高市発言の思考の文脈/原発事故の真相(73)
自民党の高市早苗政調会長の発言が物議を醸している。
総選挙後の自民党は、比較的失言が少なかった印象であるが、やっぱり馬脚というか衣の下から鎧というか、本音が表れたということだろう。
東京新聞6月19日
原発容認のスタンスの読売新聞は次のように報じている。
自民党の高市政調会長は17日、神戸市での講演で、「悲惨な爆発事故を起こした東京電力福島第一原発を含め、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」と述べ、原発再稼働を容認する党の立場を説明した。
この発言に対し、野党は18日、「いまだに避難生活を余儀なくされている人々が数多くおられる状況下にあって、常軌を逸した発言だ」(みんなの党の渡辺代表)などと反発。高市氏は同日、国会内で記者団に、「被曝ひばくを直接の原因として亡くなった人はいないが、安全基準は最高レベルを保たなければいけないと伝えたかった」と釈明した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130618-OYT1T00985.htm
まさに「釈明」ということだろうが、問題にしたいのは、高市氏の個々の言葉使いということではなく、そういう発言が出てしまう思考のあり方である。
言葉は思考の産物(アウトプット)であり、同時に思考を動かすエンジンでもある。
「いつやるか? 今でしょ!」で大ブレイクした林修氏が「日経おとなのOFF7月号」で次のように言っている。
言葉は「事」の「端っこ」に過ぎない。
復興庁の幹部職員官が、Twitter上で「左翼のクソども」などと市民団体への中傷を行なっていたことも同じことである。
表面上の発言“だけ”を問題にしていても、それこそ氷山の一角であって、真の問題は水面下の方にある。
水野という参事官も、高市総務会長もお粗末ではあるが、それが復興庁という役所の幹部職員であり、自民党の政調会長なのだ。
水野参事官が現場の責任者として関わっていたのは、「原発事故子ども・被災者支援法」である。
同法が成立から1年間店晒しになっているというが、ツィートという水面上に現れた問題の下部に、復興庁あるいは政府・自民党の本音がある。
それは、高市氏の、釈明のしようのない発言で明らかである。
原発事故は偶発的なものである。
事故はやがて風化するであろう。
一方電力は恒常的に必要であり、電力の供給は至上命題である。
であれば、原発再稼働に向けた環境整備を図ることは優先されるべきだ。
それ以外のことは、できる限り後回しだ。
高市政調会長は、「発言を慎むように」と注意を受けただけで、それ以上のお咎めはないらしい。
私たちは、福島第一原発事故を風化させてはならない。
脱化石・脱原発の方向性に歩み始めなければならない。
http://www.iae.or.jp/publish/kihou/28-3/03.html
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コメント
‘日本語も十分話せないのに、英語を学んでなんとする。’と言う人がいる。だが、現実には、日本語脳による話の失敗は避けられない。
>政治家が、その言葉で失敗したり、問題をおこすことは古今、数多い。
>特に最近は、それが目立つ。例えば、アベノミクス効果で好調な経済を演出し、今や圧倒的な支持率を誇る安倍首相は、歴史認識問題で米国や韓国の不興を買い、その言葉をトーンダウンさせた。
>また猪瀬東京都知事は、アメリカのメディアのインタビューで、オリンピック招致のライバル都市を貶めることを言ったということで謝罪に追い込まれた。
>さらに橋下大阪市長、日本維新の会共同代表は、従軍慰安婦について誤解を与えるようなことを言い、また沖縄駐留米軍に風俗業の活用を進言したということで問題になっている。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
日本人は文章を熱心に作らない。文章を作ることは、考えを練る事に通じている。
英語には時制がある。文章を作らなくては、時制が表せない。だから、文章にして語ることは重要なのである。
日本語には時制がない。文章は常に現在時制 (現実に関すること) に定まっているようなものである。だから、単語だけのやり取りで、ことが足りるものと自他ともに思っている。
そのため、政治家となって、外国人と理想 (非現実) の話もできず、何を言っているかも理解されず、そのために国を過ちに導くことも多い。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2013年6月20日 (木) 04時45分