考えられること。
⇒2008年12月 2日 (火):邪馬台国に憑かれた人…③小林行雄と「同笵鏡」論

小林説は、三角縁神獣鏡が、卑弥呼が中国から贈られた鏡である、という前提に立っているが、その前提が成り立たないとしたら、初期大和政権の考え方が成り立たたないことになる。
森氏は、学会で主流になっている説などにはとらわれないで自説を展開した。

それは反権威主義ということでもある。
高校教諭を経て、1965~99年、同志社大学で教鞭んをとった。 
立ち入りが制限されている天皇陵について、航空写真や出土埴輪を活用して検証し、築造年代を推定した。
そして、比定される被葬者の矛盾を指摘し公開を求めた。
⇒2012年4月27日 (金):歴史上の「天皇陵問題」/やまとの謎(62)
科学的根拠を欠いた被葬者の指定を批判して、仁徳天皇陵を「大山古墳」とするなど、地名を冠した呼び替えを提唱し、今日ではほぼそれが採用されている。

)

弥生時代などに日本海側の地域が果たした役割にいち早く着目した。
今日では、富山県の作成した「環日本海諸国図」などにより、日本海の内海的性格が広く知られるようになっている。
⇒2011年1月18日 (火):馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)

たまたま今日の東京新聞に、中村桂子・JT生命誌研究館館長の「東アジアとつながる列島」という文章が掲載されていた。
2

反権威主義の立場に立ち、町人の学問を標榜した古代史家の逝去を惜しむ。
合掌。

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2013年8月 9日 (金)

1人当たりGNI150万円増は可能なのか/アベノミクスの危うさ(11)

7月の参院選は自民党の圧勝という結果に終わった。
アベノミクスが信認されたということであろうが、信認されるということと、結果がうまく行くということとは別である。
アベノミクス自体、本命の成長戦略はこれからである。

アベノミクスに対する国民の支持が高いのは、たとえば、「1人あたり名目GNI(国民総所得)を10年後に150万円以上拡大する」という言葉が、「そうであるならば」とその気にさせているのではなかろうか。
このフレーズが誤解を招きやすいレトリックであることはすでに触れた。
⇒2013年7月19日 (金):GNIとGNP/「同じ」と「違う」(59)

それはそれとして、果たして「1人あたり名目GNI(国民総所得)を10年後に150万円以上拡大する」ことは現実性があるだろうか?
東京新聞7月17日に、解説記事が載っている。Gni150130717

上図で見るように、「GNIを150万円/人アップするためには、3%/年の上昇を、10年間継続する」ことが必要である。
しかるに、失われた20年の間、3%を越えたことは一度もない。
常識的に考えれば、よほどのイノベーティブな施策がなければ難しいだろう。
「異次元の金融緩和」自体は、直接は実体経済とは無関係である。

念の為、1人当たりGDP(PPP:購買力平価基準)のランキングの推移は以下のように推移してきた。Ws000008
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4542.html

やはりハードルはかなり高いと言わざるを得ないだろう。

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2013年8月 8日 (木)

7年目のスタートにあたり

この日録を書き始めてから6年が過ぎて、7年目に入る。
私にとっては新しい1年が始まるとも言える。
節目を意識すると自ずから懐旧的になるが、栗本慎一郎氏は、『栗本慎一郎の脳梗塞になったらあなたはどうする―予防・闘病・完全復活のガイド』たちばな出版(2000年5月)に、「昔の記憶をしきりに思い出すようになったら脳血管障害の危険信号」というようなことを書いていたので、要注意だろう。
海馬のダメージが長期的記憶を呼び起こすらしい。
⇒2011年8月 7日 (日):「花背」の思い出と往時渺茫たる長期的記憶の秘密/京都彼方此方(2)

振り返ってみれば、社会も個人史も大きな変化をみた期間だったということになる。
職業生活の終期を迎えようとしていた。
少なからぬ波乱のあった職業生活であったが、2007年は、まだしも平穏であったといえよう。
「他人のすなるブログというものを、我もしてみむとてするなり」といった心持ちで始めたのだった。
遅ればせながら、「Web2.0」といわれる世界を体感してみようという気もあった。
この言葉を広く世間に知らしめた梅田望夫氏の『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』が出版されたのは、2006年2月のことだった。

いまや、「Web2.0」も当たり前すぎて、ことさら強調するようなことではない。
SNSが広く行き渡っている最近では、AIDMAと言われた購買プロセスも、AISASの方が妥当ではないかと言われている。
Aidmaaisas

さらにはSIPSということも言われている。
Sips

この期間、日本の政治は、不安定なまま過ぎた6年間だった。
ブログを書き始めてすぐ、安倍首相の突然の退陣劇があった。
6年経って、第2次安倍内閣が成立しているのをみると、6年間は何だったんだろうと思う。
⇒2013年6月28日 (金):失われた6年間/花づな列島復興のためのメモ(237)
6
東京新聞6月26日

2008年9月のリーマンショックは、長期不況から抜け出そうともがいていた日本経済に重いふたをするようなものであった。
Gdp
http://www.toushinotetsujin.com/hedge-fund/2012/03/gdp.html

私にとっては、1997年の山一證券等の破綻のときを思い出さざるを得ない事件だった。
1997年、所属していた会社が、山一を主幹事にしたファイナンス案件を実行していた。
大船のつもりで乗船した船が難破したようなものだから、漂流状態に陥らざるを得なくなった。
韓国企業と提携して進めようとしていたプロジェクトも、アジア経済危機の直撃を受けて、IMF体制下の韓国では、手足を拘束されて身動きが取れなくなった。
二重三重のピンチであった。

個人史的には、2007年12月に、孫が誕生したことは大きな喜びであった。
長年幼児教育に携わっていた母親の影響か、元来幼児が好きであったのだが、自分の血脈ということになると格別である。
その孫と本格的に遊ぼうかという2009年の12月に、脳梗塞を発症してしまった。
残念ながら、やんちゃ盛りになった現在、思うように身体が動かないわが身が恨めしいが致し方ない。

東日本大震災により、日本の社会は大きなダメージを被った。
後遺症を含め、大地震は脳血管障害と似たところがあると、入院中に思っていた。
⇒2010年3月22日 (月):闘病記・中間報告(2)予知の可能性
⇒2010年4月11日 (日):闘病記・中間報告(3)初期微動を捉えられるか

しかし、まさかこのように書いてから1年以内に、未曽有の大地震が発生するとは、思ってもみないことだった。
私は、この大地震、とりわけ福島原発事故によって、当然日本社会はパラダイム・シフトを余儀なくされるだろうと考えた。
ものの考え方、生き方・暮らし方の転換・・・
多くの人の関心が、アベノミクスの是非という経済マターに集中しているかのように見えるのは、単なる現象論に過ぎないのであろうか?

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2013年8月 7日 (水)

福島第一原発の汚染水の水収支/原発事故の真相(76)

東京電力福島第一原発の放射能汚染水の海への流出は、汚染水が遮水壁を乗り越えた結果である可能性が高いことを東電が認めた。

 東京電力福島第1原子力発電所から高濃度に汚染された水が流出している問題で、地下の「遮水壁」を乗り越えて海に漏れ出ている可能性が高いことが2日、明らかになった。原子力規制委員会の作業部会で、更田豊志委員らが指摘し、東電も認めた。魚など海洋生物などへの影響が懸念されるため、規制委は東電に緊急対策を指示した。
Photo_2
http://www.nikkei.com/article/DGXDASGG0202M_S3A800C1EA2000/

遮水壁を設けたということは、外部との水の出入りができないようにするためである。
2011年の事故の初期対応の段階で、東京電力は、海への流出を防ぐ遮水壁の設置に前向きではなかった。

 福島第一原子力発電所の地下水が海に漏れ出るのを防ぐ「遮水壁」の「設計着手と工事着工の前倒し」について、東京電力の姿勢と政府の姿勢の食い違いが明らかになってきている。東電は後ろ向き、政府は積極的なのだ。もし東電の出費で工事することが決まり、その費用を合理的に見積もれる場合は、東電は、直近の決算にそれを損失として計上する必要がある。これについて東電は「仮に1000億円レベルの更なる債務計上を余儀なくされることになれば、市場から債務超過に一歩近づいた、あるいはその方向に進んでいる、との厳しい評価を受ける可能性が大きい」とし、「これは是非回避したい」とする文書を作成し、政府側に渡したが、この露骨な文面がインターネット上で暴露される事態となった。
Photo
http://astand.asahi.com/magazine/judiciary/articles/2011062700006.html

簡単な水収支の問題のように思える。
遮水壁で囲んだ部分の容積は算出できる。
排出されている汚染水の量も把握できるであろう。
地下水がどう関与しているかは分からないが、遮水壁の下部における水の入りと出は概ね等しいのではなかろうか。
とすれば、どれくらいで満杯になり、満杯になった後どれくらいの量が流出するかは、予測できるのではないか?

 東電は岸壁近くの土を薬剤で固めて遮水壁を造り、汚染水が海へ流出するのを防ぐ工事を進めている。遮水壁ができあがっていくにつれ、観測井戸の水位が地表から1メートルほどまでに急上昇した。遮水壁で地下水がせき止められ、行き場がなくなったためとみられる。
 遮水壁は工法の制約で地下1・8メートルより深い部分しか造れない。すでに、観測井戸の水位が遮水壁の上端を上回っており、完成しても海への流出が止められないのではと懸念されている。このままのペースで上昇すれば3週間で、水が地面にあふれ出す計算だ。

Ws000000
http://www.asahi.com/national/update/0803/TKY201308030013.html

水位が上昇しているのは、遮水の効果であろう。
(水位の変化量×遮水壁で囲まれた部分の断面積)が、流入水量と流出水量の差(水収支)である。

東電の対策は、その場しのぎ、場当たり的という感じを否めない。
汚染水対策は、国際原子力機関が「収束への最大の壁」とする問題である。
⇒2013年7月28日 (日):高濃度汚染水対策を急げ/原発事故の真相(74)

東電の対策は後手後手であるが、それは上記のように当初から、会計的な見栄えを気にして、海に出さないという心構えが欠如していたのではないか。
政府は、汚染水の対策費用の一部を国費で補助する検討に入った。
私も、東電では対応しきれない問題であると考えてきた。
⇒2013年4月 9日 (火):東電の当事者能力の欠如/原発事故の真相(66)

したがって、政府が支援すること自体は賛成である。
しかし、東京電力という企業を破綻処理する等の処置を講じないと、社会的な衡平性が保たれないのではないか。

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2013年8月 6日 (火)

沖縄基地問題の出口は?/花づな列島復興のためのメモ(251)

今日は、1945年(68年前)に広島に原爆が投下された日である。
原爆投下を巡っては、戦争を終結させる手段であり、継続していれば失われたはずの多くの人命や物的損傷を救ったと考えているアメリカ人が多いという。
しかし、核兵器の残虐さは、このような論理を超えている。

兵器というものは、本来的に残虐なものであろうが、一瞬にして大量の人的・物的破壊を可能にするという意味で、核兵器は通常兵器とは質が異なると考えるべきだろう。
「人道に対する罪(crime against humanity)」という概念がある。
人道に対する罪:Wikipediaでは、次のように説明されている。

「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」と規定される犯罪概念。ニュルンベルク裁判の基本法である国際軍事裁判所憲章で初めて規定され、1998年の国際刑事裁判所ローマ規程において「人道に対する犯罪」として定義された。

原爆投下こそが、この罪に該当するのではなかろうか

昨日、沖縄の米軍基地内で、ヘリコプターが墜落するするという事故が起きた。
米軍基地内のことであり、現時点では遺体が1体見つかったという情報があるが、詳細は分かっていない。

Photo
 5日午後4時7分、県警に「宜野座村の松田あたりの山手から煙が上がっている」と110番通報があった。小野寺防衛相によると、午後4時ごろ、嘉手納基地の米空軍第1航空隊所属のHH60ブラックホーク1機が墜落したという。乗員4人中、3人の安全が確認された。残り1人については確認中。
 火災発生場所は宜野座村の米軍キャンプハンセン内で、墜落炎上したとみられる。
 宜野座村役場の職員によると現場は古知屋岳の山中という。
 基地内から黒煙が上がっているのが宜野座村松田のキャンプ・ハンセンのゲート102近くから確認された。午後4時半ごろ、米軍が消火活動の準備をしているのが確認された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130805-00000016-okinawat-oki

改めて、日本が敗戦国であり、米軍が進駐している国であることを再認させられる思いがする。
本土の占領状態はとうの昔終わっている。
私は進駐軍が駐留していた頃の記憶はあるが、いまや敗戦の事実を知らない国民が大勢いるという。

私の周辺では、敗戦後の焼け野原から、戦後復興、高度成長、石油危機、バブル経済、失われた20年、東日本大震災、アベノミクス等、目まぐるしく世相は移り変わってきた。
しかし、沖縄では、今もなお広大な土地が基地に供されているのだ。
ある意味では、戦争直後の状態のまま推移してきたのだ。

沖縄と本土との著しい非対称。
東アジアの安全保障上枢要な位置を占める沖縄。
沖縄が日本国から分離独立したらどうなるのだろうか?
そんなことが頭をかすめる。

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2013年8月 5日 (月)

デトロイト市の破綻/花づな列島復興のためのメモ(250)

デトロイト市の財政破綻が報じられている。
7月18日に、連邦破産法9条を申請し、過去最大の自治体の財政破綻となった。

デトロイトと言えば、自動車産業で有名である。
デトロイト-Wikipediaの記述を引用する。

デトロイトは1805年の大火の後、計画都市として裁判官のオーガスタス・ウッドワード(英語版)によって都市設計され、その後ピーター・シャルル・ランファンへと引き継がれる。元々、馬車や自転車製造が盛んだったが、1899年に自動車工業が興る。そして1903年にヘンリー・フォードが量産型の自動車工場を建設、「T型フォード」のヒットとともに全米一の自動車工業都市として発展した。後にゼネラルモーターズ、クライスラーが誕生、フォード・モーターと共にビッグ3と呼ばれた。市はモーターシティと呼ばれるようになり、全盛期には180万の人口を数えた。その半数が自動車産業に関わっていた。

その自動車産業の“聖地”が落日の時を迎えたのだ。
自動車産業の衰退による空洞化が人口流出を招き、税収難により7月18日に財政破綻を余儀なくされた。
デトロイトは、アメリカのある側面の象徴である。

1950年代まで、ゼネラル・モーターズ(GM)など自動車大手の城下町として輝きを放っていた。
しかし、70年代から、安くて高品質の日本車メーカーによる攻勢が本格化した。
さらに金融危機によるGM、クライスラーの破綻と不況が致命傷になった。
産業の縮小と治安の悪化で若年労働者が流出し、不動産価格は一時、金融危機前より7割も下落し、税収ががた落ちとなった。

デトロイト都市圏の年収別の地図は以下のようである。
Economic_map_of_metropolitan_detroi
http://blogs.yahoo.co.jp/sfscottiedog/64033353.html

赤が高世帯年収⇔灰色が中世帯年収⇔青が低世帯年収。

デトロイト都市圏の中心のデトロイト市が青=低所得者ばかり住んでいる状態になっており、貧困世帯比率は1/3を超えると言われている。
デトロイト市の財政を圧迫した最大の要因は、退職したデトロイト市職員や警察官、消防員の年金と健康保険等の福利厚生の支払いといわれる。
デトロイト市は、$18Bn(約1兆8000億円)の長期負債のうち、$3.5Bnを退職者年金から借りている。

下図のオレンジ棒は市の退職者年金がデトロイト市に貸し付けている金額で、赤棒はその市場価値を示す。
現段階では、現在の貸付額$3.5Bnであるが、その価値$2Bnしかない。
Nabx324_detroi_g_20130719181804
同上

アメリカでは、民間からは確定給付型年金はほぼ消えたが、公務員には残っている。
すなわち、「退職者への確定貯蓄年金や医療保険の支払いが確実に増え続ける」のだ。
これに対応するためには、税収増を続けて行かなければならない。

すなわち、経済成長が必要であり、そうでないならば、高齢者(退職者)や低所得者等の弱者は切り捨てられることになる。

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2013年8月 4日 (日)

撤回では済まされない麻生副総理の言葉

麻生副総理兼財務相の発言が物議を醸している。
桜井よしこ氏が理事長を務めるシンクタンク「国家基本問題研究所」の7月29日の例会(テーマは「日本再建への道」)でのことである。

 「ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから」
 「そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでも最も進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ」
 「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20130803/360421/?ST=business&P=2

参院選で圧勝し、桜井よし子理事長の団体ということで、身内感があって、気が緩んだのかあるいはホンネが出てしまったということであろうか。
麻生氏はすでに、憲法改正を巡ってナチスを引き合いに出したことについて、8月1日に撤回を表明している。
本人が撤回すると言っていることについて、あれこれ言及するのはどうかとも思うが、撤回すればそれで済むという問題でもないと思う。

麻生氏は、米国のユダヤ系団体などからの批判を受けて、ナチスを例示した部分を撤回し、あしき例としてナチスを挙げたと説明した。
しかし「あしき例としてナチスを挙げた」とするにはムリがある。
文脈が通らない。
まあ、もともと論理的な整合性など、意図していないのだろうが。

麻生氏は、「私の真意と異なり、誤解を招いたことは遺憾だ」と述べている。
では、真意はどういうことだったのか?

麻生氏は、「ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気づかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。
素直な解釈は、やはり、憲法改正でナチスのやり方に倣えと主張している、ということだろう。
「手口」という言葉には、ニュアンスとしては、「悪事を成し遂げる際の手法ないしは手順」といったイメージがある。
どう無理に解釈しようとしても、「ナチスの手口を学べ」という言葉について、麻生氏の“真意”は伝わらないだろう。

麻生氏は、憲法改正について「騒々しい中で決めてほしくない」と話している。
撤回発言の中でも「落ち着いた中で静かに議論するという考えは撤回するつもりはない」と強調している。
何を言いたいのか?
批判的な意見が存在することを、「騒々しい」と決めつけているのではないか?
靖国神社の参拝についても、静かに参拝すべきだと述べていることを考えれば、参拝ありきということである。
それを併せて考えれば、改憲ありきということであって、反対は「騒々しい」ということになるのだろう。

憲法改正については、徹底的な国民的議論が必要であると考える。
むしろ騒々しいくらいの議論を巻き起こすべきではないか。

日本維新の会の橋下徹共同代表は、1日、麻生氏を擁護する文脈で、「行きすぎたブラックジョーク」との認識を示した。
「行きすぎたブラックジョーク」だったら、目くじらを立てるな、ということだろうか?

麻生氏が早々と撤回したのは、安倍政権が取り組もうとしている憲法改正や、集団的自衛権の解釈変更などの障害になりかねないと判断し、早期の「火消し」を図ったためとみられる。
参院選の結果でねじれが解消したばかりである。
こういう粗雑な物言いが、麻生氏が一部で人気を博す要因だとも言われる。
それにしても、「ナチスの手口を学べ」とは、それこそ歴史認識が問われるところである。
順調に進んできたように見える第2次安倍政権の躓きになり兼ねない発言のように思う。

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2013年8月 3日 (土)

藤原仲麻呂の復権?/やまとの謎(86)

藤原仲麻呂という人物のイメージは、一般的にはあまり良くないのではなかろうか?
Wikipedida-藤原仲麻呂の乱は、次のように記述している。

藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)は、奈良時代に起きた叛乱。恵美押勝の乱ともいう。孝謙太上天皇・道鏡と対立した大師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件である。

仲麻呂は、クーデターに失敗した男ということになる。
JR東海の広報誌「ひととき」に、「アキツシマの夢」という古代史をテーマにした連載記事がある。
2013年8月号は、恵美嘉樹『仲麻呂は逆賊か』と題されて、この「乱」のことを扱っている。

乱の関係者の相関図は次図のようである。
Ws000011_2藤原仲麻呂は、不比等の子・四子の次の世代である。
不比等の死後、政治の実権は長屋王にあったが、「長屋王の変」で自害し、聖武天皇と光明皇后、および藤原四兄弟の時代となった。
藤原四兄弟とは、以下の不比等の4人の息子のことである。
・藤原武智麻呂(ムチマロ) 680~737(藤原南家)
・藤原房前(フササキ) 681~737(藤原北家)
・藤原宇合(ウマカイ) 694~737(藤原式家)
・藤原麻呂(マロ) 695~737(藤原京家)
藤原四子は、流行病に罹患し、次々と死んでしまう。
⇒2007年9月15日 (土):藤原四兄弟と中将姫

藤原仲麻呂は、叔母の光明皇后の信任を得て、孝謙天皇が即位すると、孝謙と皇太后となった光明子の権威を背景に事実上の最高権力者となった。
天平勝宝9年(757年)3月、当時皇太子だった道祖王を廃位に追い込み、大炊王を皇太子に立てることに成功する。
天平宝字2年(758年)8月、大炊王(淳仁天皇)が即位すると、大保(右大臣)に任ぜられ、恵美押勝(藤原恵美朝臣押勝)の姓名を与えられる。
天平宝字4年(760年)1月にはついに人臣として史上初の大師(太政大臣)にまで登りつめた。

仲麻呂は子弟や縁戚を次々に昇進させ要職に就けたが、同年6月に光明子が死去したことで、その権勢はかげりを見せはじめる。
孝謙太上天皇が自分の病気を祈禱によって癒した道鏡を信任しはじめたことが、仲麻呂の運命を暗転させた。
仲麻呂は、淳仁を通じて孝謙に道鏡への寵愛を諌めさせたが、これが孝謙を激怒させた。
天平宝字6年(762年)6月、孝謙は出家して尼になるとともに「天皇は恒例の祭祀などの小事を行え。国家の大事と賞罰は自分が行う」と宣言した。
孝謙の道鏡への信任はしだいに深まり、逆に淳仁と押勝を抑圧するようになった。

仲麻呂が兵を集めていると聞いた孝謙は、淳仁から皇権の発動に必要な印と鈴(御璽と駅鈴)を回収させた(一説には淳仁天皇もこの時に中宮院内に幽閉されたという)。
これを知った仲麻呂は、子息訓儒麻呂に山村王の帰路を襲撃させて、鈴印を奪回した。
孝謙はただちに授刀少尉坂上苅田麻呂と授刀将曹牡鹿嶋足を派遣して、訓儒麻呂を射殺した。

孝謙は勅して、仲麻呂一族の官位を奪い、藤原の氏姓の剥奪・全財産の没収を宣言した。
仲麻呂は一族を率いて平城京を脱出し、近江国の国衙を目指した。
孝謙は当時造東大寺司長官であった吉備真備に仲麻呂誅伐を命じ、ただちに討伐軍が仲麻呂の後を追った。

真備は、東山道への進路を塞いだので、仲麻呂はやむなく子息辛加知が国司になっている越前国に入り再起をはかろうとした。
淳仁を連れ出せなかった仲麻呂は、自派の皇族中納言氷上塩焼(新田部親王の子)を同行して「今帝」と称して天皇に擁立した。
そして、奪取した太政官印を使って太政官符を発給し、諸国に号令した。
ここに、2つの朝廷が並立した。

仲麻呂の反乱は、わずか8日で鎮圧されてしまう。
己の才覚をもって最高権力者になった男としては、いささかお粗末といえよう。

しかし、これを孝謙側が仕掛けたとみればどうだろうか?
明らかに準備不足だった仲麻呂と、十分な準備をしていた孝謙。
大勢を決したのが、日和見を決め込んでいた豪族たちが、印と鈴が孝謙にあることを見て、雪崩を打って孝謙側についた。
『続日本紀』は、孝謙が印と鈴を「収め」、仲麻呂が「奪おう」としたと書いてある。
しかし、淳仁のところにあったのであり、それを「奪った」のは孝謙であった。

歴史は勝者が記述する。
正史といえども、その辺りは注意して批判的に読む必要がある。
「乱」の関係地図は以下のようである。
Ws000010_2

約100年前の、壬申の乱の関連図が重なる。
壬申の乱も、近江朝側に攻められてやむを得ず大海人皇子が挙兵したことになっている。
しかし、近年は、周到に準備していたのは大海人側であったという見方が強い。
同様に、周到な準備は孝謙側にあったと考えられる。
クーデターを起こしたのは孝謙側であり、それは成功したのである。

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2013年8月 2日 (金)

川勝平太静岡県知事の生態史観図式論/梅棹忠夫は生きている(6)

部屋を片付けようと古雑誌を整理していたら、「文藝春秋2013年新年特別号」に目が止まった。
「創刊90周年記念」と銘打って、完全保存版とある。
そういうわけにもいかないので、保存しておきたい記事は、PDF化することになろうが、電子化するとパラパラと眺めてみるということができない。
検索パワーはずいぶんと強化され、記憶に残っていることの検索はできるが、自分で意識していないような“発見”の楽しみは、紙媒体に劣るのではないか。

上記の「文藝春秋」誌に、「激動の90年 歴史を動かした90人」という企画特集がある。
文春誌が生まれてからの90年で、世界を瞠目させた日本人を、90人の識者が書いている。
その中に、川勝平太静岡県知事の「梅棹忠夫-フィールドワークの目線」がある。

川勝氏には、『文明の海洋史観 (中公叢書)』中央公論社(1997年11月)という著書があるので、梅棹忠夫の影響を受けていることは明らかである。
川勝氏は、梅棹の『文明の生態史観』の書き出しを引用して、次のように書いている。

 この出だしの文章にすでに梅棹の面目があらわれている。音読される漢字は平易なものをのぞいて漢字のままに書かれ、訓読できる漢字はひらがなで表記される。そのために梅棹の文章は漢字が少なく、ひらがなが多いので、中学生でも読める。また、日記のごとき書きぶりであり、同時に紀行文であり旅行記である。

こう書き写してみれば、川勝氏自身、梅棹のような書き方をしようとしていることが窺われる。
川勝氏は、梅棹の学問の方法はフィールドワーク(現場での観察)であるという。
そして、フィールドワークをもとに、ユーラシア大陸で繰り広げられた歴史のパターンを、簡潔な2図にまとめたとする。
『東南アジアの旅から』で提示されているA図、B図である。

『梅棹忠夫著作集第5巻 比較文明学研究』中央公論社(1989年10月)に、『東南アジアの旅から』が収録されている。
同論文は、「中央公論」誌の1958年8月号に掲載された。
A図は以下のようである。
A

梅棹は、文化伝播の起源によってわける系譜論ではなく、共同体の生活様式のデザインを問題にする機能論で、社会を見るという立場をとる。
旧世界全体を細長い横長の楕円であらわして、左右の端に近いところで垂直線をひく。
その外側がが第一地域で内側が第二地域である。

第一地域は、塞外野蛮の民としてスタートし、第二地域からの文明を導入し、封建制、絶対主義、ブルジョワ革命を経て、資本主義による高度の近代文明を持っている。
第二地域は、もともと古代文明発祥の地域であるが、封建制を発展させることなく、巨大な専制帝国をつくり、多くが第一地域の植民地ないしは半植民地となった。

A図を修正したものがB図である。
A図の乾燥地帯の外側には、準乾燥地帯と湿潤地帯があるというのが生態学的な構造である。
そこで、その境界線を書き加えたのがB図である。
B

この図によって、東南アジアの位置がはっきりする。
旧世界の東部の湿潤地帯にある地域である。
中国世界から東南に突き出た三角形の地域は、いわゆる嶺南の地である。

梅棹自身、「こういうかんたんな図式で、人間の文明の歴史がどこまでも説明できるとは、わたしももちろん思っていない。こまかい点をみてゆけば、いくらでもボロがである」と言っている。
しかし、川勝氏は次のように書いている。

ユーラシア各地にかかわる万巻の書を読んでも、そこから得られる知識は、二図のなかに収まる。

残念ながら、梅棹忠夫はもういない。
しかし、彼の思索の跡は幸いにして多くが言語化されている。
私たちにとって、それは汲めども尽きない叡智の泉である。

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2013年8月 1日 (木)

研究における成果主義の弊害/知的生産の方法(70)

科学者による研究データの捏造・偽造の問題が相次いでいる。
⇒2013年7月12日 (金):治験とクリティカル思考/知的生産の方法(69)

成長戦略のあり方が課題として問われているが、成長の源泉は基礎研究にある。
大学の社会的機能の重要な1つは、イノベーションをもたらす基礎研究にあるといえよう。
私自身は、大学時代は遊び呆けていたクチだが、優れた研究者、尊敬する研究者たちに間近に接する機会を得たことは、その後の人生にとって大きな資産になったと思っている。

その基礎研究の砦であるべき大学で、不正が相次いでいる。
Ws000002
東京新聞8月1日

上表にあるように、アカデミズムの頂点に位置するはずの東京大学でも、論文の改竄や虚偽成果が報じられている。

 東京大分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授のグループの論文について、画像などに改ざんや捏造の疑いがあることが7月25日、分かった。東大が設置した調査委員会は複数の論文について撤回が妥当と判断した。東大は関係者から事情を聴くなど検証を進め、不正が認められた場合は処分を検討する。調査委は加藤元教授のグループが発表した100本を超す論文を調査。骨ができる仕組みやホルモンが作用する仕組みなどに関する複数の研究論文について、「画像の反転・複製」などの改ざん、「画像の合成」などの捏造の疑いがあるという。
http://www.shijyukukai.jp/news/?id=7018

iPS細胞に臨床研究についての問題で、私は、「医学は、もちろん自然科学的に基礎を置くが、人間に対する深い理解がなければならないだろう」と書いた。
⇒2012年11月20日 (火):「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ
もちろん、人間に対する深い理解が必要なのは、医学に留まらない。

なぜ、このような業績の偽造・捏造が行われるのでろうか?
私は東北旧石器文化研究所という民間団体の副所長・藤村新一の遺跡捏造事件のことを思い出す。
藤村は、神の手・ゴッドハンドの持ち主と称賛され、当該分野の権威者と目される人まで、一般向けの概説署で、彼の“功績”を讃えた。

考古学では、発掘されたモノがすべてに優先する。
したがって、藤村新一が自ら埋めておいたものを“発掘”したとしても、写真等で証拠をつかまない限り、それが“発掘”されたものとして扱うのは自然である。
研究者性善説である。

論理的に批判できないようなものだとしたら、果して学問とか研究といえるのだろうか、という疑問が湧く。
もちろん、当該分野の研究者にも、不審に思っていた人はいた。
しかし、事件が発覚するまでは、その声は一般には届かなかった。
それに、理論よりも、現場の前にひざまづくべきだという藤村の研究所の理事長らの意見が、空気を形成していたといえる。

客観的にみれば、新発見の95%が藤村の手による、と聞いただけで疑問を持つべきだろう。
それは、確率的にあり得ないことのように思える。
だからこそ、“神の手”と呼ばれたということであろうが、“神”が登場する案件はまず疑ってみる方がいいのではないか。

しかし、不正研究問題がこれだけ続出すると、もはや構造的な問題というべきであろう。
東大分子細胞生物学研究所の場合、研究を主導した元教授は、「捏造は自分の知らないところで行われていた」と釈明している。
日本野球機構のコミッショナーも、同じような発言をしていた。
⇒2013年6月13日 (木):「飛ぶボール」釈明の不可解/花づな列島復興のためのメモ(229)

組織の責任ある立場の人が、その自覚を持たないで他人のせいにする。
そういう人に限って、成果は自分のものにしたがるのだろう。

その成果の評価の仕組みが問題であろう。
成果の上がっていないところに予算はつき難い。
特に、文科省が、競争的資金に重点を置いているのが原因だともいわれる。

なんでも平等にすればいいというものでもないが、基礎研究のように、成果が具体化するまでのリードタイムの長い研究の評価は難しい。
表面的な成果主義では、大学の存在意義が問われることになる。
不正はいずれ発覚する。
発覚した不正の償いは出来ないことを知るべきだ。

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